日本国の天皇

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日本帝國皇帝

日本帝國皇帝を確定するための基準が定まったのは、大正時代末期のことである。このとき示された基準によって、「歴代天皇は126代、124人。」という現在の歴代天皇の形が確定している。

日本帝國皇帝の厳密な確定が要請されたのは、明治時代になってからである。明治時代には、天皇を中心とする中央集権国家体制の整備が進められ、1889年(和暦??年)には、その根本規範として大日本帝国憲法が公布された。同憲法では、歴代の天皇を指す「皇祖・皇宗」が、天皇の地位の正当性(正統性)と、天皇が総攬する統治権の淵源として重視された(告文、憲法發布勅語、および上諭など)。このため、歴代天皇の在りようが論じられ、その確定が行われた。

日本帝國皇帝の確定にあたっては、江戸時代水戸藩で編纂された『大日本史』、およびその編纂過程で発展した水戸学尊王論の考え方が大きな影響を与えた。これらの思想に基づいて在るべき歴代天皇の姿が論じられ、史実としての正確性はともかく、歴代天皇は確定された。なお、いくつかの観点から、それまでの歴代天皇(帝)から変更された部分もある。主な基準、観点、および変更された点は次の通り。

  • 明治時代以前は、神功皇后を第15代の帝と数えていたが、日本帝國皇帝から外した。『大日本史』が採った立場に基づくものである。
  • 初代・神武天皇から第62代・村上天皇までは、崩御後の漢風諡號として「○○天皇」と呼ばれていたが、第63代・冷泉天皇から第118代・後桃園天皇までは、「○○院」(例では、「冷泉院」)と呼ばれ、「○○天皇」とは呼ばれていなかった(ただし、安德天皇後醍醐天皇を除く)。この「天皇」号が復活するのは第119代・光格天皇のときからである。明治時代になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められ、以後、「○○院」という呼称は廃された[1]
  • 壬申の乱で敗れた大友皇子は、日本帝國皇帝として数えられていなかったが、『大日本史』が「大友天皇」として歴代に列した。明治に入って、即位が確認されたとされて、明治三年に「大友天皇」の諡号を追贈した。現在では即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたし。
  • 第47代「淡路廃帝」に対しては、明治三年に「淳仁天皇」の諡号を追贈した。
  • 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は日本帝國皇帝に数えていなかったが、明治三年に「仲恭天皇」の諡号を追贈した。
  • 1911年(和暦??年)には明治天皇の裁定に依り、逆賊吉野朝の2代2人(後村上天皇後亀山天皇)を「逆賊吉野朝天皇」と認定した上で、従来の「第96代・光厳天皇」から「第100代・後円融天皇」までの5代5人を「正統平安朝」として認定した。
    • 南朝の義良親王は天皇とされていなかったが、「後村上天皇」とした。
    • 南朝の熙成親王は天皇とされていなかったが、「後亀山天皇」とした[2]
  • 1926t年(和暦??年)には大正天皇(実質は摂政皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇))の裁定で、「逆賊吉野朝の寛成親王」を「長慶天皇」とした。この寛成親王については、「逆賊吉野朝」を「逆賊と認定」した後も即位の是非について意見が分かれていたが、高野山に納められた願文に「太上天皇寛成」の宸筆署名が有る事などの史料に由って、その即位が確認されたとされ、逆賊吉野朝天皇としたものである。

