バブル世代
バブル世代(バブルせだい)は、日本で、おおむねバブル景気の時期に就職した(現役の学生時代に就職が内定した)世代である(1987年度-1991年度)。
目次
定義[編集]
バブル世代は、バブル景気(内閣府景気基準日付第11循環拡張期、1986年(昭和61年)11月から1991年(平成3年)2月)による売り手市場時(概ね1988年(昭和63年)度から1992年(平成4年)度頃)に新入社した世代で、とりわけその時期が大学(4年制)卒業時と重なる1965年4月2日から1970年4月1日生まれを指す。短大(2〜3年制)・高専(5年制)・専門学校(1〜3年制)卒であれば1966年4月2日から1973年4月1日生まれ、高校(3〜4年制)卒であれば1968年4月2日から1974年4月1日生まれまでが該当する。以前の「モーレツ社員」(団塊の世代)や、それ以降の「就職氷河期」世代などと比較されることがある。
以下では特に1965年4月2日から1970年4月1日生まれについて記す。
成長過程[編集]
誕生[編集]
生まれた時期は高度経済成長の後半であり、公害など経済成長の歪みが深刻化し、社会問題になっていた時期に当たる。ベトナム戦争の真っ只中で、1968年(昭和43年)を頂点とした全共闘やパリ5月革命といった学生運動が高揚した時代に生まれた。
学生時代[編集]
小学校に入った時期は第1次・第2次オイルショックの直前か直後であり、「四畳半フォーク」が流行した時期であった。小学時代から中学時代にかけての1970年代には、この世代の間でスーパーカーブームやブルトレブームが席巻した。女性の間ではモンチッチ、リカちゃん人形、キキララなどが流行した。
中学時代から高校時代に当たる1980年代前半はツッパリ文化の最盛期で、矢沢永吉や横浜銀蝿などの、リーゼントロックとツッパリ(不良)ファッションが、当時の管理教育に反発する少年層の間で大流行した。校内暴力発生件数が戦後最多を記録したのもこの時期である。80年代を通して、アイドルでは松田聖子やたのきんトリオ、シブがき隊、中森明菜などがブームになっていた。
学生時代に、学習指導要領が改訂され、初めてゆとり教育を受けたゆとり世代ともいわれている。しかし、実際には、内容はほとんどそのままで授業時間だけが削減されたため、消化不良や落ちこぼれといった問題も起きた。
一方、入学試験などの競争が徐々に激しくなった世代であり、当時のいじめ問題について、要因の一つとして受験競争によるストレスが挙げられている。高校進学率は当時総合選抜や地元集中などの制度を実施していた都道府県も多かったため、進学率の低下傾向はほとんど現れず、90%台を維持していたが、大学・短大合格率は、1967年(昭和42年度)生まれから1971年(昭和46年度)生まれ(1986年(昭和61年度)から1990年(平成2年度))にかけて低下し続け、1990年(平成2年度)には大学合格率は63%になり、1967年(昭和42年度)の62%以来の最低の値となった。
大都市の大学に進学した者は、バブル文化の発信源として華やかなファッションブームや文化を生み出していった。1980年代の「女子大生ブーム」の時期にあって、都会の若い女性は消費対象としてもてはやされた。大学卒業時にはバブル景気により就職市場は大幅に好転、売り手市場となった。企業から人気の高い有名大学の学生は3S(寿司、ステーキ、ソープ(風俗))やディズニーランド、海外旅行で接待されたケースもあるという。当時の大卒就職市場の状況は、映画『就職戦線異状なし』が参考になる。
就職期・就職後[編集]
就職期にはバブル景気で、日本の景気が極めてよく、これを受けて事業を拡大・展開し業績を拡大するべく、各社こぞって高卒大卒を問わず人員募集数を拡大した。その結果、企業の求職人数は就職希望者を大幅に上回っていた。また、バブル世代の女性で高卒・短大卒・専門学校卒の者は、1986年(昭和61年)に施行された男女雇用機会均等法以後に初めて社会に出た世代でもある。
