「筑紫哲也 NEWS23」の版間の差分
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2007年5月24日 (木) 05:32時点における版
テンプレート:出典『筑紫哲也 NEWS23』(ちくしてつや ニュースツー(もしくは「トゥー」)スリー)(通称は、ニュース23もしくはNEWS23)とは、TBS(JNN)で1989年10月2日から放送されている最終版のニュース番組であり、筑紫哲也の冠番組。『真夜中のニュースランド』をキャッチフレーズにしており、平日版の「JNNニュース」の最終版を放送。
目次
番組の沿革
放送開始の経緯
- 22:00台に放送し社運をかけてスタートした『ニュース22プライムタイムJNN』の失敗要出典後につなぎとして要出典始まった『JNNニュースデスク'89』を1989年9月に打ち切り、同年10月に、21:00以降のTBSの平日のテレビ編成の見直しと兼ねて、JNNの意地とプライドをかけて要出典、23:00台のニュース枠新設の際に筑紫哲也をメインキャスターに編成された。
- TBSは以前からテレビの出演経験の豊富な筑紫にニュース番組のキャスターを打診していた。しかし、TBSと資本関係にない(過去には読売新聞社と共に資本関係にあった)朝日新聞社に在籍していたこともあり、筑紫は円満退社を希望。それが筑紫のニューヨーク転勤を機に円満退社に向けた準備が整い、ようやくTBSの打診を受け入れた。もし筑紫が早く受け入れていたら、22時スタートの番組で裏番組に負けていたかもしれない要出典。ちなみに、筑紫はニューヨークで朝日新聞社を退社したために、ニューヨーク滞在中は国民年金を支払わなくていいと思っていたらしく要出典、2004年の年金未納問題で騒動の渦に巻き込まれてしまうことになった。
ニュースステーション
『NEWS23』放送開始の4年前から放送していた『ニュースステーション』は、よく比較対象にされた。
『ニュースステーション』が放送終了した2004年3月26日の『NEWS23』では、「多事争論」で「この番組(ニュースステーション)が無かったら私たちの番組も生まれていなかっただろう」、ライバルというより「「同じニュースというものを追究している仲間だ」という想いが強くあります」((News23 多事争論「さようならN.S」2004年3月26日))と述べ、労をねぎらった。テレビ朝日の番組以外で、ニュースステーションへねぎらいの言葉を述べたのは、この番組だけと見られる。
両番組のニュースの伝え方は対照的で、ライバル意識があったと言われる。1989年秋に放送されたTBSの特別番組で、『NEWS23』の番組紹介があった。ここで、筑紫は滑稽な芸をしながら「久米さん、あなたは笑っている場合じゃないですよ」と話した。また、番組開始当初のキャッチフレーズは「WE TRY HARDER」(“より堅く挑む”)としていた。“THAN”以降が指すもの(何より堅く激しく、なのか)のひとつには、『ニュースステーション』を想定していたのだろう。
ただし、放送開始当時、ANNはクロスネット局としての加盟局が多く、系列局の半分のエリアでは「ニュースステーション」が放送されていなかった。
筑紫と久米宏は、ともに広島東洋カープのファンである。2人は1991年の日本シリーズ中継で共演した。さらに14年後の2005年9月11日には、第44回衆議院議員総選挙の開票速報『乱!総選挙2005』(TBS)でも共演している。ちなみに、『乱!総選挙2005』の視聴率は、民放では最高だった。
初期
1997年9月まで番組は2部制だった。第1部で報道局とスポーツ局が制作するニュースと特集を放送した後、23:50から第2部を放送していた。
初期の第1部の終わりでは、第2部のエンディング曲のインストルメンタル版をBGMに、筑紫が「はい、今日のニュースとスポーツをお伝えしました」と言い、第1部でネットを終える局への挨拶代わりにしていた。
第2部は、アシスタントを阿川佐和子、有村かおり、後期は渡辺真理が務めた。インタビューからドキュメントまで幅広く扱った内容で、社会情報局(TBSビデオ問題後の社内改革で廃止)が主に制作した。基本的には、『情報デスクToday』の後継と言える。
