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本作を原作とした[[アニメ]]作品は[[1983年]]6月に第一部が、[[1987年]]6月に第二部が公開され、[[1989年]]8月に[[ゴールデン洋画劇場]]で放映され(全国の[[フジネットワーク|FNS]]系列局向け)、[[1995年]]8月5日・6日には原爆投下50年に[[中国放送|RCCテレビ]]の昼間のローカル枠で原爆特別番組として第一部・第二部が放送された(広島県向け)。2000年頃からはCS放送[[ファミリー劇場]]や[[キッズステーション]]で毎年のように第一部・第二部が放送されている。製作はゲンプロダクション(アニメーション制作は[[マッドハウス]])。
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本作を原作とした[[アニメ]]作品は[[1983年]]6月に第一部が、[[1987年]]6月に第二部が公開され、[[1995年]]8月5日・6日には原爆投下50年に[[中国放送|RCCテレビ]]の昼間のローカル枠で原爆特別番組として第一部・第二部が放送された(広島県向け)。2000年頃からはCS放送[[ファミリー劇場]]や[[キッズステーション]]で毎年のように第一部・第二部が放送されている。製作はゲンプロダクション(アニメーション制作は[[マッドハウス]])。
  
 
主人公の中岡元役はオーディションによって選ばれ、当時小学生(中岡元と同じ年齢)であった[[広島市]]出身の[[宮崎一成]]が演じた。宮崎は第一部では変声前の幼い声を生かして少年期の、第二部では変声期中の声で思春期の中岡元役を好演し高い評価を得、また本作品への出演をきっかけに[[声優]]としての道を歩む事となる。また第一部、二部ともにナレーションはダンディな声に定評がある、故・[[城達也]]が担当した。
 
主人公の中岡元役はオーディションによって選ばれ、当時小学生(中岡元と同じ年齢)であった[[広島市]]出身の[[宮崎一成]]が演じた。宮崎は第一部では変声前の幼い声を生かして少年期の、第二部では変声期中の声で思春期の中岡元役を好演し高い評価を得、また本作品への出演をきっかけに[[声優]]としての道を歩む事となる。また第一部、二部ともにナレーションはダンディな声に定評がある、故・[[城達也]]が担当した。

2009年4月16日 (木) 11:30時点における版

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はだしのゲン』(Barefoot Gen)は、中沢啓治による、自身の原爆被爆体験を元にした漫画。同タイトルで実写映画アニメ映画化もされている。2007年には初めてのテレビドラマ化がなされた。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公の姿がたくましく描かれている。

概要

1972年に「週刊少年マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャンプ」での連載が始まった。中沢は自分の思いを完全に伝えるため、アシスタントを一切使わずすべて自分で描き上げた。中央公論新社発行の文庫版(全7巻)では、週刊少年ジャンプ掲載分を第一部、以降のシリーズを第二部に区分している。汐文社では愛蔵版を10巻まで発行している。単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。

作品の内容、表現等について様々な意見があるが、作者の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的なだけではなく優れたエンターテインメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、映画ドラマアニメミュージカル絵本化もされている。

自伝を元にした作品で、作中のエピソードの多くも中沢が実際に体験したことである。しかし当然ながら、実際の体験と作中のエピソードには差異がある。例えば原爆投下直後の父や姉、弟の死を中沢自身は直接には見ていないこと(後に実際に立ち会った母から聞かされている)や母親の死に中沢は立ち会っていなかったこと(作中の戦後すぐの死去ではなく終戦から20年後で、中沢は当時東京にいた)などである。作中にもある母親を火葬した際、骨が残らなかったエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫画を描かせるきっかけとなる。テーマから戦争風刺漫画であるようにとらえる向きもあるようだが、むしろ全編が「怒り」に満ちていると言える。また単なる反戦漫画の範疇を超えた作品であるとの見方もある。

ただし発表分末期は終戦から何年も過ぎ(警察予備隊、後の自衛隊発足に対する批判の話もある)、被爆漫画でなく戦後漫画になってしまっている。

2007年5月30日からウィーンで開催される核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会で、日本政府代表団は、本作の英訳版を加盟国に配布することになった。これは、漫画好きでも知られる麻生太郎外務大臣(当時)の肝煎りで実現したもの。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させる予定(時事通信、2007年4月29日)。

