ドラえもん (真面目)

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ドラえもん』は、藤子・F・不二雄[† 1]による日本児童漫画SF漫画ギャグ漫画作品。および作品に登場するキャラクターの名前。

概要[編集]

何をしても駄目な小学生、野比のび太と、22世紀から来たロボット・ドラえもんの日常生活を描いた作品である。舞台となる時代は、基本は現代であるが、タイムマシンで過去や未来へも行き来する。

あらすじ[編集]

何もやってもドジばかりの少年「野比のび太」。お正月をのんびりと過ごしていると、机の引出しから、のび太の子孫「セワシ」と「ドラえもん」が現れる。

未来の野比家では、のび太が残した借金がセワシの代まで及んで困っているという。悲惨な未来を変えるために、セワシが世話係として連れてきたドラえもんと暮らす事になるのび太。

ドラえもんはポケットからひみつ道具を取り出しのび太を助けてくれる。のび太は道具に頼りがちになりながらも、時には反省し学んでいき、少しずつ未来はより良い方向へと進んでいく。

作品[編集]

典型的なプロットは「のび太の身にふりかかった困難を、ひみつ道具で一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものである。

このプロットは、作者の描くSF(すこし・不思議、Sukoshi Fushigi)[† 2]を反映しており、当時のSFの唱える "if"(もしも) についての対象を想定した回答であるといえる。

藤子・F・不二雄が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。ただしその一部[1][2][3][4][5][6]は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による執筆[7]

藤子・F・不二雄が逝去した1996年以後もテレビアニメの制作は続き、アニメ映画の漫画版を萩原伸一(むぎわらしんたろう)、岡田康則が執筆している。

作品の発展[編集]

本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった。しかし、連載が進むにつれて、次第にギャグ漫画の特色が薄くなり、作品のストーリー性が強くなっていった。

小学一年から小学六年までと読者層が広範囲に展開されている為、読者の年齢差を意識して、内容面まで描き分けられて連載されていた。小学一年ならひみつ道具の楽しさが描かれ、小学四年からは、のび太の成長などのストーリー性が強くなり、小学六年になると、複雑な内容も増えてくる[8]

当初、ドラえもんとのび太は「世話役と世話をされる者」だけの関係だったが、物語が進むにつれて、2人の仲が変化してくる。世話係の役目を終えて未来へ帰ったドラえもんは[9]、使命を負ってではなく、のび太の元へと再び現れる[10][8]

連載[編集]

ファイル:Doraemon, serial publication.GIF
ドラえもん連載期間(読み切り、半年未満の連載、及び大長編は除く。黄色は他誌と同時掲載。詳細は「連載誌」の項を参照)

1969年より、小学館発行学年誌の一部(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている[11]

『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹ドラミを主人公に据えたスピンオフ作品『ドラミちゃん』が連載され、のちに『ドラえもん』本編に統合された。詳細はドラミを参照。

1980年からはアニメーション映画の原作として単行本1巻分の長編の執筆を開始、これを『大長編ドラえもん』と称している。映画にふさわしくスケールの大きな舞台で、のび太が仲間と協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。この頃は『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。

1987年以降は作者の体調面の問題もあり、短編の連載は少なくなった。大長編を除く、作者本人の手による最後の単発作品は、中編「ガラパ星から来た男」(45巻収録)となっている。この作品は連載開始25周年を記念して、3誌同時に集中連載された中編で(『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』で、1994年 7月号 - 9月号)、『月刊コロコロコミック』の1994年9月号の別冊付録「ドラえもん44.5巻」で完全版として加筆掲載されたものをコミックス収録時に更に加筆した物となる。

掲載誌[編集]

いずれも小学館からの発行。

  • 『よいこ』
    • 1970年1月号 - 1971年4月号、1972年10、11月号、1973年2月号 - 10月号
  • 『幼稚園』
    • 1970年1月号 - 1971年3月号、1972年10月号、1973年3月号 - 12月号
  • 『小学一年生』
    • 1970年1月号 - 1974年3月号、1975年3月号、1975年9月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号、1990年4月号
  • 『小学二年生』
    • 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号
  • 『小学三年生』
    • 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年1月号 - 5月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年3、4月号
  • 『小学四年生』
    • 1970年4月号 - 1986年7月号、1987年4、5月号、1988年6月号 - 1990年11月号、1991年1月号、(1991年3、4月号[† 3]
  • 『小学五年生』
    • 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年12月号
  • 『小学六年生』
    • 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、(1989年4月号 - 1990年12月号)、(1991年12月号[† 4]
  • 『てれびくん』小学館
    • 1976年12月号 - 1977年8月号、1979年5月号 - 1983年3月号
  • 『小学館BOOK』(『小学館ブック』)
    • 1974年1月号 - 3月号、5月号 - 9月号
  • 『別冊少年サンデー』
    • 1973年6月号 - 1974年3月号(全10回、すべて学年雑誌の再録)
  • 『増刊少年サンデー』
  • 『月刊コロコロコミック』