『情報デスクToday』のネット局は少なく、第2部も当初は毎日放送(MBS)やRKB毎日放送(RKB)などを中心に放送しない局が多かった。その後、第2部が評判を呼び、徐々にネット局が広がった。筑紫は山陰放送がネットを開始した直後の1991年10月の米子での講演で、「第2部をネットしないと講演依頼も受けない、と言ってきた」と発言し、自らネット拡大に努めていたことを明かした。ただし、MBSだけは一貫して第1部のみ放送する体制を続けた。
第2部は、内容が幅広かっただけに逸話もある。人気コーナーだった『筑紫哲也の真夜中トーク』は、ゲストに和田アキ子が登場した際に和田が酔って暴れたことから要出典、コーナーが終了してしまった。
なお、番組開始時から1998年頃まではオープニング映像の後に「JNN」のクレジット表記を挿入していた。JNNのネットニュース番組は通常、番組タイトルに「JNN」を冠するが、筑紫とのダブルネームになることを避けるため、このような措置をとっていた。オープニングの直後にヘッドラインを放送するため、表示を取りやめた時期もあったが、同じくネットワーク名を冠していない『ニュースステーション』(テレビ朝日)と異なり、現在もJNNのネットニュースである。2006年9月25日のリニューアル以降、再び「JNN」を画面左下隅に表示するようになった。
リニューアル・金曜版23
- 1997年10月に金曜以外の第2部を廃止(TBSが若者向け情報バラエティ「ワンダフル」をスタートさせたため)、テーマ曲や出演者、スタジオセットなどをリニューアルし、新聞表記も「ニュース23」(初期のロゴから英語の「NEWS23」となったまま)から「NEWS23」となった。
- これを機に30分遅れの金曜を通称金曜版ニュース23として放送、第2部を「金曜深夜便」と改称した。金曜版ではテーマ曲がピアノアレンジ違い(但しアレンジ版が使い始まったのは1999年から、それまでは月曜~木曜と同様オリジナル版)であったり、文化・芸能分野に関する特集を組むことが多く、現在も続いている。
- 毎日放送にネットされない枠であるため同局に登場しない著名人を取り上げているのも特徴。インリン・オブ・ジョイトイに代表されるエロ系の知性派女性著名人、南野やじに代表される創価学会信者の芸人。最近は放送禁止用語を連発してテレビ・ラジオから締め出しを食らっている鳥肌実が登場した。
月+(マンデープラス)
- 2004年10月から月曜の第2部復活版ともいえる番組を開始。
2005年春のリニューアル
- 2005年3月28日から、TBSが朝・昼・夕の報道・情報系生ワイド番組を大幅リニューアルしたことに伴い、「ニュース23」もタイトルロゴ、セット、テーマ曲を1997年秋以来7年半ぶりに新しいものに変更した。天気予報も全曜日で気象予報士でタレントの山田玲奈が務めた(2004年4月~2005年3月までは金曜日のみ気象予報士の真壁京子が務めてきた)。
2006年秋の全面リニューアル
- これまで9年間出演した草野満代に代わって、同年9月25日からは、元NHKアナウンサーの膳場貴子と朝日放送出身のフリーアナウンサー山本モナを起用。基本的には筑紫をメーンに膳場と山本がアシストする形だが、その役割は膳場はスタジオ内での進行が中心で山本は事件、事故現場に出向く「フィールドキャスター」として出演する。また、草野以外の全キャスターも同年9月22日に降板したため、筑紫以外の全出演者が総入れ替えとなった(今回のリニューアルは裏番組で「NEWS ZERO」(日テレ、同年10月2日スタート)が開始されることから、それへの対抗とも思われる。しかし初回からあまり人気を得ていないことからあまり影響はないようである)。
- スポーツ23のコーナーキャスターは初代の小林繁(野球評論家)以後長年女性アナが担当したが、前任者・久保田智子が2時っチャオ!司会に転向したため、それに代わり高野貴裕が久しぶりに男性キャスターとして登板した。なお、男性局アナがこれを担当するのは初めて。
