日本IBM

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日本アイ・ビー・エム株式会社(にほんアイ・ビー・エム、日本IBM、英文表記:IBM Japan, Ltd.)は、米IBM(IBM Corporation)の日本法人。米IBMの100%子会社である有限会社アイ・ビー・エム・エーピー・ホールディングス(APH。後述のIBM APとは別の日本法人)の100%子会社であり、米IBMの孫会社にあたる。

毎年、会社の人事考課で下の15%を強制退職させることで有名な企業である。

概要

日本IBMは外資系の100%子会社で、創立は戦前の1937年、多数の日本人従業員を抱え国内企業との合弁を含む多数の関連会社を展開している、コンピュータ関連サービス企業である。

戦後から1980年代まではコンピュータのハードウェアやソフトウェアのメーカーであった。当時の通産省が国産メーカー保護育成政策を取っていたことも背景に、日米コンピュータ戦争の当事者や、IBM産業スパイ事件の関係企業ともなった。

1975年からの椎名武雄社長時代には、「Sell IBM in Japan, sell Japan in IBM.」や「社会とともに」を標語として、日本市場に合った製品・サービスの提供による日本の産業界への貢献を通じて「日本の企業」として認知されることを目標とした結果、規模の拡大が進み、社員は1万人、売上は1兆円を超え、最盛期には1兆7千億円を超える収益を達成した。

日本市場の特殊性もあり、世界のIBMグループの中でもユーザーのシステム構築に深く参加したケースが多かったことも特徴である。現在ではIBMは世界レベルでもサービス事業の比率が売上の6割となったが、そのベースとなった。SI(システムインテグレーション)事業は、日本IBMが先行していた分野とされる。

かつて日本IBMで開発された製品は世界で展開されていた(詳細は日本IBM大和事業所を参照)。外部との交流も多く、プロジェクトマネジメント学会で日本IBM社員が多数を占めていた、日本IBM出身者が他の外資系企業の経営者となるケースが多かった、などとも言われる。

大歳卓麻(2012年にパンツ盗撮で逮捕)社長体制で21世紀に入って以降は、経営方針を一転した。

GIEの実践として、日本法人の独立性・独自性を排し、役員・部長レベルの主要幹部職へ米IBMやアジアからの多数の駐在員(IBMでは「アサイニー」(assignee)とよぶ)や社外からの人材を登用し、IBM Corporation全体としての組織・製品・サービスの最適化による効率(利益)の最大化を追求している。具体的には、米IBMの「2015年通期でのEPS20ドル以上達成」への貢献を最優先の経営目標としているが、2001年以降10期連続の減収決算でピーク時のほぼ半分まで売上が減収し続けているため、恒常的な事業売却とリストラや昇進・昇給の凍結、減俸を含む徹底的なコスト削減努力を続けている。(業績の数字については#業績の推移を参照)

2010年3月18日には、東京国税局税務調査により、国税史上最高規模の4000億円を超える申告漏れが発覚し、三百数十億円の追徴税を課された、との報道がなされた。これは、非上場である日本IBM株を、米IBM、APH、日本IBMの間で循環取引することにより、見かけ上APHに多額の赤字を発生させて連結対象の日本IBMの巨額の利益と相殺することで納税を回避したとされたものだが、日本IBMは、あくまでも法規は遵守していると主張しており、国税不服審判所審査請求をする意向表明をしている。

2012年5月15日、同社として56年ぶりとなる2人目の外国人社長が就任。

「大歳さんは、日本IBMをブラック企業にした張本人。ご本人は、さぞかしストレスが溜まっていたのでしょう」(2012年9月)

ブラック企業とは、「人を使い捨てる」ビシネスモデルをもっているところのことだ。入社を勧められない企業の意味で使われる。労働界から大歳氏は“ブラック企業経営者のメダリスト”との声が上がるほどだ。

日本IBMでは毎年恒例のように、クビ切りが行われる。業績悪化といった一時的な要因によるものではない。業績を良くするために人事評価の下位15%を強制的に退職させて“新陳代謝”を図るシステムを導入している。

退職させるための「クビ切りマニュアル」がある。辞めさせたい社員に「改善目標」と称するノルマを繰り返し課し、未達成の場合は「降格」「解雇」に至るまでのプロセスが明記されている。2009年5月に、社員3人が「人格否定や脅迫まがいの退職強要を受けて人権を侵害された」として提訴。記者会見した3人は「退職強要は組織的だった。非人道的な行為だったことを(会社に)認めさせたい」と訴えた。

2010年3月、パソコンなどのソフト開発の拠点、大和事業所(神奈川県)で、子会社の社員がノートパソコンにつなぐ盗難防止用ワイヤで首を吊った。「クビ切リマニュアル」の犠牲者と見られている。

大歳氏は社長当時、雑誌のインタビューで、自社の人事制度について「我々が毒見してみて、大丈夫そうだとなれば、日本の会社の皆さんも(クビ切りが)やりやすい」と語った。大歳氏は、03年から6年間、日本経団連で企業倫理を担当する企業行動委員会の共同委員長を務めている。企業行動委で「強制退職のやり方を指導するのか」と労働界から目の敵にされた。

