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常磐緩行線
 
常磐緩行線

2014年8月4日 (月) 14:53時点における版

常磐緩行線(じょうばんかんこうせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線のうち、東京都足立区綾瀬駅から茨城県取手市取手駅までの複々線区間において、各駅停車の電車が運行される線路(緩行線)の呼称である。

案内上の呼称は、一般には「常磐線各駅停車」「常磐線(各駅停車)」が使われている。運賃の扱いの都合上、JRでは、東京地下鉄(東京メトロ)が管轄する北千住駅 - 綾瀬駅間を含めた北千住駅 - 取手駅間を常磐緩行線の区間として案内している。

概要

路線図

東京地区の電車特定区間E電)の運転系統の一つである。東京メトロ千代田線と直通運転を行い、東京都心と千葉県北部の松戸我孫子地区および茨城県南部の取手の各都市を各駅停車で結んでいる。また、東京地下鉄所有の車両を使用した一部電車は千代田線を経由し、小田急電鉄小田原線多摩線まで直通している。

JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代、通勤客の増大に伴い、列車の混雑緩和およびターミナルである上野駅日暮里駅の混雑緩和を目的として、通勤五方面作戦の一環として北千住駅 - 我孫子駅間の複々線化が1971年(昭和46年)に行われ、同時にそれまで各駅停車として上野駅 - 取手駅間を運転していた電車の緩急分離が行われた[1]。以降、線路の通称として各駅停車が走行する線路が「常磐緩行線」、新設された快速電車と取手以北直通の列車が走行する線路が「常磐快速線」と呼ばれるようになった。この緩急分離により、各駅停車は帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄)千代田線と直通運転を行う現在の形態となった(後述)。その後1982年(昭和57年)に緩行線が取手駅まで延伸され、現在の形態となっている[1]

一部の駅にのみホームがある快速線に対して、緩行線は全駅にホームがあり、運転される電車もすべて各駅停車である。ダイヤグラム・運行システム・車両は直通する千代田線と一体化したもので、常磐快速線とはすべて異なっており別路線のように機能している。

東京のJRの放射路線としては唯一都心(山手線)に至らない系統であるため、千代田線の北千住駅 - 西日暮里駅間を経由しJR線に乗り継ぐ場合に通過連絡運輸の特例も設定されている(後述)。

小田急電鉄のダイヤ改正に伴ってJR東日本のダイヤ改正時以外に運行時刻の変更が行われることがままあるが、運用や行先の変更が主で、線内での時刻変更は基本的にない。

2008年度におけるピーク1時間(ラッシュ時)の亀有駅→綾瀬駅間の輸送量は57,970人、同区間の混雑率は173%となっている[2]。これはおおよそ「体が触れ合うが新聞は読める」程度の目安とされている180%[3]よりも少々少ない数値である。

複々線化の沿革と問題

複々線化以前

元々常磐線は上野 - 取手間の各駅に停車する「国電」(近距離電車)と主要駅のみ停車の中距離列車急行・特急などが同じ線路を走行していた。当時は中・長距離輸送を担う列車に対して地域輸送を担う電車(国電)は停車駅も異なり棲み分けが明確であった。過去には、一部の「国電」が上野・東京経由で有楽町まで乗り入れていたこともあった。

一方、高度成長期を迎えると共に沿線のベッドタウン化が進んで人口が急増し、常磐線の混雑率も非常に高くなったものの、各種列車が同一線路上を走行していることによってさらなる増発が困難になったため、いわゆる「通勤五方面作戦」の一環として複々線化を実施することになった。

1962年に発表された運輸大臣の諮問機関「都市交通審議会」の答申では、北千住 - 松戸間について東京8号線(のちの9号線)が計画されていた。このため国鉄は、このルートの終点を取手まで延長する形で国鉄線を線増し、緩行線を地下鉄千代田線と直通運転させる形で複々線化を実施することとした[4]。また当時、北千住 - 綾瀬間は国鉄の路線であったが、複々線化・千代田線との乗り入れに際して建設費用を抑えたい国鉄と、足立区内に設置する車庫(現:綾瀬検車区)への回送ルートを確保したい営団の思惑が一致し、北千住駅 - 綾瀬駅間の緩行線を営団保有にして、複々線化と千代田線との直通運転が同時に行われることとなった。ただし、運賃計算上は北千住駅 - 綾瀬駅間は従来どおり国鉄線運賃として計算される特例が設けられた[5]。また複々線化に際し、従来の「国電」(近距離電車)を「各駅停車」と「快速」の2種別に編成し、各駅停車を緩行線に、「快速」を日暮里・上野方面へと向かう快速線に振り分けることとした。

