ときわ台駅 (東京都)
ときわ台駅 (ときわだいえき)は、東京都板橋区常盤台一丁目にある東武鉄道東上本線の駅。駅番号はTJ-06。
目次
年表
- 1935年(昭和10年)10月20日 - 武蔵常盤駅として開業。
- 1951年(昭和26年)10月1日 - ときわ台駅に改称。
- 2007年(平成19年)
- 2012年(平成24年)3月17日 - TJ-06の駅ナンバリングを導入。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームと北口との間は地下道で、南口とは跨線橋で連絡している。北口駅舎は開業時のもので、瀟洒な洋風建築である。
ユニバーサルデザインの一環として、駅ホーム中央に多機能トイレと、南口コンコースに連絡するエレベーターが設置されている。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■東上線 | 下り | 成増・志木・川越方面 |
2 | ■東上線 | 上り | 大山・池袋方面 |
利用状況
2012年度の1日平均乗降人員は45,899人である[1]。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員[3] |
1日平均 乗車人員[4] |
---|---|---|
1935年(昭和10年) | 124 | |
1992年(平成 | 4年)27,460 | |
1993年(平成 | 5年)26,989 | |
1994年(平成 | 6年)54,670 | 26,710 |
1995年(平成 | 7年)26,314 | |
1996年(平成 | 8年)25,573 | |
1997年(平成 | 9年)25,353 | |
1998年(平成10年) | 24,649 | |
1999年(平成11年) | 24,276 | |
2000年(平成12年) | 24,110 | |
2001年(平成13年) | 24,433 | |
2002年(平成14年) | 24,296 | |
2003年(平成15年) | 48,547 | 24,290 |
2004年(平成16年) | 48,314 | 24,169 |
2005年(平成17年) | 48,225 | 24,146 |
2006年(平成18年) | 48,202 | 24,111 |
2007年(平成19年) | 48,755 | 24,373 |
2008年(平成20年) | 48,424 | 24,232 |
2009年(平成21年) | 47,321 | 23,673 |
2010年(平成22年) | 46,297 | 23,172 |
2011年(平成23年) | 45,628 | 22,823 |
2012年(平成24年) | 45,899 |
駅周辺
常盤台 (板橋区) も参照 北口側には、1935年(昭和10年)に東武鉄道が沿線の開発事業の一環として宅地の分譲開発を初めて行った「常盤台住宅地」が広がっている。沿線開発の先輩格である田園調布を模して設計された中にも、田園調布とは異なる道路網やクルドサックやロードベイといった独特な町並みを持っており、当時の理想的な住宅地の開発を目指した。周辺道路との接続が悪く、加えて分譲直後に日中戦争・太平洋戦争といった混乱の時期を迎えたが、それでもなお昭和初期の面影を残す美しい住宅地といえる。
当初、常盤台住宅地の計画敷地は、東上線と伊勢崎線との接続(西板線計画)に伴う操車場用地確保のために、東武鉄道が1927年(昭和2年)頃に買収していた場所であった。しかし採算面の問題から接続案は見送られ、その代替案として住宅地建設が浮かび上がった経緯がある。
2000年代に入ると、マンション建設が活発になる一方で、開発業者と既存住人との間で対立するいわゆる「マンション紛争」が起こっている。
周辺施設
- 板橋区立中央図書館
- 板橋区立常盤台小学校
- 板橋消防署常盤台出張所
- 日本書道美術館
- 日本教育書道連盟本部
- 天祖神社
- 板橋常盤台郵便局