- 「筑紫哲也」と「JNN」ダブルネームになることを避けるため、ここ最近は「JNN」のロゴを表示しない措置が取られていたが、2006年9月25日のリニューアルから再び、ハイビジョン制作を表す「HV」の記号が右上隅に表示されると同時に、「JNN」を左下隅に表示するようになった。
- これまでは金曜日に限りオープニングの音楽がピアノバージョンだったが、このリニューアルをもって金曜日のオープニングはピアノではなく他の曜日と同じアレンジとなっている。
- 9月29日発売の写真週刊誌「フライデー」(2006年10月13日号)で、山本モナと民主党の細野豪志衆議院議員(妻子あり)との不倫が報じられた。山本は10月2日放送分から「体調不良による休養」として出演を見合わせ、10月23日付けで番組を降板した。
- かつてJNN最終版のニュース番組『ニュース22プライムタイムJNN』では、メインキャスターを務めた森本毅郎が同局の女性ディレクターとの深夜の密会が同じ週刊誌「フライデー」で報道されたことを受け、1ヶ月ほどの番組出演自粛という事実上の謹慎処分で制裁を受けたが、山本の件に関しては、所属事務所が「軽率な行為であり謝罪します」とコメントを発表する一方で、番組では23日の放送で膳場・高野両キャスターから降板に至る経緯が説明されたのみである。筑紫キャスターは「短い間で残念でした」とコメントするにとどまった。だが実際は、9月29日の放送前の打ち合わせで筑紫が番組スタッフを通じて事実上のクビを宣告したという。10月23日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)では山本と同じオフィス北野に所属するビートたけしが、山本は降板させられたという趣旨の発言をしている。山本の行為やTBSの対応には賛否両論があった。すなわち「個人のプライベート」な事項に関してそこまで厳しい対応は必要ないのではないかという山本擁護の意見と、報道に携わる人間は公人であるから批判の対象であるべき政治家との個人的な関わりには極めて慎重であるべきで、それを秘匿して活動を続けた山本の行為は報道が命とすべき信用を失墜させたという意味で極めて問題だとする意見である。しかし、現実にはTBSとオフィス北野との関係重視で、山本のタレント生命を奪わないために両者が「病気療養」ということで合意したという見方が強い。
- 12月4日より、TBS入社1年目の出水麻衣(月~木担当)とメ~テレ出身のフリーアナウンサーである岡山裕子(金曜担当)が空席だったフィールドキャスターの後任となった。ただし2名とも天気コーナー主体の担当で、山本とは実質的に位置づけが異なる。また、山本降板以降はスポーツ担当の高野がニュース読みを一部兼務している。
編集方針
- 1989年の番組スタート以来、その立ち位置に大きなぶれはない。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する(アクトン卿)」( " Power tends to corrupt, absolute power corrupts absolutely. " Lord Acton )という立場から、徹底した権力の番犬「ウォッチドッグ」( Watchdog journalism )という姿勢を貫いている。しかしながら、政党からのあからさまな抗議によっていくつかの報道番組が打ちきりになるなど、社会の右傾化が指摘される現在において、権力批判的な報道がしづらい状況になってきた。既存の報道番組もリベラル寄りの報道を避けるようになってきたため、「News23」の存在は異彩を放つものとなった。なお、戦後の日本では自民党がきわめて社会主義的な政策を推進したため、左派政党が存在意義を失い、健全なリベラリズムが育たなかったといわれ、リベラルが共産主義や社会主義、反市場経済と混同されている傾向があり、そのことがいっそうこうしたリベラル報道を困難なものとしている(アメリカではニューヨークタイムズやワシントンポスト、CBSニュースなどがリベラル報道の代表)。
