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=== 社長・周防郁雄の経歴 ===
 
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代表取締役社長の[[周防郁雄]]は、[[小佐野賢治]]の雑巾がけをしていた[[浜田幸一]]の子分として運転手等をしていた。その後、[[新栄プロダクション]]で[[マネージャー]]業を勉強している。新栄と、当時の関東興行界を仕切っていた[[松葉会]]の[[木津政雄]]親分が、親密な関係だったことから松葉会の構成員だったとする噂もある。
 
代表取締役社長の[[周防郁雄]]は、[[小佐野賢治]]の雑巾がけをしていた[[浜田幸一]]の子分として運転手等をしていた。その後、[[新栄プロダクション]]で[[マネージャー]]業を勉強している。新栄と、当時の関東興行界を仕切っていた[[松葉会]]の[[木津政雄]]親分が、親密な関係だったことから松葉会の構成員だったとする噂もある。
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株式会社バーニングプロダクション代表取締役・株式会社[[オフィスプロペラ]]取締役・株式会社[[ファーンウッド]]取締役
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千葉県市原市出身 東京都港区赤坂在住
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* 昭和16年1月11日生れ
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* 昭和35年[[市川高校]]卒業、新栄プロダクションに入社
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* 昭和43年ホリプロダクションに転じ
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* 昭和46年バーニングプロダクションを設立代表取締役に就任す
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[[浜田幸一]]代議士の運転手をしていた周防郁雄は、千葉県館山の[[石井博]]が経営する大千葉建設で働いていた[[西川良次]]と知遇を得る。西川良次の実弟が西川興行社(現在の新栄プロダクション)を経営している[[西川幸男]]だと知り、芸能界への憧れが人一倍強かった周防は、良次に頼みこんで西川興行社に住み込み修業でもぐり込む。
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周防がバーニングプロダクションを設立したとき、新栄プロ時代の同僚であった鈴木照義が周防の手助けをするため入社した。新栄プロとバーニングで芸能界の人脈を得た鈴木は、現在、業界の祝儀・不祝儀の花を扱う会社「マル源」代表。西川幸男の運転手を周防氏から継いだ木村正明氏は、その後独立して、プロモーション会社「オフィスプロペラ」を設立した。
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周防郁雄が1970年11月に国際興行プロダクションを設立。スタッフは作曲家の聖川湧、日本コロムビアの文芸部長だった新鞍武千代、新栄プロダクションにいた鈴木照義。「国際興行プロダクション」という社名がすでに赤坂地区に存在していたのがわかり、所属歌手本郷直樹の曲「燃える恋人」から「バーニングプロダクション」と改称。
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=== バーニング帝国 ===
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周防は浜田幸一、北島三郎の運転手を務め、新栄プロ、ホリプロを渡り歩きながら力を付け、ハマコーとの関連から政界にも顔が利き、事件・事故のもみ消し、隠蔽を図ることができる。
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版権ビジネスに目を付け、所属アーティストのみならず「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」など初期のサザンオールスターズや小室哲哉作品、浜崎あゆみ、Every Little Thing、広瀬香美、melody.など楽曲の頒布権を所有。
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資金薄となったプロダクションに資金を提供し、その見返りに軍門に下らせる。系列となったプロダクションを番組、イベントなどにブッキングする代わりにギャラのマージンを大量に搾取するなどやりたい放題。
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また、マスコミ、政界にも顔が利くため、事件を起こしたタレントにその隠蔽を図る代償として、ギャラ、頒布権などを強奪する。
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批判記事を書いた媒体には、系列のタレントが出演してる企業のCMや広告を取り下げる(広告で成り立っている雑誌の収益をなくす)とオドし、徹底的に叩く。一方、自分たちを持ち上げる記事書く雑誌は優遇し、豪快な接待でもてなすというアメとムチを用いて、マスコミを懐柔する。
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バーニングプロダクション本体のタレント数は少ないが、系列に数多くのプロダクションがあり、日本の芸能プロダクションの実に7割が単純に数の上ではバーニング系ともいわれ、タレントはバータレと揶揄される。バーニング及びケイダッシュ系のタレントが主演するとそのドラマのキャスティングをバーニング系に埋め尽くされてしまう場合が多い。放送するテレビ局側のプロデューサーが出演者のキャスティングを決めるのではなく、高圧的にプロダクション側からタレントを押し付けられる。音事協所属。音事協の代理人を名乗る。所属事務所同士のつながりがある。
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業界で周防郁雄の名が知られるようになったのは、[[南沙織]]を引き抜いてからだ。
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タレントばかりじゃない。キャンディーズの担当をしていた渡辺プロの大里洋吉やホリプロの市村義文など、若くて優秀で、独立願望が強いマネージャーたちに金銭面で援助をして独立を促した。
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当時強大だった大手芸能プロダクションを人材面から切り崩すことに成功した。大手プロダクションの加盟する社団法人日本音楽事業者協会(音事協)では、いわゆる加盟社間での「引き抜き」を禁じている。バーニングは音事協加盟社だが、周防は、いまだに音事協に所属していない小さなプロダクションやモデル事務所に目をつけて、引き抜きをやっている。
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[[中山美穂]]を見つけて育ててきた社長は、「周防に中山美穂も会社も取られた」とぼやいている。バーニング商法の問題はここにある。バーニングは、小さなプロダクションを結果的に泣かせるようなことを繰り返し行っている。[[鈴木蘭々]]は本格的な歌手活動をするために心機一転を図りたかった。そんな折、周防社長と所属事務所ミナクルカンパニーの並木社長が話し合い、移籍が決まった。バーニングとは並木社長がジャニーズ事務所でマネージャーをしていたころからの付き合いで関係も深く、彼女の曲の権利もバーニングパブリッシャーズが所有していた。 とはいえ、育ててきた稼ぎ頭の鈴木蘭々の移籍だけに、社長はひどくショックを受けていた。
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=== 暴力団共生者 ===
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暴力団を本格的に芸能界に引き入れたのが周防だったと言われる。強いヤクザが大好きで、ケツモチを変遷させてきた。エコテック(旧・伸葉都市開発)を通じて億単位の投資した千葉県銚子市の産業廃棄物最終処分場設置計画事業が頓挫。
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周防郁雄の原風景は、千葉県木更津市の[[稲川会]][[三日月一家]]にある。バーニングプロのケツモチは、[[住吉会]]住吉一家大日本興行に始まり、五代目[[山口組]]健竜会、山口組宅見組、住吉会、稲川会三本杉一家、山口組[[後藤組]]と変遷してきた。現在は工藤會や山口組系の西(尼崎)の組織といわれている。周防のヤクザ好きは、救いようのない病気である。
  
