升永英俊
升永 英俊(ますなが ひでとし、1942年(昭和17年)7月12日 - )は、日本の弁護士(第一東京弁護士会)・弁理士。米国のコロンビア特別区及びニューヨーク州弁護士。TMI総合法律事務所シニアパートナー。元東京永和法律事務所代表兼東京永和特許事務所顧問。
人物[編集]
当初はいわゆる渉外弁護士として企業法務に携わり、アメリカでも活動したが、50代になってから本格的に訴訟を手掛け始め、税務や不動産(サブリース)、知的財産訴訟などで多くの画期的な判決を勝ち取った。特に青色LEDの特許権をめぐる中村修二と日亜化学との訴訟において、原告中村の訴訟代理人を務め、第一審においては200億円の損害賠償を認められたことが大きな話題となった(東京地判平16.1.30)。2008年6月30日に東京永和法律事務所および東京永和特許事務所を解散し、翌7月1日をもってTMI総合法律事務所に合流。近時は弁護士や文化人らの賛同を得て「一人一票実現国民会議」を立ち上げ、いわゆる「一票の格差」問題の啓蒙活動を行うとともに、自ら多くの違憲訴訟を提起している。
経歴[編集]
1942年、東京に生まれる。父は良澄、母は治子。小学4年から中学2年まで愛媛県の田舎の公立学校に学ぶ。1961年、東京都立戸山高等学校卒業。1965年、東京大学法学部卒業。住友銀行入行。1967年、同行退行。
1969年、司法試験合格(成績順位は合格者501人中2位) 1973年、東京大学工学部卒業。
1978年 - 事務所分裂に伴い、西村眞田法律事務所へ。1979年、米国コロンビア大学ロー・スクール修士号取得。1980年、米国ワシントン市の司法試験に合格、同特別区弁護士登録。ギブソン・ダン&クラッチャー法律事務所勤務。グラハム&ジェームス法律事務所勤務。1984年、米国ニューヨーク州の司法試験に合格、弁護士登録。
1991年、東京永和法律事務所開設。2008年、TMI総合法律事務所にパートナーとして参画。
経歴はケタ違い 「一票の格差」訴訟の仕掛け人[編集]
2013年3月25日広島高裁で「無効」判決が出た「1票の格差」をめぐる全国訴訟。
東京や仙台高裁でも「違憲」の判断が相次いでいる。一連の訴訟の中心人物が、升永英俊弁護士(70)だ。2009年に設立された「一人一票実現国民会議」の発起人でもある。
経歴は「ケタ違い」というほかない。
1965年に東大法学部を卒業後、住友銀行に入行。2年で退行し、1969年に司法試験を2番の成績でパスした。その後、東大工学部も卒業し、渡米する。1979年にコロンビア大ロースクールで修士号を取得。米国でも弁護士として活躍した。
1984年4月に帰国し、法律事務所を開設……そんな升永氏を一躍時の人にしたのが、青色発光ダイオード(LED)の職務発明訴訟だ。
日亜化学工業の元従業員、中村修二氏(現・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)が日亜に対し、勤めていた時に発明した青色LEDの対価を求めて訴えを起こしたもの。升永氏は代理人として、2004年1月、日亜に200億円の支払いを命じる判決を引き出し、業界を震撼させた。
「日亜と中村氏は、8億4000万円の支払いで和解しましたが、升永氏はこれ以外にも味の素、東芝、日立製作所と、有名企業を相手取った職務発明訴訟を手がけています。知的所有権裁判の第一人者です。彼の訴状は裁判官が飽きないように重要なところは傍線で目立たせたり、表や参考資料を加え、横書きで平易な言葉で書くなど工夫されている。法曹界では異端扱いですが、ケタ違いの天才です」(ある弁護士)
億単位の私財を投入[編集]
現在は六本木ヒルズにオフィスを構える法律事務所のパートナー。260人超の弁護士を抱える巨大事務所だ。もちろん稼ぎもケタ違いで、かつて全国66位の高額納税者になったこともある。
地位も名誉もカネも手にした著名な弁護士が、なぜ、1票の格差という“地味”なテーマに取り組んでいるのか。これまでに100回以上も新聞広告を出し、「億単位の私財を投じている」(関係者)ともいわれる。
「10年ぐらい前に突然、『1票に格差のある日本は民主主義ではない』という啓示のようなものを得たのだそうです。ずっとカネ儲けばかりしてきて、『これからはいいことをしよう』と思ったといいます」(前出の関係者)
雑誌のインタビューで「110歳まで生きると“覚悟”しています」と答えていた升永氏。凡人には理解できないから、天才なのだ。