大歳氏が社外取締役として引く手あまただったのは、情報通信の専門家としてではない。大量クビ切りの達人で、その指南を仰ぐのが目的だと陰口を叩かれていた。

日本IBMの不祥事があぶりだされたのは大歳氏が社長時代の2005年2月に発覚した不正会計問題だ。これによって米IBMは2004年度決算の修正を余儀なくされた。大歳社長は「社内規定の違反があった。詳細は社内のことなので誤解を受けないように説明するのは難しい」と繰り返すのみで、この問題の詳細には、最後まで触れなかった。だが、2004年秋に摘発された大証ヘラクレス上場のメディア・リンクスの粉飾決算事件への加担が指摘された。メディア社はその後、上場廃止になっている。

メディア社は「口座貸し」と呼ばれる取引慣行を利用して架空売り上げを計上した。「口座貸し」は顧客企業と直接契約ができる大手企業でなければ難しい。メディア・リンクス事件を機に日本公認会計士協会は「口座貸し」の会計処理を見直す新しいガイドラインを作成した。この基準に照らしても「社内規定の違反」などという、生易しいものではない不適切なものだったといえる。

大歳体制のひずみの実例といえるのがスルガ銀行のシステム開発の失敗だ。スルガ銀行は2004年、銀行業務全般をつかさどる基幹システムの開発を日本IBMに委託。2008年度中の稼動を目指したが、契約通りに開発できなかったとして2007年に契約を解除。スルガ銀行は日本IBMに約115億円の損害賠償を求めて提訴した。2012年3月29日、東京地裁は日本IBMに約74億円の支払いを命じている。

この全面敗訴が米IBMに日本IBMの経営陣の刷新を決断させる動機になったといわれている。5月15日付で大歳会長は最高顧問に、橋本孝之社長が代表権のない会長に退き、米IBMから派遣された元・独IBM社長のマーティン・イェッター氏が社長の椅子に就いた。外国人の社長の起用は56年ぶりのことだ。

日本IBMの黄金時代は70~80年代だった。どのIT企業も日本IBMを仰ぎ見ていた。椎名武雄北城恪太郎といったユニークな日本人のトップが経営に当っており、外資系というより日本企業に近かった。だが、その輝きを失った。ピークの2001年に1兆7075億円あった売上高は2011年には8681億円まで縮んだ。得意とする大型汎用コンピュータは“レガシー(遺産)”と呼ばれ、すっかり時代遅れになってしまった。

“新陳代謝”と称する大量クビ切りが知れ渡り、「社員を使い捨てにする会社」として技術系の優秀な学生が敬遠するようになったことも地盤沈下に拍車がかかった。だが、米本社の側から見る限り大歳氏は、常に利益を上げる優等生の経営者だった。しかし、この利益は米国からの直輸入のクビ切りをノルマ化することで達成されたものなのだ。

大歳氏は効率優先主義がもたらす負の側面には目を向けなかった。彼が日本IBMをブラック企業にした責任は決して小さくない。

指名解雇の一部始終。30分で退社迫るロックアウト型(2012年)

「5月にドイツ人社長が来てからというもの、社員はみな恐怖政治に怯え、いつクビ切りされるか分からないとビクビクしていますよ」

こう声を潜めるのは、日本IBMで働く40代の技術職社員。ドイツIBMで「コストカッター」の異名を取ったマーティン・イエッター社長は、日本でも大規模なリストラを断行するのではないかとの憶測に、「それはプレスが言っているルーマー(噂)だ」と答えているが、すでになりふり構わぬ「指名解雇」事例は続々と明るみになっている。

10月15日、成績不良を口実に解雇されたとして、40~53歳の元社員3人が解雇無効と賃金の支払いを求めて東京地裁に提訴した。

7月に解雇通告されたというAさん(元営業支援部門)の状況を聞くと、いかにIBMが強硬なクビ切り策をしているかが分かる。

  • 7月20日(金)午後5時に直属の上司に呼び出される。上司とは直前まで翌週の仕事の打ち合わせをしていたので、その続きを別室で行うのだと思い席を立つ。
  • 会議室に行くと、なぜか上司が部屋をノックする。中に誰かいるのだと気付き、入室すると部門長と人事担当者が書類を開いて座っている。上司は「連れてきました」とだけ言い残し、そそくさと会議室を後にする。
  • 部門長にうながされるまま着席すると、書類を入れた封筒を渡され、「中身を見てください」と言われる。
  • 封を開けると、「解雇予告通知」および「解雇理由証明書」が入っている。呆然として内容を確認する(以下、要旨)。

<会社は、貴殿を2012年7月26日付で解雇します。貴殿は業績が低い状態が続いており、その間、会社は職掌や担当範囲の変更を試みたにもかかわらず業績の改善はなされず、会社は、もはやこの状態を放っておくことができないと判断しました>

  • キツネに抓まれた思いで「なぜ解雇なのか?」を問うと、人事担当者は「まぁ、聞いてください」と文面を事務的に読み上げ、具体的な解雇理由の説明もないまま一方的に終了。
  • 会議室を出される際、「上司が付き添うので、(終業時刻の)5時36分までに会社を出てください」と通告され、呆然としたまま退社。
  • 翌週、改めて事情を聞こうと出勤すると、入館証が使えず社内に入れない。受付で上司を呼び出そうとしても、「上司、その他におつなぎできないことになっています」と回答される。

