「中井洽」の版間の差分
細 (rxy=森谷辰也=LTA:ASPE、 LTA:DCHANCE、LTA:SASHOという動かせない事実。) |
|||
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
− | + | '''中井 洽'''(なかい ひろし、[[1942年]][[6月10日]] - [[2017年]][[4月22日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]](11期)。父は元衆議院議員[[中井徳次郎]]。 | |
[[国家公安委員会委員長]](第[[鳩山由紀夫内閣|81]]・[[菅内閣|82]]代)、[[内閣府]][[特命担当大臣]]([[防災担当大臣|防災担当]])、[[民社党]]副委員長、[[法務大臣]]([[羽田内閣|第54代]])、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]副代表、[[民主党]]副代表などを歴任した。 | [[国家公安委員会委員長]](第[[鳩山由紀夫内閣|81]]・[[菅内閣|82]]代)、[[内閣府]][[特命担当大臣]]([[防災担当大臣|防災担当]])、[[民社党]]副委員長、[[法務大臣]]([[羽田内閣|第54代]])、[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]副代表、[[民主党]]副代表などを歴任した。 | ||
192行目: | 192行目: | ||
[[Category:満州国出身の人物]] | [[Category:満州国出身の人物]] | ||
[[Category:1942年生]] | [[Category:1942年生]] | ||
+ | [[Category:2017年没]] |
2021年12月28日 (火) 22:57時点における最新版
中井 洽(なかい ひろし、1942年6月10日 - 2017年4月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。父は元衆議院議員中井徳次郎。
国家公安委員会委員長(第81・82代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)、民社党副委員長、法務大臣(第54代)、自由党副代表、民主党副代表などを歴任した。
目次
概要[編集]
生い立ち[編集]
満州国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。戦後、三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園、上野市立西小学校、上野市立崇広中学校を経て、東京へ父と引越して東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業した。
日本社会党の衆議院議員だった父の中井徳次郎の秘書を務めた。社会党右派の徳次郎が、社会党左派の執行部と対立して離党するのにともない父子で社会党を離党した。第33回衆議院議員総選挙において日本社会党は左派の田口一男を公認し、中井は無所属で立候補したが落選した。選挙戦で民社党の支援を受けたので民社党に入党し、第34回衆議院議員総選挙に旧三重県第1区より立候補し、34歳で初当選した。
民社党[編集]
中選挙区時代にはトップ当選が無く、選挙は全て4位ないしは5位の、当落線上での辛勝であった(小選挙区制導入後も、ベテラン議員ながら5回の選挙のうち3回は比例復活で当選)。第38回衆議院議員総選挙では落選したものの、続く第39回衆議院議員総選挙、第40回衆議院議員総選挙(日本新党の推薦)では当選を果たした。第40回選挙後、衆議院の商工委員会にて委員長に就任した。翌1994年(平成6年)、羽田内閣にて法務大臣に任命された。法務大臣として麻薬の使用を理由にキリンカップサッカーアルゼンチン代表であったディエゴ・マラドーナの入国を拒否、その結果アルゼンチン代表チームは出場をキャンセルした。同年12月、民社党が解党し新進党が結成されることになり、新進党の結党に参加した。
新進党[編集]
新進党結党後の第41回衆議院議員総選挙では、三重県第1区より立候補し当選した。この選挙以降、自由民主党の川崎二郎と三重県第1区の議席を争っている。1997年(平成9年)、新進党が解散した。中井は小沢一郎らとともに自由党を結党した。
