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のび太航空株式会社 Nobita Air Inc.
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | NAI |
本社所在地 | 東京都練馬区すすきヶ原 |
電話番号 | 030-***-**** |
設立 | 1980年 2月1日 |
業種 | 航空会社 |
事業内容 | 遊覧飛行 航空輸送 大砲による転送サービス(現在休止中) |
代表者 | |
資本金 | |
売上高 | |
総資産 | |
従業員数 | |
決算期 | 4月1日 |
主要株主 | 御手洗富士夫 ドラミ ドラえもん ジャイアンの母ちゃん |
主要子会社 | |
関係する人物 | |
外部リンク | |
特記事項: |
のび太航空(のびたこうくう、NAI)は、東京都練馬区にある、野比のび太によって設立された航空会社。のび太財閥グループに属する。現在の社長はドラミである。
なお、2008年度の売上高は15,600,000円の黒字である。
概要
元はのび太国の空軍で、かつてはのび太国空軍旅客航空部(NAFPA)と呼ばれていた。元々、海のないのび太国には陸軍と空軍しかなく、海軍は存在しなかった。陸軍は主に国境警備のみを行っていたため、のび太国の主戦力は空軍のみだった。しかし、消滅まで大規模な戦闘は発生しなかったので、暇を持て止ましていた軍部が、道具大臣の助言を受けてタケコプターによる旅客航空事業を開始したが、それが皮肉なことにのび太国が消滅した後も残ることになってしまった。一方、陸軍は国の消滅とともに解散した。
1982年8月、のび太国空軍旅客航空部から株式会社のび太航空に改称し、練馬区の土管のある空き地に神成国際空港を建設。その翌月に三輪飛行機を利用した本格的な、遊覧飛行中心の航空事業を開始した。1kmあたり10円という破格の運賃で人気を呼んだが、途中ジャイアンによってハイジャックされた。これが原因で飛行機は墜落し、のび太航空にはただならぬ影響であったが、機長のび太の勇気ある行動は大いにたたえられ、武器を持ったハイジャック犯にひるまずに応戦する様子は相撲にたとえられ、アフガン航空相撲の知名度を上げることとなった。
その後、この事件がきっかけでハイジャック防止法が制定された。
現在はタケコプターによる遊覧飛行も行っている。アフガン航空相撲のスポンサーでもある。設立から現在まで、何度も社長が交代している。宅配便事業にも参戦する構想があり、青ネコ 未来の宅急便のキャッチコピーで展開する予定である。
歴代首領
のび太国空軍旅客航空部設立当時は「会社」ではないので、ここでは「社長」ではなく「首領」と呼ぶこととする。
歴史
- 1980年2月1日 - のび太国空軍旅客航空部(NAFPA)として設立。タケコプターによる航空業を開始。
- 1982年8月1日 - のび太航空に改称
- 1982年8月30日 - 神成国際空港を建設。
- 1982年9月1日 - 三輪飛行機を利用した遊覧飛行中心の航空事業を開始
- 同日夕方 - ハイジャック事件発生。
- 1984年(子年) - 第2次チュー東戦争で被災。
- 1985年? - ハイジャック防止法が制定される。
- 1986年1月10日 - タケコプターによる遊覧飛行を再開。
- 2002年4月1日 - ドラミが社長になり、アフガン航空相撲のスポンサーになる。
- 2004年12月4日 - ゴジラ襲来。
- 2006年6月30日 - 音声テロが発生し、会社の機能が1週間停止する。またこの日社長ののび太郎が墜落事故を起こす。
- 2007年3月28日 - ワンチン国政府による立ち入り捜査。
- 2007年8月5日 - のび太、会社内にある彼専用の試写室にひきこもる。翌日全裸となる。
