「かぐや姫 (フォークグループ)」の版間の差分

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*      かぐや姫
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*KAGUYAHIME
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*出身地 [[日本]]
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*ジャンル  [[フォークソング]]
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*                [[J-POP]]
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*活動期間 [[1970年]] - [[1975年]]
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*                [[1978年]]
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*                [[1980年]]
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*                [[1985年]]
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*                [[1999年]] - [[2001年]]
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*                [[2005年]]
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*                [[2006年]]
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*レーベル [[日本クラウン]]
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*事務所 ユイ音楽工房
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*共同作業者 [[シュリークス]]
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*                        [[風]]
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*                        [[吉田拓郎]]
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*                        [[イルカ]]
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*                        [[石川鷹彦]]
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*                        [[木田高介]]
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*                        [[瀬尾一三]]
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*メンバー         [[南こうせつ
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*                        [[伊勢正三]]
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*                        [[山田パンダ]]
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*旧メンバー 森進一郎
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*                      大島三平
  
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'''かぐや姫'''(かぐやひめ)は、[[1970年代]]に活躍した[[フォークソング|フォーク]]グループ。
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「[[神田川 (曲)|神田川]]」や「[[赤ちょうちん (曲)|赤ちょうちん]]」、「[[妹 (曲)|妹]]」などのヒット曲に加え、「[[なごり雪]]」や「[[22才の別れ]]」といった作品も生み出した。メンバーは、リーダーの[[南こうせつ]](ギター)、[[山田パンダ]](ベース)、[[伊勢正三]](ギター)の3人で、それぞれが作詞・作曲およびリードボーカルを担当する。
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== 略歴 ==
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[[1970年]] - [[南こうせつ]]、[[森進一郎]]、[[大島三平]]の3人で『南高節とかぐや姫』(第1期かぐや姫)としてデビュー。代表作は「酔いどれかぐや姫」など。[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]『[[全日本歌謡選手権]]』にも出場し4週勝ち抜いたが次の週の挑戦を辞退(ちなみに4週目勝ち抜きの放送回で、無名のプロ歌手の三谷謙が10週勝ち抜きのグランドチャンピオンを達成。三谷は[[芸名]]を「[[五木ひろし]]」に改め「[[よこはま・たそがれ]]」で4度目のデビューを果たし成功を遂げた)。シングル3枚とアルバム1枚を残し、1年間の活動ののち解散。「[[酔いどれかぐや姫]]」「[[変調田原坂]]」はオリコン100位以内に食い込む。なお「酔いどれかぐや姫」は準レギュラーとして出演していた『[[桂文枝 (6代目)|桂三枝]]の[[さかさまショー]]』(よみうりテレビ)の番組中またはエンディングで3人が[[十二単]](じゅうにひとえ)姿で演奏していたものである。「変調田原坂」からグループ名が『南こうせつとかぐや姫』に変更された。理由は南高節が「なんこうぶし」と読まれたためという説が有力である。
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[[1971年]] - 高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「[[シュリークス]]」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成。
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[[1971年]][[9月25日]] - シングル「[[青春 (かぐや姫の曲)|青春]]」で再デビュー。
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[[1972年]]3月 - テレビアニメ「[[海のトリトン]]」([[ABCテレビ|ABC]])の主題歌として、シングル「海のトリトン」を『[[すどうかづみ|須藤リカ]]/南こうせつとかぐや姫』名義で発売。番組のオープニング(最初の6回まで)またはエンディング(7回以降)で、須藤リカとかぐや姫がこの曲を歌う実写映像が使われた。
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[[1972年]][[4月20日]] - アルバム『[[はじめまして (かぐや姫のアルバム)|はじめまして]]』発売。[[吉田拓郎]]らの協力を得て制作され、5万枚を売り上げる。
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[[1973年]]9月 - シングル「[[神田川 (曲)|神田川]]」を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。この年[[NHK紅白歌合戦]]に出場の話が来るが歌詞の中の『[[サクラクレパス|クレパス]]』が商標なので『[[クレヨン]]』に変更してくれといわれて拒否。このため出場を辞退した。「神田川」は後に[[東宝]]において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。
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その次のシングルとして南こうせつが考えていたのは「[[22才の別れ]]」か「[[なごり雪]]」であったが、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた「[[赤ちょうちん (曲)|赤ちょうちん]]」をリリース(この曲からグループ名を「かぐや姫」に変更)。その後も映画化の話が絡み「[[妹 (曲)|妹]]」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという<ref>[http://e-days.cc/music/feature/livelegend/200905/26999.php?page=2 南こうせつ インタビュー]</ref>。
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[[1975年]][[4月12日]] - [[共立講堂|東京神田共立講堂]]で行われた[[解散]][[コンサート]]を最後に解散。南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は[[風 (歌手)|風]]として、音楽活動を継続する。最後の2枚組アルバム『[[かぐや姫フォーエバー]]』は、[[オリコンチャート|オリコン]]LPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。
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[[1975年]][[8月2日]]~[[8月3日|3日]] - 再結成。[[吉田拓郎]]、[[山本コウタロー]]らとともに、[[静岡県]][[掛川市]]で12時間のオールナイトコンサート「[[吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋|つま恋コンサート]]」を行い、5万人(警察発表では6万人)の観客を集める。南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風としても出演。