- 筑紫は番組スタート当時の雑誌インタビューやみずからの著書『ニュースキャスター』などで「『君臨すれども統治せず』の編集長」と自らの立場を説明しており、番組の放送内容の構成に関して規制は少ないというスタンスである。しかし、番組の内容については筑紫本人や編集担当者が関心のあるテーマを重視する傾向にあるといわれる。そのため、かつては捕鯨問題、近年は北朝鮮関連、拉致問題関連の報道については慎重な傾向にある。他方、憲法改正、自衛隊問題、靖国神社問題については時間を充分に確保して放送する傾向にある。
- 反戦・反グローバリズムなどの運動に好意的であり、タカ派的な世論を一貫して批判している。
- 実名報道には慎重である。ただ、個別の事例ごとに判断しているとみられ、一律に匿名としているわけではない。
- 世界保健機関(WHO)が発表した「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」の勧告(2000年)を尊重し、それに即した報道をしている(2006年現在)ことを、番組中で明言している。このような姿勢を取る報道番組は、日本では少数派である。WHOの自殺報道ガイドラインについては、自殺#自殺報道と群発自殺を参照。
- 椎名林檎や桜井和寿(Mr.Children)など、各界から幅広くゲストが登場する。
現在のタイムテーブル
月曜日のタイムテーブル
- 22:54 ステブレCM
- 22:56 オープニング・ニュース(スポーツあり)
- 23:48 第一部エンディング・天気予報
- 23:49:30 マンデープラス予告等【一部地域は23:50-23:55の間、地方のニュース・天気などの別番組に差し替え】
- 23:55 第二部 マンデープラス【一部地域は本編とは別番組扱いで放送】
- 24:24 終了
火曜日~木曜日のタイムテーブル
- 22:54 ステブレCM
- 22:56 オープニング
- 22:57 ニュース・ニュース特集(スポーツあり)
- 23:46 エンディング・天気予報
- 23:49 終了
金曜日のタイムテーブル
- 23:30 オープニング
- 23:31 ニュース・ニュース特集(スポーツあり)
- 24:15 第一部エンディング・天気予報
- 24:20 第二部 金曜深夜便
- 24:35 終了
年間テーマ
1991年から年末にその年の年間テーマを掲げ、シリーズ特集を組むことがある。
- 1991年
- ニッポンが危ない
- 1995年10月~
- 脱
- 1998年~
- 壊
- 1999年1月~
- それから
- 2000年1月~
- こころ
- 2001年1月~
- 幸福論
- 2001年9月12日~
- 世界が変わった日(アメリカ同時多発テロに伴う。年末までほぼ毎日放送された)
- 2002年1月~
- 新・幸福論(幸福論に同時テロを重ね合わせた格好)
- 2003年1月~
- この戦争の正体(イラク戦争に伴う)
- Go!Slow スローで行こう
- 2005年1月~
- 翔
- 2006年1月~
- 変
主なコーナー
異論!反論!OBJECTION
- 第1部と第2部の合間にあったローカルニュース枠で放送されていた街頭インタビューコーナー。ひとつのトピックをもとに街頭インタビューを行い、賛成、反対織り交ぜたさまざまな意見を紹介した。スポーツ23でこのコーナーのパロディが放送されたことがあり、全国化を果たした形となった。2部制終了後は全国枠に移行し、現在も放送している。
多事争論
- 筑紫が好きな言葉である福沢諭吉の言葉を拝借したコラムコーナー。筑紫が毛筆でテーマを書いたフリップ(ちなみに達筆である)を持ちながら90秒、筑紫の私的な意見や感想を述べるもので、「抗議の電話が多いだろうなぁ」と思いながら本番に臨むときもあるという。なお、筑紫が夏休みで番組を休んでいる場合、各日のゲストコメンテーター(毎日新聞の岸井成格編集委員や東京大学の姜尚中教授など)が「多事争論」コーナーで意見を述べている。コーナー開始前の小映像もそれぞれその日のコメンテーターが登場するものである。「多事争論」のわりに意見が一つというのは妙であるが、これを多事争論のいとぐちとすると考えるならば納得がいく。
