大阪府立住吉高等学校

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大阪府立住吉高等学校
大阪府立住吉高等学校旧正門
過去の名称大阪府立第十五中學校
大阪府立住吉中學校
国公私立の別公立学校
設置者大阪府
学区府内全域
併合学校
理念
校訓自主自律
設立年月日1922年
創立記念日11月1日
創立者
閉校年月日
共学・別学男女共学
高大一貫教育
中高大一貫教育
中高一貫教育なし
小中高一貫教育
幼小中高一貫教育
分校
課程全日制課程
二部以上の授業
単位制・学年制学年制
設置学科総合科学科
国際文化科
学科内専門コース
専攻科
別科
学期2学期制
高校コード27158G
中学校コード
所在地545-0035
大阪府大阪市阿倍野区北畠2-4-1
外部リンク公式サイト
公式サイト
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大阪府立住吉高等学校(おおさかふりつすみよしこうとうがっこう)は、大阪府大阪市阿倍野区にある全日制公立専門高校

概要[編集]

前身は1922年大正11年)、15番目の府立中学校として設立されたナンバースクール

校歌制服は無く[1]、校訓に「自主自律」を掲げる伝統校で、旧制中学校時代から多数の著名人を輩出してきた。校地は、大阪市南部の高級住宅街とされた帝塚山地域のはずれに位置し、古今和歌集にうたわれた“住吉の岸の姫松”が4本、自生している。近くには阿部野神社阿倍王子神社安倍晴明生誕地とされる安倍晴明神社もある。校地の住所表記が創立時、大阪市外の「東成郡住吉村北畠」(旧住吉郡)だったことから、校名に“住吉”の名前を冠した。

2005年平成16年)、83年間続いた普通科高校の歴史を閉じ、府北部の千里高校、府南部の泉北高校とともに「専門高校」(国際・科学高校)に移行した。校名は同じだが、大阪府としては、全日制府立高等学校特色づくり・再編整備計画に基づき住吉地区に開校させた“新(たな)高校”と位置付けている。

学科は文系の「国際文化科」と理系の「総合科学科」の2つを持ち、2学期制で七限授業。国際文化科は、他校で普通科に併設の「国際教養科」(1990年、千里高校とともに府内の公立高で初の導入)に比べ、「観て、聴いて、感じる」教育に重点を置いており、2泊3日の英語合宿も行う。総合科学科も、他校の大学進学重視の「理数科」に比べ、「実験・実習を通じ、探究心を育成する」実学に重点を置いており、やはり2泊3日で実験合宿を行っている。

“国際”を掲げる学校らしく、短期オーストラリア留学や韓国研修などがあり、韓国・ソウル特別市の「淸潭高校」(チョンダム、Cheongdam High School)と姉妹校提携を結んでおり、夏に訪韓し同校へ、冬は逆に同校の生徒が来日する。専門高校に改編の2005年以降は修学旅行先も毎年、外国となっている(約1週間、学年全体で渡航)。

在日韓国・朝鮮人の子弟も多く(2008年で5パーセント[2])、「KCS(韓国文化研究会、"Korean Culture Studies"の略 )」というクラブがある。また、校地に隣接の住吉区東住吉区に大規模な同和地区があり、人権教育多文化教育に力を入れている。在日外国人と子弟向けに「多文化進路ガイダンス」も行っている。

入試は、専門高校のため農業・工業・音楽・理数などの各専門学科と同じ前期(2月)である。

大阪府の主要ナンバースクールで唯一、同窓会館と呼べるものがなく、2009年現在、建設へ向けて募金活動を行っている。

沿革[編集]

大阪府内で明治期に整備された中等教育機関が大正中期に「入学難」状態となり、その緩和を目的に設立された。

校地周辺は大阪市外の農地に過ぎなかったが、大正期の鉄道会社の宅地開発にともない、1916年の「帝塚山学院」を皮切りに、「大阪高等学校」(大阪大学教養部の前身)、「大阪府女子専門学校」(大阪府立大学の前身校の1つ)など教育機関が相次いで開設された。市域の拡大に合わせて手塚山界隈は“文教地区”の色を濃くし、新興ベッドタウンから高級住宅街への道を歩むようになり、その一角の府立住吉中学もナンバースクールとしては後発ながら人気を集めるようになる。

第二次世界大戦後男女共学の新制高校となった後、地元・手塚山の富裕層の子弟らが入学したことで隆盛を迎え、1970年昭和45年)には大阪大学合格者数も府内公立高最多となり“阪大の住吉”と呼ばれる進学校となった。

しかし、1973年、公立高の普通科の通学区域(学区)が「9学区制」に細分化され、大阪市南部だけの第六学区に属したことを機に低迷が始まる。従来の通学区域の南河内地区から“優秀な生徒”が入学できなくなり、さらに地価高騰によるドーナツ化現象で手塚山をはじめ市内の若年人口が減少。巧みな宣伝・大学進学特化を前面にした各私立高校の人気が高まり、富裕層の子弟が流出したことが追い打ちをかけ、第六学区の公立高は、かろうじて“府立高「御三家」”のブランドで“最優秀の生徒”を集めた天王寺高校を除いて学力が低迷。“学区2番手”の住吉高校も1980年代末には“他の学区ならば3、4番手”レベルとされるほど凋落した。

このため、教職員や同窓会らが“将来像”を模索。前後して1990年(平成2年)、「国際教養科」が設置される。同科の学区は府内全域のため隣接学区から優秀な生徒を集めやすかったが、翌1991年には府南部の佐野高校に、1992年には府内9学区に1校ずつ設置されたため、期待されたほどの“効果”はなかった。

