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池田 大作[1][2](いけだ だいさく、本名:成 太作(성 대작、読みはソン・テチャク)、1928年1月2日 - 2023年11月15日)は、創価学会名誉会長[3][4][5][6]、SGI(創価学会インタナショナル)会長、創価学会元会長(3代目)、公明党創設者。
目次
来歴[編集]
入信以前[編集]
- 1928年(昭和3年)1月2日に東京都大田区大森北(東糀谷ひがしこうじや)に海苔業者の父、子之吉(ねのきち)と母、一(いち)の間の7男として生まれる。(創価学会の公式サイトでは父母の名前をこのように記しているが、池田大作や両親の名前、本名、国籍などについては諸説があって明らかではない)生まれた時は「太作」であり昭和28年11月に「大作」に改名した。
- 1930年
- 1935年
- 1936年
- 1940年
- 1941年
- 1944年
- 1945年
- 1946年
- 1948年
入信以降[編集]
- 1947年
- 1948年
- 「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
- 1949年
- 1月3日 後に創価学会の第2代会長となる戸田城聖が経営する出版社「日本正学館」に入社し[12]、少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。同年5月には編集長に。
- 秋 戸田から自分が勉強を教えるからやめろと勧められ、「大世学院」を2年で中途退学する。[14][15]
- 10月 「日本正学館」の倒産により、同じく戸田が経営する、「東京建設信用組合」に日本正学館の全社員と共に入社。給料がまともに出ず苦しい生活を送る[16]。
- 8月22日「東京建設信用組合」が大蔵省から営業停止を命じられたため、同年10月、戸田が新しく設立した、手形割引を主業務とする金融会社・「大蔵商事」(戸田城聖が顧問)[17]に移動。
- 1950年
- 1951年
- 5月 蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。
- 7月 戸田会長直属の青年部(男予部)が結成され、第4部隊の幹部長に任命され、間もなく第1部隊長になる。[14]
- 1952年
- 1953年
- 1957年
- 1958年
会長就任以降[編集]
- 1960年
- 1961年
- 8月24日 最初の『会長講演集』を発刊。
- 1962年
- 1964年
- 1967年
- 1月29日 第31回衆議院議員総選挙で公明党が25議席を獲得し、衆議院に初進出。
- 1968年
- 1970年
- 1972年
- イギリスの著名な歴史学者アーノルド・J・トインビーと対談。
- 1974年
- 5月29日 夫人や幹部らと共に中国を初訪問。
- 9月 ソ連を初訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会見。「中国を攻めるつもりがあるのですか」と質問し、 「攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」との答えを得、それを中国の首脳に伝える承諾を得たという。
- 10月29日 平和・文化の推進のため海外での活動期間が多くなっているという理由で創価学会の代表役員を辞任し、北条浩が代表役員並びに理事長に就任。
- 11月 中国の「文化大革命」を高く評価する『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版。
- 創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。昭和54年(1979年)もしくは昭和65年(1990年)までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げる。
- 12月5日 再び訪中し、周恩来首相と会見。
- 1975年
- 1976年
- 1977年
- 1978年
名誉会長就任以降[編集]
宗門との決裂以降[編集]
- 1990年
- 11月16日 衛星放送で全国の会員に中継された創価学会第35回本部幹部会において、宗門および日顕を批判。
- 12月13日 宗門は、創価学会に対して池田のスピーチの真意を問う文章を提出したが、「出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができない」と創価学会は受け取りを拒否。
- 12月27日 宗門は法華講総講頭に任期制を導入。これにより1990年末の任期終了と共に池田が法華講総講頭の資格を自動的に失うことになる。
- 1991年
- 1992年
