毒蝮三太夫のミュージックプレゼント
毒蝮三太夫のミュージックプレゼント | |
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愛称 | |
放送方式 | 生放送 (毒蝮休暇時のみ録音) |
放送期間 | 1969年10月6日 - |
放送時間 | 平日10:26 - 10:51頃(25分) |
放送回数 | |
放送局 | TBSラジオ |
制作 | |
ネットワーク | |
パーソナリティ | 毒蝮三太夫 |
出演 | |
テーマ曲 | Edmundo Ros and His Orchestra『Whipped Cream』 |
企画 | |
プロデューサー | |
ディレクター | |
提供 | |
公式サイト | http://www.mamuchan.com/page/mp.htm |
特記事項: | |
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『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(どくまむしさんだゆうのミュージックプレゼント)は、TBSラジオで1969年10月6日から放送されている公開生放送のラジオ番組である。2012年10月に43周年を迎えた長寿番組。司会は毒蝮三太夫。
目次
概要[編集]
番組の概要[編集]
毒蝮三太夫がお店や会社・工場などを訪問し、スタジオのワイド番組のパーソナリティや訪問先に集まった観衆らとトークを行う。冒頭では数分間スタジオのパーソナリティ・ゲストとトークを行い、その後に観衆の中に入るという形が多い。
開始当初は番組名の通り音楽リクエスト番組であり、実際にパーソナリティがはがきを読みリクエスト曲を流していた。現在は観衆の中から2人を選びリクエストになったものの、客との会話が盛り上がりリクエスト曲がBGM扱いとなることも頻繁にある。
放送時間[編集]
月曜日 - 金曜日 10時26分 - 10時51分頃(『大沢悠里のゆうゆうワイド』内)
メインスポンサー[編集]
- 1969年10月6日 - 1998年10月2日
- 番組名:『東食ミュージックプレゼント』
- 東食および東食食品グループ[1]の協賛企業各社がスポンサーであった。
- 東食の倒産(1997年12月)に伴い、スポンサーを降板。
- 1998年10月5日 - 2007年3月30日
- 番組名:『ヨークマートミュージックプレゼント』
- 新たにヨークマートが冠スポンサーとなったが、東食時代から提供していた「旧東食食品グループ」の企業もスポンサーとして残る。
- 2007年4月2日 - 2012年3月30日
- 番組名:
- ヨークマート始め東食時代からのスポンサーがすべて降板、新たにマルエツとエーザイ(「ナボリン」はエーザイの筋肉痛・関節痛の緩和剤の商品名)が冠スポンサーに加わった。
- 2011年9月30日にエーザイが冠スポンサーを降板(番組自体のスポンサーは継続)、10月以降は月・木曜日と同じく『毒蝮三太夫の…』となった。
- 2012年4月2日 - 9月28日
- 番組名:『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』
- ノンスポンサーとなり、番組名もすべての曜日で『毒蝮三太夫の…』に統一された。
- 2012年10月1日 - 2013年3月29日
- 番組名:『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』
- 水曜日:『ロコフィットGLミュージックプレゼント』
- 再びスポンサーが付くようになり(「ロコフィットGL」は太田胃散の肥満症・関節痛の漢方薬の商品名)その日の中継先によってそのスポンサーが冠番組となる。
- 2013年4月1日 -
- 番組名:『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』
- 水曜日の『ロコフィットGLミュージックプレゼント』が無くなり、提供アナウンスが「ロコフィットGLの太田胃散」から「太田胃散」になる。なお、4月以降も太田胃散の番組スポンサーは続投。
- なお、その日の中継先によってそのスポンサーが冠番組となる。
番組の歴史[編集]
- 1969年10月6日:独立番組『東食ミュージックプレゼント』として放送開始。
- 1971年10月4日:『こんちワ近石真介です』に内包され、以後はワイド番組に内包されるようになる。当時は土曜日も放送。
