天安門広場
天安門広場(ティェンアンメンクァンチャン、てんあんもんひろば、Tiān'ānmén Guǎngchǎng)は、中華人民共和国の首都北京にある天安門に隣接する広場である。
沿革[編集]
明の成祖、永楽帝による北京遷都のときには、すでに天安門広場の原型は存在した。天安門を出て、南に下ると「大明門」(清朝では「大清門」、辛亥革命後に「中華門」と改名)にいたる「千歩廊」と呼ばれる大通りと今の長安通りにあった「長安左門」と「長安右門」の間を結んだ丁字型の空間である。1954年に「千歩廊」の左右の官庁と倉庫群を取り壊し、中華門と長安左右門を撤去して今の天安門広場ができた。そのときあわせて人民英雄記念碑が建てられた。1976年に毛沢東が死去すると、翌年にかけて広場の南に毛主席紀念堂が建てられた。
構造[編集]
南北880m、東西500mの世界最大の広場。敷石は花崗岩。北は北京一の大通り・長安路でその向こうに故宮の入り口だった天安門がある。広場の中は、北から人民英雄紀念碑、毛主席紀念堂、正陽門(前門)があり、広場の西には人民大会堂(全国人民代表大会議事堂)、東には中国国家博物館(旧・中国歴史博物館および中国革命博物館)がある。これは、太陽の昇る方角を過去、沈む方角を未来に比喩したものである。
周囲の歩道の敷石にまじって長方形の鉄板が敷かれている部分があるが、下に水を流せる構造になっており、大人数の集会等がある際、鉄板をはずして周囲を天幕で覆い、臨時のトイレとして使用できるようになっている。
広場の様子[編集]
最大で50万の人々を収容でき、国家行事や歴史の大事の舞台となってきた。そのために幾度となく革命運動の舞台にもなり抗争が起こってきた。普段は国内外の観光客であふれているが、国家のシンボル的施設であるため多数の警備兵がパトロールしておりものものしい雰囲気が漂っている。 広場の北部に国旗掲揚台があり毎日日の出と日没時に警備兵による掲揚・奉納式が行われる。この様子は地方からの団体観光客に人気であり、相当早く現地に行かないと前の方で見学できない。また夜間は特定日を除き立ち入り禁止となる。
関連項目[編集]