ただし注意を要するのは、この世代の全ての大学生が誰しも一流企業への就職が楽であったわけではなく、就職人気上位30社程度の一流企業には当時「指定校制度」が存在し採用対象を上位難関大学に限定していたこと、さらには大学進学率が同世代の3割程度であったことに留意する必要がある。バブル景気の恩恵を大きく得たのは大都市圏の国立・上位私立大学であり、一流企業は満遍なくあらゆる大学からの採用を増加させたのではなく、バブル景気以前より長年にわたって存在していた「指定校」に在学する学生の採用を大幅に増加させたことがこの世代の売り手市場の傾向であった。ただ、当時の指定校制度に漏れていた一般的な私立大学や地方の大学に所属する学生も業界2-4番手の大企業に就職できたことから、総じて就職活動は容易であったといえる。
個性至上主義が騒がれた世代でもあったため、バブル世代が就職する頃、企業側も個人を尊重するライフスタイルを加味し、年俸制の導入やフレックスタイム制を取り入れた形態が現れ始める。しかし、個人を尊重する弊害としてコミュニケーション不良による問題が生じ、2000年(平成12年)頃からはほとんどの企業がこの形態を取り止め、従来型運営に戻る。
バブル崩壊による不況が始まると、その影響で企業の採用人数が大幅に絞られたために労働負荷が増え、過密労働に陥る者も多く発生した。また、成果主義などの導入もあって賃金や給与、賞与などの所得が伸び悩んだり、社員研修などの教育費が削られ、経験すべきことを経験せずに昇格してしまうという事態が起こった。
1997年(平成9年)にはアジア通貨危機と消費税増税による景気後退が起こり、多くの会社が大規模な人員整理を行った。人員削減といっても関連会社への出向などで済んでいる者が多数派ではあるが、一部には企業の倒産や整理解雇を被り、派遣社員やフリーターに転落、「派遣切り」に遭遇した者もいる。
中年期[編集]
管理職となる者が増えるに連れて、ポスト競争の激化と責任の重圧から精神的疾患を抱えるホワイトカラーやブルーカラーが増加している。社会生産性本部「産業人メンタル・ヘルス研究所調べ」では、バブル世代のほとんどが30代であった2004年時点での心の病が最も多い年齢層は30代で49.3%であった。
また、特に2008年(平成20年)のリーマンショック以降の不況によって職を失い、非正規雇用者となる者もおり、男性ではバブル世代が20代後半から30代前半に属していた1995年の非正規雇用者率は約3%程であったが、30代後半から40代前半に属していた2005年(平成17年)には約7%、2010年(平成22年)には約8%と増加傾向にある。
特徴[編集]
世渡り上手で、対外的な人当たりも柔らかく、コミュニケーション能力が高いと評される反面、自分の対外的な評価をとても気にし、他人との比較で劣等感を持ちやすい「見栄っ張り」の気質がある。
日本のサブカルチャーが多様化・成熟化する以前に成人した世代であるため、欧米文化への憧れ・劣等感を引きずっており、後続の世代に比べ海外志向が強い。いわゆる「均等法第一世代」であり、職場では男女伍して働く姿勢が身についている反面、「男らしさ」「女らしさ」にこだわる感覚を残している。フジテレビ放送のジェネレーション天国ではキウイ世代と表現された。
またバブル世代は、バブル崩壊後の不況による企業の放置と新入社員の減少により、技術力と指導力が不足しており、また数が絞られて一部のみが少数精鋭型で養成されているため、「世代間選抜が始まった世代」と定義する者もいる。
「バブル世代」が会社で煙たがられる根本理由[編集]
最後の大量採用世代「バブル入社組」が50歳を超え、人生の岐路に立たされている。『バブル入社組の憂鬱』を執筆した人事・組織コンサルタントの相原孝夫氏に詳細を聞いた。
――バブル入社組は、会社で大きな「人材の塊」になっているはずです。
世代的特徴として、「コミュニケーション能力が高い」と評される一方、「根拠なく楽観的」「見栄っ張り」「会社に依存」ともいわれ、ひとつ下の世代、手堅い意識を持つ「氷河期世代」と鋭く対立することもある存在だ。
――最近、元気がないとか。