- 2011年8月5日 - のび太、試写室から出る。
のび太航空所有の飛行機など
三輪飛行機 D-82
1982年9月1日に運用を開始した三輪飛行機。エンジン式ではなく、自転車のように漕いで空を飛ぶ。遊覧飛行を目的にしているので、低空飛行はできるがスピードはあまりでない。また、長距離向きではない。
D-82 | |
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乗員 | 5名 |
司令室 | 機長室 |
全長 | 5 m |
全幅 | 2 m |
全高 | 2 m |
総排気量 | 1kg以下 |
自重 | 0.3 t |
最高速度 | 80km/h |
現保有台数 | 9機 |
なお、設立当時は10機保有してたが1機は前述の通りジャイアンにジャックされて裏山付近に墜落し、そのまま解体された。
T-80
これは飛行機とはかけ離れた乗り物だがのび太航空で最もよく利用される汎用型頭吸着式反重力飛行器具、通称名タケコプター。20機保有している。動力は充電池。狭いところを飛んだり、ホバリングなども可能で、貨物輸送に利用する計画もある。これをのび太がテスト飛行と称し自らが操縦し飛行テストを行ったところ墜落事故をおこし生死をさまよう重傷を負うことになる。(後述)
ボーイング747ジャンボジェット
詳しくはウィキペディアにて。当航空では747-400Dを3機保有している。ただし、あまりにでかすぎるので後述する神成国際空港には着陸できないため、運行は野比空港発着便に限る。停泊時は四次元格納庫に格納している。
神成国際空港
神成国際空港(かみなりこくさいくうこう、Kaminari International Airport)は東京都練馬区すすきヶ原に建設された空港。小型飛行機専用の空港。滑走路の長さは約20mで、土管型の管制塔がある。アクセスは非常に良く、空港前の車寄せから直接飛行機に乗り換えることができる。のび太地下鉄の神成駅からも近い。世界的にも珍しく、空港の利用時間は平日は15:00~19:00、休日は10:00~17:00。国際便に対しては簡易的な入国審査を行う。トイレは無い。
かつてののび太国の飛地で、首都ヒルネザブトンのあるのび太国本土とは離れていた。戦時には臨時のミサイル基地が置かれたこともある。
野比空港
野比空港(のびくうこう、略称:YRP)はのび太国の首都ヒルネザブトンにあるタケコプター等の発着基地。かつてのび太国軍司令部に併設されていた。度重なるチュー東戦争で何度も被災したが、復活を遂げている。
のび太国が消滅した現在も地球破壊爆弾などの大量破壊兵器が格納されていると見られる。
主な就航先
野比空港からは神成⇔野比の直行便以外に就航先がある。以下はその一部である。
野比空港ビル計画
野比空港にマンション併設のビルを建設する計画があり、建設が行われたが、23階建てにもかかわらずトイレが1Fにしかなく、しかもエレベーターがない姉歯建築であったため、後になってから取り壊された。
その後、再び6階建てのビルを四次元に建設したが、シンドラー社のエレベーターを設置してしまったため事故が続発し、現在このビルは利用されていない。
ダイヤ
神成国際空港発着便
神成国際空港を発着する便はすべてD-82で運航される。また定期便はNAIによる運航のみである。
- ⇔野比空港発着 (毎日運航)
- 神成行 野比13:30→神成15:15
- 野比行 神成15:45→野比17:35
- ⇔仙台空港発着 (土日運航)
- 神成行 仙台7:50→神成10:30
- 仙台行 神成11:00→仙台14:45
- ⇔上海浦東国際空港発着 (土日運航)
- 神成行 上海5:15→神成11:30
- 上海行 神成13:00→上海17:20
野比空港発着便
のび太航空(NAI)運航便
大阪行きと北海道方面のみボーイング747で運航され、ほかはD-82で運航される。 神成国際空港発着便は上項目参照。
