「中華人民共和国」の版間の差分
(新しいページ: '{{半保護}} {{基礎情報 国 |略名 =中華人民共和国 |日本語国名 =中華人民共和国 |公式国名 =<b lang="zh">中华人民共和国</b> |国旗画像...') |
(→外部リンク) |
||
685行目: | 685行目: | ||
[[Category:中華人民共和国|*]] | [[Category:中華人民共和国|*]] | ||
[[Category:中国社会主義]] | [[Category:中国社会主義]] | ||
− | + | [[Category:中国|*]] | |
{{Link FA|vi}} | {{Link FA|vi}} | ||
{{Link FA|eu}} | {{Link FA|eu}} |
2008年10月9日 (木) 18:12時点における版
中華人民共和国の国章 | |
---|---|
(国旗) | (国章) |
公用語 | 中国語(普通話) |
---|---|
首都 | 北京 北緯 39度55分 東経 116度23分 |
最大の都市 | 上海 |
国家主席 | 胡錦濤 |
国務院総理 | 温家宝 |
面積 - 総計 - 水面積率 |
世界第4位 9,602,716km² 2.8% |
人口 - 総計(2008年) - 人口密度 |
世界第1位 1,324,424,000人 140人/km² |
政府 | 不明 |
国民的な英雄 | 不明 |
建国 | 不明 |
通貨 | 人民元 (CNY) |
時間帯 | UTC +8 (DST: なし) |
国歌 | 義勇軍進行曲 |
宗教 | 不明 |
国際電話番号 | 86 |
註2: 中華人民共和国と面積順位第3位とされるアメリカ合衆国の面積は非常に近く、それぞれの国土の定義によっては、順位が入れ替わることがある。
中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)は、1949年に中国共産党によって建国された社会主義国家。東アジアのユーラシア大陸東岸に位置し、その国土の大陸部は、「中国大陸」とも呼ばれる。首都は北京市。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接している。また東シナ海を挟んで日本や大韓民国(韓国)とも接している。ギネスブックによれば最も多くの国と国境を接している国である。
人口の94%を占める漢族のほか、チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家である。
目次
国名
正式名称は中国語(普通話)の簡体字による表記で、中华人民共和国(ジョンファ・レンミン・ゴンフゥグオ、拼音: Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó)。通称は、中国(ジョングオ)。
公式の英語表記は、People's Republic of China(ピーポゥズ・リパブリック・オブ・チャイナ)。通称は、China。略称は、PRC。通称を英語に直訳すると、「Middle Kingdom」または「Central Kingdom」となる。
日本語の表記は、中華人民共和国。このほかに、かつて「中共」もしくは「新中国」と称された時代もあった。「中共」は、中国大陸においては中国共産党の略称である。一方、中国大陸の外においては、中華人民共和国が国家であることを認めない人々が「(中国大陸を統治する)中国共産党政権」という意味の俗称として使っていた(この意味による「中共」は、日中国交正常化前の日本社会で使われていたほか、現在でも、国共内戦で中国大陸から台湾に渡った中国国民党などが使っている)。それが、日本において、最初の意味から外れた、単に中華人民共和国の略称と世間的に捉えられ用いられたこともあった。また「新中国」は、主に日中の国交正常化前、つまり中華人民共和国建国後は台湾島を含む一帯を統治している中華民国を日本政府が「中国を代表する正当な政府」としていた時代に、中国共産党を支持する日本人が中華人民共和国を指して使っていたものである。
「中華」は、世界の中心にある、もっとも華やかな文明社会という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる現在の河南省のあたりを指した言葉であった。因みに中華の華はもともと世界の中心の夏(古代の王朝)という意味の中夏だった要出典。尚、簡体字での「華」は「化」の下に「十」である。また、近代的な概念を表す漢語はほとんど日本製だったこともあり、「人民」「共和国」は和製漢語を使うこととなった。
歴史
中華人民共和国成立以前
詳細は中国の歴史を参照
3000年以上に渡り、幾つもの王朝の興亡を経てきた。 漢族の王朝・明が1644年に滅亡し、満州人の清朝が最後の王朝として中原王朝の座を掌握した。だが、阿片戦争(1840年~1842年)で清朝がイギリスに敗れると植民地化が始まり、日清戦争で日本に敗れたことにより列強による植民地化が進行する。満州人の支配に対する革命運動が各地で起こり、その結果、1911年の辛亥革命を契機として翌1912年に中華民国が成立(直後に清朝は消滅)した。なお、中華民国は東アジア初の共和国である。
しかし、その後も日本やイギリス、フランスやドイツなどの列強による中国大陸の局地的な支配が続いた他、軍閥による群雄割拠が続いた上に、統一国家の体をなさない混乱状態がしばらく続いた。また、その後は非漢族居住地たるモンゴル・チベットなどの支配も目論んだが、活発な独立運動が行われた。その後、1930年代の満州国の建国や、その後に発生した日中戦争において中国大陸の多くの部分が日本によって統治されたものの、1945年の第二次世界大戦における日本の敗北によって日本が中国大陸から撤退し、中華民国が連合国(戦勝国)の1国として中国大陸を改めて完全統治する体制が整った。
しかしその後、1930年代から日中戦争をはさんで断続的に行なわれていた国共内戦において、ソビエト連邦からの支援を受けていた中国共産党率いる中国人民解放軍が、第二次世界大戦の終結後にアメリカからの援助が減っていた中国国民党率いる中華民国国軍に対して勝利をおさめ、1949年に共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治国土を制圧した。なお、その後中華民国政府は台湾島に遷都し、その後台湾島とこれらの島嶼地域は現在中華民国の統治下にある。
中華人民共和国成立後
詳細は中華人民共和国の歴史を参照
中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代(1978年 - )の二つの時代に分類することができる。
毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで大躍進政策を行なったが、多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。文革は、毛沢東の死と共に終結した。その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月第11期三中全会で鄧小平が実権を掌握した。
鄧小平時代の中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長をした。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また、政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢をとり続けている。1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。
政治
テンプレート:共産主義 中国共産党とその衛星政党以外の政党は認められておらず、国民には結党の自由がないなど、事実上中国共産党による一党独裁体制である。その他に8つの衛星政党(「民主諸党派」)が存在する(ヘゲモニー政党制)。
立法機関として全国人民代表大会が置かれ、行政機関として、国務院が、司法機関として、最高人民法院が存在する。法律上は全国人民代表大会に権限が集中する。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。実際には国政を動かすのは中国共産党であり、共産党の最高指導集団である政治局常務委員会が権力を掌握する構造となっている。そのため、かつては特に人民代表大会が形骸化し、10年間も開かれないこともあったが、最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。
また、中華人民共和国の政治において特筆すべきことは、中華人民共和国政府が中華民国政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点であることと、中華人民共和国中央人民政府が国際連合により侵略者という認定を受けていることである[1]。