自由党[編集]
衆議院の国会等の移転に関する特別委員会にて委員長に就任した。しかし、第42回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選し、比例区で救済され当選した。自由党では副代表も務めたが、同党が民主党に合流(民由合併)することになり、中井も民主党に入党した。
民主党[編集]
民主党では副代表に就任した。2006年(平成18年)には常任幹事会議長に就任し、2007年(平成19年)まで務める。その間の第43回衆議院議員選挙、第44回衆議院議員選挙では、いずれも三重県第1区で自民党の川崎二郎に敗れ落選し、重複立候補していた比例東海ブロックで復活。第45回衆議院議員選挙では三重1区で川崎を破り、当選した。この選挙により民主党が与党となり、鳩山由紀夫内閣にて国家公安委員会委員長に就任した。同時に「北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当することになった(拉致問題担当)。また、前原誠司の退任にともない、2010年(平成22年)1月12日に内閣府特命担当大臣(防災担当)に就任した。
なお、中井は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の会長代行を務めていた。しかし、拉致問題担当相に就任以来2010年(平成22年)1月6日現在まで、一度も所管の拉致問題対策本部事務局に顔を出していないことが判明している。
2月の東アジアサッカー選手権に出場予定だった北朝鮮女子代表チームへのビザ発給に一時反対、北朝鮮チームは参加辞退を表明した。2010年(平成22年)に民団の会合で外国人参政権を推進していく立場を明らかにした。2010年4月に実施予定の「高校無償化」をめぐり、朝鮮学校を対象から除外するよう文部科学大臣川端達夫に要請した。2010年(平成22年)4月、来日中の元朝鮮労働党書記・黄長燁と会談した。
6月発足の菅内閣では、国家公安委員会委員長と内閣府特命担当大臣(防災担当)に再任された。7月6日、大相撲野球賭博問題に関連し「テレビに出るのは熱心だが捜査には言を左右にしている」と警察の捜査に協力しない相撲関係者を指弾。暴力団との関係遮断の取り組みについて「名古屋場所が済めばしまい、という一過性のものではない」と述べた。それをさかのぼる6月21日、すなわち野球賭博問題で日本相撲協会が特別調査委員会を設置した日の夜に、日本大学の田中英壽理事長が懇意にしている神楽坂の料亭で、田中理事長、相撲協会の武蔵川理事長の3人で会談していたことが週刊文春で報じられた。これに対し中井は7月15日、報道内容を否定した。7月20日、来日した金賢姫と面会した。
9月、菅改造内閣発足により国家公安委員長を退任。農林水産大臣に起用された鹿野道彦に代わり、衆議院予算委員長に就任した。
主な出来事[編集]
光熱水費の違法支出問題[編集]
2007年(平成19年)3月、光熱水費(「電気、ガス、水の使用料」と規定)がかからない議員会館に置いた、資金管理団体の主たる事務所で3年間に計約1070万円の光熱水費を架空支出したことが発覚した。国会では松岡利勝農相(当時)の、議員会館での光熱水費問題が国会で追及されている真っ最中で、当初は党内や野党から松岡大臣を追求できなくなると不満の声も挙がった。しかし、すべて領収証が残っていて架空支出ではなかったことや、直に別の支出であったことを認める記者会見を本人が開いたことにより、すぐにこの騒動は収まった。
週刊新潮が報じた女性スキャンダル問題[編集]
2010年(平成22年)1月29日、政界関係者と思われる男性といわゆる「白タク」の可能性が濃厚とされる車を利用した。またSPを外して30歳以上年の離れた銀座のホステスと連日のようにデートを重ねており、3月9日と14日には路上で目をつぶってホステスと顔を密着させているところを写真に撮られ、週刊新潮に掲載された。ホステスは、議員宿舎のカードキーを使ってたびたび赤坂議員宿舎に入っていた。赤坂議員宿舎に住むある議員によると、カードキーの交付はかなり厳格で、申請の際には使用者の名前を登録しなければならないといい、中井が規則に違反してカードキーを貸与した可能性もある。3月14日午後5時過ぎには震度5弱の福島沖地震が発生したが、そのとき中井はホステスとともに映画館におり、映画館を出た後も引き続き2人で整体院、焼肉店、コンビニ、カラオケスナック、議員宿舎へと移動、地震発生にもかかわらず防災担当相として何らの対応も取らなかった。
