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その年度に定年退職する人の退職日をそろえる方式。たとえば、「退職日は60歳の誕生日以降の最初の3月31日(4月1日で60歳になった人は、その翌年の3月31日(60歳)で定年退職)」などというように企業の規定で決めてしまう。こうすることにより、次の一括採用日までに欠員がだんだん増えていく状態を回避できる。この方式は、[[公務員]]や、採用日が1年に1回というように固定していて中途採用を実施していない企業(たとえば一部の[[鉄道事業者|鉄道会社]]など)でよく採用されている。このような企業や役所では、採用日の前に何らかの事情で欠員が出た場合には非番者が[[時間外労働]]([[休日出勤]])で対応する。
 
その年度に定年退職する人の退職日をそろえる方式。たとえば、「退職日は60歳の誕生日以降の最初の3月31日(4月1日で60歳になった人は、その翌年の3月31日(60歳)で定年退職)」などというように企業の規定で決めてしまう。こうすることにより、次の一括採用日までに欠員がだんだん増えていく状態を回避できる。この方式は、[[公務員]]や、採用日が1年に1回というように固定していて中途採用を実施していない企業(たとえば一部の[[鉄道事業者|鉄道会社]]など)でよく採用されている。このような企業や役所では、採用日の前に何らかの事情で欠員が出た場合には非番者が[[時間外労働]]([[休日出勤]])で対応する。
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スライムの会社の上司もこのパターンだった
  
 
=== 継続雇用制度への移行 ===
 
=== 継続雇用制度への移行 ===

2015年8月22日 (土) 21:27時点における版

定年退職

定年退職とは、ある一定の年齢に達したら仕事を退職退官することである。またそうした仕組みによって退職・退官すること。

概要

労働者が一定の年齢(定年年齢)に達すると自動的に雇用関係が終了する制度を「定年制」という。定年により退職する(雇用関係を終了する)ことを「定年退職」という。

定年制が導入されているか、されていないか、ということは、国ごとに状況は異なっており、また同一国内であっても職種によっても異なる。

日本

定年退職

日本では現在、定年を徐々に60歳から65歳に引き上げつつある段階である。日本では、1970年代は大企業であっても55歳が定年退職であった。会社が定年制を導入するには、定年に関する事項を就業規則に明記し、かつその定年制が慣行的に行われている必要がある。日本の企業の正社員公務員は、その大部分が定年制を導入している。一方で適用している会社は少ないが、定年を定めないことも可能である。 なお、定年退職者を継続雇用することも多くの企業で行われているが、これについても就業規則に定めることが必要である。継続雇用とは、現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者を定年後も引き続いて雇用する制度のことである。しかし、継続雇用の基準を定めるということは、逆に言えば継続希望者全員を雇わなくてよい(企業が定めた基準に該当しない希望者については継続雇用の対象外としてよい)ということでもある。よって、喧伝された「2007年問題」は大きな問題にはならなかった。

2012年7月には、定年を40歳にして雇用の流動化を促そうという、日本国政府の提案が発表された。ただし、これは「何歳でも、その適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70歳を超えても活躍の場が与えられる」ことが前提条件であるが、40歳以上での再就職が極めて困難な現在の日本の社会においてそのような前提条件を成立・実現させる方法については、政府は何の具体案も出していない。そのため、この提案に対しては「転職を支援する制度面の整備が進まなければ安易なリストラの助長に終わる懸念もある」などとする批判が強く、現在の日本の社会では実現の可能性は低いと考えられている。

2012年8月29日、60歳などで定年を迎えた社員のうち、希望者全員の65歳までの継続雇用制度の導入を企業に義務付ける改正高年齢者雇用安定法が成立。2013年4月から施行される。この改正案について、労働組合が「希望者全員の雇用」を求めたのに対し、経済界は「他の社員の給与を減らすか、若年層の採用を減らすかという選択を迫られかねない」として、反発を強めていた。定年者の再雇用拡大に伴って、非正規社員の削減を検討している企業は3割に上る。

定年日

法律上は定年年齢に達した誕生日の前日から定年退職とする事が可能だが、定年年齢のいつの時点で定年退職とするのかは、会社により異なる。主な方法は下記の通り。

誕生日とする場合

定年年齢に達した誕生日に定年退職とする方法。誕生日の月末付けなどの場合もある。入社(採用)を4月(新卒時)に一括して行っている(中途採用を一切実施していないと想定)企業でこの方法を取ると、同期・同年齢の入社でも誕生日によって就業期間に最大で1年近くの差が出てしまう(3月・4月1日生まれの者は、4月(2日以降)生まれの者と比べて1年近く長く就業できるため)。また、4月の時点で欠員がゼロになるように採用した場合、次の4月まで新規採用をしないとすれば、その間に定年に達した者が少しずつ辞めていき、3月の時点では最も欠員が多くなる。