- このコーナーの影響は大きく、ジャンルを問わず様々な番組で「多事争論」の名前を少し変え、コラムやインタビューなど色々な企画が放送されている。
主なシリーズ企画
- 年間テーマ以外にも短期集中型のシリーズ企画が数多く放送されている。話題になっているテーマに関することや現代社会を捉えるものまで多種多様。
おすぎと哲也の映画紹介
- 映画評論家おすぎと筑紫による最新映画紹介。夏休み前と年末年始前の年2回放送。金曜版23の定番企画として続いている。
CMベストテン
広告批評で知られる天野祐吉が選定。1年間のCMを総括するもので、12月の金曜日に放送される。第2部での放送が多い。
争論・大争論
2001年に「争論」と題した筑紫司会、ゲスト2人による討論企画が放送。その後、数人のゲストを呼び「大争論」と題した企画がたびたび放送されている。
それから75日
2004年から放送開始。元TBSアナウンサーで、今現在はフリージャーナリストの下村健一が担当。大きく取り扱われていたニュースが残したもの、あの時見えなかった側面などを探る。2005年4月から75日を外して、タイトルも「それから」だけとなり、月1回の放送に。
NEWS23 蛙男劇場
2006年6月16日から月1本のレギュラーコーナーとして開始。蛙男商会がサラリーマン層のプライムタイムである「NEWS23」の中で、時事ネタを独自の観点から鋭く風刺し、今までのアニメでは獲得できなかった層を獲得する。2006年9月29日からは隔週放送となった。
- 放映リスト
- #1『村おこし大作戦』
- #2『怒りのタテ島』
- #3『裏工作』
- #4『格下げ』
- #5『美しい家庭』
- #6『"角"落ち』
- #7『した事にして』
- #8『やらせ?』
- #9
出演者
メインキャスター
- 筑紫哲也
- 筑紫が出張や療養などで休みの時は、ここ数年までは嶌信彦らが筑紫の代理を務めていた。なお、筑紫が夏休みに入る直前の金曜日に「期待の新キャスター」と称してロボットが紹介されたことがあり、番組内で当番組のパロディのような形で無事キャスターを務めたが、翌週の代役にはならなかった。ここ最近は休暇の場合、前述の嶌信彦をはじめとした文化人や評論家が日替わりで登場するようになるが、キャスターというよりはコメンテーター的ポジションであり「多事争論」を受け持ったところでお役御免となり、後半からは登場しない。実質上の代理は佐古キャスターである(2006年9月まで、今後は膳場キャスターが担うことになる)。
サブキャスター
- 1989.10 - 1997.09 浜尾朱美、池田裕行・・・池田が不在の時には、当時TBSアナウンサーの岡崎潤司が担当することもあった。
- 1996.10 - 1997.09 浜尾朱美、池田裕行、佐古忠彦
- 1997.10 - 2006.09.22 草野満代、佐古忠彦
- 2006.09.25 - 膳場貴子
サブキャスター(第二部、過去)
フィールドキャスター
- 2006.09.25 - 2006.09.29 山本モナ(体調不良により休養、同年10月23日付で降板)
- 2006.10.2 -2006.12.01 高野貴裕
- 2006.12.04 - 出水麻衣(月~木)、岡山裕子(金)
スポーツコーナー
- 1989.10 - ? 小林繁
- ? - 1992.03 木村美穂
- 1992.04 - 1992.09 木場弘子
- 1992.10 - 1997.09 香川恵美子
- 1997.10 - 1999.09 進藤晶子
- 1999.10 - 2004.09 小倉弘子
- 2004.10 - 2006.09.22 久保田智子
- 2006.09.25 - 高野貴裕(高野は小林以来の男性スポーツキャスターだが、TBS男性局アナは初起用となる)
サッカー23解説者
毎週月曜日(原則)に、主として前週末に行われたヨーロッパ各国のサッカーリーグ戦などについて解説
お天気コーナー
- 1989.10 - 2004.03 ※なし(女性サブキャスターが伝えていた。不在の際には、スポーツ担当アナウンサーが伝えていた)
