ツール・ド・フランス

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ツール・ド・フランスLe Tour de France)とは毎年7月にフランスおよび周辺国を舞台にして行われるプロロードレースである。1903年から開催されている。主催は傘下に新聞社のレキップ(スポーツ新聞)やパリジャン(一般紙)などを抱えるフランスの大企業・ASO(Amaury Sport Organisation)。

単にツール(Le Tour)と称されることもある(本記事でも以下「ツール」と呼称する)。

目次

[編集] 概要

画像:Tour de France 2007.png
2007年のコース

毎年7月に3週間以上かけて行われるステージレースで、距離にして3500km前後、高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。フランス国内でのレースが中心だがイギリスイタリアスペインベルギーモナコなど周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は通常21前後。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多いジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと山岳ステージのバランスがとれた構成となっている[1]

1社ないし数社のスポンサーの名を冠した20~22のチームが9人編成で参加するが、出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカオーストラリアカザフスタンコロンビアなど多様で、非常に国際色豊かな大会となっている。

総合成績1位の選手には「マイヨ・ジョーヌ」と呼ばれる黄色のジャージが与えられるほか、スプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。

賞金総額は2008年の場合で約320万ユーロ、うち総合優勝者に45万ユーロとなっている。

[編集] 特徴

例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンたちの逃げやスプリンターたちによる迫力あるゴールスプリントが見られる。そして中盤から後半にかけてはラルプ・デュエズガリビエモン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝をかけたオールラウンダーたちの戦いが繰り広げられる。

従来は各ステージのゴールと次のステージのスタートが同じ町だったが、スタート・ゴール地点を希望する市町村が多いため現在は一致しないことが多い。ただし、最終ステージはパリ市街を中心に周るクリテリウム形式のコース設定がされ、シャンゼリゼゴールに設定されるのが恒例である。

なお、最終日は選手たちがシャンパンを片手に走る光景もよく見られるなど顔見せの凱旋パレードの色合いが強く、ポイント賞を争うスプリンターや何としても1勝したい選手は別として、総合優勝を争う選手は集団落車に巻き込まれないようアシスト選手で周囲を固めてゴールスプリントが済んだ後にゴールに入るため、実質的な総合優勝争いは最終日の前日までと考えて良い。

[編集] 歴史

スポーツ新聞社・ロト(L’Auto、現在のレキップ紙)の宣伝のために当時の編集長アンリ・デグランジュが企画したのが始まりで、自転車レースを企画するライバル2紙、ル・プティ・ジュルナル(Le Petit Journal)によるパリ-ブレスト往復(PBP。現在のブルベ)、並びにヴェロ紙(L’Velo)がスポンサーとなるボルドー-パリ間レースに対抗するためのものであった。

1903年に行われた第1回大会は合計走行距離2428km・6ステージで行われ、1ステージ平均400kmを走るという過酷なレースであった。また初期のレースでは殆ど休みが無い耐久戦であり、眠る際にもライダーは道路脇で眠り、他者の協力を得る事は禁止されていた。

第3回大会からは距離を縮めた分、ステージ数が倍増。さらに山岳ステージが導入された。変速機が無い当時は登山用ギアは後輪の反対側に取り付けられており、坂に来るたびに選手は後輪を前後反対に付け直さねばならず1ステージの距離こそ短くなったが、レースは相変わらず過酷なものだった。

以後も徐々にステージ数は増えそれに伴いレースは大規模化していくが、第一次世界大戦によって1915年から1918年までは中断。1919年から再開されたが、この頃は再び走行距離も伸び1ステージ平均350kmを走るのが当たり前で、総距離は5000kmを超える傾向が1930年代まで続いた。

1930年代以降はステージ数20前後、走行距離は4500km程度の規模になりほぼ現在の開催スタイルとなるが、第二次世界大戦によって1940年から1946年まで再び中断を余儀なくされた。