この方式では、就業期間が最大1年近くの差があるので、同期入社・同年齢で、役職、待遇が全く同じであったとしても生涯賃金・退職金の額が異なってくることになる(3月・4月1日生まれの者は4月(2日以降)生まれの者と比べて1年近く長く勤めることができるので、その分、生涯賃金・退職金の金額も増えることになる)。

大相撲の親方の停年(相撲協会ではこう表記する)はこの方式を採っており、たとえ本場所の最中であっても親方は65歳の誕生日を迎えると同時に停年となり退職しなければならないため、部屋持ち親方は65歳の誕生日を迎える前に後継者を決め、部屋の継承届を出す必要がある(親方がいない部屋の力士本場所に出場できないという相撲協会の規定があるため)。部屋の事情によっては、現役力士が親方の65歳の誕生日の前日をもって引退し、部屋を継承する場合もある(現在の相撲協会では、現役力士が親方の職に就く二枚鑑札は事実上認められていないため)。

年度ごとにそろえる場合

その年度に定年退職する人の退職日をそろえる方式。たとえば、「退職日は60歳の誕生日以降の最初の3月31日(4月1日で60歳になった人は、その翌年の3月31日(60歳)で定年退職)」などというように企業の規定で決めてしまう。こうすることにより、次の一括採用日までに欠員がだんだん増えていく状態を回避できる。この方式は、公務員や、採用日が1年に1回というように固定していて中途採用を実施していない企業(たとえば一部の鉄道会社など)でよく採用されている。このような企業や役所では、採用日の前に何らかの事情で欠員が出た場合には非番者が時間外労働休日出勤)で対応する。 スライムの会社の上司もこのパターンだった

継続雇用制度への移行

定年退職

高年齢者雇用安定法では、企業が定年を定める場合、60歳を下回る事が出来ないとされている。年金厚生年金)の受給年齢が65歳に引き上げられることもあって、会社(使用者)は対応を迫られている。

改正高年齢者雇用安定法(下記については、2006年4月1日施行)によると、事業主は65歳までの安定した雇用を確保するために、下記のいずれかの措置を講じなくてはならない。

  1. 継続雇用制度の導入(労使協定により、継続雇用制度の対象となる基準を定めることができる)
  2. 定年年齢の65歳への引上げ
  3. 定年制の廃止

※経過措置がある。

なお、それ以前は、65歳までの継続した雇用を促す努力義務規定であった。(2000年改正による)

基本的には(1)の継続雇用制度の導入で対応する場合が多く、(2)の定年年齢の65歳への引上げや、(3)の定年制度自体の廃止まで踏み込む企業は、一部の中小企業や零細企業を除き、非常に少ない。

定年者の意向

電通が2006年に行った調査では、男性の77%が定年後も組織で働くことを望み(75%は定年前に働いていた企業を希望)、働くことを希望した者のうち、フルタイム希望者が47%、パート・アルバイト希望者が40%となっている。

※調査対象は1947年、1948年生まれ。出典は『2007年団塊世代退職市場攻略に向けた調査レポート「退職後のリアル・ライフ II」』

役職定年

役職定年とは、通常の定年とは別に一定の年齢に達すると役職がつかなくなり、平社員等になる制度のこと。制度として明記しているのは民間会社の一部にとどまるが、配置転換などを含めた実質的な役職定年は公務員も含めて広く採用されていると考えられる。たとえば地方公務員であれば公社社員等に、中央省庁勤務なら財務省課長などの重要省庁幹部から外郭団体天下るなどがある。一般的に50代前半~半ばに設定されており、50代後半の平均年収が50代前半の平均年収より低くなっている原因のひとつであると考えられる。また、公社が一般企業に比べて幹部の割合が多いのも、表面上の階級を下げずに部下のいない仕事に配置転換するために理事・参事格で入社させることが多いことも影響していると考えられる。なお、理事・参事格といっても、実質的な権限が上位機関(市区町村であれば都道府県、都道府県であれば中央省庁、中央省庁であれば高官など)にあり部下がほとんどいないために実質的な平社員となる。