わずか30分足らずの間に解雇通告を見せられ、会社から締め出されてしまう、いわばロックアウト型の“即日指名解雇”である。Aさんは「25年以上もの毎日、熱意を持って働き続け、家族設計も行っていた私には、とても受け入れられません」とコメントする。

Aさん同様に大阪の事業所にて解雇通告を受けたBさんは、あまりのショックに会議室で卒倒してしまったという。救急車すら呼んでもらえず、ソファーに寝かされ、しまいには上司付き添いの帰りのタクシー内で、「明日から会社に来なくていいから……」と、意識が朦朧とする中、念を押されたという。

「会社は7月に1人、9月に9人、10月に1人の合計11人に解雇通知をしています。みな『成績不良』が解雇理由ですが、具体的な事例は説明を拒否しており、真の理由は人員削減計画に沿った人減らしであることは明らかです。現在1万4000人いる従業員を3年間で1万人まで削減する計画を持っているという噂も聞きますしね」(労働組合幹部)

同幹部によると、解雇通知書を突き付けられた社員の中には、「解雇予告手当」として1か月分の給与の振り込み通知のほか、指定の期日までに自ら退職する意思を示した場合は、「退職加算金の提示」をチラつかされた人もいるという。

日本IBM広報部にリストラの実態について聞いてみると、

「(解雇は)就業規則に基づいての措置。日々、技術が進歩しているIT企業なので、それに合わせて社員のスキルも高めていかなければなりません。その中で社員の入れ替えは行っていますが、リストラではありません」

との回答。雇用条件がシビアな外資系とはいえ、裁判の行方次第では日本企業を取り巻く労働環境にも思わぬ影響を与えかねない。

更に加速するリストラ(2013年)

日本IBMは今、解雇規制緩和反対派の懸念を先取りするかのような、会社が辞めさせたい社員をすぐに会社から叩き出すロックアウト解雇に揺れている。

同社の終業時間(定時)は、午後5時36分。同社社員らによると、ロックアウト解雇の通告は決まって午後5時頃の呼び出しから始まる。6月12日付で解雇された女性社員Aさん(45)の場合もそうだった。

Aさんは5月31日午後5時、担当業務の進捗報告のために会議室に呼び出され、直属の上司に報告していると、別の上司とHRパートナー(人事部)が突然入ってきて、唐突に「解雇予告通知」を読み始めた。

「貴殿は、業績が低い状態が続いており、その間、会社は職掌や担当範囲の変更を試みたにもかかわらず業績の改善がなされず、会社はもはやこの状態を放っておくことができないと判断しました」

彼女は、ほかの社員との会話を禁じられ、定時までに急いで荷物をまとめ、長年働いた職場を去らなければならなかった。仕事の引き継ぎどころか、苦楽を共にしてきた同僚たちへの挨拶さえできずに。

Aさんは有名私大を卒業後、日本IBMに正社員として入社し、2003年からはアウトソーシングの営業を支援する部署で働いていた。彼女は「プロジェクトをいくつか同時に持っていて、日常業務もこなしていました。わずか数行の紙キレで解雇されるいわれはありません」と悔しさを隠せない。

日本IBMには、全日本金属情報機器労働組合(JMIU)に所属する労働組合、JMIU日本アイ・ビー・エム支部がある(以下、組合)。組合の大岡義久委員長は、次のように説明する。

「会社の主張するAさんの解雇理由は、とても納得できるものではありません。なぜなら、昨年7月に始まった一連の解雇で、会社が振りかざす解雇理由がほとんど同じ文言で、その人ごとの具体的な事情や理由がまったく書かれていないからです」

数多くの解雇問題に取り組み、Aさんらが起こした解雇撤回(地位確認)裁判の弁護団にも所属する並木陽介弁護士も、「こんなやり方は見たことも聞いたこともない」と驚く。

Aさんの事例のほかにも、日本IBMは社員の権利として認められている労働組合の活動を攻撃する、労働組合法にふれる行為を行っていた疑惑も持たれている。

26年間日本IBMに勤めていたBさんは、昨年9月20日、Aさんと同様に突然上司から呼び出され、解雇を告げられた。そして、Bさんが解雇撤回を求め会社を訴えた裁判の第1回口頭弁論(同12月21日)の意見陳述で、「Uの話」を明かすと、法廷内にはどよめきも起きた。

意見陳述によれば、Bさんは以前、上司から親指と人さし指で「U」のかたちをつくって見せられ、「これだろ?」と質問され、「Uですか。ユニオン、組合のことですね?」と答えると、「活動やっているのか」「これ(U)はよくない」と言葉を重ねられた、という。別の上司も「組合に入っていると不利な査定がなされるという事実を知っていますか」と迫ったという。

こうした言動の詳細、さらに今回の解雇との関連は現時点では不明だが、組合差別が解雇の理由なら、労働組合法に違反する不当労働行為になる」とベテラン労働弁護士は解説する。ちなみに、日本IBMは組合員も対象に含むロックアウト型解雇について組合との団体交渉を正当な理由なく行わなかったとして、東京都労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てられている。

突然の解雇横行と給与の減額

会社が「あなたはいらない」と告げたら、理由もわからないまま放り出され、失業者になってしまう……。こうした悪夢のような日本IBMの行為は、昨年7月から昨年解雇された人のうち3人が10月に東京地裁に提訴したところ、いったん止まったが、今年5月から解雇が再開された。

