日本の天皇の一覧

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テンプレート:天皇項目 日本の天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇の一覧である。明治時代に今の形に改編された。

実在性

実在説には諸説あるが、歴史学においては、現代科学的には初期の天皇は典拠が神話等であり、その実在が疑問視されている。また初代天皇である神武天皇以前は「神代」と言われ、の化身または神そのものであったと称される。

  • 2代・綏靖天皇から9代・開化天皇までの天皇は実在しなかったとする説が有力である(欠史八代) 初代神武天皇は「欠史八代」(正しくは「闕史八代」)に含まれない。「欠史八代」とは『日本書紀』に『旧辞』的記述のない8人の天皇のことを指す用語である。神武天皇の事跡は10代崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。
  • 10代・崇神天皇から14代・仲哀天皇までは、実在しなかったという説と実在した可能性のある天皇とする説とがある。
  • 15代・応神天皇以降は実在した天皇であるとされる

これが戦後しばらくの間の代表的な見方である。下表を見れば分かるように、歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いているのは、「神武」「崇神」「応神」の三代のみであり、その観点からも研究対象になることが多い。

しかし1970年代以降の歴史学会では、『古事記』や『日本書紀』の5世紀以前の記事は不正確な伝説であり、継体天皇は実在しているが、その前の王については不確かとの見解が有力である。武烈天皇、顕宗天皇、清寧天皇なども実在ではなく創作されたものと考えられる。ただ考古学的資料により、ある程度のことは分かっている。 大和王朝(ヤマト王権)の発祥の地は、吉備出雲か九州など諸説あり、不明である。だがこの王権は、三輪山近くのヤマト(あるいは柳本)に、古代都市纏向遺跡(まきむくいせき、奈良盆地の東南部(桜井付近)を造り本拠をおいた王のときに大きく発展した。この古代都市は、3世紀前半に建設され、4世紀末には使われなくなった。天皇の系図は、相克したいくつかの古代王朝の伝説を繋ぎあわせた、藤原氏による作品であるといっていい。例えば、継体天皇はその前の武烈天皇の王朝に連続するものではない。

420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。その後、510年頃までに6,7人の在位期間の短い王が立ったが、この時期はヤマト王権は混乱した。継体天皇の時代に、ヤマト王権の力が強くなった。これ以降の系譜はほぼ正確である。

明治時代の歴代天皇の変更

明治以前の歴代天皇(帝)は、現在とはいくらかちがっていた。明治時代に歴代天皇の変更が行われた。これらの変更については、水戸藩による『大日本史』・水戸学および尊王論の影響によるものとされている。

  • 明治以前は神功皇后を15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外された。
  • 神武天皇から村上天皇までは死後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼んでいたが、冷泉天皇から後桃園天皇までは「○○院天皇」(例えば、「冷泉院天皇」)と呼び、一般には「○○院」(例では、「冷泉院」)と略され、「○○天皇」とは呼んでいなかった(ただし、安徳天皇後醍醐天皇を除く)。天皇号が復活するのは光格天皇の代からである。明治になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められた(これ以後、「○○院天皇」という呼称は廃されたが、「後西院天皇」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている(「西院」は地名であって院号ではないとされる。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。53代淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため異称を「西院」といい、「後西院」はその加後号である))。
  • 壬申の乱で敗死した大友皇子は天皇に数えていなかったが、即位が確認されたとされ、明治3年に「弘文」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
  • 47代「淡路廃帝」に対して明治3年に「淳仁」の諡号を追贈した。
  • 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、明治3年に「仲恭」の諡号を追贈した。
  • 明治44年に明治天皇の命令で、南朝2代を正統な天皇と認め、従来の96代光厳から100代後円融までの5代を北朝として正統から外した。
    • 南朝の義良親王は天皇ではなかったが、即位が確認されたとされ、「後村上」天皇とした。
    • 南朝の熙成親王は天皇ではなかったが、即位が確認されたとされ、「後亀山」天皇とした。
  • 大正15年に大正天皇(実質は摂政の裕仁皇太子(後の昭和天皇))の命令で、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていた寛成親王に関して、その即位が確認されたとされ、「長慶」天皇とした。

