報道におけるタブー
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報道におけるタブー(ほうどうにおけるタブー) 本項目では、何らかの事情で報道にのりにくい事柄について類型ごとに概観する。言論の自由・報道の自由の下、法的に報道が禁じられているわけではないが、抗議や不利益のために報道しづらい状況がある。在京キー局や、全国紙などでその傾向が著しい。
目次
- 1 概要
- 2 日本におけるタブー
- 2.1 菊タブー
- 2.2 桜タブー
- 2.3 検察タブー
- 2.4 文壇タブー
- 2.5 被害者タブー
- 2.6 反社会的行動啓蒙タブー
- 2.7 反米啓蒙タブー
- 2.8 中韓朝タブー
- 2.9 野党タブー
- 2.10 左派言論人タブー
- 2.11 マスコミタブー
- 2.12 スポンサータブー
- 2.13 広告代理店タブー
- 2.14 死刑啓蒙タブー
- 2.15 公安権力行使推奨タブー
- 2.16 鶴タブー
- 2.17 責任追及タブー
- 2.18 反社会組織礼賛タブー
- 2.19 自殺タブー
- 2.20 犯罪誘発タブー
- 2.21 人権蹂躙啓蒙責任タブー
- 2.22 責任放棄タブー
- 2.23 ヘイトスピーチタブー
- 2.24 アーレフタブー
- 2.25 その他のタブー
- 2.26 現存しないタブー
- 3 脚注
- 4 関連項目
概要
言論の自由・報道の自由は民主主義の実現には欠かせないことだが、マスコミとて利潤を追求する企業なので、読者や視聴者、国内外の政府や地方公共団体、公的活動をする様々な組織や様々な財団・団体、企業や広告代理店、宗教団体などの特定思想団体、からの抗議や不利益を恐れてタブーを作ってしまうのである。当然、これに対する批判はとても多い。
また、それを逆手にとって売り物にしているマスメディアもある。
一般に、受信料を自ら確保しているNHKはこの影響が少ないと言われる(ただし、元々NHKは公共放送である、「他の放送局の範であるべき」といった立場から、そもそも過激な報道は行わない)。
このタブーをきちんと理解し、日々の生活に役立てるのはメディア・リテラシーを養うためには必要不可欠な事である。
日本におけるタブー
日本における報道のタブーについては各個人の思想などによっていろいろ別に主張がされており(特に右派左派、宗派などで)、統一されていない。
菊タブー
天皇、皇室に対する批判が、社会的圧力や直接的な暴力によって制限されることがあり、それを恐れて自主規制される。靖国神社問題などでは批判的な意見もそれなりの分量をもって報道されるのに比べ、皇室に慶事などが起きると天皇制(象徴天皇制)支持一辺倒の報道になり、天皇制廃止論は事実上無視され、報道量に著しい不均衡が生じているのもこれらの自主規制が遠因になっているとする意見もある(中奥宏『皇室報道と「敬語」』)。天皇制に対して批判的な言論には、極右団体が暴力的に圧力をかける事が多い。しかし、それは言論の自由の枠を超えた良識の問題であるとする意見も存在し、タブーと判断するかは個人の裁量に委ねられる。
また、宮内庁の意図を無視した皇室報道をした場合、宮内記者クラブから締め出されるということもある(詳しくは菊タブー参照)。
桜タブー
桜は警察紋章(正確には「旭日章」)に由来する。日本最大の権力機関である警察は、同時に市民生活にも密着し、またその保持する情報の質、量は他機関の比ではない。いくつかの隠蔽し切れなくなった警察不祥事を除き、現在でも様々な“裏”がある事は、内部告発などに見るように公然の秘密である。しかし、これを大々的に批判すると、事件取材の際に取材拒否・記者クラブ出入り差し止めを受ける事から、各社共及び腰となる。勢い、この種の取材は規制を受けないフリーランスジャーナリストの独擅場となる。
