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テンプレート:保護S 佐藤 秀二郎さとう しゅうじろう、1935年6月23日 - )は日本ニュースキャスタージャーナリスト

神奈川県大和市出身。元、早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(専任扱い)。現在、立命館大学客員教授血液型A型。

来歴・人物

東京都立小山台高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。在学中は合唱団「グリークラブ」に所属。朝日新聞社では政治部、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任。政治部時代には内閣総理大臣三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派の人脈と親交を深めた。同社記者時代の1977年10月から1982年9月までにかけて『日曜夕刊!こちらデスク』の司会者となる(テレビ番組デビュー作品)。又、タモリ朝日新聞社CMにも出演した。

1984年1987年までの間、雑誌「朝日ジャーナル」の編集長。

「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」の連載で、当時の若者のリーダーたちにインタビューし、対談を通じて時代の気分を探ろう・表し出そうと試みた。この連載で新人類なる言葉を世に広める(新・人類の意と新人の類の意)。

シリーズ「日常からの疑問 こんなものいらない」の代表記事は、『現代無用物事典』および『こんなものいらない事典』(いずれも新潮社)として出版され、話題を呼んだ。

1989年10月から、TBSのニュース番組「筑紫哲也 NEWS23」のメインキャスターを務める。評論(特にコラムコーナー『多事争論』)が人気を集める。彼のジャーナリストとしての社会的な発言には、常に毀誉褒貶がつきまとうが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、久米宏と並んで民放のニュースキャスターの顔として広く認知されるに至った。ウォルター・クロンカイトを尊敬しているらしく、クロンカイトに倣ってエンディングで決め台詞「―では、今日はこんなところです。」を使用。

又、雑誌週刊金曜日」の編集委員や、創価学会と関係の深いの雑誌『』による「潮賞」の「ノンフィクション部門」選考委員も務めている。

1992年12月30日から1993年1月1日まで「元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ」の総合司会を担当。

1995年の一連のオウム真理教関連の犯罪が明らかになった際に、TBSのワイドショー3時にあいましょう』のスタッフがオウム真理教幹部に坂本堤へのインタビュー映像を視聴させるというTBSビデオ問題が発覚した。これが、その直後の坂本堤弁護士一家殺害事件発生のきっかけとなったとされて、TBSが世間からの非難の嵐にさらされていた(TBSビデオ問題)。この問題に関し、筑紫は自身の番組「NEWS23」でTBSの対応に疑問を呈し続けた。社長が過ちを認めた1996年3月25日のNEWS23他事争論で、筑紫が「TBSは死んだに等しい」と発言したことは、賛否両論を巻き起こすことになった。

1995年1月17日阪神大震災で、被災地からの生中継で、焼けた建物から上がる煙を見て第一声に「まるで温泉地に来ているようです、そこらじゅうから煙がまいあがっています」といった。また、近年では、北朝鮮による日本人拉致問題に関する一連の報道で、北朝鮮寄りの言動が多いことから、拉致被害者及びその家族や関係者などからは強い非難が寄せられている要出典辻元清美に政界入りを勧めたことでも知られ、秘書給与流用問題の際には、彼女の政治団体に夫人名義で寄付がされていたことも話題になった。要出典

2003年自民党総裁選では「小泉圧倒的有利」の分析を討論の前に行ったところ、当時、自民党の有力者だった亀井静香「ツクシさんね~。」と筑紫の事を呼び間違えた。さらに同年の総選挙の際には日本道路公団民営化について「玉虫色の結果になったと言われていますが…。」という発言をし、総理小泉純一郎が激しく抗議すると筑紫は「いや、ですから…。」と言い、当時、民主党の代表だった菅直人が仲裁に入った。

2004年5月13日放送分の「筑紫哲也 NEWS23」で、自身の年金未納(1989年~92年6月の2年11か月)を謝罪し、翌日から一時番組の出演を見合わせた。イラク戦争に対しては正当性を疑問視し、自衛隊のイラク派遣を含めて積極的な問題提起を行っている。

出身地日田市に自由の森大学を創設し、学長をしていた(2006年3月閉校)。イラストレーター筑紫ゆうなは次女。

TBSと専属契約を結んでおり、原則としてTBS系列の放送局以外でのTV出演はしない。ただし、フジテレビの番組・トリビアの泉にVTRで出演したり、年に1回テレビ朝日の特番にゲストとして出演している。

リベラル派文化人の代表格だが、保守的政治家との親交が多いことや、議論で追い詰められても反論しようとしないことを理由に、「享楽主義的ノンポリで思想信条は無い」と宮崎哲弥猪瀬直樹らは批判している。