これに対し中井は「独身なので、不倫ではない」とした上で(後述のように1998年に妻が死去している)、路上キスについて「人生で、路上で女性とキスしたことは一回もない」と述べ、写真はキスと見えるような角度で意図的に撮られたとの認識を示した。
また白タクについては「勝手に店が用意した」と白タクと認識せずに利用したとコメントし、カードキーを使ってホステスが赤坂議員宿舎に入ったことについては「女性とは6年ぐらいのつきあい。掃除のおばさんの代わり。カードキー(の管理)について規則などはない」などと釈明した。衆議院事務局管理課議員宿舎係によると、カードキーは議員に貸与され、使用者を届け出る必要はないというが、議員宿舎には「利用は、議員及び議員と同居する家族などに限る」との入居基準がある。福島沖地震については、いったん映画館の外に出て秘書官と連絡を取り合ったと説明。「第一報で被害はなく、その後も秘書官から連絡はなかった」と対応に問題はなかったとの認識を示した。
警察庁関係者によると、問題が表沙汰になったあと中井は、自分には「4人女がいる」が、そのうち1人だけを特別扱いしていたことがばれてしまい「他の女に会いづらくなってしまった」と語ったという。
外国のサッカー代表チームの入国を2度に渡って断念させる[編集]
上(#民社党・#民主党)でも述べられているが、過去2度の大臣経験に際し、2度とも、外国のサッカー代表チームの入国を断念させる結果に関わっている。1度目が1994年(平成6年)に羽田内閣で法務大臣としてアルゼンチン代表チームを、2度目が2010年(平成22年)に鳩山由紀夫内閣で国家公安委員会委員長として北朝鮮女子代表チームを、それぞれ日本で開催される日本代表チームとも対戦する予定だった大会への参加を断念させた。
金賢姫の来日時の対応[編集]
2010年(平成22年)7月20日、大韓航空機爆破事件の実行犯の主要人物であり、日本人拉致事件の情報を持っているとされる金賢姫が来日し、中井はその対応の指揮を取った。しかし、中井は金賢姫を国賓を超えるほどに厚遇しながら、重要な情報を一切引き出せなかった。金元工作員の記者会見さえ行われなかったため、拉致被害者家族からは批判の声も上がった。
金賢姫の招請費は3000万円を超えるとも言われ、批判が出ているが、中井はその批判に対して「『テロリストを入国させるな』というなら韓国を責めればいいじゃないか」と発言している。 22日、金賢姫は軽井沢から都内のホテルに移動する際、調布飛行場でヘリコプターをチャーター。ヘリは方向違いの江ノ島上空まで行き、横浜を通り江東区のヘリポートに到着した。チャーター代は1時間80万円とされる。また、ヘリコプターは10分で行くことのできる距離を40分かけて移動した。当初、中井はヘリコプターを使用したのは警備のためだと主張していたが、24日には。「可能なら、(日本を)見せてやりたかったですよ。彼女は(今後)一生、外国に出られないかも知れないでしょう!」と、遊覧目的が含まれていたことを認めた。
なお、この「遊覧飛行」では、米陸軍横浜ノースドック、航空自衛隊厚木基地、米陸軍キャンプ座間、米陸軍相模総合補給廠近辺を飛んでいる。
特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は、「ヘリコプターの遊覧飛行は話にならない」と憤りを隠さなかった。また、荒木は中井に失踪者の写真などを元工作員に確認してもらいたいと要望したが、中井は断った。荒木は「政府が失踪者の写真も見せず、一緒にのんびり食事をしているのは本当に許されるのか。憤りを感じる」と非難した。なお荒木はかつて、中井が所属した民社党の本部事務局に勤務していた。
中井は2010年(平成22年)8月3日の衆院予算委員会で「金元工作員や韓国側から観光旅行を要請された」と答弁したが、韓国の国家情報院は「韓国政府が要請した事実はない」と読売新聞の取材で明らかにした。なお、韓国は「日本訪問中に観光をしたい」という金元工作員本人の希望は日本政府に伝えていた。韓国では、もともと大韓航空機爆破事件の遺族から金元工作員の特別待遇に不満が出されており、この中井の発言は「責任転嫁」だとする批判が高まっている。韓国政府は、外交ルートを通じて、中井の発言の経緯について説明を求めている。