大友皇子及び長慶天皇は即位していないという説も根強い。神功皇后を天皇から外し、大友皇子を天皇に入れ、南朝を正統としたのは、『大日本史』を受けてのものである。

歴代天皇の一覧

  • 凡例
    • この表は、明治時代に歴代天皇として認められ、現在広く知られている天皇たちの一覧である。
    • 日本に太陽暦(実質はグレゴリオ暦。なお、グレゴリオ暦の採用が明言されたのは明治31年)が導入された1873年以前の表中に示された年月日は、その時々に用いられていた太陰太陽暦による和暦の年月日のうち、年をキリスト紀元(西暦)に単純に換算したものであるため、日本の暦の閏月大小月により一定の規則性のない月日についてはユリウス暦・グレゴリオ暦の日付とは異同があり、年末の日付を持つ年月日の年はその日に対応する西暦の年とは異なる。
    • 後世になって編纂された記紀を除いて歴史書が存在しない6世紀以前の天皇の事績については疑問が残されているが、ここでは記紀の記す在位の年代を採用する。
    • 在位の欄には、50代桓武天皇以前の天皇は即位の日付を、即位に先立って践祚した51代平城天皇以降の天皇は践祚の日付を示す。
天皇名
漢風諡号
・追号
諡号・追号
の読み
諡号・追号
の別
諡号・追号の由来 在位 備考
1 神武天皇 じんむ 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前660年1月1日
- 紀元前585年3月11日
 
2 綏靖天皇 すいぜい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前581年1月8日
- 紀元前549年5月10日
欠史八代の一。
3 安寧天皇 あんねい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前549年7月3日
- 紀元前511年12月6日
欠史八代の一。
4 懿德天皇 いとく 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前510年2月4日
- 紀元前477年9月8日
欠史八代の一。
5 孝昭天皇 こうしょう 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前475年1月9日
- 紀元前393年8月5日
欠史八代の一。
6 孝安天皇 こうあん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前392年1月7日
- 紀元前291年1月9日
欠史八代の一。
7 孝靈天皇 こうれい 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前290年1月12日
- 紀元前215年2月8日
欠史八代の一。
8 孝元天皇 こうげん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前214年1月14日
- 紀元前158年9月2日
欠史八代の一。
9 開化天皇 かいか 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前158年11月12日
- 紀元前98年4月9日
欠史八代の一。
10 崇神天皇 すじん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前97年1月13日
- 紀元前30年12月5日
 
11 垂仁天皇 すいにん 諡号 淡海三船による一括撰進 紀元前29年1月2日
- 70年7月14日
 
12 景行天皇 けいこう 諡号 淡海三船による一括撰進 71年7月11日
- 130年11月7日
 
13 成務天皇 せいむ 諡号 淡海三船による一括撰進 131年1月5日
- 190年6月11日
 
14 仲哀天皇 ちゅうあい 諡号 淡海三船による一括撰進 192年1月11日
- 200年2月6日
15 應神天皇 おうじん 諡号 淡海三船による一括撰進 270年1月1日
- 310年2月15日
 