このロックアウト解雇横行の背景には、昨年5月にマーティン・イエッター氏が社長に就任したことがあると見られている。ドイツIBM社長としてリストラを断行し「コストカッター」の異名を取った「IBMのエース」(関係者)を、黒字ではあるものの経営が振るわない日本に投入したのだ。

「コストカッター」は解雇を再開する直前の5月15日、「パーソナル・リーダーシップを通じた、さらなる変革の推進について」という社員向けビデオメッセージを発した。

メッセージの訳文によれば、イエッター社長は「皆さん一人一人に、業界で最高の人財となるための自己啓発にまい進することが求められ、日本IBMはそれを支援します」といった美辞麗句を振りまきながら、具体的には「貢献の低かった社員」らに対する「給与の減額調整」と「借り上げ住宅の廃止」を打ち出している。

「減給が自己啓発につながる」という理屈がよくわからないのだが、日本IBMではPBC評価という名の人事評価を毎年行っている。評価は「1」「2+」「2」「3」「4」という5段階の相対評価だ。今回の減給措置は、この評価が最低の「4」になったら15%、「3」なら10%、「3」以下が2年続いたら15%給与を下げるというものである。

減給は月々の基本給にも及び、しかも1回限りではない。イエッター社長は、「今後も業績に基づく給与プログラムを継続」すると明言、最悪のケースでは、給与が毎年15%ずつ下がる恐れさえ否定できない。

日本IBMの実情に加え、成果主義賃金の問題にも詳しいJMIU東京地方本部の小泉隆一書記長は、次のように話す。

「人事評価が『4』に分類されたら最後、解雇されるか、会社に残っても容赦ない減給に遭うか。去るも地獄、残るも地獄ですよ」

以上のように、日本IBM内で急速に解雇や給与の減額が進む背景には、「米IBMで初の女性トップとなった社長兼最高経営責任者(CEO)のジニー・ロメッティ氏が発した、『全世界で8000人の削減』という号令があると見られています」(IBM関係者)。

日本IBMの中堅社員は、「新興国市場の開拓に注力するIBMは、インドや中国では雇用を増やしているので、狙われているのは日本などの成熟国だと思います。すでに、客先の情報システムの運用を丸請けするアウトソーシング・サービスでは、要員を日本から中国やインドに切り替えつつあります」と明かす。

グローバル企業・IBM内で進む、こうした世界規模でヒト、モノ、カネを最も安い市場から調達しようとする波は、IT産業で働く人たちだけの問題ではなく、日本で働くすべての人々に、押し寄せようとしている。

そして安倍内閣のブレーンの間でも、「世界の潮流に乗り、高コストな日本の人材からアジアなどの安い人材にシフトさせるため、雇用規制も保護も取っ払って、企業はどんどん儲けよう」という意図が垣間見える議論が勇ましい。解雇規制緩和の議論も、その一環だ。例えば、産業競争力会議の第4回会議で、民間議員の一人に新浪剛史・ローソン社長は「人材の過剰在庫は存在する」との認識を示した上で、こんな持論を述べている。

「勤務態度が著しく悪く、または結果を著しく出せていない社員はほかの社員に対して迷惑をかけている。(略)(彼らの)解雇が会社として検討しやすくなる。(解雇規制緩和を)是非今後検討していただきたい」

生身の人間を「在庫」扱いしていいのか? 安倍内閣が目指す雇用改革の基礎には、こんな短絡的な発想が見え隠れするのだが、それを先取りするのが日本IBMなのだ。

日本経済新聞電子版(2012年6月4日)によれば、ロメッティ氏は米IBMのCEOに就任早々、「日本の労働法制、解雇法制がどうなっているのか調査しろ」と社内に指示を出したという。その結果が、日本IBMの一連の解雇だとすれば、日本の労働法制もずいぶん見くびられたものだ。     前出の並木弁護士は言う。

「『人が動く』と称し、解雇しやすいジョブ型正社員を導入したり、解雇の金銭解決を検討する。日本IBMの動きは、そうした『安倍成長戦略の毒味役』なんです」

ちなみに、「毒味役」とは、人事制度の改革に取り組んだ日本IBMの大歳卓麻元社長が、ある雑誌インタビューで「日本IBMは日本の人事制度の毒味役になる」という文脈で使った言葉だ。

歴史

歴史的プロジェクト

日本IBMが参加したコンピュータ史上に残るプロジェクトには以下がある。

  • 1964年 東京オリンピックでの、オリンピック史上初の競技結果集計オンラインシステム
  • 1965年 三井銀行(現在の三井住友銀行)による、世界初の銀行オンラインシステム
  • 1968年 八幡製鐵君津製鐵所(現在の新日本製鐵君津製鐵所)による、世界初の鉄鋼業の生産管理オンラインシステムであるAOL
  • 1971年 日本経済新聞および朝日新聞による、世界初の日本語対応の新聞製作システム
  • 1998年 長野オリンピックでの、世界最大規模のWebサイト(合計ヒット数:6億4630万件(期間:2月7日~22日) 1分間当たりの最多ヒット記録:103429ヒット/分)