50歳が近づいたころから、元気がない。役職定年が50歳程度まで下がった会社が増えている。その年齢で無役職や部下なし専門職になる。最近は、年上の部下や年下の上司が当たり前の状況になってきてもいる。60歳から再雇用され65歳定年としても職業人生として先はまだ長い。あと10~15年どうやっていくか。
――人数自体は多い。
1つのチームの半数までがバブル世代とその上の世代という職場はいくらもある。これまでのようにリーダーの下は年下のメンバーといった統治しやすい状況ではなくて、半分ぐらいがシニアで、女性社員も少なくなく、場合によっては外国人がいて、非正社員もいる人員構成だ。ダイバーシティが進み、かつてとは比べようもなく複雑さを増している。
――個々のチームのマネジメントでさえ大変。
年次の最上位に元気のない人が大量にいるのは企業としても思いのほか大きな問題だ。ただ、今はまだ本格化前の段階で、チームに高度なマネジメントが要請されているものの、バブル世代のひとつ下の氷河期世代が優秀だから何とかやっていけている。
――両世代のぶつかり合いが厳しいともいわれます。
バブル世代と氷河期世代は折り合いが悪い。少し前、バブル世代が課長職で、氷河期世代が管理職手前ぐらいの状況のときは比較的問題はなかったが、年代が少し進みバブル世代が部長、氷河期世代が課長となったころから関係性が悪くなった。課長は現場の指揮官であるから氷河期世代が発言力を持つ一方で、バブル世代が上にけっこうな数いて邪魔だという構図だ。
バブル世代はまだ存在感を発揮したいところがあり、軋轢は強まる。採用が一気に絞られた氷河期世代は優秀といわれていて、同時にプライドも高い。その一方で大量採用のバブル世代は優秀でないとも思われていて、バブル世代対氷河期世代のような構図ができてしまった。
――世代対立の構図ですか。
バブル世代の部長、課長がもうじき役職定年になって本格的に降りる。そうなると、氷河期世代が課長や部長になったその下に、無役職の先輩社員が入ってくる。これがまた厄介だ。
バブル入社組の評判を落としている張本人は氷河期世代なのだ。「ゆとり世代」はぐーんと離れているので当時者意識がないし、その上の「新人類世代」はバブル世代と近しいので仲がいい。
氷河期世代にバブル世代の評価をアンケートすると、「優秀な人もいる」との返答がけっこうある。「いる」の言葉には、多くはそうでないという若干見下した感がある。確かにバブル期の就職は就職氷河期と異なり実力以上の会社に入れた。わずか1年程度の違いでとの思いもあるようだ。
――バブル世代は嫌われ者?
バブル世代の一番の特徴に「根拠なき自信」がある。本人たちは「根拠のある自信」と思っている。以前こうして成功した、また同じようにしたら成功するだろうという経験だ。実証済み、体験済みの根拠というわけだ。
確かに入社した当初の数年は自由度が高く、いろいろな取り組みができた。たとえば新規事業開発で、いきなり企画畑の自由な発想でのチャレンジをしたり。入社数年での体験は色濃く残る。当時は新たなチャレンジこそが仕事だと思えた。それは「根拠なき自信」の裏付けになり、氷河期世代やもう一つ下のゆとり世代をチャレンジしない連中と見なしがちになる。
――氷河期世代自身はどうとらえているのですか。
氷河期世代は慎重で堅実なタイプだ。バブル世代のように大風呂敷を広げるのは嫌いで、とかく着実に計画的に可能な線で物事を進めていく。そこが両世代の軋轢の原因だったりする。バブルがはじけて相当の年月が経つが、バブル世代の行動様式や思考様式はそう直るものではない。そういう世代がごそっといるのは、氷河期世代にとって厄介この上ない。
――実際の氷河期世代は「ワンピース世代」ともいえますね。
漫画『ワンピース』がよくとらえていると思う。氷河期以下の世代にファンが多く、その世代を理解するうえでのヒントになる。ひょうひょうと過ごしているように見えて、本当は熱いものを求め、深いところで仲間を大切にする共通性がある。一見、一匹おおかみ的な印象を抱かせるがそうではない。
――氷河期世代はナンバーワンよりオンリーワン志向?
