ほうとう

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ほうとう専門店のほうとう

ほうとうとは山梨県甲斐国)を中心とした地域で作られる郷土料理である。

基本的には小麦粉を練った平打ちの野菜を主体として味噌仕立ての汁で煮込んだ麺料理の一種である。しかし、使われる穀物は小麦粉に限らず、また形状も麺に限らない。

他地域からはほうとうについて「うどんの一種」と見られることもあるが、地元の山梨県では「ほうとう」は「うどん」とは同一のものと認識されていない。

一説には「ほうとう」は「すいとん」の一種とも考えられており、これが「うどんではない」と捉えられる原因と思われる。実際、よく見られる麺状に伸して入れる「のしいれ」以外にすいとん的な小塊の状態で供される例が今も稀に見られ、地元民の意識ではこれも「ほうとう」のカテゴリーに含めて扱われている。

ほうとうの起源[編集]

山梨県(甲斐国)では近世に養蚕の普及による桑畑化で田地が集約され、裏作でのの栽培が一般的となったことから、おねりおやきなど粉食料理の体系が発達した。ほうとうもそのなかに位置付けられる。

一説には山梨県内でも特に寒冷でかつ火山礫の多い郡内地方で起こったともいわれるが、隣接する長野県静岡県埼玉県から群馬県に至る山梨県同様に近代に養蚕業が発達し、食料消費調査において麺食比の高い地域には類似の郷土食が多く存在している。それらに「ほうとう」の呼称が使われていることも多い。

例えば北関東でも比較的山梨県寄りである群馬県および埼玉県内には類似した醤油味の煮込み麺料理「おっきりこみ」「煮ぼうとう」があり、この地域において広範な平打ち麺文化が形成されていると言える。

広範な地域に及ぶほうとう文化をさらに活性化させるため、埼玉県深谷市では2004年から「ほうとう」と群馬の「おっきりこみ」、深谷の「煮ぼうとう」、秩父の「ほうとう」の味対決イベントが行われている[1]

「信玄起源説」と、観光食としてのほうとう[編集]

「ほうとう」については武田信玄に由来する食物とする俗説が広く流布している。

戦後の産業構造の変化に伴い観光産業が山梨県の主要産業となると、戦国期の甲斐国主である武田信玄が郷土の象徴的歴史人物として観光振興に利用されるようになった。このため、他の物産と同じく伝統的日常食であるほうとうも「信玄の陣中食」と称され、観光食としてのアピールを目的としていくつかのバリエーションのある信玄起源説が喧伝されるに至った。現在、ほうとうは観光地を中心に山梨県内各地の飲食店で広く供されている。

ここから更に極端な説になると、「武田信玄の陣中食だったほうとうが、武田家滅亡後に徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって徳川家に伝えられ、名古屋味噌煮込みうどんの起源となった」などとも言われるが、信頼に値するかは疑わしい。

ほうとうの語源[編集]

「ほうとう(おほうとう)」の呼称は甲府盆地を中心とする国中地方中心の呼称で広く一般的であるが、郡内地方ではニコミ(ニゴミ)、県南部の河内地方ではノシコミ(ノシイレ)などの異称が見られる。

「餺飥」語源説[編集]

現在広く知られる説として、「ほうとう」の名は「餺飥(はくたく)」の音便したものであるとされる。この説の詳細は以下の通り。

「餺飥」は奈良時代の漢字辞書である『楊氏漢語抄』(逸書。平安中期の古辞書『和名類聚抄』に引用)に見え、院政期の漢和辞書である『色葉字類抄』に既に「餺飥 ハクタク ハウタウ」として登場するから、この頃にはもう「はうたう」という語形になっていたことがわかる。このように「ほうとう」は「うどん」以上に歴史のある食品であるが、伝来時期は異なるとはいえ「ほうとう」が「うどん」と同じく中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。現代の陝西方言ワンタンのことを「餛飩」と書いて「ホウトウ」と発音することは、一つの参考となるようである。

ハタク・ハタキモノ語源説[編集]

山梨県の郷土民俗研究の立場からは「ほうとう」の呼称は江戸中期の甲府勤番士日記『裏見寒話』において見られ、小麦粉で作った麺に限らず穀物の粉を用いた料理全般に用いられていることが指摘されている。穀物の粉をハタキモノと呼び、粉にする作業を「ハタク」と呼ぶ事から、「ほうとう」の語源はハタクあるいは穀物の粉を意味するハタキモノが料理名に転用されたのが妥当と考えられている[1][2]

「餺飥」語源説に関しては戦後の食文化に言及された郷土研究文献にもほうとうの語源に言及したものが少なく、「ほうとう」の語源は観光食として広く喧伝されるようになってから信玄起源説と関係して広く展開され一般化したと位置付けられている。ほうとうに関係する由来伝承は信憑性が薄く、観光食化する過程でさまざまな歴史的知識に基づき語源の推論が重ねられて由来伝説が形成されたものであるとするのが郷土史家側からの捉え方である。

