「グランドナショナル」の版間の差分

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{{競馬の競走
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'''グランドナショナル'''(''Grand National'')とは毎年4月に[[イギリス]]の[[エイントリー競馬場]]で4[[マイル]]と4[[ハロン (単位)|ハロン]](約7242[[メートル]])の距離に30の障害があるコースで行われる[[障害レース]]であり、イギリスでは最も人気のある馬券の売れる[[競馬]]の[[競馬のレース|レース]]である。このレースは[[グランドナショナルミーティング]]のメインレースとして[[ハンデキャップレース|ハンデキャップ]]で行われ、グレード3である(イギリスの障害重賞はgroupでなくgradeで表記される)。
|馬場    = 芝
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|競走名  = グランドナショナル<br />''Grand National Handicap Chase''
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|開催地  = [[エイントリー競馬場]]
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|格付け  = 英障害GIII
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|1着賞金  = 39万9140[[UKポンド|ポンド]]
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|賞金総額 = 68万9360ポンド
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|距離    = [[障害競走|障害]][[芝]]36[[ハロン (単位)|ハロン]]<br />(約7242[[メートル|m]])
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|条件    = [[サラブレッド]]6歳以上
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|負担重量 = [[ハンデキャップ競走|ハンデキャップ]]
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|創設    = [[1836年]][[2月29日]]
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'''グランドナショナル'''(''Grand National'')とは毎年4月に[[イギリス]]の[[エイントリー競馬場]]で4[[マイル]]と4[[ハロン (単位)|ハロン]](約7242[[メートル]])の距離に30の障害があるコースで行われる[[障害競走]]であり、イギリスでは最も人気のある馬券の売れる[[競馬]]の[[競馬の競走|競走]]である。この競走は[[グランドナショナルミーティング]]のメイン競走として[[ハンデキャップ競走|ハンデキャップ]]で行われ、グレード3である(イギリスの障害重賞はgroupでなくgradeで表記される)。
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ほぼ毎年出走可能頭数の限界の40頭の出走馬を集めるが、年によっては完走頭数は10頭を切ることも珍しくない。英愛の障害競走では共通のことだがスタートはゲートではなく、スターティングバリヤーを用いる昔ながらのバリヤー式スタートで行われる。
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ほぼ毎年出走可能頭数の限界の40頭の出走馬を集めるが、年によっては完走頭数は10頭を切ることも珍しくない。英愛の障害レースでは共通のことだがスタートはゲートではなく、スターティングバリヤーを用いる昔ながらのバリヤー式スタートで行われる。
  
このレースに範を取った「グランドナショナル」という名の競走は世界各地で行われている。日本では伝統の障害重賞である[[中山大障害]]がこのレースに範を取ったものである。
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このレースに範を取った「グランドナショナル」という名のレースは世界各地で行われている。日本では伝統の障害重賞である[[中山大障害]]がこのレースに範を取ったものである。
  
 
[[2005年]]からは[[ビール]]会社の[[ジョン・スミスズ]](John Smith's)がスポンサーとなっている。
 
[[2005年]]からは[[ビール]]会社の[[ジョン・スミスズ]](John Smith's)がスポンサーとなっている。
  
 
== コース ==
 
== コース ==
この競走ではエイントリー競馬場のナショナルコースという特別なコースを2周する。このコースは毎年11月に行われるビーチャーチェイスにも使用され、グランドナショナルを目指す馬にとって貴重な試走の場となっている。
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このレースではエイントリー競馬場のナショナルコースという特別なコースを2周する。このコースは毎年11月に行われるビーチャーチェイスにも使用され、グランドナショナルを目指す馬にとって貴重な試走の場となっている。
  
 
コースはほぼ平坦であり16の障害が設けられ、ザチェアーと呼ばれる障害と水濠障害を除いて2度飛越することになる。6番目(22番目)及び7番目(23番目)、8番目(24番目)、9番目(25番目)、15番目の障害にはそれぞれ固有の名称が付いており、順にビーチャーズブルック(Becher's Brook)、フォイネイボン(Foinavon)、キャナルターン(Canal Turn)、バレンタインズブルック(Valentine's Brook)、そしてザチェアー(The Chair)である。
 
コースはほぼ平坦であり16の障害が設けられ、ザチェアーと呼ばれる障害と水濠障害を除いて2度飛越することになる。6番目(22番目)及び7番目(23番目)、8番目(24番目)、9番目(25番目)、15番目の障害にはそれぞれ固有の名称が付いており、順にビーチャーズブルック(Becher's Brook)、フォイネイボン(Foinavon)、キャナルターン(Canal Turn)、バレンタインズブルック(Valentine's Brook)、そしてザチェアー(The Chair)である。
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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
グランドナショナルは[[1839年]]から回数カウントを始めているがそれより3年前の[[1836年]]から同等の競走が始まっており、グランドナショナルの歴史は1836年からとすることが多い。この1936年から[[1938年]]までの3競走は以前はエイントリー競馬場以外で行われたと考えられていたが、現在はこれらもエイントリー競馬場で行われたことが判明している。
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グランドナショナルは[[1839年]]から回数カウントを始めているがそれより3年前の[[1836年]]から同等のレースが始まっており、グランドナショナルの歴史は1836年からとすることが多い。この1936年から[[1938年]]までの3レースは以前はエイントリー競馬場以外で行われたと考えられていたが、現在はこれらもエイントリー競馬場で行われたことが判明している。
  
 
1839年はコンラッドに騎乗したビーチャー大佐(Captain Becher)が1周目の小川で転落。その小川が「ビーチャーズブルック」と命名された。
 
1839年はコンラッドに騎乗したビーチャー大佐(Captain Becher)が1周目の小川で転落。その小川が「ビーチャーズブルック」と命名された。
  
[[1844年]]にハンデキャップ競走に改められる。
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[[1844年]]にハンデキャップレースに改められる。
  
 
[[1929年]]はグランドナショナル史上最多の66頭が出走した(完走は10頭)。
 
[[1929年]]はグランドナショナル史上最多の66頭が出走した(完走は10頭)。
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[[1956年]]は競馬の歴史上でも最も不可解なレースの一つとして名高い。[[ディック・フランシス]]騎手が乗る[[エリザベス・バウエス=ライオン|クイーンマザー(エリザベス王太后)]]所有のデヴォンロックは最終障害を大差でクリアーして楽勝するかと思われたが、残り50メートルに満たない地点で突然四肢を投げ出して座り込んでしまった。特に故障などは何もなく、騎手が下馬すると何事もなかったように立ち上がったという。障害がないのに馬が障害があると勘違いした、馬が疲労困憊のあまり障害の幻影を見てしまった、軽い心臓麻痺を起こしたなど諸説あるが実際のところは定かではない。フランシス本人は大きな歓声に驚いてそのようになったと語っている。
 
[[1956年]]は競馬の歴史上でも最も不可解なレースの一つとして名高い。[[ディック・フランシス]]騎手が乗る[[エリザベス・バウエス=ライオン|クイーンマザー(エリザベス王太后)]]所有のデヴォンロックは最終障害を大差でクリアーして楽勝するかと思われたが、残り50メートルに満たない地点で突然四肢を投げ出して座り込んでしまった。特に故障などは何もなく、騎手が下馬すると何事もなかったように立ち上がったという。障害がないのに馬が障害があると勘違いした、馬が疲労困憊のあまり障害の幻影を見てしまった、軽い心臓麻痺を起こしたなど諸説あるが実際のところは定かではない。フランシス本人は大きな歓声に驚いてそのようになったと語っている。
  
[[1964年]]はエイントリー競馬場の所有者のトッパム夫人が競馬場を売りに出すと宣言し、以来[[1973年]]にビル・デイビスが300万ポンドで購入するまで毎年が「最後のナショナル」と言われた。デイビスの所有時も経営はいま一つ安定せず[[1983年]]にジョッキークラブが340万ポンドで購入、これにより英国の競馬が続く限りグランドナショナルは存続することになった。
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[[1964年]]はエイントリー競馬場の所有者のトッパム夫人が競馬場を売りに出すと宣言し、以来[[1973年]]にビル・デイビスが300万ポンドで購入するまで毎年が「最後のナショナル」と言われた。デイビスの所有時も経営はいま一つ安定せず[[1983年]]にジョッキークラブが340万ポンドで購入、これによりイギリスの競馬が続く限りグランドナショナルは存続することになった。
  
 
[[1967年]]は馬群の先頭を走っていたカラ馬が23番目のフェンス直前で急にストップするというアクシデントで後続の20頭以上の馬が落馬、又は立往生してしまったなか先頭から50馬身近く離された位置にいたフォイネイボンがスムーズに追い越し、逆に後続に50馬身差の独走態勢となる。結局そのまま後続を振り切って1着でゴールイン、100倍の配当となった。なお、この23番目(1周目は7番目)のフェンスにはこの年の勝ち馬の名前である「フォイネイボン」の名がつけられている。
 
[[1967年]]は馬群の先頭を走っていたカラ馬が23番目のフェンス直前で急にストップするというアクシデントで後続の20頭以上の馬が落馬、又は立往生してしまったなか先頭から50馬身近く離された位置にいたフォイネイボンがスムーズに追い越し、逆に後続に50馬身差の独走態勢となる。結局そのまま後続を振り切って1着でゴールイン、100倍の配当となった。なお、この23番目(1周目は7番目)のフェンスにはこの年の勝ち馬の名前である「フォイネイボン」の名がつけられている。
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[[1981年]]はレースの1年半前にガンで余命8か月の宣告を受けていたボブ・チャンピオンが治療を受けガンを克服し、オルダニーティでグランドナショナルを制覇した。なおオルダニーティ自身も1年前の障害レースで骨折し、1度は安楽死処分にされそうになった状況からの復活であった(このエピソードは後年「チャンピオンズ(Champions)」というタイトルで映画化されている)。
 
[[1981年]]はレースの1年半前にガンで余命8か月の宣告を受けていたボブ・チャンピオンが治療を受けガンを克服し、オルダニーティでグランドナショナルを制覇した。なおオルダニーティ自身も1年前の障害レースで骨折し、1度は安楽死処分にされそうになった状況からの復活であった(このエピソードは後年「チャンピオンズ(Champions)」というタイトルで映画化されている)。
  
