四国・九州アイランドリーグ

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テンプレート:スポーツリーグ 四国・九州アイランドリーグ(しこく・きゅうしゅうアイランドリーグ)は、四国地方4県と九州地方2県を活動地域とするプロ野球独立リーグ。株式会社IBLJが運営を行っている。

将来のNPB選手を目指そうとする選手たちによる、地域文化に根ざした従前のプロ・アマに属さないリーグ創設を目指す目的で設立された。

概要

発足当時、リーグ戦の愛称は四国4県、球団名については各球団の本拠県の、それぞれの在住・在勤・在学者のみを対象として一般公募された。主流のプロ野球と一線を画す日本の野球プロリーグ戦としては、国内のみのものとしては国民野球連盟以来58年ぶり、海外チームを入れたものを含めるとグローバルリーグ以来36年ぶりである。

2007年11月30日までのリーグ名は「四国アイランドリーグ」。四国地方愛媛県香川県高知県徳島県の4県にそれぞれ1チームずつ本拠を置いてリーグ戦を行っていた。九州地方福岡県長崎県に本拠を置く球団が2008年度シーズンから加入するのに伴い、2007年12月1日に「四国・九州アイランドリーグ」に名称が変更された。

四国アイランドリーグ時代は四国旅客鉄道(JR四国)、四国コカ・コーラボトリングなどの地元企業がスポンサーとして支援していた。リーグが拡張した2008年はソフトバンクモバイルがメインのオフィシャルスポンサーとなった。この関係で同社と競合関係にあるNTTドコモ四国が離脱したりしたため、支援企業の顔ぶれには変化が生じた。2009年はソフトバンクモバイルに代わり、従来より支援を行ってきた四国コカ・コーラボトリングがメインスポンサーとなっている。

リーグ運営事務局

香川県高松市丸亀町7番地10 丸亀町第3ビル4F(富士銀行高松支店跡)

2008年のシーズンは九州オフィスが福岡県福岡市中央区天神に開設されたが、2009年1月30日で閉鎖された。

沿革

2005年まで

2006年

2007年

2008年

  • 2008年3月28日 初のリーグトーナメント戦である「阿南市長杯」を開催(3月30日までの予定だったが30日は雨天中止となり、決勝に進出した高知と愛媛が両チーム優勝)。
  • 2008年3月29日 香川の松尾晃雅メジャーリーグボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだことを発表。
  • 2008年4月1日 IBLJ本社ならびにリーグ事務局(四国オフィス)を高松市丸亀町に移転。
  • 2008年4月5日 2008年シーズン開幕。
  • 2008年4月12日 愛媛対福岡戦(松山中央公園野球場)で、リーグ史上初めて1試合の観客数1万人台(10288人)を記録。
  • 2008年6月18日 香川オリーブガイナーズが4期連続となる前期優勝。
  • 2008年9月21日 愛媛マンダリンパイレーツが初の後期優勝。
  • 2008年10月4日 香川オリーブガイナーズが愛媛マンダリンパイレーツとのチャンピオンシップを制し、3年連続のリーグ年間総合優勝を達成。
  • 2008年10月28日 香川とBCリーグ優勝の富山サンダーバーズとの間で行われたグランドチャンピオンシップに、香川が3勝2敗で2年連続優勝。
  • 2008年10月30日 NPBドラフト会議で西川雅人キム・ムヨンが指名され、引き続き行われた2次(育成枠)ドラフトで森田丈武塚本浩二生山裕人堂上隼人が指名される。

2009年

  • 2009年1月30日 福岡のリーグ九州オフィスを閉鎖し、高松の四国オフィスに一本化。
  • 2009年3月20日 四国4球団総当たりによるプレシーズンマッチを3月22日まで、徳島県営蔵本球場吉野川運動公園野球場で開催。香川・愛媛・高知の3チームが2勝1敗で優勝となる。前年実施された6球団のトーナメント戦「阿南市長杯」は本年は開催されなかった。
  • 2009年4月4日 2009年シーズン開幕。
  • 2009年4月27日 愛媛の韓国人選手1名が犯罪容疑で逮捕される不祥事が発覚し、該当選手は同日付で解雇。リーグは翌日不祥事に対する「再発防止策緊急検討委員会」の設置を発表。
  • 2009年5月7日 最初の再発防止検討会議を開き、愛媛球団への厳重注意と不祥事顛末書の提出や監督の13試合出場停止(すでに球団内の処分等で出場しなかった試合を含む)の処分と再発防止策の概要を発表。
  • 2009年6月21日 長崎セインツが初の前期優勝。九州勢はこれが初のステージ優勝となる。
  • 2009年9月20日 高知ファイティングドッグスが後期優勝。半期優勝は3年ぶり。
  • 2009年10月3日 高知ファイティングドッグスが長崎セインツとのチャンピオンシップを制し、4年ぶりのリーグ年間総合優勝を達成。前後期制となってからは初めて。
  • 2009年10月29日 NPBドラフト会議で福田岳洋荒張裕司が指名され、引き続き行われた2次(育成枠)ドラフトで松井宏次が指名される。
  • 2009年10月30日 福岡レッドワーブラーズが来シーズンのリーグ戦に参加せず、2010年は5球団でリーグ戦を開催すると発表。2カテゴリーの新設も合わせて発表され、福岡と宮崎が「準加盟球団」カテゴリーに、岡山と熊本が「準備室開設段階球団」カテゴリーにそれぞれ参加すると発表[2]。また、福岡所属の選手のうち希望者に対する救済ドラフトを非公開で実施。
  • 2009年11月3日 高知とBCリーグ優勝の群馬ダイヤモンドペガサスとの間で行われたグランドチャンピオンシップに、高知が3勝2敗で優勝。アイランドリーグとしては3連覇を達成。
  • 2009年12月1日 2010年のシーズンは、新たに発足するジャパン・フューチャーベースボールリーグ(JFBL)との間で合計60試合の交流戦を実施することが発表される。
  • 2009年12月10日 2010年度からの福岡・宮崎各球団の準加盟を正式に承認したと発表。

