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2013年2月23日 (土) 15:53時点における版
団塊の世代(だんかいのせだい)は、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代、または第二次世界大戦直後に生まれた文化的思想的に共通している世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。第二次世界大戦後の日本の歩み特に経済成長を共にしており、またその突出した人口構成ゆえに良くも悪くも日本社会のありように多大な影響を及ぼしている世代である。
目次
定義
団塊の世代を指す定義は幾つかある。
人口論による厳密な定義としては、第一次ベビーブーム時代の1947年から1949年までの3年間に出生した世代を指す。この世代の年間出生数は250万人を超え、3年間の合計は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。人口面からの分類法であり、堺屋太一によるノジュールの訳語による語源の由来と密接に関係している。
「年は見れば分かるだろ」コンビニで年齢確認ボタンに腹立てレジ壊す(2013年1月)
大阪府立中非常勤講師(63)を現行犯逮捕
京都府警八幡署は2013年1月26日、コンビニのレジを壊したとして器物損壊の疑いで、大阪府枚方市立中学校の非常勤講師大櫃和好(63)を現行犯逮捕した。
26日午後4時35分ごろ、八幡市のコンビニで、女性店員にたばこ販売の年齢確認ボタンを押すよう求められたことに腹を立て、レジの液晶画面を素手で殴り破損させた。
大櫃は店員に「年は見れば分かるだろ」などとボタンを押すのを拒否。画面を壊したため店員が通報した。
概説
1940年(昭和15年)からの戦時中から、終戦直後の1946年(昭和21年)の期間には、「産めよ増やせよ運動」など日本政府によって人口増加政策が行われたが、以下の社会条件で出生人口が増加しなかった。
- 若い男性が徴兵によって軍事動員されていたため、婚姻数が減少したこと。
- 父親となる男性が不足していたこと。
- 配給制度となり、食料が不足していたこと。
- 日本本土空襲など戦災によって出産環境が悪化したこと。
第2次世界大戦中の社会条件の悪化で、出産による人口増加が抑制されていた。その反動として、この世代の父親となる明治末期生まれから大正生まれ(大正世代)が、第二次大戦終結に伴って復員したため、1940年代後半に婚姻をする男性が増加したことに伴い、出生人口の大幅な増加が発生した。
1948年(昭和23年)までは、一部の例外(強姦・姦通)を除き、一般的に産婦人科での避妊・中絶・不妊手術などの行為は、刑法で堕胎罪となり禁止されていた。1948年(昭和23年)に優生保護法によって限定的に容認して、さらに翌年の1949年(昭和24年)に同法は改正されて、「経済的な理由」での中絶も容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、1950年(昭和25年度)以降は出生率が低下していった。団塊の世代の母親までは、産婆による出産が主流であったが、昭和30年代には産婦人科医療による出産が主流となった。
このため日本においては、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)に生まれた人口が突出する結果となった。
作家の堺屋太一が通商産業省鉱山石炭局在籍時の1970年代前半に命名し、1976年(昭和51年)に発表した小説『団塊の世代』で、「団塊の世代」が日本社会に及ぼす大きな影響が一般社会にも認識された。アメリカ合衆国でも同様の現象が見られており、こちらは「ベビーブーマー」と呼ばれている。
連合国軍占領下の日本で誕生し、実の父親が戦死して母子家庭となった例や、本土空襲などの戦災体験がない世代である。また、昭和40年代にヒット曲となった「戦争を知らない子供たち」に象徴される「戦争を知らない世代」で「初の戦後(第二次世界大戦後)生まれ」である。また、この世代は親世代の文化(大日本帝国時代の戦前期の文化)を否定する風潮があり、ステレオタイプ的な陸軍悪玉論の普及、「ジャズは戦後文化」などの固定観念を持っているのも特徴である。
前後の世代
プレ団塊の世代