1947年から再開され、以後1950年代ルイゾン・ボベが3連覇、1960年代ジャック・アンクティル1970年代前半にエディ・メルクスが4連覇を達成。1970年代後半からはベルナール・イノーローラン・フィニョンらフランス人が活躍。1980年代後半はグレッグ・レモンが活躍した。

1990年代前半にはミゲル・インドゥラインが史上初の5連覇を達成。2000年代にはランス・アームストロングが7連覇を達成している。

[編集] 知名度と露出度

画像:Didi Senft 01.jpg
ツールの名物・悪魔おじさん

他に3週間程度にわたり行われる大規模なステージレースとしてはジロ・デ・イタリア(イタリア一周)とブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周)があり、これにツール・ド・フランスを加えて俗にグランツール(三大ツール)と呼ばれるが、その中でもツールの知名度・露出度は突出しており、日本でも「世界最大の自転車レース」として認識されている。

また世界中で他の自転車レースには興味がなくてもツールだけは熱狂的に応援するファンが多数存在しており、開催規模や放映される国の多さ、参加する選手の国籍の多彩さなどから見ても世界屈指のスポーツ競技大会である。

そのため総合優勝をはじめとした各賞のステータスが非常に高いことはもとより、各ステージの優勝もクラシックなどのビッグレースでの優勝に匹敵する価値があるとされ、1回のステージ優勝であっても生涯の勲章になる。それゆえプロロード選手にとっては一度は出場してみたい大会の筆頭である。

[編集] 運営

レースが非常に大規模かつ知名度・露出度が高いため専門の本部が置かれ、およそ500名のスタッフが運営に関わる。また、交通規制やレース中の警備、極端な不正行為(ドーピングレベルでなく禁制薬物使用など)の取締りはジェンダルマリー(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらにボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。

またレース中は情報・食料・飲料水を供給したり、機材のトラブルをサポートするメカニックが乗り込んだ「サービスカー」と呼ばれる車やオートバイが選手とともにおよそ1500台走る。このサービスカーはチーム専属の車両のほか、中立の立場で水や自社機材を提供する(ニュートラルカー)も参加している。

このほかにも選手が通過するおよそ1~2時間前にレーススポンサーの宣伝カーが連なったキャラバン隊が沿道の観客に帽子、菓子、キーホルダー、Tシャツ等々のグッズをばら撒いていくが、配られるグッズの数は1000万を超え、動員される車の台数はおよそ200台にもなり最初から最後まで見るのに30分以上かかるほどである。

運営費は主にテレビ放映権とスポンサー収入でまかなわれるほか、レースの舞台となる市町村から主催者に支払われる開催料も充てられている模様だが、正確な収入および運営費用は非公開となっている。

[編集] 各賞とリーダージャージについて

画像:Maillotjaune.jpg
総合1位の選手が着用するマイヨ・ジョーヌ

数種の賞が設定されており、各賞に応じた色別のジャージ(リーダージャージ)、または特別なゼッケンがある。前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手およびチームは、翌ステージでそのジャージまたはゼッケンを着用しなければならない。

[編集] マイヨ・ジョーヌ(個人総合時間賞)

黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ(maillot jaune)」は個人総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利をもっている選手がツールの総合優勝者となる。

誰がトップなのか一目で分かるようにと言う理由で1919年に初登場。色の由来はレース主催者「ロト」の紙面が黄色であったため。1987年からは同じく黄色をイメージカラーとするフランスの銀行「LCL(クレディ・リヨネ)」がスポンサーとなっており、同行のマスコットの黄色のライオンのぬいぐるみをジャージ着用者が持っているシーンもたびたび放映されている。

ちなみにジャージ両肩にデザインされた「HD」は、ツールの創始者であるアンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)のイニシャルである。

[編集] マイヨ・ヴェール(ポイント賞)

緑色のジャージ「マイヨ・ヴェール(maillot vert)」は「スプリント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリントポイントが加算され、スプリントポイント1位の選手が「マイヨ・ヴェール」着用の権利を得る。