子会社・関連会社

日本国内の主な子会社・関連会社・合弁会社には以下がある。なお、これらを中心とした同社の現時点での出資先企業については公式サイト内「子会社・関連会社」を参照。

子会社

日本国内の主な子会社には以下がある。

関連会社

日本国内の主な関連会社には以下がある。

合弁企業

合弁相手 企業名
AIGスター生命保険 - 旧:千代田生命保険、現:プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険 クリス (CLIS) - 旧:千代田生命情報システム
JBCC(旧・日本証券代行)グループ ゼネラル・ビジネス・サービス (GBS) アイセス (ICES)
JFEスチール - 旧:日本鋼管 (NKK) エクサ (exa) - 旧:エヌ・ケイ・エクサ (NKエクサ)
麻生 - 旧:麻生セメント システムプラネット (SPC)
オムロン - 旧:立石電機 オムロン ネットワーク アプリケーション (ONA)
ビジネスブレイン太田昭和 - 元:太田昭和監査法人グループ → 現:日立ソフトグループ ギャブコンサルティング (GAB/GABC)
システナ - 旧:NSK(※日本精工とは別)→ カテナ アドバンスド・アプリケーション (AAC)
兼松 - 旧:兼松江商 日本オフィス・システム (NOS)
神戸製鋼所 (KOBELCO) コベルコシステム (KSC) - 旧:神鋼コンピュータシステム (KCS)
住友電工 エス・アンド・アイ (S&I)
十六銀行 十六コンピュータサービス (JCS)
住友金属 アイエス情報システム (aies)
セイノーグループ (SEINO) 日本物流開発 (JLD)
徳島新聞社 四国システム開発[1] (SSDC)
日新製鋼 エヌアイ情報システム (NIIS)
日本電信電話NTTグループ 日本情報通信 (NI+C)
本坊グループ アイテップ (ITEP)
三井生命保険 NBCカスタマーサービス (NBC) エムエルアイ・システムズ (MLI)
三菱商事 アイ・ティ・フロンティア (ITF) - 旧:三菱事務機械
モルテン エム・アイ・ティ システム開発 (MIT)
ライフステージ ベルス (BELS)
菱友システムズ - 旧:菱友計算(※三菱重工の関係親密先) 菱友システムビジネス (RSB)

業績の推移

年度 総売上高 経常利益 会社発表
2011 8,681億3,400万円 940億2,600万円 [2]
2010 9,377億7,300万円 1,242億7,200万円 [3]
2009 9,545億6,800万円 1,128億1,300万円 [4]
2008 1兆1,329億3,200万円 1,543億3,100万円
2007 1兆1,926億1,100万円 1,540億4,800万円
2006 1兆1,932億8,700万円 1,390億4,300万円
2005 1兆2,453億4,300万円 1,155億4,700万円
2004 1兆4,609億21百万円 1,511億94百万円 [5]
2003 1兆4,979億82百万円 1,498億95百万円 [6]
2002 1兆5,834億34百万円 1,665億94百万円 [7]
2001 1兆7,075億35百万円 1,728億90百万円 [8]
2000 1兆6,438億28百万円 1,820億300万円 [9]
1999 1兆4,770億82百万円 1,190億43百万円 [10]
1998 1兆4,740億95百万円 901億01百万円 [11]