連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1ヶ月ずれるので注意が必要。また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。ただし毎年1月号から3月号は映画原作が掲載されるため休載となる

知名度[編集]

藤子・F・不二雄は「オバケのQ太郎」(合作)以降、「パーマン」「ウメ星デンカ」を小学館の学習雑誌および『週刊少年サンデー』に連載しており、本作はそれを引き継ぐ形で学習雑誌に連載された。しかし、「ウメ星デンカ」までは存在した週刊少年サンデーでの連載はなかった。6誌に連載されていたにもかかわらず、はじめはあまり注目される漫画ではなかったという[8]。実際、1973年に最初のアニメ化がなされたが、わずか半年で終了してしまう。その翌年には、最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は続行された(最終回の詳細はドラえもんの最終回を参照)。

しかしその後、1974年の単行本(てんとう虫コミックス)発売、1977年の『コロコロコミック』創刊を経るにつれ、知名度も上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[12]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画化され、それらのヒットにより人気は決定的なものとなった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録[13]。2000年度末時点で全世界で1億7000万部以上売られており[14]、小学館を代表する作品となっている。

日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートで一位にランク入りした。また近年ではドラマの台詞や芸人のネタなどに使われることもある。

誕生までの経歴[編集]

『ドラえもん誕生』[15]によれば、締め切りが迫る中、新連載の構想が浮かばないという切迫した状況にも関わらず、作者の藤本は、アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。さらに、過去にもアイディアが思い浮かばないまま、ドラネコのノミ取りを始めてしまったという経験があったことなどを回想しているうちに、ついに締め切りになってしまう。そして、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまずいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も、自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。

上記のように連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、前月に掲載された予告[16]は、タイトルも、メインキャラクターであるドラえもんの姿も描かれていないという、異例のものであった。安孫子素雄(藤子不二雄)によれば、藤本はドラえもんのキャラクターを作る際に、猫のデッサンを漫画化したものを多数描いていたという[17]

受賞[編集]

作風や舞台設定[編集]

作品の連載開始は1970年頃。

本作の主人公は、東京都[† 5]に住む小学生、野比のび太[† 6]

「ぼくの生まれた日」では(1995年に定められた藤子公認の新設定でも同様)、のび太は1964年8月7日生まれ[21]

登場人物[編集]

詳細は ドラえもんの登場人物一覧 を参照

本作に登場する人物たちは、作者の少年時代に周りにいた友人や人々がモデルとなっているとの説がある。

藤子・F・不二雄の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるという[22]。作者の自叙伝である「まんが道」の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。のび太については、自身の子供時代をモデルにしたと作者本人が語っている。(ただし学童疎開体験については時代設定の関係上父親ののび助の体験として描いている)作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい[23]。さらに、源静香については作者の理想の女性を描いたものだとする説がある[24]

時代設定[編集]

「未来の国からはるばると」で、ドラえもんとセワシが用意した「未来アルバム」に載っていた、のび太の未来を写した写真は1970年から1995年までが紹介されている。

25巻収録「竜宮城の八日間」での現在は1982年、33巻収録「ハリーのしっぽ」での現在は1985年とされている。16巻収録「りっぱなパパになるぞ!」では、のび太としずかが結婚してマンションに住み、息子のノビスケがのび太くらいの年齢となった近未来が2002年とされている。作中での2002年の描写は、ドラえもんのモデルとなる登場人物が少年時代であった1940年代と現実世界における2002年との間のテクノロジーの差を描写したものと解することもできる。3巻収録「白ゆりのような女の子」では、のび太の父親であるのび助についての戦時中における学童疎開の話があり、当時10歳前後であるとするとのび助は1930年代生まれと推測できる。しかし、アニメ「タイムマシンでお正月」[25]では1940年生まれという設定となっている。

藤子・F・不二雄自身の中にある設定として、他の作品との時代関係は固定していたと述べている要出典。たとえば、『ドラえもん』の数年前として『パーマン[26]、ほぼ同時期の設定として『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『ウメ星デンカ[27]など、数十年後として『21エモン[28]など。

時代の変化[編集]