国際教養科を機に、英語のみ使用の授業や英字新聞を作るなどの“改革”を進めていたおり、1999年大阪府教育委員会が「教育改革プログラム」で全日制府立高等学校特色づくり・再編整備計画をまとめる。同じ第六学区の今宮高校がすでに「総合学科」高校へ移行していたことから、国際教育・科学教育に特化する「専門高校」へ改編されることとなった。

専門高校化後は、往時ほどではないものの現在、大阪市南部の名門校として“復活”の兆しを見せている。

年表[編集]

  • 1922年(大正11年) - 「大阪府立第十五中学校」として大阪市北区北野芝田町の大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)内で開校。
  • 1923年 - 東成郡住吉村北畠(現在地)に移転、「大阪府立住吉中学校」と改称。
  • 1948年昭和23年) - 学制改革に伴い、新制高校の「大阪府立住吉高等学校」となる。大阪府立阿部野高等学校(旧阿部野高等女学校)から生徒・教職員を交流して、男女共学が開始された。
  • 1954年 - 交流先の阿倍野高校(阿「部」野から阿「倍」野に改称)との間で、体育系クラブの親善スポ-ツ大会「阿倍高戦」(住高戦」)が始まる。
  • 1969年 - 学生運動が高揚。
  • 1970年 - 約1年間の討議の末、制服の自由化を実施。
  • 1971年 - 親善スポ-ツ大会「阿倍高戦」(住高戦)を終了。
  • 1990年(平成2年) - 従来の「普通科」以外に「国際教養科」(2クラス、千里高校と同じ)を併設。コンピュータ教室を設置し英語の授業に使用。異文化理解に軸を置き、アメリカから初めての留学生を受け入れる。
  • 1991年 - 国際教養科の第2学年に、英語に次ぐ第2外国語(5ヶ国:フランス語スペイン語中国語韓国・朝鮮語)開講。
  • 1992年 - 国際教養科の1次選抜入試・帰国生徒入試実施。
  • 1998年、1999年 - 第二次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となったオランダ人らが訪問、捕虜体験や平和について学ぶ(外務省の招請、対日道義的債務基金の一環)
  • 1999年 - 韓国の淸潭高校と姉妹校となる。
  • 2002年 - 創立80周年、記念誌を刊行。
  • 2003年 - 文部科学省の「国語教育推進校」(国語力向上モデル事業)に指定(期間は2年間、2006年度まで) 。
  • 2005年 - 府立高等学校特色づくり・再編整備計画に基づく「専門高校」(国際・科学高校)となる。普通科と国際教養科を廃止し、新たに「総合科学科」(3クラス)「国際文化科」(4クラス)を設置。韓国・光州市の韓一高校が来校。
  • 2007年 - 文科省スーパーサイエンスハイスクール事業校に指定(期間は5年間、2011年度まで)。
  • 2008年 - ユネスコ・スクールに加盟。

最寄駅[編集]

学校行事[編集]

海外スタディツアー[編集]

いわゆる修学旅行のことである。専門高校となった2005年度以降、旅行先は海外となっている。例年10月に一週間程度、現地の生徒との交流会や、観光現地企業見学、現地学習などをする。帰国後生徒たちは全員プレゼンテーションを行う。

学園祭[編集]

9月の金曜日、土曜日に2日間かけ行われる。通常金曜日は在学生のみで行われ、土曜日は一般開放される(要招待券)。学生はクラス単位で舞台演劇や飲食、展示などを行う。また文化部はそれとは独自に参加してもよいが、運動部は禁止されている。

体育祭[編集]

毎年5月に行われる。4団に別れ、各団3年生を中心として行事に取り組む。種目の一つに応援合戦というものがあり、一般生徒は当日まで何もしないのが通例だが、応援団に所属する生徒は早朝、昼休み、放課後までダンスの練習や団旗、衣装等の作成をする。

プレゼン大会[編集]

全1年生がプレゼンを行う。テーマは自分で決定する。それに関して論文も仕上げなくてはならない。優秀者は別の日に100人ほどの前で発表する場を与えられる。

実験合宿[編集]

総合科学科の1年生が7月に2泊3日で他府県へ出かけ、科学実験の基本技術を学ぶ。解剖や、現地での生物採取、天体観測など普段学校ではできない実験、講義などが行われる。

英語合宿[編集]

国際文化科の1年生が3月に2泊3日で英語学習のための合宿を国内で行う。国内で海外ホームステイをしているような体験をするのが目的で、原則日本語禁止。英語でディベートなどネイティブスピーカーと一緒に英語に関した学習を行う。

新入生歓迎会[編集]

体育館に新入生が集められ、先輩たちから歓迎を受ける。自治会が主導で開催し、教師の干渉は一切ない。歓迎とあるが、その実態はクラブの勧誘、及びその存在を認識してもらう場となっている。ファッション部、ダンス部などはもちろんのこと、体操部、ラグビー部などの運動部も壇上で何らかの芸を披露する。

駅伝大会[編集]

毎年12月に開催される。雨天中止。運動部のみが参加し、近くにある万代池を各クラブが周回する。以前は、文化部も参加していた。

校歌[編集]

住吉高校に校歌は存在しないが、代わりに“生徒歌”と“住高四季”と呼ばれる歌が存在する。生徒歌は作詞:自治会選、作曲:寺本節生。通常校歌を使用するような場面では生徒歌を使用する。住吉高校四季は作詞:眉村卓、作曲:小谷智勢子。なお旧制住吉中学校時代の校歌は存在する。歌詞はすべて住吉高校の公式サイトで公開されている。

クラブ・同好会[編集]

運動部
文化部
同好会
  • 料理同好会
  • 文芸同好会
特別部

出身者[編集]

そのほか[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. (購入・着用自由の“推奨服(標準服)”がある)
  2. 朝日新聞大阪版2008年2月14日付 http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802140043.html

外部リンク[編集]