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*第4代 [[防衛大臣]]  内閣 = [[福田康夫内閣]]  就任日 = [[2007年]][[9月26日]]  退任日 = [[2008年]][[8月2日]]  退任理由 = 内閣改造
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*第68・69代 [[防衛庁長官]]  内閣 = [[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉内閣第1次改造内閣]]<br />[[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第1次小泉内閣第2次改造内閣]]<br />[[第2次小泉内閣]]  就任日 = [[2002年]][[9月30日]]  退任日 = [[2004年]][[9月27日]]  退任理由 = 内閣改造
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*[[衆議院議員]]  選挙区 = (旧鳥取全県区→)<br />[[鳥取県第1区]]  当選回数 = 8回  就任日 = [[1986年]]
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2009年12月14日 (月) 00:22時点における版

石破茂
ゲルこと石破防衛大臣

石破 茂(いしば しげる、1957年2月4日 ‐ )は、日本政治家。衆議院議員(8期)。防衛庁長官(第6869代)、防衛大臣第4代)、農林水産大臣(第49代)を歴任した。

建設事務次官鳥取県知事自治大臣国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗の長男。

慶應義塾大学法学部卒業後、銀行員となる。






来歴

鳥取県八頭郡郡家町(現八頭町)出身。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行勤務を経て1986年7月の衆院選で初当選。以後連続当選8回を数える。93年に政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けて離党、97年に復党するまで新生党、新進党を渡り歩いた。

もともとは農水族として地歩を築いたが、「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現していき、防衛政務次官、防衛副長官、拉致議連の会長を務めるなどした。小泉政権で2002年に防衛庁長官として45歳で初入閣し、有事法制の制定に尽力した。防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発すると自衛隊イラク派遣を決定すると、防衛庁長官として彼らの門出を見送った。

閣僚を経験したことで、特徴あるソフトな語り口と安全保障に関する豊富な知識が注目され、党を代表する外交・安保の論客として脚光を浴び、メディア出演の機会も急増。ニューリーダーの1人として注目されていった。

2007年福田内閣で再度防衛大臣として入閣。翌2008年の自民党総裁選に初出馬し5位に終わったが、地方票を4票集めるなど健闘したと評された。続いて成立した麻生内閣で農林水産大臣に就任した。

2009年9月29日、前日に自民党総裁に選出された谷垣禎一の下で、政調会長に就任(党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて。[1]

政策

防衛

自民党きっての防衛政策通として知られる。また、軍事マニアと揶揄されており[2]、日本の政治家の中では、軍事知識の豊富さと知見の高さが傑出した存在である。

2003年(平成15年)3月に情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官直轄部隊として情報保全隊を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなっていたとされる。

徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した(ただし、石破は徴兵制への反対を主張している[3]。理由として、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいと考えているからである)。

著書『国防』では、難解と思われがちな防衛問題を分かりやすく著し、保守論壇から高い評価を得ている。しかし、京都府職員労働組合は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、京都府船井郡丹波町で発生した浅田農産鳥インフルエンザ事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。

日本テレビの番組『太田総理』では、しばしば太田光と激しい論争を繰り広げる。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と称されたこともある。石破もまた、太田のことを「天敵」と称し、互いに意識している(太田からF-22戦闘機のプラモデルをプレゼントされたことがある)。この番組では、第二次世界大戦が日本による侵略戦争だったことや、大東亜共栄圏が侵略戦争遂行のための詭弁でしかなかったとの認識を示している[4][5]

』(潮書房)を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々正解し、その豊富な知識を示した。ちなみに、「災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何か」の一問だけ解答できなかったが(正解は海獣[6]、つまりトド駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。

福田総理辞任後の自民党総裁選で候補者として演説に立った石破は観衆に向かって「動乱が起き、北朝鮮の国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた。[7]

農政

近年は防衛において注目されることが多いが、議員五期目までは農林系であり、農水相就任前は、農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれないと語ったこともある[8]

