板橋駅
板橋駅(いたばしえき)は、東京都板橋区板橋1丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
線路名称上の当駅を通る路線は赤羽線であるが、運行系統上は埼京線として案内される。特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
正式な所在地を板橋区内に置く、唯一のJRの駅である。北区滝野川・板橋区板橋・豊島区上池袋の境に存在し、西口(板橋口)が板橋区に、東口(滝野川口)が北区に、ホームの大半は豊島区にある。
歴史[編集]
- 1885年(明治18年)3月1日 - 日本鉄道の駅として開業し、同時に貨物取り扱いを開始する。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 山手線所属の駅となる。
- 1972年(昭和47年)7月15日 - 赤羽線所属の駅となる。
- 1985年(昭和60年)9月30日 - 埼京線の運行を開始する。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)の駅(赤羽線所属)となる。
- 1996年(平成8年)3月16日 - 貨物列車の設定が廃止される。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 日本貨物鉄道(JR貨物)の駅が廃止される。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカード「Suica」供用を開始する。
駅構造[編集]
島式ホーム1面2線を有する地上駅。みどりの窓口(営業時間は9時から19時)、指定席券売機(営業時間は5時30分から23時)、自動改札機が設置されている。
ホームと改札階を結ぶ階段は十条側の1ヶ所にしかないため、当駅利用客の乗車位置が均等にならない傾向があることから、埼京線で最も混雑の激しい1号車(大宮・川越寄り先頭車)のさらなる混雑に拍車をかけている。また、池袋方面の最後尾とホームは、広く開いている。これは、少しだけカーブしているためである。
駅は盛土構造になっており周辺市街地を分断しているが、ホームの十条側に地下通路が、また改札外のホーム中ほどにはトンネル状の自由通路があり、駅の東西をつないでいる。
当駅は隣駅の十条駅と共に「通過禁止駅」に指定されている。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | ■埼京線 | 赤羽・武蔵浦和・大宮・川越方面 |
2 | ■埼京線 | 池袋・新宿・大崎・りんかい線方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図[1])
西口コンコースと大宮方面線路の間には「板橋訓練所」があり、レール、警報機、信号機が設置されている。
貨物取扱[編集]
1999年までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあった。貨物取扱が行われており、当駅を起点とした列車の設定もあった。
当駅の池袋側、豊島区上池袋4-30(現在のソフトバンクテレコム新東京センター)、4-31(同、プラウドシティ上池袋)には1990年代後半まで住友セメントの工場があり、当駅からの引き込み線 (0.3km) を介してセメントや砕石の輸送が行われていた。駅のホームからは、列車に使用される機関車(EF65形・DE10形)や、東武鉄道から乗り入れる貨車などを見ることができた。
1996年の工場閉鎖に伴い貨物取扱が廃止され、赤羽線を走行する貨物列車が消滅した。折しも、隣の池袋駅では列車増発のための線形改良事業が構想されていたが、貨物列車の運転終了により同線の勾配に関する制約が緩和された[2]ことから、当初は池袋駅の南側で当線と山手貨物線が立体交差する構想を、同駅の北側で交差する構造に変更した。この事業の完了にともない、両線の平面交差支障解消および、埼京線と湘南新宿ラインの同一方向同一ホーム化が実現した。※線形改良の詳細は、池袋駅#日本鉄道・国鉄・JR線ホームの変遷を参照。
貨物列車が発着していた2番線隣接部は、貨物取扱廃止後に大半のレールが撤去されたが、クロッシングポイントの一部と入換用の表示機など設備の一部が残っている(2012年2月現在)。
利用状況[編集]
JR東日本の2012年度の1日平均乗車人員は30,973人である。近年の推移は下記のとおり。
年度 | JR東日本 | 出典 |
---|---|---|
1992年 | 26,992 | [3] |
1993年 | 27,504 | [4] |
1994年 | 27,258 | [5] |
1995年 | 27,227 | [6] |
1996年 | 28,400 | [7] |
1997年 | 28,577 | [8] |
1998年 | 28,452 | [9] |
1999年 | 28,418 | [10] |
2000年 | 28,522 | [11] |
2001年 | 28,798 | [12] |
2002年 | 28,965 | [13] |
2003年 | 29,424 | [14] |
2004年 | 29,154 | [15] |
2005年 | 29,348 | [16] |
2006年 | 29,452 | [17] |
2007年 | 29,803 | [18] |
2008年 | 29,724 | [19] |
2009年 | 29,521 | [20] |
2010年 | 29,871 | [21] |
2011年 | 30,168 | [22] |
2012年 | 30,973 | [23] |
JR貨物の貨物取扱停止までの推移は下記のとおり。
年度 | 総数 | 車扱貨物 | コンテナ貨物 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | ||
1990年 | 7,744 | 221,975 | 7,744 | 221,975 | 0 | 0 | [24] |
1991年 | 6,956 | 177,248 | 6,956 | 177,248 | 0 | 0 | [25] |
1992年 | 7,644 | 148,762 | 7,644 | 148,762 | 0 | 0 | [26] |
1993年 | 6,812 | 134,892 | 6,812 | 134,892 | 0 | 0 | [27] |
1994年 | 6,260 | 137,024 | 6,260 | 137,024 | 0 | 0 | [28] |
1995年 | 5,536 | 116,319 | 5,536 | 116,319 | 0 | 0 | [29] |
1996年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | [30] |
駅周辺[編集]
近隣の鉄道駅[編集]
以下の駅が徒歩圏内にあり、乗り換えが可能である。連絡乗車券は発売されていないが、2010年3月13日現在、当駅と新板橋駅を介する連絡定期券が発売されている。
名所・旧跡・施設[編集]
- 旧中山道
- 近藤勇・土方歳三の墓所 - 東口(徒歩1分)にある。
- 東京都立北園高等学校
- 巣鴨中学校・高等学校
- 東京国際フランス学園
- 谷端川児童遊園 - 1962年に暗渠化された旧谷端川流路上に整備された遊歩道公園。「一の橋」と記された石造り欄干が遺されている。池袋方面からの「下り谷」を流れてくる支流と、この橋の付近で合流していた。地名における”袋”は、川と川の合流点を指すことが多い用語であるため、旧池袋村と旧板橋町大字瀧野川の境に相当する板橋駅南西側の一帯(板橋1丁目および豊島区池袋本町4丁目付近)を池袋の地名の由来とする説がある。[31]
バス路線[編集]
隣の駅[編集]
脚注[編集]
- ↑ 2011年4月23日閲覧
- ↑ 貨物列車が走行する路線は一般的に、旅客列車のみ走行する路線よりも条件が厳しい。
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成10年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成11年)
- ↑ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ↑ 第42回東京都統計年鑑 222ページ
- ↑ 第43回東京都統計年鑑 228ページ
- ↑ 第44回東京都統計年鑑 222ページ
- ↑ 第45回東京都統計年鑑 232ページ
- ↑ 第46回東京都統計年鑑 218ページ
- ↑ 第47回東京都統計年鑑 236ページ
- ↑ 第48回東京都統計年鑑 252ページ
- ↑ NHK総合テレビ「ブラタモリ 池袋・巣鴨」2011年1月27日放送。他に、豊島区西池袋1丁目の元池袋史跡公園内にかつて存在していた「丸池」を池袋の由来とする説もある。