富野由悠季

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富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本アニメーション監督作詞家小説家

神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。

日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。

代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。

目次

人物像[編集]

本名(旧ペンネーム)は富野 喜幸富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった上井草駅西武新宿線井荻駅の隣(となり)であることによる。絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味は素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻[1]と2人の娘。長女は演劇集団 円文芸/演出の富野アカリ、次女は、ダンサーの富野幸緒、ファンからの呼び名は「ガンダムの親」「御大」など。

監督、絵コンテ(絵コンテの節を参照)、演出をしながらも、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行して小説(主に自分の作品の小説化や自分の作品の派生作品)まで書いている。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。

独特の声優審美眼でも知られる。『巨人の星』の主人公星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹を『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役に推したり、俳優池田秀一戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲朴璐美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムファンでもある子安武人も複数の作品で起用された結果、自身の演技の幅を更に広げた)。演技の指導は厳しく、要求に応えられない時はブースに駆け込んで罵声を飛ばす。阪口大助をはじめ新井里美浅川悠らはその厳しさに泣き出したという(当時新人だった阪口に至っては鉄拳制裁まで加えた事もあったとの事)。また、『重戦機エルガイム』で主役を務めた平松広和は「キャラを殺して降ろす」とまで言われたという逸話もある。だが本人は「僕は演技の違いはわからない」などと語り、演技に対する意識は非常に高い。

自らメカをデザインする事もあり、特徴的な容貌やギミックを好む。また、ダクトで覆われたゲルググの胴体やエルメスのビットやザクレロに配された多方面スラスターなどの機能的なデザインもある。ビグザムゾックなどは富野デザインがほぼそのまま残った例であり、実質的に『ガンダム』のドムより後のモビルスーツは、ほぼ富野がデザインしたといわれている。商品化の如何にかかわらず、模型化できるデザインを常に心掛けたという。彼はメカデザイン打ち合わせ時、ファミレス・喫茶店等の公の場であっても、自分の作品論に基づいてか、人目をはばからず卑猥な言葉を発し、スタッフが閉口する事もあるが自身の存在を覚えてもらうために敢えて狙ってそういう発言をしているフシがありテレビ関係の仕事の際は「禁止コード」だからとその発言を控えるなど自身の狙いを匂わせている。

かつて富野の下で修行し実力をつけ名作アニメを生み出した監督は数多い。後年の勇者シリーズエルドランシリーズなど新たなジャンルのロボットアニメを切り開いた、谷田部勝義今川泰宏高松信司川瀬敏文なども富野の下で修行したと言われる。今川泰宏を『機動武闘伝Gガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。厳密には監督ではないが永野護も富野の元で修行した1人であり、富野自身がその才能を高く評価している1人でもある。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがあるが、その厳しい指導の成果は後進へと継がれている。また、教え子たちが監督を務めた作品を視聴しては、意見や批判もレポートに書いて出している。

アニメ誌やテレビなどの媒体に露出度が高い上、歯に衣着せぬ物言いから、反感を買う事もある。ただ、その先見の明と能力を評価する人もいる。また、色紙に座右の銘をと求められると「乾坤一擲」と書き込む様にチャレンジ精神を志向する人物なので、新作には必ず何か新しい試みを盛り込もうとしてアニメファンから抗議を受けるケースも珍しくない。ただひたすらに前を見て進もうとする姿勢を「潔い」と感じるか、逆に周囲の都合を顧みない「独善」と感じるかは受け手の側の資質によるところが大きい。だが、良くも悪くも熱烈なファンが多いことでも知られる。

プライベートでは基本的に無趣味だと語るが、夫婦で家庭用TVゲーム版『パズルボブル』などのパズルゲームをプレイして楽しんでいる様子をインタビューにおいて語っている。なお、ゲームに関しては自身の性格からして、のめり込んで身を滅ぼすであろうという想いから、触れないよう尋常ならざる努力をしてきたと語るだけに、このエピソードは貴重である。(A,C,E2の特典DVDでは、「ゲームは麻薬」「ゲームに携わる仕事をしている人間は嫌い」といった発言をしている。ただ、ゲーム技術の発展についてはある程度の理解も示しているようである)。ちなみにゲームの企画に関わった事があり、そのゲームが近年、ガンダムのゲーム作品を代表するガンダム vs.シリーズである。この時訪問したカプコンで出会ったのが『∀ガンダム』以降の盟友となる安田朗である。