 
=== 沿革 ===
 
=== 沿革 ===

2012年6月24日 (日) 01:56時点における版

株式会社バーニングプロダクション日本の有力な芸能事務所であり、バーニンググループの中核企業。トヨタ自動車三井物産新日本製鐵日本電信電話等と並び称される日本を代表する大企業である。実態は山口組周防組。警察からも企業舎弟として監視されている。

概要

社長・周防郁雄の経歴

代表取締役社長の周防郁雄は、小佐野賢治の雑巾がけをしていた浜田幸一の子分として運転手等をしていた。その後、新栄プロダクションマネージャー業を勉強している。新栄と、当時の関東興行界を仕切っていた松葉会木津政雄親分が、親密な関係だったことから松葉会の構成員だったとする噂もある。

株式会社バーニングプロダクション代表取締役・株式会社オフィスプロペラ取締役・株式会社ファーンウッド取締役

千葉県市原市出身 東京都港区赤坂在住

  • 昭和16年1月11日生れ
  • 昭和35年市川高校卒業、新栄プロダクションに入社
  • 昭和43年ホリプロダクションに転じ
  • 昭和46年バーニングプロダクションを設立代表取締役に就任す

浜田幸一代議士の運転手をしていた周防郁雄は、千葉県館山の石井博が経営する大千葉建設で働いていた西川良次と知遇を得る。西川良次の実弟が西川興行社(現在の新栄プロダクション)を経営している西川幸男だと知り、芸能界への憧れが人一倍強かった周防は、良次に頼みこんで西川興行社に住み込み修業でもぐり込む。

