「ブエルタ・ア・エスパーニャ」の版間の差分
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略称は「ブエルタ」<ref>ちなみに自転車競技関連の雑誌などで「ヴエルタ」「ヴェルタ」という表記も見受けられるが、[[スペイン語]]の'''v'''の発音は[v]ではなく[b]なので、あまり適切な表記であるとは言えない。</ref>。かつては「ツアー・オブ・スペイン(Tour of Spain)」の名で呼ばれていた時期もあった<ref>ツール・ド・フランスにあやかって、フランス語風に「ツール・ド・スペイン」という形で呼ばれたこともある(もっとも、フランス語の正しい表記は「ツール・デスパーニュ(Tour d'Espagne)」であり、この言い方は和製語)</ref>。 | 略称は「ブエルタ」<ref>ちなみに自転車競技関連の雑誌などで「ヴエルタ」「ヴェルタ」という表記も見受けられるが、[[スペイン語]]の'''v'''の発音は[v]ではなく[b]なので、あまり適切な表記であるとは言えない。</ref>。かつては「ツアー・オブ・スペイン(Tour of Spain)」の名で呼ばれていた時期もあった<ref>ツール・ド・フランスにあやかって、フランス語風に「ツール・ド・スペイン」という形で呼ばれたこともある(もっとも、フランス語の正しい表記は「ツール・デスパーニュ(Tour d'Espagne)」であり、この言い方は和製語)</ref>。 |
2020年1月12日 (日) 19:09時点における版
ブエルタ・ア・エスパーニャ(Vuelta a España)とは毎年9月にスペインを舞台にして行われるプロロードレースである。1935年から開催されている。主催はイベント会社のウニプブリク(Unipublic)。ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアとあわせてグランツールと呼ばれる。
略称は「ブエルタ」[1]。かつては「ツアー・オブ・スペイン(Tour of Spain)」の名で呼ばれていた時期もあった[2]。
目次
概要
毎年9月に3週間以上かけて行われるステージレースで、スペイン国内を中心としておよそ3200kmを走る。ステージ数は通常21前後。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)とさまざまなステージが用意されている。
総合成績1位の選手には「マイヨ・オロ」と呼ばれる金色のジャージが与えられるほか、スプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。
開催時期の変更
1994年までは4~5月に開催されており、ジロ・デ・イタリアとの間隔がほとんどなく、年によっては日程が重複することもあった。そのため何人かの有力選手がツール・ド・フランスまで力を温存しようと考えて調整目的で参加するほかは、大半がジロに出場。ブエルタに出場するのはもっぱら地元スペインの選手(もしくはスペイン所在のチームの選手)かブエルタよりもさらに厳しい山岳コースが登場するジロを嫌うスプリンター系選手だったため、比較的ローカル色が強い大会だった。
しかしUCIカレンダーの整備により、1995年より現在の開催時期である9月に移行。日程上では同一年度においてグランツール全大会に出場することが可能となった。これによりレースの盛り上がりが期待されたがシーズン終盤の開催ということもあり、多くのレースをこなして疲労のたまった選手や秋のクラシックレース、世界選手権などに照準を合わせた選手からは敬遠されることが多く、依然として出場するのはスペイン選手が中心という状態が続き、グランツールの中でもツール、ジロに比べてワンランク下の存在に見られ盛り上がりに欠けていたため、以前は財政難などで開催が危ぶまれることもあった[3]。
しかし徐々にオールラウンダータイプの選手の出場や活躍が目立つようになり、2005年に始まったUCIプロツアーでは最上級カテゴリーAに格付けされたツール・ド・フランスに次ぐカテゴリーBに位置づけられ、自転車レースとしてはジロ・デ・イタリアと同格の扱いを受けている。そのため近年は有力選手の参加も増え、グランツールにふさわしい盛り上がりを見せるようになった。
特徴
1ステージあたりの距離が短く、平均150km程度とツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアに比べて50kmほど短いため、レースの平均スピードが速い。またスペインという山がちな土地を舞台にして開催されるため、序盤から山岳ステージが登場することが多く、アップダウンの激しいステージも多い。そのため上りに強い選手に有利なレースだといわれており、春期開催だった頃はスプリンター型の選手の優勝も見受けられるものの、歴代の優勝者を見ると山岳を得意とするタイプの選手が目立つ。