- 8月11日 池田自身を含む全創価学会員が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。
- 1993年
- 1995年
- 1997年
- 12月1日 宗門の「宗規」の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。
- 1998年
- 1999年
- 6月4日 フィリピンのジョセフ・エストラーダ大統領と会談。
- 2002年
- 創価学会は会則を変更し、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。
- 2003年
- 3月22日 元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと聖教新聞社で会談。
- 4月末 6月にかけて、池田が重病で入院したという情報がマスコミを書け巡る。脳梗塞や心臓病だとの憶測が飛んだが、創価学会広報室は「風邪と疲労で体調を崩した」とのコメントを出す。
- 2004年
- 9月 アメリカの世界的経済誌『フォーブス (Forbes)』(2004年9月6日号)が「先生の世界」(「Sensei's World」)と題して、池田大作を5ページに渡って特集(執筆はベンジャミン・フルフォード)。池田の権力志向や独裁性を初め、創価学会の問題点を批判。
- 2006年
- 2007年
略歴[編集]
- 1928年1月2日 東京都大田区に生まれる
- 1947年8月24日(19歳) 創価学会に入会、戸田城聖に師事
- 1949年1月3日(21歳) 「日本正学館」(戸田城聖経営)に入社・後に戸田経営の金融業「大蔵商事」に籍を移す
- 1952年5月3日(24歳) 結婚
- 1960年5月3日(32歳) - 1979年4月24日(51歳) 創価学会第3代会長に就任
- 1964年11月17日(36歳) 公明党発足
- 1968年(40歳) 富士短期大学経済学科卒業。
- 1968年4月8日(40歳) 創価学園創設
- 1970年(42歳) 公明党と創価学会との分離を表明
- 1971年4月2日(43歳) 創価大学創設
- 1975年1月26日(47歳) SGI(創価学会インタナショナル)初代会長に就任
- 1979年4月24日(51歳) 創価学会会長職を退き、名誉会長となる
- 1981年 (53歳) 「桂冠詩人」の称号を受ける(世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー)[49]
- 1983年8月8日(55歳) 国連平和賞受賞
- 1985年(57歳) 創価女子短期大学創設
- 2001年5月3日(73歳) アメリカ創価大学開学
人物[編集]
関連団体の設立[編集]
- 政党:公明党
- 教育機関:創価幼稚園(札幌、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル)、創価学園(東京、大阪、ブラジル)、創価大学(東京、アメリカ)
- 芸能・芸術関連:(財)民主音楽協会、(財)富士美術館(東京、静岡)
- 学術関連:(財)東洋哲学研究所、戸田記念平和国際研究所
- 財団:牧口記念教育基金会
執筆[編集]
- 随筆、小説、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆している。[50][51][52]。[53][54]
- 写真家・詩人としても活動している。
- 人間革命:2代目会長戸田が書いていた創価学会を描いた小説を引継ぎ、『聖教新聞』紙上に、1965年から1993年まで連載した。続編の『新・人間革命』を1993年11月18日から現在まで同新聞に連載中。
- 2007年3月7日にリリースされたアグネス・チャンの新曲「そこには 幸せが もう生まれているから」の作詞を手がけた(山本伸一名義、作曲はアグネス・チャン)。
対談・講演[編集]
顕彰[編集]
- 国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を華々しく飾る。創価学会や池田大作に否定的な人々は、それらの賞は寄付や経済援助などによる見返りであり、自らの権威づけをするものだと批判している。[56]
- 2007年4月13日現在において、受賞した名誉称号は209ある。(名誉学術称号内訳:名誉博士106 名誉教授100 名誉学長3)[57][58]
- 近年は外国の大学[59]より「名誉博士号」を授与されることが多いが、日本の大学からは授与されていない。日本では静岡県の富士宮市の名誉市民となっている他、第2代会長、戸田城聖の故郷の北海道の厚田村(現「石狩市」)から「栄誉村民章」(1977年)を授与されている、[60]