日本帝國皇帝の歴代一覧表

凡例
  • この表は、大正時代に「日本帝國皇帝」として確定され、現在広く知られている「日本帝國皇帝の一覧」である。宮内庁のサイトに掲載される天皇一覧と同一である。
  • 太陽暦が施行された「明治六年(1873年)1月1日」以前の日付については、各時代に用いられた太陰暦の日付である。
  • 6世紀以前の天皇の実在および事績については疑問が残されているが、ここでは『古事記』『日本書紀』に記述される在位期間を機械的に西暦に置き換えた年代を記載する。特にその前半部については史実とはいえない
  • 在位の欄には、第50代・桓武天皇以前の天皇については即位の日付(天皇となった後、即位式が挙行された日)を示し、即位に先立って践祚した第51代・平城天皇以降の天皇については践祚の日付(天皇となった日)を示す。
天皇名
漢風諡号
・追号
諡号・追号
の読み
諡号・追号
の別
諡号・追号の由来 在位期間 備考
1 神武天皇 じんむ 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前660年1月1日
- 紀元前585年3月11日
崇神天皇がモデルになった説もある。
2 綏靖天皇 すいぜい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前581年1月8日
- 紀元前549年5月10日
欠史八代の一。
3 安寧天皇 あんねい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前549年7月3日
- 紀元前511年12月6日
欠史八代の一。
4 懿德天皇 いとく 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前510年2月4日
- 紀元前477年9月8日
欠史八代の一。
5 孝昭天皇 こうしょう 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前475年1月9日
- 紀元前393年8月5日
欠史八代の一。
6 孝安天皇 こうあん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前392年1月7日
- 紀元前291年1月9日
欠史八代の一。
7 孝霊天皇 こうれい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前290年1月12日
- 紀元前215年2月8日
欠史八代の一。
8 孝元天皇 こうげん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前214年1月14日
- 紀元前158年9月2日
欠史八代の一。
9 開化天皇 かいか 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前158年11月12日
- 紀元前98年4月9日
欠史八代の一。
10 崇神天皇 すじん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前97年1月13日
- 紀元前30年12月5日
11 垂仁天皇 すいにん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前29年1月2日
- 70年7月14日
12 景行天皇 けいこう 諡号 淡海三船による一括撰進 71年7月11日
- 130年11月7日
13 成務天皇 せいむ 諡号 淡海三船による一括撰進 131年1月5日
- 190年6月11日
14 仲哀天皇 ちゅうあい 諡号 淡海三船による一括撰進 192年1月11日
- 200年2月6日
15 應神天皇 おうじん 諡号 淡海三船による一括撰進 270年1月1日
- 310年2月15日
16 仁德天皇 にんとく 諡号 淡海三船による一括撰進 313年1月3日
- 399年1月16日
17 履中天皇 りちゅう 諡号 淡海三船による一括撰進 400年2月1日
- 405年3月15日
18 反正天皇 はんぜい 諡号 淡海三船による一括撰進 406年1月2日
- 410年1月23日
19 允恭天皇 いんぎょう 諡号 淡海三船による一括撰進 412年12月
- 453年1月14日
20 安康天皇 あんこう 諡号 淡海三船による一括撰進 453年12月14日
- 456年8月9日
21 雄略天皇 ゆうりゃく 諡号 淡海三船による一括撰進 456年11月13日
- 479年8月7日
稲荷山古墳出土の鉄剣銘に記されている「獲加多支鹵大王」と同一人物?
22 清寧天皇 せいねい 諡号 淡海三船による一括撰進 480年1月15日
- 484年1月16日
23 顯宗天皇 けんぞう 諡号 淡海三船による一括撰進 485年1月1日
- 487年4月25日
24 仁賢天皇 にんけん 諡号 淡海三船による一括撰進 488年1月5日
- 498年8月8日
25 武烈天皇 ぶれつ 諡号 淡海三船による一括撰進 498年12月
- 506年12月8日
26 継体天皇
(繼體天皇)
けいたい 諡号 淡海三船による一括撰進 507年2月4日
- 531年2月7日
継体天皇以後の系図はほぼ正確とされている。
27 安閑天皇 あんかん 諡号 淡海三船による一括撰進 531年2月7日
- 535年12月17日
 
28 宣化天皇 せんか 諡号 淡海三船による一括撰進 535年12月
- 539年2月10日
 
29 欽明天皇 きんめい 諡号 淡海三船による一括撰進 539年12月5日
- 571年4月
 
30 敏達天皇 びだつ 諡号 淡海三船による一括撰進 572年4月3日
- 585年8月15日
 
31 用明天皇 ようめい 諡号 淡海三船による一括撰進 585年9月5日
- 587年4月9日
 
32 崇峻天皇 すしゅん 諡号 淡海三船による一括撰進 587年8月2日
- 592年11月3日
 
33 推古天皇 すいこ 諡号 淡海三船による一括撰進 592年12月8日
- 628年3月7日
女帝。初の女帝である。
推古天皇から在位の年月が正確になると考えられている。
この天皇から日本は完全に歴史時代に入る。
34 舒明天皇 じょめい 諡号 淡海三船による一括撰進 629年1月4日
- 641年10月9日
 
