吉竹史
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吉竹 史(よしたけ ふみ、1984年7月4日 - )は、毎日放送(MBS)所属のアナウンサー。血液型はB型。
来歴[編集]
福岡県久留米市に二人姉妹の二女として生まれる。福岡女学院中学校・高等学校から女子美術大学芸術学部卒業後、2007年に入社。同期入社のアナウンサーは、鈴木健太と河本光正。
MBSで、美術大学出身者のアナウンサーは吉竹が初めてである。
人物・エピソード[編集]
- 身長163センチ、股下は76センチであることが『ちちんぷいぷい』のコーナーで分かった。
- 小学生の頃、七夕の短冊に「PUFFYになりたい」と書いたことを『うたぐみ』で語っている。
- 出身高校のサイトで制服のモデルになっている。
- 趣味はエビを育てること。
- 特技はガス溶接。MBSテレビで初めてレギュラーを務めた『よゐこのワケアリ』でも、その腕前を披露している。また、先輩アナウンサー・河田直也が『ちちんぷいぷい』の特別企画「河田直也の60日間ほぼ世界一周 昔の人は偉かったザ・ワールド」で海外に渡航した期間(2011年7~9月)には、初心者同然の腕前ながら滞在先ごとに水彩画での風景描写を課せられた河田に対して随時描き方のアドバイスを送っていた。
- 『よゐこ部』のロケ(美術部・似顔絵モデル探し)でアナウンス部にやってきた際は、よゐこの悪戯(座席表の紙にいたずら書きしたり、有野がたまたまいた西靖の頭部を強調した似顔絵を書き、この絵に対するコメントを求めた、など)に戦々恐々し、「このロケでアナウンス部に来たくなかった」と半泣き状態であった。
- 尊敬する先輩アナウンサーは西村麻子であり、2009年3月31日より『VOICE』の火・水曜で共演している(ただし西村は9月で産休・育休に伴い降板)。前述の「よゐこ部」アナウンス部でのロケでは、よゐこに対しては戦々恐々していたが、西村を見つけると逆にハイテンションになっていた。
- 同じ福岡県出身のお笑い芸人・なかやまきんに君の大ファン。理想のタイプの男性はマッチョな人。
- 2010年3月19日の『うたぐみ』に吉竹の姉が出演し、うたぐみの後に放送されている『よしもとオンライン大阪』にも出演した際、姉は「細い人が好き」と発言した。
- 在阪局の若手女性アナウンサー代表として、日本全国で発売されるファッション誌の特集にも登場。
- 毎日放送への入社1年目に『ちちんぷいぷい』へ初めて出演した際には、当時の総合司会・角淳一が、初対面の吉竹を女優やタレントと思い込んでお辞儀したという逸話もある。ちなみに角は、お辞儀について、「(吉竹が当時)新人アナウンサーであることを後から知ったので、とても悔しい思いをしてしまった」と述懐している。
- その角が『ちちんぷいぷい』を卒業する日(2011年9月30日)に金曜アシスタントで出演していたが、角との番組としての共演は初めてであることが角から語られた(角が出演するのは月・火・水であり金曜は西靖が担当)。またその冒頭において角から「吉竹のファン」と明かし、「後でツーショット写真貰います」と意気揚々と宣言され、苦笑いしていた(本当にツーショット写真を撮って貰ったのかは不明)。
- アナウンサー以外にやりたかった仕事は、「雑誌の付録を作る人になりたかった」とのこと。『よゐこのワケアリ』で、番組のグッズ作りが出来そうだということに興奮している。
- 就職活動で知り合ったCBCアナウンサーの古川枝里子と仲が良く、MBSアナログ内の吉竹のブログでも度々登場している。また、読売テレビアナウンサーの川田裕美とも交流。2011年2月15日にMBSラジオで放送の『MBS開局60周年アワー 音楽の時間ですょ 目指せ1179曲てアンタ!?』に川田がゲストで出演した際には、短時間ながら番組の途中で川田との共演を果たした。
- 料理はあまり得意ではないが、どんな料理にも「酒を入れると美味しくなる」という祖母の教えは忠実に守っている。
- 初めて切り抜きしたのは滝沢秀明の写真、と『MBSサウンドキングダム』内で語っている。
- 『ヤングタウン日曜日(鶴瓶のヤンタン)』で、愛称を「エロケケ」とされた。「吉竹」の文字を分解すると、「士・口・ケ・ケ」に見えることに由来する。
- 2009年7月3日放送の『ちちんぷいぷい』でMCの西靖がそろばんの話題を取り上げた際、休暇中だった先輩の八木早希の代役としてアシスタントを務めて吉竹は、地元・久留米で毎年8月上旬に行われる祭り「そろばん踊り」について語った。2010年10月に八木の後任で金曜アシスタントへ昇格してからは、九州新幹線の全線開通(2011年3月12日)を機に、(同番組限定で)「九州親善ガール」を名乗っている。