また複々線化区間から外れた中距離列車通過駅の三河島駅南千住駅天王台駅(複々線化と同時に開業)には東京近郊輸送を担う快速のみが停車し、快速線のホームは複々線区間の両端の北千住駅・我孫子駅と車両基地のある松戸駅にのみ設けられることになった。この結果快速通過駅の利用客は乗り換えなしで日暮里駅や上野駅まで行けなくなるため、不便を解消するために営団・国鉄の双方に乗換駅として西日暮里駅を新設するとともに、同駅を経由する通過連絡運輸の特例が設けられることとなった。

工事予算と地下鉄千代田線への旅客の転嫁見込み、ならびに貨物列車の運行や当時建設中であった国鉄武蔵野線との接続方法等について検討された結果、緩急乗り換え利便性の高い方向別複々線での建設が見送られ、他の首都圏国鉄主要路線と同様の線路別複々線となった。このため我孫子駅・柏駅・松戸駅・北千住駅等での各駅停車と快速等の乗り換えでは階段を使用してホーム間を移動することになった。

複々線化の前後では、運転種別や停車駅が以下の表のように変遷している。

第一期複々線化完成(1971年4月20日)前後の
停車駅の変遷
複々線化以前 各駅停車(国電) × × ×
普通列車 × × ×
駅名 上野 日暮里 三河島 南千住 北千住 綾瀬 亀有 金町 松戸 北松戸 馬橋 新松戸 北小金 南柏 北柏 我孫子 天王台 取手
第一期複々線化直後 普通列車
国電 快速電車
各駅停車

●○:停車(○は厳密には千代田線) ▲:一部停車 ―:通過 ×:駅開業前 =:経由せず

※:柏駅の快速停車は1972年(昭和47年)10月から。当初の停車は快速電車のみで、普通列車は一部停車であった。

*:新松戸駅は1973年(昭和48年)開業。

複々線化後

1971年(昭和46年)4月20日に複々線化と緩行線の千代田線乗り入れが開始された。国鉄は、当時まだ旧形電車が多く運行されていた京浜東北線向けに103系を捻出する必要性から、10両編成で運行されていたエメラルドグリーンの103系電車を快速電車に転用する際、2両減車して8両編成とした[6]。これは、複々線化により輸送力が上がっていることと、快速通過駅利用客が地下鉄への直通運転によりそのまま都心へ向かうことを念頭に置いたものである。しかし当時は国鉄の運賃の方が安く、北千住 - 西日暮里間を千代田線経由で乗車して山手線等に乗り換える場合や、地下鉄経由で都心へ向かう場合の合算運賃が割高となるケースが多かったため、利用者の多くは松戸駅や北千住駅での乗換を選んだことで快速電車は大混雑した。このため、この直通運転・複々線化は新聞などで「迷惑乗り入れ」と糾弾される事態に発展した。これに対し国鉄は、千代田線乗り入れ開始とともに常磐線での営業運転を終了するはずであった旧形の72系電車を使用して臨時の快速電車を設定して輸送力を増強し、その置換用の103系が増備されるまでの約1年間をしのいだ。また、1972年10月には快速用103系が再び10両編成に増結され、松戸駅乗り換えによる混雑の要因の一つでもあった、快速通過駅とされた柏駅についても、快速線にホームが新設された。

複々線開業直前になると、綾瀬や亀有、金町などの駅では、上野行きがなくなり、一回だけの乗り換えでは運賃が割高になることなどから、利用者が激怒、開業後に、千代田線経由でも常磐線経由でも運賃を同じにしろとか、綾瀬への快速停車、上野行き復活などを求める抗議集会が開かれる有様となった[7]

1970年代後半に入ると、藤代駅 - 土浦駅間の交流電化区間までベッドタウン化が進行したことから、輸送力増強のため近郊形電車としては初のオールロングシート車となる415系500番台が投入された。当時の中距離列車はデータイムで1時間に1本、夕方のラッシュ時でも2本程度だったのが国際科学技術博覧会(つくば科学万博)開催直前の1985年(昭和60年)3月の改正で大増発され、編成も最長15両となった。1987年12月には、103系の快速電車も通勤形電車としては初めて15両編成化された。

一方、複々線化と相互乗り入れによる影響は営団の労働組合日本私鉄労働組合総連合会)によるストライキ時にも顕著にあらわれた。ストライキが発生すると、綾瀬駅 - 北千住駅間は営団の路線であることから電車の運行ができなくなるため、やむを得ず綾瀬駅 - 松戸駅間各駅の乗客は松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできる特例を設けて対処した[8]。しかし、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる事態に発展した。