16 仁德天皇 にんとく 諡号 淡海三船による一括撰進 313年1月3日
- 399年1月16日
 
17 履中天皇 りちゅう 諡号 淡海三船による一括撰進 400年2月1日
- 405年3月15日
 
18 反正天皇 はんぜい 諡号 淡海三船による一括撰進 406年1月2日
- 410年1月23日
 
19 允恭天皇 いんぎょう 諡号 淡海三船による一括撰進 412年12月
- 453年1月14日
 
20 安康天皇 あんこう 諡号 淡海三船による一括撰進 453年12月14日
- 456年8月9日
 
21 雄略天皇 ゆうりゃく 諡号 淡海三船による一括撰進 456年11月13日
- 479年8月7日
 
22 清寧天皇 せいねい 諡号 淡海三船による一括撰進 480年1月15日
- 484年1月16日
 
23 顯宗天皇 けんぞう 諡号 淡海三船による一括撰進 485年1月1日
- 487年4月25日
 
24 仁賢天皇 にんけん 諡号 淡海三船による一括撰進 488年1月5日
- 498年8月8日
 
25 武烈天皇 ぶれつ 諡号 淡海三船による一括撰進 498年12月
- 506年12月8日
 
26 繼體天皇 けいたい 諡号 淡海三船による一括撰進 507年2月4日
- 531年2月7日
 
27 安閑天皇 あんかん 諡号 淡海三船による一括撰進 531年2月7日
- 535年12月17日
 
28 宣化天皇 せんか 諡号 淡海三船による一括撰進 535年12月
- 539年2月10日
 
29 欽明天皇 きんめい 諡号 淡海三船による一括撰進 539年12月5日
- 571年4月
 
30 敏達天皇 びだつ 諡号 淡海三船による一括撰進 572年4月3日
- 585年8月15日
 
31 用明天皇 ようめい 諡号 淡海三船による一括撰進 585年9月5日
- 587年4月9日
 
32 崇峻天皇 すしゅん 諡号 淡海三船による一括撰進 587年8月2日
- 592年11月3日
 
33 推古天皇 すいこ 諡号 淡海三船による一括撰進 592年12月8日
- 628年3月7日
女帝。初の女帝である。
34 舒明天皇 じょめい 諡号 淡海三船による一括撰進 629年1月4日
- 641年10月9日
 
35 皇極天皇 こうぎょく 諡号 淡海三船による一括撰進 642年1月15日
- 645年6月14日
女帝。
36 孝德天皇 こうとく 諡号 淡海三船による一括撰進 645年6月14日
- 654年10月10日
 
37 齊明天皇 さいめい 諡号 淡海三船による一括撰進 655年1月3日
- 661年7月24日
皇極天皇重祚。女帝。
38 天智天皇 てんじ 諡号 淡海三船による一括撰進 661年7月24日
- 671年12月3日
 
39 弘文天皇 こうぶん 諡号 明治3年追贈 671年12月5日
- 672年7月23日
通称、大友帝。
40 天武天皇 てんむ 諡号 淡海三船による一括撰進 673年2月27日
- 686年9月9日
 
41 持統天皇 じとう 諡号 淡海三船による一括撰進 686年9月9日
- 697年8月1日
女帝。
42 文武天皇 もんむ 諡号   697年8月1日
- 707年6月15日
 
43 元明天皇 げんめい 諡号 淡海三船による一括撰進 707年7月17日
- 715年9月2日
女帝。
44 元正天皇 げんしょう 諡号 淡海三船による一括撰進 715年9月2日
- 724年2月4日
女帝。
45 聖武天皇 しょうむ (生前の尊称)   724年2月4日
- 749年7月2日
 
46 孝謙天皇 こうけん (生前の尊称)   749年7月2日
- 758年8月1日
女帝。
47 淳仁天皇 じゅんにん 諡号 明治3年追贈 758年8月1日
- 764年10月9日
淡路廢帝を改む。
48 稱德天皇 しょうとく (生前の尊称)   764年10月9日
- 770年8月4日
孝謙天皇重祚。女帝。
49 光仁天皇 こうにん 諡号   770年10月1日
- 781年4月3日
 
50 桓武天皇 かんむ 諡号   781年4月3日
- 806年3月17日
異称、柏原天皇。
51 平城天皇 へいぜい 追号 在所(地名) 806年3月17日
- 809年4月1日
異称、奈良天皇。
52 嵯峨天皇 さが 追号 譲位後の在所 809年4月1日
- 823年4月16日
 
53 淳和天皇 じゅんな 追号 譲位後の在所 823年4月16日
- 833年2月28日
異称、西院の帝。
54 仁明天皇 にんみょう 諡号   833年2月28日
- 850年3月21日
異称、深草天皇。
55 文德天皇 もんとく 諡号   850年3月21日
- 858年8月27日
異称、田邑の帝。
56 清和天皇 せいわ 追号 譲位後の在所 858年11月7日
- 876年11月29日
異称、水尾天皇。
57 陽成天皇 ようぜい 追号 譲位後の在所 876年11月29日
- 884年2月4日
 