- 「九州親善ガール」としては、「吉竹史の九州よかとよ~」というロケ企画を不定期で担当。九州新幹線沿線の観光地・グルメスポット・人気者や、関西各地で開催される九州関連のイベント・物産展を取材する際には、久留米近辺の方言を披露することが多い。
- テレビ雑誌『BEAUTIFUL Lady & TELEVISION』関西版でコラムを書いている。
- MBSラジオで『よしもとオンライン大阪 よしもと○○同好会』を編成していた時期には、金曜日の放送に出ることがあった。また、同番組内のコーナー「可愛いと思うのん誰やねん選手権」では、2週連続第1位を達成。2009年10月9日の放送では、吉竹がサバンナの高橋茂雄に対して、「男の点数」を63点とつけた。
- 1年後輩のアナウンサー・斎藤裕美と、『よゐこ部』などの番組で一緒になることが多い。2009年10月23日放送分の『うたぐみ』で「お願い!1曲かけて!」のコーナーに斎藤が登場し、吉竹とは「入社試験の時に一緒に受けたのでほぼ同期みたいなもの」と発言した。
- 『ヤングタウン日曜日(鶴瓶のヤンタン)』の番組中に笑福亭鶴瓶を前にして、「このブタ」と大声で叫び、アナウンサーと思えないあまりの迫力に出演者全員が大うけした その後リスナーから「このブタ」と叱ってほしいという要望が相次ぎ番組でブームになっている。
- 運動が苦手であることを自任しながらも、先輩アナウンサーの上泉雄一・西靖・山中真とともに、第1回大阪マラソン(2011年10月30日開催)で人生初のフルマラソンに挑戦。5時間13分34秒で完走を果たした。なお、『VOICE』(MBSテレビで平日の夕方に放送中のローカルニュース番組)火曜日の冠コーナー「吉竹史の健康なび」では、同年夏から開催直前までその挑戦に連動した企画「大阪マラソンへの道」を放送。同年12月28日の深夜(29日未明)には、マラソン中の吉竹のつぶやきを主体に構成した特別番組『吉竹史の大阪マラソン “つぶやき”続けた42.195㎞』もMBSテレビで放送された。
世界一周へ[編集]
2012年3月3日には、『ちちんぷいぷい』史上3度目のMBSアナウンサーによる世界一周企画「吉竹史が行く!春の世界一周桜物語〜咲いたらさんが通る〜」で中華民国(台湾)へ出発。同月5日(月曜日)の放送から29日(木曜日)は、羽織・袴姿で、世界各国の桜事情を生中継やVTRで連日報告した。
- 滞在地は、日本・関西国際空港→台湾・台北→タイ・チェンマイ→トルコ・イスタンブール→タンザニア・ンゴロンゴロ自然保護区およびキリマンジャロ→エジプト・カイロ→イタリア・シチリア島およびローマ→スペイン・マドリードおよびバレンシア(サン・ホセの火祭り)→ボリビア・サンタクルスおよびウユニ塩湖→アメリカ・ワシントン→韓国・済州島→日本・桜島→日本・大阪。もっとも、視聴者から事前に募集した情報を基に訪問先を決めていることもあって、吉竹は毎回の中継の最後まで次の訪問先を知らされなかった。また、桜の木があっても花が咲いていない場合には、桜が満開になった時期に電子メールでその画像を送信するよう取材相手に依頼した。
- MBSテレビでは、世界一周への出発直後から、吉竹を『プリプリ』(2012年4月スタートの情報番組)で全曜日のアシスタントに起用することを発表。それにもかかわらず、吉竹が日本へ帰国する正式な時期は、済州島の滞在中まで決まっていなかった。
- 渡航中には、同番組からの「お題」として、行く先々の風景を「消しゴムはんこ」で表現。ロケの合間に宿泊先で消しゴムを彫っては、生中継リポートの中で随時紹介していった。女子美術大学OGの吉竹にとっては初めての挑戦ながら、出発前に本職の消しゴムはんこ作家・津久井智子から1回指導を受けただけとは思えないほど作品の完成度が高く、紹介するたびにスタジオ出演者から絶賛された。なお吉竹は、世界一周からの帰国後も、『プリプリ』や『ちちんぷいぷい』のロンドンオリンピック応援企画などで「消しゴムはんこ」を作っている。
- タイでの滞在中には、通りすがりの屋台で蛾の幼虫の唐揚げを初めて目にするなり、「おいしい」と言いながら1袋丸ごと実食。タンザニアでは、30℃を超える気温にもかかわらず、桜の木を探すために羽織・袴姿のまま5時間がかりでキリマンジャロの登山口まで上り詰めた。VTRに映るこのような行動や、生中継で見せる前向きな姿勢は、吉竹より前に同番組で世界一周を経験した西や河田をもしばしば驚かせていた。