テレビアニメの放送は30年以上にものぼっていることもあり、原作と比較して生活環境の描写が変わっていることも多い。例えば、2000年以降の作品ではスネ夫が携帯電話[29]DVDニンテンドーDSに似たゲーム機を持っていたり、部屋にパソコンがあったり(出木杉も)、剛田雑貨店が自前のウェブサイトを開設していること[30]、またテレビを操作する際にリモコンを使っていることなどが挙げられる。原作・アニメではファミコン発売以前にテレビゲームが登場し、スネ夫が自慢しているシーンが存在する。「ドラえもんの長い一日」[31]においては、のび太が生活する現代は現在の設定では21世紀であるとされている。1期で「20世紀のおとのさま」であったタイトルは2期ではタイトルを「21世紀のおとのさま」としている。


アニメ・映画[編集]

詳細は ドラえもんの派生作品 を参照

大長編ドラえもん[編集]

劇場用アニメ映画の原作とするために描かれた長編漫画であり、短編漫画『ドラえもん』の原作者による派生作品である。通称「大長編」。てんとう虫コロコロコミックスとして発売されている単行本(全24巻)のほか、小学館コロコロ文庫から文庫版も刊行されている(既刊17巻)。

作者没後の作品であるVol.18以降の単行本表紙には、それまでに加えて「まんが版映画シリーズ」と記されている。Vol.21からVol.24の4作の単行本には、描き下ろし漫画作品が同時収録されている。

第1作『ドラえもん のび太の恐竜』は、短編作品としてすでに発表されていたものに加筆したもの。『月刊コロコロコミック』1980年1月号から3回にわけて漫画版が連載され、1980年3月15日にアニメ版が劇場公開された。

第1作から毎年、映画公開までに漫画版を集中連載し、漫画が完結したすぐあとの3月初旬から中旬に映画を公開するというスケジュールが確立されていた。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の漫画版を執筆中に原作者が死去。原作者没後も映画の制作は続き、引き続き藤子・F・不二雄プロが漫画版を執筆した。

てんとう虫コロコロコミックス[† 7]の単行本は、Vol.4『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』が第1弾として発売され、その後、Vol.1『のび太の恐竜』→Vol.2『のび太の宇宙開拓史』→Vol.5『のび太の魔界大冒険』→Vol.3『のび太の大魔境』→Vol.6『のび太の宇宙小戦争』という順で発売された。

そのため、『ドラえもん のび太の恐竜』や『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』には、映画版の主題歌の歌詞が書かれた描き下ろしページがあるが、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』には主題歌の歌詞が書かれた描き下ろしページがない(藤子不二雄ランドの単行本や映画大全集の本では存在する)。なお、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』『ドラえもん のび太と鉄人兵団』にも同様のページは存在しない。

1988年公開の映画『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』の漫画版は、作者の体調不良のため執筆されなかった。そのため『ドラえもん のび太の日本誕生』以降の作品の漫画版は、映画版のそれよりも作品数が1つ少なくなっている。

『ドラえもん のび太と雲の王国』(VOL.12)は作者病気のため最終2話が連載当時執筆されず、数年後に『ドラえもんクラブ』という雑誌に執筆したため、次の『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』(VOL.13)よりも後に単行本が刊行された。なお最終2話が掲載される予定だった『月刊コロコロコミック』の該当号には、「ビジュアルストーリー」と題した、イラストと文からなる記事を藤子・F・不二雄プロが執筆した。連載第4回以降を補足する意味で書かれた「ビジュアルストーリー」は映画と漫画のどちらの物語展開とも異なる内容であり、過去のどの関連書籍にも収録されていない。

『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)公開時には「特製アクションバッジ」とセットになった『ドラえもん のび太の恐竜』の単行本が、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)公開時には「マジカル両面ストラップ」とセットになった『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の単行本が発売された。

映画ストーリー[編集]

ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。ただし、新・のび太の宇宙開拓史のみ単行本が出ていない。(だが、月刊コロコロコミックの2009年3月号から2009年4月号にて『新宇宙開拓史超まんが外伝』が連載された。)単行本は既刊3巻。

短編との違い[編集]

『大長編ドラえもん』は映画化を前提に描かれており、短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。いつもはダメな少年のび太が大長編では大活躍し[† 8]、ジャイアンもいじめっ子としてよりも頼れるいいやつとしての表現が顕著になる。また、スネ夫は基本的に5人の中で一番の弱虫になっている。

このシリーズでは主要メンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、その話のゲストキャラとの協力で危機を解決し、他の人物が問題解決に介入することはない。こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。例えば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした(ここまでは大長編でも導入によく使われる)仕返しに、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、しずかや他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は仲間に入れようとせず、興味を持たれると嘘を吐いてまでして追い返している(『ドラえもん のび太の日本誕生』、『ドラえもん のび太と雲の王国』)。