58 光孝天皇 こうこう 諡号   884年2月5日
- 887年8月26日
異称、小松天皇。
59 宇多天皇 うだ 追号 譲位後の在所 887年8月26日
- 897年7月3日
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。
60 醍醐天皇 だいご 追号 山陵 897年7月3日
- 930年9月22日
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。
61 朱雀天皇 すざく 追号 譲位後の在所 930年9月22日
- 946年4月20日
 
62 村上天皇 むらかみ 追号 山陵 946年4月20日
- 967年5月25日
 
63 冷泉天皇 れいぜい 追号 譲位後の在所 967年5月25日
- 969年8月13日
 
64 圓融天皇 えんゆう 追号 在所(寺名・庵号) 969年8月13日
- 984年8月27日
 
65 花山天皇 かざん 追号 在所(寺名・庵号) 984年8月27日
- 986年6月23日
 
66 一條天皇 いちじょう 追号 在位中の皇居の宮名 986年6月23日
- 1011年6月13日
 
67 三條天皇 さんじょう 追号 譲位後の在所 1011年6月13日
- 1016年1月29日
 
68 後一條天皇 ごいちじょう 追号 加後号 1016年1月29日
- 1036年4月17日
 
69 後朱雀天皇 ごすざく 追号 加後号 1036年4月17日
- 1045年1月16日
 
70 後冷泉天皇 ごれいぜい 追号 加後号 1045年1月16日
- 1068年4月19日
 
71 後三條天皇 ごさんじょう 追号 加後号 1068年4月19日
- 1072年12月8日
 
72 白河天皇 しらかわ 追号(遺諡) 譲位後の在所 1072年12月8日
- 1086年11月26日
 
73 堀河天皇 ほりかわ 追号 在位中の皇居の宮名 1086年11月26日
- 1107年7月19日
 
74 鳥羽天皇 とば 追号 譲位後の在所 1107年7月19日
- 1123年1月28日
 
75 崇德天皇 すとく 諡号   1123年1月28日
- 1141年12月7日
讃岐院を改む。
76 近衞天皇 このえ 追号 在位中の皇居の宮名 1141年12月7日
- 1155年7月23日
 
77 後白河天皇 ごしらかわ 追号 加後号 1155年7月24日
- 1158年8月11日
 
78 二條天皇 にじょう 追号 在位中の皇居の宮名 1158年8月11日
- 1165年6月25日
 
79 六條天皇 ろくじょう 追号 譲位後の在所 1165年6月25日
- 1168年2月19日
歴代最年少即位(生後7ヶ月)。
歴代最年少譲位(2歳)。
80 高倉天皇 たかくら 追号 譲位後の在所 1168年2月19日
- 1180年2月21日
 
81 安德天皇 あんとく 諡号   1180年2月21日
- 1185年3月24日
後鳥羽天皇と在位一部重複。
歴代最年少崩御(8歳)。
82 後鳥羽天皇 ごとば 追号 加後号 1183年8月20日
- 1198年1月11日
隠岐院、さらに顕德院を改む。
安德天皇と在位一部重複。
83 土御門天皇 つちみかど 追号 譲位後の在所 1198年1月11日
- 1210年11月25日
異称、土佐院、阿波院。
84 順德天皇 じゅんとく 諡号   1210年11月25日
- 1221年4月20日
佐渡院を改む。
85 仲恭天皇 ちゅうきょう 諡号 明治3年追贈 1221年4月20日
- 1221年7月9日
九條廢帝、後廢帝を改む。
在位期間最短(3ヶ月)。
86 後堀河天皇 ごほりかわ 追号 加後号 1221年7月9日
- 1232年10月4日
 