団塊の世代よりも数年前に生まれた世代を「プレ団塊の世代」と呼ぶ例がある。なお、1946年(昭和21年)生まれについては、第二次世界大戦後であるがベビーブーム前であるため、団塊の世代に含める例と、焼け跡世代や戦中生まれ世代に含める例がある。
ポスト団塊の世代
しらけ世代 も参照 団塊の世代よりも数年後(1950年代前半)に生まれた世代を「ポスト団塊の世代」と呼ぶ場合もある。ベビーブームの余波は1950年代前半まで続いており、2007年10月1日時点の人口を見ると、朝鮮戦争が始まった年に生まれた2007年(平成19年)に時点で57歳だった(1950年(昭和25年度生まれ))が209.2万人、連合国占領が終わった年に生まれた2007年(平成19年)の時点で55歳だった(1952年(昭和27年度生まれ))が182.9万人となっている。
成長過程
学齢期
団塊の世代はその膨大な人口のため、幼い頃から学校は1学年2桁のクラス数であり、50~60人学級で教室がすし詰め状態であってもなお教室不足を招くほどであった。また、その好むと好まざるにかかわらず、学校を主な舞台として競争を繰り広げた。
大学進学率は15%程度と低く、大半の高校卒業生は就職した。高校にさえ進学せず、中学卒業後すぐに就職する者も多かった。団塊の世代の大学受験事情について、経済的に貧しい時代で、裕福な家庭以外は地元の国公立大学進学を望む傾向が強く、国公立大学の競争率が高かった。また、団塊世代は人数が多いため「団塊の世代は受験戦争が激しかった」と評する者が多いが、大学進学率などから「それは必ずしも適切な評価とはいえない」とする者もいる。また女性の場合は、学力が高く経済的に余裕があっても「女に学問はいらない」という考え方が残っていた。教育的には1947年(昭和21年)に日本教職員組合が設立され、その濃厚な影響を受けた世代である。
青年期
地方農村の中学校・高等学校卒の若者は、高度経済成長期で働き口が豊富だった東京や大阪などの大都市へ集団就職した。彼らは「金の卵」と呼ばれ、工場や商店などといった中小零細企業で大勢雇われ日本経済の底を支えた。
高校から大学へ進学したインテリの若者たちは、既存社会体制への反発から所謂学生運動と呼ばれた大学改革や、安保闘争、ベトナム戦争反対の反体制運動に身を投じた。こうした動きは、都市部大学から地方大学へも広がり、全共闘運動などで日本政府や既成秩序に反発する新左翼的な活動へと転じていった。
しかし、1969年(昭和44年)に東大紛争が敗北に終わり、70年安保闘争も不調に終わると、多くの若者が学生運動から離れていき、追い込まれた過激派の暴力行為がエスカレートしていった。更にあさま山荘事件や党派の分裂による内ゲバやリンチの横行などで、それまで穏健な支持を与えていた世間の目が冷たくなると急速に学生運動離れが進み、1970年代半ばまでにほとんどの団塊若者は政治活動から距離を置くようになり、企業戦士に転向するものも多かった。
文化的側面から見れば、ファッションという概念が浸透し始めた世代であり、男性はジーンズ、女性はミニスカートを好んで装い、レジャーやドライブを好むなど、そのスタイルは現代に至るまで続く若者文化の基盤と呼べるものであった。この世代は、それまで絶対的なものとして意識されていた欧米(主にアメリカ合衆国)と東洋(日本)の文化の対立を相対化し、ごった煮にして双方を楽しもうとする多文化世代の先駆けとなった。
壮年期
1970年代(昭和45年)以降になると、結婚する男性(この時期は戦後の婚姻数の統計のピークだった)や子供を産む女性が徐々に増えてくる。第二次ベビーブーム時に生まれた子供のことが団塊ジュニアと呼ばれるため、団塊の世代の子供は真性団塊ジュニアと呼ばれている。真性団塊ジュニアという言葉を使うときは、団塊ジュニアのことを偽団塊ジュニアと呼ぶこともある。
従来の家制度の意識が薄れ、核家族による家庭指向が強く、見合い結婚と恋愛結婚が逆転した世代である(国立社会保障・人口問題研究所『第12回出生動向基本調査夫婦調査の結果概要』)。そのため、団塊の世代が親元から独立して家庭を持つようになると、著しい住宅不足となった。この対策として、大都市の近郊には数多くの核家族向けの近代的な団地が造成された。
また大手企業は、社員の福利厚生用に集合住宅タイプの社宅を構えた。その周辺に生活物資を売る商店が集まり、衛星都市と呼ばれる中都市ができた。これによって大都市を取り巻く都市圏は大きく広がり、それに伴う通勤通学のための交通網の整備が急がれ、鉄道の輸送力増強や新線建設、道路の新設や拡張が行われた。都市膨張の時代である。
