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この項目では、思想としての右翼について説明しています。鳥や飛行機の右翼については「右翼 (部分)」をご覧ください。 |
右翼(うよく)とは、必ずしも同列に並べることは出来ないが、民族主義者、王党派、反共主義者や保守勢力の総称である。右派(うは)ともいう。
尚、国内の右翼の中には非合法組織である暴力団が偽装化したものもある。
目次
概説
フランス革命後の議会で、議長席から見て右側の席を保守派が占めた事に由来する。基本的には社会主義や共産主義など左翼思想に激しい敵愾心を持つが、同時に左翼思想の強い影響を受けてもいる。それゆえ、一部の右翼思想(例えばファシズム)を「社会主義の亜流」として"左翼"と見る見方もある。
シンボルカラーは白で表現される事が通例だが、特にファシストはファシスト党のシンボルカラーから黒で表現される事が多い(通常、黒はアナキストのカラーである)。ナチスは褐色がシンボルカラーであり、共産革命色とされる赤も使用した。またファシズム・ナチズムのスタイルの一つとしてナチス式敬礼がある。右手を前方に突き出すものである(古代ローマに由来する)。
自民族に対する人種的優越論を持ち出して民族主義に走る、国内に住む少数民族、移民や外国人労働者の排斥を訴える排外主義などの行動をとる、一部の極端に過激な政治思想を持つ右翼の事を極右と呼ぶ。
欧米におけるプアホワイトの事例のように、国内の低取得者層が現状に対する不満から、マイノリティーや移民などの攻撃し易い勢力に怒りの戈先を向ける事から発生する右翼運動もある。
日本の右翼
保守#日本における保守主義 も参照 日本における右翼のイメージは、黒塗りの街宣車で街宣活動を行う右翼団体(街宣右翼)に代表される。本項でも主に任侠右翼・街宣右翼を中心に記述する。
新右翼と呼ばれる潮流は、新左翼と共闘するなど、概して従来の右翼のスタイル・思想と様相を異にする。したがって個々の運動や組織の中には、必ずしもここで述べられていることに該当せず、むしろ正反対に近い右翼もいることも忘れてはならない。
日本における右翼の歴史
日本の右翼が思想的に起源を主張するのは近世の国学であるが、通常国学を右翼と呼ぶ人は少ない。
近代に入り、日本各地で自由民権運動が発生し、激しい反政府運動が盛り上がった。政府はこれをしばしば公権力とともに任侠集団をけしかけて自由民権運動を取り締まったり集会を妨害した。明治時代の末になると社会主義思想が日本にも波及してきた。政府はこれに自由民権運動以上の拒否反応を示し、公権力と任侠集団で取り締まりや妨害を行った。これらの任侠集団は明治元勲たちとも結びつきが強く、社会主義に反対し、国家を擁護する政治団体を結成した。これが「任侠右翼」の起源である。
現在では暴力団対策法以降、暴力団組織が右翼団体に資金を提供して、国家に対抗する手段を取っており、右翼が反権力を主張しているのが特徴である。
1920年代、世界恐慌が日本にも波及してくると、左翼からの転向組や一部の国学の系統を引く日本の保守思想家の中には社会主義から強い影響を受け、「国家社会主義」というグループも現れた。この潮流はやがて戦時体制という形で事実上取り入れられた。
敗戦により、GHQは、左翼や自由主義思想を自由化する一方で、日本の「国家主義思想」を統制。しかし、冷戦の開始とともにGHQは「逆コース」へ転換、左翼思想を抑制する政策を取る。1951年には、木村篤太郎法務総裁(後に法務大臣)が当時の金額で3億数千万の予算をつけ、テキ屋、暴力団、右翼をまとめた「反共抜刀隊」を政策として立案したが、吉田茂首相に相手にされずに頓挫した。1960年にはアイゼンハワー大統領来日を歓迎・支援するために、自民党安保委員会が、全国のテキ屋、暴力団、右翼を組織して「アイク歓迎実行委員会」を立ち上げ、左翼の集会に殴り込みをかけさせた。これらの動きに伴い、黒塗りの街宣車で大音量の軍歌を流す、典型的な街宣右翼が登場した。しかしそのような、活動資金を得る手段として親米反左翼の暴力的活動を行う右翼は多くの国民の支持を得ることはなく、強い批難を受けた。