- この桜タブーを破った事例として、最近では、『北海道新聞』(道新)が、2004年1月より行った北海道県警裏金問題追求が挙げられる。2年間で1400件の記事が掲載された一連のキャンペーンで、道警は組織的な裏金作りを認め、使途不明金約9億6千万円の返還に追い込まれた。また道新は、日本ジャーナリスト会議大賞・日本新聞協会賞・菊池寛賞・新聞労連ジャーナリスト大賞等、各賞を受賞した。しかし、一連のキャンペーンは道警の報復を呼び、取材活動で多くの支障が生じた。2006年1月の「道警の泳がせ捜査の失敗で道内に覚醒剤が流入」とした記事は、道警への直接取材ができない中、伝聞に基づくものであったため、2005年3月に「不適切な記事」として「おわび」の記事掲載を余儀なくされた(しかし記事の訂正には応じない姿勢を示したため、道警が記事の削除と結果説明を要求し、対立が続いている)。こうした中、2006年6月、関連会社社長より道新社長に対し、このままでは経営に影響が出るとして文書による退陣要求が出るなど、混乱が生じているのが現状である。
- 桜タブーを破ったが故に報復を受けたというのは『ザ・スクープ』のケースが有名である。紆余曲折の末に「検証報道番組」という独自のスタイルを確立した同番組は桶川ストーカー殺人事件の検証報道において埼玉県警察の怠慢捜査が殺人に至った最大の原因であると暴き、徹底追求した結果ついに認めさせることに成功。道新のケース同様数々の賞を受賞したが、この事が原因で製作元のテレビ朝日は同様の報道が妨害されるようになり(現在も同様の報道をするが大々的になると及び腰になっている)、更にメインキャスターの鳥越俊太郎が『サンデー毎日』の記者時代にイエスの方舟事件で主宰の千石イエスを匿っていたという過去からか、警察庁が総務省を介して番組打ち切りの圧力をかけるようになり、ついには製作元がこれに抗する事が出来ず、結果、ローカル枠格下げ→一旦放送打ち切りに追いやられた。現在は不定期スペシャルとして継続している。
検察タブー
公訴権という強い権限を持ち社会正義のために活躍する検察官は、その裏では裏金などの不正行為、強引な捜査・起訴などの問題を抱えている。事件の情報を得たいマスコミは検察を強く批判できない弱点がある。
- 検察の不正を追及しようとすると名誉毀損罪で起訴された『噂の真相』編集発行人岡留安則のように報復を受ける例がある。
- ライブドア事件で前社長・堀江貴文が逮捕された時も強引な捜査ではないかとの疑問が一部で持たれていたものの、マスコミは検察からリークされる「関係者によると」報道を繰り返していた。
- また、2002年4月、検察幹部に認められる調査活動費が長年に渡り私的流用されてきたとして、告発の準備を進めていたとされる、三井環前大阪高検公安部長が、別件の詐欺及び電磁的公正証書原本不実記載並びに職権乱用で逮捕され、一部からは「逮捕は口封じではないか」と指摘された。
文壇タブー
戦前の言論弾圧時代には作家も特高警察によって取り締まられて、ひどい場合には重刑に処せられたり拷問で死に至ったケースがあった。戦後これらの反省から作家の主張は日本国憲法によって保障されるところとなっているが作家の中には極端なものの考え方や特定の人間を誹謗・中傷する発言をするものがいる。普通ならマスコミは非難するものであるが、作家という肩書きを見ると戦前礼賛と曲解されるのを恐れて批判のトーンを下げてしまい、結果タブーにしてしまう。
また、こうした批判が萎縮する理由として他に、仮に批判記事によって、作家が執筆拒絶や版権(たとえば灰谷健次郎など)の引き上げを行ってしまえば、マスコミ(特に出版社)の経営に重大な影響を与えることが理由として挙げられている。しかし、文芸春秋が1970年代前半まで、文壇のゴシップ記事や作家の人物評を書いていたことでも判るように、元々タブーではなかったものを1980年代に入ってからのマスコミの肥大化と商業主義の論理によって過剰な自主規制が行われ、結果的にタブーと化してしまった側面も否定できない。
こうした中でも『噂の真相』が唯一文壇のゴシップ記事や人物批評を書き数多くの反響を巻き起こしてきたが、2004年同誌の休刊によって、文壇記事を書けるメディアが皆無となってしまった。しかし、それは「飛ばし記事」と相次ぐ訴訟の敗訴、部数低迷によるものであって、自業自得であった。
被害者タブー
犯罪や事故の被害者、およびその家族に対するタブーも存在する。
被害者等が感情に任せ、理性を欠いた発言や行動を取るのはままあることである。しかし、そのような行動をマスコミが取り上げて報道する時、被害者等に同情的な報道をすることはかなり多いが、逆にそのような行動に対して理性的に被害者等を批判する報道をすることはほとんどない。近年は犯罪被害者等基本法の施行などによって犯罪被害者の権利が尊重されるようになり、その傾向は強まっている。