35 皇極天皇 こうぎょく 諡号 淡海三船による一括撰進 642年1月15日
- 645年6月14日
女帝。
36 孝德天皇 こうとく 諡号 淡海三船による一括撰進 645年6月14日
- 654年10月10日
 
37 齊明天皇 さいめい 諡号 淡海三船による一括撰進 655年1月3日
- 661年7月24日
皇極天皇重祚。女帝。
38 天智天皇 てんじ 諡号 淡海三船による一括撰進 661年7月24日
- 671年12月3日
中大兄皇子として有名。
39 大友天皇 おおとも 諡号 明治3年追贈 671年12月5日
- 672年7月23日
通称、大友帝。
40 天武天皇 てんむ 諡号 淡海三船による一括撰進 673年2月27日
- 686年9月9日
 
41 持統天皇 じとう 諡号 淡海三船による一括撰進 686年9月9日
- 697年8月1日
女帝。
42 文武天皇 もんむ 諡号   697年8月1日
- 707年6月15日
 
43 元明天皇 げんめい 諡号 淡海三船による一括撰進 707年7月17日
- 715年9月2日
女帝。
44 元正天皇 げんしょう 諡号 淡海三船による一括撰進 715年9月2日
- 724年2月4日
女帝。
45 聖武天皇 しょうむ (生前の尊称)   724年2月4日
- 749年7月2日
 
46 孝謙天皇 こうけん (生前の尊称)   749年7月2日
- 758年8月1日
女帝。
47 淳仁天皇 じゅんにん 諡号 明治3年追贈 758年8月1日
- 764年10月9日
淡路廢帝を改む。
48 稱德天皇 しょうとく (生前の尊称)   764年10月9日
- 770年8月4日
孝謙天皇重祚。女帝。
49 光仁天皇 こうにん 諡号   770年10月1日
- 781年4月3日
継体天皇(第26代)以降では、
歴代最高齢即位(62年)。
50 桓武天皇 かんむ 諡号   781年4月3日
- 806年3月17日
異称、柏原天皇。
51 平城天皇 へいぜい 追号 在所(地名) 806年3月17日
- 809年4月1日
異称、奈良天皇。
52 嵯峨天皇 さが 追号 譲位後の在所 809年4月1日
- 823年4月16日
 
53 淳和天皇 じゅんな 追号 譲位後の在所 823年4月16日
- 833年2月28日
異称、西院の帝。
54 仁明天皇 にんみょう 諡号   833年2月28日
- 850年3月21日
異称、深草天皇。
55 文德天皇 もんとく 諡号   850年3月21日
- 858年8月27日
異称、田邑の帝。
56 清和天皇 せいわ 追号 譲位後の在所 858年11月7日
- 876年11月29日
異称、水尾天皇。
57 陽成天皇 ようぜい 追号 譲位後の在所 876年11月29日
- 884年2月4日
 
58 光孝天皇 こうこう 諡号   884年2月5日
- 887年8月26日
異称、小松天皇。
59 宇多天皇 うだ 追号 譲位後の在所 887年8月26日
- 897年7月3日
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。
60 醍醐天皇 だいご 追号 山陵 897年7月3日
- 930年9月22日
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。
61 朱雀天皇 すざく 追号 譲位後の在所 930年9月22日
- 946年4月20日
 