ツール50周年を記念して1953年に初登場。色の由来は当時のスポンサーであった園芸用品メーカーの「ベル・ジャルディニエール」の芝刈り機から。1991年からはフランスの公認場外馬券売り場「PMU」がスポンサーとなっている。

[編集] マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュ(山岳賞)

赤玉の入った白色ジャージ「マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュ(maillot blanc à pois rouges)」は「山岳賞」に対して与えられる。登り坂の勾配と長さに応じて点数が設定された山岳ポイント地点の通過順位に応じて山岳ポイントが加算され、山岳ポイント1位の選手1位の選手が「マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュ」着用の権利を得る。1933年に初登場。略して「マイヨ・ア・ポア」あるいは「マイヨ・グランペール」とも呼ばれる。

最優秀クライマーが表彰されるようになったのは1933年だが、ジャージが初登場したのは1975年である。色の由来は当時のスポンサーであった製菓会社「ショコラ・プーラン」の人気商品のキャンディーパッケージから。1993年からは同色をイメージカラーとするフランスのスーパーマーケット「シャンピオン」がスポンサーとなっている。

[編集] マイヨ・ブラン(新人賞)

白色のジャージ「マイヨ・ブラン(maillot blanc)」は開催年に25歳以下の誕生日を迎える選手の中で総合成績が最も上位の選手に与えられる。「新人賞」と訳されることが多いが、該当の年齢であれば複数回受賞できるため正確には「最優秀若手選手賞」と呼ぶのがふさわしい[2]。色の由来は不明。チェコの自動車メーカーシュコダがスポンサーとなっている。

[編集] ドサール・ルージュ(敢闘賞)

タイムトライアル以外のステージで特に果敢に動いたと認められた選手には「敢闘賞」として、通常白地に黒文字のゼッケンの代わりに赤地に白抜き数字のゼッケンが与えられる。

[編集] ドサール・ジョーヌ(チーム賞)

各ステージの終了後、チームごとに先頭から3名の所要時間が加算され、最も少ない時間のチームが表彰される。2006年と2007年の大会では黄色地に黒文字のゼッケンがチーム総合首位の選手たちに与えられた。

[編集] 各種規則

ゴール争い時の危険防止のため、集団でゴールした場合、集団内のすべての選手は集団先頭と同タイムとみなされる。同様の目的でゴール手前3km以内(2004年までは1km以内)で落車した場合は、元々その選手が加わっていた集団と同じタイムが与えられる。

スプリントポイントについては与えられるポイント数がステージの形状により変わる。ゴールでのスプリントポイントは平坦ステージの場合が最も高く、以下、中位のステージ、山岳ステージ、タイムトライアルの順にポイントが少なくなる。また各ステージにはおおむね2箇所の中間スプリント地点が設定されており、そこを3位までに通過した選手にポイントが与えられる。総合成績と異なり1cmでも先に通過した選手がより高いポイントを得られるため、ポイント設定箇所、特にゴール前ではスプリンター同士の熾烈な争いが繰り広げられることとなる。

スプリント・ポイント表
通過順位1
2
3
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平坦ステージ35302624222019181716151413121110987654321
中位山岳2522201816151413121110987654321
上級山岳201715131210987654321
プロローグ&TT1512108654321
スプリントポイント642

山岳ポイントについては上り坂の勾配と長さに応じてカテゴリー超級からカテゴリー4級までの5段階に区分されており、通過順にカテゴリーに応じた山岳ポイントが与えられる。カテゴリー超級の坂はいずれも過酷な登りであり、ツールマレー峠、モンバントゥ、ガリビエ峠、ラルプ・デュエズ等が有名である。近年はポイント稼ぎの目的でコース前半の山岳でアタックし最後の上りとなる山頂ゴールでは大きく後退する作戦で山岳王を狙うケースが目立ったことから、2004年よりルールが改正され、最後の上り坂がカテゴリー2級以上の場合は与えられるポイントが2倍となった。このため最後まで上位集団に食らいついてゴールした方が総合優勝争いだけでなく山岳賞争いでも有利になったため、戦略にも大きな影響が出ている。