- 2004.04 - 2005.03 真壁京子(金曜日のみ)
- 2005.03 - 2006.09.22 山田玲奈
- 2006.09.25 - ※なし(再度、女性サブキャスターが伝えるようになった)
- 2006.12.5 出水麻衣(月~木)、岡山裕子(金)
ナレーター
歴代のスタジオセット
- 1989.10 - 1990.09 初代
- 1990.10 - 1993.09 二代目
- 1993.10 - 1994.09 三代目(ここまでは旧社屋)
- 1994.10 - 1997.09 四代目(ここからは現社屋)
- 1997.10 - 1998.09 五代目
- 1998.10 - 2000.03 六代目
- 2000.04 - 2005.03 七代目
- 2005.03 - 2006.09 八代目
- 2006.09 - 九代目
タイトルロゴの移り変わり
- 1989.10 - 1990.09 初代
- 1990.10 - 1994.09 二代目(初代のアレンジ版)
- 1994.10 - 1997.09 三代目(この時期のみ『筑紫哲也-』の表記がない)
- 1997.10 - 2005.03 四代目 Sが大きいのが特徴である。
- 2005.03 - 2006.09 五代目
- 2006.09 - 六代目
オープニングのCG
- 1989.10 - 1990.09 初代(「真夜中のニュースランド」を体現している)
- 1990.10 - 1994.09 二代目
- 1994.10 - 1997.09 三代目
- 1997.10 - 2005.03 四代目
- 2005.04 - 2006.09 五代目
- 2006.09 - 六代目
テロップ(名前など)
- 初代 1989.10 - 1997.09
- 2代目 1997.10 - 2005.03
- 3代目 2005.04 - 2006.09
- 4代目 2006.09 -
テーマソング
- 1989.10 - 1997.09 井上陽水・・・オープニングのみ。以下はエンディング。
- 1997.10 - 2005.03 坂本龍一『put your hands up』・・・1999年以降、金曜日はピアノバージョン。
- 一時期、筑紫が司会し、キャンペーンにもなった『地雷ZEROキャンペーン』のテーマ曲、『ZERO LANDMINE』が、エンディングにかけられたこともあった。
- 2005.03 - Bank Band with Salyu『to U』・・・金曜日はピアノバージョン。2006年9月にアレンジ変更。だが、2006年9月のリニューアル後の金曜日のオープニングは他の曜日のものと同じアレンジであり、ピアノバージョンではない。
- メロディを筑紫氏や番組スタッフが聞いたところ、メロディや歌詞の内容が番組のコンセプトに合致しているということで主題歌にしたという話である。
放送時間
- 金曜以外
- 1989.10 - 1997.09 23:00 - 翌0:30(毎日放送など一部地域は23:50まで)
- 1997.10 - 1999.03 23:00 - 23:55
- 1999.04 - 2004.09 22:54 - 23:50
- 2004.10 - 22:54 - 翌0:25(月)、22:54 - 23:50(火~木)
- 金曜は一貫して23:30 - 翌0:35(毎日放送のみ翌0:20まで)
※番組開始当初から年末年始は、特番編成の関係上、放送を休止している(代替番組として、15分程度のJNNニュースを、23:30頃に設けている)。
系列局の対応
- 中部日本放送(CBC)・チューリップテレビ・テレビ山口は「月+」を、毎日放送(MBS)は「月+」と「金曜深夜便」をネットしない。そのため月曜は23:50で放送終了となる。なお、CBCは、2005年9月まで「月+」を定期ネットしていた。
- 緊急・重大ニュースがあった場合はJNN協定の関係上、「月+」と「金曜深夜便」がネットしていない系列局で臨時ネットされるケースが発生する。
