60年前赤ちゃん取り違え事件

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60年前赤ちゃん取り違え事件とは、本来裕福な家庭の長男として生まれた男児が病院で取り違えられ、極貧家庭の子として育ち、辛苦の一生を送ることになった事件である。

事件概要

裕福家庭の夫婦を「太郎」・「花子」、この夫妻の本当の長男を「真長男」、間違って育てられた長男を「偽長男」とする。

昭和28年3月30日東京江戸川区の「賛育会病院」にて太郎と花子夫妻の真長男は誕生した。しかし「賛育会病院」の取り違えにより、偽長男が夫妻の子となってしまった。

夫妻はその後3人の男児をもうけ、偽長男を含む4人兄弟は全員、私立高校から大学へ進学、現在も安定した人生を歩んでいる。

かたや真長男は、戸籍上の父親が2歳時に死去。6畳のアパートで暮らし、生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職。働きながら定時制の工業高校を卒業し、現在はトラック運転手をしている。

取り違えが発覚したのは、偽長男の行動に疑念を抱いた弟3人の行動による。母親の花子が生前より長男に違和感を覚えると話しており、偽長男は花子死亡後の認知症の父親・太郎に対する介護をせず、太郎死亡後は夫妻自宅から兄弟を追い出そうとした。また、偽長男は母親の法事にも出席せず、アルコール依存症で、父親に暴言を吐き、太郎が偽長男の家に訪ねてきた孫にも会わせようとせず、追い返した事もあった。

弟たちは花子の話を聞いてもまさかと思っていたが、偽長男が太郎や自分たちに対しあまりに冷たいのを見て、本当に血のつながりがないから、これほど冷たいのではないかと思うようになった。そして、偽長男に対しDNA鑑定を要求。その結果、夫妻の実子ではないことが判明。弟たちは平成20年に親子関係不存在確認等請求控訴事件を起こした。

この裁判は2審にて請求棄却されたが、弟たちは調査を続け、60歳の真長男を発見した。弟たちと真長男は、取り違えた病院に対し賠償を求めた。

赤ちゃん取り違えで病院側に賠償命じる(2013年11月)

60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

この裁判は、東京・江戸川区の60歳の男性と実の兄弟らが起こしたもので60年前の昭和28年に生まれた病院で取り違えられ、別の人生を余儀なくされたとして病院を開設した東京・墨田区の社会福祉法人「賛育会」に賠償を求めていた。

判決で東京地方裁判所の宮坂昌利裁判長は、DNA鑑定の結果から男性が赤ちゃんだったときに別の赤ちゃんと取り違えられた事を認めた。

そのうえで、「出生とほぼ同時に生き別れた両親はすでに亡くなっており、本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい。本来、経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業し、高等教育を受ける機会を失わせて精神的な苦痛を与えたなどの苦労を重ねた」と指摘し、病院を開設した社会福祉法人に合わせて3800万円を支払うよう命じた。

男性は同じ病院で自分の13分後に出生した別の赤ちゃんと何らかの理由で取り違えられた。2012年、実の兄弟が病院に残されていた記録を元に男性の所在を確認し、DNA鑑定を行った結果、事実関係が明らかになった。

「実の兄に一目会いたいと」

取り違えられた男性の弟の1人は、

「母親が生前、『いちばん上の兄が自分の子かどうか違和感を覚える』と何度か話していたことが1つのきっかけになって、探し始めた。実の兄を見つけ出すまでは本当に大変で何度もくじけそうになったが、家族として、実の兄に一目会いたいという思いでこれまでやってきた」

と述べた。また、おととし、初めて連絡を取ったときのことについて、男性の弟の1人は、「実の兄は最初、詐欺だと思って信用してくれなかったが、自分の写真を手紙と一緒に送ったら『確かに似ている』と言って、ようやく会ってもらえた。」。「本来育つべき環境で過ごすことができず、実の両親にも会えず、気の毒でしかたがない。父も母も無念だったと思う。こんなことが起きて実際に起きていいのかと、病院に怒りを感じる」と話した。

取り違えられた男性は、

「今まで長い間苦労をしてきて、何でこんなにつらい人生なんだろうと思っていた。取り違えが分かってからの数か月は毎日、涙が出た。 こんなことがなければどんな人生だったのかを考えると悔しさが募り、病院に謝罪してほしかったが、病院は謝罪を拒否した。また、病院に対しては悔しさと怒りしかない。でも、苦しい生活の中でできる限りのことをしてくれた元の母親やかわいがってくれた兄弟には感謝の気持ちしかなく、複雑な思いもある。戻れるものなら戻りたい、生まれた日に時間を戻してほしい」と話した。

男性は1953年3月に同区の「賛育会病院」で出生。この病院で13分後に生まれた子と取り違えられ、別の夫婦の実子として育てられた。男性の戸籍上の父親は1955年に死去。生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。働きながら定時制の工業高校を卒業し、今は血の繋がってない兄の介護をしながら、トラック運転手をしている。

弟たちは「五十何年生きてきて初対面で、兄弟なのに不思議だった」。今では、月に1回程度、酒を飲むなど交流を深めている。 弟からは「あと20年は生きられるから、これまでの分を取り戻そう」と声をかけられた。 男性は「うれしかった。全て終わったら、一緒に温泉にいきたい」と笑顔を見せた。

また、偽長男は裁判で裁判長から、説教された。

一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。しかし、偽長男は勉強の出来が悪く、浪人して大学進学した。