実は大の甘党でショートケーキなどのスウィーツ類が大好物。2002年2月28日に放送された『トップランナー』に出演した際、女性司会者のはなが手作りのショートケーキを差し出した。そのとき富野は子供のように目を輝かせ、美味しそうに食べていた。しかし、「僕、これショートケーキに見えないんだけど」と発言し、周囲を凍りつかせた(富野にとってのショートケーキとは、20センチ程度のホールサイズを切り分けた三角形状のものという一方、はなが出したものは一人前の小型ホールケーキだった)。

近年は(新作・旧作を問わず)自身の作品のインタビューにおいて、「アカデミー賞を受賞するほか記録的なセールスを成し遂げ、二世まで活躍する宮崎駿スタジオジブリ制作作品にライバル意識を持っている」というような発言をしばしばする。宮崎、高畑勲に対する評価は非常に高く『富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。

富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して[2]、「アニメを見るな」「文芸、演劇、物語を見ないで映画、アニメが作れると思うな」「アニメ以外のことに奮闘しろ」「修身道徳格言を学べ」「大人から学ぶものなんてなにもない」「映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい」「45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ」とアドバイスをしている。

彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。

絵コンテ[編集]

フリーの若手だった頃、ジャンルを問わず多くの作品に参加し、コンテをかなりのスピードで上げていったことから「コンテ千本切りの富野」という異名をとるようになる。業界では「富野に頼めば3日でコンテが上がる」と言われていた。制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。

『富野由悠季全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事もある。『ザブングル』の時に顕著であった事例であるが、ほとんど自分のコンテになってしまった時でもスタッフロールの記載を変えることはしない。これは「手直しされた人間にもプライドというものがあるだろう」という配慮からである。大塚康生が語るところによると、富野が絵コンテとして参加しクレジットもされた『未来少年コナン』においては、監督の宮崎駿がほとんど自分でコンテを書き替えたことも少なくなかったということから、そうした経験も影響していると考えられている。しかし著書『映像の原則』の後書きでは「ただ彼らを甘やかしただけだったかもしれない」と書いている(ちなみに「ほとんど」という点についてだが、コンテというものは1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事になる)。

近年では、演出・絵コンテの圧倒的な経験量を背景とする高い編集能力には定評がある。最新の『劇場版 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作った。

作風[編集]

監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。また「ガンダム」「イデオン」では登場するロボット群の大半のデザイン原案を自ら描いており、ほぼそのまま登場した物も多い。

関わった作品の台詞回しは独特であり、度々含みを持たせた脈絡の無い言葉を発する、顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなどの特徴がある。この独特の台詞回しは「富野節」と呼ばれている。また、登場メカや人物の名称にも特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。

テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語っている。

そして、富野作品全てに共通するテーマの主題として本人曰く「人の自立と義務と主権の発見と、人が作ってしまう悪癖(これを""と称している)の発見」と語っている要出典

作風の違いに基づく異名[編集]

かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、TV版『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった(代表作『機動戦士ガンダム』では大半が生き残ったが、後の小説版では途中で主人公を戦死させるという展開が見られる)。しかし、富野は決して好き好んでキャラクターを死なせているわけではない。『イデオン』のストーリー後半の製作の際、スポンサーや上層部から声優の出演料の関係でキャラクターの殺害要求をされた時は、嫌だったという。またライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。

近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。自身も、「エンターテインメント作品は勧善懲悪の王道展開が面白いに決まっている」といったことを述べている。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い悲劇的な作品については「黒富野」、王道の作品やコミカルな作品は「白富野」と俗称されている。

登場キャラクターの特徴[編集]

主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。また家庭環境の影響か、集団組織(チーム)活動を行えない。恐らくは自身の性格が影響されていると思われる。

作品中にも、主人公と両親の関係が決して良好なものではなく、殺したり存在を忘れさせたりなどその姿勢を、頑なに変えない富野の「許し難い両親が生きている」という態度が作品中に出ている。しかし、両親が死んでしまった時などは主人公が涙を流すなど、本当は家族を愛していた一面も描かれている。ただしそれでも尚、両親であるキャラクターはその「死の瞬間」、まさに肉体が消滅するその瞬間までも醜悪な人間であり続ける事が多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。母のことについてはあまり語っていないが、父はBSアニメ夜話では零戦の与圧服の開発スタッフだったと述べている。

