狩野英孝

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狩野 英孝(かの えいこう、1982年2月22日 - )は、日本お笑いタレントピン芸人)である。本名同じ。身長は176cm。愛称カティイケメンキモメンヒゲメンペイちゃんあの英孝など。アーティスト名は50TA(フィフティーエー)、作詞作曲桜田山神邪(さくらだ しんや)名義で活動している。

宮城県栗原郡栗駒町(現在の栗原市)出身。マセキ芸能社所属。日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科卒業(15期生)。

経歴[編集]

宮城県築館高等学校卒業。

高校時代は弓道部に所属し、宮城県代表の国体選手に選抜されるほどの腕前だった。

実家は神社であり、神主の資格を取るために國学院大学神道文化学部に進学することを考えていたという。

俳優を目指して2000年(平成12年)に上京し、日本映画学校俳優科に入学。しかし3年後の卒業に当たって、映画や芸能事務所のオーディションなどになかなか合格出来ず、困っていた所を同校講師による紹介でマセキ芸能社に入れてもらう。なお、事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャンも同校出身である。

改めて芸人の道を目指すこととなったが、ネタ作りの手段すら知らず、周囲からのアドバイスを受けながらキャラクター作りを始めた。『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦をモデルにした勘違いしたナルシストキャラクターを確立。キャラクターのわかりやすさから次第にブレイクし、売れっ子芸人となった。2009年には「来年には一発屋と呼ばれ、消えていそうな芸人」にランクインし、同じくランクインした小島よしおとともに2010年からトークライブ「消えたくない二人」を始める。

2011年平成23年)10月5日に3歳年上の一般女性と婚約したことを会見で発表した。予定通り、自身の30回目の誕生日となる2012年平成24年)2月22日に婚姻届を提出。

芸風・持ちネタ[編集]

一人芝居でのコントをメインとする。ラーメン屋キャビンアテンダントホスト新聞勧誘員教師自動車教習所教官、眼科医師などのシチュエーションをそれぞれ自称イケメンナルシストキャラで演じる。

  • 「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」
  • 「赤貝・ミル貝・ナイスガイ」
  • 「いーけないんだ、イケメンだ」
  • 「スタッフゥー、スタッフゥー
  • 「楽しい・嬉しい・僕セクシー」

などのフレーズが有名。三拍子でのギャグは、島木譲二の「しまったしまった島倉千代子」がヒントだという。また特技のタロット占いをネタ(あるある)にすることがある。

人物[編集]

  • トーク番組などでネタを披露しない際も、イケメンと強調して周りにツッコまれている、いわゆる弄られキャラ。さらに弄られた際のリアクションがほぼ一般人のそれと同じであったり、的外れな返しを行うことから、天然キャラとしての地位も確立している。有吉弘行からは「第2の上島竜兵」「出川哲朗の後継者」と評される。内村さまぁ~ずロンドンハーツでは、出川とひっくるめて「マセキ幼稚園」と揶揄されている。
  • ナルシストな芸風とは裏腹に、素顔は誠実で礼儀正しく、地方の営業に訪れた際にも観客や関係者全員に対して必ず挨拶するなど、礼儀を欠かさない。
  • 高校時代『進め!電波少年』をよく見ていて猿岩石ドロンズヒッチハイクの旅に憧れた。男なら一回はヒッチハイクをやるべきと考え、高校三年生の夏休み1ヵ月をかけてヒッチハイクの旅に出ることを決意。ギターを始めたばかりでもあり、当時大好きだった19(ジューク)の出身地広島へ行き、19と同じストリートでライブをやってスキルを上げようと考えた。親からは反対されたが、朝食を食べた後、ギターを抱えて国道に飛びだして行き親指を突き立てた。すると一台目にトラックが停まってくれて「どこまででもいいから乗せて行ってほしい」と頼んだところ、偶然にもそのトラックは広島行きの長距離トラックで、片道8時間で広島に到着した。さらに運転手が優しい人で「広島で荷物を降ろしたら仙台に連れて帰ってやるよ」と言われ、計16時間で仙台に帰って来れて自宅で親と夕飯を食べることができた。そのため、未だに家族は狩野が広島にヒッチハイクに行ったことを信用していないという。
  • 宮城県ゆかりの著名人が任命される「みやぎ夢大使」になっているが、サンドウィッチマンに先を越されたため、サンドウィッチマンをライバル視している。また尊敬する芸人として、同じ事務所の先輩で、「みやぎ夢大使」の任命も受けているマギー審司の名前を挙げる
  • 2011年4月16日に、山口県内で実施のイベントに出演のため新幹線で移動中に、列車内で置引き被害に遭い、ネタ帳や自分の運転免許証などを盗まれた。その後、ブログで「財布に入っているお金全部あげます。その代わりちょっとでもいいんで(東日本大震災義捐金)募金してください」と述べた。
  • ホストネタ」をメインの芸に据えているが、自身にホストの経験はない。過去に『オジサンズ11』に出演した際は、企画で集められた大勢のホスト達の中に紛れ、「偽ホスト」として出演していた。芸が認知されて以降、ホストクラブへの営業が入るようになり、実際にシャンパンタワーをオーダーさせるなどの実績を残した。ホストキャラと白いスーツであるが、売れる前は紺のリクルートスーツでネタを行っていた。貧乏な時期に金銭的に苦しい中、思い切って白のスーツを新調し、『爆笑レッドカーペット』のオーディションに合格して大ブレイクした。
  • 2008年(平成20年)夏に写真週刊誌FRIDAY』(講談社)に一般女性と交際している記事が掲載されたが、その号が発売された日に交際が終わったことを後に明かした。