周防がバーニングプロダクションを設立したとき、新栄プロ時代の同僚であった鈴木照義が周防の手助けをするため入社した。新栄プロとバーニングで芸能界の人脈を得た鈴木は、現在、業界の祝儀・不祝儀の花を扱う会社「マル源」代表。西川幸男の運転手を周防氏から継いだ木村正明氏は、その後独立して、プロモーション会社「オフィスプロペラ」を設立した。

周防郁雄が1970年11月に国際興行プロダクションを設立。スタッフは作曲家の聖川湧、日本コロムビアの文芸部長だった新鞍武千代、新栄プロダクションにいた鈴木照義。「国際興行プロダクション」という社名がすでに赤坂地区に存在していたのがわかり、所属歌手本郷直樹の曲「燃える恋人」から「バーニングプロダクション」と改称。

バーニング帝国

周防は浜田幸一、北島三郎の運転手を務め、新栄プロ、ホリプロを渡り歩きながら力を付け、ハマコーとの関連から政界にも顔が利き、事件・事故のもみ消し、隠蔽を図ることができる。

版権ビジネスに目を付け、所属アーティストのみならず「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」など初期のサザンオールスターズや小室哲哉作品、浜崎あゆみ、Every Little Thing、広瀬香美、melody.など楽曲の頒布権を所有。

資金薄となったプロダクションに資金を提供し、その見返りに軍門に下らせる。系列となったプロダクションを番組、イベントなどにブッキングする代わりにギャラのマージンを大量に搾取するなどやりたい放題。

また、マスコミ、政界にも顔が利くため、事件を起こしたタレントにその隠蔽を図る代償として、ギャラ、頒布権などを強奪する。

批判記事を書いた媒体には、系列のタレントが出演してる企業のCMや広告を取り下げる(広告で成り立っている雑誌の収益をなくす)とオドし、徹底的に叩く。一方、自分たちを持ち上げる記事書く雑誌は優遇し、豪快な接待でもてなすというアメとムチを用いて、マスコミを懐柔する。

バーニングプロダクション本体のタレント数は少ないが、系列に数多くのプロダクションがあり、日本の芸能プロダクションの実に7割が単純に数の上ではバーニング系ともいわれ、タレントはバータレと揶揄される。バーニング及びケイダッシュ系のタレントが主演するとそのドラマのキャスティングをバーニング系に埋め尽くされてしまう場合が多い。放送するテレビ局側のプロデューサーが出演者のキャスティングを決めるのではなく、高圧的にプロダクション側からタレントを押し付けられる。音事協所属。音事協の代理人を名乗る。所属事務所同士のつながりがある。

業界で周防郁雄の名が知られるようになったのは、南沙織を引き抜いてからだ。

タレントばかりじゃない。キャンディーズの担当をしていた渡辺プロの大里洋吉やホリプロの市村義文など、若くて優秀で、独立願望が強いマネージャーたちに金銭面で援助をして独立を促した。

当時強大だった大手芸能プロダクションを人材面から切り崩すことに成功した。大手プロダクションの加盟する社団法人日本音楽事業者協会(音事協)では、いわゆる加盟社間での「引き抜き」を禁じている。バーニングは音事協加盟社だが、周防は、いまだに音事協に所属していない小さなプロダクションやモデル事務所に目をつけて、引き抜きをやっている。

中山美穂を見つけて育ててきた社長は、「周防に中山美穂も会社も取られた」とぼやいている。バーニング商法の問題はここにある。バーニングは、小さなプロダクションを結果的に泣かせるようなことを繰り返し行っている。鈴木蘭々は本格的な歌手活動をするために心機一転を図りたかった。そんな折、周防社長と所属事務所ミナクルカンパニーの並木社長が話し合い、移籍が決まった。バーニングとは並木社長がジャニーズ事務所でマネージャーをしていたころからの付き合いで関係も深く、彼女の曲の権利もバーニングパブリッシャーズが所有していた。 とはいえ、育ててきた稼ぎ頭の鈴木蘭々の移籍だけに、社長はひどくショックを受けていた。