当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインには芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。(著書『だから 僕は…』にて)

また、ほとんどの作品に富野自身の特徴の一部と似た面(思想、境遇など)を持つ政治家、権力者や野心家が登場している。その例として、デギン・ソド・ザビ、ドバ・アジバ、ドレイク・ルフト、バスク・オムパプテマス・シロッコシャア・アズナブルカロッゾ・ロナフォンセ・カガチ、クラックス・ドゥガチなどがその一例である。本人曰く、一番自分に近いキャラクターとしてギレン・ザビを挙げている。

そして、作品の一部の男性キャラクターは母性マザコン)に飢えているという共通点もある。

富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見ても少女漫画や、いわゆる「萌え系」のような大き過ぎる眼(=顔の半分を占める 逆に鼻と口は存在しないに等しい大きさ)のキャラクターは全く登場しない。例外は『ダンバイン』のチャム・ファウと『エルガイム』のリリス・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目の大きいキャラクターを描くいのまたむつみをキャラクターデザインに起用した際も、本人を目の前にして「好きではない」と発言しており、アニメーションデザインを担当した重田敦司にも目を小さく書くように指示を出している。富野曰く、「萌え系のキャラクターの目が大きいのは、視聴者の大半であるオタクが視線に飢えているから」とのことである。 反面、機動戦士ガンダムのキャラクターデザイナーに安彦良和を起用した一因に“目を大きく描くから”というのがある。これは、物語展開がそれまでのアニメよりも地味になりがちなりそうなのを見越し、キャラクター人気で作品を引っ張ろうとしていたという。また、ドラマ性を高くするため“目での演技をさせやすくする”ため、とも要出典

経歴[編集]

  • 1941年:神奈川県小田原市生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。
  • 1964年:日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督山本晋也がいる。山本とは学生時代にエピソードあり)を卒業し、手塚治虫主宰の虫プロダクションへ入社、制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受け、「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」と悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。
本来実写作品の監督志望であったが、富野の大学卒業前、すでに大手映画会社は大学新卒者の採用をやめており、学部の関係上、就職口が虫プロダクションしかなかったとコメントしている。当時アニメは子供の漫画映画という認識しかなかったため、大の大人がおもちゃ屋の宣伝番組であるアニメの仕事をやるのは非常に恥ずかしかったと述べている。現在でも、実写ドラマの監督がやりたいという野心があると語っている。
※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。
  • 1968年:オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになりタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。
  • 1971年:結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。このころに埼玉県新座市に引っ越す(『ダイターン3』の「シン・ザ・シティ」の元ネタとなる)。
  • 1972年:初の監督作品である『海のトリトン』の監督を務める。
  • 1975年:『勇者ライディーン』の監督を2クール(第26話)で降板する(後任は長浜忠夫)。出崎哲の後任として『ラ・セーヌの星』の3クール目(第27話~第39話)の監督を務める。
  • 1977年:創映社が日本サンライズとして改組・独立。サンライズ初のアニメーション作品である『無敵超人ザンボット3』の総監督を務める。
  • 1978年:『無敵鋼人ダイターン3』の総監督を務める。
  • 1979年:自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督を務めるが、打ち切りとなる。この作品が後のロボットアニメーション業界に「人物群像」と「事件の経過」という展開を与える。
  • 1980年:『伝説巨神イデオン』の総監督を務めるがガンダムと同じく打ち切りとなる。
  • 1981年:映画『機動戦士ガンダムⅠ』の総監督を務める。5月22日、映画『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。
  • 1982年:『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』、『戦闘メカ ザブングル』、『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督を務める。この頃から原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。
  • 1983年:『聖戦士ダンバイン』の総監督、『ザブングル グラフィティ』の監督。『銀河漂流バイファム』の原作を務める。
  • 1984年:『重戦機エルガイム』の総監督を務める。
  • 1985年:自身初の続編シリーズ物の『機動戦士Ζガンダム』の総監督を務める。後の本人の口からいい意味でも、悪い意味でも「思い入れのある作品」と答えている。
  • 1986年:『Ζガンダム』の続編として『機動戦士ガンダムΖΖ』の総監督を務める。
  • 1988年:当時、ガンダムシリーズの最終作品として作られた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の監督・脚本を務める。
  • 1991年:新たなるガンダムシリーズとして作られた『機動戦士ガンダムF91』の監督・脚本を務める。
  • 1993年:『機動戦士Vガンダム』の総監督を務める。この頃から制作における混乱があまりにも大きく、ひどい状態となり数年間はアニメ監督をやっていない。(脚本や絵コンテはしている)
  • 1994年:漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(作画は長谷川裕一)。原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作に携わった。同作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編的物語で、1997年まで連載。
  • 1996年:初のOVA作品の『ガーゼィの翼』の監督をする。
  • 1998年:WOWOW初のオリジナル有料アニメ『ブレンパワード』の総監督を務める。93年の『機動戦士Vガンダム』以来5年ぶりのTV作品放映。
  • 1998年:『ガンダム』誕生20周年記念作品として、『∀ガンダム』の総監督を務める。この頃に安田朗と出会いカプコンによる「ガンダムのゲーム作っていいですか?」という質問に「いいよ」と答えたのが、ガンダムゲームの代表作のひとつである『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』である。
  • 2002年:再びWOWOWでの放送アニメ『OVERMANキングゲイナー』の総監督を務める。
  • 2004年:上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」となった。
  • 2005年:劇場版『機動戦士Ζガンダム』三部作を制作し、順次公開。映画『ローレライ』には、反乱軍として通信所を占拠する海軍大尉としてカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から自身初のWEBアニメ『リーンの翼』の監督を務める。
  • 2006年:映画『日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。
  • 2008年:映画『少林少女』に主人公(柴咲コウ)の亡き祖父としてカメオ出演。あくまでゲスト扱いであるが、昨今は実写映画への出演も目立ちつつある。