1960年代後期になると、従来の任侠右翼による街宣活動に反発を持つ右翼活動が、街宣車を用いず、もしくは白い街宣車で普通の政治団体や市民団体のような活動をするという、「新右翼」という新しい潮流も見られるようになる。
活動内容
街宣右翼の主な活動としては、第二次世界大戦後の大衆の目に触れる非常に典型的な街宣など、街宣車を使って自分たちの政治的主張や軍歌や君が代などを流して回る、というものがある。暴力団と表裏一体で、企業へ機関誌の購読、機関誌への広告(発行に協賛する名刺広告)掲載を名目に資金提供を要請する。断ると、街宣車でその企業の周りを周回し、嫌がらせを行う。街宣右翼は暴力団対策法が成立した以降に、警察や国家の取締りに対抗している暴力団系右翼(任侠右翼)であり活動内容も極めて非合法なものが多い。不祥事があった企業に街宣車で押しかけ、その企業が十分な「反省」を行うまで抗議活動を行う。「反省」は、右翼団体へ活動資金を「提供」する行為である。企業周りをして、活動資金の提供を受けていたこれら右翼団体も、暴対法施行後は、企業からの資金提供を断られることが多くなり、資金難に陥った。
政治的主張
日本の右翼の主な政治的主張とよく言われるのが「国体護持」、「反共」、「反日教組」の三点である。典型的な団体名に“大日本”“護国”“(天)皇”“菊”といった字句が入る事からもこれが窺え、また戦後民主主義の否定の延長で”“若い我々が旧体制を打破するのだ”という思想から“青年”を入れる団体もある。細かいところでは相違点を見せるがこの三点だけは共通している場合が多い。また、憲法改正、太平洋戦争(一般的な右翼はこれを大東亜戦争と呼称する)の肯定・YP体制打破・靖国神社参拝の支持なども挙げられる。一部左翼と保守勢力が頑なに否定してきた日本人拉致問題などでの従来の日本政府の外交政策における慎重な姿勢や中国・韓国への『謝罪外交』を批判することもある。政党に関しては、戦後最大の保守政党であり、長期間政権を保持している自民党や民主党の右派(主に旧新生党・民社党系)を支持する者が多いが、天皇親政の立場から議会制民主主義打倒を唱えたり独自の民族主義政党(維新政党・新風等)を組織する急進派も一部存在する。また、憲法改正論議では、アメリカによる「押し付け憲法論・安全保障上の問題点等を指摘して改憲を主張するものもいる。また近年では現行憲法無効論という独自の主張を唱える者も極少数ながら存在する。また「真実を求める会」の黒田大輔や山際澄夫のように検察審査会に審査を申し立てる者も出てきた。
対外的には、当事国や日本の左翼勢力が「その責任は日本政府にある」とする2005年の反日デモや前述の靖国神社問題、尖閣諸島の領土問題などから中国と台湾、同じく反日デモや靖国神社問題、竹島の領土問題などから韓国、日本人拉致問題などから北朝鮮、北方領土問題などからロシア連邦の5国を批判する事が多い。さらに反共のスタンスからベトナム、キューバ、親米の立場から中東諸国、パキスタン、東ティモールなども批判の対象となることもある。
ただし、米国や韓国に対しての認識は団体によって異なる。反共の立場から韓国を支持して来た右翼団体もあるが、冷戦終結後は靖国神社や歴史認識等を巡って、韓国の態度を批判する右翼が増えている。同様に、西側勢力にとって最大の脅威であったソビエト連邦が解体されたため、現状の日米安保体制は対米従属を推進させるだけだとして反米の立場を採った団体も在るが、中朝の軍事的脅威や、韓露と抱えている領土問題で日本が不利な立場に立たされている事を主張して、依然として親米の立場を採る団体もある。