リーグ構成球団

加盟球団

チーム名 参加年度 本拠地
愛媛マンダリンパイレーツ 2005 愛媛県松山市
香川オリーブガイナーズ 2005 香川県高松市
高知ファイティングドッグス 2005 高知県高知市
徳島インディゴソックス 2005 徳島県阿南市[3]
長崎セインツ 2008 長崎県佐世保市

準加盟球団

2010年から「準加盟球団」のカテゴリーが新設され、「加盟球団」カテゴリーから移行する福岡レッドワーブラーズと、宮崎の球団が参加する予定となっている。 リーグによると、「近い将来アイランドリーグ加盟へのステップアップを行う意思があり、その目標に向かって積極的に活動を行う状態である場合、加盟球団に準じて、リーグ情報の共有化や、加盟に向けての支援を受けることが出来るカテゴリー」である。

チーム名 参加年度 本拠地 活動状況
福岡レッドワーブラーズ 2008 ※1 福岡県福岡市 2010年シーズンは準加盟としてリーグ戦参戦の準備期間
宮崎球団 2010 宮崎県
  • ※1:2008年リーグに加盟、2010年より準加盟球団に変更。

準備室開設段階球団

2010年から「準備室開設段階球団」のカテゴリーが新設され、岡山熊本の球団が参加する予定となっている。

チーム名 参加年度 本拠地 活動状況
岡山球団 2010 岡山県 IBLJ社と加盟へ向けての業務提携契約中
熊本球団 2010 熊本県

ホームゲーム開催地

  • 2009年度。ホームゲーム数は40試合。
  • 球団と本拠地球場の省略名は、通称・公式略称・雅称。
  • 球団名の2文字省略はスポーツ新聞でよく用いられるもの。
球団名 本拠地開催 地方開催
専用球場 試合数 地方開催</Br>合計試合数 開催地域 開催都市 開催球場 球場別</Br>試合数
愛媛マンダリンパイレーツ(愛媛) 松山坊っちゃんスタジアム 12 28 東予地方 四国中央市 川之江野球場 2
新居浜市 新居浜球場 2
西条市 東予球場 10
ひうち球場 2
今治市 今治球場 3
上島町 いきなスポレク公園野球場 1
中予地方 松山市 マドンナスタジアム 2
伊予市 伊予市しおさい公園野球場 1
南予地方 大洲市 八幡浜・大洲地区運動公園野球場 2
西予市 西予市営宇和球場 1
西予市営野村球場 1
愛南町 南レク野球場 1
香川オリーブガイナーズ(香川) サーパススタジアム 29 11 香川県 さぬき市 アークバリア・ベースボールパーク志度 9
観音寺市 観音寺市総合運動公園 2
高知ファイティングドッグス(高知) 高知球場 19 21 高知県 香美市 土佐山田スタジアム 7
室戸市 室戸マリン球場 5
高知市 高知東部球場 5
春野球場 2
宿毛市 宿毛球場 2
徳島インディゴソックス(徳島) アグリあなんスタジアム 21 19 徳島県 徳島市 蔵本球場 10
鳴門市 オロナミンC球場 7
三好市 三好球場 2
長崎セインツ(長崎) 佐世保野球場 34 6 長崎県 長崎市 長崎ビッグNスタジアム 3
平戸市 平戸市総合運動公園赤坂野球場 3
福岡レッドワーブラーズ(福岡) 無し 0 40 福岡県 北九州市 北九州市民球場 12
門司球場 1
飯塚市 県営筑豊緑地野球場 4
福岡市 雁ノ巣球場 1
小郡市 小郡市野球場 1
春日市 県営春日公園野球場 1
佐賀県 鳥栖市 鳥栖市民球場 19
徳島県※ 三好市 三好球場 1