外交

防衛問題の論客の一人であるが、外交に関しては柔軟な対応をとっており、イデオロギー的な主張は少ない。朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。総理靖国神社参拝にも反対を表明している[9]

北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強く、1992年には”見ないで批判するのはいかんだろう”という理由で自民党社会党公明党合同の訪朝議員団に加わり金日成生誕80周年祝賀式典へ参加したことがある。

日韓議員連盟幹事を務める。

教育

朝日新聞社刊『論座』において、教育基本法愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である。同様の姿勢をとる議員は自民党内では稀であった。

総裁候補

長らく最大派閥であった平成研究会に属するが、派閥弱体化の進んだ小泉時代に頭角を現した石破は、派閥色を表に出さずに活動を続けてきたと言ってよい。

06年自民党総裁選では麻生太郎を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の安倍晋三‎を推薦するか迷っていたようである[10]2007年の自民党総裁選では福田康夫を支持している。

派内では茂木敏充伊藤達也といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない。初出馬となった08年自民党総裁選でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生太郎・与謝野馨を支持した。

自民党が下野した後に行われた09年自民党総裁選では、与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の一人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一支持を表明した。

発言

  • 防衛庁長官在任中に、自衛隊のことを「自閉隊」と呼ぶ発言をし、自閉症に対する誤解や偏見であるという批判を浴びた。
  • 「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」…H19.11.05各幕との懇談にて。
  • 防衛大臣在任時、UFOの存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。
  • 防衛省の航空幕僚長であった田母神俊雄の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも「田母神・前空幕長の論文から思うこと」「文民統制」という記事を投稿し、かつての部下である田母神を批判した。
  • イージス艦『あたご』の事故について事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについて民主党の前原の質問『あなたは何をしているんですか?』と聞かれ、『今はあなたの質問に答えています』と答弁をした。
  • テレビ朝日のサンデープロジェクトで核密約について聞かれたとき『秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている』と発言をした。

人物像

信仰

母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャンであり、日本基督教団鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた石破は、幼稚園も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した[11]

嗜好・趣味など

大変な酒豪にして喫煙者。常温にして辛口の日本酒を好む。好物はカレーライスコロッケ納豆は苦手。

高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日守屋武昌元防衛次官に対する証人喚問において、久間章生額賀福志郎両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている[12][13]

自他ともに認める軍事オタクにして、ミリタリー系プラモデルの愛好家でもある。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は自動車タクシーSLが大好きなマニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車戦闘機プラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている[14]。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている[15]

鉄道のファンでもあり、ブルートレイン銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。現在でも鳥取と東京の往復に寝台特急サンライズ出雲瀬戸」と特急スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。

その他

著書『国防』の中で、「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている[16]

2004年~2005年に「ULTRAMAN」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」など自衛隊の大規模な協力を得て撮影された映画が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時はテロSFといった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった[17]

石破は口頭による討論を沈着冷静に進める。略歴にも「全日本学生法律討論会第1位」とあることから、かねてから討論は得意であったといえる。噛んで含めるような独特の口調であるが、街頭演説や選挙活動では口調や声が別人のように変わる。

道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[18]

コラムニストの泉麻人は高校のクラスメート。

2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がけるお菓子問屋:大藤より「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破氏の地元である鳥取と秋葉原限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り饅頭で、皮には農水大臣である氏にちなみ、米粉が配合されている。プラモデル風のパッケージには機動戦士ガンダムのコスプレとしか思えない氏をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類+シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。