- 1972年4月22日:土曜日は『土曜ワイドラジオTOKYO こんにちは永六輔です』に内包。
- 1972年9月30日:土曜日の放送が終了し、これ以降は月曜日から金曜日の放送になる。
- 1980年10月6日:『うきうきワイド こんにちワ神谷明です』に内包。
- 1981年10月5日:『お元気ですか土居まさるです』に内包。
- 1983年10月3日:『こんちワ近石真介です』に再び内包。
- 1985年4月8日:『スーパーワイドぴいぷる』に内包(1985年4月11日から10月3日までは、木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』に内包)。
- 1986年4月7日:『大沢悠里のゆうゆうワイド』に内包。以後現在まで続く。
- 2006年1月9日:毒蝮が腸閉塞で入院したため、この日の放送から2月20日に復帰するまで番組を休む(月曜日のみ病室から電話出演)。火・木曜は玉置宏による「懐かしの昭和歌謡列伝」を放送、水・金曜には主に三遊亭小遊三が中継を行った。
- 2011年3月15日:東日本大震災の発生に伴い、3月18日まで街頭中継放送を休止(自粛)し、毒蝮がスタジオから放送した。
中継先について[編集]
- 現在は主に以下の場所から中継が行われている。
- 月曜日・木曜日:一般公募の商店や工場、企業
- 火曜日:銭湯
- 水曜日:ドラッグストア店頭
- 金曜日:年配者が多いサークル活動場や集会場
- 登場する商店・企業は個人経営や小規模のところが多いが、時折大企業からも中継を行うことがある。
事前収録・特別企画[編集]
- 毒蝮のスケジュールの都合および休暇時(主に夏休みと年末年始)は事前に収録済のものを放送している。この場合、大沢が「生放送風録音」や「録音生風」と称して毒蝮との掛け合いをうまく入れている。
- 放送開始以来、毎年クリスマス・イブ前後の中継では、毒蝮が自作の童話『来なくてよかったサンタクロース』を披露するのが恒例となっている。
中継先の告知[編集]
- 現在は金曜日の『ゆうゆうワイド』放送後に、公式ブログにて翌週の訪問先が発表される。
- 過去には当日の番組開始前に、その日の訪問地の告知を行うCMが流れていたこともある。それとは別に、大沢悠里が9時の時報前にも告知を入れる。
番組内での使用音楽[編集]
ジングル[編集]
『ゆうゆうワイド』に内包されているため、当番組も『ゆうゆうワイド』で用いられているジングルでスタートとなっている。『ゆうゆうワイド』のうち当番組で使用されるジングルについては毒蝮自身が歌っている。
- 「おっ、おっ、さっ、わっ、ゆうりのーゆうゆうわいどーっ。軽いねこりゃ、毒蝮だよ」
- 「おおさわーゆうりのーゆうゆうわいどーっ。さわやかだねぇー。まむちゃんみたい」
- 「おおさわゆうりのーゆうゆうわいどーっ。うまいねぇーまむちゃんよ」
- 「おおさわゆうりのーゆうゆうわーいーどーっ。カーネギーホールだな、こりゃー」
- 以前、ジングルの用意が間に合わなかったためか中継先の毒蝮が即興でその節を歌ったことがあるが、その時は最後に「マムシだー」と叫んだ。
- ジングルの後に以下のような音声が流されることがある。いずれも過去の放送でのものである。
- 「おたけさーん」
- 「ドクマ@#★%’?!$ €*P‘¥!&…」(金曜にかかる可能性大)
- 「毒蝮!!」と子供達が連呼した後、「まーむちゃーん」と言う声
- 「フレッ、フレッ、まむしっ! フレッ、フレッ、まむしっ! わーーー」という女子高生ソフトボール部の応援声出し風のジングル(昭和の時代に、当時の同好会の習志野の女子学生から収録した)
- 「何歳なの?」「2歳4ヶ月!」(前述)※その後、再び彼女が番組に登場したときには「秘密!」と言っていた。
- 「お主時間守れよ、ウヒヒヒヒー」
- 「まむちゃん。今度一緒に寝よ」
- 「あ、まむしさん。72歳なのに元気よね」
- 「おいくつ」「82歳です」すかさず別の人が「3(83歳)でしょ」
- (幼児に)「いくちゅ(何歳)」「ひみちゅ(秘密)」「もう一回聞こう。いくちゅ」「ひみちゅ」
- 「本日の試合のバッテリーを紹介します。ピッチャー、毒蝮。ピッチャー、毒蝮」「打てそうもないよ…」
- 他にも、毒蝮による「腸閉塞の歌」の一部が流れることもある。
テーマ曲[編集]
- Edmundo Ros and His Orchestra『Whipped Cream』
- 現在音源としては国内盤ではCD化されておらず、輸入盤でこの曲が収録されているCDが存在する。