暴力団共生者

暴力団を本格的に芸能界に引き入れたのが周防だったと言われる。強いヤクザが大好きで、ケツモチを変遷させてきた。エコテック(旧・伸葉都市開発)を通じて億単位の投資した千葉県銚子市の産業廃棄物最終処分場設置計画事業が頓挫。

周防郁雄の原風景は、千葉県木更津市の稲川会三日月一家にある。バーニングプロのケツモチは、住吉会住吉一家大日本興行に始まり、五代目山口組健竜会、山口組宅見組、住吉会、稲川会三本杉一家、山口組後藤組と変遷してきた。現在は工藤會や山口組系の西(尼崎)の組織といわれている。周防のヤクザ好きは、救いようのない病気である。

沿革

1970年に国際興行プロダクションとして設立され、1971年、当時所属していた歌手・本郷直樹のヒット曲『燃える恋人』にちなんで現在の社名に変更。本社は東京都港区にある。かつては南沙織細川たかし高田みづえ渡辺美奈代松雪泰子水野美紀なども所属していた。

事務所の影響力と封建的な文化

今やバーニングプロダクションは吉本興業ジャニーズ事務所研音ホリプロ長良プロダクション、そしてバーニングの盟友であるケイダッシュと並び、芸能マスコミからは「最大のタブー」とされ、業界大手であり巨大な圧力・勢力を誇っている。

それは、小池徹平ウエンツ瑛士郷ひろみ小泉今日子稲森いずみ内田有紀松方弘樹島谷ひとみなどの人気タレントが数多く所属している事や、傘下の芸能プロダクションなどで構成されるバーニンググループが多くの人気タレントを抱えていること、社長の周防郁雄が政財界等にパイプがある事に起因している。

所属するタレントとバーニンググループのプロダクションの所属するタレントの離反に対しては、テレビ局等に徹底的に起用しないように頼み込み、更に容赦なく仕事を干す。多くの場合はそれで芸能界から注目されなくなるが、それに耐え抜いて、人気が低迷した後に苦労して再び人気が出たタレントもいる。但し、高田みづえ松雪泰子の様に引退・円満により退社したタレントや細川たかし渡辺美奈代石野真子の様にバーニンググループ内の傘下のプロダクションに移籍したタレントは別である。

ドンの息子・周防彰悟

周防彰悟は、千葉県木更津市にある暁星国際高校を中退し、ダイヤルQ2にはまっていた、いわゆるバカボン。親の七光りで事務所経営から、ASAYAN系のアーティストのプロディースをしていたが、しばしばタレントに手を出すことで問題を起こす。

その何人かは急激な痩せ方をした後、芸能界休業または引退している

  • 芸能界にデビューする前から知り合いだった加藤あい
  • 後に野球選手と不倫の末に結婚した榎本加奈子
  • グラビアで人気が出てこれからという時に引退した中島礼香

中島礼香を「生きダッチワイフ」に

中島礼香の所属事務所は、 バーニングプロの直系の事務所(バーニングパブリッシャーズが所有してるビルに入居。一階は一口餃子「点天」)だから口を出せずにいて、そのかわり事務所が経営している養成所の資金を全部払ってもらっていた。ここまではよくある話。

しかし、その後がいけなかった。

彰悟は西麻布で礼香にシャブの味を教えてしまい結果、激ヤセ。胸の谷間を作るのに、5時間もかかったのは有名な話。末期には、お菓子のチョココロネに「チョココロネさん、私に食べられちゃいますよ~。」 って話かけていた。

重くみた所属事務所は実家に送り返し、名古屋で現在、療養中。CMの契約がまだ残っているため、正式に引退表明はできなかったが、復帰困難となった。グラビア界ではこの話はタブーになっている。