山岳ポイント表
~2003年
通過順位1
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14
15
カテゴリー超級4035302622181614121086421
カテゴリー1級3026221814121086421
カテゴリー2級20151210864321
カテゴリー3級107531
カテゴリー4級531
 
2004年~
通過順位1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
カテゴリー超級2018161412108765
カテゴリー1級15131198765
カテゴリー2級1098765
カテゴリー3級4321
カテゴリー4級321

[編集] 歴代総合優勝者

開催期間総合優勝者(所属チーム)ステージ数総距離平均時速
11903年7月1日19日モリス・ガラン 画像:Flag of France.svg(La Française)62,428km25.679km/h
21904年7月2日24日アンリ・コルネ 画像:Flag of France.svg62,429km26.081km/h
31905年7月9日30日ルイ・トゥルスリエ 画像:Flag of France.svgPeugeot112,994km27.107km/h
41906年7月4日29日ルネ・ポチエ 画像:Flag of France.svg(Peugeot)134,545km24.463km/h
51907年7月8日8月4日ルシアン・プチプルドン 画像:Flag of France.svg(Peugeot)144,488km28.470km/h
61908年7月13日8月9日ルシアン・プチプルドン 画像:Flag of France.svg(Peugeot)144,488km28.740km/h
71909年7月5日8月1日フランソワ・ファベール 画像:Flag of Luxembourg.svgAlcyon144,488km28.658km/h
81910年7月3日31日オクタブ・ラビス 画像:Flag of France.svg(Alcyon)154,737km28.680km/h
91911年7月2日~30日ギュスタブ・ガリグー 画像:Flag of France.svg(Alcyon)155,344km27.322km/h
101912年6月30日7月28日オディル・ドフレイエ 画像:Flag of Belgium.svg(Alcyon)155,319km27.894km/h
111913年6月29日7月27日フィリップ・ティス 画像:Flag of Belgium.svg(Peugeot)155,388km26.715km/h
121914年6月28日7月26日フィリップ・ティス 画像:Flag of Belgium.svg(Peugeot)155,405km27.028km/h
131919年6月29日~7月27日 フィルマン・ランボー 画像:Flag of Belgium.svg(La Sportive)155,560km24.054km/h
141920年6月27日7月25日フィリップ・ティス 画像:Flag of Belgium.svg(La Sportive)155,519km24.132km/h
151921年6月26日7月24日レオン・シウール 画像:Flag of Belgium.svg(La Sportive)155,484km24.720km/h
161922年6月25日7月23日フィルマン・ランボー 画像:Flag of Belgium.svg(Peugeot)155,372km24.202km/h
171923年6月24日7月22日アンリ・ペリシエ 画像:Flag of France.svg(Automoto)155,386km24.428km/h
181924年6月22日7月20日オッタビオ・ボテッキア 画像:Flag of Italy (1861-1946).svg(Automoto)155,425km24.250km/h
191925年6月21日7月19日オッタビオ・ボテッキア 画像:Flag of Italy (1861-1946).svg(Automoto)155,430km24.820km/h
201926年6月20日7月18日ルシアン・ビュイス 画像:Flag of Belgium.svg(Automoto)175,745km24.063km/h
211927年6月19日7月17日ニコラ・フランツ 画像:Flag of Luxembourg.svg(Alcyon)245,321km27.224km/h
221928年6月17日7月15日ニコラ・フランツ 画像:Flag of Luxembourg.svg(Alcyon)225,375km27.876km/h
231929年6月30日~7月28日モリス・ドゥワエル 画像:Flag of Belgium.svg(Alcyon)225,276km28.320km/h
241930年7月2日~27日アンドレ・ルデュック 画像:Flag of France.svg(France)214,818km27.978km/h
251931年6月30日~7月26日アントナン・マーニュ 画像:Flag of France.svg(France)245,095km28.758km/h
261932年7月6日~31日アンドレ・ルデュック 画像:Flag of France.svg(France)214,520km29.313km/h
271933年6月27日~7月23日ジョルジュ・スペシェ 画像:Flag of France.svg(France)234,396km29.730km/h