従来から反共のスタンスで中華人民共和国を否定し、中華民国を中国を代表する政府とするのが多くの右翼の立場であり、チベット独立運動、東トルキスタン独立運動を支持しているものもいる。しかし、近年は中華民国自体を否定し、台湾独立運動を支援する動きも見られる。これら活動の根拠として民主主義・人権・中国脅威論・民族自決などを唱えている。
メディアに対しては、リベラルな論調の傾向があるとされる朝日新聞や毎日新聞に対して、親中国・親朝鮮的な報道姿勢・1990年代の従軍慰安婦に関する一連の報道などから特に批判的である。また地方紙では北海道新聞、中日新聞が敵視されている場合が多い。保守的論調の傾向がある読売新聞・産経新聞に対しては、肯定的な考えを示すことが多いが、場合によっては批判することもある。また、日本経済新聞に対しては、近年における大企業の中国への進出から、中国への肯定的な報道姿勢に敵対心を抱く傾向が一部見られる。日本経済新聞の論調であるグローバリズム・リバタリアニズムと、右翼の民族主義思想は基本的に相容れないものである。
歴史認識
典型的な右翼といわれる歴史認識は国体護持の立場から皇国史観を主張する。一方、五・一五事件、二・二六事件などのクーデターを支持し、戦時体制を社会主義とする立場から、大東亜戦争(太平洋戦争)に批判的な右翼も存在する。また、以下の歴史認識を持つ場合も一部の特定勢力から右翼と評されることがある。
- 大東亜戦争(太平洋戦争)について、「日本による侵略戦争」として全面否定する左翼に比して「自存自衛の戦争」と肯定的に評価する。コミンテルンにより開戦させられたと主張する陰謀論者もいる。
- 国内の教科書や国際社会において歴史的事実とされている「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の「強制連行」などに関して、捏造ないしは誇張されたプロパガンダであると主張する。
上記のような理由から「教育の現場では日本の歴史の負の側面ばかりを誇張する自虐史観的な立場から子供達に教育がなされており、日章旗や君が代を蔑ろにする、自国に誇りと自信を持てない教育(国立二小事件参照)が一部で行われている」と主張し、日教組等を批判する。
組織
日本の右翼は過去には左翼思想に対抗する存在として一定の組織力を持っていた。しかし、現在の狭義の右翼は独自の大衆運動を展開できるほどの組織力がなく、政治的な活動は保守系団体に依存する傾向がある。現状では全国に支部を展開する右翼団体はなく、自由民主党の議員、民主党の一部議員や、日本会議などの保守系組織、霊友会系教団など一部の保守系宗教団体と結びつきを持ちながら、緩やかなつながりを持っている。
1960年代後半には、学生運動の高揚に対抗して民族派学生組織の活動が活発化し、日本学生会議・日学同(2007年解散)・全国学協は、「YP体制打倒」を掲げ大きな影響力を持った。しかし組織的分裂もあって民族派学生組織の運動は退潮、1990年代以降は目立った活動をほとんどしていない。
右翼系市民団体では、政治団体の維新政党・新風、新右翼の系譜を引く一水会などが比較的目立った活動を行っている。ほかに右翼団体の連合体である全日本愛国者団体会議、排外主義(但し“親日”の人は除外)を主張する在日特権を許さない市民の会などがある。
任侠系右翼では、戦前からの系譜を引く組織でも構成員数が三桁に達するところは皆無といっていい。ただし、任侠系はある程度組織が大きくなると部下に独立を促し別団体を結成させるため、個々の組織間の連携は密に取れている場合が多い。
各国における近年の動向
アメリカ