作品は「第一部完」で終わっている。第二部も予定されており、出版の予定も決まり下描きの段階まで進んでいたが、「ゲンのその後は読者自身が考えてほしい」との中沢自身の判断により中止になった。10巻の最後のページには、「第一部完」と書かれているが、「第二部」はまだ始まっていない。「第二部 東京編」は中沢も考えており、ネームを進めていたが、2000年に約30年前から患っていた糖尿病がもとで左目が見えにくくなり、漫画を描くことがほぼ不可能な状態で、連載開始の目処は立っていない。


注意以降に核心部分が記述されています。

連載誌

あらすじ

物語は、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(なかおか げん)が1945年8月6日に下された原爆・大吉(だいきち)、・英子(えいこ)、・進次(しんじ)の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描く。

原爆投下前後

舞台は 1945年、終戦間近の広島市。元の父で下駄の絵付け職人大吉は、反戦思想の持ち主。こうしたことから、中岡家の家族は町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、様々な嫌がらせを受けた。元の長兄の浩二(こうじ)が「非国民」の冷たい視線をはね返すために海軍予科練に志願し、元の次兄の昭(あきら)は、広島市郊外の山間部に疎開に行っていた為、浩二と昭は、原爆の難を逃れている。ちなみに英子は昭より年上だったが、体が弱かったため疎開できなかった。

原爆投下時、大吉・英子・進次は家の下敷きになり、そのまま家に火がついて3人は生きたまま焼け死ぬ。元の母・君江(きみえ)はショックで女児を出産。名前は、友達がたくさんできることを願って「友子(ともこ)」と名づけられた。その後、元は原爆症毛髪が抜け落ち、自分も放射線障害で死ぬのではないかと恐怖する。坊主頭になった元は、焼け野原になった広島市内の道端で拾った消防団帽子で頭を隠し、友子のための米を調達すべく奔走した。

元たちは江波在住で君江の友人のキヨの家に身を寄せ新たな生活を始める。しかしそこでは、キヨの姑や子供達からの迫害に甘んじる。江波で、元は原爆で死んだ弟・進次に瓜ふたつの原爆孤児・近藤隆太(こんどう りゅうた)と出会う。隆太は原爆孤児の仲間と共に、農家から食糧を盗み飢えをしのいでいた。隆太と初めて会った元は、進次が生きていたのではないかと錯覚する。2回目に会った時に、食糧を盗もうとしていた隆太が百姓に追い回されていたところを元が助け、元と君江が隆太を弟代わりに育てる事になった。

江波に着いた際、元は、原爆の熱光を浴び大やけどを負った画家志望生の吉田政二(よしだ せいじ)と出会う。政二の両手は原爆による火傷で不自由になり、口で筆をくわえて絵を描いていた。政二の家族は「ピカドンの毒がうつる」という噂を信じ政二を隔離、ろくに面倒もみていなかった。元は政二から絵画を教えてもらう。まもなく政二は死ぬが(最初は仮死状態だったらしく)、棺桶から出てきて「おかゆが食べたい」と唸るも、政二の家族は「死んだ人と話すと一緒に地獄につれてかれる」と思い込み何もせず、政二はそのまま本当に死んでしまった。元は政二が夢の中に出てきて心配になり、政二の家にかけつけたが、正にその時政二は死んでいた。元は怒り火葬には元と隆太の2人が立ち会うだけだった。

戦後

終戦後、昭と浩二が広島に戻ってきて、中岡家は隆太を含めて6人で暮らすようになった。しかし、キヨの姑に家を追い出され、一時洞穴で生活し、その後はバラックに移り住んだ。元と隆太は食料調達の奔走中、謎のヤクザと出会い、進駐軍駐屯地から死ぬ覚悟でミルクを盗んでくるが、騙されて闇市で叩き売りされてしまう。怒った隆太はヤクザの男2人を陸軍が武装解除で捨てた拳銃殺害した。警察に捕まりそうになった隆太はあるヤクザに助けられ、ヤクザの子分(鉄砲玉)として働く事になる。ヤクザの道に入った隆太は、迷惑をかけないよう元たちの前から姿を消した。

