反日教育

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反日教育(はんにちきょういく)とは「反日感情を植付け、あるいは煽るために行われる教育」を指す言葉。国家あるいはある組織が行う集団的思想教育・洗脳教育。

概要[編集]

他国の政府・教育機関の行う教育について述べる場合のほか、日本国内の教育を自虐観と評する立場から用いられる場合がある。本稿では前者について述べる。後者については、「反日」(「言葉としての反日」の項)を参照。

「反日教育」は、日本国・日本国民に対する妥当な批判(その国の学習者にとって必要であり、教育を受けるべきだと考えられる知見)を明らかに超えて、必要以上に嫌悪・憎悪の念を持たせたり、友好的な感情が育つのを阻害することを狙うような教育方針を批判する言葉であるとみなせる。だが、実際にはこの両者を区別する明確な基準はないため、何をもって「反日教育」とするかは個々の論者の考えに大きく左右される。

中国韓国北朝鮮などにおいて、しばしば度を越した反日教育が行われており、それがこれらの国の人々の対日感情を不当に悪化させている、とする議論が(主に保守派の人々から)なされることがある。

中国・韓国・北朝鮮で行われる反日教育の目的[編集]

それらの国では主に政権の維持と民族観向上のため、反日教育が実施されている。また近年では思想教育感情教育の段階に移行し、青少年教育・国民感情に大きな先入観を及ぼし、竹島問題靖国問題歴史教科書問題慰安婦問題などに見られるように日本に強いプレッシャーを及ぼし、歴史認識としての政治的問題に発展する危険性をはらんでいる。

中華人民共和国の例
  • 一つは中華人民共和国の日中戦争に於ける日本に対する嫌悪感
  • 一つは例えば、プロレタリア民主主義国家である為、中国共産党の一党独裁体制が現在も続いている。政治においては国会議員の選出は立候補に制限を設けた間々接選挙であるので、国民の意見が薄まってしまう傾向にあり、国民の不平不満の矛先をプロパガンダとして統制し仮想敵国=日本の構図で政権の安定を図る為、反日教育をしているという保守系論壇の主張もある。もっとも中国の愛国教育はアヘン戦争から日中戦争の一連全てを教えていて、反日だけでなく、反英反仏反露反米なども当てはまるという意見もあり(特に華北ではアロー戦争で英仏軍に焼き討ちにされた円明園の方が日中戦争関係の史跡よりも愛国教育に使われる事が多い、ちなみに円明園は1988年に愛国主義教育重点基地に指定されている)、教科書には「悪いのは日本の一部の軍国主義者であり、日本人民も被害者である」という記述もある事から共産主義の祖の一人レーニンの著書「帝国主義論」にある「資本主義が独占資本の段階になると帝国主義になる」事の実際例として利用し共産主義思想の伝播が本来の役割であるという意見も一方である。例えば2008年のカルフール不買運動や1999年ユーゴスラビア内戦における米軍による中国大使館誤爆事件に対する過激な反米運動(米国大使館が数百人により襲撃)が起きている。

中国には「マスメディア」「出版物」「映画等放映物」の統制検閲が存在し(かつての社会主義国の憲法ドイツ連邦共和国基本法に見られる「憲法の敵には憲法上の保障を与えない」という思想に基づく、俗に言う「戦う民主主義」)、中国政府が意図しない放送や出版物は差し止めとする事が良く見受けられる。実質的に一党独裁体制を敷いており、中国には出版物や放映物の検閲制度およびインターネットフィルタリングなど情報統制制度などがあり、中国政府の意図しない情報(政権批判や時として戦前の日本に対する賛美の情報など)は徹底排除する姿勢を貫いている為に、国民は四方から客観的に双方の歴史の情報の取捨選択ができず、政府や公的機関から与えられた反日的記述が過剰に多い情報や親中派日本人の情報(小学校の国語の教材では日本の音楽界の重鎮である小澤征爾を偉人として紹介するものもある)を教え教育され、その他の政権の意図しない教育がタブーとされている事が反日教育・思想に繋がるといった指摘もある。 元国家主席である江沢民は1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(=プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。

韓国・朝鮮の例

戦前大日本帝国の一部であった朝鮮半島では戦後、李氏朝鮮時代の朱子学政策による固定思想化[1]と終戦時に発生した朝鮮半島の南北分裂による動乱[2]から国家の求心力・政権力・国力などを高めるために韓国・北朝鮮両国では日本による韓国統治政策を利用し反日教育を実施している。近年の韓国では世代交代により戦前の状況や制度など当時のことをよく知らない世代が多くなっており、反日教育がそのまま、人格形成にも及び、竹島問題などでは逆に国民が圧力をかけ国家政策に大きな影響を及ぼしている要出典

反日教育の実態[編集]

文献・記述[編集]

北朝鮮[編集]

  • 児童団員が日帝野郎の巡査を川にたたき込みました。素早く銃を奪って頭に打ち下ろすと川に沈んでしまいました。(小学一年生国語)
  • 将軍様が世界地図の日本を黒く塗りつぶすと、日本に災害が起きました。それで人々は、将軍様には天地を操ることが出来ると噂しました。(小学一年生国語)
  • 日帝野郎反対のビラを16枚持っていました。日帝巡査の家に9枚、日帝の手先の地主の家にもはりました。さて地主の家には何枚はりましたか?(小学一年生算数)