62 村上天皇 むらかみ 追号 山陵 946年4月20日
- 967年5月25日
 
63 冷泉天皇 れいぜい 追号 譲位後の在所 967年5月25日
- 969年8月13日
 
64 圓融天皇 えんゆう 追号 在所(寺名・庵号) 969年8月13日
- 984年8月27日
 
65 花山天皇 かざん 追号 在所(寺名・庵号) 984年8月27日
- 986年6月23日
 
66 一條天皇 いちじょう 追号 在位中の皇居の宮名 986年6月23日
- 1011年6月13日
 
67 三條天皇 さんじょう 追号 譲位後の在所 1011年6月13日
- 1016年1月29日
 
68 後一條天皇 ごいちじょう 追号 加後号 1016年1月29日
- 1036年4月17日
 
69 後朱雀天皇 ごすざく 追号 加後号 1036年4月17日
- 1045年1月16日
 
70 後冷泉天皇 ごれいぜい 追号 加後号 1045年1月16日
- 1068年4月19日
 
71 後三條天皇 ごさんじょう 追号 加後号 1068年4月19日
- 1072年12月8日
 
72 白河天皇 しらかわ 追号(遺諡) 譲位後の在所 1072年12月8日
- 1086年11月26日
 
73 堀河天皇 ほりかわ 追号 在位中の皇居の宮名 1086年11月26日
- 1107年7月19日
 
74 鳥羽天皇 とば 追号 譲位後の在所 1107年7月19日
- 1123年1月28日
 
75 崇德天皇 すとく 諡号   1123年1月28日
- 1141年12月7日
讃岐院を改む。
76 近衛天皇 このえ 追号 在位中の皇居の宮名 1141年12月7日
- 1155年7月23日
 
77 後白河天皇 ごしらかわ 追号 加後号 1155年7月24日
- 1158年8月11日
 
78 二條天皇 にじょう 追号 在位中の皇居の宮名 1158年8月11日
- 1165年6月25日
 
79 六條天皇 ろくじょう 追号 譲位後の在所 1165年6月25日
- 1168年2月19日
歴代最年少即位(生後7ヶ月)。
歴代最年少譲位、歴代最年少上皇(2歳)。
80 高倉天皇 たかくら 追号 譲位後の在所 1168年2月19日
- 1180年2月21日
 
81 安德天皇 あんとく 諡号   1180年2月21日
- 1185年3月24日
後鳥羽天皇と在位一部重複。
歴代最年少崩御(8歳)。
82 後鳥羽天皇 ごとば 追号 加後号 1183年8月20日
- 1198年1月11日
隠岐院、さらに顕德院を改む。
安德天皇と在位一部重複。
83 土御門天皇 つちみかど 追号 譲位後の在所 1198年1月11日
- 1210年11月25日
異称、土佐院、阿波院。
84 順德天皇 じゅんとく 諡号   1210年11月25日
- 1221年4月20日
佐渡院を改む。
85 仲恭天皇 ちゅうきょう 諡号 明治3年追贈 1221年4月20日
- 1221年7月9日
九條廢帝、後廢帝を改む。
在位期間最短(78日間)。
86 後堀河天皇 ごほりかわ 追号 加後号 1221年7月9日
- 1232年10月4日
 
87 四條天皇 しじょう 追号 在所(葬家の邸宅を
在所に擬す)
1232年10月4日
- 1242年1月9日
 
88 後嵯峨天皇 ごさが 追号(遺諡) 加後号 1242年1月20日
- 1246年1月29日
 
89 後深草天皇 ごふかくさ 追号(遺諡) 加後号 1246年1月29日
- 1259年11月26日
 
90 亀山天皇 かめやま 追号(遺諡) 譲位後の在所 1259年11月26日
- 1274年1月26日
 
91 後宇多天皇 ごうだ 追号(遺諡) 加後号 1274年1月26日
- 1287年10月21日
 
92 伏見天皇 ふしみ 追号 譲位後の在所 1287年10月21日
- 1298年7月22日
 
93 後伏見天皇 ごふしみ 追号(遺諡) 加後号 1298年7月22日
- 1301年1月22日
 
94 後二條天皇 ごにじょう 追号 加後号 1301年1月22日
- 1308年8月25日
 
95 花園天皇 はなぞの 追号(遺諡) 譲位後の在所 1308年8月26日
- 1318年2月26日
 
96 光嚴天皇 こうごん 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) 1331年9月20日
- 1333年5月25日
97 光明天皇 こうみょう 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) 1336年8月15日
- 1348年10月27日
 
98 崇光天皇 すこう 追号(遺諡)   1348年10月27日
- 1351年11月7日
 
99 後光嚴天皇 ごこうごん 追号(遺諡) 加後号 1352年8月17日
- 1371年3月23日
 
100 後圓融天皇 ごえんゆう 追号(遺諡) 加後号 1371年3月23日
- 1382年4月11日
 
101 後小松天皇 ごこまつ 追号(遺諡) 加後号 1382年4月11日
1392年10月5日
- 1412年8月29日
 
102 稱光天皇 しょうこう 追号 2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(稱德+光仁)
1412年8月29日
- 1428年7月20日
 