栄養失調に苦しんでいた友子が、元の友人の雨森頑吉(あまもり がんきち、通称・クソ森)の住む集落で暮らす、原爆で子供を失った男とその仲間たちに連れ去られた。男たちは友子を「お姫さま」と慕い、孤独な自分たちの心の支えとしていた。元は友子を奪い返そうと男たちと押し問答となる。そのとき友子の原爆症が併発し、病院で診てもらうが、手おくれと宣告される。元は治療費の10万円を稼ごうと、雨森と共に近所の原爆症で亡くなった人々の家を訪ねて、お経を唱えるアルバイトを始める。しかし目標の金額には達しなかった。そんな中、原爆投下前に中岡家の近所に住んでいた朝鮮人の朴(ぼく)が元の前に現れ、10万円とミルクを差し渡した。朴が持っていた大金とミルクは、闇市で稼いだ物だった。朴は元の父・大吉から世話になった(大吉が朴を差別しなかった)ことを忘れず、恩を返そうとしたのだった。家に帰った元は、昭から友子の死を告げられる。元は死を受け入れることができず、友子にミルクを飲ませようとする。しかしミルクは友子の口元からあふれ出、元は友子の死を知る。友子の火葬の際、元は死んだ友子のために、お経を唱えて友子を天国へ送り出した。友子の死後、丸ハゲだった元の頭にも毛が生えはじめた。

第二部

その後、元は隆太と再会する。ヤクザの岡内組の鉄砲玉として働いていた隆太には、かつての仲間だったムスビ・ドングリ、顔のケロイドにより皆からのけものにされていた原爆孤児・勝子(かつこ)が一緒にいた。ヤクザの幹部を夢見ていた隆太だったが、ドングリの死をきっかけにヤクザの世界から足抜けし、その頃知り合った老人、平山松吉と共に新しい生活を始める。

そんな折、君江の体も原爆症に蝕まれる。浩二は君江を助ける為、九州地方炭鉱に出稼ぎに行ったが、浩二は全く働かずにびたりの毎日だった。入院させようにも金がなく、どこの病院も断られてしまう。隆太はヤクザの賭場荒らしをして大金を手に入れ、君江は入院することができた。しかし胴元である打山組の組長は激怒、隆太を殺すべく広島市内に包囲網を敷く。逃げ道がないと知った元は警察へ行くよう説得して隆太は自首した。

1948年、原爆投下直後に米を貰いにいった際に出会った、英子そっくりの女性・大原夏江(おおはら なつえ)に再会する。何度も死を考えていたが元の発奮により、勝子と洋裁店を開くという夢を持つようになる。そんな折、松吉が原爆症で死の床に倒れ、感化院から脱走してきた隆太に看取られながらこの世を去る。一方、君江は退院したが、胃ガンで4ヶ月の命だと宣告される。元は、君江の思い出の場所、京都へ旅行させるため、肥え汲みをして金を稼ぐ。京都旅行ができる金額に達した頃、浩二が九州から帰ってくるが、無為に日々を過ごしていた浩二は家に入りづらく、元は自分が稼いだ金を浩二が稼いだものということにして、京都旅行に出発する。しかし容態が急変し、君江は元たちに看取られながら死亡した。火葬の際、君江の遺骨はほとんど残らなかった。元は隆太と、勝子とムスビたちが暮らす家に住む事に。