- ⇔新千歳空港発着 (毎日運航)
- 野比行 新千歳19:05→野比20:55
- 新千歳行 野比9:10→新千歳10:55
- ⇔大阪国際空港(伊丹)発着 (平日運航)
- 野比行 伊丹19:00→野比20:35
- 伊丹行 野比7:55→野比9:10
- ⇔裏山空港発着 (倒竹により現在運休中)
- 野比行 運休中
- 裏山行 運休中
- ⇔舞浜空港発着 (毎日運航)
- 野比行 舞浜22:20→野比23:10
- 舞浜行 野比8:10→舞浜9:00
- ⇒浦和空港発着 (平日運航)
- 野比行 直行便はありません
- 浦和行 野比8:30→浦和10:20
- ⇔つくば空港発着 (平日運航)
- 野比行 つくば18:35→野比20:15
- つくば行 野比8:20→つくば9:55
- ⇔キノコタウン発着 (毎日運航)
- 野比行 キノコ19:15→野比21:15
- キノコ行 野比8:40→キノコ10:45
全日本空輸(ANA)運航便
全便ボーイング737-700での運航である。
- ⇔大阪国際空港(伊丹)発着 (毎日運航)
- 野比行
- 841便・伊丹6:05→野比7:40
- 843便・伊丹10:00→野比11:35
- 845便・伊丹21:00→野比22:35
- 伊丹行
- 842便・野比7:00→伊丹8:15
- 844便・野比11:00→伊丹12:15
- 846便・野比20:00→伊丹21:15
- 野比行
- ⇔福岡空港発着 (平日運航)
- 野比行
- 2101便・福岡21:00→野比23:10
- 福岡行
- 2102便・野比8:50→福岡11:10
- 野比行
アメリカン航空(AAL)運航便
全便ボーイング757-200での運航である。
- ⇔ジョン・F・ケネディ国際空港発着 (平日運航)
- 野比行 ケネディ・21:00→野比・翌21:35
- ケネディ行 野比・22:00→ケネディ・翌22:05
事件
のび太国クーデター
のび太国でクーデターが発生したとき、大統領ののび太は逃亡し、国の機関は全て停止したかに見えたが、実際には道具大臣のドラえもんの手により航空部が継続された。その後、神成空港建設まで、ドラえもんが社長を務めた。
第2次チュー東戦争
1984年(ねずみ年)、のび太国の首都ヒルネザブトンで発生した戦争。ネズミの出現に対してドラえもんが空爆を開始して勃発した。これにより、野比空港が壊滅的な被害を受け、機能が一時的に停止した。
なお、第1次チュー東戦争は、のび太航空設立よりも前に発生している。
ジャイアニズム原理主義によるテロ
のび太航空は、日々ジャイアニズム原理主義によるテロに悩まされている。社長の野比のび太がジャイアニズム過激派に襲撃されるという事件が相次いで発生している。
のび太国では、圧政政策によりジャイアニズム原理主義は弾圧を受けてきたが、ジャイアニズム過激派のクーデターによりのび太国は消滅した。現在も続くジャイアニズム過激派のテロは、その報復と見られている。
ハイジャック事件
ジャイアニズム過激派のテロの中でも最大規模であったのが、このハイジャック事件である。1982年9月1日夕方、ジャイアニズム過激派の首領であるジャイアン氏が、のび太が運転する三輪飛行機をハイジャックした。
飛行機はきりもみ飛行を続ける中、犯人ジャイアンは花火で機長ののび太を脅迫し、様々な要求をしたが、地上から様子を見ていた骨川スネ夫が当局のジャイアンの母ちゃんに通報した。ジャイアンの母ちゃんは説得を続けたが、ジャイアンはこれに応じずに飛行を続けるように要求した。しかし、のび太は要求に応じず、ジャイアンの顔面に放尿した。これが原因で飛行機は裏山に墜落し、飛行機は大破した。
