若松河田駅
若松河田駅(わかまつかわだえき)は、東京都新宿区河田町にある、東京都交通局(都営地下鉄)大江戸線の駅。駅番号はE 03。
歴史[編集]
駅構造[編集]
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 都営大江戸線 | 新宿西口・都庁前・(都庁前のりかえ)光が丘方面 |
2 | 都営大江戸線 | 飯田橋・上野御徒町・両国方面 |
利用状況[編集]
2012年度の1日平均乗降人員は30,471人(乗車人員 15,269人、降車人員 15,202人)である[1]。
開業以来の1日平均乗降・乗車人員推移は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗降人員[3] |
1日平均 乗車人員 |
---|---|---|
2000年(平成12年) | 7,527 | |
2001年(平成13年) | 9,277 | |
2002年(平成14年) | 10,638 | |
2003年(平成15年) | 22,712 | 11,115 |
2004年(平成16年) | 23,639 | 11,638 |
2005年(平成17年) | 24,769 | 12,230 |
2006年(平成18年) | 25,582 | 12,603 |
2007年(平成19年) | 26,742 | 13,298 |
2008年(平成20年) | 27,503 | 13,785 |
2009年(平成21年) | 28,347 | 14,246 |
2010年(平成22年) | 28,757 | 14,433 |
2011年(平成23年) | 28,392 | 14,243 |
2012年(平成24年) | 29,700 | 14,902 |
2013年(平成25年) | 30,471 | 15,269 |
駅周辺[編集]
駅周辺は閑静である。早稲田大学戸山キャンパス(文学部)へは歩いて15分程で、東京地下鉄(東京メトロ)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西武鉄道の高田馬場駅から歩くよりも若干近い。
- 東京女子医科大学
- 国立国際医療センター戸山病院
- 総務省統計局
- 小笠原伯爵邸
- 大久保通り
- 早稲田大学内藤多仲博士記念館
- タリーズコーヒー新宿若松河田店
- 河田町コンフォガーデン高級賃貸高層マンション
- 新宿区役所 若松町特別出張所
バス路線[編集]
最寄のバス停は、駅直上にある抜弁天通り上にある「河田町」となる。
- 若松口西側・抜弁天通り東方向
- 若松口東側・抜弁天通り東方向
- 若松口西側・抜弁天通り西方向
- 宿75系統:新宿駅西口行
- 高71系統:高田馬場駅行
- 若松口東側・抜弁天通り西方向
- 早81系統:渋谷駅東口行
- 宿74系統:東京女子医大行
駅名の由来[編集]
付近の二つの町名「若松町」と「河田町」から命名された。
地名の若松町の「若松」は、江戸時代将軍家へこの地から正月用の若松を献上していた事によるもの。河田町の「河田」は田圃の事。ここでの「河」は湿地帯の事を指す。古来この辺は川田窪とも言った。かつて河田町は市谷河田町という町名だった。1986年2月、新宿区の住居表示実施に伴い河田町に名称変更。江戸時代、若松町・河田町はともに牛込村域。河田町は市谷村にまで町域が続いているとの理由から市谷河田町と呼ばれているうちに、明治期にそれが正式な町名となった。
かつてはこの地区にも路面電車(都電13系統、新宿駅前 - 水天宮前)が走っていたが、1970年に廃止された。その後、代替の地下鉄の建設は無く、都バスによってカバーされていた。東京都庁の西新宿移転に伴う新しい地下鉄建設の経路決定にあたり、新宿区の牛込地区ではこの都電13系統の経路を踏襲することになった。当時の若松町停留所と河田町停留所のちょうど中間に新駅を建設することになった。
二つの町名による合成駅名になったのは二町に対する配慮もあるが、フジテレビの移転も大きく影響している。河田町は長らくフジテレビの所在地として全国的な知名度を誇ってきたが、1997年3月をもってフジテレビは港区台場に移転した。フジテレビの跡地には、高級賃貸高層マンション河田町コンフォガーデンが建てられた。(なお、本社の向こう側にあった第一別館は「フジテレビ新宿支局」として2008年度まで使用された後、賃貸住宅になった。)
東京都は早い段階からこの駅を「若松町駅・仮称」として建設を進めていたが、フジテレビ移転による衰退を懸念した地元商店街の声に配慮し、「河田」の名前を駅名に取り入れることになった。ただし、仮称駅名とまったく異なる駅名にすると混乱を招くことも予想されたため、「若松」の名前も残し、新駅は「若松河田駅」という名前を採用することで決着をみた。
なおフジテレビの最寄り駅は都営地下鉄新宿線の曙橋駅であった。