浩二は婚約者と広島市内のアパートで暮らすことになり、昭は繊維問屋の商人になるために大阪へ旅立った。瓦礫を集めて建てた家も、広島市の復興計画による道路拡張工事の為に、元と隆太の必死抵抗も空しく取り壊される。中学生になった元は、父・大吉の遺志を継ごうと絵付け職人になることを決意、画家の天野の教えを受けながらも看板屋の仕事を手伝うようになった。(とは言え看板屋に働きはじめたのは、ゲンが納品間近の看板を壊してしまったため、その弁償のためである。)一方、隆太は設立されたばかりの広島カープの応援に熱中する。しかし、夏江は盲腸で入院した後体調が芳しくなく、手術しても原爆症による白血球の減少で傷口が塞がらなかった。死期を悟った夏江は生きる希望を失っていくが、元に叱責され、隆太らに励まされる。しかし、それも束の間、夏江は直腸ガンと急性心臓マヒで亡くなる。

1953年、中学を卒業した元は、中尾光子(なかお みつこ)という名前の女学生に一目惚れた。 なんと、弁償するために働いた看板屋の娘だったが、苦難を乗り越え元は光子との交際を始めるが、光子は原爆による急性白血病で死亡。

元の仲間の一人、ムスビはふとした夜遊びがきっかけで覚醒剤ヒロポン)中毒となってしまう(1951年まで麻薬を取り締まる法律は無く、所持や使用は違法では無かった。また、薬局で堂々と販売しており、同時に中毒者も多かった)。麻薬中毒となったムスビは麻薬を買うために、申し訳無いと思いつつも皆で貯めたお金を使い果たしてしまう。お金が無くなっても麻薬を欲しがるムスビは、麻薬の売人であるバー「マドンナ」の関係者にリンチにあい、死亡する。ムスビを麻薬中毒にして殺された事に激怒した隆太はバー「マドンナ」に乗り込み、首謀者であるマスターを射殺し、愛人である女給に重傷を負わせ、麻薬売買の胴元であるヤクザを2人射殺した。そして全てを終わらせた後、東京へと向かう貨物トラックで勝子と共に逃亡する。

ムスビの遺骨を自分の家の墓に納めた元は、その後、光子の父・重蔵や天野達に見送られ、未来に挑戦するために東京へ旅立つ。

登場人物

詳細は はだしのゲンの登場人物 を参照

実写映画

『はだしのゲン』が初めて実写映像化された作品である。製作脚本監督は3作品とも現代ぷろだくしょんの代表であった山田典吾。原作に添った形で脚本が書かれているが、主要な登場人物を演じる俳優やスタッフが各作品ごとに大幅に入れ替わっており、シリーズ物としては共通性を欠いている。シリアスで真面目なシーンに突然意味不明なギャグやコメディが挿入されたり(ゲンと隆太が、誠二の絵のモデルになった際、シェーのポーズを取る等)、特に三作目では、オープニングをミュージカル風にする等、監督の遊び心が感じられる作品になっているが、これが非常に不真面目な表現として取られ、原作のファンや映画評論家から批判された。これに加え、隆太が大場と三次を射殺して逃走する場面の残酷さや犯罪性も問題となり、平和教育映画でありながら、文部省選定映画になれなかったという逸話もある。またタモリ赤塚不二夫等、多くの著名人がカメオ出演している事などでも評判になった。

はだしのゲン(1976年)

スタッフ
出演

はだしのゲン 涙の爆発(1977年)

スタッフ
出演

はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい(1980年)

スタッフ
出演

アニメ映画

本作を原作としたアニメ作品は1983年6月に第一部が、1987年6月に第二部が公開され、1995年8月5日・6日には原爆投下50年にRCCテレビの昼間のローカル枠で原爆特別番組として第一部・第二部が放送された(広島県向け)。2000年頃からはCS放送ファミリー劇場キッズステーションで毎年のように第一部・第二部が放送されている。製作はゲンプロダクション(アニメーション制作はマッドハウス)。

主人公の中岡元役はオーディションによって選ばれ、当時小学生(中岡元と同じ年齢)であった広島市出身の宮崎一成が演じた。宮崎は第一部では変声前の幼い声を生かして少年期の、第二部では変声期中の声で思春期の中岡元役を好演し高い評価を得、また本作品への出演をきっかけに声優としての道を歩む事となる。また第一部、二部ともにナレーションはダンディな声に定評がある、故・城達也が担当した。