1997年にイギリスから返還された香港、1999年にポルトガルから返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。基本法により、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接かつ制限選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能である。詳しくは香港もしくはマカオの項を参照。
中国共産党中央政治局常務委員
中華人民共和国の政治の動向を知るには、党政治局の常務委員を知ることが必要である。 現在の最高指導グループは以下の通り。
- 胡錦濤 - 党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家主席、国家中央軍事委員会主席
- 呉邦国 - 全人代常務委員長、元国務院副総理、党中央企業工作委員会書記
- 温家宝 - 国務院総理、党中央金融工作委員会書記
- 賈慶林 - 中国人民政治協商会議主席
- 曽慶紅 - 国家副主席、中共中央党校校長
- 黄菊 - 国務院副総理(2007年に死去、空席)
- 呉官正 - 党紀律検査委員会書記、党元山東省委員会書記
- 李長春 - 党元広東省委員会書記
- 羅幹 - 国務委員、元国務院党組織委員、党中央政法委員会書記
様々な政治問題
中華人民共和国では深刻な人口問題、環境問題、汚職問題、司法問題などが発生している。
人口問題
共産党政府の成立後、中華人民共和国では急激な人口増加が進んだことにより、食糧問題、エネルギー問題などが発生した。人口増加に危機感を抱いた共産党政府は、対策として1979年から一人っ子政策を実施し、出生率の統制による人口抑制を展開した結果、人口増加率は低下した。
しかし一方で、戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる国籍の持たない子供が増加したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約13億であるが、盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は14億を超えるとも言われている。
また、急激な出産制限は全人口に占める若年層の割合を低下させた。そのため、将来少子高齢化が問題になると指摘されている。
国内では、沿岸部など経済発展の著しい地域と、内陸部の発展に取り残された地域との格差が拡大しているため、沿岸の都市部に出稼ぎするために流入する農民が増えその数は軽く1億を超える。
環境問題
中国大陸における環境破壊は、既に孟子によって記録されているほどで、有史以来の長い歴史を持つ。中華人民共和国の成立後の近年の急速な高度経済成長の影で、環境問題が深刻化している。詳細は中国の環境問題を参照のこと。
状況
中国食品薬品監督管理局の資料によれば、工場からの汚染された工業水や、化学肥料、農薬によって、河川、湖及び近海に深刻な環境汚染が起きているという。河川、湖については6割が深刻な汚染に侵されている。また、重金属によって土壌汚染が起きている地域(渤海沿岸、華東、華南)もあり、汚染地域では癌や奇病の多発、奇形生物の発生も指摘されている[2]。また、大気汚染も深刻な状況であり光化学スモッグも発生している。この光化学スモッグは国境を越え、日本にも流れている。
- 砂漠化問題
- 遊牧地の開墾、樹木の輸出や農作物の増産などが原因で砂漠化が深刻化している。国家林業局の発表によると、今現在中華人民共和国の30省、889の県で合計174平方キロメートルの砂漠が広がり、これは国内の18パーセントに当たるとしている。この砂漠化で黄砂が年々悪化し、中華人民共和国国内や韓国、海を渡った日本にまで被害を及ぼしている主要因と見られている。
行政府の対応
中央ではある程度の危機意識を持って環境対策を打ち出しているが、地方行政府は地方の経済発展を重視して中央からの指示をないがしろにするケースも多く、実効性に問題が生じている。
食料品について
中華人民共和国の生産・製造者における、食の安全意識は低い。詳細は中国製品の安全性問題を参照のこと。
農村では、農作物の増産のため大量の農薬を使用しており、都市部や香港などで「毒菜」と呼ばれることがある。中華人民共和国国外においては、中華人民共和国産の農作物についてはEUでほうれん草などの野菜が輸入禁止対象となったことがある他、主要輸入国である日本が、2006年5月に残留農薬基準を超えた食品の販売を禁止するポジティブリスト制度を導入した際、6月の野菜輸入が前年同月比で約2割減少した。他には鰻が検査に引っかかった結果輸入が減り、日本国内での価格が高騰した事例がある。
農作物以外の加工食品については、工場の衛生管理が悪く不衛生であること、安全よりも利益を優先し危険な飼育法や薬品を使用していること、偽ブランドが横行していることを指摘されている。
一例として、2007年7月には北京のテレビ番組が北京市などの露天で販売されていた肉まんの具材として段ボールと豚肉を混ぜ合わせて販売していたことが判明したが、実はテレビ番組のやらせであったことも発覚した。
汚職問題
地方政府の役人(共産党員)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。特に改革開放政策開始後は、満足な補償もないままに土地を強制的に収用したり、法的根拠のない税を徴収したりすることが多い。地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は中央政府へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。また政府高官でも汚職を行った者に対して死刑を適用・執行しており、2000年には成克傑(元全国人民代表大会常務副委員長)を収賄罪で死刑執行、2007年には鄭篠萸(元国家食品薬品監督管理局長)を収賄罪で死刑執行した。
司法問題
中華人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。中華人民共和国の警察などでは中華人民共和国政府(中国共産党政府)を非難する者に対しては動きが敏速ですぐに逮捕を行い、密かに拷問での自白強要を行っているとも言われている。司法も裁判所の制度も日欧米の諸外国と大きく異なっている。死刑の場合は判決後数日以内と、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。(中国の人権問題も参照)
反政府運動の首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。チベット解放運動家はよく処刑されていた。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルでの報告によると、パンチェン・ラマの生まれ変わりと言われた少年を政治犯として逮捕した。また同団体の報告によると、2004年で全世界で執行された死刑囚の数の9割以上(約3400人)が中華人民共和国であり、同団体に非難されている。死刑に処する罪も多く、現在もほんの一部ではあるが、凶悪犯の処刑を一般人に公開したり政府のテレビ番組内で生中継などをしていることがある。
処刑方法はほとんどが銃殺刑であるが、遺体の器官移植がよく行われるため、器官に傷つけない程度で銃殺されることが多い。最近は中華民国の死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。中華人民共和国国内には、このような銃殺刑は、現在日本で行われる死刑施行方法である「絞首刑」よりは近代的、人道的であると主張する人々もいる。
裁判官の質
特に地方の人民法院の裁判官について、質に難があるという指摘がある。裁判中に裁判官が携帯電話でしゃべり出し、審議が中断されることは珍しくない[3]。また、賄賂を要求することも多く、断ったら会社の設備を破壊され営業不能となった上、押収品を勝手に他者に渡す、といった事例まである[4]。
報道規制
中華人民共和国では、報道は新華社通信、『人民日報』、中国中央電視台などの報道機関が世界的に知られている。改革開放以後は新聞はタブロイド紙が爆発的に増え、テレビは地方局が多数開設された(キー局は中央電視台だけである)。そのため、「御用報道機関」である上記の3大報道機関の影響力は相対的に低下している。一方、新興報道機関は中小多数で熾烈な報道合戦を展開している。そのため大衆の好奇心を刺激する論評で大衆の関心の高い事柄を報道するが(段ボール肉まん事件を参照)、そのうち政府への批判的な報道は当局から「整頓」と呼ばれる修正を命じられることが多い。そのため、「上と下を見つつ報道」しているといわれる。 (詳細は中国の人権問題を参照)