281934年7月3日~27日アントナン・マーニュ 画像:Flag of France.svg(France)234,363km31.233km/h
291935年7月4日~28日ロマン・マエス 画像:Flag of Belgium.svg(Belgique)214,338km30.650km/h
301936年7月7日8月2日シルベール・マエス 画像:Flag of Belgium.svg(Belgique)214,414km30.912km/h
311937年6月30日~7月25日ロジェ・ラプビー 画像:Flag of France.svg(France)204,415km31.768km/h
321938年7月5日~31日ジーノ・バルタリ 画像:Flag of Italy (1861-1946).svg(Italie)214,680km31.565 km/h
331939年7月10日~30日シルベール・マエス 画像:Flag of Belgium.svg(Belgique)184,225km31.994km/h
341947年6月25日~7月25日ジャン・ロビック 画像:Flag of France.svg(Ouest)214,642km31.412km/h
351948年6月30日~7月25日ジーノ・バルタリ 画像:Flag of Italy.svg(Italie)214,922km33.404km/h
361949年6月30日~7月21日ファウスト・コッピ 画像:Flag of Italy.svg(Italie)214,808km32.119km/h
371950年7月13日~8月7日フェルデイ・クブラー 画像:Flag of Switzerland.svg(Suisse)224,775km32.778km/h
381951年7月4日~29日ユーゴ・コブレ 画像:Flag of Switzerland.svg(Suisse)244,697km32.979km/h
391952年6月25日~7月19日ファウスト・コッピ 画像:Flag of Italy.svg(Italie)234,827km31.871km/h
401953年7月3日~26日ルイゾン・ボベ 画像:Flag of France.svg(France)224,476km34.593km/h
411954年7月8日~8月1日ルイゾン・ボベ 画像:Flag of France.svg(France)234,865km34.639km/h
421955年7月7日~30日ルイゾン・ボベ 画像:Flag of France.svg(France)224,476km34.639km/h
431956年7月5日~28日ロジェ・ワルコビャック 画像:Flag of France.svg(Nord-Est)224,527km36.268km/h
441957年6月27日~7月20日ジャック・アンクティル 画像:Flag of France.svg(France)234,664km34.520km/h
451958年6月26日~7月19日シャルリー・ゴール 画像:Flag of Luxembourg.svg(HOL-LUX)244,319km36.905km/h
461959年6月26日~7月19日フェデリコ・バーモンテス 画像:Flag of Spain.svg(Esp)224,358km35.474km/h
471960年6月26日~7月17日ガストネ・ネンチーニ 画像:Flag of Italy.svg(Italie)214,173km37.210km/h
481961年6月25日~7月16日ジャック・アンクティル 画像:Flag of France.svg(France)214,397km36.033km/h
491962年6月24日~7月15日ジャック・アンクティル 画像:Flag of France.svg(St-Raphaël)224,274km37.317km/h
501963年6月23日7月14日ジャック・アンクティル 画像:Flag of France.svg(St-Raphaël)214,138km36.456km/h
511964年6月22日~7月14日ジャック・アンクティル 画像:Flag of France.svg(St-Raphaël)224,505km35.419km/h
521965年7月8日~8月1日フェリーチェ・ジモンディ 画像:Flag of Italy.svg(Salvarani)224,188km35.882km/h
531966年6月21日~7月14日ルシアン・エマール 画像:Flag of France.svg(Ford)224,329km36.819km/h
541967年6月29日~7月13日ロジェ・パンジョン 画像:Flag of France.svg(France)224,779km35.882 km/h
551968年6月27日~7月21日ヤン・ヤンセン 画像:Flag of the Netherlands.svg(Hollande)224,492km34.894 km/h
561969年6月28日~7月20日エディ・メルクス 画像:Flag of Belgium.svg(Faema)224,117km35.296km/h
571970年6月27日~7月19日エディ・メルクス 画像:Flag of Belgium.svg(Faema)224,492km34.894km/h
581971年6月26日~7月18日エディ・メルクス 画像:Flag of Belgium.svg(Molten)203,585km37.290km/h
591972年7月1日~23日エディ・メルクス 画像:Flag of Belgium.svg(Molteni)203,846km35.514km/h
601973年6月30日~7月22日ルイス・オカーニャ 画像:Flag of Spain.svg(bic)204,150km33.407km/h