のび太たちの親は、基本的にはのび太たちの冒険に気付いていない。ただし、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』にてピリカ星のパピを匿った時は、のび太の両親も受け入れているため、異星人を認知したことになる。また、遺作となった『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』では、のび太たちが過去に「危険な大冒険」をしていたことに気付いており、他の母親と一緒に、のび太たちが冒険に興じてないか様子を見に来る描写がある。

評価について[編集]

自他ともに認める作者の代表作であり、国際的に知られる作品であり、日本の「マンガ」を代表する作品である。本作を執筆中に藤子・F・不二雄が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。ただし一方で、爆発的なヒットにより、小学館の巨大産業となってしまった同作品のために作者自身が多忙となり、定期的に発表していた短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の連載が不可能になるなどの弊害も生じた。

各著者からの評価[編集]

小林よしのりは、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている[32]

作家の瀬名秀明はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と記述し、小説『八月の博物館』は、藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いたと述べている。

また、辻村深月は『ドラえもん』を"私のオールタイムベストテン"の筆頭に挙げており[33]、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌等に執筆している[34]

一方で江川達也は、「『ドラえもん』などという子供に有害なアニメを放送するテレビ局や漫画を載せる出版社の良識を疑う[35]」と、否定的な見解を示している。その理由として、のび太が成長しないことや、道具を使った悪事(タイムマシンを利用した金儲けなど)を読み手に働かせる漫画であることなどを挙げている。自作の『まじかる☆タルるートくん』は意識的に『ドラえもん』に似せ、「『ドラえもん』に充ち充ちている偽善を、構造的にはよく似た作品を突きつけることで暴きたかった」とし、「便利な道具に安易に頼りすぎて、しっぺ返しを喰らうのではなくて、本丸は未熟なアイテムに翻弄された上で、必ず最後にはトラブルを自分で解決しなくてはならない」点が、『ドラえもん』と一番大きく違うとしている[36]

作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある[37][38]。例えば島田裕巳は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた。」と分析している。

世間からの評価[編集]

1981年時点での親や教師の感想[39]には、『ドラえもん』は他のテレビ・漫画と異なり、刺激的・暴力的なシーンが少なく健全であるといった意見がある一方で、「(『鉄腕アトム』、『巨人の星』と比較して)のび太は何もせず、楽をして夢を叶えているのは問題」といった批判的な意見も存在している。そして、それらの意見を収集した坂田稔は、「人生に自分からぶつかっていかないで、ただいいこと、楽なことを何もしないで期待しているような世代が、これからしだいに社会を領してくるのではないかと思われるのである。」と結んでいる。

このような意見に対して作者の藤子・F・不二雄は、のび太は読者が目標とすべき理想像には描かれていない点、『ドラえもん』は珍道具が日常生活に及ぼす影響を描く漫画であり、道具の入手方法には重きを置いていない(ポケットから取り出すのは効率的手段である、効率的であることが悪いこととは思わない)点を挙げ、反論している[17]

文化におけるドラえもん[編集]

教育分野では、小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場したり、千葉大学の入試問題で「『ドラえもん』の道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2002年のセンター試験総合理科で『ドラえもん』の道具が取り扱われたり、また、2006年の武蔵野美術大学の入学試験において、「『ドラえもん』を幾何図形を用いて再デザインせよ」といった問題が出るなど、日本では一般的な知識として扱われている。

2002年には、『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[40]

2005年日本財団ニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている。

翻訳・輸出[編集]

『ドラえもん』は漫画・アニメ・映画ともに翻訳され、特に東アジア・東南アジア諸国で人気作品となっている。1970年代にはすでに香港で、そして台湾中国語の海賊版が出版されており、また日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が横行した。

そのため韓国や中国などでは、日本の本家『ドラえもん』の方がコピーであると、過去に誤解されたこともあった[41]。海賊版は現在でも東南アジアで広く見られている。

また、木村純一プロデューサー(当時)によると、東南アジアにおいてのアニメ版は視聴率が70%を超えることもあるという[42]

漫画は1991年以降、東アジア、東南アジア、ヨーロッパを中心に翻訳がなされている。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は長らく"机器猫"、"小叮噹"などとなっていたが、原作者サイドより原音に近い発音に変えてほしいとの要請があり、1997年以降の正規出版物は"哆啦A夢"に統一されている(未だに「小叮噹」と書いてあるものはまず海賊版)。それと同じく韓国表記は"도라에몽"(読みは「トラエモン」または「ドラエモン」)、その他の国のほとんどは"Doraemon"となっている。

