ときわ台駅 (東京都)

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ときわ台駅 (ときわだいえき)は、東京都板橋区常盤台一丁目にある東武鉄道東上本線。駅番号はTJ-06

年表

駅構造

島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームと北口との間は地下道で、南口とは跨線橋で連絡している。北口駅舎は開業時のもので、瀟洒な洋風建築である。

ユニバーサルデザインの一環として、駅ホーム中央に多機能トイレと、南口コンコースに連絡するエレベーターが設置されている。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 東上線 下り 成増志木川越方面
2 東上線 上り 大山池袋方面

利用状況

2012年度の1日平均乗降人員45,899人である[1]

近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通り。

年度別1日平均乗降・乗車人員推移[2]
年度 1日平均
乗降人員[3]
1日平均
乗車人員[4]
1935年(昭和10年) 124
1992年(平成04年) 27,460
1993年(平成05年) 26,989
1994年(平成06年) 54,670 26,710
1995年(平成07年) 26,314
1996年(平成08年) 25,573
1997年(平成09年) 25,353
1998年(平成10年) 24,649
1999年(平成11年) 24,276
2000年(平成12年) 24,110
2001年(平成13年) 24,433
2002年(平成14年) 24,296
2003年(平成15年) 48,547 24,290
2004年(平成16年) 48,314 24,169
2005年(平成17年) 48,225 24,146
2006年(平成18年) 48,202 24,111
2007年(平成19年) 48,755 24,373
2008年(平成20年) 48,424 24,232
2009年(平成21年) 47,321 23,673
2010年(平成22年) 46,297 23,172
2011年(平成23年) 45,628 22,823
2012年(平成24年) 45,899

駅周辺

常盤台 (板橋区) も参照 北口側には、1935年(昭和10年)に東武鉄道が沿線の開発事業の一環として宅地の分譲開発を初めて行った「常盤台住宅地」が広がっている。沿線開発の先輩格である田園調布を模して設計された中にも、田園調布とは異なる道路網やクルドサックやロードベイといった独特な町並みを持っており、当時の理想的な住宅地の開発を目指した。周辺道路との接続が悪く、加えて分譲直後に日中戦争太平洋戦争といった混乱の時期を迎えたが、それでもなお昭和初期の面影を残す美しい住宅地といえる。

当初、常盤台住宅地の計画敷地は、東上線と伊勢崎線との接続(西板線計画)に伴う操車場用地確保のために、東武鉄道が1927年(昭和2年)頃に買収していた場所であった。しかし採算面の問題から接続案は見送られ、その代替案として住宅地建設が浮かび上がった経緯がある。

2000年代に入ると、マンション建設が活発になる一方で、開発業者と既存住人との間で対立するいわゆる「マンション紛争」が起こっている。

周辺施設

バス路線

当駅北口からは以下の路線が発着する。

国際興業バス

※なお、環七通り上の「南常盤台」川越街道国道254号「ときわ台駅入口」停留所も南口から近く、以下の路線が発着する。

都営バス(南常盤台)

国際興業バス関東バス(南常盤台)

国際興業バス(ときわ台駅入口)

(廃止路線)

  • [常01] ときわ台駅 - 東武練馬循環(宮の下回り・不動通り回り)
  • [練90] ときわ台駅 - 練馬車庫
  • [赤32] 赤羽駅東口 - 東十条四 - 大和町 - ときわ台駅 - 上板橋駅

宮本警部の殉職

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常盤台交番前にある誠の碑

2007年2月6日19時半ごろ、当駅ホームのすぐ脇にある踏切に自殺志願者の女性(当時39歳)が侵入しているとの通報を受け、警視庁板橋警察署常盤台交番の警視庁巡査部長宮本邦彦(殉職後二階級特進で警視庁警部[5] 当時53歳)が女性を交番に保護した。しかし女性は隙を見て交番を逃げ出し、「死んでもいい、死んでやる」などと叫びながら再び踏切に侵入。宮本巡査部長がこれを救助しようとして女性をホーム下の退避スペースに押し込んだものの宮本巡査部長自身は間に合わず、当駅を通過する下り急行小川町行き(10030系11643F+11439Fの10両編成)にはねられて重体となり、同年2月12日に意識が戻らないまま板橋区内の病院で殉職した。尚、この女性は腰を骨折する重傷を負ったものの、一命を取り留めた。

この一件を知った当時の内閣総理大臣安倍晋三(第1次内閣在任時)から、事故殉職した宮本警部を緊急叙勲[6]対象にするように異例の指示が警察庁へ出され、同年3月1日に正七位旭日双光章授与。そして同年6月16日に殉職警部を讃える記念碑「誠の碑」[7]の除幕式が、常盤台交番に隣接する当駅北口前で行われた。

この事故にまつわるエピソードは事故から1年後の2008年2月に『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です(著・山口秀範)』のタイトルで絵本となり、宮本警部の母校である札幌市立幌北小学校でも授業に取り上げられた。さらに同年2月15日にフジテレビ系列で放送された『千の風になって ドラマスペシャル 死ぬんじゃない! 〜実録ドラマ・宮本警部が遺したもの〜』でドラマ化され、三宅裕司が宮本警部役を演じた。

殉職から2年後の2009年2月には、絵本による反響が大きかったことから、絵本の作者である寺子屋モデル[8]の山口秀範によって『殉職・宮本警部が伝えたかったこと』(伝記)が出版された。

駅名の由来

旧・上板橋村鎮守、天祖神社に伝わる祝詞から「武蔵常盤駅」と名付けられ、その後、常盤台住宅地が造成されたことで現駅名となった。

付記

  • 1980年頃は、平日朝ラッシュ時準急普通が平行運転を行っていたために上り準急も当駅に停車していた。しかし、1983年(昭和58年)のダイヤ改正により、ラッシュ時は中板橋駅で準急の退避を行うようになり、朝ラッシュ時における当駅の準急停車が廃止された。
  • 中板橋 - 当駅間の距離は700mで、東上線内では玉淀 - 寄居間の600mに次いで2番目に短い。
  • ほとんどの普通電車が隣の中板橋駅で優等列車を待避するダイヤになっているが、2008年6月14日のダイヤ改正後は、平日ダイヤ、土曜・休日ダイヤのいずれも日中時間帯に中板橋で待避しない普通電車が設定されたため、池袋 - 大山間各駅から当駅までの所要時間が短縮される場合がある。反対に中板橋駅で2本待避する場合もある。この場合はときわ台駅 - 池袋駅の所要時間は12分と長くなる。なお、2013年3月のダイヤ改正からは、日中時間帯は(下りの毎時2本を除き)上板橋で退避を行っている。

隣の駅

東武鉄道
東上本線
TJライナー・快速急行・快速・急行・通勤急行・準急
通過
普通
中板橋駅 (TJ-05) - ときわ台駅 (TJ-06) - 上板橋駅 (TJ-07)

脚注

  1. 駅情報(乗降人員) - 東武鉄道
  2. 東京都統計年鑑
  3. 各種報告書 - 関東交通広告協議会
  4. 板橋区の統計
  5. 正式官名に基づき、「警視庁巡査部長」「警視庁警部」と表記。
  6. 殉職者など特別な功績を有する者に対し、随時実施される。
  7. 宮本警部が警察学校の卒業アルバムにしたためた「誠実・誠心・誠意」という言葉に由来する。
  8. 寺子屋モデル

関連項目

外部リンク