[[1993年]]はスターティングバリヤーの白いテープがうまく跳ね上がらず発走やり直し、2度目も馬や騎手がテープに絡まりスターターはフォルススタートを宣言したが合図の赤旗が誰にも目撃されることなく39頭中30頭がスタート。2周目のスタンド前で再び赤旗が振られたが反対派の抗議と解釈した多くの騎手はレースを続行し7頭が完走。J・ホワイト騎乗のエシャーネスが1位入線したが競走不成立により幻の優勝となった。これにより1993年のグランドナショナルは中止となり、翌[[1994年]]からはスターティングバリヤーが手動式から電動式に変わるなど多くの改善がなされた。
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[[1993年]]はスターティングバリヤーの白いテープがうまく跳ね上がらず発走やり直し、2度目も馬や騎手がテープに絡まりスターターはフォルススタートを宣言したが合図の赤旗が誰にも目撃されることなく39頭中30頭がスタート。2周目のスタンド前で再び赤旗が振られたが反対派の抗議と解釈した多くの騎手はレースを続行し7頭が完走。J・ホワイト騎乗のエシャーネスが1位入線したがレース不成立により幻の優勝となった。これにより1993年のグランドナショナルは中止となり、翌[[1994年]]からはスターティングバリヤーが手動式から電動式に変わるなど多くの改善がなされた。
  
[[1997年]]はグランドナショナルの始まる1時間前に[[IRA暫定派]]を名乗る人物から競馬場に爆弾を仕掛けたと電話で通報があり、観客を競馬場から全員避難させ競走は中止となった。その2日後に改めてレースが行われた。女性調教師ジェニー・ピットマンはこの事件に対し涙で抗議した。
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[[1997年]]はグランドナショナルの始まる1時間前に[[IRA暫定派]]を名乗る人物から競馬場に爆弾を仕掛けたと電話で通報があり、観客を競馬場から全員避難させレースは中止となった。その2日後に改めてレースが行われた。女性調教師ジェニー・ピットマンはこの事件に対し涙で抗議した。
  
 
[[1998年]]は1周目の名物障害の1つであるビーチャーズブルックの前の障害で計3頭が死亡し、動物愛護団体が抗議行動を行った。
 
[[1998年]]は1周目の名物障害の1つであるビーチャーズブルックの前の障害で計3頭が死亡し、動物愛護団体が抗議行動を行った。
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グランドナショナルで最多勝利の競走馬は[[1973年]]、[[1974年]]、[[1977年]]にこのレースを制した[[レッドラム]]号の3勝([[1975年]]および[[1976年]]は2着)であり連覇した馬も同馬のみである。騎手の最多勝利数は[[1800年代]]のジョージ・スティーヴンス騎手の5勝。調教師の最多勝利数はフレッド・リメル師とジンジャー・マッケイン師の4勝。
 
グランドナショナルで最多勝利の競走馬は[[1973年]]、[[1974年]]、[[1977年]]にこのレースを制した[[レッドラム]]号の3勝([[1975年]]および[[1976年]]は2着)であり連覇した馬も同馬のみである。騎手の最多勝利数は[[1800年代]]のジョージ・スティーヴンス騎手の5勝。調教師の最多勝利数はフレッド・リメル師とジンジャー・マッケイン師の4勝。
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[[2020年]]は[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響で中止となった。
 
=== 歴代優勝馬 ===
 
=== 歴代優勝馬 ===
 
{| class="wikitable"
 
{| class="wikitable"
!施行日!!優勝馬!!性齢!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
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!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
 
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|[[1836年]][[2月29日]]||The Duke||騸7||20:10||M.Becher||||W.Sirdefield
 
|[[1836年]][[2月29日]]||The Duke||騸7||20:10||M.Becher||||W.Sirdefield
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これより回数をカウント。
 
これより回数をカウント。
 
{| class="wikitable"
 
{| class="wikitable"
!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
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!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
 
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|style="text-align:center"|第1回||[[1839年]][[2月26日]]||Lottery||騸9||14:53||J.Mason||G.Dockeray||J.Elmore
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|style="text-align:center"|第1回||style="white-space:nowrap"|[[1839年]][[2月26日]]||Lottery||騸9||14:53||J.Mason||G.Dockeray||J.Elmore
 
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|style="text-align:center"|第2回||[[1840年]]3月5日||Jerry||騸10||12:30||B.Bretherton||G.Dockeray||H.Villebois
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|style="text-align:center"|第2回||[[1840年]]3月5日||Jerry||style="white-space:nowrap"|騸10||12:30||B.Bretherton||G.Dockeray||H.Villebois
 
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|style="text-align:center"|第3回||[[1841年]][[3月3日]]||Charity||騸11||13:25||A.Powell||W.Vevers||Lord Craven
 
|style="text-align:center"|第3回||[[1841年]][[3月3日]]||Charity||騸11||13:25||A.Powell||W.Vevers||Lord Craven
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|style="text-align:center"|第6回||[[1844年]][[2月28日]]||Discount||牡6||13:58||H.Crickmere||||Quartermaine
 
|style="text-align:center"|第6回||[[1844年]][[2月28日]]||Discount||牡6||13:58||H.Crickmere||||Quartermaine
 
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|style="text-align:center"|第7回||[[1845年]]3月5日||Cure All||騸7||10:47||W.Loft||W.Loft||W.S.Crawford
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|style="text-align:center"|第7回||[[1845年]]3月5日||Cure All||騸7||10:47||W.Loft||W.Loft||W.Crawford
 
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|style="text-align:center"|第8回||[[1846年]]3月4日||Pioneer||騸6||||W.Taylor||||Adams
 
|style="text-align:center"|第8回||[[1846年]]3月4日||Pioneer||騸6||||W.Taylor||||Adams
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|style="text-align:center"|第10回||[[1848年]]3月1日||Chandler||騸12||||J.Little||T.Eskrett||J.Little
 
|style="text-align:center"|第10回||[[1848年]]3月1日||Chandler||騸12||||J.Little||T.Eskrett||J.Little
 
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|style="text-align:center"|第11回||[[1849年]]2月28日||Peter Simple||騸11||10:56||T.Cunningham||T.Cunningham||T.F.Mason Jr.
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|style="text-align:center"|第11回||[[1849年]]2月28日||Peter Simple||騸11||10:56||T.Cunningham||T.Cunningham||T.Mason Jr.
 
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|style="text-align:center"|第12回||[[1850年]][[2月27日]]||Abd-el-Kader||騸8||10:20||C.Green||J.Osborne||Wilson
 
|style="text-align:center"|第12回||[[1850年]][[2月27日]]||Abd-el-Kader||騸8||10:20||C.Green||J.Osborne||Wilson
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|style="text-align:center"|第13回||[[1851年]]2月26日||Abd-el-Kader||騸9||9:59||T.Abbot||J.Osborne||J.Osborne
 
|style="text-align:center"|第13回||[[1851年]]2月26日||Abd-el-Kader||騸9||9:59||T.Abbot||J.Osborne||J.Osborne
 
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|style="text-align:center"|第14回||[[1852年]]3月3日||Miss Mowbray||牝8||9:58.5||A.Goodman||G.Dockeray||T.F.Mason
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|style="text-align:center"|第14回||[[1852年]]3月3日||Miss Mowbray||牝8||9:58.5||A.Goodman||G.Dockeray||T.Mason
 
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|style="text-align:center"|第15回||[[1853年]]3月2日||Peter Simple||騸15||10:15||T.Oliver||T.Oliver||J.Little
 
|style="text-align:center"|第15回||[[1853年]]3月2日||Peter Simple||騸15||10:15||T.Oliver||T.Oliver||J.Little
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|style="text-align:center"|第19回||[[1857年]]3月4日||Emigrant||騸11||||C.Boyce||C.Boyce||G.Hodgman
 
|style="text-align:center"|第19回||[[1857年]]3月4日||Emigrant||騸11||||C.Boyce||C.Boyce||G.Hodgman
 
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|style="text-align:center"|第20回||[[1858年]]3月6日||Little Charley||騸12||||W.Archer||W.Holman||C.Capel
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|style="text-align:center"|第20回||[[1858年]][[3月6日]]||Little Charley||騸12||||W.Archer||W.Holman||C.Capel
 
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|style="text-align:center"|第21回||[[1859年]][[3月8日]]||Half Caste||牡6||||C.Green||C.Green||Willoughby
 
|style="text-align:center"|第21回||[[1859年]][[3月8日]]||Half Caste||牡6||||C.Green||C.Green||Willoughby
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|style="text-align:center"|第38回||[[1876年]][[3月24日]]||Regal||騸5||||J.Cannon||J.Jewitt||J.Machell
 
|style="text-align:center"|第38回||[[1876年]][[3月24日]]||Regal||騸5||||J.Cannon||J.Jewitt||J.Machell
 
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|style="text-align:center"|第39回||[[1877年]][[3月23日]]||Austerlitz||牡5||||F.G.Hobson||R.l'Anson||F.G.Hobson
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|style="text-align:center"|第39回||[[1877年]][[3月23日]]||Austerlitz||牡5||||F.Hobson||R.l'Anson||F.Hobson
 
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|style="text-align:center"|第40回||[[1878年]][[3月29日]]||Shifnal||牡9||||J.Jones||J.Nightongall||J.Nightongall
 
|style="text-align:center"|第40回||[[1878年]][[3月29日]]||Shifnal||牡9||||J.Jones||J.Nightongall||J.Nightongall
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|style="text-align:center"|第44回||[[1882年]][[3月24日]]||Seaman||騸6||||Lord Manners||J.Machell||Lord Manners
 
|style="text-align:center"|第44回||[[1882年]][[3月24日]]||Seaman||騸6||||Lord Manners||J.Machell||Lord Manners
 
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|style="text-align:center"|第45回||[[1883年]][[3月30日]]||Zoedone||牝6||||C.C.Kinsky||W.Jenkins||C.C.Kinsky
+
|style="text-align:center"|第45回||[[1883年]][[3月30日]]||Zoedone||牝6||||C.Kinsky||W.Jenkins||C.Kinsky
 
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|style="text-align:center"|第46回||[[1884年]]3月28日||Voluptuary||騸6||||E.P.Wilson||W.Wilson||H.F.Boyd
+
|style="text-align:center"|第46回||[[1884年]]3月28日||Voluptuary||騸6||||E.Wilson||W.Wilson||H.Boyd
 
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|style="text-align:center"|第47回||[[1885年]]月日||Roquefort||騸6||||E.P.Wilson||A.Yates||A.Cooper
+
|style="text-align:center"|第47回||[[1885年]]3月26日||Roquefort||騸6||||E.Wilson||A.Yates||A.Cooper
 
