巣鴨中学校・高等学校
巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立男子中学校・高等学校。
目次
概要[編集]
硬教育(努力主義、文武両道)を掲げ、中学校は剣道、高校は柔道又は剣道を正規の必修授業科目としている。「全校有段者主義」、「全教科必修主義」を旨とする。かつては風紀が荒廃していた時期もあったが、現在では進学校の一つに数えられる。関係者は「鴨中」「鴨高」、さらに「ガモ」という略称で呼ぶことがある。
5月の大菩薩峠越え強歩大会、7月の館山巣園流水泳学校と蓼科学校勉強合宿、11月の国営武蔵丘陵森林公園マラソン大会、1月の寒稽古等、季節に応じた様々な行事がある。
所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく豊島区上池袋。JR山手線大塚駅より徒歩12分、都電荒川線巣鴨新田停留場より徒歩10分、JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線池袋駅より徒歩15分、都営三田線西巣鴨駅より徒歩14分、JR埼京線板橋駅より徒歩14分、東武東上線北池袋駅より徒歩12分。
代表的な行事[編集]
大菩薩峠越え強歩大会[編集]
大菩薩峠越え強歩大会は5月に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩と山梨の塩山との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースのいたるところで生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山にちなんだ「介山荘」がある。なお、1年ごとに出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中学1年生:20.9km、中学2年生/3年生:26.0km、高校1年生:27.0km、高校2年生:33.9km、高校3年生:34.5kmのコースであった。2000年ごろまでは、小河内ダム駐車場~塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。
巣園流 館山水泳学校[編集]
巣園流館山水泳学校は毎年夏休み中に行われる。現在は中学1年生のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。
一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声をかけながら館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下をなでるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いをつけて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一かきするが、一かきするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」をとる。両輪伸しでは手は水を掻かないのでつかれにくく、また「伸し」をとるたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。学生は白のさらし木綿の六尺褌を締め、指導にあたる教職員やOBは黒の褌を締める[1]。
泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。
蓼科学校勉強合宿[編集]
勉強合宿は毎年夏休み中に行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学生と新高入生1年が勉強合宿を行う。
創立記念森林公園マラソン大会[編集]
創立記念日11月25日を記念して、毎年埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園において10km走を行う。全校生必修となっているが、学年によって3分ずつの時間差スタートとしている(制限時間は、中学1年生は90分であるが、高校3年生は75分)。
寒稽古[編集]
3学期の授業開始後、ほどなく行われるのが寒稽古である。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目から成り、早朝、始業前から稽古が始まる。全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。
沿革[編集]
創立~戦前
- 1910(明治43)年 - 遠藤隆吉(1874(明治7)~1946(昭和21)年、東京帝国大学哲学科卒業、社会学者、文学博士)、私塾「巣園学舎」を創立。遠藤隆吉著『硬教育』(富山房)[2]公刊。
- 1922(大正11)年 - 旧制巣鴨中学校創立 (所在地:東京府北豊島郡巣鴨村宮仲 →現在の豊島区上池袋1丁目 巣鴨学園所在地に同じ)。
- 1924(大正13)年 - 旧制巣鴨商業学校を併置。
- 1928(昭和 3)年 - 旧制巣鴨高等商業学校(戦後分離の上、学制改革で千葉商科大学に)を併置。
- 1945(昭和20)年 - 東京大空襲により校舎全焼。復旧に着手、授業継続。
戦後~現在
- 1949(昭和24)年 - 学制改革により、巣鴨中学校、巣鴨高等学校、巣鴨商業高等学校の3校を併置する学校法人巣鴨学園となる。
- 1956(昭和31)年 - 堀内政三校長就任(東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業、前職は一橋大学助教授)。
- 1984(昭和59)年 - 遠藤隆吉著『硬教育』(復刻版)刊行。
- 1990(平成 2)年 - 剣道部創立65年記念誌『巣鴨の剣道 -一つの巣鴨学園史-』刊行。
- 1991(平成 3)年 - 水彩画集『巣園風物』刊行。これは、1945年の空襲により廃墟と化した校舎やその周辺を、復興の兆しが微かに見え始めた時期に、当時在職していた丸野豊(美術科教諭。同郷の青木繁とは画友であった)が、授業の合間にスケッチしたものをまとめたもの。
- 1997(平成 9)年 - 制帽着用が自由化される。
- 2000(平成12)年 - 巣鴨商業高等学校の生徒の募集を停止(2002年3月休校)。全校舎冷暖房化。
- 2002(平成14)年 - 旧制巣鴨中学校創立来80周年。学園史『文武一貫』刊行。
- 2007(平成19)年 - 堀内政三学園長就任。後任の校長職には堀内不二夫が就任(前職は副校長)。
歴代校長[編集]
- 初代:遠藤隆吉(在任期間1910年5月~1937年6月)
- 第二代:遠藤健吉(在任期間1937年6月~1955年9月)
- 第三代:清水虎雄(在任期間1955年9月~1956年6月)
- 第四代:堀内政三(在任期間1956年6月~2007年3月)
- 第五代:堀内不二夫(在任期間2007年3月~現在)
所在地・アクセス[編集]
主な出身者[編集]
- 市古貞次 - 国文学者、東京大学名誉教授、文化勲章受章
- 渥美清 - 俳優、国民栄誉賞受賞
- 浦田正夫 - 日本画家、日本芸術院会員
- 北村治禧 - 彫刻家、日本芸術院会員
- 下村康正 - 刑法学者、中央大学名誉教授
- 安藤英治 - 経済史家、元成蹊大学教授(マックス・ヴェーバー研究)
- 大原慧 - 社会思想家、元東京経済大学教授(幸徳秋水研究)
- 川口弘 - 経済学者、元中央大学教授・学長(ケインズ経済学)
- 林栄夫 - 経済学者、元東京都立大学教授(財政学)
- 南部鶴彦 - 経済学者、学習院大学教授(産業組織論)
- 蝦名賢造 - 経済学者、元獨協大学教授、元獨協中学校・高校校長
- 新井裕 - 元警察庁長官
- 村井順 - 総理府調査室(のち内閣調査室)初代室長、内務・警察官僚。総合警備保障社長
- 平山長 - 元最高裁判所判事
- 河井聡 - 弁護士
- 早川学 - 弁護士
- 森寅雄 - 剣道家(範士八段) / 米国で剣道の普及に尽力し「タイガー・モリ」として知られる
- 小野寺剛 - ソフトテニス選手 / 元全日本チャンピオン
- 北出清五郎 - 元NHKアナウンサー
- 和田勉 - 演出家
- 渋谷和良 - 版画家
- 重田康光 - 光通信社長
- 崔基鎬 - ジャーナリスト
- 村松健 - ピアニスト
- 宇多丸 - ヒップホップ / Rhymester
外部リンク[編集]
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