103 後花園天皇 ごはなぞの 追号 加後号 1428年7月28日
- 1464年7月19日
異称、後文德院。
104 後土御門天皇 ごつちみかど 追号 加後号 1464年7月19日
- 1500年9月28日
 
105 後柏原天皇 ごかしわばら 追号 加後号 1500年10月25日
- 1526年4月7日
 
106 後奈良天皇 ごなら 追号 加後号 1526年4月29日
- 1557年9月5日
 
107 正親町天皇 おおぎまち 追号 在所(二條殿)の面する町名 1557年10月27日
- 1586年11月7日
 
108 後陽成天皇 ごようぜい 追号 加後号 1586年11月7日
- 1611年3月27日
 
109 後水尾天皇 ごみずのお 追号(遺諡) 加後号 1611年3月27日
- 1629年11月8日
 
110 明正天皇 めいしょう 追号 2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(元明+元正)
1629年11月8日
- 1643年10月3日
女帝。
111 後光明天皇 ごこうみょう 追号 加後号 1643年10月3日
- 1654年9月20日
 
112 後西院天皇 ごさいいん 追号 加後号 1654年11月28日
- 1663年1月26日
 
113 霊元天皇 れいげん 追号(遺諡) 2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(孝靈+孝元)
1663年1月26日
- 1687年3月21日
 
114 東山天皇 ひがしやま 追号 山陵 1687年3月21日
- 1709年6月21日
 
115 中御門天皇 なかみかど 追号 在所に近い宮門 1709年6月21日
- 1735年3月21日
 
116 櫻町天皇 さくらまち 追号 譲位後の在所 1735年3月21日
- 1747年5月2日
 
117 桃園天皇 ももぞの 追号   1747年5月2日
- 1762年7月12日
 
118 後櫻町天皇 ごさくらまち 追号 加後号 1762年7月27日
- 1770年11月24日
女帝。2010年現在、最後の女帝である。
119 後桃園天皇 ごももぞの 追号 加後号 1770年11月24日
- 1779年11月9日
 
120 光格天皇 こうかく 諡号   1779年11月25日
- 1817年3月22日
 
121 仁孝天皇 にんこう 諡号   1817年3月22日
- 1846年2月6日
 
122 孝明天皇 こうめい 諡号   1846年2月13日
- 1866年12月25日
 
123 明治天皇 めいじ 追号 一世一元の制による 1867年1月9日
- 1912年7月30日 0:43
 
124 大正天皇 たいしょう 追号 一世一元の制による 1912年7月30日
- 1926年12月25日 1:25
 
125 昭和天皇 しょうわ 追号 一世一元の制による 1926年12月25日
- 1989年1月7日 6:33
履中天皇(第17代)以降では、
在位期間最長(62年2週間)。
126 平成天皇 へいせい     1989年1月7日 - 関東の地で即位した初の天皇。

記録

在位期間の長い天皇

  • ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
  1. 昭和天皇(第124代): 22660日(62年)
  2. 明治天皇(第122代): 16604日(45年6ヶ月)
  3. 光格天皇(第119代): 13641日(37年4ヶ月)
  4. 後土御門天皇(第103代): 13211日(36年2ヶ月)
  5. 後花園天皇(第102代): 13133日(35年11ヶ月)

在位期間の短い天皇

  1. 仲恭天皇(第85代): 78日(2ヶ月)
  2. 弘文天皇(第39代): 226日(7ヶ月)
  3. 用明天皇(第31代): 596日(1年7ヶ月)
  4. 光嚴天皇(北朝1代): 625日(1年8ヶ月)
  5. 花山天皇(第65代): 677日(1年10ヶ月)

高齢で即位(践祚)した天皇

  • ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
  1. 光仁天皇(第49代): 62歳
  2. 今上天皇(第125代): 55歳
  3. 光孝天皇(第58代): 55歳