- またHerb Alpert & The Tijuana Brass(ニッポン放送系の深夜番組『オールナイトニッポン』のテーマ曲『BITTERSWEET SAMBA』を手掛けている楽団)も同曲を演奏しており、こちらの方は国内盤CDも存在するがアレンジが異なっている。
毒蝮の発言[編集]
- 「汚ねえババア(ジジイ)だな」
- 「くたばり損ないのババア(ジジイ)」
- 「このウソツキジジイ(ババア)」
- 「○○みてえな顔しやがって」
- 「くたばる前に俺に逢いに来たのか?」
- 「今、土を掘ってやるから入れ」
- 「こんなくたばり損ないなんか連れて来るんじゃねえよ」 - 車椅子や杖をついた老人を連れてきた客に対して言う。
- 「○○愛しているよって言ってやれ」 - こう言った後、本人の妻もしくは夫に対して「これからもよろしくね、って言うんだよ」とフォローする事もある。
- 「うるせえなこのガキァ」 - 子供が近くで喋って(泣いて)毒蝮の喋りの妨げになった時。しかし「まぁ、しょうがないな。子供は泣くのが仕事ってんだから…」と必ずフォローするので、母親から噛み付かれることはない。
- 「きったねえ店だね。ちゃんと客くんのか?」
- 「○○ちゃんと言ったらマムちゃんって言うんだよ」 - 「ハイ」と返答されると「ハイじゃねえだろ」と言い返す。ただし、一度だけ老婆から「ジジイ」と言い返されたことがある。
- 「○○駅から歩いて3日」 - 中継先が最寄り駅から遠い場合に言う。
- 「悠里ちゃんが行けって言うからこんな遠くまで来てやったんだ」 - 中継先が赤坂から遠い場所のときに言っている。近年はそれまでそう多くなかった茨城栃木群馬といった北関東まで(番組のスポンサーの「カワチ」など)まで足を伸ばす為によく出てくる件である。
- (健在の人を指して)「亡くなった○○さんが……」 - たまに大沢が「よしなさい」と言う場合がある。
- 「○○ってのはろくな奴しかいねえな」 - ただし、石井姓に対しては「石井? 俺と同じ名前だな。いい事があるぞ」と言う。
- 「おい、迎えに来たぞ」 - 救急車のサイレン音が聴こえると言う。
- 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」・「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……」 - 2つとも、老人に向かって言うケースが多い。近年は毒蝮が念仏を唱えだすと大沢が「日蓮宗は?」と突っ込みを入れる事もある。
- 「まー皆マスクしちゃって。自分の顔が汚いもんだから」冬場で風邪対策のマスクが蝮にはこう見える。
- 「ワハハハ……ばかっ!!!!」・「よせよ!!」 - くだらない駄洒落をかまされた後、決まって使用する。
- 「文化放送かニッポン放送にダイヤル合わせろよ」 - わざわざ遠方からきた人、『ゆうゆうワイド』のテレホンカード目当てで来た人に対しての発言。
- 「俺の親父はでぇーく(大工)でよ」- 毒蝮の父親が大工だったという事を、よく町工場などの職人がいる所で言う。
- 「一度に2曲かけちゃえ」 - 時間が足りなくなり、本来2曲かけるところ1曲しかかけられないことをスタジオから指摘されて。
- 「一人でしゃべってろ」- 毒蝮の問いかけ以上の事を長々と喋る人(大概年寄り)に。
- 「あんまりしゃべられちゃうと俺が目立たなくなっちゃうんだよ」- この「一人で……」の後によく付け加える。
- 「俺より面白いこと言うなよ」 - 聴衆が毒蝮の質問に対して言い返しをすると発する。
- 「俺が来ると必ず倒産してしまうんだよ……」 - 数少ない自虐ネタのひとつ。当番組は個人商店・町工場からの中継であるため、放送後にそれらが廃業・倒産となっているケースがある。また、当番組は最初のスポンサー(東食)まで倒産している。ヨークマート時代には「ヨークマートは倒産しないから大丈夫だよ……」と発言したこともあった(セブン&アイ・ホールディングスの傘下企業であるため、倒産とは無縁であることをネタにした発言)。
- 「今日で閉店」 - これも個人商店の中継時にしばしば使う(もちろんその日で閉店するわけではない)。
- 「いやぁ会いたかったよ。もっと若かったときにな」 - 年配の女性に対して言う。
- 「今日もたくさんの人が集まってくれてさ。……5万人くらい来てくれてるんだよ」 - 場所柄や天候等により、集まるお客がいつもより多くない時にわざと大袈裟な人数を言う。
- 「おじいちゃん(おばあちゃん)長生きしてねって言うんだよ」 - 子供に対して毒蝮が優しく諭す。