87 四條天皇 しじょう 追号 在所(葬家の邸宅を
在所に擬す)
1232年10月4日
- 1242年1月9日
 
88 後嵯峨天皇 ごさが 追号(遺諡) 加後号 1242年1月20日
- 1246年1月29日
 
89 後深草天皇 ごふかくさ 追号(遺諡) 加後号 1246年1月29日
- 1259年11月26日
 
90 龜山天皇 かめやま 追号(遺諡) 譲位後の在所 1259年11月26日
- 1274年1月26日
 
91 後宇多天皇 ごうだ 追号(遺諡) 加後号 1274年1月26日
- 1287年10月21日
 
92 伏見天皇 ふしみ 追号 譲位後の在所 1287年10月21日
- 1298年7月22日
 
93 後伏見天皇 ごふしみ 追号(遺諡) 加後号 1298年7月22日
- 1301年1月22日
 
94 後二條天皇 ごにじょう 追号 加後号 1301年1月22日
- 1308年8月25日
 
95 花園天皇 はなぞの 追号(遺諡) 譲位後の在所 1308年8月26日
- 1318年2月26日
 
96 後醍醐天皇 ごだいご 追号(遺諡) 加後号 1318年2月26日
- 1339年8月15日
南朝初代天皇。
北朝1 光嚴天皇 こうごん 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) 1331年9月20日
- 1333年5月25日
 
北朝2 光明天皇 こうみょう 追号(遺諡) 在所(寺名・庵号) 1336年8月15日
- 1348年10月27日
 
97 後村上天皇 ごむらかみ 追号 加後号、明治44年追贈 1339年8月15日
- 1368年3月11日
南朝第2代天皇。
北朝3 崇光天皇 すこう 追号(遺諡)   1348年10月27日
- 1351年11月7日
 
北朝4 後光嚴天皇 ごこうごん 追号(遺諡) 加後号 1352年8月17日
- 1371年3月23日
 
98 長慶天皇 ちょうけい 諡号 大正15年追贈 1368年3月11日
- 1383年10月
南朝第3代天皇。
北朝5 後圓融天皇 ごえんゆう 追号(遺諡) 加後号 1371年3月23日
- 1382年4月11日
 
99 後龜山天皇 ごかめやま 追号 加後号、明治44年追贈 1383年10月
- 1392年10月5日
南朝第4代天皇。
北朝6
100
後小松天皇 ごこまつ 追号(遺諡) 加後号 1382年4月11日
- (1392年10月5日
- 1412年8月29日
 
101 稱光天皇 しょうこう 追号 二つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(稱德+光仁)
1412年8月29日
- 1428年7月20日
 
102 後花園天皇 ごはなぞの 追号 加後号 1428年7月28日
- 1464年7月19日
異称、後文德院。
103 後土御門天皇 ごつちみかど 追号 加後号 1464年7月19日
- 1500年9月28日
 
104 後柏原天皇 ごかしわばら 追号 加後号 1500年10月25日
- 1526年4月7日
 
105 後奈良天皇 ごなら 追号 加後号 1526年4月29日
- 1557年9月5日
 
106 正親町天皇 おおぎまち 追号 在所(二條殿)の面する町名 1557年10月27日
- 1586年11月7日
 
107 後陽成天皇 ごようぜい 追号 加後号 1586年11月7日
- 1611年3月27日
 
108 後水尾天皇 ごみずのお 追号(遺諡) 加後号 1611年3月27日
- 1629年11月8日
 
109 明正天皇 めいしょう 追号 二つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(元明+元正)
1629年11月8日
- 1643年10月3日
女帝。
110 後光明天皇 ごこうみょう 追号 加後号 1643年10月3日
- 1654年9月20日
 
111 後西天皇 ごさい 追号 加後号 1654年11月28日
- 1663年1月26日
 
112 靈元天皇 れいげん 追号(遺諡) 二つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(孝靈+孝元)
1663年1月26日
- 1687年3月21日
 
113 東山天皇 ひがしやま 追号 山陵 1687年3月21日
- 1709年6月21日
 
114 中御門天皇 なかみかど 追号 在所に近い宮門 1709年6月21日
- 1735年3月21日
 
115 櫻町天皇 さくらまち 追号 譲位後の在所 1735年3月21日
- 1747年5月2日
 
116 桃園天皇 ももぞの 追号   1747年5月2日
- 1762年7月12日
 
117 後櫻町天皇 ごさくらまち 追号 加後号 1762年7月27日
- 1770年11月24日
女帝。2007年末現在、最後の女帝である。
118 後桃園天皇 ごももぞの 追号 加後号 1770年11月24日
- 1779年11月9日
 