- 創価学会系のメデイアで平和活動としてアピールされる池田の活動は「ノーベル平和賞」をもらうための戦略だとの見方がなされることがあるが、かつて池田自身は「ノーベル平和賞」について、「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている[61]。
政見[編集]
公明党に関して[編集]
その他の政見[編集]
- 安全保障
- 1991年の湾岸戦争の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」をイラクのフセイン大統領宛に送ったが、「イラク戦争」の開戦が迫っていた2003年1月26日の「SGIの日」を記念しての『聖教新聞』紙上の提言では、「軍事力を全否定するということは(中略)政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」と武力行使を容認する見解を示した。
- 日本は国連の常任理事国入りを望んでいるが、安全保障理事会の機軸である集団的自衛権という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「 国際連合平和維持活動(PKO)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した。(1991年・第16回「SGIの日」記念提言)
- 選挙
- 教育
歴史観[編集]
- 豊臣秀吉の朝鮮出兵を、韓国から仏教を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難している[66]。
- 日本が大恩を受けた韓国を裏切ったのは、心理的には“劣等感の反転”があるとしている[67]。
- 太平洋戦争中に、日本がアメリカにより原爆投下を受けたことについて、日蓮正宗・創価学会を弾圧し、正法を誹謗した報いであると主張した[68]。
池田本仏論[編集]
池田が創価学会会長となった1960年以降、内部で池田会長を仏であるかのような指導や主張があるとの指摘がなされ[69][70]、内外から論議を呼んだ。
- 1980年の『聖教新聞』において、池田は「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長は指導者であって、仏ではないことを明言している[71]。
- 1983年10月31日、元創価学会幹部の山崎正友の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。
マスメディアとの関係[編集]
- テレビなどのマスメディアに登場しない為、写真以外で見たことのある外部の人間は殆どいない。
- 池田名誉会長について報道することはタブーとされていると見られている。テレビ局によっては、国会で池田名誉会長のことが取り上げられても、取り扱わなかったり、名前を伏せることもある。[72][51]
- 公明党が連立政権入りした1999年の前後から新聞を初めとする各種メディアに池田のインタビューや記事が掲載されるようになった。[73][74]批判者らの間ではこれを、創価学会の豊富な資金を背景に、創価学会系列のメデイアの印刷を委託することにより、批判を封じ、礼賛記事を書かせるメディア戦略であると危惧されている。[75][76][77][78]
関係する人物や団体[編集]
- 安倍晋太郎:池田によれば、1985年、大石寺の正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で学会のこと、世界のことなど私と話し合うことを楽しみにして下さったようである」と述べている。[79]
評価[編集]
- 冬柴鐵三(公明党元幹事長の衆議院議員、国土交通大臣):「人生で最も影響を受けた人物」として池田大作の名を挙げ、「あらゆる面で影響を受けた」と語っている。[80]
- 遠藤乙彦(元外交官、公明党所属の衆議院議員):「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと(世界の)問題が解決していくでしょう」[81]
批判[編集]
- 田中角栄(元首相、自民党元幹事長):池田を「法華の太鼓を敲くヒットラー」と評した。
- ポーリー・トインビー(アーノルド・J・トインビーの孫娘):「池田氏のように、絶対的権力者の雰囲気をにじみ出させた人物と会ったことはありませんでした。」[82]
- 石原慎太郎:東京都知事選挙を直前に控えた1999年3月、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」と答えた。[83]
世間からの攻撃や批判について、池田は「古今東西を問わず、歴史に残る人物は、みな迫害の連続です。そのなかで鍛え抜いて、精神的・肉体的に強靭な自分をつくっています。」、「(攻撃や批判は)ない方がいいに決まっているが、それをバネにして、どう自分を鍛えるかを考えたほうが利口だ」という旨を語っている。[4]