被害者の発言や行動を無批判に取り上げると、厳罰化など、人権を制限する方向へ世論を偏らせる危険性もある。また北朝鮮の日本人拉致事件被害者・帰国者・家族への批判もタブー視されていると主張する者もいる。
反社会的行動啓蒙タブー
近年、官公庁による税金の無駄遣い、更には収納した税金をピンはねした裏金作りが社会的に非難を浴びているが、西欧諸国ではこのようなケースが起きた場合『良心的納税拒否運動』という市民抵抗運動が起きていて社会的に認知されている。しかし日本では税金未払い自体が非難される行動であるため、西欧諸国での運動を啓蒙すると逆に官公庁から反撃を食らうことを恐れて、結果良心的であっても反社会的な行動を啓蒙する事をタブー視してしまう。従ってマスコミでは『馬鹿みたいなことをしないようにお願いしますよ。』といわなければならないのが現状だ。
反米啓蒙タブー
日本の最大の同盟国アメリカのやり方を批判したり、他の国(とりわけ、非同盟諸国)のやり方を啓蒙すること、日本への内政干渉を指摘することはタブー視される傾向にあるともいう意見が一部にある。
たとえば、TV朝日の「報道ステーション」において、キャスターの古舘伊知郎が郵政民営化選挙報道にて新党日本の小林興起と日本共産党市田忠義のアメリカからの内政干渉を指摘する発言(アメリカから日本への「年次改革要望書」発言と、郵政民営化はアメリカの要望である、との趣旨)に対し強引に妨害を繰り返し、言論圧殺行動と批判を浴びた。しかし、映画監督マイケル・ムーアの諸作品や、反米メッセージを込めた作品を連作する竹田菁滋プロデューサーによるTBS系アニメ番組「機動戦士ガンダムSEED」や「BLOOD+」が大々的に流通している。TBSのニュース番組「筑紫哲也ニュース23」なども反米がコンテンツとしての一つの柱となっており、「軍産複合体」、「報復の連鎖」、「アメリカ帝国主義」、(福音派プロテスタントや一部のカトリックを指す)「キリスト教原理主義」といったある種の流行語も、もし「反米」が「タブー」であったら存在していないであろう。
中韓朝タブー
在日朝鮮人・韓国人問題、中国・韓国および関連団体・企業などへの否定的報道がタブー視されている。
一部のメディアをのぞいて日本のマスコミは過去の歴史について日本は中国と韓国に謝罪しなければならないという自虐史観にたっているために生じたタブーであるとされる。現在でも「南京大虐殺」・「強制連行」・「従軍慰安婦」などの存在を否定する論、日韓併合の当時の国際法からみての正当性、東京裁判が刑法の大原則「遡及処罰の禁止」から照らし合わせて無法であること、などの主張は一切許されることはない。首相が靖国神社を参拝することも否定的に報道されることがほとんどである。もともとは北朝鮮批判も同様の理由で中韓とともにタブー視されていたのだが、北朝鮮は、日本国民を拉致したことを認めたために批判的報道は若干増えた。ただしこれも拉致問題とその独裁体制に関連する批判のみに限定されている。戦前の併合についてはほぼ完全に日本側が悪いとされ、平壌宣言の中にある北朝鮮への謝罪と賠償自体は当然としている。在日朝鮮人問題では、彼らが犯罪を犯しても韓国人名・朝鮮人名は報道されず、通名(日本人名)で報道されることが多い。マスコミが在日団体の抗議をおそれ、そのため韓国や北朝鮮への偏った配慮を行っている結果である。
野党タブー
民主党・日本共産党・社会民主党など野党への批判もタブー視されているという指摘をする者もいるが、各メディアにおいてそれらの政党への批判も行われており、事実とは言いがたい。
左派言論人タブー
「弱者の味方」的な人々への批判もタブーになっていて、外国人参政権運動やフェミニズム運動などをおこなう言論人、「市民団体」、弁護士、またグリーンピースなどの環境保護団体への批判的言論はなされないという主張も存在するが、大手保守メディアにおいてそれらに対する批判は普通に行われており、また日本における捕鯨関連の報道はほぼ全て反グリーンピースの立場でなされているため、事実ではないとの反論もある。
マスコミタブー