連邦政府の覇権主義政策を全面的に肯定する勢力があり、彼らは「愛国者」を自称している。一方、反連邦政府を掲げる州権主義者の流れも根強い。
1980年代以降、特に2001年以後の米国では、ネオコンと呼ばれる新保守主義とキリスト教右派の台頭が顕著である。
奴隷制の負の遺産として、白人至上主義が歴史的に存在している。また公民権運動の成果であるマイノリティー擁護政策の反作用として、有色人種がターゲットにされる(クー・クラックス・クラン (KKK) 、ミリシアなど)。近年では同種の主張をする団体は、KKKも含め衰退の一途をたどっているが、保守的な傾向のある地域では上記のような差別思想が根深く残っている。
2009年、史上初の黒人大統領バラク・オバマが就任してからは、白人至上主義・人種差別主義者の活動が活発化していると評される[1]。
中国
中国においては、近年愛国的・反日的風潮が高まり、学生を中心とした大規模な反日デモが発生した。「愛国無罪」を主張、日本大使館への襲撃などが特徴としてあげられる。政府もまた、格差拡大など社会問題のガス抜きとして、共産主義に矛盾しない形で愛国(反日)教育を推進している。また憤青と呼ばれる民族主義勢力の動きが注目された。
朝鮮半島
朝鮮半島においては、南北朝鮮政府が異なった政治体制を敷き、その内容、実態には大きな開きがあるものの日本の朝鮮統治に否定的な点では共通している。民族分断という現実から、その遠因であるかつての日本の朝鮮併合統治を植民地支配として糾弾することで、愛国心や統一への機運を盛り立てるために、政府が積極的に宣伝・教育を行ったためである。もともと韓国の右翼は反共という共通目標から日本の右翼と親しい関係にあった。竹島(朝鮮名・独島、英名・リアンクール岩礁)帰属問題や小泉純一郎など日本の政治家の靖国神社参拝問題、慰安婦問題などでは、政治的な右翼・左翼を問わず、多くの国民が共通の立場に立つ。長い間反共の砦だった韓国でも、比較的親北の盧武鉉が元首の座に就いたことがあったりと、ねじれ現象も起きている。したがって、左右の軸となるものは日本及び他国とは大きく異なる。
EU諸国
欧州連合(EU)では、ホロコーストの惨禍への反省からドイツを中心にナチズム規制、また排外言動を犯罪と定義するなどが進み、極端な右翼は少数派にとどまる。一方、近年ではEU拡大などにより移動の壁が取り払われた結果域内への外国人流入が進み、仕事を奪われるなどの不安感から移民がスケープゴートにされやすく、各国で右翼勢力の存在感が高まっている。なお、イタリアの北部同盟やオランダのフォルタイン党、スペインのバスク祖国と自由などは反移民を主張することから右翼政党と定義されやすいが、これらの政党は反グローバリズム・地域主義色が強く、国家を地盤とした既存の右翼勢力と一緒くたにする事は適切ではない。
欧米においてはファシズムやその傍流を主張する勢力も「戦前への回帰」という点や、その主張が現代の基本的な政治的選択肢から著しく逸脱した主張を行う事から右翼、ないし極右と評価される事が多い。彼らはポスト・ファシズム、或いはネオ・ファシズムと呼称され、いわゆるネオナチも「ドイツにおけるネオファシズム」と分類される。ただし、必ずしもファシズムはその理論的基礎に社会主義の理念を多分に含んでいる為、一概にその政策が保守主義的であるとは限らない。
ドイツ
ドイツの右翼は、ネオナチの勢力が最も有名であるが、ナチズムに対して否定的な右翼もいる。ナチス系の右翼にはナチス的だが反ヒトラー派があり、またコンスルなどの流れを引く右翼は反ナチ系の極右である。なお、ネオナチはトルコ等からの移民を攻撃対象にする傾向にある。
イタリア
イタリアにおける新しい右翼思想として、ネオファシズムが勃興している。その影響でベニート・ムッソリーニの再評価も行われた。旧「君主党」など、王政復古を目指す王党派も存在し、両者はしばしば協力するが、完全に一致している訳ではない。