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|style="text-align:center"|第48回||[[1886年]]月日||Old Joe||騸7||||T.Skelton||G.Mulcaster||A.J.Douglas
+
|style="text-align:center"|第48回||[[1886年]]3月26日||Old Joe||騸7||||T.Skelton||G.Mulcaster||A.Douglas
 
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|style="text-align:center"|第49回||[[1887年]]月日||Gamecock||騸8|| ||W.Daniels||J.Gordon||E.Jay
+
|style="text-align:center"|第49回||[[1887年]]3月25日||Gamecock||騸8||||W.Daniels||J.Gordon||E.Jay
 
|-
 
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|style="text-align:center"|第50回||[[1888年]]3月23日||Playfair||騸7||||G.Mawson||T.Cannon||E.W."Ned" Baird
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|style="text-align:center"|第50回||[[1888年]]3月23日||Playfair||騸7||||G.Mawson||T.Cannon||E."Ned" Baird
 
|-
 
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|style="text-align:center"|第51回||[[1889年]]3月29日||Frigate||牝11||||T.Beasley||M.A.Maher||M.A.Maher
+
|style="text-align:center"|第51回||[[1889年]]3月29日||Frigate||牝11||||T.Beasley||M.Maher||M.Maher
 
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|style="text-align:center"|第52回||[[1890年]]3月28日||Ilex||騸6||||A.Nightingall||J.Nightingall||G.Masterman
 
|style="text-align:center"|第52回||[[1890年]]3月28日||Ilex||騸6||||A.Nightingall||J.Nightingall||G.Masterman
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|style="text-align:center"|第53回||[[1891年]][[3月20日]]||Come Away||騸7||||H.Beasley||H.Beasley||W.Jameson
 
|style="text-align:center"|第53回||[[1891年]][[3月20日]]||Come Away||騸7||||H.Beasley||H.Beasley||W.Jameson
 
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|style="text-align:center"|第54回||[[1892年]]3月25日||Father O'Flynn||騸7||||E.R.Owen||G.Wilson||G.Wilson
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|style="text-align:center"|第54回||[[1892年]]3月25日||Father O'Flynn||騸7||||E.Owen||G.Wilson||G.Wilson
 
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|style="text-align:center"|第55回||[[1893年]]3月24日||Cloister||騸9||||B.Dollery||A.Yates||C.Duff
 
|style="text-align:center"|第55回||[[1893年]]3月24日||Cloister||騸9||||B.Dollery||A.Yates||C.Duff
 
|-
 
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|style="text-align:center"|第56回||[[1894年]]3月30日||Why Not||騸13||||A.Nightingall||W.Moore||C.H.Fenwick
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|style="text-align:center"|第56回||[[1894年]]3月30日||Why Not||騸13||||A.Nightingall||W.Moore||C.Fenwick
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第57回||[[1895年]]3月29日||Wild Man From Borneo||騸7||||Joe Widger||J.Gatland||John Widger
+
|style="text-align:center"|第57回||[[1895年]]3月29日||style="white-space:nowrap"|Wild Man From Borneo||騸7||||J.Widger||J.Gatland||John Widger
 
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|style="text-align:center"|第58回||[[1896年]]3月27日||The Soarer||騸7||||T.Kavanagh||W.McAuliffe||W.Hall-Walker
 
|style="text-align:center"|第58回||[[1896年]]3月27日||The Soarer||騸7||||T.Kavanagh||W.McAuliffe||W.Hall-Walker
189行目: 179行目:
 
|style="text-align:center"|第59回||[[1897年]][[3月26日]]||[[マニフェスト (競走馬)|Manifesto]]||騸9||||T.Kavanagh||W.McAuliffe||H.Dyas
 
|style="text-align:center"|第59回||[[1897年]][[3月26日]]||[[マニフェスト (競走馬)|Manifesto]]||騸9||||T.Kavanagh||W.McAuliffe||H.Dyas
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第60回||[[1898年]]3月25日||Drogheda||騸6||||J.Gourley||R.Dawson||C.G.M.Adams
+
|style="text-align:center"|第60回||[[1898年]]3月25日||Drogheda||騸6||||J.Gourley||R.Dawson||C.Adams
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第61回||[[1899年]]3月24日||Manifesto||騸11||||G.Williamson||W.Moore||J.G.Bulteel
+
|style="text-align:center"|第61回||[[1899年]]3月24日||Manifesto||騸11||||G.Williamson||W.Moore||J.Bulteel
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第62回||[[1900年]]月日||Ambush II||騸6||||A.Anthony||A.Anthony||H R H Prince of Wales
+
|style="text-align:center"|第62回||[[1900年]]3月30日||Ambush II||騸6||||A.Anthony||A.Anthony||H R H Prince of Wales
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第63回||[[1901年]]3月29日||Grudon||牡11||||A.Nightingall||B.Bletsoe||B.Bletsoe
 
|style="text-align:center"|第63回||[[1901年]]3月29日||Grudon||牡11||||A.Nightingall||B.Bletsoe||B.Bletsoe
199行目: 189行目:
 
|style="text-align:center"|第64回||[[1902年]]3月21日||Shannon Lass||牝7||||D.Read||J.Hackett||A.Gorham
 
|style="text-align:center"|第64回||[[1902年]]3月21日||Shannon Lass||牝7||||D.Read||J.Hackett||A.Gorham
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第65回||[[1903年]]月日||Drumcree||騸9||||P.Woodland||Sir C.Nugent||J.S.Morrison
+
|style="text-align:center"|第65回||[[1903年]]3月27日||Drumcree||騸9||||P.Woodland||C.Nugent||J.Morrison
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第66回||[[1904年]]3月25日||Moifaa||騸8||||A.Birch||W.Hickey||S.Gollan
 
|style="text-align:center"|第66回||[[1904年]]3月25日||Moifaa||騸8||||A.Birch||W.Hickey||S.Gollan
209行目: 199行目:
 
|style="text-align:center"|第69回||[[1907年]][[3月22日]]||Eremon||騸7||||A.Newey||T.Coulthwaite||S.Howard
 
|style="text-align:center"|第69回||[[1907年]][[3月22日]]||Eremon||騸7||||A.Newey||T.Coulthwaite||S.Howard
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第70回||[[1908年]]3月27日||Rubio||騸10||||H.B.Bletsoe||F.Withington||F.Douglas-Pennant
+
|style="text-align:center"|第70回||[[1908年]]3月27日||Rubio||騸10||||H.Bletsoe||F.Withington||F.Douglas-Pennant
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第71回||[[1909年]]3月26日||Lutteur III||騸5||||G.Parfrement||H.Escott||J.Hennessy
 
|style="text-align:center"|第71回||[[1909年]]3月26日||Lutteur III||騸5||||G.Parfrement||H.Escott||J.Hennessy
215行目: 205行目:
 
|style="text-align:center"|第72回||[[1910年]]3月18日||Jenkinstown||騸9||||R.Chadwick||T.Coulthwaite||S.Howard
 
|style="text-align:center"|第72回||[[1910年]]3月18日||Jenkinstown||騸9||||R.Chadwick||T.Coulthwaite||S.Howard
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第73回||[[1911年]]3月24日||Glenside||騸9||||J.R.Anthony||R.H.Collis||F.Bibby
+
|style="text-align:center"|第73回||[[1911年]]3月24日||Glenside||騸9||||J.Anthony||R.Collis||F.Bibby
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第74回||[[1912年]]3月29日||Jerry M||騸9||||E.Piggott||R.Gore||Sir C.Assheton-Smith
+
|style="text-align:center"|第74回||[[1912年]]3月29日||Jerry M||騸9||||E.Piggott||R.Gore||C.Assheton-Smith
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第75回||[[1913年]][[4月4日]]||Covertcoat||騸7||||P.Woodland||R.Gore||Sir C.Assheton-Smith
+
|style="text-align:center"|第75回||[[1913年]][[4月4日]]||Covertcoat||騸7||||P.Woodland||R.Gore||C.Assheton-Smith
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第76回||[[1914年]]3月27日||Sunloch||騸8||||B.Smith||T.Tyler||T.Tyler
 
|style="text-align:center"|第76回||[[1914年]]3月27日||Sunloch||騸8||||B.Smith||T.Tyler||T.Tyler
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第77回||[[1915年]]3月26日||Ally Sloper||騸6||||J.R.Anthony||A.Hastings||M.Nelson
+
|style="text-align:center"|第77回||[[1915年]]3月26日||Ally Sloper||騸6||||J.Anthony||A.Hastings||M.Nelson
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第78回||[[1919年]]3月28日||Poethlyn||騸9||||E.Piggott||H.Escott||H.Peel
 
|style="text-align:center"|第78回||[[1919年]]3月28日||Poethlyn||騸9||||E.Piggott||H.Escott||H.Peel
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第79回||[[1920年]]3月26日||Shaun Spadah||騸7||||J.R.Anthony||A.Anthony||T.C.Gerrard
+
|style="text-align:center"|第79回||[[1920年]]3月26日||Shaun Spadah||騸7||||J.Anthony||A.Anthony||T.Gerrard
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第80回||[[1921年]]月日||Althorp||騸10||||F.B.Rees||G.Poole||M.McAlpine
+
|style="text-align:center"|第80回||[[1921年]]月日||Althorp||騸10||||F.Rees||G.Poole||M.McAlpine
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第81回||[[1922年]]月日||Music Hall||騸9||||L.B.Rees||O.Anthony||H.Kershaw
+
|style="text-align:center"|第81回||[[1922年]]3月24日||Music Hall||騸9||||L.Rees||O.Anthony||H.Kershaw
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第82回||[[1923年]]3月23日||Sergeant Murphy||騸13||||G.H.Bennet||G.Blackwell||S.Sanford
+
|style="text-align:center"|第82回||[[1923年]]3月23日||Sergeant Murphy||騸13||||G.Bennet||G.Blackwell||S.Sanford
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第83回||[[1924年]]3月28日||Master Robert||騸11||||R.Trudgill||A.Hastings||Earl of Airlie
 