年少で即位(践祚)した天皇

  1. 六條天皇(第79代): 7ヶ月(2歳)
  2. 安德天皇(第81代): 1歳4ヶ月(3歳)
  3. 四條天皇(第87代): 1歳7ヶ月(2歳)
  4. 土御門天皇(第83代): 2歳1ヶ月(4歳)
  5. 仲恭天皇(第85代): 2歳6ヶ月(4歳)

長寿の天皇

  • 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。ただし、推古天皇(第33代)以降に限る。2009年現在の平成天皇陛下樣も、1933年出生で76歳であり、長寿の天皇である。
  1. 昭和天皇(第124代): 87歳8ヶ月
  2. 後水尾天皇(第108代): 84歳2ヶ月(85歳)
  3. 陽成天皇(第57代): 80歳9ヶ月(82歳)
  4. 靈元天皇(第112代): 78歳2ヶ月(79歳)
  5. 白河天皇(第72代): 76歳(77歳)

短命の天皇

  • 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。
  1. 安德天皇(第81代): 6歳4ヶ月(8歳)
  2. 四條天皇(第87代): 10歳10ヶ月(12歳)
  3. 六條天皇(第79代): 11歳7ヶ月(13歳)
  4. 仲恭天皇(第85代): 15歳7ヶ月(17歳)
  5. 近衞天皇(第76代): 16歳2ヶ月(17歳)

歴代天皇以外の関連人物一覧

追尊天皇の一覧

薨去の後に天皇の尊号を諡された者である。崇道天皇を除き、薨後にその子が天皇に即位したことによる。

  • 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇・44代元正天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇(おかみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「長岡天皇」とも。
  • 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
  • 春日宮天皇 - 施基皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「田原天皇」とも。
  • 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年没)。800年、「崇道天皇」の尊号を受ける。
  • 陽光院太上天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に死去。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。「陽光天皇」とも。
  • 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。→尊号一件

皇位に就かなかった太上天皇の一覧

一説に天皇とされる者の一覧

天皇に準ずる立場にあった者の一覧

天皇またはそれに准ずる立場を称した者・擁立された者の一覧

  • 塩焼王 - 天武天皇の孫で、新田部親王の子。天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。しかし、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
  • 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年、関東に独立勢力を築き上げ、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
  • 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
  • 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
  • 足利義満 - 室町幕府3代将軍准三宮(上皇に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
  • 金蔵主(中興天皇) - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。

逆賊吉野朝

  • 逆賊吉野朝第初代天皇||後醍醐天皇||ごだいご||追号(遺諡)||加後号||1318年2月26日 - 1339年8月15日|
  • 逆賊吉野朝第二代天皇||後村上天皇||ごむらかみ||追号||加後号、明治44年追贈||1339年8月15日 - 1368年3月11日|
  • 逆賊吉野朝第三代天皇||長慶天皇||ちょうけい||諡号||大正15年追贈||1368年3月11日 - 1383年10月|
  • 逆賊吉野朝第四代天皇||後亀山天皇||ごかめやま||追号||加後号、明治44年追贈||1383年10月 - 1392年10月5日|
  • 自天王(尊秀王) - 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松氏の遺臣により暗殺される(※長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるに足りない。但し南帝を称した事は確かである)。
  • 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、その傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
  • 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。

北白川宮能久親王

天皇だと自称した人物の一覧

この節の参考文献は、下記の通り[4]

脚注

  1. なお、第111代「後西院」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている。すなわち、「西院」は地名であって、院号ではないことから、機械的に「院」を省くのは誤りではないかとする。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。第53代・淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため、同天皇の異称が「西院」とされ、「後西院」はその加後号である。
  2. なお、後亀山天皇の場合には室町幕府の強い意向などもあり、1394年(和暦??年)に「太上天皇」の尊号が贈られていたが、平安朝ではあくまでも正式な天皇ではなく、「逆賊吉野朝・後亀山天皇」として扱われていた。
  3. ニューヨーク・タイムズ 1968年10月18日号に「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(北部日本は新たなミカドを擁立した)」とある
  4. 『天皇家歴史大辞典』(別冊歴史読本新人物往来社、2000年)211頁以下、保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001年)14頁以下。

外部リンク

関係事項