ばんばひろふみ

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ばんばひろふみ
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基本情報
出生名 馬場 弘文(ばんば ひろふみ)
別名 馬場 章幸
出生日・地 1950年2月20日(2024-1950)+((12-2)*100+(22-20)>=0)-1歳)
血液型
学歴 立命館大学経済学部 卒業
出身地 日本の旗 日本京都府京都市東山区
死没日・地
ジャンル フォークソング
職業 フォークシンガー/ラジオパーソナリティ
担当楽器 /ギター
活動期間 1969年 -
レーベル CBS・ソニー/EPIC・ソニー/ジャパンレコード/ポリスター/zetima/Rice Music/UP-FRONT WORKS
事務所 アップフロントクリエイト
共同作業者 * バンバン
影響
公式サイト https://civillaw.jp/hirofumi_bamba/
メンバー
旧メンバー
著名使用楽器
テンプレート

ばんば ひろふみ1950年昭和25年〉2月20日[1] - )は、日本フォークシンガーラジオパーソナリティ。本名は馬場弘文(読みは同じ)。京都市東山区祇園出身[2]。既婚。離婚1回。愛称は「ばんばん」。ペンネームは馬場章幸。血液型はB型。京都市立清水小学校、中高一貫校である立命館中学校・高等学校を経て、立命館大学経済学部卒業[2]所属事務所ヤングジャパンアップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)→アップフロントクリエイト

来歴[編集]

1969年立命館大学在学中に石岡達雄、山本博史らと知り合い、当時関西フォークブームもあって、3人組バンド「ジャッケルズ」を結成しプロデビュー[2]。その後、高山厳、今井ひろしらと結成した「バンバン」で『『いちご白書』をもう一度』がヒットした。

1977年2月25日 元々ばんばがファンだった歌手の平山みき結婚、1男(俳優の馬場紘之信)を授かる。

1978年 ソロ・デビュー。「ばんばひろふみ&ホットスタッフ」を結成。

1979年 - 1980年 ばんば(名義・馬場章幸)自らが作曲を手がけた「SACHIKO」が大ヒット。

1984年 - 1990年 関西テレビで深夜ローカルワイド番組『エンドレスナイト』の司会を兵藤ゆきと担当。

2002年 - 年に一度、「神戸アコースティックタウン」と呼ばれるライブを伊勢正三らと行なうようになる。

2005年1月 ばんばの女性問題(不倫)が原因で、平山と協議離婚。

みやびの杜・京都スタジアム推進委員会(Jリーグチーム京都パープルサンガ用サッカー専用スタジアム建設推進のための市民団体)の代表幹事に就任。

2014年杉田二郎堀内孝雄高山厳因幡晃とブラザーズ5を結成。

人物[編集]

子供時代[編集]

実家は八坂神社の近くのお茶屋で、玄関から座敷までがお茶屋で、それ以外がばんば家族の生活空間だった[2]。子供の頃はばんばたちが普通に日常生活を送る中、隣のお座敷では芸妓・舞妓と客たちが宴会している、という状況だった [3]。祇園での暮らしはばんばの人となりを形成する上で大きな影響を与え、その後華やかな芸能の世界に憧れを持つきっかけとなった[2]。幼い頃からバイオリンを習っていたという。

中学から大学まで立命館に通った[2]。小学校時代は同級生のほとんどの家がばんばと同じくお茶屋などの似たような商売をしていた。このため中学に入ってから、「世間一般ではお茶屋の家の子はごくわずかで、サラリーマンなどの家庭の方が多い」と知って面食らったという[2]

大学時代の音楽活動[編集]

大学入学時は学生運動の真っ只中で、バリケードで封鎖されていたため2年間は大学の中に一切入れなかった[2]。これにより授業もなく暇を持て余したことで、大学時代は音楽三昧の生活となった[2]。当初ロックをやっていたが、大学2年生の頃に友人に誘われて“フォークの方がモテるかも”と思ってやり始めた [4]

当時は京都御所の芝生で演奏ができたことから、様々なフォークグループがそこで演奏活動を行っていた。その中の一つとしてばんばたちも御所で演奏すると、近辺を通学路にする女子高や女子大などのファンがついた。しかしほどなくして石岡達雄、山本博史とバンド「ジャッケルズ」を結成するもヒットには至らず、発売したレコードは全く売れなかった[2]。その後うっかり必修科目を取り忘れていたことで留年が決まり、石岡・山本が就職を決めたことで「ジャッケルズ」は自然消滅した[2]

バンバン結成、東京へ[編集]

進路を考えていた頃、同じく関西で音楽をやっていた谷村新司(当時はフォークグループ「アリス」として活動)から、「新しい音楽事務所が立ち上がるから一緒に参加しよう」と誘われた[2]。ばんばはフォークグループ「バンバン」を結成し、新たに音楽活動をスタートさせることになった[2]