- 初期の頃、「真夜中トーク」に当時出雲市長を務めていた岩国哲人氏が出雲市駅前のバーからの中継で出演した際、当時2部をネットしていなかった山陰放送(BSS)がこの日だけ特別にネットし、後続の番組が15分遅れとなった。ただし新聞では後続の番組の時刻表示こそ変えられたものの、地元2紙を含め、番組紹介欄でも番組表でも内容には一切触れられていなかった。
報道特番時の対応
- 1991年2月第1部終盤に「イラクの米軍撤退」の報が入り、第1部をCMなしで30分延長した。この日は第2部を臨時ネットした局もあり、次の番組が1時間10分遅れることとなった。
- 1995年1月17日:阪神・淡路大震災
- 長時間報道特番として早朝から放送。
- 2001年9月11日:アメリカ同時多発テロ事件
- 直前の「ジャングルTV~タモリの法則~」を22:37に中断して放送。予定より20分程度早いスタートとなった。
- 2006年1月23日:ライブドア・ショック
- 直前の予定だった「月曜ミステリー劇場」を休止し、21:10から報道特番を放送。キャスターを筑紫と草野が務めた。
- 2006年6月5日:村上ファンド代表逮捕
- 時間を拡大して、25:00過ぎまで放送した。
問題
- 1995年1月17日の阪神・淡路大震災特番において、ヘリコプターからの中継に臨んだ筑紫が地震による火災で燃え上がる神戸の様子を「まるで温泉地にきているようです。そこらじゅうから煙が上がっています」(このシーンは震災後11年目の2006年1月17日のNews23でも放映されたがそのときは特に問題視されなかった)と発言をしたことや、震災後数日で「東京は大丈夫か」などと報じた。前者の筑紫の発言は、とっさに自身の出身地近隣の別府温泉の湯煙を思い浮かべてのものであろうが、あまりに無思慮であるとされた。嘉門達夫が自身の曲「怒りのグルーヴ~震災編~」でこれを取り上げている。また、阪神・淡路大震災の報道では、撮影取材を拒絶した被災者のグループを取り上げ筑紫が「被災者は感情的になっている」とコメントした。しかし、この被災者のひとりと知人であった田中康夫は、著作『神戸震災日記』において、この撮影取材が被災者に無断で行われたもので、なおかつ放送しないことを約束したにも関わらず放送されたものであったと書いている。
- 1999年7月15日、多事争論において東芝クレーマー事件を取り上げた際、東芝を一部上場企業と匿名で報道した上で、当事者に批判的な発言を行った[1]。また、このとき当事者の開設したサイトを「かなり恣意的で、トイレの落書きに近い、などという酷評すらあります」と批判した発言は、インターネットを中心に批判が広がり、「便所の落書き」発言として一人歩きすることとなった。放送当日のスポンサーが東芝で、多事争論直前に東芝ダイナブックのCMが放送されたとされること[2]も非難を大きくする要因となった。
- 2002年11月、週刊金曜日が当時北朝鮮在住の曽我ひとみさんの家族にインタビューを行ない、「はやく北朝鮮に帰ってきてほしい」との趣旨の記事を直接曽我ひとみさんに届け、精神的に追い詰めたとされる件で、週刊金曜日に批判が集まった。このことについて、11月14日放送の多事争論で、国の方針に水を差すような報道、取材はすべきではないという、こういう議論になりますと、自由な報道や言論というのは死んでしまって、北朝鮮と何ら変わらない国に私たちはなってしまいます」と週刊金曜日を擁護する発言をする。ただし、自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れなかった。
- 2003年5月7日、番組で北朝鮮の人権問題に取り組むドイツ人医師ノルベルト・フォラツェンのインタビューを放送したが、同日に東京国際フォーラムで行われた北朝鮮による日本人拉致問題の解決を訴える家族会、救う会などが主催した大規模な集会のニュースを報じなかった(この集会のニュースは他局のニュース番組はもちろん、同局の他のニュース番組でも報道されている)。フォラツェンはなぜ報道しなかったのか問い質したが、TBS側から「あれはナショナリズムの集会だったから放送しなかった」と回答されたという。フォラツェンは番組とTBSについての怒りを雑誌のインタビューなどで吐露している。