|style="text-align:center"|第83回||[[1924年]]3月28日||Master Robert||騸11||||R.Trudgill||A.Hastings||Earl of Airlie
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第84回||[[1925年]]3月27日||Double Chance||騸9||||J.P.Wilson||F.Archer||D.Goold<BR>F.Archer
+
|style="text-align:center"|第84回||[[1925年]]3月27日||Double Chance||騸9||||J.Wilson||F.Archer||D.Goold<BR>F.Archer
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第85回||[[1926年]]3月26日||Jackhorner||騸9||||W.Watkinson||H.Leader||A.C.Schwartz
+
|style="text-align:center"|第85回||[[1926年]]3月26日||Jackhorner||騸9||||W.Watkinson||H.Leader||A.Schwartz
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第86回||[[1927年]]3月25日||Sprig||騸10||||Ted E.Leader||Tom Leader||M.Partridge
 
|style="text-align:center"|第86回||[[1927年]]3月25日||Sprig||騸10||||Ted E.Leader||Tom Leader||M.Partridge
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第87回||[[1928年]]3月20日||Tipperary Tim||騸10||||W.P.Dutton||J.Dodd||H.Kenyon
+
|style="text-align:center"|第87回||[[1928年]]3月20日||Tipperary Tim||騸10||||W.Dutton||J.Dodd||H.Kenyon
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第88回||[[1929年]]3月22日||Gregalach||騸7||||R.Everett||Tom Leader||M.Gemmell
+
|style="text-align:center"|第88回||[[1929年]]3月22日||Gregalach||騸7||||R.Everett||T.Leader||M.Gemmell
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第89回||[[1930年]]3月28日||Shaun Gollin||騸10||||T.Cullinan||F.Hartigan||W.H.Midwood
+
|style="text-align:center"|第89回||[[1930年]]3月28日||Shaun Gollin||騸10||||T.Cullinan||F.Hartigan||W.Midwood
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第90回||[[1931年]]3月27日||Grakle||騸9||||R.Lyall||T.Coulthwaite||C.Taylor
 
|style="text-align:center"|第90回||[[1931年]]3月27日||Grakle||騸9||||R.Lyall||T.Coulthwaite||C.Taylor
261行目: 251行目:
 
|style="text-align:center"|第95回||[[1936年]]3月27日||Reynolds Town||騸9||||F.Walwyn||N.Furlong||N.Furlong
 
|style="text-align:center"|第95回||[[1936年]]3月27日||Reynolds Town||騸9||||F.Walwyn||N.Furlong||N.Furlong
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第96回||[[1937年]]3月19日||Royal Mail||騸8||||E.Williams||I.Anthony||H.L.Thomas
+
|style="text-align:center"|第96回||[[1937年]]3月19日||Royal Mail||騸8||||E.Williams||I.Anthony||H.Thomas
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第97回||[[1938年]]3月25日||Battleship||牡9||||B.Hobbs||R.Hobbs||M.Scott
 
|style="text-align:center"|第97回||[[1938年]]3月25日||Battleship||牡9||||B.Hobbs||R.Hobbs||M.Scott
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第98回||[[1939年]]3月24日||Workman||騸9||||T.Hyde||J.Ruttle||Sir A.Maguire
+
|style="text-align:center"|第98回||[[1939年]]3月24日||Workman||騸9||||T.Hyde||J.Ruttle||A.Maguire
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第99回||[[1940年]][[4月5日]]||Bogskar||騸7||9:21 0/5||M.A.Jones||Lord Stalbridge||Lord Stalbridge
+
|style="text-align:center"|第99回||[[1940年]][[4月5日]]||Bogskar||騸7||9:21 0/5||M.Jones||Lord Stalbridge||Lord Stalbridge
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第100回||[[1946年]]月日||Lovely Cottage||騸9||||B.Petre||T.Rayson||J.Morant
+
|style="text-align:center; white-space:nowrap"|第100回||[[1946年]]4月5日||Lovely Cottage||騸9||||B.Petre||T.Rayson||J.Morant
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第101回||[[1947年]]3月29日||Caughoo||騸8||||E.Dempsey||H.McDowell||J.McDowell
 
|style="text-align:center"|第101回||[[1947年]]3月29日||Caughoo||騸8||||E.Dempsey||H.McDowell||J.McDowell
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第102回||[[1948年]]3月20日||Sheila's Cottage||牝9||||A.P.Thompson||N.Crump||J.Procter
+
|style="text-align:center"|第102回||[[1948年]]3月20日||Sheila's Cottage||牝9||||style="white-space:nowrap"|A.Thompson||N.Crump||J.Procter
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第103回||[[1949年]]月日||Russian Hero||騸9||||L.McMorrow||G.Owen||F.Williamson
+
|style="text-align:center"|第103回||[[1949年]]3月26日||Russian Hero||騸9||||L.McMorrow||G.Owen||F.Williamson
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第104回||[[1950年]]月日||Freebooter||騸9||||J.Power||B.Renton||L.Brotherton
+
|style="text-align:center"|第104回||[[1950年]]3月25日||Freebooter||騸9||||J.Power||B.Renton||L.Brotherton
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第105回||[[1951年]][[4月7日]]||Nickel Coin||牝9||||J.A.Bullock||J.O'Donoghue||J.Royle
+
|style="text-align:center"|第105回||[[1951年]][[4月7日]]||Nickel Coin||牝9||||J.Bullock||J.O'Donoghue||J.Royle
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第106回||[[1952年]][[4月5日]]||Teal||騸10||||A.P.Thompson||N.Crump||H.Lane
+
|style="text-align:center"|第106回||[[1952年]][[4月5日]]||Teal||騸10||||A.Thompson||N.Crump||H.Lane
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第107回||[[1953年]]3月28日||Early Mist||騸8||||B.Marshall||[[ヴィンセント・オブライエン|M.V.O'Brien]]||J.Griffin
 
|style="text-align:center"|第107回||[[1953年]]3月28日||Early Mist||騸8||||B.Marshall||[[ヴィンセント・オブライエン|M.V.O'Brien]]||J.Griffin
289行目: 279行目:
 
|style="text-align:center"|第109回||[[1955年]]3月26日||Quare Times||騸9||||P.Taaffe||M.V.O'Brien||W.Welman
 
|style="text-align:center"|第109回||[[1955年]]3月26日||Quare Times||騸9||||P.Taaffe||M.V.O'Brien||W.Welman
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第110回||[[1956年]]3月24日||E.S.B.||牡10||9:21 2/5||D.V.Dick||F.Rimell||L.Carver
+
|style="text-align:center"|第110回||[[1956年]]3月24日||E.S.B.||牡10||9:21 2/5||D.Dick||F.Rimell||L.Carver
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第111回||[[1957年]]3月29日||Sundew||騸11||||F.T.Winter||F.Hudson||G.Kohn
+
|style="text-align:center"|第111回||[[1957年]]3月29日||Sundew||騸11||||F.Winter||F.Hudson||G.Kohn
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第112回||[[1958年]]3月29日||Mr What||騸8||||A.Freeman||T.Taaffe||D.J.Coughlan
+
|style="text-align:center"|第112回||[[1958年]]3月29日||Mr What||騸8||||A.Freeman||T.Taaffe||D.Coughlan
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第113回||[[1959年]]3月21日||Oxo||騸8||||M.Scudamore||W.Stephenson||J.Bigg
 
|style="text-align:center"|第113回||[[1959年]]3月21日||Oxo||騸8||||M.Scudamore||W.Stephenson||J.Bigg
299行目: 289行目:
 
|style="text-align:center"|第114回||[[1960年]]月日||Merriman||牡9||9:27 0/5||G.Scott||N.Crump||W.Wallace
 
|style="text-align:center"|第114回||[[1960年]]月日||Merriman||牡9||9:27 0/5||G.Scott||N.Crump||W.Wallace
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第115回||[[1961年]]3月25日||Nicolaus Silver||騸9||9:22 0/5||H.R.Beasley||F.Rimell||C.Vaughan
+
|style="text-align:center"|第115回||[[1961年]]3月25日||Nicolaus Silver||騸9||9:22 0/5||H.Beasley||F.Rimell||C.Vaughan
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第116回||[[1962年]]月日||Kilmore||騸12||9:50 0/5||F.T.Winter||R.Price||N.Cohen
+
|style="text-align:center"|第116回||[[1962年]]月日||Kilmore||騸12||9:50 0/5||F.Winter||R.Price||N.Cohen
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第117回||[[1963年]]月日||Ayala||騸9||9:35 0/5||P.Buckley||K.Piggott||P.Raymond
 
|style="text-align:center"|第117回||[[1963年]]月日||Ayala||騸9||9:35 0/5||P.Buckley||K.Piggott||P.Raymond
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第118回||[[1964年]]3月21日||Team Spirit||騸12||9:46 0/5||G.W.Robinson||F.Walwyn||J.Goodman
+
|style="text-align:center"|第118回||[[1964年]]3月21日||Team Spirit||騸12||9:46 0/5||G.Robinson||F.Walwyn||J.Goodman
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第119回||[[1965年]]月日||Jay Trump||騸8||9:31 4/5||T.C.Smith||F.Winter||M.Stephenson
+
|style="text-align:center"|第119回||[[1965年]]月日||Jay Trump||騸8||9:31 4/5||T.Smith||F.Winter||M.Stephenson
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第120回||[[1966年]]3月26日||Anglo||騸8||9:53 0/5||T.Norman||F.Winter||S.Levy
 
|style="text-align:center"|第120回||[[1966年]]3月26日||Anglo||騸8||9:53 0/5||T.Norman||F.Winter||S.Levy
315行目: 305行目:
 
|style="text-align:center"|第122回||[[1968年]]3月30日||Red Alligator||騸9||9:29 0/5||B.Fletcher||D.Smith||J.Manners
 
|style="text-align:center"|第122回||[[1968年]]3月30日||Red Alligator||騸9||9:29 0/5||B.Fletcher||D.Smith||J.Manners
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第123回||[[1969年]]3月29日||Highland Wedding||騸12||9:29 4/5||E.P.Harty||T.Balding||T.McKoy Jr.
+
|style="text-align:center"|第123回||[[1969年]]3月29日||Highland Wedding||騸12||9:29 4/5||E.Harty||T.Balding||T.McKoy Jr.
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第124回||[[1970年]]4月4日||Gay Trip||騸8||9:38 0/5||P.Taaffe||F.Rimell||A.J.Chambers
+
|style="text-align:center"|第124回||[[1970年]]4月4日||Gay Trip||騸8||9:38 0/5||P.Taaffe||F.Rimell||A.Chambers
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第125回||[[1971年]][[4月3日]]||Specify||騸9||9:34 1/5||J.Cook||J.Sutcliffe||F.Pontin
 