産経新聞が1928人に対して行った調査によれば、「金元工作員来日を含め、政府の拉致問題への対応を評価する」は1割にも満たず、「金元工作員の来日のようなことに税金を使うことは妥当」は1割台だった。「みっともないパフォーマンス」との意見もあった。中井自身は、金賢姫の来日について「100点満点で120点ぐらい」と自賛している。
皇族への不敬発言疑惑[編集]
2010年11月30日、自由民主党の逢沢一郎国対委員長やみんなの党の桜内文城が、11月29日におこなわれた議会開設120年記念式典において秋篠宮・紀子夫妻が天皇・皇后夫妻の入場を起立して待っていたことに対し、民主党議員が野次を飛ばしたとして、名指しは避けながらも批判をおこなったことが報じられた。産経新聞は同日中に、野次を飛ばしたとされる議員が中井だった旨を報じた。
中井は11月30日、産経新聞の取材に対し、「『早く座らないとだれも座れないよ』と言ったかもしれないが、秋篠宮さまに向けて言うはずがない。副議長らに言った」と反論し、翌12月1日には、国会内において記者団に「隣の人としゃべっただけだ。(着席されるよう)『宮様に伝えていないのかね』と申しあげた」と述べた。また、「秋篠宮さまがお入りになってから遅刻したやつが十数人いたぞ。いくらでもあるぜ」との発言も報道された。
民主党側も「『立たせていてはご夫妻に失礼ではないか』と言った」としている。民主党内では岡田克也幹事長が、「私が知る限り、野次ったとか、そういうことではなかった」「10列ぐらい後ろにいたが、中井氏の声が響き渡ったとか、そういうことではない」と述べる一方で、中井について「国会議員を務めていることに無理がある」との指摘もなされた。
自由民主党は「懲罰の対象になりうる著しく品を欠く発言だ」と批判し、みんなの党の渡辺喜美代表も、「まずは中井氏が土下座しておわびをすべきだ」と述べた。
また、デヴィ・スカルノは「ここまで品性下劣だったとは」など中井を非難するコメントをブログに掲載した。
人物[編集]
- 身長177cm 体重82kg 血液型A型。
- 弟は、大蔵省銀行局審議官、国際局次長、財政金融研究所長などを務めた中井省。
- 子供(息子)がいるが世襲議員として継がせない方針を表明している。
- 1998年(平成10年)4月に妻が自殺している。妻の自殺について、中井家に約20年勤めたというお手伝いの女性は、嫁姑の関係に理由があったのではと推測しており、中井の元秘書は、妻は中井の遊び癖に悩み、地元事務所の職員などに相談したりもしていたと言っている。1991年(平成3年)まで義父である徳次郎の介護を床ずれ一つしないほど懸命にしていたが、すべてが無駄となった失望感から地元事務所で「私の人生何だったの」と言っていた。いっぽうで妻の戒名には「洽」の文字が使用され、中井は供養や年忌を欠かさず行っているという。
- 高校では田勢康弘の2年先輩にあたる。
- 新進党以来小沢一郎と行動を共にしてきた、所謂小沢の側近の一人である。
- 女系天皇を容認する皇室典範の改正に反対している。
- 外国人参政権導入の積極的な推進派である。
発言[編集]
- 2010年(平成22年)1月12日 - 東京都内で開かれた在日本大韓民国民団(民団)中央本部の新年会において、「立派な(永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する)法案を作って今国会で成立させ日韓友好を増進させたい」と発言。
- 2010年(平成22年)1月19日 - 小沢一郎の秘書を逮捕した東京地検特捜部に対して、「特捜部にも説明責任」「何を考え執行したかよく分からない」と述べた。1月22日には足利事件に関連して、「今の自白中心の捜査と捜査当局から一方的にリークされる記事しか書かないマスコミという中では、冤罪被害はこれからも出ると思う」と発言した。
- 2010年(平成22年)2月20日、水戸市での会合で、福島瑞穂消費者相と亀井静香金融・郵政改革相が頻繁に発言していることに触れ、「党の大きさに合わせもうちょっとおとなしくしてくれたらいいのになと思っている」と発言した。