一般的に言われるマスコミである、放送メディア企業の企業自体の利害や毀誉褒貶に直接関わるようなものもタブーとなる。再販制度や特殊指定などでは、マスコミ側の有利になる意見ばかりが報道され、不利になる意見はほとんど報道されない。また、一部のマスコミ関係者が不祥事を起こした時、当人の所属するテレビ局はマスコミが報道を控えるか、意図的に小さく報道し、マスコミ全体の世間に対するイメージが悪くならないように努める傾向がある。反対に他局の不祥事は、該当局以外は大々的に報道し、その局の悪事を徹底的に非難する場合もある。
スポンサータブー
松下電器・トヨタ自動車・日産自動車・キヤノン・JRグループ・東京電力・味の素・花王などテレビやラジオの冠スポンサー番組を持つ企業で、総会屋関与や闇取引などの不祥事を取り上げれば即刻降板・撤退という事態を招かざるを得なくなっている。とりわけ、経団連に加入している一部の企業や、電通などの大手広告代理店(後述)との関係を持つ一部の企業、若しくは多国籍企業に対するタブーが目立つ。
一方、松下電器に関してはFF式石油暖房機欠陥リコールの際に、一部マスコミが取り上げるなどタブーは破られつつあるが、松下自身も問題の報道に積極的であり、結果的に被害が拡大せず、まだ対応の良さで信頼を得ることが出来た。
スポンサータブーに該当しない雪印乳業・日本航空・三菱自動車工業・三菱ふそうトラック・バス・不二家の不祥事は大々的に特集され業績にも影響したが、スポンサータブーに該当するJR東日本の運行トラブル(2006年度だけで国土交通省からの警告4回)はトラブル発生の速報を除けば特集されることがなく業績に影響していない。
また原子力発電関係もスポンサータブーに含まれる。ある程度の事故と隠蔽体質に対する責任追及は許されるが、原子力発電そのものに対して否定的な結論を用いることはタブーとなっている。これは政府の原子力政策と連動しているとも言われる。しかし、NHKはこの原子力発電タブーの影響が薄く、「原発叩きはNHKの専売特許」とまで言われる。
広告代理店タブー
広告代理店タブーは一般的に存在が知られているタブーではない。逆にマスメディア、特に巨額のCM枠の収入で成り立つ民間放送業界にとっては大きな影響力となっている。ちなみにNHKなど公共放送においても薄くはあるがタブー意識はある。広告代理店の中には政府と関係が密な企業がある。
特に業界トップシェアを誇る電通の場合、電通社員の事件すら(しかも、普通の一般企業なら確実に大々的に報じるはずの麻薬関連の事件さえも)電通の名を伏せる、または完全に記事を封殺し、なかったことにするほどの強力なタブーとなる。しかも電通自体のみならず、電通と契約関係にある企業の不祥事さえも、電通のネームバリューで記事の縮小、匿名化、封殺のための有形無形の圧力を加えることがある。電通を敵に回した場合、巨額のCM収入が途絶え(電通と密につながってる大企業が数多く存在する)、敵と見なされたメディア企業は死活問題となる。結果として電通の不祥事、裏の面がマスメディアで大々的に報じられることはまずない。政府イベント(例えば愛知万博や小泉首相時代に行われたタウンミーティング)でも電通が関わっていたりするので、政府さえも表立って電通の批判はしない。メディアでも「政権が変わって問題が露出してから」タウンミーティング批判はしても、実質的に現場を取り仕切っていた電通への名指しの批判は一切しない。
一般の目に触れることがほとんどないためにスポンサータブーよりもわかりにくいが、企業としてのメディアの公正な行動を妨害するタブーとしてはこちらの方が大きい。
死刑啓蒙タブー
マスメディアにおいて死刑を啓蒙することに対するタブーとされる。 マスコミは司法機関でなく、犯罪を制裁する機関で無いことが理由ともいわれる。 また、マスコミの事件報道は事実関係がはっきりしない時点(公判中・前など)におけるものが多く、そのような時点で「その者が『犯罪者』と確定している」かのように扱うことは公正な裁判の妨げになるという問題もある。(推定無罪原則に反する)