しかし日本語学的見地から見た場合、動詞「ハタク」の文献上の初出が室町中期の古辞書『温故知新書』(1484年)と比較的遅いのに対し、「ホウトウ」は前記『色葉字類抄』以外にも平安後期の『枕草子』や南北朝~室町初期の古辞書『頓要集』に「はうたう」「餺飥 ハウタウ」として見えており、「ハタク」から「ハウタウ」の称が生まれた、とすると時系列的に矛盾するという事実も存する。

その他の説[編集]

同音の「宝刀」や「放蕩」などを語源とする説も存在する。前者に関しては「信玄が自らの刀で具材を刻んだ」といった謂れもあるが、信玄起源説が広まるなかで新たに創造された俗説と考えられ、言語学的見地からも否定される。

調理・具材[編集]

生地は木製のねり鉢(ゴンバチ)で水分を加えた小麦粉を素手で練り、出来あがった生地はのし棒を使って伸ばされ、折り重ねて包丁で幅広に切り刻む。うどんと異なり生地にはグルテンの生成による麺のコシが求められない傾向にあり、生地を寝かせずも練りこまない。また、麺を湯掻いて塩分を抜く手順が無く、生麺の状態から煮込むところに特色がある。

味噌仕立ての汁に具のカボチャを煮崩して溶かしたものが美味であるとされる。出汁煮干でとり、日常食では出し殻もそのまま入れられる。具は季節野菜が中心となり、夏にはネギタマネギジャガイモなどを入れ、冬にはカボチャやサトイモニンジン白菜シイタケシメジなどのキノコ類が入り、好みで豚肉鶏肉などを入れる。栄養学的には小麦粉や芋類によるデンプン質、野菜類や味噌によるビタミン類や繊維質に富んだ料理といえる。

基本的に食材を選ばない性質から「陣中食」として小麦粉と味噌だけを持参し具を近所で調達したという説を推す向きもあるが、「信玄起源説」に基づく牽強付会の傾向を否定できない。

家庭等での材料に用いられる市販品はうどんより幅広くやや薄い。家庭では一般にはどんぶりに盛られ一食分の主食として供されるが、味噌汁のごとく汁物として白飯に添えられることもある。

料理店はボリューム感を出すために極広厚の麺を使うことが多い。容器も鉄鍋で出てくることがほとんどで、鍋物の様な体裁を呈する。

小豆ぼうとう[編集]

汁粉の中に白玉の代わりにほうとうの麺を入れたもの。より正確な表現をすれば汁粉のような水っぽい小豆の汁ではなく、麺に適度な粘りのあるぼたもちのようなあんをのせて食べるスタイルになる。

大分県の郷土料理「やせうま」などにも通じる菓子のような性格があり、通常のほうとうに比べて納豆甘納豆ぐらいの差異がある。その意味では現代に言うところの「うどん」のカテゴリーからは大きく逸脱する食物である。

なお小豆ぼうとうは本来、甲州でも限られた地域で作られていたもので、山梨県内全域においてはさほど普遍的な食べ方ではない。一般的な店で供されることはほとんどないが、山梨県内でチェーン展開する「小作」では通常メニューに加えている。

ほうとうと山梨県[編集]

山梨県人は「ほうとう」はあくまで「ほうとう」であって、一般に言う「うどん」とは異なるものとして認識している(名古屋人の「きしめん」に対する意識と類似するものがある)。粉食文化の浸透から、山梨県ではほうとう以外にも夏食べる冷麦を「おざら」、冬食べるうどんを「ゆもり」と特に呼ぶことがある。また、日本で全国的に見られる冬至にかぼちゃを食べる習慣から、山梨県内では冬至にはかぼちゃのほうとうを食べることが多い。

かつては麺を打つところから家庭で行い、農家の労働力でもあった主婦にとって調理法が簡易であることから大家族の食を賄うことができる日常食として食された。麺の加減や煮込む具材を応用した自己流の作り方があり、家々毎に「おふくろの味」の個性表現をすることができた。日常食としての「ほうとう」は麺よりも野菜の量が多く、対して小麦粉を消費する「うどん」は特別な日(モノビ)や来客時に振舞われる贅沢な料理であると意識されており、両者の区別は明確であった。

戦後には高度経済成長に伴う産業構造の変化で農業が衰退し、米食が一般化すると日常食としての地位は下がる。現在でも山梨県地方においては献立レパートリーのひとつとして食されつづけているが、スーパーマーケットにおいて固形出汁や既製品の味噌をはじめ、ほうとう向けの幅広麺が販売されていることから自家用に麺を打つことも少なくなり、観光食ほうとうの影響も受け製法や味も画一化されている傾向にあり、日常食としての在り方は変化している。

脚注[編集]

  1. 影山正美「ホウトウ」『山梨県史民俗編』(2003)第二章「一日 一日のケの生活」第五節
  2. 影山正美「観光食ホウトウの誕生」『山梨県史民俗編』第三章(2003)「開発 観光開発と民俗」第三節