ポスコ

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ポスコは、大韓民国最大の製鉄会社である。かつては浦項総合製鉄という社名だったが、2002年5月に現在の社名に変更した。

概要[編集]

歴史[編集]

1973年日韓基本条約に伴う対日請求権資金などによる資本導入と、八幡製鐵及び富士製鐵(両社は1970年に合併し新日本製鐵となる)と日本鋼管(現在のJFEスチールとなる)の三社からの技術導入により、慶尚北道浦項市に国営の浦項総合製鉄所第一期設備を建設した。

技術導入後、ベトナム参戦を契機とした急激な経済成長の中で、日本の援助により3回に渡る拡張事業の末、1983年、粗鋼生産能力910万トン規模の浦項製鉄所を完成させた。

1985年からは全羅南道光陽市に最新鋭の製鉄所である光陽製鉄所第一期設備着工。1992年には、四半世紀に渡る製鉄所建設の総合竣工。現在は光陽の製鉄所が主要拠点になっている。

2000年に完全民営化された。

2005年11月22日には東京証券取引所第一部に上場した(証券コード:5412)。日本の株式市場に上場するのは韓国企業で初めてであった。

ポスコの製鉄技術は2004年頃から急激に品質が向上し新日本製鐵の高品位製品のシェアを奪っていったが、これは90年代に新日鐵を退職した技術者が、新日鐵が数十年と数百億円をかけて開発した門外不出の「方向性電磁鋼板」の技術をポスコに流出させたことよるものである。2012年、ポスコと新日鐵の元技術者は、新日鐵から、不正競争防止法の「営業秘密の不正取得行為」にあたるとして、1000億円の損害賠償と高性能鋼板の製造・販売差し止めを求めて提訴されている。

鉄の芸術品「方向性電磁鋼板」極秘技術はなぜ流出したのか[編集]

付加価値の高い鋼材の生産技術が盗まれたとして、新日本製鉄が韓国の鉄鋼大手、ポスコと同社日本法人、新日鉄元社員などを提訴した。

昭和40年代に開発し、門外不出としてきた技術だけに、新日鉄の怒りは強い。ポスコに対し、1千億円の損害賠償などを求めている。ポスコは争う構えだが、敗訴すれば高収益な同事業分野からの撤退は避けられない。産業スパイの代償の大きさを知らしめる裁判となるか。

「やはりそうだったのか」[編集]

韓国内でポスコが起こした裁判での証言の一つから、ある新日鉄幹部は、それまでのポスコへの疑念が、明確な不正だと確信。2011年末、証拠保全手続きを申し立て、裁判所が元社員の保有していた“動かぬ証拠”を押さえた。

新日鉄は、「時効の懸念もあり、早期に提訴が必要」(幹部)と判断。2012年4月に不正競争防止法(営業秘密の不正取得行為)違反で、ポスコなどを東京地裁に提訴した。日本企業が、不正な技術流出で外国企業を訴える事例としては最大規模だ。

訴訟対象の「方向性電磁鋼板」は、新日鉄の八幡と広畑の両製鉄所だけで製造されている。工場勤務の長かった幹部でも、「生産工程は見たことがない」という秘中の秘の技術だ。

変圧器などに用いられる特殊な鋼板で、電圧変更時のロスなど従来製品の課題をことごとく解消。鉄の結晶がきれいに整列する様子から、業界では「鉄の芸術品」とも呼ばれている。

もともとは米国の技術だったが、昭和43年に新日鉄の開発チームが性能を飛躍的に高める製造技術を確立。以降、同社は方向性磁性鋼板のトップメーカーとなり、多大な利益を得ている。

しかし、平成16年ごろからその地位を脅かすライバルが現れた。ポスコだ。ポスコは以前から類似の鋼材を手がけていたが、「急激に品質がよくなった」(新日鉄幹部)。価格も安く、次々に顧客をつかんでいった。シェア約3割の新日鉄に対し、ポスコも2割程度と一気に差を縮めた。

一方で、業界内にはある噂が広がった。「新日鉄の技術がポスコに流出したのではないか」-。

新日鉄はポスコ側に真偽を問い合わせたが、独自技術と言い張るばかり。「何十年もかけ、数百億円を投じてきた技術が、なぜこんなに早く追いつかれたのか」(宗岡正二社長)。疑念は募っていった。

平成19年、ポスコが韓国で起こした裁判をきっかけに事態は急転した。ポスコは、同社の元社員が方向性電磁鋼板の技術を中国の鉄鋼メーカーに売り渡したとして提訴。しかし、裁判で元社員は「渡したのは(ポスコの技術でなく)新日鉄の技術」と証言した。これを受け、新日鉄が調査を開始。同社元社員の証拠差し押さえを経て今回の提訴に至った。

事情を知る業界関係者は、「ポスコ側に情報を漏らしたのは1人ではなく、グループだ」と指摘する。1990年代に新日鉄を退社した開発担当者を含む数人が関与したらしい。新日鉄が提訴したのはグループのリーダー格とみられる。

