東京ディズニーリゾート
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・東京ディズニーリゾートを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |
東京ディズニーリゾート®(とうきょうディズニーリゾート、英称:Tokyo Disney Resort®、略称:TDR)とは、日本の千葉県浦安市舞浜にあるディズニーパークを中心としたリゾート施設群である。
目次
概要
TDRは、2つのディズニーパークとディズニー関連ホテルを核にショッピング施設などから構成される。経営・管理・運営はオフィシャルホテルを除き株式会社オリエンタルランド (OLC)および同社の関連会社で構成される「OLCグループ」が行っている。世界のディズニーリゾートでは唯一ライセンス契約による経営・運営であり、経営・運営会社にディズニーの資本が全く入っていない。なおディズニー関連の著作権や商標権ビジネスはウォルト・ディズニー・ジャパンが担当しており、オリエンタルランドは東京ディズニーリゾートの経営・運営のみ担当している。
従業員のことを「キャスト」、利用客のことを「ゲスト」と通称するなど、ディズニーのテーマリゾートの手法に倣った展開をしている。
アメリカのウォルト・ディズニー・カンパニーは来場者の長期滞在を計る目的として、ディズニーパーク単体の運営から、ディズニーによる特定のコンセプトに沿った複数のディズニーパークとホテルなどから成る長期滞在型の「テーマリゾート」への展開を進めている。
1971年にオープンしたウォルト・ディズニー・ワールド(現在のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート)は当初からディズニーパークとホテル(リゾート)の複合体であり、その後の同様の複合施設、ユーロ・ディズニー・リゾート(現在のディズニーランド・リゾート・パリ)などの展開の基礎になった。その後、パーク単体だったディズニーランド(アメリカ・カリフォルニア)と東京ディズニーランドもそれぞれ第二パークとホテルを増設し名称もそれぞれディズニーランド・リゾート、東京ディズニーリゾート、そしてディズニーパークとホテルを同時に開業した香港ディズニーランド・リゾートとなり現在にいたる。
上記のように、現在世界5ヶ所のディズニーパークすべてがそれを核に「テーマリゾート」化されている。
構成
東京ディズニーリゾートは以下の施設から構成される。
ディズニーパーク
- 東京ディズニーランド・東京ディズニーシーの入場券については、東京ディズニーリゾートのパスポートを参照
シアトリカル・エンタテインメント
ディズニーホテル
東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテル
ショッピング施設
リゾート内の交通機関
総合サービスセンター
駐車場
沿革
- 1983年
- 4月15日 「東京ディズニーランド」グランドオープン
- 1986年
- 1月 ディズニーがオリエンタルランドに対して「東京ディズニー・ワールド構想」を提案
- 7月20日 オフィシャルホテル「サンルートプラザ東京」が開業
- 1988年
- 4月14日 オフィシャルホテル「シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル&タワーズ」(現:シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル)が開業
- 4月15日 「東京ディズニーランド」5周年の記者会見において、OLC会長の高橋政知(当時)が「第2パーク構想」を発表
- 7月2日 オフィシャルホテル「東京ベイヒルトン」(現:ヒルトン東京ベイ)が開業
- 7月8日 オフィシャルホテル「第一ホテル東京ベイ」(現ホテルオークラ東京ベイ)が開業
- 1990年
- 1998年
- 8月1日 舞浜駅前開発事業(「イクスピアリ」・「ディズニーアンバサダーホテル」)の建設工事が開始
- 10月22日 「東京ディズニーシー」・「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」の建設工事が開始
- 2000年
- 1月1日 「リゾート宣言」を発表し「東京ディズニーリゾート」が正式にスタート、初代「東京ディズニーリゾート・アンバサダー」が就任
- 7月7日 「イクスピアリ」、「キャンプ・ネポス」、「ディズニーアンバサダーホテル」が開業
- 10月24日 「ディズニーリゾートライン」の試運転が開始
- 2001年
- 2002年
- 11月8日 東京ディズニーランド、東京ディズニーシー合わせて3億人目のゲストが来園
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 4月15日 東京ディズニーランド開業25周年を迎え、東京ディズニーリゾート25thアニバーサリーを開始。そごうとの公式スポンサー契約終了