メディアにおいても批判があり、勝谷誠彦は、在阪テレビ局で池田を「法華ブタ」と揶揄している。
エピソード[編集]
- 創価学会会長就任以前から「天下を取ろう」が口癖だったという。[10][84]
- 評論家・高瀬広居のインタビューにおいて、自らを「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と語ったという。[85]
- 1969年、『月刊宝石』紙上での「話せるなァ、会長は!」と題する青島幸男との対談において、「もし、それだけの理由と力があって、 しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます。」と述べた。池田の女性スキャンダルを書いた『月刊ペン』を告訴した裁判の中で、最高裁の裁判長はこの発言に言及し、「学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることも否定し難いのである。」と述べた。(最高裁判所 第一法廷1981年4月16日)
- 2005年6月、韓国の『東亜日報』(2005年6月18日付)が「小沢一郎自由党幹事長(当時)の要請で、海部俊樹首相が韓国の盧泰愚大統領に池田大作との会見を依頼する親書を送った」と報じた。
- 2007年4月12日 来日した中国の温家宝首相と会談。会談の冒頭5分間を報道陣に公開した。要人との会談を公にするのは極めて異例であるが、創価学会は「日中関係改善に向け役割を果たしていることを、国民に理解してもらいたかったため公開した」と説明した。池田がマスコミに姿を表したのは14年ぶりである。 『テレビ朝日』のニュース番組は、池田が温首相に「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってください。庶民は大事です」[86]と話しかけた[87]場面に「政治家でなくて庶民の味方である私と会ってくださって」とのテロップを流した。このことで池田が自らを「庶民の王者」と称したものと解釈され、反発を買った。また実際の発言を確認した者は捏造報道をしたとして『テレビ朝日』を批判するなど、物議を醸した。[88]
家族[編集]
- 父 子之吉(ねのきち)
- 母 一(いち)[89]
- 兄 4人の兄がおり、長兄はビルマ(現:ミャンマー)で戦死。[90]。
- 妻 香峰子(かねこ)「インド創価池田女子大学」名誉校長。「創価世界女性会館」名誉館長。「創価女子会館」名誉館長。
- 長男 博正:創価学会副理事長。
- 次男(著名活動をしていないので名前は伏せる):1984年10月 29歳で急逝。
- 三男 尊弘: 創価学会の総東京組織の副総東京長。
著書[編集]
- 『人間革命』 聖教新聞社
- 『新・人間革命』 聖教新聞社
- 『私の履歴書』 日本経済新聞社
- 『若き日の日記』
- 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社
- 『心に残る人びと』 角川書店
- 『法華経の智慧』 聖教新聞社
- 『アレクサンドロスの決断』 集英社
- 『青春対話』 聖教新聞社
- 『母の詩』 聖教新聞社(発行部数120万部のベストセラー)
ほか
共著[編集]
- 『二十一世紀への対話』(共著:A.J.トインビー)文藝春秋社
- 『人生問答(上・中・下)』(共著:松下幸之助)潮出版社
- 『社会と宗教』(共著:B・ウィルソン)講談社
- 『人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ』(共著:J.K.ガルブレイス)潮出版社
- 『太平洋の旭日』(共著:P.エイルウィン)河出書房新社
- 『吉川英治 人と世界』(共著:土井健司、志村栄一)六興出版
- 『世界市民の対話』(共著:N.カズンズ)毎日新聞社
- 『21世紀の精神の教訓(上・下)』(共著:M.S.ゴルバチョフ)主婦の友社
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ↑ 池田本人によれば、親から「太く大きく丈夫に育ってもらいたい」との願いをこめて「太作(たいさく)」と名づけられ、自然に「ダイサク」という読みにされるが、「太作」を「ダイサク」とは読みにくいので、「大作」に改名したという。
- ↑ 池田大作 『私の履歴書』 聖教新聞社 1993年4月
- ↑ 池田自身によれば名誉会長の職は名誉職ではなく、創価学会の会則としては「信心指導」「布教」「会員の擁護・育成」の役目があるが、創価学会の基本方針は会長を中心とした中央会議や総務会が決めるという。SGI会長としては日本も含めて全世界の会員の指導・育成・布教、全般に関与するという。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 田原総一朗 『戦後五十年の生き証人』 (中央公論社 1996年4月)に掲載された 池田大作と田原総一朗の対談