※雨天中止による代替開催。

編成

四国アイランドリーグ時代は、1チームに監督1名、コーチ2名、トレーナー2名、選手25名までだった。 2008年より、選手登録枠を30名程度まで拡大。ただし、2009年開幕時点で25名を越える選手を登録している球団はない。また、選手登録枠外に練習生として選手を保有することも可能である。

リーグ発足当時の構想では選手の在籍は3年以内という条件があったが、現在は制限はない。2009年開幕時点で発足初年度より続けてリーグに所属する選手(5年目)は13名が在籍している。

審判

リーグ発足当時に、元セ・リーグ審判副部長の福井宏、NPO法人UDC(Umpire Development Corporation、本部東京/平林岳理事長)、四国地区全日本軟式野球連盟の三者の協力により運営が開始された。発足時のリーグの審判責任者は福井宏で、自ら当時の石毛代表にリーグの審判になることを志願して採用されたという逸話がある。福井は2006年のシーズンまでリーグの審判を務めた。

その後、プロアマ規定などの問題により四国地区全日本軟式野球連盟が審判運営より撤退したことや、新規参入チームの九州地区への拡張等の理由により、リーグ独自の審判員を育成することになり、2008年のシーズンより審判部が発足した。初代の審判部長は元パ・リーグ審判部長の村田康一。副部長は2005年のリーグ発足時から実質の現場責任者として最多試合出場している神谷佳秀。2008年のシーズンは、部長・副部長のほかに常勤と非常勤の審判員約20名が在籍している(ただし、部長は実際の試合に出場することはない)。2008年からはシーズン終了後に最優秀審判の表彰も行われるようになり、田村光弘が最初の表彰者となった。2009年は神谷佳英が表彰された。

過去の在籍者からは市川貴之水落朋大大和貴弘のようにNPBの審判に進む者も現れている。

発足以来数年間、公式戦は審判4人制で運営していたが、2008シーズン開幕戦より3人制、4人制を併用している。チャンピオンシップ、グランドチャンピオンシップは6人制で行っている。

巡回コーチ(初年度のみ)

各球団のスタッフは監督+コーチの計3名に限定されている。リーグ発足当初はこれを補うために、IBLJが契約したコーチが数人で球団を越えて巡回指導していた。当時のメンバーは下記の通り。

2年目以降は各チームが必要に応じて外部の臨時コーチを招聘するようになっており、巡回コーチは実施されなくなった。

試合

ホーム・アンド・アウェーによるリーグ戦。四国アイランドリーグ時代はホーム45試合、ビジター45試合の計90試合だった。2008年のシーズンからは、リーグの拡張に伴う移動距離の増加を考慮し、従来より10試合少ない80試合で運営されている。5球団となる2010年については72~80試合となる予定で、対戦カードから外れる球団についてはNPB2軍や新たに発足するジャパン・フューチャーベースボールリーグとの交流戦を宛てる構想が示されている[4]

指名打者制を採用している。また予告先発を実施しており、通常は試合前日に発表される(前日に試合がある場合は7回終了時点に発表)。原則として毎週金曜~日曜の週3試合ペース(2005年は毎週木曜~日曜の週4試合ペース)で開催する。四国アイランドリーグ時代は、遠征の際は宿泊せずにいったん地元に戻る方式で連戦は少なかったが、2008年より移動が長距離になることから、連戦を中心としたスケジュールに変更されている。

ナイター設備の無い高知を除き、基本的には金曜日はナイトゲ-ムまたは試合の途中からナイター照明を入れる薄暮開催とし、土・日・祝日は4月から6月まではデーゲームを中心に、7月から10月まではナイトゲ-ムを中心とした編成で日程が組まれている。レギュラーシーズンでは9回を終了して同点の場合は引き分けとし、延長戦は実施しない。

2005年度は1シーズン制だったが、2006年度より前期、後期の2シーズン制とし、それぞれの優勝チームが年間優勝を賭けて5試合制・3勝先勝でリーグチャンピオンシップを争う。前期、後期とも同じチームが優勝の場合は、年間勝率2位のチームとのリーグチャンピオンシップとなる。この場合前期、後期の両ステージとも完全優勝したチームに1勝のアドバンテージが与えられるため、年間1位チームは2勝すれば完全総合チャンピオンとなる。
リーグチャンピオンシップでの延長戦の扱いは年度によって以下のように変わっている。なお、実際に初めて延長戦が行われたのは2009年(第2戦)である。

  • 2006年・2009年 - 原則として実施するが、使用球場の条件によってある時間以降は新たなイニングに入らない。
  • 2007年・2008年 - 初戦からどちらかが王手をかけるまではレギュラーシーズン同様延長戦を行わない。王手をかけてからは延長戦を実施(ただし、使用球場の条件によって制限あり)。