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[[1978年]]4月 - アルバム『[[かぐや姫・今日]]』を発売し、期間限定の再結成。
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[[1978年]]5月 - 再結成コンサートを全国で行う。パンダの誕生日(5月13日)には[[横浜スタジアム]]で行われた。この時の模様は1985年に『the KAGUYAHIME "Live "forever』としてLP化され、95年にCD化されている。
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[[1980年]]6月29日 - 「[[木田高介]]・阿部晴彦追悼コンサート」([[日比谷野外音楽堂]])で再結成。
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[[1985年]]7月27日~28日 - 「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT in つま恋」にて一夜限りの再結成。「人生は流行りステップ」・「僕の胸でおやすみ」・「なごり雪」を披露。
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[[1999年]][[8月8日]] - 「南こうせつ サマーピクニック ドリーム」で再結成。これ以降、各自がソロ活動をしながらしばしば再結成することとなる。
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[[1999年]][[12月31日]] - 同年の[[第50回NHK紅白歌合戦|NHK紅白歌合戦]]に出演。「神田川」を披露。
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[[2000年]]~[[2001年]] - 再結成コンサートツアー「ベスト・ドリーミン」を全国で行う。
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[[2000年]]10月 - 新曲マキシシングル「[[青春の傷み]]」を発売。
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[[2005年]]8月6日 - 戦後60年を記念して[[広島市]]で再結成コンサート「ヒロシマ60」を行う。
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[[2006年]]8月 - 各メンバーの故郷である[[福岡県]][[飯塚市]](山田)と[[大分市]](南・伊勢)で「ふるさとライブ」を行う。
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[[2006年]][[9月23日]] - [[吉田拓郎]]の呼びかけで再結成、[[静岡県]][[掛川市]]で「[[吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006]]」を行う。9時間半のコンサートに、日本各地から35,000人のファンが集まった。
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[[2013年]] - 山田を除いた南と伊勢の二人で「ひめ風」としてコンサートを行う。
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== 第1期かぐや姫ディスコグラフィー ==
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=== シングル ===
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* [[酔いどれかぐや姫]]/あわれジャクソン
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* [[変調田原坂]]/マキシーのために
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* [[ひとり寝のかぐや姫]]/旅情
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=== アルバム ===
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* [[レッツ・ゴー! かぐや姫]]
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=== その他 ===
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レコード化はされていないが、出身地[[大分県]]のテレビ局[[大分放送|OBS大分放送]]で放送される[[天気予報]]のジングルがある。スポンサーは地元酒造会社の[[八鹿酒造]]で、現在でも放送されており、大分県民には馴染み深い曲となっている。
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== 第2期かぐや姫ディスコグラフィー ==
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=== シングル ===
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* [[青春 (かぐや姫の曲)|青春]] / 山椒哀歌(1971年)
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* [[田中君じゃないか]] / 離婚歴三回(1972年)
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* [[僕は何をやってもだめな男です]] / ひとりきり(1972年)
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* [[僕の胸でおやすみ]] / アビーロードの街(1973年)
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* [[神田川 (曲)|神田川]] / もういいじゃないか(1973年)
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* [[赤ちょうちん (曲)|赤ちょうちん]] / この季節が変われば(1974年)
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* [[妹 (曲)|妹]] / 夏この頃(1974年)
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* [[はじめまして (かぐや姫のアルバム)|雪が降る日に]] / [[かぐや姫LIVE|加茂の流れに]](1981年)
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* [[22才の別れ]] / [[かぐや姫・今日|湘南 夏]](1984年)
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* [[青春の傷み]] / 街並 / 愛をつかもう(2000年)
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=== アルバム ===
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* [[はじめまして (かぐや姫のアルバム)|はじめまして]](1972年)
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* [[かぐや姫おんすてーじ]](1972年)
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* [[かぐや姫さあど]](1973年)
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* [[三階建の詩]](1974年)
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* [[かぐや姫LIVE]](1974年)
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* [[かぐや姫フォーエバー]](1975年)
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* [[かぐや姫・今日]](1978年)
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* the KAGUYAHIME "Live "forever(1985年)
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* [[Best Dreamin']](2000年)
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* [[ベスト・ドリーミン コンサート]](2000年)
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== かぐや姫解散コンサートで録音された声について ==
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[[前日談]] 南こうせつが[[司会]]を務めていた[[ラジオ番組]]に、[[難病]]にかかったファンの女の子からの[[はがき|葉書]]がきて、「コンサートに行く前に自分は死んでいるだろう」という内容のもので南こうせつは涙ながらに励ましたという。後日その子の友達という人から葉書が来て、死が告げられたという。
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[[1975年]][[4月12日]]に[[学校法人共立女子学園|東京神田共立講堂]]で行われた解散コンサートを録音した音源に「わたしにもきかせて」という声が入ったということが、別のラジオ番組での放送でコンサートの音源を流したことで噂された。また、その声を逆回転して[[再生]]すると「わたしもそこにいきたかった」と聞こえることで、難病にかかったファンの女の子と照らし合わされ話題になった。しかし『[[奇跡体験!アンビリバボー]]』で、前日談での女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている。現在は[[コラムニスト]]の[[竹内義和]]がマスターを所有。
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[[稲川淳二]]の怪談ライブDVD『[[生き人形]]』で、南こうせつがこの[[磁気テープ|テープ]]を聴いた時の様子が語られている。
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2015年5月20日 (水) 02:53時点における版