|style="text-align:center"|第125回||[[1971年]][[4月3日]]||Specify||騸9||9:34 1/5||J.Cook||J.Sutcliffe||F.Pontin
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第126回||[[1972年]]4月8日||Well To Do||騸9||10:08 2/5||G.Thorner||T.Forster||T.Forster
+
|style="text-align:center"|第126回||[[1972年]]4月8日||Well To Do||騸9||style="white-space:nowrap"|10:08 2/5||G.Thorner||T.Forster||T.Forster
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第127回||[[1973年]][[3月31日]]||[[レッドラム|Red Rum]]||騸8||9:01.9||B.Fletcher||G.McCain||Noel Le Mare
 
|style="text-align:center"|第127回||[[1973年]][[3月31日]]||[[レッドラム|Red Rum]]||騸8||9:01.9||B.Fletcher||G.McCain||Noel Le Mare
327行目: 317行目:
 
|style="text-align:center"|第128回||[[1974年]]3月30日||Red Rum||騸9||9:20.2||B.Fletcher||G.McCain||Noel Le Mare
 
|style="text-align:center"|第128回||[[1974年]]3月30日||Red Rum||騸9||9:20.2||B.Fletcher||G.McCain||Noel Le Mare
 
|-
 
|-
|style="text-align:center"|第129回||[[1975年]]月日||L'Escargot||騸12||9:31.0||T.Carberry||D.Moore||R.Guest
+
|style="text-align:center"|第129回||[[1975年]]4月5日||L'Escargot||騸12||9:31.0||T.Carberry||D.Moore||R.Guest
 
|-
 
|-
 
|style="text-align:center"|第130回||[[1976年]]4月3日||Rag Trade||騸10||||J.Burke||F.Rimell||P.Raymond
 
|style="text-align:center"|第130回||[[1976年]]4月3日||Rag Trade||騸10||||J.Burke||F.Rimell||P.Raymond
 
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|style="text-align:center"|第131回||[[1977年]][[4月2日]]||Red Rum||騸12|| ||T.Stack||G.McCain||Noel Le Mare
+
|style="text-align:center"|第131回||[[1977年]][[4月2日]]||Red Rum||騸12||||T.Stack||G.McCain||Noel Le Mare
 
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|style="text-align:center"|第132回||[[1978年]][[4月1日]]||Lucius||騸9||9:33.9||B.R.Davies||[[ゴードン・リチャーズ|G.Richards]]||F.Whitaker
+
|style="text-align:center"|第132回||[[1978年]][[4月1日]]||Lucius||騸9||9:33.9||B.Davies||[[ゴードン・リチャーズ|G.Richards]]||F.Whitaker
 
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|style="text-align:center"|第133回||[[1979年]]3月31日||Rubstic||騸10||9:52.9||M.A.Barnes||J.Leadbetter||J.Douglas
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|style="text-align:center"|第135回||[[1981年]]月日||Aldaniti||騸11||9.47.2||R.Champion||J.Gifford||N.Embiricos
 
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|style="text-align:center"|第138回||[[1984年]]3月31日||Hallo Dandy||騸10||9:21.4||N.Doughty||G.Richards||R.Shaw
 
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|style="text-align:center"|第139回||[[1985年]]3月30日||Last Suspect||騸11||9:42.7||H.Davies||T.Forster||A.D of Westminster
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|style="text-align:center"|第140回||[[1986年]]4月5日||West Tip||騸9||9:33.0||R.Dunwoody||M.Oliver||P.Luff
 
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|style="text-align:center"|第141回||[[1987年]]月日||Maori Venture||騸11||9:19.3||S.C.Knight||A.Turnell||J.Joel
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|style="text-align:center"|第142回||[[1988年]][[4月9日]]||Rhyme'n'Reason||騸9||9:53.5||B.Powell||D.Elsworth||J.Reed
 
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|style="text-align:center"|第147回||[[1994年]]4月9日||[[ミネホーマ|Miinnehoma]]||騸11||10:18.8||R.Dunwoody||M.Pipe||F.Star
 
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|style="text-align:center"|第148回||[[1995年]]4月8日||Royal Athlete||騸12||9:04.1||J.F.Titley||J.Pitman||Gary & Libby Johnson
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|style="text-align:center"|第150回||[[1997年]]4月7日||Lord Gyllene||騸9||9:05.9||A.Dobbin||S.Brookshaw||S.Clarke
 
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|style="text-align:center"|第152回||[[1999年]][[4月10日]]||[[ボビージョー|Bobbyjo]]||騸9||9:14.1||T.Carberry||T.Carberry||B.Burke
 
|style="text-align:center"|第152回||[[1999年]][[4月10日]]||[[ボビージョー|Bobbyjo]]||騸9||9:14.1||T.Carberry||T.Carberry||B.Burke
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|style="text-align:center"|第158回||[[2005年]]4月9日||[[ヘッジハンター|Hedgehunter]]||騸9||9:20.8||R.Walsh||W.Mullins||T.Hemmings
 
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|style="text-align:center"|第159回||[[2006年]]4月8日||[[ナンバーシックスヴァルヴァーディ|Numbersixvalverde]]||騸10||9:41.0||N.P.Madden||M.Brassil||O B P Carroll
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|style="text-align:center"|第160回||[[2007年]][[4月14日]]||[[シルバーバーチ (競走馬)|Silver Birch]]||騸10||9:13.6||R.M.Powerl||G.Elliott||B.Walsh
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|style="text-align:center"|第161回||[[2008年]]4月5日||[[コンプライオアダイ|Comply or Die]]||騸9||9:16.6||T.Murphy||D.Pipe||D.A.Johnson
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|style="text-align:center"|第162回||[[2009年]]4月4日||[[モンモーム|Mon Mome]]||騸9||9:32.9||L.Treadwell||V.Williams||V.Bingham
 
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|style="text-align:center"|第163回||[[2010年]]4月10日||Don't Push It||騸10||9:04.5||[[トニー・マッコイ|A.P.McCoy]]||J.O'Neill||J.P.McManus
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|style="text-align:center"|第164回||[[2011年]][[4月11日]]||Ballabriggs||騸10||9:01.2||J.Maguire||D.McCain||T.Hemmings
 
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|style="text-align:center"|第165回||[[2012年]]4月14日||Neptune Collonges||騸11||9:05.1||D.Jacob||P.Nicholls||J.Hales
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|style="text-align:center"|第166回||[[2013年]]4月6日||Auroras Encore||騸11||9:12.0||R.Mania||S.Smith||D.Pryde, J.Beaumont, D.van Der Hoeven
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|style="text-align:center"|第167回||[[2014年]]4月5日||Pineau de Re||騸11||9:09.9||L.Aspell||R.Newland||J.Proven
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|style="text-align:center"|第168回||[[2015年]]4月11日||Many Clouds||騸8||8:56.8||L.Aspell||O.Sherwood||T.Hemmings
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|style="text-align:center"|第169回||[[2016年]]4月9日||Rule The World||騸9||9:29.0||D.Mullins||M.Morris||Gigginstown House Stud
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|style="text-align:center"|第170回||[[2017年]]4月8日||One For Arthur||騸8||9:03.5||D.Fox||L.Russell||Two Golf Widows
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|style="text-align:center"|第171回||[[2018年]]4月14日||Tiger Roll||騸8||9:40.1||D.Russell||G.Elliott||Gigginstown House Stud
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|style="text-align:center"|第172回||[[2019年]]4月6日||Tiger Roll||騸9||9:01.0||D.Russell||G.Elliott||Gigginstown House Stud
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|style="text-align:center"|第173回||[[2021年]]4月10日||Minella Times||騸8||9:15.42||[[レイチェル・ブラックモア|R.Blackmore]]||H.De Bromhead||J.McManus
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|style="text-align:center"|第174回||[[2022年]]4月9日||Noble Yeats||騸7||9:03.06||S.Waley-Cohen||E.Mullins||R.Waley-Cohen
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|style="text-align:center"|第175回||[[2023年]]4月9日||Corach Rambler||騸9||9:10.62||D.Fox||L.Russell||The Ramblers
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|style="text-align:center"|第176回||[[2024年]][[4月13日]]||I Am Maximus||騸8||9:27.68||P.Townend||W.Mullins||J.McManus
 
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{| class="wikitable"
 
{| class="wikitable"
!施行日!!優勝馬!!性齢!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
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!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
 
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|[[1916年]]月日||Vermouth||騸6||||J.Reardon||||P.F.Heybourn
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|[[1916年]]月日||Vermouth||騸6||||J.Reardon||J.Bell||P.Heybourn
 
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|[[1917年]]月日||Ballymacad||騸10||||E.Driscoll||A.Hastings||Sir G.Bullough
 
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|[[1918年]]月日||Poethlyn||騸8||||E.Piggott||||Mrs H.Peel
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|[[1918年]]月日||Poethlyn||騸8||||E.Piggott||H.Escott||Mrs. H.Peel
 
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1916~1918年は[[第一次世界大戦]]の影響で施行場所をガトウィック競馬場に移していたが、回数にはカウントされていない。
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1916〜1918年は[[第一次世界大戦]]の影響で施行場所をガトウィック競馬場に移していたが、回数にはカウントされていない。
*競走名:1836年~第4回 「The Grand Liverpool Steeplechase」、第5~8回 「The Liverpool and National Steeplechase」
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*レース名:1836年〜第4回 「The Grand Liverpool Steeplechase」、第5〜8回 「The Liverpool and National Steeplechase」
  
 
== 日本調教馬の参戦 ==
 
== 日本調教馬の参戦 ==
過去に1頭だけこの競走に参戦した競走馬がいる。日本の中山大障害を4勝もした[[フジノオー]]である([[1966年]])。
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過去に1頭だけこのレースに参戦した競走馬がいる。日本の中山大障害を4勝もした[[フジノオー]]である([[1966年]])。
  
日本の障害チャンピオンホースとして参戦したフジノオーには、当時の規定により最重ハンデの76.2kgのハンデキャップが与えられた。これは、チャンピオンホースにはハンデを軽くすることは失礼に値するという紳士的な考え方に基づくものである。なおフジノオーは15番目の障害で馬が飛越を拒否、競走中止となっている。
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日本の障害チャンピオンホースとして参戦したフジノオーには、当時の規定により最重ハンデの76.2kgのハンデキャップが与えられた。これは、チャンピオンホースにはハンデを軽くすることは失礼に値するという紳士的な考え方に基づくものである。なおフジノオーは15番目の障害で馬が飛越を拒否、レース中止となっている。
  