また、2009年のリーグチャンピオンシップからは優勝の条件が細かく定められ、

  • 5試合終了時に引き分け等によっていずれかが3勝していなくてもその時点の勝敗で優勝を決定
  • 5試合終了時に対戦成績五分の場合は、予備日に1試合を実施してその勝敗で優勝を決定
  • 雨天等で予備日を含めて日程を終了できなかった場合はその時点の勝敗で優勝を決定
  • 予備日を含めて対戦成績が五分の場合は下記の順に優位なチームが優勝
  1. チャンピオンシップの失点率(総失点÷総イニング数)
  2. 当期公式戦年間通算勝率
  3. 当期公式戦の該当カードの対戦成績

とされた。

2008年には初の試みとして、シーズン開始前の3月下旬にリーグ6チームによるトーナメント戦(「阿南市長杯」)が実施された。2009年は四国4チームだけの「プレシーズンマッチ」(各カード1試合ずつの総当たり制)であった。

2008年のシーズンから、公式戦のスコアブックをリーグ公式ホームページ上にPDFファイル形式で掲載している。

2009年のシーズンより、従来よりも反発力を強めたボールを使用している。これは本塁打を増やして試合をよりスリリングにすることが目的とされている。

選手

プロ野球選手を目指す野球経験者をトライアウトで獲得する。6球団で約150人。リーグ発足時はトライアウト参加資格が17歳から24歳とされ、1チームの保有枠は25人だった。2008年度のトライアウトからは年齢制限が29歳に引き上げられ、各チームの保有選手枠が30人程度にまで拡大された。これはリーグの拡張に伴う措置である。2009年度のトライアウトでは「満15歳以上の義務教育を修了した男性」と年齢の制限が大幅に緩和された。2010年度は「満15歳以上の野球経験者(義務教育終了)」となり、野球経験者に限定する一方で性別の制限を撤廃している。

リーグ発足当時は、四国4県の出身者は原則として「自分の出身県のチーム」に所属していた[5]。リーグ初年度は選手紹介の際にその旨が紹介され、スターティングメンバーでなくても、指名打者・代打・中継投手など、何らかの形で試合に出ることが多かった。「地元密着」というリーグ方針によるものだったが、現在ではそうした傾向は見られなくなっている。また、初年度には各チームの指導者が選手のNPBに向けた潜在能力を評価・序列化した「プロスペクト」を公表したが、2年目以降は行われていない。

2006年5月から元NPB所属選手も受け付けることになった。NPB経験者については、当初よりトライアウト時の年齢制限がない。NPB経験選手第1号は広島東洋カープから香川に入った天野浩一。2009年8月には元阪神タイガース伊良部秀輝が高知に入団し、NPBで個人タイトルを獲得した選手としては初の加入者となった。同年福岡に入団した元福岡ソフトバンクホークスの山田秋親は、シーズン終了後にトライアウトを経て千葉ロッテマリーンズに入団し、アイランドリーグに所属した元NPB選手でNPBに復帰した最初のケースとなった。

選手契約

契約の締結・解除はシーズンオフの契約満了時やトライアウト時だけでなく、シーズン途中での契約やシーズン中を含む契約期間途中での契約解除となるケースもある。シーズン途中の入団の場合には2008年度以前より年齢制限に拘らないとしていた。契約期間中の契約解除者は2005年が12人、2006年が11人だったが、2007年は7人にとどまった。2008年は練習生降格者やリーグ他球団での再契約者を除いて12人、2009年は13人(刑事事件による解雇者とNPB打撃投手採用者各1名を含む)であった。

リーグ内での選手の移籍は2年目より随時・適宜実施されていたが、2008年8月より「リーグチャンピオンシップ終了翌日から翌年シーズン後期開幕日前日まで(2008年度のみ特例として8月末まで)」と明確化された。この段階では、いったん戦力外通告によりあるチームとの契約を解除された選手が他のチームと契約することについては期間の制限はなかった。同年11月になって、退団した選手がリーグの他球団でのプレーを希望する場合は旧所属球団の申請に基づいてリーグがウェーバー公示を行い、一週間以内に獲得希望球団が出た場合はその球団が交渉権を獲得(複数の場合は希望球団間で調整)、出なかった場合は他の球団も含めて交渉を可能とするルールが定められた。

トライアウト要項

2007年度生のトライアウト要項では「報酬支払い対象期間は契約期間内2~11月の10か月間、その間契約選手の最低保障は『月額10万円と住居提供』、さらに試合でのパフォーマンス等に応じて実績給を支払う予定」となっていた。

2009年度生のトライアウト要項では「報酬支払い対象期間は契約期間内3~10月の8か月間、契約選手の報酬は『月額10万円~40万円(個別決定、シーズン中も変動あり)』と改められた。これはベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)と連携して標準報酬額をほぼ同水準にまとめたもの。 選手は個人事業主として、国民健康保険ならびに国民年金に各自加入するよう明記されている。

