第一生命保険

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第一生命保険株式会社(だいいちせいめいほけん、英称The Dai-ichi Life Insurance Company, Limited)は、日本生命保険会社2010年4月以降、会社の組織形態は株式会社であり、多くの生命保険会社に見られる相互会社形態ではない。

総資産で、かんぽ生命保険日本郵政グループ)、日本生命保険に次ぐ業界3位[1]

概要[編集]

1902年(明治35年)、日本初の相互会社形式による生命保険会社として設立。日本国内で初の相互会社であるという意味を込めて、社名に「第一」という文字を戴いていたが[2]2010年4月1日株式会社組織変更したうえで、東証1部上場した。株式会社への転換にあたっては、保険契約者は保険金支払実績に応じて、株式受取りか相当分の現金支給かを選択する措置を講じた。およそ1年後の2011年3月29日付けで、日経平均株価の構成銘柄に採用された[3]

筆頭株主のみずほフィナンシャルグループと、全面的に業務提携している[4]。また、2000年8月に安田火災(現損害保険ジャパン日本興亜)、同年9月にアメリカンファミリー2007年7月にりそなホールディングスと業務提携した。また、金融機関代理店向け商品の提供を目的に、業界ではじめて生保子会社・第一フロンティア生命を設立した。

現在の経営理念は、『お客さま第一主義 「一生涯のパートナー」』。[5]

安全性指標[編集]

資産規模[編集]

  • 資産規模[8]
    • 保有契約高
138兆5,979億円(個人保険)
7兆5,375億円(個人年金)
50兆4,915億円(団体保険)
6兆659億円(団体年金)
33兆4,686億7,000万円(資産運用益1兆356億円)(連結)
31兆4,619億4,000万円(資産運用益9,740億円)(単体)

総資産で、かんぽ生命保険日本生命保険に次ぐ第3位である。

コーポレートアイデンティティ[編集]

  • グループビジョン
いちばん、人を考える会社になる。
株式会社への転換に合わせて、グループ全体の新スローガンとして制定された。
一生涯のパートナー -「生涯設計」それぞれの生き方に、いつもベストな備え方-(相互会社時代から)
  • 経営理念
お客さま第一主義 「一生涯のパートナー」(相互会社時代からのグループビジョンを兼ねる)
  • 経営基本方針
    • 最大のお客さま満足の創造
    • 持続的な企業価値の創造
    • 社会からの信頼確保
    • 職員・会社の活性化

沿革[編集]

株式会社への転換上場[編集]

東証は、株主数の多さ(約150万人)や注目度・知名度の高さ等を鑑み、売買注文殺到によるシステム障害等を防ぐため、上場初日の取引について、13:00に1度だけ売買を成立させる「一本値方式」で初値を決定し、その1回限りで当日の取引を終了させる特別措置をとった[9][10]。初値は公開価格(14万円)より2万円高い16万円だった[11]。株式会社への転換にあたって多くの保険契約者が当社株式を受け取ったため、2012年3月31日現在で1,077,804名が当社の株式を所有している。株主数は日本最大である。

上場後の株価水準[編集]

脚注の産経新聞報道によると、上場後の株価は値下がり傾向にある。2010年6月28日の上場後初の株主総会では、ほぼ全ての株主が「含み損」を抱えた状態での総会開催となったため、多くの株主から、株価に関する強い調子の発言が相次いだと報道されている[12]

株主からの質問に対し、会社側は「海外を含めた成長分野に取り組んでいく。マーケットに対して説明をしっかりしてコミュニケーションを取っていきたい」、「私どものIRはまだまだ不足している。IR活動にしっかり取り組んでいきたい」と答えた[13]

本社ビルの歴史[編集]

1921年(大正10年)に、辰野葛西事務所の設計で建てられた東京・京橋の「第一相互館」は、地上10階(中2階を含む)建ての東京市内有数の高層建築であった。

1938年よりの本社屋である東京・日比谷の「第一生命館」は、1938年渡辺仁松本与作の共同設計で建設された。

1945年連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収される(1952年に接収解除)。マッカーサーは東京に進駐した9月8日当日に、およそ40分かけて都内を車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだ。皇居を見渡すことができ、華美ではない機能的な建物がマッカーサーの目に留まったと言われている。

第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が保存されているが、現在は一般には公開されていない。後に1970年代後半、警視庁本庁舎新築に伴い仮庁舎として使用されたこともある。