アニメーションは他に中南米(ブラジルコロンビアチリアルゼンチンエクアドルパナマメキシコプエルトリコボリビアベネズエラ)、ヨーロッパスペインイタリアフランス)、アラビア語圏(アルジェリアチュニジアリビアサウジアラビアカタールUAEオマーン)、東アジア韓国香港台湾)、東南アジアインドネシアマレーシアタイ王国)、南アジアインド)、ロシア連邦イスラエルでも放送されている(アラビア語圏(عبقور)、パナマからベネズエラの5つの国および地域、ロシア連邦では放送終了)。

本作が出版された主な国および地域は、香港、台湾、中国、韓国、ベトナムマレーシアシンガポールタイ王国インドネシアキプロスイタリアスペインフランスである。スペインではスペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする[8]という特徴が見られる。

ベトナムでは、海賊版が1000万部を売り上げていた。正規版を出版するにあたっては、それまでの原作者に支払われるべき印税をもとに、「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された[17][43]

また、各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている[44]

ドラえもん文庫[編集]

未収録作品も含めた1344話すべての作品を揃えた「ドラえもん文庫」が2004年に開設された。

作者の出身地で知られる富山県高岡市高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。

収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本1巻から10巻を含む全45巻を所蔵している。雑誌に掲載された全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めている。

出版物[編集]

単行本[編集]

本項では、単に未収録作品と示している場合、てんとう虫コミックスドラえもん』へ収録されていない作品を示す。この他、最初のアニメ化に合わせて虫プロ商事虫コミックスにて初の単行本が刊行される予定があったが、発行の前に虫プロ商事が倒産したため幻になったといわれている。

藤子・F・不二雄大全集〉を除き、全て選集。特記のない限り小学館からの発行。

〈てんとう虫コミックス〉全45巻
822話収録[45]。収録されている作品は、藤子・F・不二雄が自ら選抜した作品である。この為、全45巻へと収録されなかった作品、未収録作品が存在する。
『ドラえもん』開始時に学年誌の編集長していた井川浩によると、当初単行本化は予定されておらず、原稿料の値上要求に対する対案として提示された物であった。しかし小学館社長が売れ行きを怪しみ承認が得られなかったため、社員に採点をさせて高評価の話だけを収録する形で社長を説得、最終的に6巻までという事で社長の承認を得る。このため、6巻の最後には最終回の一つである「さようなら、ドラえもん」が収録されている。しかし売れ行きが好調であったため、7巻以降も続刊される事となった[46]
ドラえもん プラス』〈てんとう虫コミックス〉全5巻
2005年 - 2006年
てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録作品を集めた単行本。
『ドラえもんカラー作品集』〈てんとう虫コミックススペシャル〉全6巻
1999年 - 2006年
てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録の作品をフルカラーで収録した単行本。
『ドラえもん巻頭まんが作品集』〈てんとう虫コミックススペシャル〉既刊2巻
2004年 - 刊行中
てんとう虫コミックス『ドラえもん』の巻頭作品を収録。
〈My First BIG〉既刊85巻
2002年 -
コンビニ向け廉価版。
『ドラえもん傑作選』〈てんとう虫コミックスワイドスペシャル〉既刊1巻
1999年 -
『ドラえもん百科』〈てんとう虫コミックス〉全2巻
1979年発行
現在絶版
〈小学館コロコロ文庫〉全18巻
1994年 -
文庫版。
〈小学館コロコロ文庫デラックス〉全10巻
2000年 -
〈藤子不二雄自選集〉全7巻
1981年発行
全10巻で発売された藤子不二雄自選集の1-7巻。若干描き足しがされている話もある。現在絶版。
『藤子・F・不二雄 自選集 ドラえもん』全2巻
1998年
〈藤子不二雄自選集〉の7冊を2冊にまとめたもの。
〈カラーコミックス〉全6巻
1979年 - 1982年発行
現在絶版。
中央公論社〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉全45巻
1984年 - 1990年発行
現在絶版
『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS Doraemon』既刊10巻
2002年 - 刊行中[47]
『SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS AUDIO版 DORAEMON』既刊2巻
2009年 - 刊行中
別売りとして、iTunesでネイティブスピーカーによる台詞の英語発音が有料配信されている。
ぴっかぴかコミックス〉既刊18巻
2004年 - 刊行中
低年齢向けの作品を集めた単行本。てんとう虫コミックス収録済みの作品が多いが、未収録作品も若干含まれている。
『ドラミちゃん』〈ぴっかぴかコミックス〉全1巻
2007年
『カラー版 ドラえもん』〈ぴっかぴかコミックススペシャル〉全1巻
2005年
『デジタルカラーセレクションドラえもん』〈てんとう虫コミックススペシャル〉既刊6巻
2004年 - 刊行中
藤子・F・不二雄大全集〉全20巻の予定[48]、既刊5巻
2009年7月 -
未収録作品までも収録の完全版。学年繰り上がり収録によって連載時と同じ順番での収録。