また日本人騎手として[[1995年]]には[[田中剛]]が[[アイルランド]]のザコミッティに騎乗、こちらも残念ながら競走中止に終わった。
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また日本人騎手として[[1995年]]には[[田中剛]]が[[アイルランド]]のザコミッティに騎乗、こちらも残念ながらレース中止に終わった。
  
 
== 各国の「グランドナショナル」 ==
 
== 各国の「グランドナショナル」 ==
このグランドナショナルに倣って、各国でグランドナショナルの名称のつく、あるいはそれに準じる競走が行われている。以下がその例である。
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このグランドナショナルに倣って、各国でグランドナショナルの名称のつく、あるいはそれに準じるレースが行われている。以下がその例である。
 
* [[ウェールズ]] - [[ウェルシュナショナル]]
 
* [[ウェールズ]] - [[ウェルシュナショナル]]
 
* [[スコットランド]] - [[スコティッシュグランドナショナル]]
 
* [[スコットランド]] - [[スコティッシュグランドナショナル]]
 
* [[アイルランド]] - [[アイリッシュグランドナショナル]]
 
* [[アイルランド]] - [[アイリッシュグランドナショナル]]
* [[フランス]] - [[パリ大障害]] 創設時の名称はグランドナショナル・ド・フランス
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* [[フランス]] - [[パリ大障害]](創設時の名称はグランドナショナル・ド・フランス)
 
* [[チェコ]] - [[ヴェルカパルドゥビツカ]]
 
* [[チェコ]] - [[ヴェルカパルドゥビツカ]]
* [[アメリカ]] - [[ブリーダーズカップ・グランドナショナルスティープルチェイス]]
+
* [[アメリカ]] - [[グランドナショナルハードル (アメリカ)|グランドナショナルハードル]]
 
* [[オーストラリア]] - グランドナショナルハードル、グランドナショナルスティープルチェイス
 
* [[オーストラリア]] - グランドナショナルハードル、グランドナショナルスティープルチェイス
 
* [[ニュージーランド]] - グランドナショナルハードル、グランドナショナルスティープルチェイス
 
* [[ニュージーランド]] - グランドナショナルハードル、グランドナショナルスティープルチェイス
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.aintree.co.uk/ Aintree Racecourse] - エイントリー競馬場
 
* [http://www.aintree.co.uk/ Aintree Racecourse] - エイントリー競馬場
* [http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/other_sports/horse_racing/grand_national_2005/ BBC SPORT] - 英国の放送局[[英国放送協会|BBC]]による2005年のグランドナショナル紹介ページ
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* [http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/other_sports/horse_racing/grand_national_2005/ BBC SPORT] - イギリスの放送局[[英国放送協会|BBC]]による2005年のグランドナショナル紹介ページ
  
 
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2024年4月14日 (日) 22:34時点における最新版

グランドナショナルGrand National)とは毎年4月にイギリスエイントリー競馬場で4マイルと4ハロン(約7242メートル)の距離に30の障害があるコースで行われる障害レースであり、イギリスでは最も人気のある馬券の売れる競馬レースである。このレースはグランドナショナルミーティングのメインレースとしてハンデキャップで行われ、グレード3である(イギリスの障害重賞はgroupでなくgradeで表記される)。

ほぼ毎年出走可能頭数の限界の40頭の出走馬を集めるが、年によっては完走頭数は10頭を切ることも珍しくない。英愛の障害レースでは共通のことだがスタートはゲートではなく、スターティングバリヤーを用いる昔ながらのバリヤー式スタートで行われる。

このレースに範を取った「グランドナショナル」という名のレースは世界各地で行われている。日本では伝統の障害重賞である中山大障害がこのレースに範を取ったものである。

2005年からはビール会社のジョン・スミスズ(John Smith's)がスポンサーとなっている。

コース[編集]

このレースではエイントリー競馬場のナショナルコースという特別なコースを2周する。このコースは毎年11月に行われるビーチャーチェイスにも使用され、グランドナショナルを目指す馬にとって貴重な試走の場となっている。

コースはほぼ平坦であり16の障害が設けられ、ザチェアーと呼ばれる障害と水濠障害を除いて2度飛越することになる。6番目(22番目)及び7番目(23番目)、8番目(24番目)、9番目(25番目)、15番目の障害にはそれぞれ固有の名称が付いており、順にビーチャーズブルック(Becher's Brook)、フォイネイボン(Foinavon)、キャナルターン(Canal Turn)、バレンタインズブルック(Valentine's Brook)、そしてザチェアー(The Chair)である。

最難関とされるのはビーチャーズブルックである。障害は踏み切り地点では高さ4フィート10インチ(約147cm)だが着地地点では6フィート9インチ(約206cm)と着地側が低くなっているため、バランスを取ることが難しく毎年複数の馬が落馬する。またザチェアーは踏み切り地点に6フート(約183cm)の乾壕及び全障害中最大の5フィート2インチ(約157cm)の高さをもつ。そしてキャナルターンとフォイネイボンについては、前者は着地後に直角に曲がるコーナーがあり後者もカーブの途中に設置されているため馬が内側に密集しやすく年によっては多重落馬が発生している。

グランドナショナルの障害は初期にあたる1844年に石壁障害が水濠障害に替わるなどの変更点があったがその後は20世紀中盤まで大きな変更はなかった。しかし1961年に危険すぎるとの批判を受け、障害に傾斜そして踏み切り板設けるなどの安全対策が行われた。その後も何度か障害の形状に変更が加えられ、1990年にはビーチャーズブルックの着地側のスロープ及び水濠が埋め立てられた。このため、ビーチャーズブルックをはじめ多くの障害がその難易度を大幅に低下させている。

歴史[編集]

グランドナショナルは1839年から回数カウントを始めているがそれより3年前の1836年から同等のレースが始まっており、グランドナショナルの歴史は1836年からとすることが多い。この1936年から1938年までの3レースは以前はエイントリー競馬場以外で行われたと考えられていたが、現在はこれらもエイントリー競馬場で行われたことが判明している。

1839年はコンラッドに騎乗したビーチャー大佐(Captain Becher)が1周目の小川で転落。その小川が「ビーチャーズブルック」と命名された。

1844年にハンデキャップレースに改められる。

1929年はグランドナショナル史上最多の66頭が出走した(完走は10頭)。

1938年にバトルシップに騎乗したブルース・ホッブズは史上最年少の17歳で優勝した。

1956年は競馬の歴史上でも最も不可解なレースの一つとして名高い。ディック・フランシス騎手が乗るクイーンマザー(エリザベス王太后)所有のデヴォンロックは最終障害を大差でクリアーして楽勝するかと思われたが、残り50メートルに満たない地点で突然四肢を投げ出して座り込んでしまった。特に故障などは何もなく、騎手が下馬すると何事もなかったように立ち上がったという。障害がないのに馬が障害があると勘違いした、馬が疲労困憊のあまり障害の幻影を見てしまった、軽い心臓麻痺を起こしたなど諸説あるが実際のところは定かではない。フランシス本人は大きな歓声に驚いてそのようになったと語っている。

1964年はエイントリー競馬場の所有者のトッパム夫人が競馬場を売りに出すと宣言し、以来1973年にビル・デイビスが300万ポンドで購入するまで毎年が「最後のナショナル」と言われた。デイビスの所有時も経営はいま一つ安定せず1983年にジョッキークラブが340万ポンドで購入、これによりイギリスの競馬が続く限りグランドナショナルは存続することになった。

1967年は馬群の先頭を走っていたカラ馬が23番目のフェンス直前で急にストップするというアクシデントで後続の20頭以上の馬が落馬、又は立往生してしまったなか先頭から50馬身近く離された位置にいたフォイネイボンがスムーズに追い越し、逆に後続に50馬身差の独走態勢となる。結局そのまま後続を振り切って1着でゴールイン、100倍の配当となった。なお、この23番目(1周目は7番目)のフェンスにはこの年の勝ち馬の名前である「フォイネイボン」の名がつけられている。

1981年はレースの1年半前にガンで余命8か月の宣告を受けていたボブ・チャンピオンが治療を受けガンを克服し、オルダニーティでグランドナショナルを制覇した。なおオルダニーティ自身も1年前の障害レースで骨折し、1度は安楽死処分にされそうになった状況からの復活であった(このエピソードは後年「チャンピオンズ(Champions)」というタイトルで映画化されている)。

1993年はスターティングバリヤーの白いテープがうまく跳ね上がらず発走やり直し、2度目も馬や騎手がテープに絡まりスターターはフォルススタートを宣言したが合図の赤旗が誰にも目撃されることなく39頭中30頭がスタート。2周目のスタンド前で再び赤旗が振られたが反対派の抗議と解釈した多くの騎手はレースを続行し7頭が完走。J・ホワイト騎乗のエシャーネスが1位入線したがレース不成立により幻の優勝となった。これにより1993年のグランドナショナルは中止となり、翌1994年からはスターティングバリヤーが手動式から電動式に変わるなど多くの改善がなされた。

1997年はグランドナショナルの始まる1時間前にIRA暫定派を名乗る人物から競馬場に爆弾を仕掛けたと電話で通報があり、観客を競馬場から全員避難させレースは中止となった。その2日後に改めてレースが行われた。女性調教師ジェニー・ピットマンはこの事件に対し涙で抗議した。

1998年は1周目の名物障害の1つであるビーチャーズブルックの前の障害で計3頭が死亡し、動物愛護団体が抗議行動を行った。

2005年は152頭が出走登録し、2024年11月現在最多である。

グランドナショナルで最多勝利の競走馬は1973年1974年1977年にこのレースを制したレッドラム号の3勝(1975年および1976年は2着)であり連覇した馬も同馬のみである。騎手の最多勝利数は1800年代のジョージ・スティーヴンス騎手の5勝。調教師の最多勝利数はフレッド・リメル師とジンジャー・マッケイン師の4勝。

2020年新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。

歴代優勝馬[編集]

施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
1836年2月29日 The Duke 騸7 20:10 M.Becher W.Sirdefield
1837年3月4日 The Duke 騸8 14:00 H.Potts T.Chawner
1838年3月5日 Sir William 牡7 A.McDonough A.McDonough