- 「戦争は絶対にしないで下さいと言うんだよ」 - 8月15日の終戦の日の放送で、中継会場に集まった子供達に対して使用する。
- 「あと2、3年だぁ」 - 歳を聞いた時に高齢の人に対して言う。「あと2、3日は大丈夫だよ」や「もう長いことないよ」と言うことも。
- 「写真なんか撮ってる場合じゃないだろ」 - 個人商店・町工場からの中継のときに、商店や工場の関係者が記念写真を撮ろうとすると言う。
- 「品物がよくなくなるんだ」 - 毒蝮が「この店にはよく来るの?」と聴衆に質問した後に、セットで言うことが多い。
- 「こっちでババアがコード踏んだんだ。歯が抜けてるのにコードも抜いたよ。」 - 途中放送が不具合になり一瞬中断した時に。
- 「○○さん愛してるって言って」「○○さん愛してます」「旦那の方を見て言えってんだよ。俺の方を見て言ってやがんの」
- 「この綺麗な女性を毎晩タダでなんかやろうとしているな、この野郎」 - 客の中で珍しく美人な女性と一緒にいる旦那に言う。
「ババア」発言のきっかけ[編集]
『東食ミュージックプレゼント』時代に(『近石真介です』の放送終了に至るまで)毒蝮とコンビを組んでいた近石真介によれば、当初は毒蝮がお年寄りを「ババア」と呼ぶことはなかったそうである。1973年8月に毒蝮の母親が死去した際、葬儀の席で母親の遺影を前にした毒蝮は子供のように泣きじゃくり、それほどまでに母親のことを想っていたのかと近石は感心したという。
1週間番組を休んだ後に復帰した毒蝮は、中継場所でやたら元気に大声でしゃべるお婆さんと出会うが、母親を亡くしたばかりの悲しみと元気なお年寄りへの羨ましさとが入り混じった複雑な感情も手伝い、思わず「憎らしいくらい元気なババアがいる」「ババア、まだ生きてやがって。オレのオフクロは死んじまったというのに、こっちはなんて元気なババアなんだ」と発言してしまう。
番組には抗議の電話が殺到したが、近石は「本当に元気なババアだったらババアでいいじゃないか」と毒蝮を擁護し、謝罪を拒否した。近石は、毒蝮と一緒に番組を降板することまで覚悟していたらしい。それに対して番組スタッフもこのままの路線で行くことを決め、当時のスポンサー・東食もGOサインを出した。つまり、暴走する毒蝮に極力制限を加えない路線を選択したわけである。結果的にこの決断が、番組のターニングポイントとなった。この時、抗議と同時に寄せられた「ババア」発言を支持するリスナーからの声に励みを得たと毒蝮は語っている。
その後毒蝮は、相手を選んで少しずつ「ババア」と言い始めた。目論見が外れて相手が怒ってしまい、放送後平身低頭して謝ったこともあった。初めは毒蝮にも「このような発言をしていいのだろうか」との迷いがあり、毎晩のように“反省会”と称して近石に電話し、番組の内容について長時間語り合い翌日の放送に反映させたという。ラジオ関係者から「(毒蝮の)ババアトークと毒舌は、近石と毒蝮が2人で作り上げたもの」と評価される理由となっている。
毒蝮は毒舌をエスカレートさせながら、その背後にある優しさや暖かさや人情味を話芸の持ち味にしていった。商店やスーパーマーケットが多いという中継場所の性格上、それまでは若い主婦が中心に集まっていた中継現場にもしだいにお年寄りが集まるようになったという。
なお、『ゆうゆうワイド』に内包されて以降は、かつてレギュラー出演していた内海桂子から「ババア」発言に対して「マムシいいかげんにしろよ!!」と叱責を受け、以降も内海を話題にすることを避けるほどにトラウマになっているという。また中村メイコやフランソワーズ・モレシャンもこの「ババア」発言を快く思っていないようである。 通常、毒蝮は「クソジジイ」「クソババア」と発言することはなく、本人もそのことを公言している。時に口がすべることもあるが、特定の人物を引き合いにした発言はしない。
書籍・ビデオ[編集]
- ラジオの鉄人 毒蝮三太夫(山中伊知郎著、1999年、風塵社、ISBN 978-4938733728)
- マムちゃんが行く!(番組30周年記念ビデオソフト)
- 元気になる毒蝮三太夫語録(山中伊知郎著、2012年、山中企画、ISBN 978-4434172595)
関連項目[編集]
注釈[編集]
- ↑ 東食を親会社とする資本系列のグループではなく、東食取引先企業の便宜的な集合体。
外部リンク[編集]
- ミュージックプレゼント - 「マムちゃんの部屋」サイト内ページ(放送後に内容を記した日記を掲載)
- TBS RADIO 大沢悠里のゆうゆうワイド - 中継先の告知を掲載