- 7月8日 「東京ディズニーランドホテル」が開業
- 10月1日 「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」開業、レジデント・ショー「ZED」開幕。
名称決定までの流れ
1983年4月15日、アメリカ国外では初となる「ディズニーパーク」、「東京ディズニーランド (TDL)」が開園した。1970年代に立て続けに発生したオイルショックの後の、ゆるやかな経済成長時にオープンしたこのパークは、「余暇をいかに楽しむか」を考える余裕が出てきた日本人の心をつかみ、初年度は1036万人もの入園者を数えた。その後、「科学万博つくば85」の開催や、バブル景気に影響されて全国各地に建設されたスキー場やゴルフ場、遊園地の中でも、強い独自色を発揮し、着実に入園者数を増やしていくのであった。
1986年1月、ウォルト・ディズニー・カンパニー(以下、ディズニー)は、TDLを経営・運営するOLCに対し、舞浜地区全体の開発を目指した「東京ディズニーワールド構想」を提案してきた。OLCは社内での検討の末、1988年4月15日に開かれたTDL開園5周年の記者会見の席上で、会長の高橋政知(当時)が「第2パーク構想」について発表する。
※当時ディズニーでは、ディズニーパークとホテルなどの複合体を「リゾート」とは呼んでおらず、唯一複合体をなしていたのは、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールドだけであった。
その後、いくつものディズニー側からの提案のOLC側での検証や、OLC社内の意見の相違などを経て、TDLに次ぐ第2のディズニーパークである「東京ディズニーシー (TDS)」を始めとして、「イクスピアリ」、「ボン・ヴォヤージュ」など、現在のTDRを形作る施設の全体像が決まってきた。そんな中、ウォルト・ディズニー・アトラクション・ジャパン(WDAJ)社長(当時)のジム・コーラ(現ディズニーレジェンド)とOLCとの間でやり取りされた書簡の文中に「東京ディズニーリゾート」という名称が初めて出てきた。当初、OLCは舞浜地区全体を「舞浜リゾート」と呼び、そのエリアの中にディズニー関連施設とその他の施設が共存するイメージを持っており、自社の敷地すべてに「ディズニー」のブランドをかぶせられることに難色を示した。 その後、OLC独自の施設をリゾートに含む全体計画についてはディズニーと合意できたものの、リゾート全体を表す名称について、ディズニー・OLCで意見の相違が残った。
このリゾート全体に「ディズニー」の名称を使えるというアメリカ側の提案について、OLC側は自社「リゾート」の名称に対してディズニーによる一方的な「命名」であると公式に不快感を示したが、最終的にはディズニー側からの「東京ディズニーリゾート」の名称使用の正式な提案を受け入れ、これがそのまま正式な名称となった。
公認ホテル
東京ディズニーリゾートの敷地外にある近隣ホテルにも公認ホテルとして提携を行っているものがあり、宿泊客向けの各種特典が存在する。
東京ディズニーリゾート・パートナーホテル
東京ディズニーリゾート近郊の新浦安駅地区にある、5つのホテルで構成されており、「ディズニーホテル」、「東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテル」に次ぐ内容の宿泊客特典を備えている。
- パーム&ファウンテンテラスホテル
- パームテラスホテル
- ファウンテンテラスホテル
- ホテルエミオン東京ベイ
- オリエンタルホテル東京ベイ
- 浦安ブライトンホテル
- 三井ガーデンホテルプラナ東京ベイ
東京ディズニーリゾート・グッドネイバーホテル
東京ディズニーリゾートへの無料送迎バス「グッドネイバーホテル・シャトル」(予約制)で結ばれており、パークのチケット付き宿泊パッケージや、ホテル内で東京ディズニーリゾートの最新情報が取得できるなどの特典がある。
今後の計画
関連項目
- ウォルト・ディズニー・カンパニー
- 東京ディズニーランド
- 東京ディズニーシー
- 東京ディズニーリゾート・チケットカウンター
- 東京ディズニーリゾート・コレクションカード
- 東京ディズニーリゾート・チケットセンター
- ディズニーリゾート物語
- マジックキングダムクラブ
- 東京ディズニーリゾートのCD
- 東京ディズニーリゾートの橋
- 東京ディズニーリゾートの駐車場
- 東京ディズニーリゾートの花火
- 東京ディズニーリゾートのパスポート
- 東京ディズニーリゾート25thアニバーサリー
外部リンク
テンプレート:ウォルト・ディズニー・パークス・アンド・リゾーツ
東京ディズニーリゾート |
---|
オリエンタルランド |
東京ディズニーランド | 東京ディズニーシー |
ホテル | 施設 | 交通 | 制度 | 商品 | テレビ番組 | 音楽 |