中華人民共和国政府は検閲での情報操作(香港・マカオは除く)を行っている。政府に対してマイナスと認識した報道を規制している。ウェブページで、反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い。
2004年11月には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店あまりを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。GoogleやYahoo!などのアメリカ企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、中華人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。
こうしたネット文化の進展にともない、中華人民共和国政府はネット規制システム金盾をバージョンアップさせた。非常に巧妙化されたシステムであり、一見、巧妙に規制されているとは考えづらい構成となっている。その一方で、そうした検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されているとみられ、傲游などがその典型である。中華人民共和国政府はネットに関する取り締まりを日々強化しており、毛沢東や鄧小平の時代のような、報道規制、情報規制を目指しているとみられる。
反日活動における中華人民共和国政府の関与については見解が別れる。西側諸国においては中華人民共和国政府が情報操作、もしくは一時的に故意に報道管制や言論の自由を緩めることで「反日活動を事実上行わせている」との見解が多い。つまり体制批判ができないためそのガス抜きとして日本をはじめとする外国に対する批判を粉っているというものである。この見解とは逆に、中華人民共和国政府が日中関係への影響や国際的イメージの悪化を懸念し、反日活動の過激化を扱いかねているとの見解もある。いずれにせよ検閲による情報操作は下の項目の日中間の「歴史教育問題」にも大きな影響を与えている。
ウィキペディア規制
ちなみにウィキペディアも中華人民共和国政府がアクセスを遮断しており閲覧することができなかったが、2006年11月に上記と同様に報道規制されている記事以外の一部だけアクセス遮断を解除した。だが、数日後に再び遮断され、翌月の12月になって再びアクセス遮断が解除された。
2007年9月には、ウィキペディア創始者ジミー・ウェールズが中華人民共和国へ渡航し、政府高官へアクセスを解禁するように直談判しに訪れた[5]。
分離・独立運動
中華人民共和国にはいくつかの分離・独立運動がある。
- チベット自治区
- 1950年に中国政府は人民解放軍を中央チベットに派兵、1951年にラサを占領し、チベット全土を侵略したが、1959年に「改革」に反発したチベット人が蜂起(「チベット動乱」)した。しかし中国軍の強力な反撃により弾圧され、ダライ・ラマ14世は多数の難民と共にインドへ脱出して、亡命政府を樹立した。現在ダライ・ラマ率いるチベット亡命政府が中国共産党に対してチベットの自治権拡大を要求している。
- 2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶や市民の抗議行動が激化し、中心部の商店街から出火、武装警察(中国人民武装警察部隊)などが鎮圧に当たり多数の死傷者が出た。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表された。それと同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた。[6]
- 新疆ウイグル自治区
- 新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の分離・独立を目指す組織勢力が国内外に多数存在しており、アメリカで東トルキスタン亡命政府を樹立するなど活動を行なっている。特に新疆ウイグル自治区については、中華人民共和国政府が情報統制を行なっているために、中華人民共和国国内における独立運動の性質、規模等は明らかではないが、 チベット自治区と同様に虐殺・虐待事件が多発しているのではないかと一部から指摘されている。国際的にテロリスト(イスラム過激派)を取り締まる動きが強化されているため、中華人民共和国内での運動は沈静化していると言う見方もある。(東トルキスタン独立運動を参照)
- 内モンゴル自治区
- 現在、内モンゴル自治区で組織的な独立運動は行われておらず、モンゴル人は自治区内でもマイノリティに転落している。但し、過去の中華人民共和国政府は内モンゴルにおける分離運動を警戒していた。1995年にはモンゴル人の高度な自治を要求する組織「南モンゴル民主連盟」(SMDA)を「分離活動を行なう」非合法組織として告発し、70名以上のメンバーを逮捕、「国家分離とスパイ活動」罪などで裁いている(当時SMDAが要求していた自治は、中華人民共和国の憲法で保証されているモンゴル人のための高度自治であった。)
歴史教育問題
- 詳細は歴史教科書問題の項を参照
日本では次のように特に江沢民政権以後の中華人民共和国における歴史教育および中華人民共和国の中国共産党政府の姿勢を批判する観点がある。
- 旧日本軍の「蛮行」を宣伝する歴史記念館などを各地に建設している。
- 反日教育がきっかけとなり2005年の中国における反日活動が起こった。
- 日本政府は日中戦争の謝罪という理由から一切苦情が言えなくなっている。
一方で中華人民共和国政府及び国内の多くの知識人・メディアは、日本政府や保守系メディアの対中姿勢に対し、非難を続けている。
- 日本のメディアにより2005年の中国における反日活動が大きく報道され、日本国内の一部で中国脅威論がより強く叫ばれるようになってしまった。
- 近年では上記の理由と国際的な非難を背景に、中華人民共和国の歴史教育は反日の傾向が薄くなっている。
日本との経済関係
国交成立後しばらくの間は、文化大革命の余波から中華人民共和国の経済が冷え込んでいたことなどにより、両国間の経済関係はそれほど大きなものとはならなかったが、1980年代に中華人民共和国経済が改革開放政策により成長するにつれて、日中の経済関係も深くなっていった(政治関係が冷え込んでるなか、経済交流は活発であったことから、この状態を中華人民共和国では「政冷経熱」と呼んでいる)。
日本では中華人民共和国からの安価な製品の輸入が国内産業に打撃を与えるとして反発する動きも一部ではあったが、1990年代以降は日本企業の進出が相次ぎ基本的には貿易額は増加傾向となっている(中国脅威論も参照)。また、都市部住人に対するビザなし渡航が許可されたことにより日本への観光客が激増している。
両岸関係
「両岸」とは台湾海峡を挟んだ中国大陸と台湾の海岸を指しており、そこから「両岸関係」は台湾を実効支配する中華民国と中華人民共和国との関係を指す言葉となっている。(詳細は台湾問題を参照)
1946年から激化した国共内戦に勝利した中国共産党が1949年に中華人民共和国を中国に建国、同年中に国民政府は、日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に移った。それ以来、中華人民共和国は中華民国と「中国における正統政府」の座を巡って対立し、両国共に互いの統治する地域の支配権を主張して譲らなかった。
そのために、中華人民共和国政府は国際連合における「中国」代表権を求めて諸外国に外交的にはたらきかけた他、「中華民国政府が実効統治している台湾を中華人民共和国の領土」とみなして領有権を主張し、「台湾解放」の名の元に金門島への砲撃を度々行なった。その後、冷戦下におけるアメリカとソ連の間の対立や、ソ連と中華人民共和国の対立の激化などの政治バランスの変化に伴い、中華民国が国連の「中国」代表権を喪失して国際的に孤立し、中華人民共和国も改革・開放を推進するようになると、中華人民共和国政府は「一国二制度」といった統一の枠組みの提案や「三通政策」といった穏健的な統一政策を通じて両岸関係の改善を図った。1992年には両国政府関係者が「一国共識、各自表述(「一つの中国」を共通認識とするが、解釈はそれぞれが行う)」の統一原則を確認するまでに至った。
だが、1990年代に入ると、中華民国では李登輝中華民国総統による政治体制の民主化が進められ、それに伴い中華民国では中華民国とは別個の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動(台独運動)が活発化し始めた。このような動きに対し、中華人民共和国は総統選挙(1996年から実施)における台独派(泛緑連盟)候補者の当選阻止を目指して軍事演習で威嚇するなど強硬姿勢をとった。しかし、いずれの選挙においても阻止するには至らなかった。このことを教訓としてか、2005年3月14日には中華人民共和国で反国家分裂法が成立した。この法律は中華人民共和国による中華民国の武力併合に法的根拠を与えることを名目とする。こうした経緯で、今日の中華民国と中華人民共和国の関係は、台湾問題として東アジア地域の不安定要素となっている。