2001年6月8日に起きた大阪教育大附属池田小児童殺傷事件で警察が容疑者を逮捕したことを関西テレビの『いつでも笑みを!』で取り上げる際、司会の上沼恵美子が「さっさと死刑になったらええねん!あんなの人間のカスや!」などと発言したところ、電話をはじめとする強い批判が殺到し、謝罪したケースがある。このようなこともあり、ジャーナリストでなくとも死刑に関する発言がためらわれているとする意見がある。 (ただし上沼恵美子の発言は、事実関係が明らかになっていない容疑者逮捕段階におけるものであり、死刑啓蒙タブーを侵した側面より、「推定無罪原則」への無配慮が批判されたという意見が強く、まったく別の問題ともいわれる。)
また、ジャーナリスト・コラムニストの中にはそれを逆手にとって自身のブログで死刑啓蒙発言をするものがいるが強制的に削除されるケース要出典もあった。またテレビのコメンテーターが降板当日に死刑啓蒙を匂わせる発言をするケース要出典もあった。
公安権力行使推奨タブー
1995年に起きたオウム真理教による一連のテロ事件以降犯罪に対しては断固たる対応で望むべきだという世論が高まっているが、内乱罪・内乱予備罪・騒擾罪・騒乱罪・破壊活動防止法といった公安系の罪状を行使せよとマスコミが推奨する事は、1960年代~1970年代に当時の政府が学生運動を取り締まるために乱発したという事情を反面教師にするためかタブー視する傾向にある。一連のテロ事件では『オウム真理教に破防法を適用しろ』という意見も多かったが、フリージャーナリストなどによる批判も強く、(森達也らが「よく考えよう」と批判した)、執行されなかった。
公安権力の行使を推奨する者として佐々淳行が知られているが、2000年に広島県広島市で地元の暴走族が騒擾事件を起こし広島電鉄の市内電車の運行を麻痺させたがその事を日本テレビのズームイン!!SUPERで取り上げた際「広島県警は手緩過ぎる!内乱罪を適用して全員検挙しなければならないのになぜ通常の罪状で捕まえたのか!!」などと発言したが、慎重に取り扱うべき少年事件に対し強力な公安的手法を使用することの説得力が十分といえなかったためか、強い批判を受けた。
鶴タブー
鶴タブーは創価学会のマークの鶴に由来している。宗教法人である創価学会に対して批判を公に行った場合、創価学会及びそれに関する団体・信者からの大掛かりなバッシングが懸念され、テレビ・ラジオではスポンサーになっている事が多数ある創価学会系企業への批判にもつながるため、日本のほとんどのマスメディアでは創価学会への批判的報道を避けていると言われる。現在日本では、創価学会の関連団体(「支持母体」)と言える政党公明党が存在しており、政治的批判とも絡んでくるため、ごく一部を除き批判記事は無いに等しい状況である。実際、創価学会を批判した場合、機関紙『聖教新聞』や関連企業である第三文明社等が出版する雑誌の広告でバッシングがなされることもある。
責任追及タブー
「不祥事の責任を追及する事がジャーナリズムの基本。」であるが、責任追及のやり方によっては追及する側が報復を受けてしまったため、結果途中で腰砕けになってしまった末にタブーになってしまったというケースも存在する。
水俣病と薬害エイズ事件ではマスコミが被害者団体と共闘して加害企業(前者はチッソ、後者はミドリ十字など)の体質を追及したが、テレビカメラで加害企業首脳に土下座を強要して、その様がテレビカメラに大写しにされると、被害者団体が様々な形で嫌がらせを受け、結果これに心を痛めたマスコミ関係者がタブーにしてしまったため、今日に至るまで救済が進まなくなったという実害が出ている。このためマスコミは責任追及の方法でジレンマに陥っているのが現状だ。
反社会組織礼賛タブー
マスコミは権力の監視機関であるから権力を監視・批判するのは基本中の基本である。しかし反社会組織である右翼・暴力団・極左組織と癒着しているという恥ずべき事情を抱えるメディア企業があり、権力の不祥事を批判する際、反社会組織の素晴らしさを引き合いに出すと、市民団体などから癒着を批判された末、大スキャンダルに至ってしまう事を恐れてか、反社会組織を礼賛することをタブー視する。実際『日刊ゲンダイ』が、とある反社会組織を礼賛する記事を書いた際には、方々から抗議されて以降その事を封印したというケースがあるほど。要出典
また、民放テレビ・ラジオの報道指針には「反社会組織を礼賛する報道をしてはならない」という事が明文化されているため、テレビ・ラジオではタブーは強固なものとなっている。