1995年に「第一生命館」は、隣接する「農林中央金庫有楽町ビル」と一体化させるよう中間に高層階部分を増築し、「DNタワー21(第一・農中ビル)」として改装されている。その為フロアの高さが異なり、低層部分=本館の8階部分のS階が新館の6階と繋がっている。DNタワー21は戦前最後の部分保存された大規模建築として、東京都選定歴史的建造物に選定されている。

社会との関わり[編集]

東京ディズニーリゾートとの関係[編集]

第一生命は、東京ディズニーランド東京ディズニーシーの参加企業(オフィシャルスポンサー)としても有名である。また、「ディズニー・オン・アイス」の協力企業としても名を連ねている。

1986年から起用している広告のほかにも、顧客に無料で配布される販促品には、ディズニーキャラクターがふんだんに使用されている。「企業イメージCM」でも、家族と東京ディズニーリゾートがテーマになったものが放送されている。 また、CMの中にディズニーのぬいぐるみが、さりげなく映りこむこともある。

東京ディズニーリゾートの参加企業として提供しているのは、「ビッグサンダー・マウンテン」(ランド)・「センター・オブ・ジ・アース」(シー)の2つのアトラクションと、両パーク内のベビーカー車椅子の貸出サービスである。

ちなみに、2つのアトラクションに設置されている「スポンサーラウンジ」は保険加入者であれば、担当のセールスレディーを通して、無料で利用することができる。

「スポンサーラウンジ」は、スポンサーがついているアトラクションにはほぼ設置されており、待ち時間無しでアトラクションへ向かうことができるが、その多くが参加企業の社員からの非公式な口利きでしか利用できない。

先着順ながら、保険に加入していれば誰でも利用できる第一生命のラウンジは、かなり貴重である。

また、2008年10月1日に東京ディズニーリゾート内に開業した「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」で行われているレジデントショー(常設公演)「ZED」(ゼッド)にも、協賛(オフィシャルスポンサー)していたが、2011年12月31日に公演は終了した。

モーツァルト住家復元事業[編集]

オーストリアザルツブルクには、モーツァルトが青年期を過ごし、多彩な音楽活動を展開したタンツマイスターハウスと云う名の住家があった。しかし、第一次世界大戦で爆撃を受け、その半分以上が破壊され、更に半壊跡地にはオフィスビルが建築されてしまった。1996年、ザルツブルク国際モーツァルテウム財団によってオフィスビルは買収され、住家の完全復元工事が完了した。現在、この住家はモーツァルト記念館として、コンサートの開催、モーツァルトゆかりの品々の展示のほか、モーツァルトに関する文献・映像資料などが取り揃えられている。第一生命は、創立90周年の記念事業として、開始当初からこの事業に参画し、支援を行っている。

スポーツ活動[編集]

1990年(平成2年)創設の女子陸上競技部がある。1994年山下佐知子1991年世界陸上東京大会女子マラソン2位入賞・銀メダル獲得・1992年バルセロナオリンピック女子マラソン4位入賞)が加入。1996年に山下が監督就任後は長距離走・マラソンを中心に実力を蓄え、2002年2011年には全日本実業団対抗女子駅伝競走大会で二度の総合優勝を果たす。現在は約10人前後の女子部員が所属している。

元所属部員で活躍した女子選手では、尾崎好美2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソン2位入賞・銀メダル獲得、2012年ロンドンオリンピック女子マラソン代表・19位)、野尻あずさ2011年世界陸上大邱大会女子マラソン代表・19位、2012年大阪国際女子マラソン・3位)、伊藤真喜子1997年ロッテルダムマラソン女子2位、同年東京国際女子マラソン優勝)などがいる。

このほか、全国小学生テニス選手権大会ではメインスポンサーを務めるのみならず、試合会場(相娯園総合グラウンドテニスコート)の提供も行っている。本大会からは、杉山愛錦織圭などの国際的なテニスプレーヤーを多数輩出している。

関連企業・団体[編集]

※印は100%子会社

国内企業[編集]

海外[編集]

  • 第一生命ベトナム※
  • TAL※
(ただし、オーストラリアにおける子会社2社(TAL Dai-ichi Life Australia Pty Ltd、TAL Dai-ichi Life Group Pty Ltd)を通じて100%保有。)
  • スター・ユニオン・第一ライフ
  • オーシャンライフ
  • 第一ライフ・インターナショナル(ヨーロッパ)※
  • 第一ライフ・インターナショナル(アジアパシフィック)※
  • 第一ライフ・インターナショナル(U.S.A.)※

財団[編集]

不祥事[編集]