かぐや姫(かぐやひめ)は、1970年代に活躍したフォークグループ。

神田川」や「赤ちょうちん」、「」などのヒット曲に加え、「なごり雪」や「22才の別れ」といった作品も生み出した。メンバーは、リーダーの南こうせつ(ギター)、山田パンダ(ベース)、伊勢正三(ギター)の3人で、それぞれが作詞・作曲およびリードボーカルを担当する。

略歴

1970年 - 南こうせつ森進一郎大島三平の3人で『南高節とかぐや姫』(第1期かぐや姫)としてデビュー。代表作は「酔いどれかぐや姫」など。よみうりテレビ全日本歌謡選手権』にも出場し4週勝ち抜いたが次の週の挑戦を辞退(ちなみに4週目勝ち抜きの放送回で、無名のプロ歌手の三谷謙が10週勝ち抜きのグランドチャンピオンを達成。三谷は芸名を「五木ひろし」に改め「よこはま・たそがれ」で4度目のデビューを果たし成功を遂げた)。シングル3枚とアルバム1枚を残し、1年間の活動ののち解散。「酔いどれかぐや姫」「変調田原坂」はオリコン100位以内に食い込む。なお「酔いどれかぐや姫」は準レギュラーとして出演していた『桂三枝さかさまショー』(よみうりテレビ)の番組中またはエンディングで3人が十二単(じゅうにひとえ)姿で演奏していたものである。「変調田原坂」からグループ名が『南こうせつとかぐや姫』に変更された。理由は南高節が「なんこうぶし」と読まれたためという説が有力である。

1971年 - 高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成。

1971年9月25日 - シングル「青春」で再デビュー。

1972年3月 - テレビアニメ「海のトリトン」(ABC)の主題歌として、シングル「海のトリトン」を『須藤リカ/南こうせつとかぐや姫』名義で発売。番組のオープニング(最初の6回まで)またはエンディング(7回以降)で、須藤リカとかぐや姫がこの曲を歌う実写映像が使われた。

