目白駅

提供: Yourpedia
2014年7月15日 (火) 16:28時点における獅子堂重工 (トーク | 投稿記録)による版 (駅構造)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
目白駅

目白駅(めじろえき)は、東京都豊島区目白三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線である。

当駅には山手線電車のみが停車し、それ以外の列車は通過する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。

駅構造[編集]

ホームドア

島式ホーム1面2線の地上駅。日本で初めて橋上駅舎を採用した駅としても知られる。出口は目白通りに1か所ある。池袋寄りにエレベーターエスカレーターが設置された。2009年に、市ケ谷駅とともにJR東日本の駅で初めてLEDライト型の案内サインが設置された。

駅構内にはNEWDAYS MINIやカフェ デンマルク、クイーンズウェイなどがあり、カートによる販売なども行われている。駅正面および隣接する公衆トイレの壁面には、ステンドグラスが使用されている。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 山手線 内回り 新宿渋谷品川方面
2 山手線 外回り 池袋上野東京方面

(出典:JR東日本:駅構内図

利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗車人員は37,684人である。山手線内の駅では鶯谷駅に次いで2番目に利用客が少ない。近年の推移は下記の通り。

年度 JR東日本 出典
1992年 43,890 [1]
1993年 43,981 [2]
1994年 43,518 [3]
1995年 43,235 [4]
1996年 43,510 [5]
1997年 43,345 [6]
1998年 42,616 [7]
1999年 41,639 [8]
2000年 39,505 [1]
2001年 39,354 [2]
2002年 39,151 [3]
2003年 39,143 [4]
2004年 39,168 [5]
2005年 39,065 [6]
2006年 39,441 [7]
2007年 40,472 [8]
2008年 39,282 [9]
2009年 38,218 [10]
2010年 37,568 [11]
2011年 37,355 [12]
2012年 37,684

駅周辺[編集]

学習院大学日本女子大学学習院中等科・高等科川村中学校・高等学校、目白デザイン専門学校、日本外国語専門学校、東京教育専門学校、赤堀栄養専門学校などが立地し、学生・生徒の乗降客が多い。また和敬塾という学生寮の最寄駅でもある。近隣には尾張徳川家の子孫が収集した史料がある徳川林政史研究所がある。

現在の「ホテルメッツ目白」の辺りにはかつて山手貨物線(埼京線・湘南新宿ライン)の貨物集配所があったが、貨物輸送の減少とともに廃止・撤去された。1970年代以前は、この集配所下には学習院方面からの湧水が湧き出、側溝が学習院下に向かってあり、近所の子供たちがザリガニ釣りやヌカエビ取りなどをする光景が見られた。

バス路線[編集]

歴史[編集]

当初の計画とその後[編集]

  • 開業当時、現在の池袋駅のような機能を持つ駅として計画された。また、当駅の次の駅は赤羽線(埼京線)の板橋駅だった。その理由として、池袋周辺は農村地帯だったことがあげられる。
  • 日本鉄道品川線の短絡線として豊島線を計画、工事が進められた。その時、目白周辺の反対に合い、農村地だった当時の池袋に池袋信号所が設置された。
  • 駅周辺は地形が歪で、さらに反対運動が収まらなかったため、豊島線のホームを設置することができず、頓挫しかけた。その後『池袋信号所を駅に昇格させる』ということになり、約1年後に池袋信号所は池袋駅となり、池袋駅に赤羽方面との分岐点ができたという経緯がある。

ブラインドテニス考案者の転落死亡事故[編集]

鉄道人身障害事故#人身事故の防止策 も参照 2011年1月16日、ブラインドテニスを考案し普及に貢献した人物が当駅で転落して死亡した。これを受けて、同月24日、視覚障がい者団体関係者がJR東日本の本社を訪れて、全国35の団体の連名で要望書を提出し、電車とホームの間を仕切る「ホームドア」の設置や、駅員をホームに必ず配置して安全確認を徹底するなど、早急な対策を取るよう求めた。この際、「全盲者3人に2人は経験」しているという調査データを示し、関係者の1人は視覚障がい者にとってプラットホームは欄干の無い橋であると表現している[10]

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
山手線
高田馬場駅 - 目白駅 - 池袋駅

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]