結婚し、子供を儲けた後の団塊の世代はニューファミリー世代と呼ばれ、家庭に対してそれ以前の家父長的な価値観を持つ世代とは違う、自由な価値観を持っているとされた。
1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)のバブル景気時代には、団塊の世代は40歳前後の働き盛りとして社会の中核を担っており、企業で仕事に没頭するあまり家庭を顧みなくなった団塊男性も少なからず存在した。
中年期
昭和から平成に時代が変わった1991年(平成3年)になると、バブル崩壊とソ連崩壊に遭遇し、「社会主義の没落」「グローバル資本主義の席巻」の中で45歳から50代を迎えた。焼け跡世代を中心としてアメリカ型システムが無批判に礼賛された。しかし一方で、日本型年功序列制度に基づく中高年の高賃金が既得権益化していた影響で、バブル崩壊による就職氷河期に襲われていた子供世代は、不安定雇用労働者(プレカリアート)が増加した。
引退期・老年期
2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、2007年問題と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。2006年(平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が2009年(平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。
彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者やシニア海外ボランティアとして海外の発展途上国で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。
団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。
2006年(平成18年)の「改正高齢者雇用安定法」が施行された当時の60歳前後の団塊の世代が6年後の2012年(平成24年)に入ると65歳に到達しており、同世代が具体的に就業を終える可能性が高まる。このため2012年問題として、団塊世代の大量引退が再度話題に上がるようになり、労働力不足が懸念される。
政治との関連
新左翼へのシンパシー
団塊の世代の人々の人生は、日本の戦後史に符合するため、様々な戦後日本の事象に当てはめられる。1960年代後半における大学生やごく一部の高校生・浪人生らによる学生運動の隆盛に、団塊の世代が関連した事実は否定し得ない。しかし前述の通り、今日のように大学進学が一般的な選択肢ではなかった当時の大学進学率は15%弱に留まっており、当時の青年の多数派は高卒・中卒として学業より労働に従事していた人々である。
また、大学生もノンポリとして学生運動から距離を置いていた者の方が多く、新左翼の攻撃対象だった日本共産党を支持していた者、体育会系などを主体に体制側に立った者も少なからず存在している。したがって、全共闘世代という別称に代表されるイメージは適切とは言い難い。
無論、運動に直接参加せずとも運動への理解を示す風潮があったことは否めないが、それは当時の世間全体の風潮であり、この世代に限定されたものではない。
経済との関連
経済史
団塊の世代の就職時期は、中卒で1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)、高卒で1965年(昭和40年)から1968年(昭和43年)、大卒で1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)となる。団塊の世代の中卒のいわゆる「金の卵」が労働推進力となった時期は、高度経済成長期と重なり、最も人数が多かった高卒就職者は高度経済成長中期・末期と重なる。日本の高度成長期は1960年(昭和35年)-1990年(平成2年)であるが、この時期は団塊世代などによる日本の人口ボーナス期(労働力人口割合が増える時期)と重なっている。 なお、高度経済成長期に企業や政治のトップにいた世代は、佐藤栄作や桜田武などの1900年代生まれの世代である。
団塊の世代が中堅となって支えた時期は、世界の機関車時代と対米攻勢時代(30代)、バブル景気時代(40代初期)、バブル崩壊と失われた10年(40代中期から50代中期)である。世界の機関車時代と対米攻勢時代の時に企業や政治のトップにいた世代は戦中派世代(1920年代生まれ)であり、バブル景気の時代の時は焼け跡世代(1930年代生まれ)である。