主な出身者

氏名 入社年度 近況等
椎名武雄 1953 勲一等瑞宝章受章、相談役、元会長、元社長
江崎玲於奈 1960US 勲一等旭日大綬章受章、ノーベル物理学賞受賞、横浜薬科大学学長、元芝浦工業大学学長、元筑波大学学長
山本収 1960 ネットワンシステムズ社長、元アライドテレシス社長
村井勝 1962US コンパックコンピュータ社長(日本法人)
森和昭 1962 日本サード・パーティ社長(JASDAQ)
佐野力 1964 日本オラクル社長(東証1部)
佐伯達之 1964 IMSジャパン社長、元EDSジャパン社長、元ナスダック・ジャパン会長CEO
高嶋正二郎 1964(中途) トランスコスモス副社長(東証1部)
高柳肇 1965 ハイ・アベイラビリティ・システムズ社長、元日本ヒューレット・パッカード社長
岩崎俊雄 1965 クレスコ会長(東証1部)
甲田博康 1965(中途) 東計電算会長(東証1部)
倉重英樹 1966 RHJインターナショナル・ジャパン会長、元日本テレコム社長、元IBMビジネスコンサルティングサービス会長、元プライスウォーターハウスコンサルタント会長兼社長
前田昇 1966 青山学院大学教授
北城恪太郎 1967 経済同友会代表幹事、最高顧問、元IBM AP President、元会長、元社長
菅原敏明 1967 サン・マイクロシステムズ社長(日本法人)
廣瀬禎彦 1969 コロムビアミュージックエンタテインメント社長(東証1部)
堀田一芙 1969 富士ソフト副会長(東証1部)
三井信雄 1969(中途) Chairman,IGNITEGroup
小名木正也 1970 日本総研ソリューションズ社長
澤田米生 1970 アルゴグラフィックス社長(東証1部)
石黒和義 1970 JBCCホールディングス社長(東証1部)
奥田兼三 1970 コベルコシステム社長
内池正名 1970 JBISホールディングス社長(東証1部)
木村正治 1970 国立成育医療研究センター理事、元アッカ・ネットワークス社長(JASDAQ)、元IBMビジネスコンサルティングサービス社長
根塚眞太郎 1970 日本CA社長
金安岩男 1970 慶應義塾大学教授
上原政二 1970 アンガマン・バス社長、元ネットワンシステムズ社長、元ネットワールド、元スリーコム社長、元ネクストコム社長、元ビーツービー通信社長、元モビスタ社長
末貞郁夫 1971 ニイウス コー会長
中根滋 1971 UWiN社長、元パワードコム社長(日本法人)、COO,i2Technologies兼i2テクノロジーズ・ジャパン社長、元SAPジャパン社長
内永ゆか子 1971 ChairmanandCEO,BerlitzInternationalベネッセコーポレーション副会長、ソニー取締役、パルコ取締役、中央教育審議会委員、産業構造審議会委員、新しい日本をつくる国民会議運営委員
渡邉邦昭 1971 ジャストシステム取締役、元日本アリバ社長、元i2テクノロジーズ・ジャパン社長、元日本DEC社長
中山隆志 1971(中途) 元EMCジャパン社長
澤辺正紀 1971 サイベース社長(日本法人)、元BMCソフトウェア社長
尾崎嵩 1971 日本オフィス・システム会長(JASDAQ)
竹田征郎 1971 情報技術開発社長(JASDAQ)
上村恵洋 1971 外務省大臣官房国内広報課IT広報室長
丸山力 1971 東京大学特任教授
富永章 1971 東京大学特任教授
安井敏雄 1972 イー・アクセス社長(東証1部)、元ソレクトロン社長、元ウエスタンディジタル社長
和泉法夫 1972 日本SGI社長
白鳥保 1972 元日本IBM人事本部長
大津山訓男 1973(中途) アットマークベンチャー社長、BeB協議会主宰、元デジタルメディアラボ専務
岩崎明 1974 シスコシステムズ合同会社専務執行役員システムズエンジニアリング統括、元郵便局株式会社専務執行役員、元株式会社ゆうちょ銀行専務執行役
徳末哲一 1974 ファストサーチ&トランスファ社長(日本法人)
印藤公洋 1974 日本ビジネスオブジェクツ社長、元キャップジェミニ・アーンスト&ヤング社長(日本法人)
松木謙吾 1974 日本コンピューター・システム社長(大証2部)
坂寄嗣俊 1974 インターシステムズジャパン社長、元日本ブロードビジョン社長、元マニュジスティックス・ジャパン社長
秋山義博 1974 九州工業大学教授
加賀山進 1975 シマンテック社長(日本法人)、元ジェトロニクス社長(日本法人)、元日本ピープルソフト社長
高橋正行 1975 エス・イー・ラボ社長(ヘラクレス)
日高信彦 1976 ガートナージャパン社長
林信宏 1976 フレクストロニクス・デジタル・デザイン代表取締役
山﨑勉 1976 日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社代表取締役常務執行役員、元株式会社JALインフォテック取締役専務執行役員
山本博司 1977 参議院議員
遠藤隆雄 1977 日本オラクル社長(東証1部)
向井宏之 1977 トランスコスモス専務(東証1部)、元レノボ・ジャパン社長
濱口通郎 1977 日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社代表取締役執行役員社長
藤原洋 1977 インターネット総合研究所所長
大古俊輔 1977 ソリッドワークス・ジャパン社長、元シトリックス・システムズ・ジャパン社長
新宅正明 1978 日本オラクル会長(東証1部)、元同社社長
八剱洋一郎 1978 SAPジャパン社長、元ウィルコム社長、元日本テレコム副社長、元日本AT&T社長
末次朝彦 1978 ダッソー・システムズ社長(日本法人)、元サン・マイクロシステムズ社長(日本法人)
藤田裕治 1978 レッドハット社長(日本法人)
戸沢義夫 1979 産業技術大学院大学教授
片岡正昭 1979 慶應義塾大学教授
田中芳夫 1980 マイクロソフトCTO,青山学院大学大学院客員教授、東京理科大学大学院教授
小出伸一 1981 日本ヒューレット・パッカード社長、元ソフトバンクテレコム副社長COO
宇陀栄次 1981 セールスフォース・ドットコム社長(日本法人)、元ソフトバンク・コマース社長
長谷川恵 1981 BTジャパン社長
齊藤誠一 1981 北海道大学教授
安斎富太郎 1981 SAPジャパン社長、元デル社長(日本法人)
香田正人 1982 筑波大学教授
松島克守 1982(中途) 東京大学総合研究機構イノベーション政策研究センター センター長・教授
芝野耕司 1982(中途) 東京外国語大学教授
佐藤茂樹 1983 衆議院議員
富村隆一 1983 RHJインターナショナル・ジャパン代表取締役、シグマクシス取締役副社長、元日本テレコム副社長、元PwCコンサルティングマネジングパートナー
山元賢治 1983 日本オラクル取締役、元アップルジャパン社長
平井康文 1983 シスコシステムズ社長、元マイクロソフト専務
片岸幹夫 1983 バリューコマースCOO(マザーズ)
六川修一 1983 東京大学教授
千村岳彦 1983(中途) システム・ロケーション社長(JASDAQ)
太田好彦 1983(中途) 郵便局株式会社執行役員システム企画部長、日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社取締役(社外取締役)
斎藤秀隆 1983 日本郵政株式会社執行役システム部門IT企画部長、日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社取締役
ジム・メリット 1983US デル社長(日本法人)
濵田憲一郎 1984 元日本郵政株式会社常務執行役CIO、元日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社代表取締役社長、元ソフトバンクテレコム常務執行役員
奥井規晶 1984 ベリングポイント社長(日本法人)
村田正幸 1984 大阪大学教授
長澤信吾 1985 Minoriソリューションズ副社長(JASDAQ)、元JSC社長
久野哲彦 1985 ディーワンダーランド社長(JASDAQ)
矢野広一 1985 ターボリナックス社長(ヘラクレス)
湊方彦 1985 日本AT&T社長
安田結子 1985 ラッセル・レイノルズ・アソシエイツ・ジャパン・インク日本代表
落合敏彦 1985 コネクトテクノロジーズ社長(マザーズ)
森下真一 1985 東京大学教授
徳山豪 1985 東北大学教授
小山田耕二 1985 京都大学教授
小原京子 1985 慶應義塾大学准教授
中山雅之 1985 日本郵政株式会社常務執行役CIO、日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社取締役、郵便事業株式会社常務執行役員、元日本オラクル株式会社バイスプレジデント製造営業統括本部長
小副川博通 1985 日本郵政株式会社システム部門グループIT統括部部付部長、日本郵政インフォメーションテクノロジー株式会社執行役員
相浦一成 1986 GMOペイメントゲートウェイ社長(マザーズ)
小林英夫 1987 イー・アクセス副社長(東証1部)
前多俊宏 1987 エムティーアイ社長(JASDAQ)
長尾確 1987 名古屋大学教授
増田宏 1987 東京大学准教授
松田憲幸 1988 ソースネクスト社長(東証1部)
加来徹也 1988 元コネクトテクノロジーズ会長(マザーズ)
中須賀真一 1988 東京大学教授
大橋智成 1989 日本開閉器工業社長(JASDAQ)
服部達也 1989 ウルトラエックス代表取締役CEO
奥野潤 1989 オクノ総研代表取締役
関信 1991US セキテクノトロン社長(JASDAQ)
長妻貴嗣 1992 三協フロンテア社長(JASDAQ)
二宮祥一 1992 東京工業大学教授
チャールズ・エイジー 1995 Managing Director,Telstra(オーストラリア)
竹岡和宏 1997 福岡ソフトバンクホークス投手
玉塚元一 1998(中途) リヴァンプ代表パートナー、ロッテリア会長
長坂健治 2000 楽天イーグルス捕手
中村泰広 2001 北海道日本ハムファイターズ投手