なお、役職定年を迎えたとしても、これまで長年の実績・経験があるため、定年後の継続雇用と同様に、通常の平社員等とは職務内容や待遇が違うことも多い。2004年の労務行政研究所の調査では約4割の企業が導入している事が判明した。

なお、社長取締役について定年制を設ける企業も存在する。この場合、一般社員の定年より高くなるのが普通である。

さまざまな業種における定年

定年退職
プロスポーツ選手
プロスポーツプロ野球、プロサッカーなど)選手のように体力の関係上、「40歳定年」説が言われている職種もある。具体的に定年が定められているわけではないものの、(現役選手としては)新世代の選手に体力的にかなわず、体力的に現役続行が可能でもチームとして世代交代を推進するなどのために辞めざるを得ないということになる。しかし、プロ野球の工藤公康山本昌イチロー、Jリーグの三浦知良など、40歳を過ぎても活躍し続ける選手もごく一部であるが存在する。
大相撲では、現役力士の定年はないが、大部分の力士は30代になると次第に体力が衰えて番付が下がり、引退を迫られるのが普通で、力士によっては負傷や成績不振などを理由に20代で引退してしまう者も多く、40歳以上で現役を続けられる者はほとんどいない(十両幕下の待遇差が大きいため、幕下以下でなら現役継続が可能でも十両陥落を機に引退することが多い)。その中でも数少ない例外である旭天鵬勝は、2014年9月13日に現役の幕内力士として40歳の誕生日を迎え、翌年の7月27日まで現役を続けていたが、40歳以上の幕内力士の登場は名寄岩静男以来60年ぶりであり、大相撲が年6場所制になった1958年以降では史上初であった。
引退した大相撲の力士はほとんどが角界を去って別の職業に就くことになるが、現役時の成績が特に優秀であれば、親方若者頭など何らかの形で角界に残れる者もいる。その場合の定年(日本相撲協会の表記では「停年」)は65歳であるが、この定年制度が1960年代初期に導入された当時は、親方だけが65歳停年で、行司呼び出し床山の停年は60歳と定められていた。しかし、やがて親方以外の役職も徐々に停年が延長され、現在は全て65歳にそろえられている。この他、大相撲では、昭和以降最高齢力士の一ノ矢充(引退時の年齢は46歳11か月)などのように、マネージャー兼業のような形で40歳を過ぎても幕下以下で現役を継続する例もいくつかある。
プロボクシングでは、安全管理上の理由から、1980年代以降の日本においては(世界チャンピオンなど特別な功績のある一部の選手を除いて)原則として37歳になるとライセンスが失効する。ただし、これは日本国内の規定であり、選手によっては37歳を過ぎても西澤ヨシノリ(47歳まで現役)などのように外国でライセンスを再取得して現役を継続する者も存在する。なお、検討中の段階ではあるが、将来的にはプロボクサーの定年を40歳まで引き上げるべきとする意見もある。
一方、プロレスには定年制は一切なく、50代、60代になっても体力に自信があれば現役を継続する選手も存在する。もっとも、高齢の選手の場合、若手選手との試合は体力的に難しく、同年代の選手同士の試合がメインになる場合が多い(例外もあり、バーン・ガニアは58歳でAWA世界ヘビー級王座を保持したまま引退している。彼が引退した年のジャイアント馬場との防衛戦はプロレス大賞の年間最高試合に選ばれた)。ちなみに、2015年現在における現役最年長の日本人プロレスラーはグレート小鹿の73歳である(日本人以外ではジプシー・ジョーが77歳まで現役を続けていた)。
全日本女子プロレスにはかつて「25歳定年制」が設けられていたが、他団体との対抗戦中に25歳を迎えたブル中野に特例を認めたことがきっかけで廃止された。ちなみに、アメリカのメイ・ヤングは現役の女子プロレスラーとして87歳まで試合に出場しており、90歳で死去するまで引退表明をすることはなかった。
将棋界囲碁界
将棋界には定年制は基本的に存在せず、実力が維持できていれば何歳まで指してもよいが(2010年現在の将棋棋士の現役最年長記録は丸田祐三の77歳)、将棋で順位戦の枠外に出るフリークラスに限っては65歳定年制が存在する。また、順位戦がない囲碁界には定年制は全く存在せず、2009年引退した窪内秀知は当時89歳であった。
プログラマー
1980年代までは、35歳を過ぎたプログラマーは過酷な労働条件や次々登場する新しい技術に対応できなくなるという認識があり、「35歳定年説」がよく取り沙汰されていた。現在はそのような風潮は過去のものとなり、経験豊かなプログラマーにも一定の需要がある。40歳、50歳を超えても第一線で活躍するプログラマーも少なくはないが、高齢のプログラマにはより単価の高い営業やマネジメント部門への転向を勧める企業もある。