詳細は 保険金不払い事件 を参照

2005年10月後半、各生命保険会社から相次いで保険金および給付金の不当不払いが発覚し、同社についても合計25件、2,327万円相当の不払いがあることが発表された[14]

2006年6月24日、およそ1億5千万円、件数にしておよそ4万7千件の配当金不払いがあった事が判明。これは1984年~2005年までに発生した不払いの合計であり、2004年2月にはこうした不払いがあることを同社は既に把握していたが、公表していなかった。

2007年1月2日、大手生保4社(この中に同社も含まれている)が、医療特約関連で保険金の一部に不払いがあったことを発表。その後の同年1月16日、三大疾病に関する特約(特定疾病保険)において、約500件、15億円分の不払いがあったことが判明した(過去5年間における保険金の支払い事由に該当していたと推測される約1800件の契約から抽出した結果)[15]

提供番組[編集]

現在
過去

第一でナイト[編集]

第一でナイト」は、第一生命のCMキャラクター。1999年夏にオンエアされた同社の新商品「堂堂人生ハイバリュープラン」のTVCMで田中麗奈扮する初代・第一でナイトが登場。ネーミングは「保険会社を選ぶなら、第一(生命)でナイト!」に由来。「リボンの騎士」のようなスタイルで活躍し、「ひろめナイト!」「伝えナイト!」といったナイト言葉をキメ台詞とする。2004年春までの初代「第一でナイト」ファミリーは、ナイト=田中麗奈、キング=鹿賀丈史、クィーン=萬田久子。04年秋から登場の二代目ファミリーは、ナイト=石原さとみ、キング=伊武雅刀、クィーン=真矢みき。敵役のシッペイ大魔王宝田明)ほか、サブキャラクターも数多かった。生保各社のCMのなかでは唯一の長寿キャラクターである。保険料不払い問題を受けての保険内容総点検の企業CMが中心になっていたため、しばらくナイトの登場は見合わされていたが、2008年の年賀ポスターでは健在ぶりを見せ、秋には滝沢秀明を起用した初の男性タレントによる三代目「第一でナイト」が誕生、ナイトシリーズは10周年に入った。

Dセイバー[編集]

2013年4月1日からは戦隊ヒーロー風の新キャラクター「Dセイバー」によるCMがスタート。出演は田辺誠一(セイバーミドル/リーダー役)、武井咲(セイバーレディ役)、東出昌大(セイバーヤング役)、伊吹吾郎(セイバーシニア役)。なお、武井のみ前年から第一生命のCMに出演している[16]

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

  1. 【ムーディーズの業界分析】日本の生命保険業界 - 東洋経済オンライン(2010年7月確認)。
  2. 明治創業期|第一生命の歩み - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2010年7月確認)。
  3. 日経平均株価等の銘柄入れ替えについてPDF  - 日本経済新聞社、2011年3月8日。
  4. ディスクロージャー誌2010第一生命の現状PDF の通算12ページ目 - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2010年10月確認)。
  5. 会社情報|第一生命保険株式会社 - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2010年7月確認)。
  6. 第一生命の健全性|業績・財務情報 - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2012年5月確認)。
  7. 平成23年度決算のお知らせ(409KB)PDF  - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2012年5月確認)。
  8. 平成23年度決算のお知らせ(409KB)PDF の通算2ページ目 - 第一生命保険株式会社ウェブサイト(2012年5月確認)。
  9. 第一生命保険相互会社(8750)の新規上場日の売買の取扱いについて - 東京証券取引所ウェブサイト(2010年3月23日)。
  10. 第一生命保険(8750)の初値の決定方法についてPDF  - 東京証券取引所ウェブサイト(2010年3月1日)。
  11. 第一生命高値発進の裏に個人の買い、売買活発化の期待も - ロイター通信、2010年4月1日17:14配信(2010年10月確認)。
  12. 産経新聞ニュースサイト - 産業経済新聞社(2010年10月現在、リンク切れ)。
  13. 【株主総会ライブ】第一生命(1)渡辺社長「中国に早期進出」 株式会社化の狙い説明 - SankeiBiz、2010年6月28日配信(2010年10月確認)
  14. 第一生命保険の発表文書PDF  - 第一生命ウェブサイト(2010年10月現在、リンク切れ)。
  15. 第一生命保険の発表文書PDF  - 第一生命ウェブサイト(2010年10月現在、リンク切れ)。
  16. 「Dセイバー」誕生!武井咲が戦隊ヒーローに挑戦 第一生命 - 保険市場Times 2013年4月9日

外部リンク[編集]