もっとも、中華民国にも「台独」に反対する「中国派」の人々(泛藍連盟)が存在している。こうした動きにおいては、中国国民党が有力な存在である。中国国民党党首・連戦は、2005年4月26日~5月3日にかけて中華人民共和国を訪問、共産党党首・胡錦濤と60年ぶりの国共首脳会談を実施した。
領土問題
国境地域において複数の国々と境界線や島嶼部を巡って領土問題を抱えている。
通商上の問題
通商上の問題として、急激な生産能力の拡大を背景とした輸出増加、安価な製品の輸出による貿易摩擦、市場価格の撹乱(例えば、鋼材や製紙で中華人民共和国の輸出増により値崩れが警戒されている[7])が指摘されている。
また、経済成長に伴い資源の消費が増えるにつれ、資源輸出の抑制、輸入が急増している。石油はかつては輸出国だったが、今は輸入国に転じている。また、鉄鉱石、銅などの大口の輸入国でもある。レアメタルについては、中華人民共和国が供給における寡占状態の品目があり、中華人民共和国の態度が当該品目の価格を左右する状態にある(例えばタングステンは、2005年5月に中華人民共和国が増値税の還付の引き下げを行った結果、価格が高騰、高止まりしている。中華人民共和国は経済成長により、レアメタルの供給側から消費側に転じていることが、価格の高騰をもたらしている[8])。以上のように、中華人民共和国の大量消費が国際価格の上昇の一因となっている。
品質問題
品質面においては、必ずしも品質が高いとはいえない製品(例えば、中華人民共和国で生産された民族系企業の普通乗用車の使用開始後半年までの間の故障率は、77.1%という調査がある[9])の輸出(これは過渡競争による過剰生産が要因で、中華人民共和国国内で販売するよりも輸出した方が儲けられるとして、アフターサービスを満足に行えなくても輸出を行うことによる)がある。
民族系企業の乗用車は品質だけでなく衝突安全性も低く、ドイツの民間機関やユーロNCAPによる衝突実験で民族系企業の複数の乗用車が過去最低の衝突安全性を記録し、その結果輸入販売代理店がすでに販売された車の無償回収を行うなど波紋を広げている。これらの結果を受けた中華人民共和国当局は、「メイド・イン・チャイナのブランド低下」に繋がるとして、2007年3月より完成車の輸出を許可制にするとしている[10])。
またアメリカでは、アメリカ企業の中華人民共和国製のおもちゃに基準を超える鉛が含まれていたことが問題となり、販売元による回収が数度にわたり行われ社会問題になっている他、食料品においては、残留農薬などが危険な水準に達している食料品(毒菜ともよばれる)の輸出が問題になるケースがある。また医薬品についても医薬成分の偽装などによる死亡事例などが問題となっている。(詳細は中国製品の安全性問題を参照のこと)
著作権問題
大手ファッションブランドを始め電子機器やバイクなど工業製品、ソフトウェアなどの偽ブランド商品、海賊版の製造が多く、非正規商品が平然と一般店舗に並べられている。中には偽ブランド企業が正規のブランド企業よりも早く中華人民共和国で商標登録されてしまったために、その正規のブランド企業の商品が中華人民共和国から撤去されるという事例もある(クレヨンしんちゃん#中国での商標問題も参照)。
模倣品に関する技術力も年々向上している。また、ソフトウェアに関して言えば海賊版が多く、Windows OSは海賊版がPCに付属していることが多い。 また、キャラクターなどの版権・著作権に関する意識も概して低く、堂々と無断使用されている場合も多い。(クレヨンしんちゃん#中国での商標問題も参照)
このような状況に対し、「中華人民共和国当局は法律上は取り締まっているものの実効性がない」、として欧米や日本などの先進国を中心として世界的に非難されている。
輸入品への政治的対応
また、中華人民共和国は上述したように国内に報道規制がなされているため、輸入商品に欠陥が見つかると、必要以上に大きく報道し、損害賠償を求める一方で、輸出商品の欠陥が国内で報道されることはまれである。
また、こういった動きには政治的な思惑もあると報道される場合がある。
- 浙江省でルイ・ヴィトンなどが焼却処分された際には、EUが2006年に中華人民共和国製革靴に対し反ダンピング税をかけたことに対する報復措置ではという見方がある[11]。
- 日本から輸出されたアメリカのマックスファクター社の化粧品「SK-2」が品質問題により販売禁止になった際には、日本が2006年に輸入食料品への残留農薬規制を厳しくしたことに対する報復という見方があった。問題となった化粧品は、日本やアメリカでは問題なく販売されていた他、中華民国の行政院衛生署では「(SK-IIから)検出された金属成分は自然界に微量に含まれるもので衛生基準内にある」との検査結果を発表していた。しかし、安倍晋三首相の訪中が決定したことにより販売禁止は解除された[12]。
国際関係
また、外交において特筆すべきことは、中華人民共和国政府が自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点である。中華人民共和国は、冷戦構造の下、建国当初は完全に東側陣営に組み込まれていた。しかし、スターリン死後の中ソ対立を経て、70年代初頭からアメリカをはじめとする西側との関係の回復を果たし(ニクソン大統領の中国訪問も参照)、同時に中華民国に代わって国連安全保障理事会の常任理事国となった。また、冷戦下における西側諸国とソ連との対立関係の微妙なバランスの中で、「中国を代表する正当な政府は、中華民国ではなく中華人民共和国である」という既成事実を西側諸国の多くに確認させる一つの中国政策も成功を収めた。
78年から始まる経済改革以降、経済面での資本主義諸国との関係も強め、2001年にはWTOにも加盟した。近年、APECやASEANプラス3の他、ロシア、中央アジア諸国と連携を強化し(上海協力機構)、また、東南アジア諸国ともFTA締結を合意するなど経済活動を絡めた積極的な地域外交を展開している。日本に対しては胡錦涛政権は、対日新思考を打ち出した(下記「日本の関係」も参照)。
区分としては開発途上国に含まれるため、国際会議等で「開発途上国の代表」と表現されることがある。また、開発途上国のため日本などの先進国から長年に渡り膨大な開発援助を受けているが、一方で他のさらに貧しい国に対して、国際的影響力を確保することを目的として開発援助を行っている。
急速な成長を遂げる中華人民共和国に対して、周辺諸国やアメリカの警戒感をもち(中国脅威論)、また、人権問題や両岸問題、国境問題など、中華人民共和国の国際関係は緊張をはらむ側面もある。
中華人民共和国政府は、人権抑圧国家と言われているスーダン、ミャンマー、ジンバブエ、イラン、北朝鮮などの国々との関係を深めている。例えばスーダンのダルフール紛争の大量虐殺に対する国際介入に反対する動きをとっている。こうしたことから欧米諸国の知識人やマスコミは、中華人民共和国政府を「自由と人権の敵」として批判することが多い。(詳細は中国の人権問題を参照)
日本との関係
建国後長らく両国間に国交はなく、1964年8月に開設された日中総合貿易連絡協議会(高碕達之助事務所)と廖承志事務所、いわゆる「L・T事務所」などの民間機関が事実上の代表部として両国の関係を取り持ってきたが、冷戦下の1972年9月に、アメリカと中華人民共和国が急接近したことを受けて国交設立への機運が高まり、日中共同声明を発表し国交を正常化した。なお、それまで日本が国交を持っていた中華民国と日本はその後国交を断絶した。1978年8月には日中平和友好条約が調印され、以後、政治、経済などにおいて緊密な交流が続いている。
政治
政治に関して、近年の日中関係は悪化傾向にあった。小泉首相在任中は、いわゆる「靖国神社問題」などの内政干渉や駐上海日本総領事館襲撃事件などに伴い両国関係が緊張したことにより(歴史教科書問題、反日感情等を参照)、中華人民共和国の国家主席の日本訪問はなかった(小泉首相在任中に、江沢民から胡錦涛に主席が変わっているが、訪問はなかった)。
安倍首相に代わってからは、中華人民共和国は悪化した日中関係の改善を模索している。中華人民共和国側は、これまでの中華人民共和国による反日的な態度に対する日本側の反発が強まっていることを受け、胡錦涛指導部が、日本との対日協調工作小組を発足させた。政府内で外交を担当する唐国務委員が指揮し、共産党、政府、軍、政府系研究機関など日本と関係する各部門が参加。指導部への提案や各部門への指示を一元化させた。
2007年4月には、温家宝首相が来日した(この中華人民共和国側の態度の変化について、日中関係改善により、日本側から環境対策技術、省エネ技術を手に入れることを意図しているためという指摘がある[13])。
日本の政治家には、中華人民共和国に対して警戒感を持つ者もいる。例えば中川昭一は、以下のように述べ中華人民共和国への警戒感をあらわにしている。
- 『「中国は今は平和的台頭でおとなしくしているが、2010年(の上海万博)が終わると、いよいよ“非平和的台頭”になる可能性がある」と強調、「台湾(中華民国)が完全な勢力下に置かれた場合、次は日本になりかねない」との見方を明らかにした。』[14]