周防彰悟に妊娠させられ、中絶を迫られて精神不安定となり、それ以前にクスリを覚えさせられて、ひどい中毒状態となっていた。

「“芸能界のドン”も、ドラ息子にお手上げ!?」やりたい放題ご乱行ジュニアの横顔

“芸能界のドン”として知られるバーニングプロダクション周防郁雄社長の長男で、関連会社社長・周防彰悟氏の“恐喝トラブル”について、「週刊新潮」(新潮社)6月14日号が報じている。

同誌は、彰悟氏からレイプ被害に遭ったと主張する女性が勤務していた芸能プロの元社長と、彰悟氏が対峙している写真を掲載。記事によると、トラブルについて1時間以上の話し合いが行われたが、結局、物別れに終わったとされている。

彰悟氏はその女性が主張する被害について「事実無根というほかありません」とコメントしているが、元社長と彰悟氏の父・郁雄社長の間で数千万円にも及ぶ現金のやりとりが発生する可能性も出てきているという。

芸能界では泣く子も黙る“ドン”郁雄社長だが、息子の彰悟氏だけにはとことん甘く、このようなトラブルの種は常にくすぶっていたようだ。

「彰悟氏は、離婚した前妻との間にもうけた子どもで、周防氏から溺愛されている。コワモテで知られる周防氏が、なんの躊躇もなく至るところで『彰悟クン』と呼んでいるほど。彰悟氏が現在そのイスに座る関連会社社長の職は、以前はバーニングの古参幹部が務めていたが、その幹部を降格させてまで彰悟氏を据えた。周防氏は自分の後継者を彰悟氏にしようと、社長をやらせて“帝王学”を学ばせているらしいのだが……」(芸能プロ幹部)

彰悟氏は以前から「音楽プロデューサー」を名乗り、これまでshela、SINBAなど自らのイニシャルの頭文字である「S」で始まる複数の女性アーティストをプロデュースしているが、周囲からいわせると父親の威光を借りた典型的なボンボン体質だというのだ。

「洋服からアクセサリーまで全身ブランドもので固め、愛車は高級外車。若いころから六本木や銀座の高級クラブの常連だった。音楽プロデューサーをしながら、2004年には100キロ近くあった体重を70キロ近くまで絞り、レースに挑戦。しかし、すぐに飽きてしまったようだ。プライベートでは4歳年上の女性と結婚し子どももいたが、裁判を経て離婚。ところがそれに懲りることなく、昨年末、通っていた都内某所の韓国クラブのホステスと再婚。新婚にもかかわらず、女性トラブルに見舞われてしまった。過去には、バーニング系列の事務所に所属していた人気グラドル・中島礼香に手を出した揚げ句、中島が精神的に病んで芸能界を引退したこともあったし、その手のトラブルの話はよく聞く。しかし父親が“介入”し、すべて揉み消されてきた。ハッキリいってかなりの問題児で、“芸能界のドン”の後継者は荷が重すぎる」(週刊誌記者)

音楽プロデューサーとしての「裏方」で満足できなかったのか、2005年には自身が参加してギターを担当した男女3人ユニット「sunny-side up」を結成。メンバーを入れ替えた2007年には新曲「egg one」の発売に当たって大々的なプロモーションを行い、自身のインディーズレーベルから発売。カップリング曲にもことごとくタイアップをつけるなど、まさにやりたい放題だった。これまで勝手気ままに芸能界を謳歌してきたが、ここにきて、もはや周防氏ですらかばいきれないレベルのトラブルに巻き込まれてしまったようだ。

いずれにせよ、このトラブルがどういう形で決着するのか、今後の成り行きが注目される。

バーニンググループ

バーニンググループを参照。

所属タレント

過去に所属していたタレント

事務所に銃弾

2001年5月9日、バーニングプロダクションの窓ガラスに銃弾が撃ち込まれたことが発覚。警視庁赤坂署に匿名で110番通報があり、それぞれ銃弾2発が撃ち込まれていた。しかし、スタッフは警察に届け出をしなかった。

10月8日にまた、窓ガラスに銃弾が撃ち込まれていた。警視庁捜査4課の現場検証の結果、38口径の回転式銃の銃弾とわかった。これらは新聞テレビなどのマスコミもほとんど報道をしなかった。

AKB48との関係

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関連企業

関連項目

外部リンク

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