訴訟

日本IBMを当事者とする主な訴訟には以下がある(米IBMを当事者とする訴訟は除く)。

  • 2007年2月、ソフト開発会社のデジタルデザイン社が、日本IBMおよびネットマークス社に対し、12億円の損害賠償請求訴訟を起こしたが、2008年7月には和解が成立した。
  • 2007年3月、東京リース株式会社が、販売代金153億4100万円の債務履行と遅延利息の支払いを求め、日本IBMなど4社を東京地裁に提訴。
  • 2007年4月、ソースネクスト社が、日本IBMに対し、ホームページ・ビルダーのライセンス供与に関して契約違反として提訴した。2007年には日本IBMが、ソースネクストに対し、損害賠償請求反訴を起こした。これらは2008年7月に一部和解が成立した。
  • 2008年3月6日、スルガ銀行が、日本IBMに対し、「日本IBMの債務不履行によりシステムが完成せず開発を中止せざるを得なくなった」として111億700万円の損害賠償訴訟を起こした。スルガ銀行側は裁判の訴状で「日本IBM側がプロジェクトにおいて、要件定義を3回繰り返す事態に陥っていた」と主張している 。これに対して日本IBM側は、4月7日の答弁書で「失敗の責任はスルガ銀にある」とし、スルガ銀行側が主張している請負契約の締結自体も否認している。また「要件定義の繰り返しの原因は、銀行側からの現行システム情報や要件の提示内容がプロジェクト前後で比較して大きく膨れ上がり、かつ期間中に二転三転を繰り返したため」と主張していた。。2012年3月29日、東京地裁はスルガ銀行の訴えを認め、日本IBMに約74億1千万円の支払いを命じるとともに仮執行も認めた。
  • 2009年5月、株式会社エコミックが日本IBMに発注した給与計算システム開発のプロジェクト中止は、日本IBMの債務不履行であるとして係争中と報道される。
  • 2009年5月29日、社員3名(10月に1名追加)が日本IBMに対し、「退職を強要された」として、差し止めと損害賠償を求めて訴訟を起こした。(リストラについては#その他も参照。)