これより回数をカウント。

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1839年2月26日 Lottery 騸9 14:53 J.Mason G.Dockeray J.Elmore
第2回 1840年3月5日 Jerry 騸10 12:30 B.Bretherton G.Dockeray H.Villebois
第3回 1841年3月3日 Charity 騸11 13:25 A.Powell W.Vevers Lord Craven
第4回 1842年3月2日 Gay Lad 騸8 13:30 T.Olliver G.Dockeray J.Elmore
第5回 1843年3月1日 Vanguard 騸8 T.Olliver Lord Chesterfield
第6回 1844年2月28日 Discount 牡6 13:58 H.Crickmere Quartermaine
第7回 1845年3月5日 Cure All 騸7 10:47 W.Loft W.Loft W.Crawford
第8回 1846年3月4日 Pioneer 騸6 W.Taylor Adams
第9回 1847年3月3日 Matthew 騸9 D.Wynne J.Murphy J.Courtenay
第10回 1848年3月1日 Chandler 騸12 J.Little T.Eskrett J.Little
第11回 1849年2月28日 Peter Simple 騸11 10:56 T.Cunningham T.Cunningham T.Mason Jr.
第12回 1850年2月27日 Abd-el-Kader 騸8 10:20 C.Green J.Osborne Wilson
第13回 1851年2月26日 Abd-el-Kader 騸9 9:59 T.Abbot J.Osborne J.Osborne
第14回 1852年3月3日 Miss Mowbray 牝8 9:58.5 A.Goodman G.Dockeray T.Mason
第15回 1853年3月2日 Peter Simple 騸15 10:15 T.Oliver T.Oliver J.Little
第16回 1854年3月1日 Bourton 騸11 9:59 J.Tasker H.Wadlow W.Moseley
第17回 1855年3月7日 Wanderer 牡10 10:25 J.Hanlon Dennis
第18回 1856年3月7日 Freetrader 牡7 10:00 G.Stevens W.Holman W.Barnett
第19回 1857年3月4日 Emigrant 騸11 C.Boyce C.Boyce G.Hodgman
第20回 1858年3月6日 Little Charley 騸12 W.Archer W.Holman C.Capel
第21回 1859年3月8日 Half Caste 牡6 C.Green C.Green Willoughby
第22回 1860年3月7日 Anatis 牝10 T.Pickernell W.Holman C.Capel
第23回 1861年3月13日 Jealousy 牝7 J.Kendall C.Balchin J.Bennett
第24回 1862年3月12日 Huntsman 牡9 H.Lamplugh H.Lamplugh Viscount de Namur
第25回 1863年3月11日 Emblem 牝7 G.Stevens E.Weever Lord Coventry
第26回 1864年3月9日 Emblematic 牝6 G.Stevens E.Weever Lord Coventry
第27回 1865年3月8日 Alcibiade 騸5 H.Coventry C.Cornell B."Cherry" Angell
第28回 1866年3月7日 Salamander 騸7 A.Goodman J.Walters E.Studd
第29回 1867年3月6日 Cortolvin 騸8 J.Page H.Lamplugh Duke of Hamilton
第30回 1868年3月4日 The Lamb 牡6 G.Edwards B.Land Lord Poulett
第31回 1869年3月3日 The Colonel 牡6 G.Stevens R.Roberts J.Weyman
第32回 1870年3月9日 The Colonel 牡7 G.Stevens R.Roberts M.Evans
第33回 1871年3月21日 The Lamb 牡9 9:35 T.Pickernell C.Green Lord Poulett
第34回 1872年月日 Casse Tete 牝7 J.Page A.Cowley E.Brayley
第35回 1873年3月27日 Disturbance 牡6 J.Richardson J.Richardson J.Machell
第36回 1874年3月26日 Reugny 牡6 J.Richardson J.Richardson J.Machell
第37回 1875年3月18日 Pathfinder 騸8 T.Pickernell W.Reeves H.Bird
第38回 1876年3月24日 Regal 騸5 J.Cannon J.Jewitt J.Machell
第39回 1877年3月23日 Austerlitz 牡5 F.Hobson R.l'Anson F.Hobson
第40回 1878年3月29日 Shifnal 牡9 J.Jones J.Nightongall J.Nightongall
第41回 1879年3月28日 The Liberator 騸10 G.Moore J.Moore G.Moore
第42回 1880年3月19日 Empress 牝5 T.Beasley H.Linde P.Ducrot
第43回 1881年3月25日 Woodbrook 騸7 T.Beasley H.Linde T.Kirkwood
第44回 1882年3月24日 Seaman 騸6 Lord Manners J.Machell Lord Manners
第45回 1883年3月30日 Zoedone 牝6 C.Kinsky W.Jenkins C.Kinsky
第46回 1884年3月28日 Voluptuary 騸6 E.Wilson W.Wilson H.Boyd
第47回 1885年3月26日 Roquefort 騸6 E.Wilson A.Yates A.Cooper
第48回 1886年3月26日 Old Joe 騸7 T.Skelton G.Mulcaster A.Douglas
第49回 1887年3月25日 Gamecock 騸8 W.Daniels J.Gordon E.Jay
第50回 1888年3月23日 Playfair 騸7 G.Mawson T.Cannon E."Ned" Baird
第51回 1889年3月29日 Frigate 牝11 T.Beasley M.Maher M.Maher
第52回 1890年3月28日 Ilex 騸6 A.Nightingall J.Nightingall G.Masterman
第53回 1891年3月20日 Come Away 騸7 H.Beasley H.Beasley W.Jameson
第54回 1892年3月25日 Father O'Flynn 騸7 E.Owen G.Wilson G.Wilson
第55回 1893年3月24日 Cloister 騸9 B.Dollery A.Yates C.Duff
第56回 1894年3月30日 Why Not 騸13 A.Nightingall W.Moore C.Fenwick
第57回 1895年3月29日 Wild Man From Borneo 騸7 J.Widger J.Gatland John Widger
第58回 1896年3月27日 The Soarer 騸7 T.Kavanagh W.McAuliffe W.Hall-Walker
第59回 1897年3月26日 Manifesto 騸9 T.Kavanagh W.McAuliffe H.Dyas
第60回 1898年3月25日 Drogheda 騸6 J.Gourley R.Dawson C.Adams
第61回 1899年3月24日 Manifesto 騸11 G.Williamson W.Moore J.Bulteel
第62回 1900年3月30日 Ambush II 騸6 A.Anthony A.Anthony H R H Prince of Wales
第63回 1901年3月29日 Grudon 牡11 A.Nightingall B.Bletsoe B.Bletsoe
第64回 1902年3月21日 Shannon Lass 牝7 D.Read J.Hackett A.Gorham
第65回 1903年3月27日 Drumcree 騸9 P.Woodland C.Nugent J.Morrison
第66回 1904年3月25日 Moifaa 騸8 A.Birch W.Hickey S.Gollan
第67回 1905年月日 Kirkland 騸9 F.Mason E.Thomas F.Bibby
第68回 1906年月日 Ascetic's Silver 牡9 A.Hastings A.Hastings Prince F.Hatzfeldt
第69回 1907年3月22日 Eremon 騸7 A.Newey T.Coulthwaite S.Howard
第70回 1908年3月27日 Rubio 騸10 H.Bletsoe F.Withington F.Douglas-Pennant
第71回 1909年3月26日 Lutteur III 騸5 G.Parfrement H.Escott J.Hennessy
第72回 1910年3月18日 Jenkinstown 騸9 R.Chadwick T.Coulthwaite S.Howard
第73回 1911年3月24日 Glenside 騸9 J.Anthony R.Collis F.Bibby
第74回 1912年3月29日 Jerry M 騸9 E.Piggott R.Gore C.Assheton-Smith
第75回 1913年4月4日 Covertcoat 騸7 P.Woodland R.Gore C.Assheton-Smith
第76回 1914年3月27日 Sunloch 騸8 B.Smith T.Tyler T.Tyler
第77回 1915年3月26日 Ally Sloper 騸6 J.Anthony A.Hastings M.Nelson
第78回 1919年3月28日 Poethlyn 騸9 E.Piggott H.Escott H.Peel
第79回 1920年3月26日 Shaun Spadah 騸7 J.Anthony A.Anthony T.Gerrard
第80回 1921年月日 Althorp 騸10 F.Rees G.Poole M.McAlpine
第81回 1922年3月24日 Music Hall 騸9 L.Rees O.Anthony H.Kershaw
第82回 1923年3月23日 Sergeant Murphy 騸13 G.Bennet G.Blackwell S.Sanford
第83回 1924年3月28日 Master Robert 騸11 R.Trudgill A.Hastings Earl of Airlie
第84回 1925年3月27日 Double Chance 騸9 J.Wilson F.Archer D.Goold
F.Archer
第85回 1926年3月26日 Jackhorner 騸9 W.Watkinson H.Leader A.Schwartz
第86回 1927年3月25日 Sprig 騸10 Ted E.Leader Tom Leader M.Partridge
第87回 1928年3月20日 Tipperary Tim 騸10 W.Dutton J.Dodd H.Kenyon
第88回 1929年3月22日 Gregalach 騸7 R.Everett T.Leader M.Gemmell
第89回 1930年3月28日 Shaun Gollin 騸10 T.Cullinan F.Hartigan W.Midwood
第90回 1931年3月27日 Grakle 騸9 R.Lyall T.Coulthwaite C.Taylor
第91回 1932年3月18日 Forbra 騸7 T.Hamey T.Rimell W.Parsonage
第92回 1933年3月24日 Kellsboro' Jack 騸7 D.Williams I.Anthony F.A.Clark
第93回 1934年月日 Golden Miller 騸7 9:20 2/5 G.Wilson B.Briscoe D.Paget
第94回 1935年3月29日 Reynolds Town 騸8 F.Furlong N.Furlong N.Furlong
第95回 1936年3月27日 Reynolds Town 騸9 F.Walwyn N.Furlong N.Furlong
第96回 1937年3月19日 Royal Mail 騸8 E.Williams I.Anthony H.Thomas
第97回 1938年3月25日 Battleship 牡9 B.Hobbs R.Hobbs M.Scott
第98回 1939年3月24日 Workman 騸9 T.Hyde J.Ruttle A.Maguire
第99回 1940年4月5日 Bogskar 騸7 9:21 0/5 M.Jones Lord Stalbridge Lord Stalbridge
第100回 1946年4月5日 Lovely Cottage 騸9 B.Petre T.Rayson J.Morant
第101回 1947年3月29日 Caughoo 騸8 E.Dempsey H.McDowell J.McDowell
第102回 1948年3月20日 Sheila's Cottage 牝9 A.Thompson N.Crump J.Procter
第103回 1949年3月26日 Russian Hero 騸9 L.McMorrow G.Owen F.Williamson
第104回 1950年3月25日 Freebooter 騸9 J.Power B.Renton L.Brotherton
第105回 1951年4月7日 Nickel Coin 牝9 J.Bullock J.O'Donoghue J.Royle
第106回 1952年4月5日 Teal 騸10 A.Thompson N.Crump H.Lane
第107回 1953年3月28日 Early Mist 騸8 B.Marshall M.V.O'Brien J.Griffin
第108回 1954年3月27日 Royal Tan 騸10 B.Marshall M.V.O'Brien J.Griffin
第109回 1955年3月26日 Quare Times 騸9 P.Taaffe M.V.O'Brien W.Welman
第110回 1956年3月24日 E.S.B. 牡10 9:21 2/5 D.Dick F.Rimell L.Carver
第111回 1957年3月29日 Sundew 騸11 F.Winter F.Hudson G.Kohn
第112回 1958年3月29日 Mr What 騸8 A.Freeman T.Taaffe D.Coughlan
第113回 1959年3月21日 Oxo 騸8 M.Scudamore W.Stephenson J.Bigg
第114回 1960年月日 Merriman 牡9 9:27 0/5 G.Scott N.Crump W.Wallace
第115回 1961年3月25日 Nicolaus Silver 騸9 9:22 0/5 H.Beasley F.Rimell C.Vaughan
第116回 1962年月日 Kilmore 騸12 9:50 0/5 F.Winter R.Price N.Cohen
第117回 1963年月日 Ayala 騸9 9:35 0/5 P.Buckley K.Piggott P.Raymond
第118回 1964年3月21日 Team Spirit 騸12 9:46 0/5 G.Robinson F.Walwyn J.Goodman
第119回 1965年月日 Jay Trump 騸8 9:31 4/5 T.Smith F.Winter M.Stephenson
第120回 1966年3月26日 Anglo 騸8 9:53 0/5 T.Norman F.Winter S.Levy
第121回 1967年4月8日 Foinavon 騸9 9:49 2/5 J.Buckingham J.Kempton C.Watkins
第122回 1968年3月30日 Red Alligator 騸9 9:29 0/5 B.Fletcher D.Smith J.Manners
第123回 1969年3月29日 Highland Wedding 騸12 9:29 4/5 E.Harty T.Balding T.McKoy Jr.
第124回 1970年4月4日 Gay Trip 騸8 9:38 0/5 P.Taaffe F.Rimell A.Chambers
第125回 1971年4月3日 Specify 騸9 9:34 1/5 J.Cook J.Sutcliffe F.Pontin
第126回 1972年4月8日 Well To Do 騸9 10:08 2/5 G.Thorner T.Forster T.Forster
第127回 1973年3月31日 Red Rum 騸8 9:01.9 B.Fletcher G.McCain Noel Le Mare
第128回 1974年3月30日 Red Rum 騸9 9:20.2 B.Fletcher G.McCain Noel Le Mare
第129回 1975年4月5日 L'Escargot 騸12 9:31.0 T.Carberry D.Moore R.Guest
第130回 1976年4月3日 Rag Trade 騸10 J.Burke F.Rimell P.Raymond
第131回 1977年4月2日 Red Rum 騸12 T.Stack G.McCain Noel Le Mare
第132回 1978年4月1日 Lucius 騸9 9:33.9 B.Davies G.Richards F.Whitaker
第133回 1979年3月31日 Rubstic 騸10 9:52.9 M.Barnes J.Leadbetter J.Douglas
第134回 1980年月日 Ben Nevis 騸12 10:17.4 C.Fenwick T.Forster R.Stewart Jr.
第135回 1981年月日 Aldaniti 騸11 9.47.2 R.Champion J.Gifford N.Embiricos
第136回 1982年月日 Grittar 騸9 9:12.6 C.Saunders F.Gilman F.Gilman
第137回 1983年月日 Corbiere 騸8 9:47.4 B.de Haan J.Pitman B.Burrough
第138回 1984年3月31日 Hallo Dandy 騸10 9:21.4 N.Doughty G.Richards R.Shaw
第139回 1985年3月30日 Last Suspect 騸11 9:42.7 H.Davies T.Forster A.Duke of Westminster
第140回 1986年4月5日 West Tip 騸9 9:33.0 R.Dunwoody M.Oliver P.Luff
第141回 1987年4月4日 Maori Venture 騸11 9:19.3 S.Knight A.Turnell J.Joel
第142回 1988年4月9日 Rhyme'n'Reason 騸9 9:53.5 B.Powell D.Elsworth J.Reed
第143回 1989年4月8日 Little Polveir 騸12 10:06.9 J.Frost T.Balding E.Harvey
第144回 1990年4月7日 Mr Frisk 騸11 8:47.8 M.Armytage K.Bailey L.Duffey
第145回 1991年4月6日 Seagram 騸11 9:29.9 N.Hawke D.Barons Sir E.Parker
第146回 1992年4月4日 Party Politics 騸8 9:06.4 C.Llewellyn N.Gaselee P.Thompson
第147回 1994年4月9日 Miinnehoma 騸11 10:18.8 R.Dunwoody M.Pipe F.Star
第148回 1995年4月8日 Royal Athlete 騸12 9:04.1 J.Titley J.Pitman Gary & Libby Johnson
第149回 1996年3月30日 Rough Quest 騸10 9:00.8 M.Fitzgerald T.Casey A.Wates
第150回 1997年4月7日 Lord Gyllene 騸9 9:05.9 A.Dobbin S.Brookshaw S.Clarke
第151回 1998年4月4日 Earth Summit 騸10 10:51.5 C.Llewellyn N.Twiston-Davies The Summit Partnership
第152回 1999年4月10日 Bobbyjo 騸9 9:14.1 T.Carberry T.Carberry B.Burke
第153回 2000年4月8日 Papillon 騸9 9:09.7 R.Walsh T.Walsh B.Morgan
第154回 2001年4月7日 Red Marauder 騸11 11:00.1 R.Guest N.Mason N.Mason
第155回 2002年4月6日 Bindaree 騸8 9:08.6 J.Culloty N.Twiston-Davies R.Mould
第156回 2003年4月5日 Monty's Pass 騸10 9:21.7 B.Geraghty J.Mangan Dee Racing Syndicate
第157回 2004年4月3日 Amberleigh House 騸12 9:20.3 G.Lee G.McCain Halewood International
第158回 2005年4月9日 Hedgehunter 騸9 9:20.8 R.Walsh W.Mullins T.Hemmings
第159回 2006年4月8日 Numbersixvalverde 騸10 9:41.0 N.Madden M.Brassil O.Carroll
第160回 2007年4月14日 Silver Birch 騸10 9:13.6 R.Powerl G.Elliott B.Walsh
第161回 2008年4月5日 Comply or Die 騸9 9:16.6 T.Murphy D.Pipe D.Johnson
第162回 2009年4月4日 Mon Mome 騸9 9:32.9 L.Treadwell V.Williams V.Bingham
第163回 2010年4月10日 Don't Push It 騸10 9:04.5 A.McCoy J.O'Neill J.McManus
第164回 2011年4月11日 Ballabriggs 騸10 9:01.2 J.Maguire D.McCain T.Hemmings
第165回 2012年4月14日 Neptune Collonges 騸11 9:05.1 D.Jacob P.Nicholls J.Hales
第166回 2013年4月6日 Auroras Encore 騸11 9:12.0 R.Mania S.Smith D.Pryde, J.Beaumont, D.van Der Hoeven
第167回 2014年4月5日 Pineau de Re 騸11 9:09.9 L.Aspell R.Newland J.Proven
第168回 2015年4月11日 Many Clouds 騸8 8:56.8 L.Aspell O.Sherwood T.Hemmings
第169回 2016年4月9日 Rule The World 騸9 9:29.0 D.Mullins M.Morris Gigginstown House Stud
第170回 2017年4月8日 One For Arthur 騸8 9:03.5 D.Fox L.Russell Two Golf Widows
第171回 2018年4月14日 Tiger Roll 騸8 9:40.1 D.Russell G.Elliott Gigginstown House Stud
第172回 2019年4月6日 Tiger Roll 騸9 9:01.0 D.Russell G.Elliott Gigginstown House Stud
第173回 2021年4月10日 Minella Times 騸8 9:15.42 R.Blackmore H.De Bromhead J.McManus
第174回 2022年4月9日 Noble Yeats 騸7 9:03.06 S.Waley-Cohen E.Mullins R.Waley-Cohen
第175回 2023年4月9日 Corach Rambler 騸9 9:10.62 D.Fox L.Russell The Ramblers
第176回 2024年4月13日 I Am Maximus 騸8 9:27.68 P.Townend W.Mullins J.McManus