領土問題
日中両国政府は日本領内である尖閣諸島(中国名:釣魚島)を巡って領土紛争を抱えている。日本領内にも関わらず過度な主張を繰り返している。
近年、中華人民共和国政府が日本のEEZ(排他的経済水域)内において、調査船を侵入させ資源調査を行っており、2004年には、日本の領海を中華人民共和国海軍の潜水艦が侵犯する事件が発生し、日本と日本国内に基地を多く所有しているアメリカ両国政府に緊張が高まっている。領海侵犯に関して、中華人民共和国政府は「遺憾の意」を表明したが、陳謝は行っていない。
また、2004年には東シナ海の日中中間線ぎりぎりの中華人民共和国側で、中華人民共和国政府により海底油田の開発が進められていることが発覚した。日本政府は日本側の資源にも地下でつながっている可能性を指摘し、中断を求めたが、中華人民共和国は証拠がないことを理由に応じず、2005年には生産が始まった。詳細は東シナ海ガス田問題を参照。
教科書問題
両国の間では、検定教科書や歴史認識を巡っても論争が存在している。これが両国政府間の対立の要因の一つとなっている。また両国の国民感情は微妙な状態にあるが、この論争を通じて悪化するという見方もある。しかし、その一方で、日本や西側諸国の間には、中華人民共和国はあくまで外交のかけひきとして、「靖国カード」、「教科書問題」カードを使っているとの見方もあり、『江沢民文選』によれば実際に1998年8月、当時の江沢民国家主席から外交関係者に「歴史問題を強調し永遠に言い続けよ」との指示が与えられたという[2]。また、中華人民共和国側も反日教育を行っている。詳細は歴史教科書問題を参照。
遺棄化学兵器問題
日本は第二次世界大戦時に化学兵器を中華民国(中国大陸)において配備していた。そのほとんどは使用されず、武装解除時に国民党軍あるいは共産党軍に引き渡された。これらの30万発程度の化学兵器(弾頭)は両軍とも使用することなく、結局ソ連など他国の化学兵器と共に埋設処理された。
近年、中華人民共和国の開発の伸展に伴いこれらの化学兵器が発掘され、住民が被害を被る事件がおきている。日本は化学兵器禁止条約に則り、これらの遺棄化学兵器のうち、日本生産分を解体することに協力することを言明した。(詳細は遺棄化学兵器を参照、河野洋平も参照)しかし、中華人民共和国側が旧ソ連や自国の化学兵器も日本軍のものとしてカウントしたり、「200万発」と弾頭数を過剰に申告する、解体に必要ない施設の建設を要求するなど、様々な問題が生じている。
ODA問題
国交成立後今まで日本が中華人民共和国に支払ったODAの金額は約3兆円に上る。だが、中華人民共和国国内においては故意に報道されていない。中華人民共和国政府は、自ら多額の援助を受けている一方で、アフリカ諸国や太平洋諸国に援助を与え、国際的地位を強化している。また、その一部(もしくは多く)が軍事的開発に使われているという指摘もある。こうしたことから、日本においては対中ODA不要論が提言されており、近年中に完全に停止される予定である。
その他
- 駐上海総領事館に関しては、2004年に電信官が自殺する事件も起きている 。中華人民共和国政府は否定しているが、遺書には中華人民共和国の公安関係者による脅迫があったと記載されていた(上海総領事館員自殺事件を参照)。
- 上記の上海総領事館員が通っていたのと同じカラオケ店に通っていた上対馬警備所の一等海曹が内部情報の持ち出しで10日停職の懲戒処分を受けた。
- 2006年8月には、無断で中華人民共和国に渡航をくりかえし、内部情報を持ち出したとみられる海上自衛隊の一等海曹が護衛艦「あさぎり」内部で自殺した。
などがある。
地方行政区分
詳細は中華人民共和国の行政区分を参照
2004年現在、中華人民共和国の行政区分は23の省(中華民国の領土で、中華人民共和国が実効支配していない台湾省を含む)、5つの自治区、4つの直轄市、および2つの特別行政区から成り立っている。
主な都市
ランク | 都市 | 人口[3] (2001) 万人 |
密度[4] (2001) (人/km) |
市政区人口 (含農村人口) (2000) |
地方 | |
---|---|---|---|---|---|---|
人口(万人) | 密度 (人/km) | |||||
1 | 上海 直轄市 | 983.8 | 34,700 | 1674 | 2,640 | 華東 |
2 | 北京 直轄市 | 744.1 | 29,800 | 1382 | 822 | 華北 |
3 | 香港 特別行政区 | 611.2 | 76,200 | 701 | 6,294 | 華南 |
4 | 天津 直轄市 | 509.5 | 10,500 | 1001 | 803 | 華北 |
5 | 武漢, 湖北省 | 448.9 | 12,950 | 831 | 947 | 華中 |
6 | 広州, 広東省 | 415.5 | 11,600 | 1015 | 1,337 | 華南 |
7 | 瀋陽, 遼寧省 | 398.1 | 9,250 | 720 | 557 | 東北 |
8 | 重慶 直轄市 | 393.4 | 23,500 | 3090 | 378 | 西南 |
9 | 南京, 江蘇省 | 282.2 | 13,250 | 640 | 970 | 華東 |
10 | ハルビン, 黒龍江省 | 267.2 | 11,350 | 935 | 174 | 東北 |
大都市の人口(2007年)
1,重慶市,3200万人 2,上海市,1845万人 3,北京市,1633万人 4,成都市,1221万人 5,天津市,1115万人 6,広州市,1005万人 7,ハルビン市,975万人 8,武漢市,891万人 9,東莞市,869万人 10,深セン市,846万人 11,西安市,830万人 12,青島市,820万人 13,蘇州市,810万人 14,温州市,790万人 15,杭州市,786万人 16,瀋陽市,745万人 17,南京市,741万人 18,唐山市,738万人 19,寧波市,690万人 20,香港特別行政区,678万人
地理
中国行政区分の面積一覧 も参照 広大な国土と世界最大の人口を持つ国、米の生産量も世界1位である。
- 主な砂漠
- 主な川
- 主な海
- 主な山・山脈
- 主な湖
- 主な半島
- 主な盆地
経済
国家成立後、1970年代中半までの経済は大躍進政策の失敗や文化大革命によって立ち遅れていた。農業を志向した社会主義経済の非効率性も経済発展の障害となっていた。このため、鄧小平の主導によって1978年に「改革開放」政策が採用され、市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、人民公社の廃止と請負制の実施、外資導入など、経済政策の方針を、市場経済原理による資本主義体制を大幅に取り入れたものに転換した。その結果、1980年代以降の経済は、幾度かの混乱がありながらも、沿海部の経済開放地区を中心に長い成長過程に入り、経済成長を持続している。他に経済成長の著しいブラジル、ロシア、インドとともに、BRICsと呼ばれている。
産業は、製造業が盛んであり、「世界の工場」と呼ばれている。この牽引役となったのが、安い人件費、膨大な人口を背景にした潜在消費需要を当て込んだ外資の資本投入と、安い人件費を要因とした安価な製品輸出の拡大である。世界貿易機関(WTO)の発表によれば、2003年の対中直接投資は535億ドルとなり、アメリカ合衆国を抜いて実質的に世界最大の直接投資受入国となった(ルクセンブルクの特例を除く)。輸出については、日本、韓国、東南アジア諸国、アメリカなどへの輸出拡大が目覚しく、大幅な貿易黒字を記録している。このため、極度に輸出と投資に依存した経済成長を続けた結果、個人消費の割合が著しく低い、歪んだ経済となった。このことが、投資効率性低下や資源浪費、環境破壊そして過剰貯蓄を通じて貿易摩擦につながっている。2006年に入ってからは、個人消費による経済成長を図る方針へ転換した。
- 通貨
- 中華人民共和国の通貨である元は、長らく固定相場制を採用していたが、アメリカやEU諸国をはじめとする国際社会の批判を受け、2005年7月21日より管理フロート制と通貨バスケット制を採用する人民元改革を実施した(詳細は人民元改革を参照)。
- 貿易
- 輸出入ともに貿易額が増大しており、世界経済に影響を与えるようになっている。また、他国とのFTAを積極的に結ぶなどの活動も行っている(中華人民共和国#国際関係も参照)。輸出については、衣類・織物などからテレビなどの電化製品に至るまで、多様な製品を輸出している。輸入については、特に原材料の輸入が注目されている。しかし、輸出入の急拡大は、貿易摩擦等の問題も抱えている。詳細は#通商上の問題を参照。
- 地域格差