611974年6月27日~7月21日エディ・メルクス 画像:Flag of Belgium.svg(Molteni)224,098km35.661km/h
621975年6月26日~7月20日ベルナール・テブネ 画像:Flag of France.svg(Peugeot)224,000km34.906km/h
631976年6月24日~7月18日ルシアン・バンインプ 画像:Flag of Belgium.svg(Gitane)224,098km34.518km/h
641977年6月30日~7月24日ベルナール・テブネ 画像:Flag of France.svg(Peugeot)224,096km35.393km/h
651978年6月29日~7月23日ベルナール・イノー 画像:Flag of France.svgRenault-Gitane223,908km36.084km/h
661979年6月27日~7月22日ベルナール・イノー 画像:Flag of France.svg(Renault-Gitane)243,765km36.512km/h
671980年6月26日~7月21日ヨープ・ズートメルク 画像:Flag of the Netherlands.svg(Raleigh)223,842km35.068km/h
681981年6月25日~7月19日ベルナール・イノー 画像:Flag of France.svg(Renault-Gitane)243,758km37.844km/h
691982年7月2日~25日ベルナール・イノー 画像:Flag of France.svg(Renault-Gitane)213,507km37.458km/h
701983年7月1日~24日ローラン・フィニョン 画像:Flag of France.svg(Renault-Gitane)223,860km36.230km/h
711984年6月29日~7月22日ローラン・フィニョン 画像:Flag of France.svg(Renault-Gitane)234,021km34.906km/h
721985年6月28日~7月21日ベルナール・イノー 画像:Flag of France.svgLa Vie Claire224,109km36.232km/h
731986年7月4日~27日グレッグ・レモン (La Vie Claire)234,084km37.020km/h
741987年7月1日~26日ステファン・ロシュ 画像:Flag of Ireland.svg(Carrera)254,331km36.644km/h
751988年7月4日~24日ペドロ・デルガド 画像:Flag of Spain.svg(Reynolds)223,286km38.909km/h
761989年7月1日~23日グレッグ・レモン (ADR)213,285km37.487km/h
771990年6月30日~7月22日グレッグ・レモン (Z)213,286km38.621km/h
781991年7月6日~28日ミゲル・インドゥライン 画像:Flag of Spain.svgバネスト223,914km38.747km/h
791992年7月4日~26日ミゲル・インドゥライン 画像:Flag of Spain.svg(バネスト)213,983km39.504km/h
801993年7月2日~25日ミゲル・インドゥライン 画像:Flag of Spain.svg(バネスト)203,714km38.709km/h
811994年7月2日~24日ミゲル・インドゥライン 画像:Flag of Spain.svg(バネスト)213,978km38.381km/h
821995年7月1日~23日ミゲル・インドゥライン 画像:Flag of Spain.svg(バネスト)203,635km39.191km/h
831996年6月29日~7月21日ビャルヌ・リース 画像:Flag of Denmark.svgドイツテレコム213,765km39.235km/h
841997年7月5日~27日ヤン・ウルリッヒ 画像:Flag of Germany.svg(ドイツテレコム)213,950km39.237km/h
851998年7月11日~8月2日マルコ・パンターニ 画像:Flag of Italy.svgメルカトーネ・ウノ213,875km39.983km/h
861999年7月3日~25日ランス・アームストロング USポスタル・サービス203,687km40.276km/h
872000年7月1日~23日ランス・アームストロング (USポスタル・サービス)213,662km39.545km/h
882001年7月7日~29日ランス・アームストロング (USポスタル・サービス)203,453km40.070km/h
892002年7月6日~28日ランス・アームストロング (USポスタル・サービス)203,276km39.909km/h
902003年7月5日~27日ランス・アームストロング (USポスタル・サービス)203,426km40.956km/h
912004年7月3日~25日ランス・アームストロング (USポスタル・サービス)203,391km40.563km/h
922005年7月2日~24日ランス・アームストロング ディスカバリーチャンネル213,608km41.654km/h
932006年7月1日~23日オスカル・ペレイロ[3] 画像:Flag of Spain.svgケス・デパーニュ213,654km40.784km/h
942007年7月1日~23日アルベルト・コンタドール 画像:Flag of Spain.svg(ディスカバリーチャンネル)203,554km39.226km/h