119 光格天皇 こうかく 諡号   1779年11月25日
- 1817年3月22日
 
120 仁孝天皇 にんこう 諡号   1817年3月22日
- 1846年2月6日
 
121 孝明天皇 こうめい 諡号   1846年2月13日
- 1866年12月25日
 
122 明治天皇 めいじ 追号 一世一元の制による 1867年1月9日
- 1912年7月30日
 
123 大正天皇 たいしょう 追号 一世一元の制による 1912年7月30日
- 1926年12月25日
 
124 昭和天皇 しょうわ 追号 一世一元の制による 1926年12月25日
- 1989年1月7日6:33
履中天皇(第17代)以降では、
在位期間最長(62年2ヶ月)。
125 今上天皇
明仁
きんじょう
あきひと
    1989年1月7日 - 関東の地で即位した初の天皇。

歴代天皇以外の関連人物

追尊天皇の一覧

尊称天皇の一覧

付:異説に天皇とされる者、天皇に準ずる者の一覧

  • 日本武尊 - 14代仲哀天皇の父。『風土記』において「倭武天皇」と記す例がある。
  • 神功皇后 - 14代仲哀天皇の后で15代応神天皇の母。江戸時代までは歴代天皇の一人(15代)に数えられた。
  • 菟道稚郎子 - 応神天皇皇太子。「宇治天皇」と『播磨国風土記』にある。
  • 市辺押磐皇子 - 17代履中天皇皇子。23代顕宗天皇の父。『播磨国風土記』に「市辺天皇」とある。
  • 飯豊青皇女 - 履中天皇の娘(異説あり)。22代清寧天皇の死後、23代顕宗天皇・24代仁賢天皇が皇位を譲り合っている間、天皇としての政務を行っていた。『扶桑略記』などに「飯豊天皇」とある。
  • 蘇我馬子蘇我蝦夷蘇我入鹿 - 大臣。邸宅は「宮門(みかど)」と呼ばれ、子は親王に準じた扱いを受けた。
  • 聖徳太子 - 『日本書紀』では「豊聡耳法大王」、「法主王」と記す例がある。
  • 間人皇女 - 36代孝徳天皇の皇后、34代舒明天皇の皇女。37代斉明天皇の死後、38代天智天皇即位までの間即位していたとする説がある。『万葉集』の「中皇命(なかつすめらみこと)」は間人皇女のこととされる。
  • 塩焼王 - 天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。併し、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
  • 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
  • 敦明親王(小一条院) - 67代三条天皇皇子。1016年東宮翌年東宮を退くも、院号宣下を受け太上天皇に準ずる。
  • 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
  • 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
  • 足利義満 - 室町幕府3代将軍准三宮(上皇に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
  • 中興天皇 - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。
  • 自天王 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松家の遺臣により暗殺される(※長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるにたりない、但し南帝を称した事は確かである)。
  • 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、其の傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
  • 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
  • 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。欧米の新聞にも記事があると言われる。

付:自称天皇の一覧

  • 熊沢天皇 - 現在までに4人が熊沢天皇を称した。
    • 熊沢寛道 - 後亀山天皇第19世の子孫、南朝第118代天皇を称し、諱を尊熟と自称する。
    • 熊沢乃武夫、熊沢信彦 - 熊沢寛道の家を分家と見なし、熊沢家本家を主張。
    • 熊沢照元 - 熊沢家本家を主張。
    • 熊沢里吉 - 熊沢家本家を主張。
    • 熊沢俊孝 - 熊沢家本家を主張
  • 池端天皇 - 熊沢常光(熊沢常春)。熊沢家本家を主張。
  • 長浜天皇 - 現在までに2人が長浜天皇を称した。
  • 璽光尊 - 戦後新たに天皇を名乗った人。元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。
  • 三浦天皇 - 三浦芳聖、南朝長慶天皇の孫、美良親王の末裔で、後醍醐天皇の皇子・尊良親王の生まれ変わりを称し、「神風串呂」なる神道霊学を立ち上げ、「天皇は狸に祟られてる」と吹聴した。
  • 工藤天皇 - 工藤智久1973年に「智宮久仁親王」を自称し、明治天皇の曾孫を主張した。祖父が明治天皇の1878年上田市行幸時の落胤であると称しマスコミの好餌となった。