大長編[編集]

『大長編 ドラえもん』〈てんとう虫コロコロコミックス〉全24巻
1983年 - 2004年
映画原作として執筆された作品を、1巻に1編の長編を収録。
〈てんとう虫コミックススペシャル オリジナルコミック〉全1巻
2006年
のび太の恐竜2006 DSの攻略記事&コミック。 
〈てんとう虫コミックススペシャル 映画ストーリー〉既刊3巻
2007年 -
藤子Fの死後の映画の漫画化。
『ぴっかぴかコミックス カラー版 ドラえもん のび太の恐竜』〈ぴっかぴかコミックススペシャル〉全1巻
2006年
『大長編ドラえもん大全集』全4巻
2004年発行
現在絶版

雑誌[編集]

ドラえもんクラブ
1994年に隔月刊誌として発刊された雑誌。全4号。連載途中で中断した『ドラえもん のび太と雲の王国』の完結編や、未収録作品なども再録されていた。
ドラえ本
ドラえもんグッズ大図鑑として1997年から不定期に発刊され、グッズ大図鑑としつつも3号には、てんとう虫コミックスに未収録の作品をフルカラーで2本再録している。
1999年12月に発売されたドラえ本3を最後に完結したと思われていたが、2007年より毎年、映画の公式ガイドブックとして『映画ドラえ本』が発刊されている。
ぼく、ドラえもん
2004年2月20日より毎月5日と20日の月2回発行の雑誌。全25号。創刊号は低価格でDVDも付いていたため売り切れが相次ぎ、後で再発行までされた。てんとう虫コミックス『ドラえもん』に未収録の作品を毎号2 - 4話程度付録として収録しており、往年のファンを惹き付けた。
もっと!ドラえもん
2005年4月25日発売。『ぼく、ドラえもん。』に続く雑誌。全5号。付録としてフィギュアが付く。また『オバケのQ太郎』など、他の藤子・F・不二雄作品情報も掲載された。4号ではスネ夫のフィギュアがつく予定がしずかのフィギュアが付いていた(次の5号でスネ夫、しずか、シークレットのフィギュアが付けられた)。

幻のテレビ番組企画[編集]

1972年頃、うしおそうじ主宰のピー・プロダクション制作、フジテレビをキー局とした企画があったという。この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくも大山のぶ代だった。大山の起用は、先に『ハリスの旋風』での好演を見込まれてのことだった。この作品は実写版で、既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、諸事情で実現はされなかった[49]。映画ファンの藤子の要望として『ドラえもん』実写化というのはある程度念頭にあった。その映画ではドラえもんはCGだといわれていたが、後にCMフィルムで何度かその形式の実写化は実現している[50]

コンピュータゲーム[編集]

詳細は ドラえもんの派生作品#コンピュータゲーム を参照

その他の関連商品[編集]

  • 「ドラえもん Sound Track History〜菊池俊輔 音楽集〜」 (CD・オリジナルサウンドトラック・BGM・効果音・音楽) 音楽:菊池俊輔
  • 「ドラえもん・ザ・ロボット」 (バンダイから2004年3月27日発売)
  • 「ドラえもん 各ビデオ作品」 (発売元:小学館、販売元:ポニーキャニオン東宝
  • 「アンキパンをモチーフとした学習用小型端末」 (タカラから発売予定)
  • 「ドラチャリ」 (小学館プロダクション
  • 「JR北海道781系特急電車・ドラえもん海底列車(鉄道模型Nゲージ)」 (マイクロエース
  • 「ドラえもん・四次元ポケットクリップケース」(小学館プロダクション)
  • 「ドラえもん3Dウィジェット」(Yahoo!ウィジェット)

書誌情報[編集]

特記のない限り、著者は藤子・F・不二雄。〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉のみ中央公論社より、その他は全て小学館より発行。

大長編ドラえもん[編集]

参考文献[編集]

