小和田駅
小和田駅(こわだえき)は、静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
概要[編集]
飯田線では静岡県の最北端に位置する駅である。また、愛知・静岡・長野の3県の境界線が駅のすぐそばにある。
駅前には車道が通じていない。
「秘境駅」[編集]
駅の周辺には集落や施設などが無く、また自動車などでは近づけないことから、一部の鉄道ファン、特に「駅ファン」に秘境駅と呼ばれている。
牛山隆信著『秘境駅へ行こう』や横見浩彦・牛山隆信共著『すごい駅』、菊池直恵の漫画・アニメ『鉄子の旅』などで秘境駅として取り上げられている。また、牛山が作成した「秘境駅ランキング」では全国2位にランキングされているほか、『ザ・ベストハウス123』2007年8月8日放送分の「一度は降りてみたい景色の美しい無人駅」では同1位にランキングされている。また、秘境駅訪問家である牛山が初めて訪れた秘境駅である。
「何もない」秘境がそこに。1日平均6人の駅[編集]
ホームに立つと、聞こえてくるのは鳥とセミの声。駅前には商店はおろか、自動販売機もない。そんな駅に降り立ったら、あなたなら何をしますか――。
ひっそりと静かな時間が流れる小和田駅(浜松市天竜区)
豊橋駅(愛知県豊橋市)を出て、やがて天竜川に沿うよう北上するJR飯田線。愛知、静岡、長野の県境近くにある「小和田駅」(浜松市天竜区)に通じるのは人が歩けるだけの細い道。車で行くことはできない。周囲に人がほとんど住まない、いわゆる「秘境駅」の代表格だ。
年間利用者は約2200人、1日平均6人。駅から険しい坂道を30分。ぽつんと立つ家に暮らす宮下繁江さん(87)は「定期的に使っているのは私と郵便局員さんだけ。秘境?実際にそうだから仕方がないわね」と苦笑いする。
宮下さん夫婦が移ってきた57年前、辺りは林業が盛んで、旅館や小学校の分校などもあった。しかし外国産木材の流入や佐久間ダムの建設で集落が水没したことに伴い、1人また1人と離れていった。
「平成のご成婚」の際、雅子さまの旧姓と同じ漢字の駅名が一時脚光を浴びた。その後再び忘れられたこの駅に、10年ほど前から再び観光客が訪れるようになった。「何もないこと」が注目されたからだ。駅舎に置かれたノートには全国から訪れる「秘境ファン」のメッセージがつづられる。
夫婦で訪れた名古屋市千種区のパート、岡本敬子さん(56)は、佐久間ダム建設で周辺の集落が姿を消した時期と自分の生まれ年が重なることを知り、「人の気配がなくなり、ひっそり立ち続けている駅を見てみたかった」。2時間ほど辺りを散策して回った。
「秘境駅」の名付け親の広島県三次市の会社員、牛山隆信さん(45)は「昔はにぎわい、人のために役立ちながら、様々な理由で誰も訪れなくなった駅には独特の悲哀や存在感がある。そこに現代人が引かれる魅力があるのでは」と話す。
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。中部天竜駅管理の無人駅であるが駅舎が設置されている。
かつてはホームがもう1面ある相対式ホームであったが、2008年(平成20年)1月に片側が使用中止され、単式ホームとなった。使用中止となった側の線路は現在撤去されているが、ホームはそのまま残されている(ただし立入はできない)。 本来は線路を横断する通路に設置されている列車が接近した時に鳴る警報装置が、棒線化されても設置されているのは特殊事情があると思われる。 また、豊橋側にトンネル手前まで保線車両用の引込み線が設置されているが、保線車両が入る際は本線上に乗り越し転轍機をかぶせて進入する。
利用状況[編集]
静岡県統計年鑑、浜松市統計書によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1993年 | 10 |
1994年 | 11 |
1995年 | 9 |
1996年 | 6 |
1997年 | 7 |
1998年 | 7 |
1999年 | 6 |
2000年 | 6 |
2001年 | 不明 |
2002年 | 〃 |
2003年 | 〃 |
2004年 | 〃 |
2005年 | 〃 |
2006年 | 7 |
2007年 | 8 |
2008年 | 5 |
2009年 | 7 |
2010年 | 6 |
駅周辺[編集]
前述のとおり、駅周辺には徒歩道のみである。
佐久間ダム建設による周辺の水没前は天竜川対岸の富山村(現 豊根村)側にも集落があり橋が架けられていたが、同ダム建設による集落移転や道路分断などの結果、人家は約20分歩いたところに一軒と、そこから険しい山道を40 - 50分ほど登った先にある塩沢集落に数軒しかない。駅前には、使われなくなった自動販売機が放置されていたようだが、2011年10月現在では撤去済みである(撤去時期不明)。
もともとこの地は住宅地だったがダム建設により上記の約20分歩いたところにある民家のみとなった。その民家では移動手段はこの駅を利用するのみであり、生活物資は対岸から荷物専用のケーブルのカートで送られる。
駅周辺に自動車などが通れる道が無いため飯田線が事実上唯一の交通手段となっており、郵便配達や、警察官による巡視にも飯田線が利用されている。乗降客数は飯田線内でも非常に少ないが、現在も集落のライフラインとして営業が続く。
駅構内の水道は凍結防止のため常に出しっぱなしになっており、水を止めないようにとの注意書きが小和田駅長名により掲出されている。
なお、小和田駅から集落へ向かう道の途中で分岐点がある。高瀬橋という吊橋へつながる道であるが、この橋はすでに崩壊して通行不能となっており、そこへ通じる道は廃道状態となっている。かつて分岐点には集落方面への案内板と高瀬橋方面への案内板があったが、高瀬橋までの道の状態から案内板を撤去している。なお、分岐点から高瀬橋までの道は崖上にあるような状態で、土砂崩落や倒木で通行が困難な上、転落の危険も高く、転落した場合は重大事故につながる。高瀬橋通行不能の案内は小和田駅の待合室入口のドアにも貼られている。
歴史[編集]
- 1936年(昭和11年)12月30日 - 三信鉄道(北線)が満島駅(現・平岡駅)から延伸した際の終着駅(一般駅)として開業。当時の南線の終着駅であった大嵐駅との間は船舶で連絡した。
- 1937年(昭和12年)8月20日 - 大嵐 - 小和田間が開通し三河川合駅への既存線(南線)と接続、途中駅となる。これを以って三信鉄道および豊川鉄道・鳳来寺鉄道・伊那電気鉄道を介して吉田(現・豊橋) - 辰野間が全通。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 三信鉄道線が飯田線の一部として国有化され、国鉄の駅となる。
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 貨物・荷物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
- 1984年(昭和59年)2月 - 無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 2008年(平成20年)1月27日 - ホーム1面が撤去され、棒線駅となる。
その他[編集]
駅名が皇太子妃雅子の旧姓である小和田(おわだ)と同表記であることから、「恋成就駅」として、特に皇太子徳仁親王と結婚した1993年には下車する人達で賑わった。。