歴史
ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの自転車レースの盛り上がりに伴って、1935年に合計走行距離3425km・14ステージという規模で第1回大会が開催された。しかし1937年から3年間、スペイン内戦によって中断。
1941年に第3回大会が開かれるも、第二次世界大戦の激化によって1943年から再び中断という事態になる。その後1945年から再開されるものの1949年は中止。さらに1951年から1954年も開催せずという不安定な時期が続いた。
しかし1955年からの再開後はジャック・アンクティル、リック・バンステーンベルヘン、レイモン・プリドールなどの名選手も参加するようになり、大会もそれなりの知名度を獲得するに至った。1970年代にはエディ・メルクスやベルナール・イノーが、1980年代にはペドロ・デルガドやショーン・ケリーが総合優勝を飾っている。
1992年から1994年にかけてはトニー・ロミンガーが3連覇。1996年と1997年にはアレックス・ツェーレが連覇を達成する活躍を見せている。
2000年代はロベルト・エラスが大活躍を見せ、2000年に初制覇を達成したほか、合計走行距離2925Km・21区間で行われた2003年のレースでもイシドロ・ノサルとの激しい争いの末、2度目の総合優勝を果たした。さらに2004年もこの頃頭角を現し始めたアレハンドロ・バルベルデらを退け優勝。続く2005年にも総合1位となり、前人未到のブエルタ4勝&3連覇を達成したかに思われた。しかし、ドーピング疑惑により2005年の総合優勝は剥奪され、総合2位だったデニス・メンショフが繰り上がり優勝となった。
2006年はアレクサンドル・ヴィノクロフが優勝。2007年はデニス・メンショフが他を寄せ付けない強さで2回目の総合優勝を果たしている。
各賞とリーダージャージについて
数種の賞が設定されており、リーダージャージと呼ばれる各賞に応じた色別のジャージがある。 前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手がそのジャージを着用する権利を手にいれる。
マイヨ・オロ
金色のジャージ「マイヨ・オロ(maillot oro)」(「ヘルセイ・オロ(Jersey oro)」とも呼ばれる)は個人総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マイヨ・オロ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マイヨ・オロ」着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。スポンサーは建築会社のDHO。
プントス
ピンク色のジャージ「プントス(Puntos) 」は「スプリント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリントポイントが加算され、スプリントポイント1位の選手が「プントス」着用の権利を得る。スポンサーはカスティーリャ・ラ・マンチャ州の農業委員会。
モンターニャ
銀色のジャージ「モンターニャ(Montana)」は「山岳賞」に対して与えられる。登り坂の勾配と長さに応じて点数が設定された山岳ポイント地点の通過順位に応じて山岳ポイントが加算され、山岳ポイント1位の選手1位の選手が「モンターニャ」着用の権利を得る。スポンサーはガラス会社のプラコ。別のスポンサーの時には茜色やオレンジ色だったこともある。
コンビナダ
白色のジャージ「コンビナダ(Combinada)」は複合賞に対して与えられる。総合成績+ポイント賞+山岳賞の順位を合計し、もっとも合計数が少ない選手が「コンビナダ」着用の権利を得る。ブエルタ独特の賞であり、全ての賞で上位にいることの証でもある。スポンサーはIFEMAマドリード見本市協会。
歴代総合優勝者
日本でのテレビ放送
日本では従来スカイパーフェクTV!などのTVEスペインチャンネルで生中継が放送されていた(ただし現地で放送されている生中継をそのまま放送する形なので、日本語実況などはない)ため、放映権がバッティングするJ SPORTSでの放映は難しいとされてきた。しかし2001年にようやくJ SPORTSにおいて録画中継(約1ヶ月遅れ)での日本語実況つきの放送が実現し、2006年からは生中継も行われるようになった。
脚注
関連項目
外部リンク
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