近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。

参加作品一覧[編集]

鉄腕アトム[編集]

詳細は 鉄腕アトム (アニメ第1作) を参照
  • 制作進行・演出助手・脚本・演出

手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。

「アニメだって映画、動かなくてはいけない。それを止めて見せることができるという発想は許し難かった。最初は仕事と割り切っていたが、半年もすると不満が沸いてきた。当時、虫プロで働いていたのは、映画的なセンスがない人たち。 僕は映画的な演出ができる確信があったので、アニメとは言えない電動紙芝居でも、作りようはあると思うようになった。そんな体質が分かるのか、僕が演出になると、先輩から徹底的に嫌われた。『アトム』での僕の演出本数が一番になった時、みんなの視線が冷たかった。『アトム』が終わると、虫プロを辞めた。」(『アニメ大国の肖像』中日新聞連載、2006年)

過去に関わった作品(1968年 - )[編集]

虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。

上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。

この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。ただし『ど根性ガエル』のような作品は「またやってみたい」と発言し、一方で『いなかっぺ大将』については「下卑たギャグと舐めてかかったがゆえに惨敗した」と書き、また『巨人の星』についてアニメで畳部屋を描くことに抵抗を感じた、と吐露していることから、作者・川崎のぼるに代表される、洗練されていない日本人の感性に訴えかける「泥臭い魅力」を嫌悪しているのが富野の特性だ、ともとれる。

『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり『機動戦士ガンダム』の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った(ちなみに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)。今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。

元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと言われ、安彦良和によれば「画を描く手間を考えない『真面目にやっているのか?』というコンテ」、湖川友謙は「動かす意欲を刺激する良いコンテ」と、当時はコンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、良くも悪くも平均点でないコンテを描いていたようだ(現在でも癖の強さは変わっていない)。安彦の回想では、画面の奥の方で関係のないキャラクターの芝居が入っているなど、処理に困るシーンがあると現場で適当にカットしていたそうである。それでも特に文句を言ってこないため「軽い演出家」との印象を持っていたが、ガンダム製作時に膨大な設定を持ち込むのをみて考えを改めたという。

海のトリトン[編集]

詳細は 海のトリトン を参照
  • 実質的に初のチーフ・ディレクター(1968年の『夕やけ番長』が初チーフディレクター作品だが、実際には初期数話に関わった程度)。

手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。

勇者ライディーン[編集]

詳細は 勇者ライディーン を参照
  • 監督・絵コンテ(前半)

オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。

宇宙戦艦ヤマト[編集]

詳細は 宇宙戦艦ヤマト を参照
  • 絵コンテ

著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。

「ガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、『ヤマトをつぶせ!』これです。他にありません。松崎君(松崎健一)も一話でヤマトを越えたと言ってくれましたんで安心してます(笑)」(『アニメック』第10号、1980年)

