日本の天皇の一覧
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Template:天皇項目 日本の天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇の一覧である。明治時代に今の形に改編された。
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[編集] 実在性
実在説には諸説あるが、歴史学においては、現代科学的には初期の天皇は典拠が神話等であり、その実在が疑問視されている。また初代天皇である神武天皇以前は「神代」と言われ、神の化身または神そのものであったと称される。
- 2代・綏靖天皇から9代・開化天皇までの天皇は実在しなかったとする説が有力である(欠史八代) 初代神武天皇は「欠史八代」(正しくは「闕史八代」)に含まれない。「欠史八代」とは『日本書紀』に『旧辞』的記述のない8人の天皇のことを指す用語である。神武天皇の事跡は10代崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
- 10代・崇神天皇から14代・仲哀天皇までは、実在しなかったという説と実在した可能性のある天皇とする説とがある。
- 15代・応神天皇以降は実在した天皇であるとされる
これが戦後しばらくの間の代表的な見方である。下表を見れば分かるように、歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いているのは、「神武」「崇神」「応神」の三代のみであり、その観点からも研究対象になることが多い。
しかし1970年代以降の歴史学会では、『古事記』や『日本書紀』の5世紀以前の記事は不正確な伝説であり、継体天皇は実在しているが、その前の王については不確かとの見解が有力である。武烈天皇、顕宗天皇、清寧天皇なども実在ではなく創作されたものと考えられる。ただ考古学的資料により、ある程度のことは分かっている。 大和王朝(ヤマト王権)の発祥の地は、吉備か出雲か九州など諸説あり、不明である。だがこの王権は、三輪山近くのヤマト(あるいは柳本)に、古代都市纏向遺跡(まきむくいせき、奈良盆地の東南部(桜井付近)を造り本拠をおいた王のときに大きく発展した。この古代都市は、3世紀前半に建設され、4世紀末には使われなくなった。天皇の系図は、相克したいくつかの古代王朝の伝説を繋ぎあわせた、藤原氏による作品であるといっていい。例えば、継体天皇はその前の武烈天皇の王朝に連続するものではない。
420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。その後、510年頃までに6,7人の在位期間の短い王が立ったが、この時期はヤマト王権は混乱した。継体天皇の時代に、ヤマト王権の力が強くなった。これ以降の系譜はほぼ正確である。
[編集] 明治時代の歴代天皇の変更
明治以前の歴代天皇(帝)は、現在とはいくらかちがっていた。明治時代に歴代天皇の変更が行われた。これらの変更については、水戸藩による『大日本史』・水戸学および尊王論の影響によるものとされている。
- 明治以前は神功皇后を15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外された。
- 神武天皇から村上天皇までは死後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼んでいたが、冷泉天皇から後桃園天皇までは「○○院天皇」(例えば、「冷泉院天皇」)と呼び、一般には「○○院」(例では、「冷泉院」)と略され、「○○天皇」とは呼んでいなかった(ただし、安徳天皇と後醍醐天皇を除く)。天皇号が復活するのは光格天皇の代からである。明治になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められた(これ以後、「○○院天皇」という呼称は廃されたが、「後西院天皇」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている(「西院」は地名であって院号ではないとされる。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。53代淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため異称を「西院」といい、「後西院」はその加後号である))。
- 壬申の乱で敗死した大友皇子は天皇に数えていなかったが、即位が確認されたとされ、明治3年に「弘文」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
- 47代「淡路廃帝」に対して明治3年に「淳仁」の諡号を追贈した。
- 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、明治3年に「仲恭」の諡号を追贈した。
- 明治44年に明治天皇の命令で、南朝2代を正統な天皇と認め、従来の96代光厳から100代後円融までの5代を北朝として正統から外した。
- 大正15年に大正天皇(実質は摂政の裕仁皇太子(後の昭和天皇))の命令で、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていた寛成親王に関して、その即位が確認されたとされ、「長慶」天皇とした。
大友皇子及び長慶天皇は即位していないという説も根強い。神功皇后を天皇から外し、大友皇子を天皇に入れ、南朝を正統としたのは、『大日本史』を受けてのものである。
[編集] 歴代天皇の一覧
- 凡例
- この表は、明治時代に歴代天皇として認められ、現在広く知られている天皇たちの一覧である。
- 日本に太陽暦(実質はグレゴリオ暦。なお、グレゴリオ暦の採用が明言されたのは明治31年)が導入された1873年以前の表中に示された年月日は、その時々に用いられていた太陰太陽暦による和暦の年月日のうち、年をキリスト紀元(西暦)に単純に換算したものであるため、日本の暦の閏月、大小月により一定の規則性のない月日についてはユリウス暦・グレゴリオ暦の日付とは異同があり、年末の日付を持つ年月日の年はその日に対応する西暦の年とは異なる。
- 後世になって編纂された記紀を除いて歴史書が存在しない6世紀以前の天皇の事績については疑問が残されているが、ここでは記紀の記す在位の年代を採用する。
- 在位の欄には、50代桓武天皇以前の天皇は即位の日付を、即位に先立って践祚した51代平城天皇以降の天皇は践祚の日付を示す。