これはのび太航空とってにはただならぬ影響で、倒産寸前まで追い込まれる事態であったが、機長のび太の勇気ある行動はインターネットやテレビを通して大いにたたえられた。機長のび太が武器を持ったハイジャック犯にひるまずに応戦する様子は相撲にたとえられ、これは結果としてアフガン航空相撲の知名度を上げることとなった。
ジャイアニズム過激派による占領
ジャイアニズム過激派首領がしばしば空港跡地を占領し、リサイタルと称して音声テロを行っていることがしばしば目撃されている。ジャイアニズム過激派首領は2006年6月30日にテレビで有害電波を流し、10万人に被害をもたらす事件も起こしている。この事件が発生したのが2006年9月11日に発生した9.11米倉放屁テロと同時期で、ジャイアニズムによるこの音声テロはすぐに忘れられてしまった。
現在の神成国際空港
ハイジャック事件後、のび太航空は三輪飛行機による遊覧飛行を休止せざるを得ず、タケコプターによる遊覧飛行専門会社になり、神成国際空港は使われることはなくなり、1ヶ月後に滑走路は撤去された(そのため現在当空港を発着する飛行機に乗っている客の証言によると揺れがすごいらしい)。その後、空港の跡地は射撃大会やかくれんぼが行われる多目的広場になった。タケコプター等の発着基地としては機能し続けているが、メインの発着場としての機能は野比空港に移っている。
2007年に空港跡地にマンション建築計画が持ち上がった。しかし、ジャイアニズム過激派の度重なるテロにより、マンション計画は白紙撤回され、現在に至っている。
第1次ぽんぽこ戦争
1994年7月16日、青い狸に化けた多数のテロリストが東京に出現。これによる混乱で業務が一時的に停止してしまった。テロリストの狙いはニセドラえもんを大量派遣することだったと見られる。
ゴジラ襲来
2004年12月4日、ゴジラの襲来によって、のび太航空はまた被災している。東京タワーは戦車で造られているため素材不足には悩まないが、軍基地並みの設備を備えるのび太航空は復旧に相当な時間を要した。
第3次チュー東戦争
2008年(ねずみ年)12月31日に、かつてののび太国の首都ヒルネザブトンで再び発生した戦争。野比空港のターミナルの外壁に多数の大穴が開いた。ネズミの出現に対し、ドラえもんが再び空爆を仕掛けたが、社長のび太がネズミの存在を隠蔽ししたため大規模な戦闘は2009年1月1日までに収束に向かった。
不法入国問題
のび太航空を利用して彩の国さいたまや阪急王国などから日本の首都東京に不法入国するものが確認されている。
T-80墜落事故
2006年に完成したばかりのT-80をのび太が自ら飛行テストを行ったところ、高度1000mに達した瞬間エンジントラブルが発生。のび太は平野部への不時着を試みるが失敗し住宅街に墜落。死者107人、負傷者500人余りを出す大惨事となったがのび太自身は奇跡的にも生還したのだった。しかしその後、ワンチン国政府による責任の追及などにより精神的に病んでしまったのである。そして4年近くも試写室に全裸で引きこもり差し入れられる牛乳のみで生活し、排泄はその空き瓶で行っていたという。
今後の計画・事業
D-82性能強化施工計画
もともとこの会社の主力は長期にわたってD-82が担ってきた。しかし、もともとD-82は遊覧飛行を目的として製造されており長距離輸送や大量輸送に適してない機種である。そのため故障やトラブルが頻発して発生し会社を悩ませていた。
そこで会社は以下の改造計画を提示し、即急に完了させる必要があり会社内での計画では急務となっている。
- 最高速度の上昇…現行80㎞から150㎞に引き上げ
- 乗員増加…現行5名から12名に拡大
- ギアの改造…ギアを強化して最高速度に達する時間を短縮し、操縦士の負担を軽減する
- 安全性の強化…過去に起きたハイジャック事件からセキュリティー強化や催眠スプレーを機内に常備
関連項目
テンプレート:ドラえもん
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