出版物の節に記載されている書籍以外で、本項で主に参照した文献を挙げる。なお、ドラえもんに関する書籍はここで挙げたもの以外にも多数出版されている。

  • 『藤子・F・不二雄の世界―完全保存版(ワンダーライフ・スペシャル)』小学館、1997年、ISBN 978-4091025692
  • 小学館ドラえもんルーム編『ド・ラ・カルト―ドラえもん通の本』小学館文庫、1997年、ISBN 978-4094160413
  • 小学館ドラえもんルーム編『ドラえもん深読みガイド―てんコミ探偵団』小学館、2006年、ISBN 978-4092591035
  • 南博編『現代社会の心理(1)ドラえもん研究 子どもにとってマンガとは何か』ブレーン出版、1981年、ISBN 978-4892425103
  • 米澤嘉博『藤子不二雄論―FとAの方程式』河出書房新社、2002年、ISBN 4309265499

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 元の位置に戻る 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「name」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 元の位置に戻る 本来のサイエンスフィクションのSFではない
  3. 元の位置に戻る 『小三』と同時掲載
  4. 元の位置に戻る 『小五』と同時掲載
  5. 元の位置に戻る 練馬区月見台、あるいは田無市大字田無。詳細は野比のび太を参照
  6. 元の位置に戻る 原作単行本では4年生、アニメでは5年生。雑誌掲載時は雑誌ごとに学年が異なっていた
  7. 元の位置に戻る 刊行初期はてんとう虫コミックス
  8. 元の位置に戻る 『ドラえもん のび太の銀河超特急』においてスネ夫が「のび太…大長編になるとかっこいいことをいう」というメタフィクショナルな発言をするほど。
  9. 元の位置に戻る 『ドラえもん プラス』スペシャルパックは〈小学館プラスワン・コミックス〉。
  10. 元の位置に戻る 当初、38巻までは藤子不二雄名義、39巻は藤子不二雄名義で発行。増版時に藤子・F・不二雄に変更されている。
  11. 元の位置に戻る 自選集全10巻のうち7巻までが「ドラえもん」
  12. 元の位置に戻る 大全集としての通巻巻数も同じ。
  13. 以下の位置に戻る: 13.0 13.1 ( ) 内はFFランドの通巻巻数。
  14. 元の位置に戻る 8巻までは藤子不二雄名義。増版時に藤子・F・不二雄に変更されている。
  15. 元の位置に戻る ( ) 内はまんが版映画シリーズとしての巻数。
  16. 元の位置に戻る 当初、5巻までは藤子不二雄名義、6、7巻は藤子不二雄名義で発行。増版時に藤子・F・不二雄に変更されている。

出典[編集]