また、相互乗り入れに使用されている車両も運行に影響を与えていた。営団地下鉄は、千代田線用開業当初は抵抗制御の5000系を投入したものの、1971年(昭和46年)4月20日に国鉄との相互乗り入れ開始から世界初の電力回生ブレーキ電機子チョッパ制御車となる6000系を投入し、トンネル内の発熱抑制と省電力化を図っていた。しかし国鉄は、既存の通勤路線向けに大量増備していた103系の仕様を一部変えた1000番台を投入、抵抗制御の国鉄車は抵抗器から大量の熱をトンネルや駅構内に排出することになった。駅間距離が比較的長く地下区間で高速走行する千代田線では、特に単線シールドトンネル内での空気流動が少なく抵抗器の冷却が充分にできなかったため、103系は故障が多発し一時は運行ダイヤにまで影響を及ぼすことがあった[9]。省電力の観点でも、相互乗り入れの車両使用料の精算は通常乗り入れ距離で相殺するのが慣例であったが、営団車と国鉄車とでは電力消費量が異なるとの会計検査院からの指摘を受け、営団は国鉄に対し、電気代の分を加算して請求することになった引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足しています。また、1982年にNEC我孫子事業場が開設されることが決定し、朝夕を中心に大量の通勤客の発生する事が予想された。最終的に同駅は快速停車駅として残ることになり、朝夕の混雑時間帯のみ緩行線電車を運行することにした。

以上のように、常磐線関係の輸送改善計画はスムーズに行かないことが多く、常磐線は「鬼門」と揶揄されることがあった。

常磐線の運転系統が複雑になっている一因に茨城県石岡市柿岡の気象庁地磁気観測所の存在がある。取手駅以北の直流電化は現時点では課題が多く、中距離列車と通勤電車(快速電車)の車両統合ができていない。このため民営化後になって、快速線に交直両用の通勤形であるE501系電車(上野口での運用終了)、後にE531系電車を投入するなどの施策を打った。なお、西日暮里経由の割高運賃問題だが、SuicaPASMOの相互利用開始に伴い、IC乗車券を利用した際に、従前の連絡乗車券を購入した場合よりも安くなるケースが発生する一方、逆に高くなるケースも発生している(詳細は千代田線北千住 - 西日暮里間を経由する場合の特例を参照のこと)。

現在においても問題点を多く抱えており、例えば運転本数に関しては依然として十分とはいえない状況が続いており、亀有駅・金町駅が所在する葛飾区議会では列車の増発要求がしばしば議題に上る。また、金町 - 松戸間に江戸川橋梁があり、台風爆弾低気圧などによる強風の影響でしばしば運転見合わせ・速度規制が発生する。同じ江戸川を渡る武蔵野線南流山 - 三郷間も同様の問題があったが、こちらは防風柵を設置し軽減している 車両の塗装は、金属色の車体にエメラルドグリーン()のラインとなっているが、快速線向けのE231系電車とは違い、緩行線向けの車両(209系1000番台・E233系2000番台)については、幕板部にはこの色のラインは入っていない。

呼称について

常磐線各駅停車は地下鉄千代田線との直通運転により一体的に運用されているため、各駅停車は地下鉄区間とあわせて「千代田線」と呼ばれる場合がある。市販されている地図にも千代田線と表記したものがある[10]ほか、不動産物件にも「千代田線北松戸駅」「地下鉄千代田線北柏駅」等の案内がある。不動産ポータルサイトなどでは「(JR)千代田・常磐緩行線」などの表記[11]も散見される。