- 国全体としてはGDPは増加しているが、鄧小平による先富論の結果、沿海部が発展する一方で、内陸部の経済は大きく立ち遅れた。かつては工業の中心地であった東北も非効率的な国有企業が多く、改革開放の波に乗れず、長江デルタや珠江デルタの先進地域との経済格差は開く一方であった。このため、政府は2000年頃から西部大開発や振興東北を重点政策とし、これら後発地域の開発に乗り出している。しかし、沿海部と内陸部との格差は解消されず、依然として内陸部よりも沿海部の方が経済成長率が高く、格差は拡大している。これに対し胡錦濤は、格差の解消を目標の一つに掲げている。
- 労働力
- 人口13億人超を誇るだけあり労働力は豊富。ただし、当初魅力であった人件費の安さは、相継いで中華人民共和国に進出する企業が労働力を求め続けたことにより、特に高学歴の人材が不足するようになり、またそれにともなって賃金水準も上昇し、安さの面ではベトナムなど、東南アジアが注目されている。
- また、労働力の供給について、中国社会科学院人口・労働経済研究所が、経済成長を背景にした労働需要の増加により、早ければ2009年にも労働力の供給が不足するという報告書を出している[15]。
- 税制
- 2008年1月1日から法人税は国内企業と外資企業の基本法人税率が共に25%に統一された。国税には関税、消費税、国営企業の企業所得税などがあり、地方税は営業税、地方企業の企業所得税などがある。共通税は国と地方で75%:25%に配分され、増値税や資源税がこれに含まれる。
- 主な間接税には消費税、増値税、営業税の3種類がある。消費税は特定の嗜好品や贅沢品にのみ工場出荷時か輸入時に一度だけ品目によって3%~45%が課税され、その後の流通段階ではあらゆる商品と役務提供に対して増値税が基本税率17%が適用されて各流通段階で課税される。各流通段階ではインボイスにあたる「増値税専用領収書」によってそれまでの増値税額が控除を受けることでそれぞれの付加価値に対して課税されることになる。ただし、贅沢からは縁遠い、穀物、食用油、水道などの特定の品目への増値税には低減税率13%が適用される。営業税は交通運送業、建設業、金融保険業、郵便電気通信業、文化体育業、サービス業、不動産販売業、無形資産の譲渡に対して3%~5%、娯楽業は5%~20%の税率で営業利益から規定額が控除された額に課税される。
- 増値税は常に外税表示であり、消費税と営業税はその性質上、内税であるため、増値税が日本での消費税に相当すると理解できる。
- 香港は一国二制度が継続されており、基本的には返還以前の税制が維持されて中国本土側の税制とは異なっている[16]。
- その他
- 先進地域を含めて民族資本が発展していないこと、官僚の腐敗、社会に広く存在する法の軽視、不良債権の蓄積、貧富の差の拡大、偽ブランド商品・違法コピー品の製造・販売が多いなどといった問題も存在する(#通商上の問題も参照)。
軍事
中華人民共和国の憲法によれば、形式的には、国家中央軍事委員会は中国人民解放軍、中国人民武装警察部隊、民兵など全国の武装部隊を指導するとある。
しかし現実は、中国共産党の党中央軍事委員会がほぼ国家中央軍事委員会のメンバーを兼ねており、実質的には共産党が軍・警察を支配している。近代化のために近年は兵力削減傾向にあり、総兵力は約150万人となった。
チャイナ・ネットによれば中華人民共和国には兵役制度が存在しており、選抜徴兵制と呼ばれている。青年たちは何らかの形で武装警察、あるいは現役の正規軍に任務につき、任務後は民兵の任務につくことができる。こうした準軍事組織は150万人の武装警察、600万人の民兵があり、削減された解放軍兵士の受け皿にもなっている。有事には民兵組織は、各人民公社ごとに組織され、人民公社を拠点とした遊撃戦をおこなうとみられる。
軍事費
軍事費は、兵器の近代化等もあり毎年増加している。軍事費の増加をアメリカなどは非難をしているが、これに対し中華人民共和国は「中国の国防は防御的なものだし、今までの歴史に他国を侵略したこともない」と覇権目的ではないと反論している[17]。他に、「台湾解放のための選択肢として武力行使があり、このために軍事費を急増させている」とのコメントがある[18]。しかし実際はベトナムやインド、チベットへ侵略を数度に渡り行っている他、ソ連や中華民国と数度に渡り国境紛争を起こしていることから、このような主張をそのまま受け取る国はない。
軍事費の規模については諸説あり、中華人民共和国が公表した値と他国が推計した値とでは開きがある(#近代化も参照)。国際戦略研究所(IISS)(イギリス)は、中華人民共和国の軍事費について報告書『ミリタリーバランス2007』で以下のように指摘している。
- 「2006年の中国の軍事費が前年比18.4%増の推定約1220億ドル(約14兆7900億円)に達したと指摘した。」(なお、参考として、同報告書における日本の防衛費は、約411億ドルとなっている)[19]
近代化
近年では兵器の近代化に力を入れている。また、アメリカやイギリスは、中華人民共和国は核戦力や、武装警察、在外公館の警備などを一切予算に計上しておらず、最終的には公表の2~3倍以上になると考えている。現実に、中華人民共和国の外務省自身これを認めている。
具体的には国防科学研究費、民間防衛や民兵予備役の費用は列挙されていない。ロシアからの武器購入費30億ドル、戦略ロケット部隊の開発と運用部隊の維持、兵器の研究開発費である。もっとも、アメリカや日本も沿岸警備隊や海上保安庁の予算は軍事費としては集計していないのだから、中華人民共和国の姿勢はアンフェアではないという説もある。また、兵器開発についても中華人民共和国は兵器装備を研究・製造していた第2工業部から第8工業部までの費用は国防費ではなく、国務院の支出に計上されており、その後この7つの省庁はすべて民生品生産を主とし合わせて軍事品を生産する集団公司に改編されたと主張した。とはいえ、これは民間とのアウトソーシングを進める新人民戦争理論に基づくものとみられ、周辺国は注視している。
宇宙開発
軍主導の開発
中華人民共和国の宇宙開発は軍部が主導している。1970年代以降から活発に長征という宇宙ロケットを開発をしているものの進展はなく、1995年には長征2E型爆発事故で西昌衛星発射センターの地元住民6人が死亡、1996年には同発射センターより発射された長征3B型1号機が地元の町へ飛んでいき500人以上が死亡するという、宇宙開発で稀に見る大惨事を招いてしまった。世界のマスコミ陣にロケットを公開発射した中での事故だったために、事故発生直後にマスコミ陣を隔離し、政府が軍を派遣し5時間の間に事故現場の証拠隠滅を計ったとされている。
世界各国からの批判
その後の開発は順調に進み、「2006年中国の宇宙白書」では、「軍事転用をできる分野に力を注ぐ」としており、周辺諸国や中華人民共和国へ開発援助を行っている日本などから反発を受けている。実際神舟と呼ばれる有人宇宙船によって2003年に楊利偉中佐を乗せ、初の有人宇宙飛行を行った。また、月探査プロジェクト「嫦娥計画」が推進されている。また2007年1月18日には、弾道ミサイルによって中華人民共和国が過去に打ち上げ廃棄処分となっていた人工衛星を破壊する実験に成功した。
だが、この人工衛星破壊行為によって100個近くものスペースデブリを発生させることとなり、国際宇宙ステーションや他の人工衛星を破壊する脅威が残り今後の世界各国の宇宙開発を困難にさせる結果を作った。それを受け2007年2月21日には国連の宇宙空間平和利用委員会では宇宙空間での人工衛星破壊を禁止する法案を採択する結果となった。
ちなみに、デブリが地球の引力に引き寄せられ消滅するには、約20年もの歳月が掛かるとのことである。しかしこのデブリが浮遊している事実に関して、中華人民共和国政府は曖昧な態度を取り続けている(参考[5])。
その他
中華人民共和国の中央軍事委員会らが構成した「2004-5特殊案件調査チーム」の報告によると、中華人民共和国人民解放軍の各軍需庫に保管されていた廃棄処分予定の軍備品などが盗まれていたことが発覚した。
これによると、ミグ15戦闘機360台、T-48およびT-50戦車1,800台、小銃30万丁、軽油17000バレル、野戦ベッド20万床、軍靴・テント20万セット、その他大量の薬品などが盗難被害にあっていたことが判った。中国人民解放軍、大量の装備品が「紛失」横流し 大紀元時報-日本
なお、日本の警察庁の報告によると、日本国内の暴力団などの犯罪集団の間に多くの中華人民共和国製の拳銃や手榴弾が流通されているという報告があり、その多くがこのような盗難品ではないかと推測されている。
教育
設立以降、中華人民共和国の学問の中心の一つとして国内に名を知られる国家重点大学が北京大学である。現在では、清華大学が中華人民共和国のトップ大学としての評価が定着しており、北京大学はNo.2の位置づけとなっている。清華大学は朱鎔基総理、胡錦涛国家主席の出身校でもあり、25,000名の学生が理学部、工学部、文学部、法学部、経済学部、経営管理学部、芸術学部などに学ぶ。
国民と社会
民族