- スペインからボリビアへの渡航では、経由地として立ち寄ったペルーのリマの空港で、引き継ぎの手違いから自身とスタッフのスーツケースの行方が一時分からなくなった。しかし、撮影や報告に必要な機材を手荷物として携行していたこともあって、サンタクルス到着後もロケや生中継を続けた。またボリビアでは、過去の世界一周企画の例に倣って、間寛平の持ちギャグである「アメマ」をウユニ塩湖で絶叫している。
- 吉竹は、済州島で西から日本への帰国を知らされた当初、大阪へ直行できると思い込んでいた。しかし実際には、済州島から鹿児島(桜島)へ向かうことを求められた。さらに、帰国後にうどんを食べたかったにもかかわらず、佐伯チズに「うどんは大阪に帰ってから」と制止。そのため、鹿児島へ向かう途中に福岡空港で口にした地元の名物・博多ラーメンが、帰国後最初の食事になった。
現在の担当番組[編集]
テレビ[編集]
- プリ♥プリ→プリプリ月 - 金曜日アシスタント(2012年4月6日 - 、ロケ企画のリポーターやナレーターも兼務)
- ジュニア×ロザン パテナの神様!(2012年11月7日 - 、「ランキング天使」役)※番組タイトルにちなんで「MBSパテナウンサー」という肩書でアシスタントを担当
ラジオ[編集]
- 桂文枝の茶屋町ホテル(第1月曜日 20:00-)※2012年8月より「桂三枝の茶屋町ホテル」から改題。
- 笑福亭鶴瓶のヤングタウン日曜日(日曜日 22:00-)
- MBSニュース(不定期)
過去の担当番組[編集]
テレビ[編集]
- MBSニュース(不定期)
- よゐこのワケアリ(2007年10月 - 2008年3月、『よゐこ部』の前身)
- よゐこ部(2008年4月 - 2010年12月)
- USJファン!(ほぼ毎週出演)
- KOBELCOスポーツスペシャル第89回全国高校ラグビー大会ハイライト(2009年12月26日 - 2010年1月)
- ビートたけしの因縁の2人 新春ガチバトル!(2010年1月2日、TBS系列全国ネット)
- みんなの甲子園(2010年3月21日 - 4月3日)
- 15だった夜(2011年3月2日放送の特別番組)
- 吉竹史の大阪マラソン “つぶやき”続けた42.195㎞(2011年12月28日放送の特別番組)
- MBS新世代漫才アワード司会(2011年放送の第9回のみ担当)
- ちちんぷいぷい
- 2010年9月まで主に、金曜日の「集合写真撮ろっ!」のみ登場、同年10月からアシスタントとして金曜日の全編に出演。2012年3月5日からは、前述の世界一周企画のリポーターを務めた。
- 『プリ♥プリ』のアシスタントを担当するため、世界一周から帰阪した2012年3月30日の放送でレギュラーを降板。ただし、降板後も不定期で、生中継や同番組との連動企画に登場している。
- VOICE火・水曜サブキャスター(2009年3月31日 - 2011年2月)
- 世界一周企画の関係で、2012年3月6日から休演。帰国後に『プリ♥プリ』のアシスタントを担当する関係で、そのまま降板した。ただし降板後も、祇園祭宵山などの中継に出演することがある。
- 水トク!「第45回日本有線大賞」(2012年11月14日、西野カナコンサート会場・大阪城ホールからの中継リポーター)
- ヤンマースペシャル地球学校 池上彰の子どもに伝えたい地球のチカラⅡ(2012年12月23日、アシスタント)
ラジオ[編集]
- MBSニュース最終便(2007年9月28日 - 2008年3月28日)金曜日担当
- MBSサウンドキングダム(2008年9月2日に増田英彦の、2009年3月17日に松本麻衣子の代役)
- MBSうたぐみ Smile×Songs月曜日パーソナリティ(2010年10月4日 - 2012年4月2日、番組開始から2010年10月1日までは金曜日パーソナリティ)
- 世界一周企画での渡航期間中には、リポーターとして共演している同期の鈴木がパーソナリティ代理を担当。吉竹は、渡航先から電話でリポートを入れていた。同番組の開始当初から最も長く出演してきたが、『プリ♥プリ』への出演が決まったためパーソナリティを卒業。
- 2012年12月4日(火曜日)の放送では、先輩アナウンサー・前田阿希子の代役として、月曜日からの卒業後約9ヶ月振りにパーソナリティを務めた。
- 2011年大予測ドラマ「新木裕晴の恋」~2011年はこんな年になりまする~(2011年1月1日、ラジオドラマ)- 主人公・新木裕晴(河田直也)の恋人役で出演