また、選手の身分、および退団後に社会人野球に入団する場合は、NPB選手と同じ扱いとなる。リーグの発足当初はアマチュア選手と同様の扱いであったが、2009年より日本野球連盟の規則が改正された。

外国人選手

同リーグではいわゆる「助っ人」としての外国人選手としてではなく一選手として外国籍の選手にも門戸が開かれている。リーグでは積極的な外国人選手の受け入れを進めている。2008年12月には、チーム数が減少する台湾プロ野球選手の受け皿という目的で、台湾で初の海外トライアウトを実施した。

外部組織との連携での受け入れもあり、カープアカデミードミニカ共和国)や、オーストラリア野球連盟などから選手を受け入れている。2009年にカープアカデミー出身のディオーニ・ソリアーノが育成選手として広島東洋カープに入団し、リーグに在籍経験のある外国人選手としては初のNPB入団者となった[6]

表彰

主な投打の部門成績最上位者、ベストナインおよびMVPには表彰制度がある(MVPについては前後期と年間の3種類)。これまでのタイトル獲得者については四国・九州アイランドリーグ個人タイトル獲得者一覧を参照。

NPBドラフト指名実績

2005年
リーグ初年度である2005年度のドラフトでは所属選手が指名されることはなかったが、この年より創設された育成選手制度のための育成ドラフトで愛媛・西山、同じく愛媛・中谷が指名を受けた。2名とも後に支配下登録されている。
2006年
大学・社会人ドラフトで香川・深沢、高知・角中が指名され、初の支配下登録枠でのドラフト指名選手を輩出した。また育成ドラフトでは香川・伊藤が指名された。伊藤は2007年のシーズン中に支配下登録されている。
2007年
大学・社会人ドラフトで香川・三輪が指名され、2年連続の支配下登録枠でのドラフト指名となった。また育成ドラフトでは5人の選手が指名された。徳島・小林はチーム初の指名者で、育成枠を含めると4チームすべてから指名者を輩出した。梶本は2008年のシーズン中に支配下登録されている。宮本は2009年のシーズン開始前に支配下登録された。
2008年
ドラフトで愛媛・西川と福岡・金が指名され、両チームとも初の支配下登録枠でのドラフト指名となった。また育成ドラフトでは香川から4人の選手が指名された。一度に一球団から4人の指名はリーグ史上最多である。堂上は2009年のシーズン開幕前に、森田はシーズン中に支配下登録された。
2009年
ドラフトでは香川・福田と徳島・荒張が指名された。また育成ドラフトでは長崎・松井が指名され、チーム初の指名者となった。これにより育成枠を含めると九州拡張後の6球団すべてから指名者が誕生したことになる。

NPBドラフトでの扱い

アイランドリーグに所属する選手は当然アマチュアではなく独立リーグとしてのプロ選手となり、ドラフト会議においては独立リーグ所属選手特有の扱いを受ける。その一番の特徴としては、高校・大学卒業時点でNPBによるドラフト指名を受けずにアイランドリーグに加入した場合、初年度から指名を受けることが可能となることである。ただし、かつて希望入団枠制度が存在した当時はその対象外とされていた。

なお、NPBのドラフト指名を拒否して加入した高卒選手及び大卒選手や、プロ志望届を出さなかった高卒選手に関してはこの限りではなく、他の社会人選手同様の指名制限を受けることとなる。これは、一度入団を拒否した選手がアイランドリーグを迂回して、結果的に社会人・学生経由よりも早くNPBに入団できてしまう事を防ぐための措置である。現時点ではプロ入りを拒否してアイランドリーグに入団した選手はいない。

当初は全選手に対して学生・社会人と同等の指名制限期間を設けることも検討されたが、リーグ側や四国各県からの要望もあって、上記のように指名されなかった選手に関しては条件が緩和された。

なお、2005年度は特例としてアイランドリーグ所属選手全員がドラフト会議指名の対象となった。

指名時の契約

アイランドリーグ所属の選手がNPB球団に入団した場合、選手がプロ野球球団から受け取る契約金と初年度年俸の一部をアイランドリーグの所属球団に支払う契約となっている。アイランドリーグに支払う金額や割合、アイランドリーグとの契約解除後にプロ入りした場合の扱い、NPB以外のプロ球団と契約した場合の扱い等、詳細については明らかにされていない。2006年のドラフトで香川からNPB入りした2名の選手の場合、契約金と初年度年俸の2割が香川の収入になったと報じられている[7]