追記

欠史十代

24代仁賢天皇から33代推古天皇までを「欠史十代」と呼称する場合もある。冒頭で述べた「欠史八代」(または、「14代までを実在しない」とする諸説)とは異なり、『古事記』下巻の最終部に、ほとんどその間について「史実」として記述されていないことから、「『古事記』が正史でない」ことや、それが編纂されたとされる712年の時点で、それら天皇の在位期間中に「誰もが知っているような内容をわざわざ書き記す必要性がないこと」、または、「記憶や伝承として歴史的な大事件等がなかったため」などと解釈されている。

諡号に用いられる文字

諡号に用いられる文字について、次のような説がある。

  • 「徳」‐殺害されたり流刑地で没したりした天皇に、怨霊封じのため贈られた。
    • 飛鳥時代末期から鎌倉時代初期にかけて、皇太子に実権を握られ都に置き去りにされ没した36代孝徳、譲りたい者に皇位を譲れずに没した48代称徳、55代文徳、流刑先で没した75代崇徳、82代顕徳(後に後鳥羽と改めた)、84代順徳平家滅亡の際に入水した81代安徳の7人の天皇が該当する。また、崇徳、顕徳、順徳、安徳の4人の天皇をまとめて「四徳」と呼ぶことがある。
    • 南朝の96代後醍醐天皇には、当時対立していた北朝から「元徳院」の諡号を贈る案が出されたことがある。(ただし、在位中の同名の元号からとった単なる通称であるとの反論もある。実際には本人の遺諡により後醍醐と追号された。)
    • いずれにせよ、追号が続いていた時代に諡号を贈られたこと自体が、異例のことである。
  • 「光」‐傍系から出て皇位を継承した場合、中国の後漢光武帝になぞらえて、「光」の字を贈ることがある。

関連項目

外部リンク

Imperial Seal of Japan.svg 日本帝國皇帝 Imperial Seal of Japan.svg
1 神武 2 綏靖 3 安寧 4 懿德 5 孝昭 6 孝安 7 孝霊 8 孝元 9 開化 10 崇神
11 垂仁 12 景行 13 成務 14 仲哀 15 應神 16 仁德 17 履中 18 反正 19 允恭 20 安康
21 雄略 22 清寧 23 顕宗 24 仁賢 25 武烈 26 継体 27 安閑 28 宣化 29 欽明 30 敏達
31 用明 32 崇峻 33 推古 34 舒明 35 皇極 36 孝德 37 斉明 38 天智 39 大友 40 天武
41 持統 42 文武 43 元明 44 元正 45 聖武 46 孝謙 47 淳仁 48 稱德 49 光仁 50 桓武
51 平城 52 嵯峨 53 淳和 54 仁明 55 文德 56 清和 57 陽成 58 光孝 59 宇多 60 醍醐
61 朱雀 62 村上 63 冷泉 64 圓融 65 花山 66 一條 67 三條 68 後一條 69 後朱雀 70 後冷泉
71 後三條 72 白河 73 堀河 74 鳥羽 75 崇德 76 近衛 77 後白河 78 二條 79 六條 80 高倉
81 安德 82 後鳥羽 83 土御門 84 順德 85 九條 86 後堀河 87 四條 88 後嵯峨 89 後深草 90 亀山
91 後宇多 92 伏見 93 後伏見 94 後二條 95 花園 96 光嚴 97 光明 98 崇光 99 後光嚴 100 後圓融
101 後小松 102 稱光 103 後花園 104 後土御門 105 後柏原 106 後奈良 107 正親町 108 後陽成 109 後水尾 110 明正
111 後光明 112 後西院 113 霊元 114 東山 115 中御門 116 櫻町 117 桃園 118 後櫻町 119 後桃園 120 光格
121 仁孝 122 孝明 123 明治 124 大正 125 昭和 126 平成 赤字女帝斜字重祚