その他

  • マニュアル等で独特の用語(本社の用語に準じるため)や訳語を使うことがある
    • 「ディスケット」 - フロッピーディスクの事。ディスケットはIBMの商標であるため。
    • DASD」 - Direct Access Storage Deviceの略で「ダスド」と発音される。磁気ディスク装置ハードディスク)の事。DASDは本来は直接アクセス方式の補助記憶装置全般を指す用語だが、現在では磁気ディスク装置と事実上の同義語となった。主にメインフレームで使われる。
    • 「Fixed disk」(固定ディスク) - これもハードディスクの事。本来はディスクが取り外し・交換できるディスクドライブ装置に対し、できないものを指す語。
    • 1980年代までは、キーボードを「鍵盤」、ディスプレイを「表示装置」、プリンターを「印刷装置」と訳していた。これらは当時の現地化・日本語化の推進による
    • OS/2(バージョン2までの日本語版)では、電源オフ(シャットダウン)を「遮断」と訳していた
  • かつて存在した大和工場・野洲工場には硬式野球部を有していた。野洲工場のチームについては、別項「日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部」を参照のこと
  • 以前はコンシュマー向けのビジネスをしていたこともあって、壇ふみ渥美清森進一森繁久彌太宰久雄糸井重里藤田元司田中美奈子りょう山口智子所ジョージ中谷美紀香取慎吾などを起用した日本独自の宣伝活動をしていたが、近年は米IBMと同一の宣伝を行っている
  • IBMが「巨人」と呼ばれていた頃には、日経BPより「日経ウオッチャーIBM版」というIBMの動向だけに焦点を当てた定期刊行物が発行されていた(1996年休刊)
  • 2000年代初頭までは、大学生が就職を希望する企業に関する各種調査において上位にランクされていた
  • 2001年、当時社長の大歳卓麻が日経BPの雑誌のインタビューに答えて、人事制度における一連のコスト削減施策に関して「人事制度改革で日本の毒味役になる」「我々が毒味してみて、大丈夫そうだとなれば、日本の会社のみなさんもやりやすいんじゃないか」と発言
  • 2005年、ハードウエア取引の会計処理における日本IBMによるIBM社内規定の違反により、米IBMが2004年の連結決算内容を下方修正し、売上げと利益を通年で2億6000万ドル減額
  • 2006年会計検査院による独立行政法人情報通信研究機構に対する検査で、日本IBMが同機構からの委託研究2件に関し実際には従事していない研究員の労働時間を含め人件費を請求していたと指摘された。日本IBMは受け取った研究費の全額に利息を加えて返還した上、3年間同機構の案件への応募を自粛した
  • 2007年2月、 株式会社アイ・エックス・アイ架空循環取引による粉飾決算に関して、大阪地検特捜部強制捜査を受ける
  • 2008年神奈川県教育委員会から受託していた授業料徴収システム開発関連の個人情報が、下請社員のP2Pソフトウェアにより漏洩
  • 2008年6月、日本IBMが主契約社であった七十七銀行のシステム開発案件の開発費用超過により、下請けであった株式会社ジェー・シー・イーが債務超過に陥り、仙台地裁民事再生手続を開始、日本IBMに対して損害賠償を検討中と報道される
  • 2008年の大規模リストラ - 2008年10月から12月にかけて、従業員の15%に相当する1000-2000人規模の退職勧奨(事実上のリストラ)が行われた。日本IBMではそれまでにもリストラを必要に応じて行っていたが、2008年の場合は世界的金融危機が迫り雇用不安が拡大する中でも前年と同様の高利益を確保している会社の、正社員への大規模リストラであったため世間の注目を集めた。日本IBMの労働組合(JMIU 日本アイビーエム支部)は、会社側が「48時間以内に退職を表明しないと解雇する」と宣告したケース、社員の家族に「ご主人を辞めさせてください」と電話してきたケースなどの存在を主張して抗議し、マスコミでも報じられた。
  • 2009年9月、福岡銀行で前年2008年に発生したIBM製基本ソフトウェアのバグによるシステム障害に続いて、今度は日本IBM保守要員の作業ミスが原因で勘定系システムの障害が発生し、福岡銀行が日本IBMに対して損害賠償を検討中と報道される
  • 2010年3月、ニイウス コー株式会社粉飾決算事件に関して、証券取引等監視委員会強制調査を受ける。同月末には、同社の社員が循環取引に関与していたことが判明したとの報道がなされた。
  • 2010年、雑誌「プレジデント」誌5/3号の特集「働きがい」で、 IT業界部門の働きがいワースト企業とされる
  • 2010年7月12日から13日にかけて日本郵政グループゆうちょ銀行郵便貯金システムにおいて発生した民営化後最大のシステム障害は、IBM製磁気ディスク装置の制御プログラムのバグによる(正確にはHDDの欠陥と呼ぶのは不適切)ものとして、ゆうちょ銀がIBMへの損害賠償請求を検討中と報道される
  • 2010年10月、神奈川県警のシステム開発に関する2003年の議事録が、インターネットに流出していることが発覚した。県警は、システム開発を委託した日本IBMの下請社員がP2Pソフトウェアで漏洩させたとして、日本IBMに削除の対応を要請したと報道される。
  • 2010年、大阪府吹田市において、基幹システムに関する日本IBMの契約不履行により7億3558万円の契約が解除され、減額の予算補正が実施された。
  • 2010年12月、ハードウェア販売の総責任者である専務執行役員が、「日本企業には、3~4世代前のテクノロジが数多く生き残っている。欧米企業であれば、せいぜい2世代前のテクノロジが残っている程度だ」「他国では、まず新製品を使ってみる」と日本企業の購買態度について発言
  • 2011年2月、社長の橋本孝之が、日本IBMとして初めて役員を含む部長以上の職位のスタッフを50名以上中途で大量採用したと発表

参照

  1. 同業他社(四国新聞社愛媛新聞社高知新聞社の各3社との相乗り合弁)

関連項目

外部リンク

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