- ↑ 1995年の国会で、当時、創価学会の会長であった秋谷栄之助は池田名誉会長の位置づけを「信仰の指導の上の指導者」と説明した。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号 平成7年(1995年)12月4日
- ↑ 「協友会」は東大出身の経済学者が主導していた20名ほどの青年グループであり、文化・芸術・政治・経済・哲学などを研究していた。
- ↑ 池田を誘った女性の妹やその場に立ち会った元幹部などは、創価学会側の文献がこの座談会で池田が戸田と会い、即興の詩を読んだとしていることなどは事実と違うと語っている。
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「kiru7
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 10.0 10.1 「私の見た「池田大作」の実像1-龍年光氏(その1)」 『フォーラム21』21号(2003年1月1日)
- ↑ 『聖教新聞』昭和32年(1957年)10月18日付
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「koguti
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 創価学会機関紙『聖教新聞』(1957年)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 『朝日新聞』(1965年2月2月)「新人国記」
- ↑ 創価学会の会長になった後、富士短大からの勧めで 卒業論文を提出し、退学から20年になる1968年に経済科の卒業が認められた。
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「f20030101
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 創価学会元教学部長の原島嵩によれば、「大蔵商事」は高利回りを謳い文句に資金を調達し、それを個人(ほとんどは学会員)に貸し付ける。池田は資金調達や取立てに殊腕を振るったという。
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「nenpu
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 特集/徹底比較―武富士・武井保雄と創価学会・池田大作 『フォーラム21』(2004年1月1日)
- ↑ 当時の『聖教新聞』の名刺広告に「大蔵商事」の幹部としての肩書きが載っている。『週刊新潮』平成15年(2003年)12月18日号
- ↑ 『随筆 人間世紀の光』「師弟正義の目黒」(『聖教新聞』 2004年3月27日付)
- ↑ 戸田が日蓮正宗を外護するため創価学会の宗教法人化の必要性を強く主張し、宗門から「折伏した人は信徒として、各寺院に所属させること」、「日蓮正宗の教義を守ること 」、「三宝(仏・法・僧)を守ること」の3か条を守るという前提で承諾され、東京都はそれを創価学会の「設立の目的」に明記することで例外的に宗教法人として認証した。そのような経緯から、創価学会が宗門から破門されたことで宗教法人としての資格を失ったのではないかという指摘が一部である。
- ↑ 創価学会「宗教法人規則」変更の認証の取り消し求め龍年光氏が異議申し立て 『フォーラム21』34号(2003年7月15日)
- ↑ 戸口浩 『創価学会の真実-- 「地涌正統」からの通信』(日新報道 1992年4月)P200
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「pen197605
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ (『朝日新聞』1957年7月29日付夕刊)
- ↑ 『人間革命』12巻では戸田から「あとはお前だ。頼むぞ」とエレベーターの中で後継指名がなされたとされるが、池田の入信に関わった当時の関係者は事実関係が違うと語っている。
- ↑ 池田は会長就任の際に「西の天理教・東の立正佼成会を討て」と提言した。
- ↑ 創価学会"他教団騙し"の構造 『フォーラム21』(2004年1月15日)
- ↑ 池田大作監修 創価学会教学部編 『折伏教典』(P208、P286)には「邪宗教の本尊を拝めば、不幸になるのは当然」、「日蓮正宗以外は ぜんぶ邪宗教であり害毒を流すもの」とある。