[編集] 国別優勝回数

2007年まで国籍別ではフランスが36勝、次いでベルギーが18勝、スペインアメリカ合衆国が10勝、イタリアが9勝、ルクセンブルグが4勝、スイスオランダがそれぞれ2勝、アイルランドデンマークドイツが各1勝となっている。

[編集] 5勝クラブ

ツールで総合優勝を5回達成した選手達を俗に「5勝クラブ」と呼んでいる。「5勝クラブ」に名を連ねている5人はいずれも歴史に残る名選手である。2005年ツールにてランス・アームストロングは史上初の7回の総合優勝を達成した。

ジャック・アンクティル(フランス)
優勝年・・・1957年1961年1962年1963年1964年
タイムトライアルのスペシャリストである。1957年にツール初出場にも関わらず、圧倒的な強さで初優勝を飾った。その後、肺炎等のため勝利から見放されていたが、1961年にカムバックを遂げ、勝利を重ねた。1964年のツールでは消化不良に苦しんだが(ピレネーの休養日に振舞われた羊料理のためとされる)、それを隠し通し、ライバルの追撃を振り切り5度目の栄冠を掴んでいる。
エディ・メルクス(ベルギー)
優勝年・・・1969年1970年1971年1972年1974年
ツール5勝に加え、ジロ・デ・イタリアでも5勝、世界チャンピオンにも3度なっている。トータル525勝、勝率28.12%は、史上最も偉大な選手としてふさわしい記録である。初優勝の1969年の際にはポイント賞山岳賞も併せて受賞し、主要3部門独占を果たしている。この記録を達成した選手は今もなお、メルクスただ一人だけある。クラシックレースでの強さも圧倒的で、勝利に対するあまりの貪欲さから「食人鬼」の異名をとった。
ベルナール・イノー(フランス)
優勝年・・・1978年1979年1981年1982年1985年
ジャック・アンクティルに次いで、ツール初出場で初優勝を勝ち取っている。1985年のツールでは山岳ステージの落車で鼻を痛め、呼吸が困難になるアクシデントに見舞われた。このときチームメートのグレッグ・レモンに優勝のチャンスが舞い込んだが、来年は自分がレモンのアシストに徹することを条件に優勝を譲らせたという逸話が残っている。しかし翌年、6勝目をあげるべくレモンに立ちはだかったため、2人の間に確執が生じることとなった。結局この年はレモンが総合優勝をしている。イノーはかねてからの公言通り、1986年に32歳の若さで引退している。「ブルターニュの穴熊」の異名をとった。
ミゲル・インドゥライン(スペイン)
優勝年・・・1991年1992年1993年1994年1995年
ツール史上初の5年連続優勝を達成した。80kgを超す巨体ながら山岳ステージや特に個人タイムトライアルで絶対的な強さを発揮した。92年、93年にはジロ・デ・イタリアとツールを両方勝つという「ダブルツール」を達成している。2年連続のダブルツールを達成したのは彼一人である。圧倒的な強さに加え、どの選手からも尊敬され愛される穏やかな人柄から「ロワ・ソレイユ(太陽王)」とまで呼ばれた。
ランス・アームストロングアメリカ
優勝年・・・1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年
1996年に睾丸ガンに冒されたが奇跡のカムバックを果たし、初の7連続優勝を達成した。高ケイデンス(回転数)の独特の走法で山岳およびタイムトライアルに圧倒的強さを示す。2005年限りで引退。ツールにおける彼の圧倒的な強さの背景にはツール・ド・フランス以外のレースを全て捨ててツールを勝つことのみに特化した調整を行っていたという事情もあり、競技生活全体を見ると彼の実績が「5勝クラブ」の中でも突出しているというわけではない。

