福永健司
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福永 健司(ふくなが けんじ、1910年8月5日 - 1988年5月31日)は、日本の政治家、第63代衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦。
来歴・人物
滋賀県出身。旧制松江高校、東京帝国大学卒業後、内務省入省。埼玉県副知事を経て、1949年衆議院選挙に吉田茂率いる自由党から立候補し初当選。以来、吉田側近として活躍する。1952年、一年生議員ながら幹事長に指名されるが、前年の鳩山一郎の公職追放解除を受けて反吉田に動き始めていた鳩山系議員の反対により、自由党議員総会は大混乱し流会となる。結局福永は幹事長を辞退した。
自民党誕生後は吉田の流れを受け継ぐ宏池会に所属。1978年3月の成田空港管制塔占拠事件時の運輸大臣であり、成田空港の開港延期の発表を自ら行う。1983年12月には第63代衆議院議長(在任期間・1983年12月28日 - 1985年1月24日)に就任したが、体力の衰えが進行していた1985年1月、国会の開会式リハーサルで、階段を後ろ向きに下りるところがうまくできない(=天皇におしりを向けてしまうことになる)という理由で、議長を辞任した。
また、1983年から1988年まで日本体育協会会長も務めていた。1988年5月31日死去。享年77。
経歴
- 1949年 衆議院選挙に旧埼玉1区から出馬し初当選。当選15回
- 1953年3月 内閣官房長官(第4次および第5次吉田内閣)
- 1961年7月 労働大臣(第2次池田内閣第1次改造内閣)
- 1966年7月 自民党総務会長(佐藤栄作総裁)
- 1966年12月 内閣官房長官(第1次内閣第3次改造内閣および第2次佐藤内閣)
- 1974年11月 厚生大臣(第2次田中角榮内閣第2次改造内閣)
- 1977年11月 運輸大臣(福田赳夫内閣改造内閣)
- 1983年12月 第63代衆議院議長
- 1985年1月 任期途中で議長辞任
- 1986年4月29日 勲一等旭日桐花大綬章を受ける
- 1988年5月31日 死去 享年77 叙・従二位
親族
関連項目
議会 | ||
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先代: | 衆議院議長 第63代:1983年 - 1985年
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次代: |
官職 | ||
先代: | 運輸大臣 第49代:1977年 - 1978年
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次代: |
先代: | 厚生大臣 第56代:1974年
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次代: |
先代: | 内閣官房長官 第10・11・12代:1953年 - 1954年
第30・31代:1966年 - 1967年 |
次代: |
先代: | 労働大臣 第18代:1961年 - 1962年
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次代: |
党職 | ||
先代: | 自由民主党総務会長 第12代 : 1966年
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次代: |
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