中国[編集]

中国では教師のマニュアル書である「中国歴史・教師用指導書」というものが存在しており、そこには歴史教育について次のように日本を恨むように子供の感情に訴える指導がなされている[3][4]

  • 「日本帝国主義を心より恨み、蒋介石の無抵抗を心より恨み、国土の喪失を悲しみ、憂国憂民の感情を心に持たなければならない。」
  • 「教室の雰囲気に気を配って、思想教育の実質的効果が上がるように心がけなければならない。」
  • 「『石井部隊が被害者の死体を焼却した焼人炉』と、『日本の侵略者が中国人を用いて行った細菌実験』の二枚の画像を組み合わせ、生徒の思いを刺激して、日本帝国主義の中国侵略の罪状に対して強い恨みを抱くように仕向けるべきである」
  • 南京大虐殺』については「残虐性と野蛮性を暴露せよ」「教師は日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」「南京大虐殺の時間的経過と人数を生徒に覚えさせよ」
教科書記載例
  • 甲午農民戦争のとき、日本の軍隊は旅順で、住民をひとまとめに縛りつけて撃ち殺した。酷い時は体を刀で切り刻んだり、皮を剥いだりした。

中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。

日中戦争の中国側犠牲者数[編集]

中国共産党政権維持のための反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は日々成長している。当時の中国人口よりも犠牲者数が増えるのではないかと揶揄する歴史家もいる[5]

発表年 犠牲者数 調査・出典 補足
終戦時 132万 GHQ調査・発表 国民党軍人のみ
終戦時 132万 国民党政府調査・発表
1948年 438万 国民党政府報告書 1948年までの確認数 国民党軍人のみ
1950年 1000万 共産党政権発表
1970年 1800万 共産党政権発表
1985年 2100万 共産党政権発表(抗日勝利40周年) これ以後 博物館教科書で公式数字となる
1998年 3500万 江沢民発表 江沢民氏の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる
2005年 5000万 卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)

映像資料[編集]

中国[編集]

韓国・北朝鮮[編集]

【注意②映像中の展示物・韓国の証言者の発言には思想教育のためのイメージ戦略が存在すること、日本との民族的な認識のズレが存在することに注意】

その他(反日教育を考える上で必要となる客観的な資料)[編集]

日本[編集]
(明治から太平洋戦争までの世界と日本の関係とその変遷を知るのに有効な資料)
中国[編集]
(共産国家中華人民共和国の見えない部分を知るのに有効な資料)
韓国[編集]
崔基鎬氏のプロフィール等日本が朝鮮で行ったこと
(韓国・朝鮮政府が教えない開国以前の朝鮮半島の実態と日韓関係を知る上で有効な資料)

反日教育の影響と思われる事例[編集]

日本[編集]

:(靖国参拝問題など中国・韓国の反日批判から極度に戦争を美化してつくられた作品の例)

中国[編集]

韓国[編集]

(国民からの批判から外交合意を白紙にし独島の領有化を正当化するため情報操作を行う韓国政府の例)

東南アジアで起きた反日暴動[編集]

出典:(百科事典ブリタニカの「反日運動・東南アジア」の項より) 1960~1970年代にかけて、東南アジアで反日運動が激化し、日本で1977年に福田赳夫首相が福田ドクトリンが提唱されるに至ったが、当時の東南アジアには独裁政権が多く、それによる反日教育の影響も考えられている。

インドネシア[編集]

1974年1月に当時の田中角栄首相がインドネシアを訪問した際に、マラリ事件と呼ばれるジャカルタで反日暴動が発生した。当時の学生運動を指導していたハリマン・シレガルの話によるとこの事件は、日本の投資企業と提携先の在地華僑(中国人)だけが儲け、インドネシア人の中小企業が衰退し庶民の生活がますます貧しくなることへの不満からスハルト体制を批判した行動に過ぎず、反日暴動に発展したのは、運動が国軍内部の権力抗争に利用されたからだという。当時、大統領官邸などの警備を指揮した元国軍少将、パルントゥ(58)によると「事件の背景には2人の将軍の権力争いがあった。暴動直後、一方の将軍に連なる部隊がジャカルタに増派されたかと思うと、間髪置かず、もう一人の将軍に属する部隊も派遣された。学生や大衆が将軍たちの権力争いに利用された証拠だ」と明かしたとされる[6]

この暴動で日本大使館がデモ隊に投石されたり日系企業の社屋が放火されたほか、1000台以上の日本車が破壊された。また華僑・中国人街も襲われ放火・略奪が起きた。被害は死者8人、逮捕者800人以上に及んだ。

タイ[編集]

  • 1972年秋の日貨排斥運動(百科事典ブリタニカの「反日運動・東南アジア」の項より)


関連項目[編集]

反日教育について解説された書籍[編集]

外部リンク[編集]

脚註[編集]

  1. [1]
  2. 朝鮮戦争
  3. Voice2005年7月号
  4. 古森義久『日中再考』ISBN 4594031579
  5. [2][3]
  6. 出典:マラリ事件