- ↑ NHKの出口調査などからは会員数は約400万人強であると推測されている。平成7年度の文化庁の統計における日蓮正宗の信者数は576万人であり、平成12年度は創価学会員の数を差し引いた信者数として約34万人となっていることから創価学会の会員数を542万人と推定する見方もある。(「わが国における主な宗教団体名」 日本における宗教の概要)
- ↑ 原島嵩教学部長と泰次が、公明党の紹介で外務省の官僚のレクチャーを受け、三日間ほど原稿を書いたという。(特集/日中国交回復三十年 親中派・創価学会は何をしてきたか 『フォーラム21』15号 2002年10月1日)
- ↑ この「学会本部安置本尊」は、1977年11月7日、日達より正式に許可されたが、他の七体の本尊は認可されず、1978年9月、総本山へ納められることとなった。
- ↑ 全国にある施設は池田の名を冠して「池田文化会館」と名づけられている。
- ↑ 隈部大蔵は以前に創価学会の批判本を書いたことで、創価学会・公明党から出版に対する介入を受けた。「言論出版妨害事件」の記事を参照
- ↑ 『聖教新聞』昭和58年(1983年)6月10日付
- ↑ 受賞の前年にあたる1982年に国連広報局の「国連口述史」編纂計画に対して16万ドル(当時の為替レートで約四千万円)を寄付している。
- ↑ 『フォーラム21』11号(2002年8月1日)
- ↑ この細川内閣に公明党は非自民連立政権の一角として参加、郵政大臣、厚生大臣のポストを獲得した他、総務庁長官、環境庁長官にも議員が起用された。
- ↑ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成6年(1994年)5月24日
- ↑ 当時創価学会会長であった秋谷は国会で、「当日の新聞の閣僚の予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨の説明をした。
- ↑ 『聖教新聞』(1998年11月28日付)
- ↑ 日経・毎日・朝日・読売の各紙の他、『週刊文春』は会談の詳細を報じた。
- ↑ 公明党の太田昭宏代表は同年10月11日の記者会見で、安倍首相と池田との会談について、「全く承知していない」と語った。(『朝日新聞』1996年10月12日付)
- ↑ 安倍晋三は国会で池田との面会の事実を全面否定した。 第165回国会 参議院 予算委員会 1号 平成18年(2006年)10月11日、 第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 平成19年(2007年)2月13日(「インターネット審議中継」での亀井静香の安倍晋三への質疑の動画)
- ↑ 創価学会広報室が発表。東京・中日新聞にも記事あり。
- ↑ 公明党幹部はこの来日は、日中間の政治問題となっている「首相の靖国神社参拝問題」に釘をさす狙いがあるとの見方を示した。
- ↑ 温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談 asahi.com(2007年04月12日20時51分)
- ↑ 1995年8月にも“世界平和を目指す詩人の連帯”「世界詩歌協会」から「世界桂冠詩人」の称号を受けているが、どちらの称号も歴史的に知られる「桂冠詩人」とは別物であり、「世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー」は世界的に知られる「世界詩人会議」 (World Congress of Poets) とは全くの別団体である。「世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー」の発行している『ポエット』を初めとする詩集には、「パトロン 池田大作」と記されており、同団体の会長の代表スリニバスは称号を与えた理由の1つに、池田のパトロンとしてのサポートを挙げているため、同団体自体が主宰者個人の同人集団の域を出ていないと言う指摘もある。(『カルトとしての創価学会=池田大作』古川利明 第三書館 2000年11月)
- ↑ 原島嵩元創価学会教学部長、創価学会元顧問弁護士山崎正友初め、創価学会に反対する立場になった元幹部の多くは、創価学会内部にゴーストライター的な役割を担う専門の部署があり、池田の著作のほとんどがそこで執筆されていると語っている
- ↑ 51.0 51.1 特集/池田大作全集100巻・人間革命5000回礼讃の裏事情 『フォーラム21』(2007年4月1日)
- ↑ 内藤国夫『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング―これでもあなたは信じますか』(日新報道 1989年6月)
- ↑ 創価学会職員OB座談会 創価学会は「日本の北朝鮮」だ 『フォーラム21』19号(2002年12月1日)
- ↑ 特集/「池田提言」と「秋谷インタビュー」を嗤う 『フォーラム21』(2004年3月1日)