最大の民族集団は漢族で人口の92%を占め、その他の55の少数民族が残りの8%を占める。少数民族のなかではチワン族(1,600万人)、満族(1,000万人)、回族(900万人)、ミャオ族(800万人)、ウイグル族(700万人)、イ族(700万人)、モンゴル族(500万人)、チベット族(500万人)、ブーイー族(300万人)、朝鮮族(200万人)が比較的大きな民族集団である。 中華人民共和国では、漢民族だけでなく、これらの中華人民共和国国内に居住する少数民族を含む全ての民族を「中華民族」と規定し、中華民族は一体であるという意味合いを持たせている。
中華人民共和国の民族の分類は、中華人民共和国政府が実施する「民族識別工作」によって決定されるため、各少数民族が自分たちが別の民族だと思っていても、同じ民族にされたり、違う民族にされたりすることがしばしば起こりうる。また、「未識別民族」も存在している。
中華人民共和国では、少数民族の民族的アイデンティティの確立は「一人っ子政策」から除外している(但しチワン族やチベット族などに対して強制断種を行っているとの報道もある要出典)以外、重視されておらず、基本的に「中国化」政策を取っている。 たとえば漢民族の歴史は全国のすべての学校で教えられるが、各少数民族の歴史は「中国史」の一部として、学校で教育されている。割合はかなり少ないが、地域の歴史教育として、少数民族の歴史と文化を自由時間で教育するカリキュラムも存在している。地域にもよるが、少数民族地域で使われている教科書の一部は、全国統一教科書の各少数民族言語への翻訳であることもあり、少数民族文化を反映した内容は少ない。なお国務院に国家民族事務委員会が設置され、中華人民共和国の民族政策を統一的に管理している。
言語
北京の方言(北京語)を基礎として若干の改訂を加えた普通話を標準語としている。同じ中国語であっても、広東語や福建語などの方言が多数あり、広東語や福建語などは非常にかけ離れているので、建国以来、北京人と広東人ではほとんど会話が通じない状況があった。そのため北京周辺で話される言葉を北京語、広東で話される言葉を広東語などとしている。しかし、建国以来の教育および放送等の普及により、殊に若年層には普通話を話せない者は少なくなった。更に、深圳、珠海などの経済特区では省外からの人口流入が激しく、広東語が解らない者が多数派になりつつある。
なお、イギリスの植民地であった香港では、北京語と共に広東語および英語も公用語となっている。実際現在も北京語を使用するものは少なく、その上に1990年代初頭頃迄は大陸から移住したものを除いては北京語のできる者はほとんどいなかった。1997年の主権返還をきっかけに北京語熱が高まっている。また澳門では広東語のほかに、ポルトガル語も使われる。
チベット、ウイグルなどの各少数民族はそれぞれの固有の言語も使用しているが公用語は北京語である。政府は少数民族の言語を尊重する姿勢を示しながら、中学校以上の高等教育は原則として少数民族の言語は使用せず、北京語のみで教育を行なうことや、ウイグル人に対しては子供を漢民族地域に居住させて北京語で教育することなどにより、北京語を普及させる政策を取っている。
宗教
国教はなく、主な宗教は仏教、道教、イスラム教、キリスト教である。宗教信者は総計1億人余り、宗教活動場所85,000か所、宗教団体3,000余りといわれる。欧米では国民の多くは宗教信者であるが、現在の中華人民共和国の宗教信者数の1億人余りは総人口12億人に比して非常に少ない。これは中国大陸における宗教の歴史と中国共産党政府による宗教弾圧の影響が大きい。国民の大半を占める漢人は現世利益的であり、複数の宗教の良いところをそれなりに信仰する傾向がある。改革開放以降、「紅白産業」と呼ばれる「冠婚葬祭業」が飛躍的に発展した。
宗教弾圧
憲法には「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されている。ただし、未成年者への宗教教育は禁止されており、共産党の指導に従わない宗教は邪教として、当局に弾圧される。特に文化大革命の時期には宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。チベットでは仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりしたといわれる。特に、チベット仏教、キリスト教やその「地下教会」、新興気功集団「法輪功」などの弾圧事件はよく報道されている。(中国の人権問題も参照)
中国共産党は「三自愛国委員会」を通じて全国の宗教団体を統制し、これらの宗教団体の「長」の任命は党の認可が必要であり、現在、多くの宗教団体のトップが党員である。
仏教
仏教に関しては仏教の寺院が1万3000余カ所、僧と尼は約20万人といわれる。「漢民族仏教」、「チベット仏教(ラマ教)」、「南仏教(巴利語系)」の3種類がある。「漢民族仏教」の信徒数の統計はない。「チベット仏教」の信徒数は、チベット族やモンゴル族などの900万人、ラマ僧、尼僧は約12万人、活仏は1700余人、寺院は3000余カ所。「南仏教」はタイ族などの100万人、比丘、長老は1万人近く、寺院が1600余カ所といわれる。
文化大革命の時期に徹底的な弾圧を受けたチベット仏教はかなり復興したとはいえ、まだ最盛期にはほど遠い。また、現在も中華人民共和国政府によるチベット仏教への弾圧は続いており、僧院には、中華人民共和国当局の「工作隊」が駐在し、強制的に、僧や尼僧に政治的・宗教的信念の「愛国再教育」を行っている。1996年から1998年の間に、中華人民共和国当局による「厳打」キャンペーンにより約500名の僧尼が逮捕され、約1万人が僧籍を剥奪されたといわれる。
中華人民共和国は、「チベット解放」の正当性を裏付けるものとして、「解放」前のチベットを封建農奴制社会と規定し、ダライ・ラマやチベット仏教は農奴を生贄にする「人を食う鬼」であったと主張している。
道教
道教は漢民族固有の宗教である。信者数の統計はなく、道教の宮・観(寺院)が1500余カ所、道士と道姑が2万5000余人といわれる。
儒教
中国の歴代王朝で国教として扱われた儒教は中国共産党政府成立後に徹底弾圧された。現在その思想がやや復権しつつあるとは言え、宗教としては事実上消滅している。
イスラム教
イスラム教は、回族、ウイグル族、カザフ族など主に少数民族の間で信仰されている。信仰者数は1,800万人、イマーム、アホン(回教布教師)が4万余人。中華人民共和国のイスラム教徒はスンニー派に属している。
イスラム教への中国当局からの制約は他の宗教に比べても大きく、特にウイグル族のイスラム教徒の扱いが厳しい。 イスラム教も、他の宗教と同様、文化大革命時に中国共産党による大弾圧を受けた。 その後一時弾圧は緩和されたが、1990年代中ごろから再び数百のモスクが閉鎖に追い込まれなど中国当局の圧迫が強まっている。 18歳以下の者はモスクへ入ることも、自宅で宗教教育を受けることすら禁止されており、上級の聖職者は当局からの許可が必要で、毎年、定期的な愛国教育を受けなければならない。 また、2007年より、メッカへの巡礼を阻止するために、イスラム教徒(ムスリム)、特にウイグル人のパスポートが没収されている。
キリスト教
キリスト教のうち、カトリックは、1958年からは本来ローマ法王だけに認められている主教ら聖職者任命も独自に行っている。信徒は350万人。 聖職者が4000人、教会・礼拝堂が4600余カ所といわれる(中国のキリスト教)。プロテスタントは、信徒は約1000万人、聖職者が1万8000人おり、教会堂が1万2000カ所、簡素な宗教活動の場所(会所)が2万5000カ所ある。
上記は中華人民共和国政府の統制下にある教会で登録しているキリスト教徒であるが、その他に中華人民共和国政府に統制されていない、未登録の「地下教会」(「家庭教会」ともいう)のメンバー数は8千万から1億人に上るとも言われる。中国共産党の支配を拒否する「地下教会」は教会の破壊、信者や聖職者の投獄・処刑など共産党の迫害を受けている。
新興宗教・その他
民間信仰には、民衆道教、シャーマン・シャーマニズム的信仰、アニミズム的信仰がある。またいくつかの新興宗教が存在し、1999年7月には、新興気功集団「法輪功」に対し、中華人民共和国政府は「迷信や邪説を流布して民衆をだまし、騒ぎを起こして社会の安定を破壊した」と断定、違法組織と認定し、一切の活動を事実上禁止した。
「明慧ネット(中国語版)」によると、「法輪功」は、仏教的要素を取り入れた新興気功集団で、創始者の李氏が1992年から活動を始め、日本など約20か国に組織がある。会員数は数千万と称しているが、中華人民共和国政府は200万人と発表している。中華人民共和国内の法輪功学習者の迫害による死者は2005年末現在、3千人近くに達していると見られる。
情報統制がいままで行われてきたが、ネット時代で新たな情報を手に入れられる中華人民共和国の民衆で、事情を知っている人たちからは、日本でいうオウム真理教のような存在から、単なる一新興宗教、または新興気功集団まで、さまざまな見方がある。
文化
祝祭日
日付 | 現地語表記(カッコ内は略称) | 由来・行事 | 休暇期間 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元旦 | 西暦の新年 | 1日 |