フランス
ジャン=マリー・ル・ペン率いるフランス国民戦線が近年伸張著しい。同政党は移民、とりわけ旧植民地のアラブ系とアフリカ系黒人の排斥、人工妊娠中絶反対を唱えている。
イギリス
イギリス国民戦線が存在し、外国人移民排斥やアイルランド奪取などを訴えている。保守党系列のテロ集団アルスター義勇軍などもある。
ベルギー
ネオナチ政党「フランデレンの利益」が台頭しつつある。国政においても一定の勢力(議席・支持者)を持つ。
オーストリア
1986年、元ナチス将校であったクルト・ヴァルトハイムが大統領となり、欧米で問題視された。1989年連立内閣の一員であったオーストリア自由党党首に親ナチのイェルク・ハイダーを選出して、オーストリアがヨーロッパから孤立しかけた。後に連立解消するが、現在でも自由党および自由党から別れたオーストリア未来同盟は一定の議席を持ち、ケルンテン州では与党になっている。
スペイン
1936-39年のスペイン内戦では、ドイツ・イタリアがファシズムにきわめて親和的なファランヘ党などの反共和国勢力を支持した。また他のヨーロッパ諸国も不干渉を口実に傍観した。共和国政府を倒し勝利したフランコは、第二次大戦においては、枢軸国との距離をおいて中立を宣言し、難局を乗り切った。欧州にあって例外的に1975年まで円満に政権を維持した。そのファランヘ党の系譜を引く国民党が1996-2004年政権を担当しており、現在も強力な野党である。
ロシア
ネオナチの勢力が強く、外国人への襲撃が後を絶たない。政界ではウラジーミル・ジリノフスキー率いるロシア自由民主党がロシア国内である程度の認知を受けている。アラスカ返還論、核攻撃論、北方領土非返還論を唱え、その強硬さが却って国民受けしている。プーチン政権下では「強いロシア」が掲げられ資源外交や愛国的姿勢(ナーシなど)が目立ち「右翼的」傾向が指摘される。2008年メドヴェージェフ大統領が当選した(ただし先代大統領のプーチンも首相のポストを得ており今後の行方が注目される。メドヴェージェフ本人はリベラリストとされる)。
中東
イスラム社会の世俗化、西欧化に対抗する形で、イスラム原理主義が一定勢力を持っている。またパレスチナ問題の未解決はイスラエル寄りとされる米国への不信感を招き、反米の様相を呈す一因となっている。(ハマス、ヒズボラ、ムスリム同胞団、タリバンなど)。近年にはイラク戦争を嚆矢としてこれに対テロ戦争が加わった。イランでは核問題などと絡みアフマディネジャド大統領など強硬的言動を行う政治家が存在する。
なお、歴史的にキリスト教徒の多かったレバノンにおいては、マロン派キリスト教徒の一部が自分達のアイデンティティをアラブよりも欧米に求める風潮が強く、フェニキア主義と呼ばれる独特の宗派主義が生まれた。こうした政治家や政治団体は1980年代までレバノンの国政に大きな影響力を与えており、現実的な利権も絡んで1975年のレバノン内戦につながった。
イスラエル
旧約聖書などユダヤ聖典で唱えられる、「約束の地」は全てイスラエルのものであるとする大イスラエル主義思想が、右翼政党「イスラエル我が家」やユダヤ教原理主義聖職者のみならず、政権党リクード内部にも存在している。彼らは、自分たちイスラエルは世界中からユダヤ難民を受け入れたのだから、アラブ世界がパレスチナ難民を収容すべきだと、主張する。また、パレスチナなどもともと存在しないのだから、イスラエルに住むアラブ人は全員市民権を剥奪するか、国外追放すべきであるという主張も一部で支持されている。イスラエルにおける右翼の代表的人物にメイル・カハネ(カハネ主義)、モーシェ・ファイクリンなどがいる。
脚注
- ↑ 米で人種・民族憎悪犯罪目立つ オバマ政権や不況影響かアサヒコム2009年6月21日