メジャーリーグ機構への移籍者

2008年になり、アメリカのメジャーリーグの一部の球団が、選手の供給源としてアイランドリーグを視野に入れていると報じられるようになった。その中で、同年3月に香川の松尾晃雅ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、リーグからメジャーリーグ機構に所属する球団に進む第一号となった。松尾は2008年のシーズン、レッドソックス傘下の1A球団であるグリーンビル・ドライブでプレーした(同年限りで引退)。同じ香川の堂上隼人についても2008年2月にレッドソックスがマイナー契約での獲得を求めて交渉中と報じられたが、そのシーズンは香川に残留し、シーズン終了後に福岡ソフトバンクホークスから育成選手枠で指名されたため、メジャーリーグ入りは実現しなかった。

経営

発足当時の当リーグは、理念先行による運営見通しの甘さが指摘されていた[8]。リーグ初年度となる2005年度はシーズン開幕前に収入約7億5000万円、支出約6億7000万円で8000万円の黒字を見込んでいると発表されたが、シーズン中から有料入場者の少なさやスポンサー収入の伸び悩みが報道されるなど資金繰りの悪化が懸念されていた。2006年3月6日に開いた会見では、2005年度の収支は当初計画では8167万円の黒字を予定していた事、2005年度の決算見込みが3億1497万円の赤字である事、2006年度は赤字額を約1/10の3161万円に圧縮し2007年度に黒字転換を目指す方針である事などが発表された。しかし2006年シーズン閉幕後の10月24日、香川県庁で行われた記者会見でも2006年度の収支が約1億5000万の赤字となる見通しである事が発表された。

こうした赤字状況を改善するため、2年目からは抜本的な改革が断続的に行われた。2006年3月には、各球団がより地域に密着した独自経営を可能とするためにIBLJの事業部門だった各球団をIBLJの100%出資により資本金1000万円の子会社として法人化し、各球団に興行権を委譲した(高知を除く3球団は2006年中に新たな出資者を確保)。また人件費削減も頻繁に行われており、選手給与も大きく変遷している。1年目の2005年度は一律月額12万円だった選手給与を2年目の2006年度は基本給12万円・10万円・8万円と三段階のランク制に変更、これに住居提供と試合出場等の実績に応じたインセンティブ(出来高払い)が加えられる。2007年度以降の選手給与に関しては#トライアウト要項を参照のこと。2007年6月、前年から各球団の分社化・興行権委譲に伴い2007年からサラリーキャップ(総年俸抑制)制度を敷いたと発表された。当時は上限が非公開だったが、前記の通り2009年度トライアウトより選手一名あたり月額40万円と明示されている。(*チーム総年俸上限は非公開)

これら運営方法の改善に伴って、リーグ運営の実権は当初リーグ設立の中心人物だった石毛宏典から、鍵山誠を始めとしたスポンサー等から集まった経営陣へと移行し、石毛は2006年12月に株主への説明がないまま辞表を提出、2007年3月に「現経営陣に僕の意見が通らなくなった」として社長を退任し、コミッショナーとなった[9]。さらに、同年12月末のコミッショナー契約満了をもってコミッショナーも退任、自らが創設したリーグの運営から完全に離れることとなった。ただし現在もIBLJの株主である。また、2008年1月には愛媛マンダリンパイレーツのシニア・チームアドバイザーに就任した。

2007年度の収支について、IBLJの鍵山社長は10月24日の記者会見で赤字額が約1億円の見込みであることを明らかにした。経営改善策により2年連続で赤字額は減少したが、7千万円といわれる高知への経営補填金が大きな負担となっており、後述の経営者募集の要因となった。また、鍵山社長は四国内での運営による黒字転換は「不可能ではないが時間がかかりすぎる」と述べ、2008年度からのリーグ拡大の理由の一つが経営基盤の確保であることも示している。2007年度の最終的な収支は1億2300万円の赤字となる見通しであることが2008年6月に報じられた[2]

2008年度については同年10月31日の記者会見で鍵山社長は「1~2億円の赤字の見込み」とした上で、「年々持続可能な経営に近づいている」と述べた。またリーグの拡張については「スムーズに運営でき、大成功」としている[3]

2009年度について、鍵山社長は同年10月30日の記者会見で「2億2000万円の赤字の見込み」と述べた[10]。リーグ全体での売上見込は4億9000万円で、球団別の赤字は最も少ない高知が1600万円のほかは各球団とも4000万円台となる見込みとされている[4]

課題

当リーグが運営上で抱える主要な課題に以下のものがあげられる。

入場者数について

2005年度の公式戦180試合の総観客動員数は19万1194人・1試合平均1068人で、開幕前に目標とした14万4000人を上回ったが、無料券を40万枚配布しており、その券での入場者が全体の約6割を占め、売り上げが伸びなかった。