赤ちゃん取り違え

このような「赤ちゃんの取り違え事件」は、昭和40年ごろから全国で多発した。広島県福山市山形県米沢市静岡県吉原市三重県四日市市三重県員弁郡の病院などで同様の事件が起きている。昭和48年の熊本の学会で東北大学医学部赤石英教授は赤ちゃんの取り違いは全国で64人いることを報告、いずれのケースも実子を引き取っていたことが分かった。

親子関係不存在確認等請求控訴事件(東京高等裁判所判決平成22年9月6日判決)

産院で取り違えられ,生物学的な親子関係がない夫婦の実子として戸籍に記載され,長期間にわたり実の親子と同様の生活実体を形成してきた兄に対して,両親の死後,遺産争いを直接の契機として,戸籍上の弟ら3人がDNA鑑定による兄弟関係の不存在をもとに提起した親子関係不存在確認請求が,権利の濫用に当たるとされた。

事案の概要

本件は、太郎とその妻である花子との間の長男として戸籍に記載されている偽長男に対し、太郎・花子夫婦の子である弟たちが、同夫婦の死後、同夫婦と偽長男との間に親子関係が存在しないことの確認を求めた事案である。

事実関係

  • 太郎(大正13年2月8日生)と花子(昭和3年1月1日生)は、昭和27年5月15日、婚姻届出した。
  • 偽長男は、太郎・花子夫婦の長男として、昭和28年3月30日に出生した旨戸籍に記載されている。
  • 偽長男は、太郎・花子夫婦の長男として養育され、大学を卒業した後、会社勤めをし、30歳で妻松子と結婚して、両者間には長女竹子(平成元年4月25日生)、2女梅子(平成3年4月28日生)が生まれた。偽長男は、上記会社に20年ほど勤めた後、退職して、10年ほど太郎の不動産業を手伝ったが、その後、独立した。
  • 弟・二郎(昭和29年4月13日生)、弟・三郎(昭和31年4月1日生)及び弟・四郎(昭和33年1月16日生)は、いずれも太郎・花子夫婦の子である。
  • 花子は、平成11年4月2日に死亡した。
  • 花子の遺産については、既に遺産分割が終わり、偽長男は、現在の居住建物の敷地所有権を始めとする相続財産を取得した。
  • 太郎は、偽長男及び弟たちに対しそれぞれ不動産や預貯金等を相続させる旨の公正証書遺言をした。これにより偽長男が取得する財産は、千葉県船橋市にある土地建物等である。
  • 太郎は、平成19年10月7日に死亡した。これにより、公正証書遺言の効力が発生した。
  • 弟たちは、平成20年7月2日、偽長男に対し本件訴訟を提起した。
  • 弟たちは、原審において、偽長男と弟たちとの間に両親を同じくする兄弟関係があるか否かのDNA鑑定を申し立て、偽長男は、本件DNA鑑定の採用を争わず、本件DNA鑑定は採用された。
  • 本件DNA鑑定において、偽長男と弟たちとの間には、生物学的な父を同じくする兄弟関係、生物学的な母を同じくする兄弟関係いずれも存在しない旨のDNA鑑定結果が得られた。
  • 原審は、平成21年6月11日、本件DNA鑑定の結果に基づいて、偽長男と太郎、偽長男と花子の間にはいずれも親子関係が存在しないことを確認する判決を言い渡した。
  • 偽長男は、原判決を不服として、控訴を提起した。
  • 真長男は、平成25年6月、戸籍上の弟ら3人と同じ戸籍に変更された。しかし、偽長男は現在、DNA鑑定を拒否している為、戸籍上、5人兄弟になっている。

弟たちの反論

  • 花子は、生前、偽長男が病院で生まれたとき、花子が用意した産着と異なる粗末な産着を着せられて、花子のもとに連れられてきたという話を繰り返し語っていた。花子は、産着が異なることから、病院での新生児取り違えを察知し、偽長男人が実子でないことを推察していたものである。花子が、偽長男に対し親子関係不存在確認請求訴訟の提起等をしなかったのは、そのような手続を知らなかったからにすぎず、繰り返し産着の話をしていたのは、弟たちに対し、その疑念を晴らしてほしいという意思を伝えていたものである。
  • 偽長男は、花子の死後、老齢の太郎に対し冷たい態度を取ったばかりか、弟たちに対しても冷たい態度を取ってきており、家の長男としてふさわしくない。花子の遺産分割の際、偽長男が、脳梗塞で認知症になった太郎の在宅介護を引き受けると言うので、弟たちが、偽長男に花子の遺産の大半を取得させたにもかかわらず、偽長男は太郎を老人施設に入所させようとし、これに反対して在宅介護を始めた弟たちに協力することを拒絶し、その後、弟たちの要求により在宅介護を分担するようになった後も、十分な介護をしなかった。
  • 弟たちは、それ以前、花子から産着の話を聞いてもまさかと思っていたが、偽長男が太郎に対しあまりに冷たいのを見て、本当に血のつながりがないから、これほど冷たいのではないかと思うようになった。三郎は、当時、北海道で勤務していたが、介護のため転勤を希望し、太郎・花子夫婦がときどき使用していた船橋の家に転居して、兄弟と共に太郎の在宅介護に当たり、太郎の死後も船橋の家に居住している。偽長男は、太郎の公正証書遺言に船橋の家は偽長男に相続させると記載されていることを楯にとって、当初、三郎に対し船橋の家の明渡しを求めると解される態度を取り、当審に至っても、上記家の時価による買取り又は賃借を求めている。

関連項目