- ↑ 特に印象に残った人物として周恩来を挙げている。「名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。」と評している。
- ↑ 池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ"勲章の権化"と化した池田センセイ 『フォーラム21』11号(2002年8月1日)
- ↑ 創立者 池田大作SGI会長に授与された名誉博士号・名誉教授称号 財団法人「東洋哲学研究所」
- ↑ 「池田大作名誉会長の足跡 主な顕彰」SOKAnet
- ↑ モスクワ大学、グラスゴー大学ほか、北京大学を始め、特に中華人民共和国所在の大学からが多い。
- ↑ 北海道創価学会「池田大作第第会長と北海道」
- ↑ 1967年10月13日、オーストリアの政治学者、 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が対談の中で池田がいずれはノーベル平和貰をもらえるでしょうと語った際の言葉
- ↑ 『毎日新聞』(2001年9月25日付)でのインタビュー
- ↑ 『諸君!』(文芸春秋社 平成12年10月号)櫻井よしこ 「野中幹事長さん、国を売る気ですか!」)
- ↑ 『静岡新聞』(2004年10月25日付) 論壇 屋山太郎
- ↑ 月刊『正論』(産経新聞社 2000年10月号)「バサリ 論壇」
- ↑ 韓国SGI機関紙『和光新聞』(2005年4月22日 633号) コラム「来光」
- ↑ 『和光新聞』2005年5月20日 637号
- ↑ 池田大作『池田会長講演集 第3巻』聖教新聞社(1971年)
- ↑ 日達は1974年4月25日の法華講登山において、「最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。」 と会長本仏論を批判した
- ↑ 池田大作の慢心の正体を衝く(上) 妙観講 時局レポート
- ↑ 『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付 「所感恩師のニ十三回忌に思う」
- ↑ 『みのもんたの朝ズバッ! 』は、池田との会談の事実を否定した国会(衆議院 予算委員書会)での安倍晋三の答弁の様子を流しながらも、池田の名前も、何を否定したかについてもわからないようにカットしていた。
- ↑ 『週刊新潮』(2003年11月13日号)新「創価学会」を斬る 第2回そして誰も批判できなくなった「鶴のメディア支配」 山田直樹
- ↑ 『朝日新聞』(2001年5月23日付)が池田大作の投稿を写真入りで大きく掲載。『読売新聞』(2001年7月4日付)が池田のインタビュー記事を掲載。『産経新聞』が、同年9月17日から20日まで、四回連続で池田の会見詳報を掲載。『毎日新聞』(2001年9月25日付)が全面を使って池田のインタビュー記事を掲載。
- ↑ 『週刊文春』(2002年9月19号)創価学会にアタマの上がらない新聞社はここだ!「聖教新聞」「公明新聞」印刷会社全リスト入手
- ↑ 『SAPIO』(2005年3月9号)アメとムチで骨抜きに!ここまで来た創価学会の「メディア封殺」構造 (溝口敦)
- ↑ 『噂の真相』(2004年1月号)別冊『日本のタブー』自民党も大手メディアも裏で操る創価学会”鶴のタブー”のの恐怖支配
- ↑ 邪正を決判する眼を養おう! 妙観講 時局レポート
- ↑ 『聖教新聞』(20011年3月付)
- ↑ 大臣のほんね 冬柴鐵三国土交通大臣(後編)政府広報オンライン」
- ↑ 第129回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成6年(1994年)2月21日
- ↑ イギリスの新聞『ガーディアン』(1984年5月19日付)での手記。
- ↑ 『週刊文春』(平成11年3月25日号)
- ↑ 山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』第三書館 (2001年8月)
- ↑ 高瀬広居 『人間革命を目指す池田大作・その思想と生き方』有紀書房 (1965年)
- ↑ 『朝日新聞』のネット版も最初(2007年4月12日 10時42分)は「庶民の味方である私と会ってくださって」と記載されていたが、後に(2007年4月12日20時51分)」実際の発言とほぼ同じ「庶民の王者と会ってください。」の表現に修正された。
- ↑ 創価学会広報室は池田の発言について、「『(庶民の王者と) 会ってください』と温首相にお願いしたものです」と説明した。(「創価学会池田会長発言『庶民の王者』の意味不明」)J-CASTニュース)。ちなみに『聖教新聞』の五面の〝体験のページ″には「庶民の王者」と題するコラムがあり、模範とすべき信者の体験談が紹介されている。
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