- 板橋南常盤台郵便局
- 常盤台バプテスト教会
- 冨士大石寺顕正会東京会館
- 金光教
バス路線
当駅北口からは以下の路線が発着する。
- [王54] 大和町経由 王子駅行き
- [王54]・[王54-2] 上板橋駅・上板橋駅前行き
- [赤53] 志村一丁目経由 赤羽駅西口行き
- [赤93] 志村一丁目経由 赤羽車庫行き(深夜バス運行)
- [常01] 志村三丁目駅行き
- 深夜中距離バス
- 池袋駅西口(1:20発)- ときわ台駅 - 中浦和駅(降車専用)
※なお、環七通り上の「南常盤台」川越街道国道254号「ときわ台駅入口」停留所も南口から近く、以下の路線が発着する。
都営バス(南常盤台)
国際興業バス(ときわ台駅入口)
(廃止路線)
- [常01] ときわ台駅 - 東武練馬循環(宮の下回り・不動通り回り)
- [練90] ときわ台駅 - 練馬車庫
- [赤32] 赤羽駅東口 - 東十条四 - 大和町 - ときわ台駅 - 上板橋駅
宮本警部の殉職
2007年2月6日19時半ごろ、当駅ホームのすぐ脇にある踏切に自殺志願者の女性(当時39歳)が侵入しているとの通報を受け、警視庁板橋警察署常盤台交番の警視庁巡査部長宮本邦彦(殉職後二階級特進で警視庁警部[5] 当時53歳)が女性を交番に保護した。しかし女性は隙を見て交番を逃げ出し、「死んでもいい、死んでやる」などと叫びながら再び踏切に侵入。宮本巡査部長がこれを救助しようとして女性をホーム下の退避スペースに押し込んだものの宮本巡査部長自身は間に合わず、当駅を通過する下り急行小川町行き(10030系11643F+11439Fの10両編成)にはねられて重体となり、同年2月12日に意識が戻らないまま板橋区内の病院で殉職した。尚、この女性は腰を骨折する重傷を負ったものの、一命を取り留めた。
この一件を知った当時の内閣総理大臣・安倍晋三(第1次内閣在任時)から、事故殉職した宮本警部を緊急叙勲[6]対象にするように異例の指示が警察庁へ出され、同年3月1日に正七位・旭日双光章授与。そして同年6月16日に殉職警部を讃える記念碑「誠の碑」[7]の除幕式が、常盤台交番に隣接する当駅北口前で行われた。
この事故にまつわるエピソードは事故から1年後の2008年2月に『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です(著・山口秀範)』のタイトルで絵本となり、宮本警部の母校である札幌市立幌北小学校でも授業に取り上げられた。さらに同年2月15日にフジテレビ系列で放送された『千の風になって ドラマスペシャル 死ぬんじゃない! 〜実録ドラマ・宮本警部が遺したもの〜』でドラマ化され、三宅裕司が宮本警部役を演じた。
殉職から2年後の2009年2月には、絵本による反響が大きかったことから、絵本の作者である寺子屋モデル[8]の山口秀範によって『殉職・宮本警部が伝えたかったこと』(伝記)が出版された。
駅名の由来
旧・上板橋村の鎮守、天祖神社に伝わる祝詞から「武蔵常盤駅」と名付けられ、その後、常盤台住宅地が造成されたことで現駅名となった。
付記
- 1980年頃は、平日朝ラッシュ時に準急と普通が平行運転を行っていたために上り準急も当駅に停車していた。しかし、1983年(昭和58年)のダイヤ改正により、ラッシュ時は中板橋駅で準急の退避を行うようになり、朝ラッシュ時における当駅の準急停車が廃止された。
- 中板橋 - 当駅間の距離は700mで、東上線内では玉淀 - 寄居間の600mに次いで2番目に短い。
- ほとんどの普通電車が隣の中板橋駅で優等列車を待避するダイヤになっているが、2008年6月14日のダイヤ改正後は、平日ダイヤ、土曜・休日ダイヤのいずれも日中時間帯に中板橋で待避しない普通電車が設定されたため、池袋 - 大山間各駅から当駅までの所要時間が短縮される場合がある。反対に中板橋駅で2本待避する場合もある。この場合はときわ台駅 - 池袋駅の所要時間は12分と長くなる。なお、2013年3月のダイヤ改正からは、日中時間帯は(下りの毎時2本を除き)上板橋で退避を行っている。