1972年4月20日 - アルバム『はじめまして』発売。吉田拓郎らの協力を得て制作され、5万枚を売り上げる。

1973年9月 - シングル「神田川」を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。この年NHK紅白歌合戦に出場の話が来るが歌詞の中の『クレパス』が商標なので『クレヨン』に変更してくれといわれて拒否。このため出場を辞退した。「神田川」は後に東宝において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。

その次のシングルとして南こうせつが考えていたのは「22才の別れ」か「なごり雪」であったが、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた「赤ちょうちん」をリリース(この曲からグループ名を「かぐや姫」に変更)。その後も映画化の話が絡み「」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという[1]

1975年4月12日 - 東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを最後に解散。南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三はとして、音楽活動を継続する。最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』は、オリコンLPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。

1975年8月2日3日 - 再結成。吉田拓郎山本コウタローらとともに、静岡県掛川市で12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」を行い、5万人(警察発表では6万人)の観客を集める。南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風としても出演。

1978年4月 - アルバム『かぐや姫・今日』を発売し、期間限定の再結成。

1978年5月 - 再結成コンサートを全国で行う。パンダの誕生日(5月13日)には横浜スタジアムで行われた。この時の模様は1985年に『the KAGUYAHIME "Live "forever』としてLP化され、95年にCD化されている。

1980年6月29日 - 「木田高介・阿部晴彦追悼コンサート」(日比谷野外音楽堂)で再結成。

1985年7月27日~28日 - 「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT in つま恋」にて一夜限りの再結成。「人生は流行りステップ」・「僕の胸でおやすみ」・「なごり雪」を披露。

1999年8月8日 - 「南こうせつ サマーピクニック ドリーム」で再結成。これ以降、各自がソロ活動をしながらしばしば再結成することとなる。

1999年12月31日 - 同年のNHK紅白歌合戦に出演。「神田川」を披露。

2000年2001年 - 再結成コンサートツアー「ベスト・ドリーミン」を全国で行う。

2000年10月 - 新曲マキシシングル「青春の傷み」を発売。

2005年8月6日 - 戦後60年を記念して広島市で再結成コンサート「ヒロシマ60」を行う。

2006年8月 - 各メンバーの故郷である福岡県飯塚市(山田)と大分市(南・伊勢)で「ふるさとライブ」を行う。

2006年9月23日 - 吉田拓郎の呼びかけで再結成、静岡県掛川市で「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」を行う。9時間半のコンサートに、日本各地から35,000人のファンが集まった。

2013年 - 山田を除いた南と伊勢の二人で「ひめ風」としてコンサートを行う。

第1期かぐや姫ディスコグラフィー

シングル

アルバム

その他

レコード化はされていないが、出身地大分県のテレビ局OBS大分放送で放送される天気予報のジングルがある。スポンサーは地元酒造会社の八鹿酒造で、現在でも放送されており、大分県民には馴染み深い曲となっている。

第2期かぐや姫ディスコグラフィー

シングル

アルバム

かぐや姫解散コンサートで録音された声について

前日談 南こうせつが司会を務めていたラジオ番組に、難病にかかったファンの女の子からの葉書がきて、「コンサートに行く前に自分は死んでいるだろう」という内容のもので南こうせつは涙ながらに励ましたという。後日その子の友達という人から葉書が来て、死が告げられたという。

1975年4月12日東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを録音した音源に「わたしにもきかせて」という声が入ったということが、別のラジオ番組での放送でコンサートの音源を流したことで噂された。また、その声を逆回転して再生すると「わたしもそこにいきたかった」と聞こえることで、難病にかかったファンの女の子と照らし合わされ話題になった。しかし『奇跡体験!アンビリバボー』で、前日談での女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている。現在はコラムニスト竹内義和がマスターを所有。

稲川淳二の怪談ライブDVD『生き人形』で、南こうせつがこのテープを聴いた時の様子が語られている。


テンプレート:かぐや姫 (フォークグループ)

  1. 南こうせつ インタビュー