年譜

家族・親族

実家
自家
  • 妻 佳子
  • 二女あり

系譜

石破家
石破家は鳥取県八頭郡大御門村大字殿(旧郡家町、現八頭町)の農家だった。祖父市造は大御門村の村長を数期にわたりつとめた[19]。父 二朗東京帝国大学法学部を卒業し内務官僚となり昭和30年(1955年)11月建設官僚トップの建設事務次官に就任、退官後鳥取県知事を4期務め、昭和49年(1974年)7月参議院議員に当選、昭和55年(1980年)7月自治大臣国家公安委員会委員長に就任した。母方の大おじには金森次郎(実業家)、金森五郎(医師)、金森九郎(学者)などがいる。ジャパンタイムスの社長、会長相談役を務め、国際基督教大学の設立に尽力した東ヶ崎潔は大おばの夫である。元同志社総長牧野虎次長男操の夫人弥生は母和子の従姉に当たる[20]。 
石破常七━━石破市造━━石破二朗
             ┃
             ┣━━━━石破茂
             ┃
     ┏金森太郎━━和子
     ┃
     ┣金森次郎
金森通倫━┫
     ┣金森五郎
     ┃
     ┣金森九郎
     ┃ 
     ┗娘
      ┃
    東ヶ崎潔

著作

本書を原案としたコミックとして 『国防入門』(原望作画、あおば出版 2007年 ISBN 9784873177885)がある

参考文献

脚注

  1. 自民政調会長に石破氏 党三役、県選出で初 - NetNihonkai-日本海新聞
  2. 「軍事を知らずして平和を語るな」(『KKベストセラーズ』)より。
  3. 『CIRCUS』(KKベストセラーズ)より。
  4. 同番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと明言しつつ、仮に日本と米国が戦争状態に突入したらどうするかと太田に質問された際、「それはありえない」と回答し、未想定たる旨を表明した。
  5. また番組内ではアメリカの原爆投下について、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に本土決戦が行われていたら相当の犠牲が出ていた」とアメリカ側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目(長崎への投下)については許容範囲を超えているとしてアメリカを批判している。
  6. 海獣(正確にはトド類)の被害に悩む地元漁協からの要請を受け、海棲哺乳類である動物からの被害のため自然災害であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射しこれを駆除した。詳細はトド#人間との関わりを参照されたい。
  7. 麻生氏「危なくてしようがない」 金総書記重病説事実なら「脅威」 /産経新聞
  8. 農林水産・桃太郎・ネットカフェ石破茂オフィシャルブログ 2008年9月16日 2009年9月11日閲覧
  9. http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080915AT3S1401014092008.html 日経ネット2008年9月15日配信(2008年9月28日閲覧)
  10. 2007年8月報道ステーションで発言
  11. 『キリスト新聞社(2006年4月22日) 今週のニュースより
  12. 2008年4月フジテレビハッケン!!で発言
  13. 2007年11月29日号の『週刊文春』「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」26-28頁
  14. 『国防』74ページ
  15. 『国防』76ページ
  16. 石破茂『国防』(新潮社)240ページ
  17. 2007年11月号「日経エンタテインメント!」(日経BP社
  18. http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  19. 鶴田憲治は著書『因伯青春の譜』の中で市造について、「…数期にわたり大御門村の村長をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった」と書いている(『回想録 石破二朗 追想篇』682頁)。二朗は父市造について「若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、山を拓いて二十世紀梨を作ったり、御所を植えたり、種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分を困らせていたようでありました。それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年中田政美さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、建設事務次官をおやりになり、衆議院議員をなさった方ですが、若い時八頭郡役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。」と書いている(『回想録 石破二朗 追想篇』683頁)
  20. 回想録 石破二朗 追想篇』421頁

関連項目

関連人物

外部リンク

官職
先代:
町村信孝(臨時代理)
日本の旗 日本 農林水産大臣
第49代:2008年 - 2009年
次代:
先代:
日本の旗 日本 防衛大臣
第4代:2007年 - 2008年
次代:
先代:
日本の旗 日本 防衛庁長官
第68・69代:2002年 - 2004年
次代:
党職
先代:
自由民主党政務調査会長
第52代:2009年 -
次代:
現職
de:Shigeru Ishibafi:Shigeru Ishiba

fr:Shigeru Ishiba pl:Shigeru Ishiba zh:石破茂