[編集] ツールをめぐる問題

[編集] ドーピング問題

画像:Tour de Doping.jpg
2006年のレースでのドーピング批判の横断幕

1998年にチームフェスティナの車から禁止薬物が発見されたことに端を発し、逮捕者8人を出す一大スキャンダルに発展、第6ステージ終了後、チームフェスティナはツールから除名された。さらにツールに国家憲兵隊が介入したことに抗議して、第17ステージを選手全員がボイコット。次の第18ステージではスペインから参加した全チーム、およびイタリアから参加した1チームが棄権する事態となってしまった。

2006年にはオペラシオン・プエルトの余波を受けてヤン・ウルリッヒイヴァン・バッソアレクサンドル・ヴィノクロフなどの優勝候補が軒並み出場停止となったほか、総合優勝したフロイド・ランディスも後にドーピング違反により、タイトルの剥奪が決定した。

2007年にもドーピング問題は再び猛威を振るい、優勝の大本命とされていたアレクサンドル・ヴィノクロフが第15ステージ終了後にドーピング検査で陽性反応が出たことで棄権。さらに第16ステージ終了後にコフィディスクリスティアン・モレーニがドーピング疑惑で連行されたうえ、総合優勝をほぼ確実にしていたラボバンクのミカエル・ラスムッセンも検査に際して虚偽の居場所を報告したことでドーピング疑惑をかけられて棄権。この影響でアスタナ・チーム、コフィディスはチーム全体が棄権することになった。

[編集] UCIとの確執

主催者であるASOとUCIとの間でツールの管理に関して確執が起こっており、2008年からはUCIプロツアーからツールをはじめ、ASOの主催するレースが離脱することになった。

[編集] そのほか

ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを同一人物が同年に優勝することを指して「ダブルツール」と呼び、加えて世界選手権自転車競技大会を制すると「トリプルクラウン」と呼び、「カンピオニッシモ(伊:championissimo、「チャンピオン」の最上級)」として讃えられる。

[編集] 日本人選手

[編集] 日本でのテレビ放送

現在日本での放送はスポーツ専門チャンネル「J SPORTS」で全戦生中継されている。

1985年から1991年にかけてはNHKが放映権を持ち、主にBS1で中継を行っていた他、地上波でも数回「世界最大の自転車レース」と題して単発特番を放送していた事もある(現在この間の放送をDVD化したものがNHKエンタープライズから発売されている[4])。

1992年フジテレビが放映権を取得し、同系列で「英雄たちの夏物語」というダイジェスト番組を2~3回にわたり放送していた。またJ SPORTSが生中継を始める前は、フジテレビが衛星録画、山岳ステージの衛星中継を独占で行なっていた。

1998年には当時の「SKY Sports」(J SPORTSの前身)がフジテレビからサブライセンスを受ける形で生中継を開始(そ