原作者中沢啓治が、漫画や実写映画では描ききれない原爆の実情を表現したいとの意図で一部私財を投じて製作され、一般公開された際には大きな反響を呼んだ作品である。

第一部は汐文社単行本版1~4巻(少年ジャンプ連載分)、第二部は5~7巻(母の死まで)を映像化しているがともに約90分という尺に収める為にエピソード・キャラクターの省略、設定の変更が多くなされている。特に第二部はアニメオリジナルキャラが登場するなど原作からかなりストーリーが改変されている。また、悪役的な人物が全くでて来ない。

アニメ作品で描かれた原爆描写は後に制作された「黒い雨」にも影響を与えた。 第一部、第二部ともに、原爆60年にあたる2005年8月6日にジェネオンエンタテインメントよりDVD化して発売された。アメリカでもDVDが発売されている。

スタッフ

第1部
第2部
  • 原作:中沢啓治
  • 監督:平田敏夫
  • 脚本:高屋敷英夫
  • 設定:丸山正雄
  • 作画監督・キャラクター設計:さかいあきお
  • 美術監督:番野雅好
  • 色彩設計:西表美智代
  • 撮影監督:石川欽一
  • 編集:尾形治敏
  • 音響監督:明田川進
  • 音楽:羽田健太郎
  • プロデューサー:吉元尊則・岩瀬安輝・田辺昭太郎

キャスト

アニメオリジナルキャラ。アニメ版の隆太は不良化していないため空いた原作隆太のポジションのキャラとして設定された。

テレビドラマ

2007年フジテレビが『千の風になって ドラマスペシャル』の第3弾として企画・制作し、同年8月10日の「金曜プレステージ」と8月11日の「土曜プレミアム」に於いて2夜連続で放映された(テレビ大分では前編は同時ネットで放送されたが、後編は編成の都合上、11日深夜(12日未明)0:55(3時間55分遅れ)から放送された。またテレビ宮崎でも前編は編成の都合上、11日午後13:00~14:52に放送し、後編は同時ネットで放送された)。『はだしのゲン』のテレビドラマ化は本作品が初めてである。

原爆投下前の広島市街地を広島県福山市佐賀県武雄市にオープンセットを作って撮影が行われた。また、茨城県高萩市の工場跡地にオープンセットを建て、原爆投下後に廃墟となった広島市街地を再現した。また、浩二が海軍に出征する時の蒸気機関車のシーンは静岡県大井川鐵道で行われた。駅舎全景はJR九州鹿児島本線門司港駅を使用。原爆爆発直後の爆風による破壊シーンはCGで表現されている

物語は浩二の帰還までのストーリーをベースに、エピソードの大幅な整理をしつつ原作の流れにほぼ忠実に展開されたが、時間の都合により次兄の昭や隆太軍団などの一部登場人物の省略や、中岡英子の描写など中沢の自叙伝からの一部引用が行われた。原爆投下時の情況は中沢啓治がアニメ映画版のように過激な表現を希望していたが、全国放送でのゴールデンタイムでの放送のため殺戮描写はあるもののなるべく視聴者への配慮を考えて目を背けない程度に製作された。

また冒頭とラストには現代の広島平和記念公園を舞台に老年の中岡元が登場しており、本作品では老齢になった中岡元が、自らの過去を回想する形で物語が進行していく様に表現がなされている。(老年期の中岡元が登場するのは原作・映画・アニメを含めて本作品が最初)

視聴率は関東地域で前半18.2%、後半20.5%を記録した。2008年1月25日にDVDが発売された。

キャスト

主題歌

スタッフ

視聴率

放送日 放送時間 視聴率
前編 2007年8月10日 21:00 - 22:52(JST 18.2%
後編 2007年8月11日 21:00 - 23:10(JST) 20.5%
平均視聴率19.3% 視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ

作品に対する評価

1980年代から多くの図書館に置かれた漫画であり、少年少女に幅広く読まれている。小学校中学校の図書室にもよく置いてあり、今日では平和教育の重要な参考書としての側面を持つ稀有な作品ととらえられている。また、実際に起こった「原爆投下」という現実、戦争下における人々の心の動きや戦争の悲惨さを、作者の目というフィルターを通してはいるが生々しく描き(作者によれば、これでも原爆による被害の表現は少年誌向けに抑えてあるという)、現代の子供たちが知り得る事が難しいが、語り継がねばならない歴史の事実に触れることが出来る貴重な作品でもある。また、戦争漫画としてだけでなく、戦中戦後の風俗・社会情勢をよく捉えており高く評価されている。