新日鉄は、方向性電磁鋼板の製造方法は特許出願していない。秘中の秘の技術は表に出さず、隠すのが通例。ただ、関連特許は数多く、元社員とは秘密保持契約を結んでいた。

元社員はどのように取り込まれたのか。ポスコに限らず、日本企業の退職者を積極的に雇用する外資は多い。多額の報酬が提示されることもある。「エージェントを通じて慎重に接触し、籠絡する」(事情通)ケースもある。

技術を流した側と受け取った側の関係を立証するのは難しい。裁判は長期化が予想されるが、新日鉄側は「明らかな形で情報が流出した証拠をつかんでいる」として勝訴に自信を見せる。

元社員はなぜ技術を漏らしたのか。「結局は金だろう」。新日鉄幹部らはそう吐き捨てる。

新日鉄が勝訴した場合、ポスコにとっては大打撃だ。韓国や中国の鉄鋼メーカーの成長はめざましく、2012年10月に予定される新日鉄と住友金属工業の合併の契機ともなったが、収益の柱は品質要求の低い建設向けが中心。ポスコとしては企業ブランドを高める意味でも方向性電磁鋼板は欠かせない領域だ。

「この事業から撤退を余儀なくされれば、成長戦略に狂いが生じる」(業界関係者)。

中・韓メーカーは、最終的に日本メーカーの牙城である自動車向けの薄板分野に手を広げようしている。特許侵害も辞さない強引な手法が目立つが、新日鉄が勝訴すれば、「彼らも態度を変 えざるをえない」(同)。日本メーカーの巻き返しにつながる可能性もある。

「国際的な恥」インドネシアのポスコ一貫製鉄所、稼動2日で全面停止(2014年1月)[編集]

韓国鉄鋼最大手、ポスコがインドネシア東南アジアで初めて建設した大型一貫製鉄所が、稼働開始から2日で故障し、3週間以上も全面操業停止に陥っていることが19日までに分かった。

ポスコが2010年10月からインドネシア国営企業のクラカタウ・スチールと合弁で総額30億ドル(現在のレートで約3100億円)を投じて建設したこの製鉄所は、ポスコにとって海外で運営する初の一貫製鉄所でもある。ポスコの出資比率は70%。

一貫製鉄所とは、高炉鉄鉱石有煙炭を溶かし、これに高い圧力を加えて自動車船舶などの材料となる鉄鋼材を生産する製鉄所を指す。

韓国政府と複数の鉄鋼業界関係者は19日「ポスコはインドネシア・チレゴンに建設した工場で先月23日に火入れ式を行ったが、稼動2日で高炉から溶解液が漏れ出す事故が発生し、稼動を全面的に停止している」と明らかにした。

火入れ式にはポスコの鄭俊陽会長とインドネシアのユドヨノ大統領など両国の関係者約500人が出席。製鉄所の生産能力はスラブが年180万トン、厚板が120万トンとされている。

現地企業との合弁で建設した大型製鉄所が稼働を全面的に停止したことについて、業界関係者の間では「異例の大型事故」「国際的な恥」との声が上がっている。

関係者らは「今回の故障でインドネシア現地の原料供給、販売予約などが相次いでストップし、これに伴う損失も膨大な額に上ると聞いている」と語った。

現地に進出している韓国系企業のある役員は「ポスコが無理に工期を短縮したことで、あってはならない事故が起きたようだ。現地ではさまざまなうわさが流れている」と述べた。

鉄鋼業界の関係者は「一度故障した高炉が全面的に再稼働するには、通常3カ月ほどかかる。ひとまず今月23日に再稼働を予定している」と語った。

ポスコの関係者はこれについて「一部設備には問題があるが、現在正常化に向けて作業している」とコメントした。

資本関係[編集]

東京証券取引所ニューヨーク証券取引所ロンドン証券取引所韓国取引所に上場している。 新日本製鐵とは現在も積極的な戦略関係にあり、互いの株を持ち合っている。

ポスコの外国人持ち株比率は過半数を超えており、ミッタルスチールによる敵対的TOBの標的にされているとの報道もなされた。こうした背景から、過去に技術協力を受けていて関係の深かった新日本製鐵との資本業務提携を進める方針であり、将来的には両社間で互いに筆頭株主になることを目指していると伝えられている。

子会社としては韓国最大のシステムインテグレータ会社のポスデータや建設会社などを抱える。 以前は新世紀通信という携帯電話事業者の筆頭株主だった(2002年、SKテレコムに吸収される)。 出資する財団で浦項工科大学や光陽製鉄高校などの学校を運営している。 スポーツではKリーグ浦項スティーラース全南ドラゴンズのメインスポンサーになっている。

納品先[編集]

自動車用鋼板分野では、1982年ヒュンダイに「ポニー」自動車用鋼板の納品を始め、1994年からはホンダ日産スズキなど日本の自動車メーカーに輸出。

2000年代に入ってGMフォルクスワーゲンフィアットシトロエンダイムラー・クライスラー(現ダイムラー並びにクライスラー)など世界主要13社の自動車メーカーに納品している。

世界で最も厳しい品質基準を持つといわれるトヨタには、日本の代表的な鉄鋼メーカーである新日本製鐵と関係が深いことを理由に納品を断られてきたが、数十回という交渉の末に2005年から輸出が開始された。

沿革[編集]

外部リンク[編集]