しかし、週刊誌の中にはタブーを逆手にとって癒着追及報道をする所がある。
自殺タブー
マスコミは問題提起のためにタブーを打ち破ろうとするが打ち破ろうとした過程で当事者が自殺したという事態が起きると自己保身のためにタブーにしてしまうケースがある。
また、浅田農産が起こした不祥事を各マスコミが集中的に報道していたところ、経営者とその妻が自殺したことが発覚、するとすぐさま自己保身に走る報道を繰り返した。
浅沼稲次郎暗殺事件でもマスコミ各社が加害少年の実名・顔写真を掲載したため自殺したというケースがあり、マスコミは責任追及されるとの事情から加害者が自殺で抗議されるのを昔から恐れているのだ。
犯罪誘発タブー
マスコミによる責任追及が、犯罪を誘発してしまったというケースがある。こうなってしまうと報道姿勢を批判されてしまうのを恐れてタブーにしてしまう。
豊田商事事件では加害企業の社長の責任を徹底追及したら目前で社長の殺人事件が発生してしかも黙認していた事がばれて世間から非難を浴びたことや、北朝鮮による日本人拉致問題では北朝鮮とその支持者を徹底非難する報道したら右翼テロを誘発してしまい、これが原因で救出団体・支持メディアと右翼・暴力団との癒着要出典がばれそうになって慌てたというケースが出たのが代表例で、最近の右翼による加藤紘一実家放火テロはマスコミが内閣総理大臣の靖国神社参拝を批判していた加藤を保守メディア全般が批判していた結果で保守メディアがあわててタブーにしようと躍起になっている。
マスコミからすればまさに板ばさみで、言論を以って社会をよくしようとした事が皮肉にも…となると、マスコミはみなうろたえるのが現状である。
人権蹂躙啓蒙責任タブー
マスコミは自由にものを言うと見られ、故に先端企業ととられがちだが、実態としてはとりわけ出版業界は戦前の封建的・家父長的体質をかかえており、その証明として人権蹂躙を推進するキャンペーンを張るケースがある。有名なのが教育問題に絡んだもので、マスコミは「戦前のように子供を体罰・暴言連発で従わせれば教育問題が解決する」との考えから体罰教育を推進するキャンペーンを展開する事がある。しかし、体罰教育が元で死者が出ると、被害者遺族から啓蒙責任が問われる事を恐れ、自己責任にすりかえて反撃して結果タブーにしてしまう、というケースがある。
代表例が戸塚ヨットスクール事件である。元々各マスコミは戸塚宏の体罰教育を肯定し、新しい教育だとして賞賛するジャーナリストもいた中、事件が発覚すると戸塚批判を繰り返すようになる。しかしテレビのワイドショー番組でレポーターが密着取材をしてしかも特訓体験をしていた事が発覚すると、啓蒙責任を問われるのを恐れ、自己責任にすりかえて不問にした。結果、戸塚は短期の実刑で2006年に出所。同じ過ちが懸念されるという恥ずべき事態が起きるに至った。
同じ過ちを二度と繰り返さないためにはマスコミ業界が戦前の体質と決別しなければならない。
責任放棄タブー
神戸連続児童殺傷事件以降マスコミは犯罪加害未成年者を徹底糾弾するスタンスに立って報道しているが未成年者による事件の要因には大人の身勝手さがツケとなって表面化したものもあるので一概に自身の性格とはいえないと言われている。しかしマスコミは「大人は悪くない。悪いのは子供だ」と己を庇うのに躍起になっていて結果「子供が、子供が…」と声高に叫んで自分達の責任をタブー視する傾向にある。
代表例が大人が少年をスカウトして人を殺させるというケース。この手の事件はまず実行した少年が捕まり後に自供により指揮した大人が捕まって幕引きとなるが、この手のケースでは実行役の少年が捕まると「何考えてんだ、人の命を虫けら扱いしやがって。馬鹿野郎!!」と司会者(とりわけ、みのもんた)が罵倒するのに主犯格の大人が捕まると何も言わない。
ヘイトスピーチタブー
近年、マスメディアが過去のタブーに挑戦する企画を立てて、実際に書籍にしているが、行き過ぎると差別を啓蒙する発言=いわゆるヘイトスピーチの奨励に繋がる恐れがあるため大々的にやることをタブー視する傾向がある。田中康夫が長野県知事の時代に全国で問題になっている同和行政をめぐる利権への決別を宣言したところ、部落解放同盟などの同和団体から抗議されたが(結局実行した)マスコミはヘイトスピーチになる事を恐れて部落解放同盟を批判しなかったという例が代表例である。