櫻田山神社とのエピソード[編集]

実家は約1500年続いていると言われる櫻田山神社で、同神社は、2008年(平成20年)6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震により鳥居が崩壊するなどの損害を受けたが、由緒ある神社であるにもかかわらず、市が援助をしてくれないことを嘆いていた。しかしその一方で、匿名の義捐金が寄せられたり、賽銭が増加したりしている。

38代目宮司である父親(2012年9月に死去が報じられる)を継いだ場合は39代目に当たる。神主を継ぐことに反発し芸人になったが、2008年(平成20年)6月28日放送の『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』で江原啓之美輪明宏に説得され、神主の資格取得を決意する。

2009年(平成21年)4月12日に地元の要望に応え櫻田山神社で無料ライブを開催しアカペラ・ギャグ・撮影会などを行い、4,000人の観客を集めた[1]

2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも神社が被災。鳥居が倒れるなどの被害に見舞われ、翌日の昼過ぎに親と連絡が取れ、同年8月時点では、ほぼ100%復興したと報告した。

乾燥肌なので、実家から一升瓶に入っている手作りの化粧水を送ってもらっている。

出演[編集]

テレビ番組[編集]

全国ネット番組[編集]

民放地上波番組は系列局制作のものを含む。 NHK

明石家さんちゃんねる

ローカル放送番組[編集]

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CS番組[編集]

ラジオ番組[編集]

ネット番組[編集]

CM[編集]

アニメ・ドラマ[編集]

ゲーム[編集]

単独ライブ[編集]

  • スペシャルパンキッシュガーデン 狩野英孝ファーストライブ『Ciel』(2008年8月24日、新宿シアターモリエール)

出版物など[編集]

狩野英孝の作品を参照。

フード企画[編集]

2009年2月am/pmにて狩野英孝プロデュースの調理麺とデリカテッセン「狩野英孝のイケメンパラダイス!」を発売(関東地区限定)。

  • 「ラーメン、つけメン、ボクイケメン キラキラ背脂豚骨醤油ラーメン 〜ゆずれない恋の味」490円(税込)
  • 「Wスープつけ麺(塩醤油) 〜一つになんて絞れない、みんな同時に愛してる」450円(税込)
  • 「ボク 南蛮(No.1)パスタサラダ 〜バンバンまぜてオッケ〜イ(OK)〜」428円(税込)
  • 「キミ(黄身)がいてよかった… ソースビーフン(美一粉)」440円(税込)

2009年5月25日から6月までの期間限定企画として、ロッテリアで「『ラブハリケーン』発売記念!狩野英孝×ロッテリアコラボ企画」を実施。絶品チーズバーガーとポテト・ドリンクのセットメニューが、通常価格650円から550円となり、さらに狩野の携帯電話用着信ボイスが提供される。店舗内BGMとして「ラブハリケーン」が流れた。

脚注[編集]

  1. 2009年4月13日放送『ワイド!スクランブル』、および2009年4月14日読売新聞朝刊社会面より

外部リンク[編集]

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