3月8日 | 国際婦女節 | 女性の社会、政治、経済等への貢献を祝う。 | 女性のみ半日 |
3月12日 | 植樹節 | 孫中山の逝世記念日。植樹や造林活動を行う。1979年に全国人民代表大会で決定。 | なし |
5月1日 | 国際労働節 | 働く人の社会及び経済への貢献を祝う。 | 3日間 |
5月4日 | 五四青年節 | 1919年5月4日に反帝国主義運動を行った学生を記念する。 | なし |
6月1日 | 国際児童節 | 子供の福祉の促進を祝う。 | 子供のみ1日 |
7月1日 | 中国共産党建立記念日 | 1921年7月23日の中国共産党の設立を記念する。 | なし |
8月1日 | 中国人民解放軍建軍節(健軍節、八一建軍節) | 1927年8月1日の南昌起義を記念する。 | なし |
9月3日 | 抗日戦争勝利記念日 | 1945年9月2日日本が連合国の降伏文書に調印したことを記念する。 | なし |
9月10日 | 教師節 | 教師の社会への貢献を祝う。1985年1月に全国人民代表会議で設立された。 | 小学校と中学一年の教師と生徒のみ1日 |
10月1日 | 中華人民共和国国慶節(国慶節) | 1949年10月1日、中華人民共和国中央人民政府設立を祝う。 | 3日間 |
中国暦1月1日 | 春節 | 中国暦の新年。中国暦の1月1日、1月2日、1月3日をそれぞれ年初一、年初二、年初三という。 | 3日間 |
中国暦1月15日 | 元宵節 | 小正月。灯篭を観て楽しんだり、元宵(甘いスープの中に餡を包んだ餅を浮かべた食べ物)を食す。 | なし |
中国暦2月2日 | 春農節 | “龍頭説”とも呼ばれる。2月2日に龍が頭をもたげた伝説から。 | なし |
中国暦4月5日節気清明 | 清明節 | 墓参り。先祖を祭る。 | なし |
中国暦5月5日 | 端午節 | 端午の節句。屈原が祖国の行く末を嘆き汨羅江に身を投じたのが始まりと言われる(議論中)。ちまきを食べたり、ドラゴンボートレースをする。 | なし |
中国暦7月7日 | 七夕 | “乞巧節”或いは“七巧節”、“七姐誕”とも呼ばれる。織女と牽牛が天の川の橋の上で会った伝説から。 | なし |
中国暦7月15日 | 中元節 | “鬼節”、“盂蘭盆節”、“七月半”とも呼ばれる。お盆。 | なし |
中国暦8月15日 | 中秋節 | お月見。家族が集まり、月見をしたり、月餅を食べる。 | なし |
中国暦9月9日 | 重陽節 | 重陽。敬老の日。高いところに登る。 | なし |
中国暦節気冬至 | 冬節 | “過冬”或いは“長至節”、“亜歳”とも呼ばれる。北部では餃子を食べることが多い。南部では湯圓(元宵)を食べる。 | なし |
中国暦12月8日 | 腊八節 | 祖先の霊を祭る。豊作、吉祥を祈る。 | なし |
中国暦12月23日(或いは12月24日) | 小年 | かまどの神を祭る。かまど王を天に送り、神様にかまど王の善悪を判断してもらう言い伝えから。 | なし |
中国暦12月30日 | 除夕 | おおみそか。年越し料理を食べたり、爆竹を鳴らす。 | なし |
ヒジュラ暦10月1日 | 開斎節 | “肉孜節”とも呼ばれる。ラマダーンの終わり。イスラム教の祭日 | なし |
ヒジュラ暦12月10日 | 宰牲節 | “古爾邦節”とも呼ばれる。犠牲祭。巡礼の次の日。イスラム教の祭日 | なし |
世界遺産
中華人民共和国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が22件、自然遺産が4件、複合遺産が4件ある。詳細は、中華人民共和国の世界遺産を参照。
社会問題
借金苦の増加
収入に占める住宅ローンや車ローンに苦しむ人が増えている。それぞれ
- 住宅ローンに苦しんでいる人は房奴
- 車ローンに苦しんでいる人は車奴
と呼ばれる。[20]。
房奴や車奴となるのはまだ若く、収入の少ないホワイトカラーが多いという[20]。
特に深刻なのは、購入単価の高い房奴。中国では、結婚し独立する際に住宅を購入するが、その際に約9割の人が住宅ローンを利用し、3割超の人が収入の半分以上をローン返済に充てているという調査もあり、結婚と同時に節約生活を余儀なくされる[20](ちなみに、住宅購入に加え結婚式費用も加えると、総額は共働き夫婦の年収の10年分にのぼるという指摘がある[21]。
責任論としては、
- 住宅購入者が悪い - 自らの収入に照らして、住宅購入がどの程度の負担となるかの見通しが甘い[22](もっとも住宅購入自体が、夫婦の資金力、借り入れられる住宅ローンだけでは足りず、さらに親からの援助に頼っている状況にある[20])
- 銀行が悪い - 関心があるのはどのくらい利益が得られるかで、ローンを組む人がその後どうなろうと知ったことではない[22]
- 不動産業者が悪い - 情報の非対称性など[22]
が指摘されている。
将来にわたる収入を前払いして自宅を買ったという形となる房奴は、自らを扶養する能力の大半を自宅に注いでいるため、高齢化した際に自らを扶養する能力が低くなる。そのため、中国が高齢化社会となった際に、大きな負担になるのではないかという指摘がある[23]。
また、収入の大半をローンに支払う状況は、何か突発的な出来事があれば支払いが滞る可能性があり、ローン債権の不良債権化を招いているという。
- 「統計によれば2003年までの自動車ローンの残額は1800億元(約2兆7000億円)に達したが、このうち945億元(約1兆4175億円)の個人向け自動車ローンが回収不能となり、不良債権率は何と50%を超えたという。」[20]より引用
その他の社会問題
- 離婚問題
- 農民の暴動問題
脚注
- ↑ [[1]]
- ↑ 2006年9月9日付配信 産経新聞
- ↑ 『カメラは見た!公判中、携帯電話に出る裁判長、たばこを吸う書記官…とんだ裁判』2008年1月4日付配信 Record china
- ↑ 『中国裁判官が日系企業にわいろ強要、断ったら設備破壊』2008年4月9日付配信 読売新聞
- ↑ 「ウィキペディア:北京当局へ、封鎖解除を呼びかける」 大紀元時報-日本
- ↑ 2008年3月17日時事通信
- ↑ 2006年11月6日付配信 産経新聞
- ↑ 「レアメタルの供給構造の脆弱性」(金属資源情報センター)
- ↑ 2006年11月15日付配信 NNA
- ↑ 2007年1月25日付配信 フジサンケイ ビジネスアイ
- ↑ 2007年1月23日付配信 産経新聞
- ↑ 2006年10月24日付配信 読売新聞
- ↑ 2007年3月5日付配信 産経新聞
- ↑ 2007年2月26日付配信 産経新聞
- ↑ 2006年9月1日付配信 NNA
- ↑ 監査法人トーマツ編 「アジア諸国の税法」 第四版 ISBN 4-502-91370-7
- ↑ 2006年6月7日付 人民網日本語版
- ↑ 2007年4月28日付配信 北海道新聞
- ↑ 2007年01月31日付配信 共同通信
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 『中国の造語に「奴隷」という言葉が増えている』2007年11月2日付配信 日経ビジネスオンライン
- ↑ 21.0 21.1 『中国で人気の「離婚クラブ」とは』2007年11月16日付配信 日経ビジネスオンライン)
- ↑ 22.0 22.1 22.2 『「房奴」に転落したのは誰のせいか』2007年5月19日付配信 中国情報局サーチナ
- ↑ 『「房奴」の実態と高齢化社会への影響』2007年5月17日付配信 中国情報局サーチナ
関連項目
- 中華文化
- 中国化
- 一党独裁制
- 中国関係記事の一覧
- 社会主義国
- 中国のネット検閲
- 北京・上海間高速鉄道計画
- 走向共和(連続TVドラマ)
- 台湾問題
- 中国サッカーリーグ
- 中国プロバスケットボールリーグ
- 中国野球リーグ
- 華流
- 親中 - チャイナスクール - 朝日新聞の中国報道問題
- 中国製品の安全性問題 - 中国の環境問題 - 中国産食品の安全性 - 中国の水危機
- チベット問題
- 中国の人権問題
- 中国の知的財産権問題
- 特定アジア
外部リンク
- 政府
- 中華人民共和国政府 (中国語)(英語)
- 中華人民共和国駐日本大使館 (日本語)
- 日系機関
- メディア
- CCTV - 中国中央電視台 (中国語)(英語)
- CRI - 中国国際放送 (日本語)
- 人民日報 - 中国共産党中央委員会の機関紙 (日本語)
- 経済日報 - 市場報に並ぶ中国の経済紙 (中国語)
- 新華通訊社 - 国務院直属の通信社 (日本語)
- 旅行
- その他
- AraChina 中国旅行大全
- ジャーナリスト田岡俊次 台湾侵攻は不可能
- 中国地図【日本語】
- 中国の経済
- 2007中国都市人口ランキング[6]
テンプレート:国連安全保障理事会理事国 テンプレート:アジア テンプレート:冷戦