- 2010年(平成22年)8月20日 - 霞が関の官庁街を訪れた子供たちから、「拉致問題で私たちに何ができますか」と質問され、横田めぐみの拉致事案について説明。「めぐみさんは高校生の時、仕事帰りに拉致されたが…」と述べたが、実際には13歳(中学1年生)だった1977年(昭和52年)11月、新潟市内で学校からの下校途中に拉致されている。
- 2010年(平成22年)11月1日 - 尖閣諸島中国漁船衝突事件で海上保安庁が撮影したビデオ映像を視聴した後、「国政調査権という特別の権限をもって取り寄せたのだから、国会に提出されたビデオを一般公開することはまったくルール違反になる」との考えを示した。
- 2010年(平成22年)11月29日 - 議会開設120年記念式典で、来賓の秋篠宮夫妻に対し不適切発言をおこなったと報じられた。詳細は上記参照。
略歴[編集]
- 1963年 - 中井徳次郎秘書。
- 1972年4月 - 日本社会党離党。
- 1972年4月 - 衆議院議員選挙落選。
- 1975年6月 - 民社党入党。
- 1976年12月 - 衆議院議員選挙当選。
- 1986年7月 - 衆議院議員選挙落選。
- 1990年2月 - 衆議院議員選挙(5期)。
- 1993年7月 - 衆議院議員選挙当選(6期)。
- 1993年8月 - 衆議院商工委員長。
- 1994年5月 - 法務大臣。在任期間が短かったため、死刑執行起案書はまわってこなかった。
- 1994年12月 - 新進党参加。
- 1996年10月 - 衆議院議員選挙当選(7期)。
- 1997年12月 - 自由党参加。
- 2000年1月 - 衆議院国会等の移転に関する特別委員長。
- 2000年6月 - 衆議院議員選挙当選(8期)。
- 2002年10月 - 自由党副代表。
- 2003年9月 - 民主党入党。
- 2003年11月 - 衆議院議員選挙当選(9期)。
- 2003年12月 - 民主党副代表。
- 2005年9月 - 衆議院議員選挙当選(10期)。
- 2006年9月 - 民主党常任幹事会議長。
- 2007年8月 - 民主党常任幹事会議長。
- 2009年8月 - 衆議院議員選挙当選(11期)。
- 2009年9月 - 国家公安委員会委員長。
- 2010年1月 - 内閣府特命担当大臣(防災担当)
賞歴[編集]
- 2005年7月 - 永年在職議員表彰(25年)。
主な所属議員連盟[編集]
- 日韓議員連盟
- 日華議員連盟
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- 米消費拡大・純米酒推進議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会
脚注[編集]
関連項目[編集]
官職 | ||
---|---|---|
先代: | 特命担当大臣(防災) 2010年
|
次代: |
先代: | 国家公安委員会委員長 第81・82代:2009年 - 2010年
|
次代: |
先代: | 法務大臣 第54代:1994年
|
次代: |
議会 | ||
先代: | 衆議院予算委員長 2010年 -
|
次代: 現職
|
歴代の法務大臣 |
---|
法務大臣(中央省庁再編前) |
木村篤太郎 - 犬養健 - 加藤鐐五郎 - 小原直 - 花村四郎 - 牧野良三 - (石橋湛山) - 中村梅吉 - 唐沢俊樹 - 愛知揆一 - 井野碩哉 - 小島徹三 - 植木庚子郎 - 中垣國男 - 賀屋興宣 - 高橋等 - 石井光次郎 - 田中伊三次 - 赤間文三 - 西郷吉之助 - 小林武治 - 秋田大助 - 植木庚子郎 - 前尾繁三郎 - 郡祐一 - 田中伊三次 - 中村梅吉 - 浜野清吾 - 稲葉修 - 福田一 - 瀬戸山三男 - 古井喜実 - 倉石忠雄 - 奥野誠亮 - 坂田道太 - 秦野章 - 住栄作 - 嶋崎均 - 鈴木省吾 - 遠藤要 - 林田悠紀夫 - 長谷川峻 - 高辻正己 - 谷川和穂 - 後藤正夫 - 長谷川信 - 梶山静六 - 左藤恵 - 田原隆 - 後藤田正晴 - 三ヶ月章 - (羽田孜) - 永野茂門 - 中井洽 - 前田勲男 - 田沢智治 - 宮澤弘 - 長尾立子 - 松浦功 - 下稲葉耕吉 - 中村正三郎 - 陣内孝雄 - 臼井日出男 - 保岡興治 - 高村正彦 |
法務大臣(中央省庁再編後) |
高村正彦 - 森山眞弓 - 野沢太三 - 南野知惠子 - 杉浦正健 - 長勢甚遠 - 鳩山邦夫 |