施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
1916年月日 Vermouth 騸6 J.Reardon J.Bell P.Heybourn
1917年月日 Ballymacad 騸10 E.Driscoll A.Hastings Sir G.Bullough
1918年月日 Poethlyn 騸8 E.Piggott H.Escott Mrs. H.Peel

1916〜1918年は第一次世界大戦の影響で施行場所をガトウィック競馬場に移していたが、回数にはカウントされていない。

  • レース名:1836年〜第4回 「The Grand Liverpool Steeplechase」、第5〜8回 「The Liverpool and National Steeplechase」

日本調教馬の参戦[編集]

過去に1頭だけこのレースに参戦した競走馬がいる。日本の中山大障害を4勝もしたフジノオーである(1966年)。

日本の障害チャンピオンホースとして参戦したフジノオーには、当時の規定により最重ハンデの76.2kgのハンデキャップが与えられた。これは、チャンピオンホースにはハンデを軽くすることは失礼に値するという紳士的な考え方に基づくものである。なおフジノオーは15番目の障害で馬が飛越を拒否、レース中止となっている。

また日本人騎手として1995年には田中剛アイルランドのザコミッティに騎乗、こちらも残念ながらレース中止に終わった。

各国の「グランドナショナル」[編集]

このグランドナショナルに倣って、各国でグランドナショナルの名称のつく、あるいはそれに準じるレースが行われている。以下がその例である。

外部リンク[編集]

  • Aintree Racecourse - エイントリー競馬場
  • BBC SPORT - イギリスの放送局BBCによる2005年のグランドナショナル紹介ページ


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