しあわせの王子[編集]

  • 演出
  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。

オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。

ラ・セーヌの星[編集]

詳細は ラ・セーヌの星 を参照

途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。

無敵超人ザンボット3[編集]

詳細は 無敵超人ザンボット3 を参照
  • 原作(共同原作/鈴木良武)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)

日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。 当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。

無敵鋼人ダイターン3[編集]

詳細は 無敵鋼人ダイターン3 を参照
  • 原作・総監督・脚本・絵コンテ

前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。

機動戦士ガンダム[編集]

詳細は 機動戦士ガンダム を参照
  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞

富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により当初の52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく(ただし、富野本人はこれは社会現象ではなく、ただファンが盛り上がっただけと語っている[3])。

本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司絶望に効くクスリ』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)

ザ☆ウルトラマン[編集]

詳細は ザ☆ウルトラマン を参照
  • 絵コンテ

伝説巨神イデオン[編集]

詳細は 伝説巨神イデオン を参照
  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞

『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。

機動戦士ガンダム(劇場版)[編集]

  • 総監督
  • 井荻麟名義で「スターチルドレン」(挿入歌・本編未使用)作詞

劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。

本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため、タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。

機動戦士ガンダムII 哀・戦士編[編集]

  • 総監督
  • 井荻麟名義で「哀 戦士」(テーマソング)、「風にひとりで」(挿入歌)作詞

劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。

機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編[編集]

  • 総監督
  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞(ただし売野雅勇との共同作詞)

劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。

戦闘メカ ザブングル[編集]

詳細は 戦闘メカ ザブングル を参照
  • 原作・総監督・ストーリーボード
  • 井荻麟名義で「疾風ザブングル」(オープニング)、「乾いた大地」(エンディング)「HEY YOU」「わすれ草(そう)」(挿入歌)作詞

原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに監督としての富野の意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つらかったけど楽しかった」等、新境地を見出したらしい言葉が多く聞かれるところを見れば必要な対立だったとも言えよう。停滞や馴れ合いを嫌う富野はしばしばスタッフとの間に軋轢を生み出すが、その性格があったればこそ長年アニメ監督として一線で活躍して来られたのだろうし、その姿勢に刺激を受けたスタッフも少なくはない。今作では途中で主役機が交代しているが、これはロボットアニメ史上初。

The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇[編集]

  • 総監督・原作・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「セーリング フライ」(『接触篇』挿入歌)、「海に陽に」(『発動篇』挿入歌)作詞

『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。

聖戦士ダンバイン[編集]

詳細は 聖戦士ダンバイン を参照
  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード
  • 井荻麟名義で「ダンバインとぶ」(オープニング)、「みえるだろうバイストン・ウェル」(エンディング)作詞

放映がファミリーコンピューターの発売と同時期であり、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジーは、まだ一般にさほど認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった当時、ファンタジーの舞台にテクノロジーを据えた同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球へと舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。

ザブングル グラフィティ[編集]

  • 監督・原作

テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく描き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。

銀河漂流バイファム[編集]

詳細は 銀河漂流バイファム を参照
  • 原案

十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。

重戦機エルガイム[編集]

詳細は 重戦機エルガイム を参照
  • 原作・総監督・ストーリーボード
  • 井荻麟名義で「スターライト・シャワー」(エンディング)、「傷ついたジェラシー」(挿入歌)作詞

キャラクターデザインメカニックデザイン永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。 富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野の単一の作品としては総話数が全54話と最も多い。 富野自身は「この作品は永野のもの」と語っている(世界観などの殆どが永野の考案である事からの発言だと推測される)

機動戦士Ζガンダム[編集]

詳細は 機動戦士Ζガンダム を参照
  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞
  • 井荻麟名義で「Ζ・刻をこえて」(前期オープニング)、「星空のBelieve」(エンディング)、「銀色ドレス」(挿入歌)作詞

それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。

機動戦士ガンダムΖΖ[編集]

詳細は 機動戦士ガンダムΖΖ を参照
  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ
  • 井荻麟名義で「一千万年銀河」(後期エンディング)作詞

スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なり、ファンから苦情が寄せられた。

なお、この作品の「新訳」は『誰がやるか!』と吐き捨てるように語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。F91を中心に各作品のメインテーマを交響曲として発表し、富野もゲストとしてタクトを振るった『ガンダムコンサートライブ』においてもZZのみが関連曲が一つも流れなかった。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア[編集]

詳細は 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア を参照
  • 原作・監督・脚本・絵コンテ

初の劇場版オリジナル作品。「シャアアムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは劇場版とほぼ同じストーリーだが、前半に劇場版以前の物語が追加されている。

機動戦士ガンダムF91[編集]

詳細は 機動戦士ガンダムF91 を参照
  • 原作・監督・脚本(伊東恒久と協同)・絵コンテ・挿入歌の作詞
  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。

背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。

ママは小学4年生[編集]

詳細は ママは小学4年生 を参照
  • オープニングストーリーボード

 監督作品以外では、その他『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の初期OPも担当している。

機動戦士Vガンダム[編集]

詳細は 機動戦士Vガンダム を参照
  • 原作・総監督・絵コンテ・構成
  • 井荻麟名義で「STAND UP TO THE VICTORY~トゥ・ザ・ヴィクトリー」(前期オープニング)作詞(ただしみかみ麗緒との共同作詞)、「ひなげしの旅のむこうに」「いくつもの愛をかさねて」(挿入歌)作詞

第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1~2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい「」状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていたと、著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しをつけ、ファンを驚愕させた。

機動武闘伝Gガンダム[編集]

詳細は 機動武闘伝Gガンダム を参照

「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、富野は次回作ガンダムの監督を拒否。監督に今川泰宏を指名し、戦争ものではなくロボットプロレスをやるようにと指示した。

闇夜の時代劇[編集]

  • 脚本・演出

第2話「正体を見る」を担当。

バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼[編集]

  • 原作・監督・脚本・絵コンテ

初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。 なお、本編ビデオ各巻末には本人出演による、バイストン・ウェルの世界観、演出、作画に関する解説が収録されている。

富野が前述の鬱状態の中製作した作品である。 後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。

ブレンパワード[編集]

詳細は ブレンパワード を参照
  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「愛の輪郭(フィールド)」(エンディング)作詞

WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインにいのまたむつみを起用した。

∀ガンダム[編集]

詳細は ∀ガンダム を参照
  • 原作・総監督・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「ターンAターン」(前期オープニング)、「CENTURY COLOR」(後期オープニング)、「月の繭」(後期エンディング)、「月の魂」「宵越しの祭り」(劇中歌)、「月下美人」(挿入歌)、作詞

『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての~」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコン安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナーシド・ミードを起用した。ミードがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、両小説ともに富野による初期構想案メモを元に沿っている。なお福井小説版においては、構成案メモから先の物語は福井晴敏独自の展開にする事を富野由悠季自身が了解している。

OVERMANキングゲイナー[編集]

詳細は OVERMANキングゲイナー を参照
  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ
  • 井荻麟名義で「キングゲイナー・オーバー!」(オープニング)、「本当かい!」「ミイヤの祭り」「デビルズ・アイシング」(劇中歌)、「氷の上のおやすみなさい」(挿入歌)、作詞

再びWOWOWのスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能といった要素が、作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏西村キヌ吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには、『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用した。若手のスタッフが「いかに凄惨に描くか」を話していた時に、「もう悲惨な話はいいよ」と諭したこと、「100歳まで現役でやれる」と周囲を驚かせたエピソードがDVDブックレットで描かれていたことなどから、心理的に立ち直った事も窺える。有料放送なので視聴者は限られていたが、そのパワーある作風に心躍らせた視聴者も少なくない。

劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶[編集]

  • 原作・総監督

『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3部作だったが、50話の『∀ガンダム』を2部構成にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い(監督自身も、1stガンダムに比べて編集が困難と語る)。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。

リーンの翼[編集]

詳細は リーンの翼 を参照
  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督
  • 井荻麟名義で「はじめてのおっぱい」(挿入歌)作詞

富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。

機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者[編集]

機動戦士ΖガンダムII 恋人たち[編集]

  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛[編集]

  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

小説他著作一覧[編集]

機動戦士ガンダムシリーズ[編集]