ただ時代考証については誤って表現されている箇所(原爆製造・実験時にアインシュタインが立ち会っているシーン[1]・原子爆弾『リトルボーイ』が落下傘を取り付けられて投下されたシーン[2]等)がしばしば見られるということで(時代考証や表現の間違いに付いては作者も一部認めている)、この漫画を歴史の史料あるいは平和教育の副読本としての価値を否定する意見もある一方、あくまで原爆地獄を生き抜いて来た少年の物語であり、社会科学に基づく歴史の実証性という意味合いから、時間経過や事実誤認に関して追及するのはナンセンスだという見方もある。

作品のスタンスについては、原爆投下時の凄惨な場面や中国大陸における日本軍による民間人虐殺(信憑性が怪しいものも含めて)のシーンが描写されていること、昭和天皇には戦争責任があると言明していること、「君が代」が天皇制につながるとして反対している表現があることなどから、反体制的あるいは左翼的であるという意見がある。

ただし、原爆を投下したアメリカに対する怒りを込めた描写(原爆投下後に、捕虜となっていた米兵の死体に対して老婆が石を投げつける場面、進駐軍の車両の燃料タンクに角砂糖を混入させてエンジントラブルを起こさせる描写、進駐軍アメリカ兵による婦女暴行のシーン等)が多々見られる一方、広島にいる米国の捕虜が被爆死した姿を見て、ゲンが哀れんでいるシーンもあり、また朝鮮人については戦時中の差別を描くなど基本的に日本の被害者と位置付けている一方で、「戦後逆に日本人を見下すようになった朝鮮人」という左翼的な作品ではあまり描かれない描写も見られる。

なお、作中には不良在日外国人が横暴を働く現場を見たゲンが、間接的に不良在日外国人の行為を容認し擁護するシーンが出てくる。これを「角度を変えた肩入れではないか」とする見解がある。その一方、「戦時中は日本人から『非国民』として迫害されてきたゲンの境遇を踏まえれば、ゲンが同様に迫害されてきた彼らの横暴を容認するのも止むを得ないのではないか。むしろ、作中では未だ小学生で、生きることに必死だったゲンに公正な判定を要求するのは酷な見方である」とする見解もある。これらのことは、読者が『はだしのゲン』を「作者の主張を投影する物語」と見なすか、「『中岡元』という人物の青春を描いた物語」と見なすかによって、見解が分かれるところである。

作品は、当時少年であった作者が原爆により理不尽に家族を奪われ、その後の人生を大きなマイナスから出発した自己の半生が元である。作品を通して強く表れるのは、国家・地域社会・学校・差別・大人から被った著しい理不尽への強い怒りであり、その怒りはストーリーに良く描かれている通り個人的体験に基づいたものである。借り物の思想を主人公の主張として展開し倫理的結論を捻出するような部分は作品を通して少ない。例えば日本軍の蛮行・天皇制への反対などの記載はわずかである(にも関わらず歴史観を基準に非難されるときは、そこばかりが作品の主題であるかの様に非難されるが)。あくまで個人として体験したことからの結論が主体であり、それゆえに非常に生々しい怒りと憎悪が作品から伝わる。

中沢啓治本人は「はだしのゲンのアニメ映画を見たことでトラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」という旨を語っているほか、自伝でも「泣き叫んだ子供達、ありがとう 君たちは原爆の本当の真実を知ってくれたのだ!」と語っており、原爆によるショックを受けることが原爆の悲惨さ、真実を知ることになるというスタンスである。