定年退職
公務員
特定の国家公務員については法律で定年が明記されている。国会職員については国会職員法第15条の2によって定年が存在する。その他の国家公務員には国家公務員法第81条の2から第81条の6の規定や人事院規則11―8により定年が存在する。地方公務員にもこれに準じた定年が存在する。
自衛隊
軍人(日本での自衛官)などでは、勤務の苛酷さなどから定年が50歳代など若めに設定されている。定年制が今ほど普及していなかった大日本帝国時代でも、帝国陸海軍においては事実上の定年制が存在していた。たとえば、陸海軍の大将は65歳、中将は62歳、少将は60歳、大佐は56歳、中佐は54歳、少佐は52歳、大尉は50歳、中尉少尉は47歳が定年であった。ただし、元帥は事実上前線に出ることのない名誉職であり、終身制であった。また、実際に大尉を50歳まで務めることはほとんどなく、下級将校の場合は定年前に予備役にされるか昇進するのが普通であった。現在の自衛隊においては自衛隊法施行令により定年が定められているが、1等陸・海・空佐(一)以上の俸給を受ける者においては退職勧奨の適用を受ける場合がある。
NHKのアナウンサー
概ね60歳までであるが、エグゼクティブアナウンサーや解説員などの役職(管理職)に就いた場合は「役員定年」として57歳で定年が認められる。その後多くは嘱託契約職員としてNHK本体に残ったり、日本語センターに転籍する形でアナウンス業務をする場合がある。
女性アナウンサー
日本のキー局における女性アナウンサーなどでは局アナとしては30歳定年説と言われることがある。フジテレビでは1969年まで女子社員は25歳定年であり、それ以上は臨時職員としての雇用だった。
宝塚歌劇団
60歳定年制(導入当初は57歳)であるが、生徒は未婚でなければならないため、定年前であっても結婚した者は歌劇団を引退しなければならない。
議員における定年
自由民主党は2000年、野中広務自民党幹事長によって衆議院比例区候補について73歳定年制を設けた。これにより原健三郎(当時93歳)、櫻内義雄(当時88歳)両元衆議院議長などが引退に追い込まれた。その際、終身比例名簿1位であった首相経験者の中曽根康弘宮澤喜一は80歳を超えているものの「例外」とされたが、2003年の衆院選の際に、総裁であった小泉純一郎が定年制を厳格に適用させ、引退させた(中曽根には比例区転出にあたって当時の橋本龍太郎自民党総裁から終身1位を保証された経緯があり、この件について「政治的テロ」だと述べ、小泉を非難した)。ただし、2005年の衆院選では74歳の仲村正治を沖縄選挙区における公明党との選挙区調整のために「特例」として、比例名簿に登載させたことがある。また、自民党は参議院比例区では70歳定年制を設けている。
公明党にも定年制があり、「議員在任中に66歳をこえる選挙には公認しない」と規定している。ただし、引退時78歳だった坂口力のように特例として公認される場合もある。
定年退職
大学教員
大学の教員は各法人の就業規則等で定年を規定しており、一般的には国立大学法人の教員定年は60歳~65歳程度が多く、また私立大学をもつ学校法人は65歳~70歳程度を定年としている。大学教員の場合、学部を卒業後、大学院に進学し博士課程を修了するのが最速でも27歳前後になる。社会に出る時期が学部卒業後に就職する者とは約5年間の差があることから、特に私立大学では社会一般の定年である60歳よりも3~10年経た年齢を定年とすることが多い。国立大学法人においては定年が60歳~65歳程度の法人が多いが、国立大学法人で定年となっても、研究上の業績や経験が優れている教員は私立大学に再雇用されることが多いため定年は70歳頃まで延長となる。ただし、2000年代以降は3~5年間の任期制教員として雇用する法人が多い。また、定年を迎えて雇用契約が終了しても、待遇は従来より低くなるが週に数コマ程度の授業を担当する非常勤教員として雇用を継続されることも多い。なお、欧米の大学には、特別に優れた業績があると認められた教授に対して生涯にわたり現役教授の地位を保証する終身教授の制度があり、日本にも名城大学のように欧米にならって終身教授の制度を設けている私立大学も一部には存在する。

関連項目

定年退職
定年退職
定年退職
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