機動戦士ガンダム
1979年から1981年に朝日ソノラマソノラマ文庫)から刊行。1987年に角川書店角川スニーカー文庫)に収録。全3巻。
機動戦士Ζガンダム
単行本は1985年から1986年に講談社から刊行。文庫版は1987年に角川書店から角川スニーカー文庫に収録。
  • 1巻 カミーユ・ビダン
  • 2巻 アムロ・レイ
  • 3巻 強化人間
  • 4巻 ザビ家再臨
  • 5巻 戻るべき処(ところ)
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(前・中・後)
1987年から1991年に徳間書店アニメージュ文庫)から刊行。2002年に徳間デュアル文庫から『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』(雑誌『アニメージュ』連載時のタイトル)に改題して収録。
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン
1988年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上・下)
1991年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
機動戦士Vガンダム
1993年から1994に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
  • 1巻 ウッソ・エヴィン
  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ
  • 3巻 マリア・リーディング
  • 4巻 コンビネーション
  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ
密会――アムロとララァ(上・下)
1997年に角川書店(角川mini文庫)から刊行。2000年に上下巻を全1巻にまとめて角川スニーカー文庫に収録。

ガイア・ギア[編集]

詳細は ガイア・ギア を参照

ガンダムシリーズ中での紀年法宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ[編集]

詳細は 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ を参照

角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため、一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが、ガイア・ギアとは異なりゲーム作品等への露出はある。現在では、本作もほぼ「正史」として見られているようである。

機動戦士クロスボーン・ガンダム[編集]

詳細は 機動戦士クロスボーン・ガンダム を参照

『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」とは認められていないが、富野が漫画原作者として関わった事や、スーパーロボット大戦等のゲームに登場した事により、本作もほぼ「正史」として見られているようである。

伝説巨神イデオン[編集]

1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。

  • 1巻 覚醒編
  • 2巻 胎動編
  • 3巻 発動編

バイストン・ウェル物語シリーズ[編集]

リーンの翼 - バイストン・ウェル物語より
1984年から1986年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。1986年に角川文庫に収録。全6巻。
ファウ・ファウ物語(上・下)
1986年から1987年に角川書店(角川文庫)から刊行。
オーラバトラー戦記
1986年から1992年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。2000年から2001年に角川スニーカー文庫に収録。
  • 1巻 アの国の恋
  • 2巻 戦士・美井奈
  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン
  • 4巻 ギィ撃壊
  • 5巻 離反
  • 6巻 軟着陸
  • 7巻 東京上空
  • 8巻 マシン増殖
  • 9巻 オーラ壊乱
  • 10巻 重層の刻
  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
ガーゼィの翼
1995年から1997年にアスペクト(ログアウト冒険文庫)から刊行。全5巻。

破嵐万丈シリーズ[編集]

1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。

薔薇戦争
憂鬱ミュージアム
ヒット・カップル
愛はシベリアから

シーマ・シーマ[編集]

1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。

  • 前篇 疾風の果てに
  • 中篇 修羅に昇る
  • 後篇 血族を払う

アベニールをさがして[編集]

1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。

王の心[編集]

1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。

死者の書
天女生誕の書
再臨飛翔の書

その他の著作一覧[編集]

だから僕は…
1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年
自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。
ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
1980年、声優鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される)
「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます
1982、徳間書店
虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。
∀の癒し
角川春樹事務所, 2000年
エッセイ。主に『Vガンダム』監督前から『∀ガンダム』放映終了までのもの。
映像の原則-ビギナーからプロまでのコンテ主義
キネマ旬報社, 2002年
映像の特徴から編集・作画・演技・音響など、映像作りに必要なほとんどの作業についてを記した実務書。
戦争と平和
共著:大塚英志上野俊哉ササキバラ・ゴウ 徳間書店, 2002年
教えてください。富野です
角川書店, 2005年
富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健上妻宏光斎藤孝水谷修野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。
富野に訊け!
徳間書店, 2005年
『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。
From First
彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。

原作名義作品[編集]

富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたガンダム作品にもテロップでは「原作者」とされている。

その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダム作品などにも必ず名前が入っている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 著書『だから僕は…』や『「イデオン」ライナー・ノート』においては「亜々子」という名前で記されているが、本名かどうかは詳らかではない
  2. 文化庁メディア芸術プラザ インタビューにおいて
  3. NHK放送された『「まるごと!機動戦士ガンダム」』より
fi:Yoshiyuki Tomino

it:Yoshiyuki Tomino ko:도미노 요시유키 zh:富野由悠季