そのため2006年度は無料券を大幅に減らし、有料の入場者数を増やす事で売り上げを増やす方針を採った。またその他にも前年の反省を踏まえて、集客の多い金土日の三連戦を基本に日程を組み、香川の主催試合でシャトルバスを運行するなど利便性の向上に努めた。しかし、新たな需要を掘り起こすには至らず、最終的に2006年度のリーグ戦180試合の平均入場者数は806人、リーグチャンピオンシップ4試合の平均観客数は1835人だった。前年の1試合あたりの入場者数1068人を下回ったが無料券の配布を前年より抑えたため全体の入場料収入は改善された。ただし採算ラインと予想されていた1試合あたりの入場者数1500人からは大きく下回る結果であった。

2007年度のリーグ戦180試合の平均入場者数は1100人となり、リーグ記録を更新した(リーグチャンピオンシップ2試合の平均は2000人)。10月31日のリーグ首脳の記者会見によると観客の約4割が無料券によるものである。まだ採算ラインには届かないものの、2006年の分社化により各チームが取り組んできた集客策が功を奏し始めたといえる。一方、チームの置かれた環境による格差も拡大し、香川は1試合の平均が1500人を超え(初年度の愛媛以来)、愛媛・徳島も1000人台を確保したのに対し、高知は前年に続いて500人台に留まり、後述の経営問題の要因となった。

2008年度はリーグ拡張による集客が期待されたが、新加入の九州2球団はいずれも1試合平均が500人前後にとどまった。また新たな経営者を迎えた高知も前年よりもさらに少ない1試合平均338人となり、依然として厳しい状況が続いている[11]。このほか、無料券の配布を前年より抑えた影響もあり、リーグ戦240試合の平均入場者数は886人と前年の水準を下回った。四国4チームに限ると1076人で、比較的安定した動員の香川・愛媛・徳島の3球団も前年より微減となっている。リーグチャンピオンシップ3試合の平均入場者数は3009人で過去最多だった。

2009年度はリーグ全体での入場者数は前年より12%減の18万7688人(1試合平均782人)で、1試合平均の数値はリーグ発足以来最低となった。優勝した高知・長崎は前年比で増加となったが、従来安定した動員であった香川・愛媛・徳島の落ち込みが大きかった。リーグチャンピオンシップ3試合の平均入場者数は897人であった。

選手の実力の低さがリーグへの関心が盛り上がらず集客が低迷を続ける一因とする指摘もある要出典。しかし、当リーグから移籍した選手も所属し、選手レベルは近いと考えられるBCリーグでは観客動員は当リーグより高い水準で推移しており、選手レベルとは異なる要素(統計的調査は存在しないが、地域人口、集客施策、地元経済界の支援を含めた経済力などがあげられる)に集客要因があることを示している。

NPBへの選手輩出人数

5年間で合計350名弱の選手が所属した中で、NPBから指名があったのは育成選手としての指名を含めても20名にとどまる。当初に比べて指名者の数は増加しているが、累計では6%程度となる。

リーグ初年度終了の頃には、指名が少ない理由の1つとして「アイランドリーグ選手の実力がどの程度か分からない」といった声があげられていた。そのため、2005年11月に行ったサーパス神戸(オリックス・バファローズ (ファーム))との練習試合を皮切りに、2006年以降もNPB2軍チームとの交流戦を頻繁に行い、NPB関係者へのアピールの場としている。近年は選抜チームや単独チームで勝利を収めるケースも見られるようになっている。2007年からは、10月に開催される教育リーグのフェニックスリーグにアイランドリーグ選抜チームが参加している。初年度は3勝8敗1分で14チーム中12位、2008年は7勝4敗1分で14チーム中3位、2009年は4勝8敗で16チーム中14位であった。

過去4年間で支配下登録された選手からはまだ一軍に定着した選手は現れておらず、2008年からは戦力外通告を受けた選手も発生している。後発のBCリーグ出身の内村賢介が2008年に一軍定着を果たしており、今後リーグ出身者の中からNPBで活躍できる選手がどれだけ出てくるかが新たな課題となっている。リーグ創設以来1年を除いて2球団で監督を務めている西田真二は、2008年5月23日に放映された日本BS放送の番組「大人の自由時間」の中で、「チームでは社会人野球のトップクラスの方がまだ(レベルが)高いところもあるし、個人的な能力でも各チームによって差がある。だがトップクラスになれば、社会人の一流どころ(と互角の選手)もいるのではないか。プロ(NPB)でもやれる力はある。ただ一軍で本当の実績を上げた選手がまだいないので、その辺が今からだと思う」と述べている。

選手育成と地域密着との両立

当リーグは「地元ファン拡大」を目指しつつ人気・集客を第一にする「興行としてのプロリーグ」の側面と、日本野球機構 (NPB) 入りできる選手の育成にあたる教育リーグの側面とを合わせ持っている。

リーグ発足当時、リーグの紹介においては「プロ野球選手を目指している若者に、夢を追いかける場所を提供する」ことが「最大の目的」として掲げられていた。この点に関しては、以下のような懸念も指摘されていた要出典