また、最近は北朝鮮を非難する報道が盛んになっているが、朝鮮総連までの批判は在日朝鮮人の人権を否定するヘイトスピーチとなる危険をはらみ、同時にチマチョゴリ切り裂き事件以上のヘイトクライムを誘発する可能性が出るためやはりタブー視する傾向にある。
タブーを破るという過程で、新たなタブーが生じつつあるのだ。
アーレフタブー
このタブーは報道内容ではなく呼称に対するもので、既にアーレフに改称したオウム真理教を報道する際、「オウム真理教(アーレフに改称)」などと必ず旧名称「オウム真理教」を中心にして報道される(単に「オウム」とだけ省略されることもよくある)。「アーレフ」のみまたは「アーレフ(旧オウム真理教)」のように「アーレフ」を中心にして報道するのはタブーとなっている。
現在の話をする時、普通はその団体の名称を旧名称を中心にして呼ぶのはタブーであるが、アーレフの場合だけは逆である。この背景には改名後、元から同じ名前で存在するオウム真理教とは無関係の企業ならびに団体が風評被害を浴びた事が挙げられている。
また、森達也はマスコミが視聴者・読者からアーレフを擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している[1]。
その他のタブー
荊タブー、解同タブー、同和タブーなどと言われる被差別部落問題あるいはえせ同和問題、また民放テレビ・ラジオではバーニング系やジャニーズ事務所、ビーイング、研音、吉本興業、みのもんた、とんねるず、細木数子、やしきたかじん、ORANGE RANGEなど大手芸能事務所所属タレントのスキャンダルや氷川きよし、ペ・ヨンジュンなど主に主婦層に人気のあるタレントのスキャンダル(芸能スキャンダルタブー)、三田会タブー(「慶應」タブー)に対してもタブー視される場合がある。
荊タブーは1993年に作家筒井康隆の「断筆宣言」を機にタブーが破られることになった。その後も「朝まで生テレビ」などで同和問題は議論の内容になり、これは「断筆宣言」によって日本社会全体が「表現の自由」というメディアの根本に関わる問題に直面せざるを得なくなったことが要因とされている。
芸能スキャンダルタブーでは梨元勝が執拗にタブーに挑戦しようとしたら方々から妨害され結果レポーターの仕事が東京において減ってしまったというのが代表例である(梨元の人柄が視聴者から好かれていないという面もある)。しかし最近では大手事務所のスキャンダルを売りにしたマスコミも少なくなく、芸能スキャンダルタブーは破られている。
更に在阪マスコミでは阪神タブーが存在し、在名マスコミでは中日タブーがある要出典。中日ドラゴンズの親会社が中日新聞であり同社は中部日本放送など在名の放送局に出資しているからだとされる。
特定のマスコミに対するタブーは、静岡第一テレビ(SDT)が民放連から除名されたときに、SDTタブーが存在した。NNSでは緊急報道を除きSDTの名は画面から消え、抹殺状態だった。
あまり知られていないが匿名掲示板・同管理人タブー要出典も存在しており2ちゃんねるがらみではその傾向が強い(書く所もあるが徹底追求に至らない)。
現存しないタブー
日本医師会タブー
医療関係の責任追及(医療過誤・不祥事)報道は今でこそ盛んになっているが日本医師会が力をもっていた時代、とりわけ武見太郎が日本医師会会長を務めていた時代は政治的圧力を恐れて当会の批判はもちろん、この手の報道キャンペーンはタブー視する傾向にあった。これが上記タブーである。
金融タブー
銀行業界・貸金業界の体質批判はバブル経済の終焉まではタブーであった。とりわけ民間放送は銀行がらみの事件を徹底的にやろうとしたら政治的圧力を受けた(これは自由民主党への政治献金が影響していた。)ためタブー視したというのが一般的である。また、貸金業界がスポンサーを務めていた時代はこれらの企業の批判は事実上タブーとなっていた。民放ならではの悲しい歴史ともいえるタブーであったといえる。
脚注
- ↑ 森達也・森巣博 『ご臨終メディア-質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141