単行本の出版にも紆余曲折があり、当初の連載元である集英社からは、長い間単行本化されなかった。「週刊誌は1週間で店頭から消えるが、単行本化すれば後まで残る」として、後々の抗議を恐れたためという。ジャンプ連載にもかかわらず、ジャンプコミックス版がないのはそのためである(ただし1977年、一部が集英社文庫に収録された。また、2005年、コンビニ向けの「ジャンプリミックス」シリーズで単行本化された)。単行本は1975年汐文社より発売された。他に市民社、翠楊社、ほるぷ出版、中央公論社(中央公論新社)版もある。2024年現在、汐文社版、中央公論新社版、集英社ジャンプリミックス版が発売中である。さらに中公版を元にした電子書籍版もある。ただし集英社版はジャンプ連載時の内容のみで、汐文社版以外は一部の差別用語とされる単語を削除している。

アニメ版については、小学校・中学校での平和学習教育時間に上映される事が多く、観た事があるという者の割合は若年者層を中心に高い。広島県等ではかつて夏休みの登校日などに上映されることが多くあり、子供たちに衝撃を与えることもあった。こうした事柄について、原爆投下時の熱線爆風で、子供や乳児を含む市民が犠牲となる描写が余りにも残虐であった為、トラウマになったという者も多く、近年では『R指定』の域に値するとも言われており、このアニメを学校で強制的に鑑賞させる事に否定的な意見も多い。また、観た児童生徒の書いた感想文などの中には、一般市民に対してこのような虐殺行為を行ったアメリカに対する報復を主張するものや、日本も核を持つべき、核武装すべきなどという、原作者の意図に反した感想も見られる。

翻訳

海外(特にアメリカ中国韓国)に於いては、「日本の原爆被害ばかりを過大に表現している」とする批判も多く、一部では自国での出版に強硬に反対する意見も存在する。但し上記の通り、戦場における日本の加害行為も描写されており、朝鮮人差別問題等もしっかりと描かれている。

しかしながら本作品が表現するテーマ性から世界各国でも高い評価を受けており、初期からボランティアの手によって多くの言語に翻訳されている。一説によれば、1977年から大学生のグループによって翻訳された英語版(英題:Barefoot Gen)は、全編が英訳された初の日本漫画である[3]。2005年現在、少なくとも英語版、フランス語版、ドイツ語版、イタリア語版、朝鮮語版、ロシア語版、スペイン語版、インドネシア語版、タイ語版、エスペラント版、ノルウェー語版が既に刊行されている。

出版

本作は複数の出版社から刊行されているが、現在入手可能なものを一例として挙げる。

脚注

  1. これは誤って表現されたと考えるよりも、作者による意図的な描写(アインシュタインと原子爆弾とは深い関係があることを読者に気付いて、知ってもらうため)であるともとることができる(実際にはアインシュタイン自身は原爆の開発製造には一切関与してはおらず、原爆開発の実質的責任者はロバート・オッペンハイマーである)。作者自身はこの描写に付いて間違いなのか、あるいは悪戯なのか、たんに科学者のステレオタイプとしてアインシュタインのイメージを借用したのかは公表していない。アメリカ合衆国での翻訳出版では、誤解を招かない様出版社側が配慮したのかジョージ・ルーカス風の男に修正されている。
  2. 原爆投下直前、原爆の威力を計測する為に落下傘に取り付けたラジオゾンデを投下しており、それを確認した被爆者が「原爆は落下傘に付けられて投下された」と誤認する証言が多かった(現在では原爆(リトルボーイ)は落下傘を取り付けずに直接投下された事が資料等で判明している)。状況から見て原作者がB29を視認した頃に投下されたラジオゾンデ付きの落下傘を原爆と誤認したのは当然あり得る誤解である(アニメ版『はだしのゲン』でもこの誤認シーンが使用されており、原爆詩人で有名な峠三吉も誤認に基づく詩を書いている)。2007年8月に放送されたTVドラマ版の投下シーンでは史実に従い直接投下するシーンになっている。なお戦後の核実験では実際にパラシュートをつけて投下された例も存在する(史上最大の核爆弾『ツァーリ・ボンバ』参照)
  3. The Comics Journal,#256(October 2003) p.51
  4. Last Gasp Books - Keiji Nakazawa

外部リンク

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