  • x巻は、てんとう虫コミックス『ドラえもん』での収録巻数を指す。
  1. 元の位置に戻る 「ヤメサセロボット」(『小学二年生』1982年12月号掲載、単行本未収録)の全体
  2. 元の位置に戻る 「空中つりセット」(『小学一年生』1982年12月号掲載、単行本未収録)
  3. 元の位置に戻る 「さかさカメラ」(『小学四年生』1981年12月号掲載、単行本未収録)の扉以外全て
  4. 元の位置に戻る 「空気中継衛星」26巻収録
  5. 元の位置に戻る 「しずちゃんとスイートホーム」35巻収録
  6. 元の位置に戻る 「サカユメンでいい夢見よう」36巻収録
  7. 元の位置に戻る 『Neo Utopia別冊 129.3』ネオ・ユートピア発行、1998年
  8. 以下の位置に戻る: 8.0 8.1 8.2 8.3 小学館ドラえもんルーム編 『ド・ラ・カルト』
  9. 元の位置に戻る 6巻収録「さようなら、ドラえもん」
  10. 元の位置に戻る 7巻収録「帰ってきたドラえもん」
  11. 元の位置に戻る ドラえもん深読みガイド p50
  12. 元の位置に戻る 『ドラえ本』1号
  13. 元の位置に戻る 山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、ISBN 4886960111)p.118
  14. 元の位置に戻る 出版月報
  15. 元の位置に戻る 『ドラえもん』が出来るまでの過程を描いた漫画作品。1978年発行『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界』初出(現在絶版し、雑誌『ぼく、ドラえもん。』25号の付録のうちの1つ「未収録作品集」にも再収録)
  16. 元の位置に戻る 『小学四年生』1969年12月号
  17. 以下の位置に戻る: 17.0 17.1 17.2 『藤子・F・不二雄の世界』(1997年)
  18. 以下の位置に戻る: 18.0 18.1 日本漫画家協会賞受賞者、社団法人日本漫画家協会。
  19. 元の位置に戻る 小学館漫画賞:歴代受賞者、小学館。
  20. 元の位置に戻る 受賞の記録、朝日新聞。
  21. 元の位置に戻る 「ぼくの生まれた日」の雑誌での初出(『小学四年生』1972年8月号掲載)では1962年8月7日生まれとされており、単行本化される際に1964年に変更された。
  22. 元の位置に戻る テレビ朝日系『ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』2006年2月19日放送
  23. 元の位置に戻る ドラえもん公式サイト インタビューチャンネル 藤子・F・不二雄先生
  24. 元の位置に戻る しずかちゃんのモデルはヘップバーン?!、横山泰行(2004年、10月6日)。初出は朝日新聞2006年4月1日朝刊。
  25. 元の位置に戻る 1980年1月1日放送
  26. 元の位置に戻る 19巻収録「影とりプロジェクター」でそれを示唆する記述があり、24巻『めだちライトで人気者』で明確となる
  27. 元の位置に戻る 32巻収録「なんでも空港」
  28. 元の位置に戻る 32巻収録「オンボロ旅館をたて直せ」
  29. 元の位置に戻る アニメ「ミニドラでスクープ!?」(2004年12月10日放送)より
  30. 元の位置に戻る アニメ「ためしにさようなら」(2004年10月1日放送)
  31. 元の位置に戻る 「ドラえもんの長い一日」http://www.tv-asahi.co.jp/doraemon_2005/contents/story/0185/
  32. 元の位置に戻る 『リラックス』2003年4月号
  33. 元の位置に戻る 『本の雑誌』2009年8月特大号
  34. 元の位置に戻る 『Quick Japan』vol.64など
  35. 元の位置に戻る 『サイゾー』2003年3月号 江川式勉強法
  36. 元の位置に戻る 江川達也『"全身漫画"家』光文社新書
  37. 元の位置に戻る 南博編(1981)渋谷重光による論評
  38. 元の位置に戻る 島田 裕巳「漂流する現代の宗教--ドラえもんという神は若者を救うのか」『エコノミスト』1992年3月31日号、p91
  39. 元の位置に戻る 南博編(1981)
  40. 元の位置に戻る Asian Heroes - Doraemon、TIMEasia.com
  41. 元の位置に戻る 小学館:藤子・F・不二雄ワンダーランド ぼくドラえもん09
  42. 元の位置に戻る 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下) アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
  43. 元の位置に戻る 子どもの未来と世界について考える懇談会
  44. 元の位置に戻る List of non Japanese Doraemon versions[1]
  45. 元の位置に戻る ドラえもん学コロキアム』にて、横山泰行による調査
  46. 元の位置に戻る この段落は、安藤健二「第一章 ポケットの中の悪夢 05「どん底」からの復活」『封印作品の憂鬱』洋泉社、2008年12月1日初版発行、ISBN 978-4-86248-338-6、97-98頁 を参照。
  47. 元の位置に戻る 小学館:イングリッシュ コミックス ドラえもん
  48. 以下の位置に戻る: 48.0 48.1 「「ドラえもん」"学年繰り上がり式"連載史」『月報』1-1(大全集『ドラえもん』1巻付録)、2009年7月、2頁
  49. 元の位置に戻る 電人ザボーガー 第1巻(角川書店刊)』
  50. 元の位置に戻る 幻の「ドラえもん」アニメ企画書
  51. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  52. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  53. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  54. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  55. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  56. 元の位置に戻る (不明) 『ドラえもん 傑作選』 小学館:コミック 小学館 不明 [ arch. ] 2009-10-25
  57. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  58. 元の位置に戻る (不明) 『ドラえもんスペシャル ドラミちゃん』 小学館:コミック 小学館 不明 [ arch. ] 2009-10-25
  59. 元の位置に戻る (不明) 『カラー版 ドラえもん / 1』 小学館:コミック 小学館 不明 [ arch. ] 2009-10-25
  60. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  61. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  62. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  63. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  64. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  65. 元の位置に戻る 発売日は以下の出典を参照。
  66. 元の位置に戻る (不明) 『ドラえもん のび太の恐竜』 小学館:コミック 小学館 不明 [ arch. ] 2009-10-25

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

小学館漫画賞児童部門
第26回 昭和55年度
(少年少女部門)
うる星やつら
高橋留美子
(児童部門)
-
第27回 昭和56年度
『ドラえもん』
藤子不二雄
第28回 昭和57年度
ゲームセンターあらし
こんにちはマイコン
すがやみつる
手塚治虫文化賞マンガ大賞
1996年度
-
第1回 1997年度
『ドラえもん』
藤子・F・不二雄
第2回 1998年度
「坊っちゃん」の時代
関川夏央谷口ジロー
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