データ

路線データ

綾瀬駅 - 取手駅間の緩行線のもの。

車両


駅一覧

常磐緩行線

  • 区特定都区市内制度における「東京都区内」の駅
  • 日暮里駅 - 上野駅間の営業キロは2.2km、日暮里駅 - 東京駅間の営業キロは5.8km
  • 停車駅
    • 常磐緩行線の電車(各駅停車)は全電車、下表のすべての駅に停車
    • 常磐快速線との停車駅対応表は「常磐線」の駅一覧も参照
  • 接続路線 : 駅名が異なる場合は⇒印で駅名を示す。
駅名 駅間営業キロ 累計
営業キロ
接続路線 所在地
綾瀬から 日暮里
から
区北千住駅[* 1] - 2.5 5.2 東京地下鉄千代田線〈直通運転〉・日比谷線
東日本旅客鉄道常磐線(快速)
東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン)
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス
東京都 足立区
区 綾瀬駅 2.5 0.0 7.7 東京地下鉄:千代田線北綾瀬支線
区 亀有駅 2.2 2.2 9.9   葛飾区
区 金町駅 1.9 4.1 11.8 京成電鉄:金町線京成金町駅
松戸駅 3.9 8.0 15.7 東日本旅客鉄道:常磐線(快速)
新京成電鉄新京成線
千葉県 松戸市
北松戸駅 2.1 10.1 17.8  
馬橋駅 1.3 11.4 19.1 流鉄流山線
新松戸駅 1.6 13.0 20.7 東日本旅客鉄道:武蔵野線
流鉄:流山線 ⇒幸谷駅
北小金駅 1.3 14.3 22.0  
南柏駅 2.5 16.8 24.5   柏市
柏駅 2.4 19.2 26.9 東日本旅客鉄道:常磐線(快速)
東武鉄道:野田線
北柏駅 2.3 21.5 29.2  
我孫子駅 2.1 23.6 31.3 東日本旅客鉄道:常磐線(快速)・成田線 我孫子市
天王台駅 2.7 26.3 34.0 東日本旅客鉄道:常磐線(快速)
取手駅 3.4 29.7 37.4 東日本旅客鉄道:常磐線土浦方面〉
関東鉄道常総線
茨城県
取手市
  • 北小金駅 - 南柏駅間で流山市を通るが、同市内に駅はない。
  1. 北千住駅の駅施設はJRの管理対象ではないが、緩行線・快速線相互の連絡駅であり、JR(亀有駅以東)・東京地下鉄(千代田線町屋駅・日比谷線南千住駅方面)の運賃計算上の境界駅である(運賃計算については「北千住・綾瀬間の取り扱い」および「#運賃計算の特例」を参照)。

今後の予定

  • 現在3社直通を行っていないJR東日本・小田急電鉄の車両(JR東日本E233系2000番台、小田急4000形)が、相互に3社直通を実施するための準備を開始すると発表した。準備期間は2013年4月から3年程度を要する見込みである[12]
  • 現在、JR東日本が仙石線で開発中の移動閉塞型の保安装置であるATACSではなく、日本国外で導入が進むCBTC (Communication Based Train Control) の導入を2020年頃を目途に検討しており、協力メーカーの募集を始めた。2013年2月には依頼する会社をメーカーをアルストムタレス(ともにフランス)に絞り込み、同年12月末を目途に1社に選定する予定である[13][14][15][16]
  • 2015年度の使用開始を目標として、金町駅 - 松戸駅間の江戸川橋梁に防風柵が設置される予定である[17]

脚注

  1. 1.0 1.1 特集・短絡線ミステリー10 都心を貫く直通運転をさぐる 交友社 鉄道ファン
  2. JR東日本 会社要覧2009 p.37 - 2010年2月6日閲覧
  3. 混雑率-民鉄用語辞典 - 日本民営鉄道協会。2010年2月6日閲覧
  4. 1964年の答申改訂で、「日暮里を経由し松戸方面に向かう経過地については、西日暮里、町屋、北千住を経て常磐線に接続し、綾瀬以遠は常磐線を線増すること」が示された。詳細は東京メトロ千代田線を参照。
  5. なお、この工事完成時は綾瀬駅は国鉄・営団の共同管理駅であったが、北綾瀬駅開業に際して営団へ管理を移管している。
  6. 鉄道ファン2006年6月号
  7. 鉄道ジャーナル」1996年4月号
  8. この特例は、その後も千代田線区間が運転見合わせになった時にも適用されている。
  9. 国鉄も原因究明に乗り出し、主制御器の改良によって、1970年代後半には故障件数は地上車並に減少したことが報告されている。
  10. 昭文社・千葉県松戸市ほか
  11. 「at home webなど
  12. 小田急線 千代田線 JR常磐線(各駅停車) の相互直通運転に向けた準備を開始します 〜小田急・JR東日本車両も3線直通可能な車両にしていきます〜 - 2013年3月27日 小田急電鉄・東日本旅客鉄道連名のプレスリリース
  13. JR東、常磐緩行線にCBTCの導入検討 - 2012年07月10日 日刊工業新聞
  14. CBTC導入に対する関心調査及び資料提供招請について - 東日本旅客鉄道
  15. CBTC-SLシステム - 日本信号株式会社
  16. CBTC導入に関するメーカー選定の結果 - 東日本旅客鉄道、2013年2月21日。
  17. 防風柵の設置について - 2013年9月12日 東日本旅客鉄道 プレスリリース

注釈


関連項目