レコードを発売したもののヒット曲がないまま時は流れ、24歳の頃に事務所の東京進出を機にバンバンも付いていった [5]。上京後はアルバイトしながら、麻布十番の暗闇坂の小さなアパートで、バンバン、アリス、事務所社長と雑魚寝状態で生活した[2]

ラジオについて[編集]

20代から長年に渡って様々なラジオ番組のパーソナリティとして出演している[2]。音楽業、ラジオで活動するばんばは後に、「僕にとって音楽が“幹”だとすると、ラジオは“枝”なんです」と評している[2]

1970年代から1980年代前半には、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)や「セイ!ヤング」(文化放送)のパーソナリティとして谷村新司と競演[2]。「セイ!ヤング」では、「顔が大きい」という特徴をネタに聴取者からの投稿コーナーも含めかなりの弄られキャラを演じた。

また、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」は、レコード発売前に文化放送のばんばのラジオ番組で初めてオンエアされた[2]。翌週そのスタジオでハガキの詰まったダンボール箱を見た本人は、「今日はえらい数の(リスナーの投稿)ネタが届いたな」と思っていたら、全て同曲のリクエストハガキだったため反響の凄さに驚いたという[2]

ビートルズへの憧れ[編集]

中学2年生の頃、近所のレコード屋の店内で流れた「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、その日を境にビートルズに夢中になった[2]。高校2年生の頃にビートルズの武道館公演が開かれることになり、学校から“ビートルズを観に行くなら退学”と言われていた[2]。どうしても観に行きたかったため退学届を出して東京まで公演を観に行ったが、結局退学にはならなかった[2]

若い頃に、「64歳になったらイギリスでビートルズ巡礼の旅に出よう!」と決意[2]。以降プライベートはもちろん、海外ロケの仕事を依頼されても、イギリスだけは頑なに断ってきたという[2]。そして、64歳になった時に長年の夢を叶え、ジョン・レノンの生家などを周って大満足したとのこと[2]

代表曲[編集]

当曲の大ヒットにより、全国の「サチコ」という女性から「『さちこ』っていう名前、自分で嫌いだったけど、この歌を聴いて好きになった」といったファンレターが大量に寄せられた[6]。なお、ニック・ニューサ1981年にリリースした「サチコ」とは完全な別物である。

発売当時、MBSヤングタウン金曜日でザ・ベストテンにこの曲をランクインさせようという呼びかけ(机・イッツマイライフ運動)が起こり、その結果同番組のはがきリクエストランキングで最高9位を記録した。ヤンタンファンへの感謝とメッセージをこめてザ・ベストテン「今週のスポットライト」コーナー登場時、カメラに向かってピックを投げるという公約を守った。なお、運動名の由来は、当時ベストテン入りしていた大川栄策が得意のタンス担ぎを披露したことに対し、同じく顔が大きいからという理由でこれに対抗して「それならばんばんは机を担げ」という流れによるものであったが、さすがに本番のスタジオに机を抱えて登場することはできなかった。なお当時、自ら「自分は、4年に一度ヒット曲が出るので、オリンピック歌手と呼ばれてます」と発言していた。

ディスコグラフィ[編集]

バンバンの楽曲参照

シングル[編集]

# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
CBS・ソニー
ばんばひろふみ & ホットスタッフ 名義
1st 1978年4月21日 最終フライト05便 チェンジング・パートナー EP 06SH-286
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ & ホットスタッフ 名義
2nd 1978年10月21日 女は天使なんかじゃない ある午後 EP 06・5H-3
3rd 1979年3月21日 グッド・ラック・マドモアゼル クレイジー・シティ・パニック 06・5H-8
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ 名義
4th 1979年9月21日 SACHIKO 三日間の空白 EP 06・5H-20
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ デュエット マナ 名義
5th 1980年4月21日 青い春 (My Love Song) 空をつかまえた男の話 EP 06・5H-37
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ 名義
6th 1980年8月21日 不思議にウキウキ Give Up お嬢さん EP 07・5H-45
7th 1980年11月21日 Tenderness 旅に行こうよ 07・5H-60
8th 1981年5月21日 21才の君へ 別離 07・5H-79
9th 1982年3月21日 昨日よりも若く ピリオド 07・5H-112
10th 1982年11月21日 速達 ぼくたちの箱船 07・5H-141
11th 1983年9月21日 あの素晴らしい愛をもう一度 雨のハイウェイ 07・5H-174
12th 1984年8月25日 黄昏物語 今はまだDreamer 07・5H-209
13th 1985年7月1日 Vのシナリオ 〜吠えろライオンズ!〜 Vのシナリオ 〜吠えろライオンズ!〜 Vol.2 07・5H-251
14th 1985年9月21日 真夜中のロンリーハート サマーガール 07・5H-261
徳間コミュニケーションズ / ジャパンレコード
ばんばひろふみ 名義
15th 1986年9月25日 私のように美しい娘たち 純情サタデーナイト EP 7JAS-70
16th 1987年4月25日 嵐のキャンドル (Tango 1987) Give Up お嬢さん 7JAS-79
徳間コミュニケーションズ / ジャパンレコード
ばんばひろふみ & 兵藤ゆき 名義
17th 1988年9月10日 DEAR MY FRIEND 純情サタデーナイト EP 7JAS-107
8cmCD 10JC-331
徳間コミュニケーションズ / ジャパンレコード
ばんばひろふみ 名義
15th 1989年4月25日 いい女だね 悲しみに抱かれて 8cmCD 10J-5014
ポリスター
ばんばひろふみ 名義
16th 1993年4月25日 Loving Youもう一度 I Will Follow You 8cmCD PSDR-5002
17th 1994年1月26日 風にむかって 春から春へ PSSR-5034
zetima
ばんばひろふみ 名義
18th 1998年5月21日 Hello Again 悲しくてやりきれない 8cmCD EPDE-1002
Rice Music
ばんばひろふみ 名義
18th 2005年7月21日 のんびりと ゆっくりと 風に乗って Maxi PKCP-2012