- 拉致問題の報道については、本来政治とは無関係な単一目的の市民運動であるはずの北朝鮮拉致被害者救出運動と、右派勢力や反朝鮮半島・反中国勢力とが結びつくことで、「救う会」広報に管理された情報以外は報道することができなくなったとの指摘もある。
- 2003年8月15日に放送された終戦企画「終戦スペシャル・殺す、な」は、恐怖感を煽るBGMを多用するなど、演出手法に批判があった。
- 2006年6月、筑紫による米国共和党のハイド下院国際関係委員長へのインタビューで、小泉首相の靖国参拝について、「行くべきでないと強く感じているわけではない」と発言したのを「行くべきではないと強く思っている」とテロップを流した。後日、誤訳であったと番組の中で訂正している。
その他
- 1996年には一連のオウム報道に関する“不祥事”による自粛措置で5月20日月曜日から5月23日木曜日の4日間は23:50までで5月24日の金曜日は24:20まで(第1部)の放送となった。ただし、毎日放送 (MBS)など1部までしか放送していない局では“通常通り”だった。
- 新聞発表上では月~木の番組開始時間が22:54になっているが、実際は22:56開始である(22:54時点では、2分間CMを流している)。ちなみに中国放送ではこの時間、自社製作番組「キラリ!広島県」を放送している。
- 23時開始時代には青森テレビで流れるはずのないTBSの23:00.00の時報が稀に聞けた。また当時の時報をサンスターが提供していた。
- かつては金曜ナイターの延長オプションをフル行使した場合、金曜版の放送時間が24:00からとなった為、番組冒頭で筑紫が、“ニュース24(トゥーフォー)”と言っていた。
- アメリカ、中国、日本の大統領、国家主席らがそれぞれこの番組に出演し、事前に番組が選考した日本国民と対話するという企画が行われた。
クリントン大統領出演時はTBS内で厳戒態勢が敷かれ、アナウンサーのロッカーも私物を残さないで空にさせたり、社員でも時間帯によって入れない場所が作られたりするなど、かつてないほどの騒ぎだった。要出典
- 2006年10月26日の北海道日本ハムファイターズが日本一になった時、スポーツコーナーでラジオの実況音声を使用したが、前半にシーンはTBSラジオ&コミュニケーションズの実況音声を、優勝決定時のシーンは北海道放送の実況音声をそれぞれ使用した。
雑学
- この番組の報道が国会で取り上げられたとき、引用者が「ニュースにじゅうさん」と言ったことがある。要出典
- 2005年12月26日放送の年末総決算スペシャルで、当時、電車男などで話題になった秋葉原へ筑紫哲也がリムジンで乗り付け、メイド喫茶を体験したりネコミミを付けたりした。スタジオでも久保田アナにメイドの格好をさせ、水道橋博士が「ご主人様」と呼ばせていた。
参考文献
- 筑紫哲也『ニュースキャスター 番組誕生から今日まで』 ISBN 4087201457
- 番組を批判する立場からの文献
- 別冊宝島Real編集部『筑紫哲也「妄言」の研究・『NEWS23』、その印象操作&偏向報道の作られ方』 ISBN 4796638482
- 水間政憲『ニュースキャスター筑紫哲也を斬る・このままテレビの偏向報道を許していいのか もはや中国、北朝鮮の代弁者か』 ISBN 481740549X
- 中宮崇『天晴れ! 筑紫哲也NEWS23』 ISBN 4166604945
- 西村幸祐『反日の構造』 ISBN 4569639968
- 「第4章 拉致家族と『朝日新聞』&筑紫哲也氏の深すぎる溝」にフォラツェン医師のインタビュー記事を所収
関連項目
ホームページについて
- 番組での筑紫の発言の多くは、英訳とともに番組の公式サイトで公表されてきたが、最近では筑紫がその日のニュースの気になるキーワードを紹介し辛口解説を加える『多事争論』の更新にとどまっている。一方で、公式サイトでは出演者のコラムや現在のスタジオセットの解説などが紹介されている。
外部リンク
前後番組の変遷
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