採用人数自体が少なく、全員が幹部候補生として入ってきた優秀な人たちと見なされている。環境がいいだけで大量に入ってきたバブル世代とは違うとの見方をされた。バブル世代は実際には、入社数年後以降、ずっと不遇な状況が続いてきたのだが。
――そして役職定年。
バブル世代は組織の中で上に行けば偉いのだとの意識を変えなければならない。「下山」と書いたが、これまではただひたすら登り詰めるイメージで職業生活を終えたが、これからは登った後の下山がある。降りてきてどこで終わるか。その下山の仕方は習っていない。前の大量採用者たち、団塊の世代はいい状況で終わっている。手本にならない。自分たちで道を切り開くのが使命なのだ。
――世代的な強みを自身でも再認識するのですね。
バブル世代の特徴は人間関係がうまい、かつ楽観的。欠けているのは自己コントロール力だ。状況を冷静に見て、強みをレジリエンスに昇華していくといい。
――レジリエンス?
「逆境力」。元来の意味は、曲がったものが形状記憶で回復していくこと。もともと厳しい競争社会をくぐり抜けてきたバブル世代なのだから。
バブル景気とバブル世代[編集]
バブル景気の時期は、1986年11月から1991年2月であり、有効求人倍率上1988年から1992年まで売り手市場であった。ただし、就職活動は入社前に行われるためズレがある。
- 大卒
売り手市場時に大卒で新入社したのは、おおむね(1965年(昭和40年度)から1969年(昭和44年度))に生まれた世代で、この時期の就職活動は、バブル景気の影響を受けて売り手市場であり、容易に就職ができた。ただし、1965年生まれ(1988年入社組)に限っては、前年の「公定歩合が戦後歴代最低の2.5%を記録」、「ブラックマンデーと、世界同時株安」、「造船不況からの脱却の遅延」などの要因により、就職は比較的困難であった。
- 高専卒・専修学校(専門学校)卒・短大卒
おおむね1967年(昭和42年度)〜1971年(昭和46年度)に生まれた世代。1966年生まれはバブル景気の恩恵を受ける前に就職することとなったが、極端に世代人口が少ない(→丙午#迷信、日本の人口統計#年齢別人口)丙午年生まれに該当していたこともあり、就職は容易であった。ただし、1967年生まれ(1988年入社組)については、前出の「大卒」1965年生まれ(1988年入社組)と全く同じ状況に遭っている。
- 高卒
高卒の場合には、おおむね1969年(昭和44年度)から1973年(昭和48年度)生まれが、好景気による就職売り手市場の恩恵を受けているとされる。
- 女性
多くの女性は「男性は仕事、女性は家庭」の戦後女性の価値観を引きずっており、専業主婦志向の女性が多数派であったが、「均等法第一世代」と呼ばれた新人類世代に続き、大都市圏の高学歴層を中心にキャリアウーマンを目指した女性も多かった。男性は団塊ジュニア世代と比べて、正規雇用率が高く非正規雇用者率が低い世代である。
バブル世代に対する批判意見[編集]
バブル世代は、就職氷河期の前の企業の大量採用により苦労せず、就職氷河期以前の価値観を持って入社し、さらに同期が多い。そのため、バブル世代は、就職氷河期以降の社会の考え方と合わず、自立心があまりな、依存体質であり、会社の負担であるといわれており、一部では「花の90年組」と皮肉をこめて呼ぶ者もいる。一部の者が学校に不当なクレームをつけ、学校関係者に過度の負担を強い、ひいては他の生徒や保護者に迷惑をかけるという現象が社会問題となったことから、その者たちをモンスターペアレントと呼んだ。
参考文献[編集]
- 城繁幸「若者はなぜ3年で辞めるのか―年功序列が奪う日本の未来」光文社(光文社新書)2006年 p83-88
- 山田昌弘 「少子社会日本」岩波書店(岩波新書) 2007年
- 安孫子豪 「バブル千夏」壱元書店(壱元新書) 2011年
- (白書類)