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ & ホットスタッフ 名義
1st 1978年10月21日 Starship Radio Station LP 25・3H-2
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ 名義
2nd 1979年10月21日 ひとり海へ還る LP 25・3H-9
3rd 1980年8月21日 COAST 27・3H-23
4th 1983年6月22日 空をつかまえた男の話 28・3H-91
5th 1983年10月21日 今はまだDreamer 28・3H-101
徳間コミュニケーションズ / ジャパンレコード
ばんばひろふみ 名義
6th 1988年11月25日 DEAR MY FRIEND LP
CD 32JC-376
FFA
ばんばひろふみ 名義
7th 2001年6月30日 Hello Again CD FFAC-1012
UP-FRONT WORKS
ばんばひろふみ 名義
8th 2012年10月17日 メイド イン 京都 CD UFCW-1035

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
EPIC・ソニー
ばんばひろふみ 名義
1st 1985年4月21日 それぞれの昨日 CD 30・8H-35

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
Vのシナリオ 〜吠えろライオンズ!〜 文化放送協力西武ライオンズ応援歌 シングル「Vのシナリオ 〜吠えろライオンズ!〜
私のように美しい娘たち ハウス『王風麺』CMソング[7] シングル「私のように美しい娘たち
純情サタデーナイト KTVエンドレスナイト』テーマソング
DEAR MY FRIEND 関西テレビ放送『エンドレスナイト』テーマソング[8] シングル「DEAR MY FRIEND
Loving Youもう一度 テレビ東京系『いい旅・夢気分』エンディングテーマ シングル「Loving Youもう一度
I Will Follow You 関西テレビ『熱血!ハイテンション』オープニング&エンディングテーマ
風にむかって 関西テレビ『きよしヘレンの歌仲間』エンディングテーマ[9] シングル「風にむかって
Hello Again テレビ東京系『徳光和夫の情報スピリッツ』エンディングテーマ[10] シングル「Hello Again
信用組合コマーシャルソング[注釈 1]
サントリーフーズペリエ』CMソング[注釈 2]

出演番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 1997年から使用されていた
  2. 2004年に使用

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 テンプレート:Cite book ja
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 2.24 2.25 2.26 2.27 週刊現代2023年7月15・22日号「私の地図」第560回・ばんばひろふみp78-80
  3. 本人は、「ふすまを一枚隔てた向こうから三味線の音や謡(うたい)の声が聴こえてくるです。子供心に“あっち側はきらびやかな世界なんだろうな”って思うわけです。毎日楽しそうな雰囲気を全身に感じながら暮らしていた。僕にとっては日常のことやったけど、今にして思えばずいぶんシュールな環境で育ったもんやと思います」と回想している[2]
  4. 本人は、「最初は“軟弱なフォークなんて”と断ろうとしたんです。でもちょっと待てよと。ロックで長髪の僕がフォークでアイビールックの連中の中に入ったらめちゃくちゃ目立ってモテるやろうって考え直してやり始めたんです(笑)」と回想している[2]
  5. 本人は、「あの頃はずっと宛もなく“金脈”を掘っていたような気分でした。新曲を出すたび“次の一撃でドッと金が出るかもしれない”。そう思うと音楽を辞める決断がどうしてもできなかった。言い換えれば、音楽を辞める理由を探すために東京に出ていった気がします」と述懐している[2]
  6. 明星1980年2月号p.150
  7. (2018-05-09) ♪私のように美しい娘たち / ばんばひろふみ (2018.5.9水) ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー! ラジオ関西 2018-05-09 [ arch. ] 2020-10-18
  8. () DEAR MY FRIEND ORICON NEWS ORICON [ arch. ] 2020-10-18
  9. () 風にむかって ORICON NEWS ORICON [ arch. ] 2020-10-18
  10. () Hello Again ORICON NEWS ORICON [ arch. ] 2020-10-18

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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