巨大な消費市場
大きな人口構成で日本の経済大国化を担った団塊世代は、生産者としても消費者としても突出しており、良くも悪くもそのパワーで日本を世界第2位の経済大国に押し上げた。団塊の世代がひとたびある商品を志向すれば、その商品はたちまち大きなマーケットを形成した。「クルマ」や「家電」然り、「住宅」然りである。
日本の製造業にはトヨタやホンダ、ミサワホーム、ソニー、シャープ、NECなど、団塊の世代の加齢とともに成長した企業も多い。流通業においてはイトーヨーカドー・セブン-イレブン・ジャパン、ダイエー、セゾングループ、日本マクドナルドなどの企業が、団塊の世代の加齢と歩調を合わせるように大きな成長を遂げ、その後の世代の消費生活にも大きな影響を及ぼした要出典。
- 消費活動の主体として
- 企業からは、退職給付等による消費や健康で旺盛な消費意欲に対して、「団塊ビジネス」に期待が寄せられている。
- 2006年(平成18年)のアオキによるフタタのTOBは、団塊の世代の退職により紳士服、特にスーツ市場が縮小することを予想した戦略ではないかといわれた。
- 地域の担い手として
- 2005年(平成17年)頃から近年各地の地方自治体で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県において、県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。
しかし実際には、このような「団塊ビジネス」の多くはうまく進展しておらず、これについて後述するような偏った世代論に基づいてマーケティングを行っているためではないかとする意見がある。
年功序列・終身雇用
団塊の世代は年功序列、終身雇用が一般的だった時代を過ごし、これらの制度の下では上下関係や組織への忠誠心が重要視され、円滑な技能継承や離職率を低く抑える等、様々な面でうまく機能してきた。しかし冷戦終結後、グローバリズム競争に突入し、バブル崩壊後の年功序列、終身雇用制度の衰退に伴い、離職率の急上昇を引き起こし、若い世代は組織への忠誠心、年功序列、終身雇用という考えが少なくなり、上下関係の概念も自然と希薄になっている。
団塊以前の世代の中には、年功序列、終身雇用制度に守られ、立場と給与に見合った働きをしていない人間が多いとの指摘がある。出世コースから外れ、窓際族同然の立場でありながら、多忙な若手社員を遥かに上回る高給を得ている者も少なくないとされ、事務処理業務で1000万円程の収入がもらえるのは世界中でも過剰に保護された日本のこの世代だけ、との批判が根強い。
社会保障
団塊の世代の厚生年金の受給が2007年(平成19年)から始まっており、基礎年金の受給も2010年(平成22年)以降始まっている。さらに、2022年頃以降には後期高齢者となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。
また、現在の制度では年金給付水準の引き下げと保険料負担の引き上げが、長期にわたって毎年段階的に行われるため、団塊の世代の退職金・厚生年金はほぼ保障されるのに対して、2031年には厚生年金積立金が枯渇し、破綻するともいわれており、就職氷河期世代などからは先が見えないことから、現在のゆとり世代などの若い世代からその世代間不公平について寄せられる批判も多い。
文化との関連
文化的には村上春樹・宮本輝などの純文学の担い手を生み、赤川次郎・荒俣宏・北方謙三・菊地秀行ら娯楽的な小説の大家を輩出した。かわぐちかいじ・武論尊・本宮ひろ志・弘兼憲史・小山ゆう・植田まさし・聖悠紀・石川賢・安彦良和・大河原邦男、少女漫画界の24年組や池田理代子・一条ゆかり・大和和紀などが活躍し、1970年代以降の、漫画・アニメからなる新興文化(サブカルチャー)の隆盛を支えた人々である。
ビートルズ世代
音楽では10代にビートルズやその影響下で現れたグループ・サウンズの洗礼を受け、大学生はジャズ喫茶やゴーゴー喫茶を溜まり場にしてアングラ劇団を楽しむという青春だった。このためビートルズ世代とも呼ばれる(朝日新聞「どらく」)が、ほとんどの者はむしろグループサウンズの方を好み、ビートルズ・サウンドに触れていたのは少数派であったという。
エピソード
関連項目
外部リンク
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