歌手の井上陽水のマリファナ使用問題に対しては、「自分もアメリカマリファナを吸ったことがあるが、タバコよりは害が少ないことは医学的に明らかであるし、これを日本で使用すると違法ではあるが、そのことと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」という趣旨のテレビ発言をし、そのとき一緒に出演していた朝日新聞同僚記者が激怒して話題となったが、極少数の芸能人若者からは支持を得た。

山本モナ降板問題

2006年9月下旬にリニューアルされたNEWS23において、TBSはABCテレビ元アナウンサーで、当時TBSラジオ「アクセス」のナビゲーターをしていた山本モナを採用したが、リニューアル直後に、山本は民主党衆議院議員の細野豪志との不倫をフライデーにスクープされた。これについて筑紫は彼女への言及をテレビではせず(当該フライデー発売日の番組打ち合わせの席で、スタッフに対し「あいつはもうここに入れるな」と激怒しながら言ったということが後に複数の週刊誌で報道された)、その姿勢を勝谷誠彦などが批判した。一方で「人が誰を好きになろうが付き合おうが勝手だが、国会議員と恋愛関係にある人間がその状態を維持したまま、公共性を担保しなければいけないはずの報道番組キャスターの仕事を請け、実際に出演したということは、ひとつには公人としての社会的背任行為であるし、TBSに対しても損害賠償を求められてもしかたがないほどの行為だ。TBSの取りうる態度は番組内で徹底的に糾弾するか、あるいは山本の将来のことを考えて(オフィス北野との関係もあり)完全に潰さず「病気療養」ということで済ませるかしかなく結局、後者をとったのではないか」という分析もある。ラジオで共演していた宮崎哲弥は山本のことを「大馬鹿野郎」と叱責。一方かつてから山本とも細野とも親交が深かった勝谷誠彦はそのことには一切言及しないまま「降板させるとはTBSは冷たすぎる、何も言及しない筑紫は冷酷だ」と批判した。

初期の肺がんを告白

2007年5月に、筑紫は「私は初期の肺がんです。」と告白。しばらくの間は抗がん剤で療養に専念しながらも、NEWS23の「多事総論」では、重要な時があった場合は音声越しで出演した。筑紫の告白の影響で、メディア、著書における筑紫への批判は完全にタブーというケースに至った。10月上旬に退院し、「がんはほぼ撃退した。」と明かしていたが、「重要な時だけに出る。」という形に至り、後任のキャスターを後藤謙次にバトンタッチし、スペシャルアンカーという役割で行う事になった。

滝廉太郎との縁

滝廉太郎は大伯父(滝の妹・トミが筑紫の祖母)。筑紫自身はかつて「私には音楽の才能がないので、私が『滝廉太郎の親戚』であるということを非常に戸惑っていた」と述懐している。1993年より、竹田市にある滝廉太郎記念館の名誉館長を務めている。

2002年5月21日に、母校の早稲田大学で行われた早大創立125周年と野口雨情生誕120年を記念する菅原やすのりのコンサートで、野口雨情の孫・不二子と対面している。ちなみに、作詞・野口、作曲・滝の組み合わせの曲はない。

余談

  • 2005年9月11日、TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、メインアンカーとして参加し、元『ニュースステーション』の久米宏と実に14年ぶりの共演となった。「乱!総選挙2005」の視聴率は、民放で第1位だった。
  • 2003年4月10日福岡ドーム井上陽水武田鉄矢らが中心となって開催されたコンサート「ドリームライブ in 福岡ドーム」のオープニングで「多事争論」の収録を行ったが、その時カメラマンを務めたのは南こうせつだった。しかし「福岡ドーム」と言うべきところを間違って「東京ドーム」と言ってしまい、南こうせつからそれを指摘されていた。

著書

  • 『筑紫哲也の 乱世を生きよ!―大変な時代を生きるヒント』(日本経済新聞社ISBN 4532162424
  • 『筑紫哲也の この「くに」のゆくえ』(日本経済新聞社)ISBN 4532161924
  • 『沖縄がすべて』(照屋林助との共著。河出書房新社ISBN 4309011721
  • 『筑紫哲也の世世世(ゆーゆーゆー) パート3』(沖縄タイムズ社)ISBN 4871271382
  • 『日本23時―今ここにある危機』(小沢書店)ISBN 4755103428
  • 『マイ・アメリカン・ノート ポトマックの両岸』(朝日新聞社)ISBN 4022602678
  • 『メディアの海を漂流して』(朝日文庫)ISBN 4022603402
  • 『若者たちの神々』1~4(朝日新聞社) - 1984年から1985年の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
  • 『若者たちの大神』(朝日新聞社) - 1986年から1987年の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
  • 『新人類図鑑』1・2(朝日文庫) 1986年刊 - 対談時10-20代の若者34人との対談集。
  • 『元気印の女たち』(すずさわ書房) 1987年刊 - 39人の活躍する女性たちとの対談集。

文献