茗荷谷駅
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茗荷谷駅(みょうがだにえき)は、東京都文京区小日向四丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線の駅である。駅番号はM 23。
歴史
- 1954年(昭和29年)1月20日 - 開業。
- 1997年(平成9年)2月 - 駅ビル定礎。
- 1998年(平成10年)5月1日 - 駅ビル「茗荷谷駅MFビル」完成。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の民営化に伴い、当駅は東京メトロに継承される。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地下駅。ホームは地下鉄のトンネルの出口に隣接して建設されており、当駅 - 後楽園駅間が地上線となる。ホームの一部は地上部にある。改札口も地上部に立地する。駅南方の地上には留置線と車両修繕工場が併設されている。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 丸ノ内線 | 御茶ノ水・大手町・東京・銀座・新宿・荻窪方面 |
2 | 丸ノ内線 | 新大塚・池袋方面 |
利用状況
2012年度の1日平均乗降人員は69,497人である[1]。他線と接続しない丸ノ内線の単独駅では乗降人員が最も多い。
近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗降人員[3] |
1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|---|
1992年(平成 | 4年)33,093 | [4] | |
1993年(平成 | 5年)33,181 | [5] | |
1994年(平成 | 6年)32,959 | [6] | |
1995年(平成 | 7年)32,746 | [7] | |
1996年(平成 | 8年)32,389 | [8] | |
1997年(平成 | 9年)31,674 | [9] | |
1998年(平成10年) | 32,074 | [10] | |
1999年(平成11年) | 31,210 | [11] | |
2000年(平成12年) | 31,063 | [12] | |
2001年(平成13年) | 31,477 | [13] | |
2002年(平成14年) | 31,805 | [14] | |
2003年(平成15年) | 63,627 | 31,380 | [15] |
2004年(平成16年) | 61,333 | 30,581 | [16] |
2005年(平成17年) | 60,881 | 30,238 | [17] |
2006年(平成18年) | 60,986 | 30,290 | [18] |
2007年(平成19年) | 62,438 | 31,128 | [19] |
2008年(平成20年) | 63,386 | 31,625 | [20] |
2009年(平成21年) | 65,479 | 32,707 | [21] |
2010年(平成22年) | 65,898 | ||
2011年(平成23年) | 66,404 | ||
2012年(平成24年) | 69,497 |
駅周辺
小日向 も参照
- 東京都交通局 巣鴨自動車営業所大塚支所
- 東京地下鉄 小石川車両基地
- 文京区大塚地域活動センター
- 跡見学園女子大学
- 跡見学園中学校・高等学校
- お茶の水女子大学
- お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校
- 拓殖大学 文京キャンパス
- 拓殖大学国際教育会館
- 筑波大学 東京キャンパス(東京教育大学跡地)
- 茗渓会館
- 筑波大学附属中学校・高等学校
- 筑波大学附属小学校
- 東洋大学 白山第2キャンパス(旧・最高裁判所書記官研修所跡地)
- 放送大学 東京文京学習センター
- 小石川植物園
- 簸川神社
- 東京都立竹早高等学校
- 東京学芸大学附属竹早中学校
- 東京学芸大学附属竹早小学校
- 文京区立第一中学校
- 文京区立窪町小学校
- 窪町東公園
- キリシタン屋敷跡
- 文京区立小石川図書館
- 貞静学園短期大学
- 貞静学園中学高等学校
- 竹早公園
- 竹早テニスコート
- 新日本婦人の会 中央本部
- 教育の森公園
- 文京スポーツセンター
- 播磨坂
- 小石川郵便局
- ゆうちょ銀行 小石川店
- 小石川五郵便局
- 文京大塚三郵便局
- 文京大塚二郵便局
- りそな銀行
- 三井住友銀行 茗荷谷研修所
- 林泉寺
- 深光寺
- アトラスタワー茗荷谷
バス路線
茗荷谷駅前
茗荷谷駅
- 文京区コミュ二テイバスBーぐる (運行は日立自動車交通に委託)(循環バス)
- 目白台・小日向ルート:文京シビックセンター方面行
駅名の由来
駅名はかつての茗荷谷町に由来する。なお、駅が所在する一帯は住居表示実施後は小日向となっている。
その他
1995年7月に池袋駅構内での分岐器交換工事が実施された際には、池袋駅 - 新大塚駅間が運休となり、荻窪方面からの電車は渡り線2番線に入線し、そのまま2番線から折り返し発車をするという形状をとっていた。ちなみに1番線は当駅 - 新大塚駅間の区間電車の発着ホームとして使用していた。なお、当時は駅ビルの完成を控えていたため、2番線ホームと1番線ホームとの間は新設の階段を使って対応していた。
隣の駅
脚注
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- ↑ 東京メトロ 各駅の乗降人員ランキング
- ↑ 東京都統計年鑑
- ↑ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成10年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成11年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成21年)