  • プロを目指す選手個人のレベルアップと能力のアピールを行う必要から、ベンチも試合において勝利優先の采配を振るとは限らない。このため各チームの勝敗や順位、リーグ優勝の価値が相対的に低下し、試合に対するファンの関心は薄いものになるのではないか。
  • 多くの選手に対してチャンスを与えるという目的もあって選手の入れ替わりが激しく、地元の人たちに顔や名前も知られぬまま辞めて行くため、地元ファン拡大に対してマイナスに作用しているのではないか。

こうした状況に対し、前後期制を導入した2年目のシーズンからは、集客の要請もあり各チームとも従来より勝敗を重視する傾向が見られるようになった。さらに、リーグ自体も当初に比べて地域密着という傾向を強め、現在は「リーグの役割」として「野球界の底辺拡大と選手の育成」と「地域の活性化と地域貢献、地域における人材育成」が二本立てでうたわれている。「チャレンジの場の提供」という言葉は残っているものの「最大の目的」という表現は見られなくなった。当初構想にあった在籍制限の見送りや年齢制限の緩和もそうした変化の一環といえる[12]

戦力の整備という点においては、元NPB選手や外国人選手の受け入れに加え、リーグ内での選手の移籍も2年目から実施されている。これらの措置はチーム力の向上や他の選手への刺激という点で効果が見込まれる一方、発足当時と比較してチーム間の戦力格差も目立つようになってきている。また、契約中途での退団者の数は減少傾向にあるものの、頻繁な選手の入れ替わりは「教育リーグ」という性格から今後も避けられない点である。

いずれにせよ、チーム力の向上による地元密着やファンの拡大と、選手の育成という二つの理念をいかにして両立させていくかが課題といえる。

球場の照明設備

リーグ発足前のIBLJの構想では各県庁所在地にフランチャイズを置き、リーグ戦は主にナイトゲームで開催する予定だったが、四国内の球場の実状が明らかになると、この構想は見直しを余儀なくされた[8]。リーグ発足当時、四国内でプロ野球公式戦のナイトゲームを開催できる球場は、愛媛県の松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)と香川県の香川県営野球場(サーパススタジアム)の2か所しかなかった。当時の徳島県内の硬式野球場のナイター設備は軟式野球用の照度で、硬式野球に適した明るさではなかった。高知県内にいたってはナイター設備のある硬式野球場は1か所もない。また、これらの球場はアマチュア野球が頻繁に使用しており、球場の確保にあたってはアマチュア野球の関連団体との交渉が必要となった。

そこでIBLJは各県の事情を考慮して、リーグ戦開催球場の確保に務めた。1年目の2005年度リーグ戦では、高知県内での開催球場は8か所に分散してデーゲームを、徳島県内では主に夕方に開始し試合途中から照明を入れるトワイライトゲームを、愛媛県と香川県では主にナイトゲームを開催した。2006年度リーグ戦は徳島県内の開催球場のうち、鳴門球場では主にナイトゲームを行った。

しかし、地元ファンからは「夏場のデーゲームは観戦に不向き」「仕事の関係でナイトゲームしか観戦できない」といった声があった。また照度が暗い球場で試合を行う場合、選手のプレーに影響が出るほか、打球の行方がわかりにくいためファウルボールが観客に当たる恐れがある。そのため、2005年のシーズン中に地元ファンが中心となって、高知ではナイター設備の新設、徳島ではナイター設備の照度改善の、それぞれの署名活動が行われた。

その後、徳島県では阿南市に硬式野球用のナイター設備を完備した徳島県南部健康運動公園野球場(アグリあなんスタジアム)が2007年5月に完成し、徳島インディゴソックスが主催試合を行っている。2007年度は5試合(うちナイトゲーム1試合)が開催され、2008年度はホームゲーム40試合の半数以上に当たる23試合が開催された。これにより徳島の照明設備については一応の解決をみている。

一方、高知については地元自治体の財政事情などからナイター設備の設置が具体化しておらず、ナイターが開催できないことが観客動員、ひいては運営に大きな影響を与えているという見方も強い。高知球団では2007年11月より、10万人を目標に照明設備設置を求める再度の署名活動を行った。2009年3月30日、高知県の尾崎正直知事は記者会見で高知市内の野球場への照明設備設置を求める県議会超党派の「スポーツ振興議員連盟」の要請に対し、「前向きに進むということで考え始めなければならない。迷っている段階ではなくなったのではないか」と述べて、設置に向けて高知市などと協議する考えを明らかにした[13]。これを受けて高知市は同年4月22日に「野球場照明設備建設検討委員会」を発足させた。委員会は同年11月に、高知県立春野運動公園野球場を照明設置の第一候補とすることを決定した。今後予算が付けば2010年度に着工の予定で、完成すれば懸案だったナイターの開催が可能となる[14]

なお、香川県営野球場は漁業関係者への配慮から、ライト側の照明1基につき現在のところ点灯しない状態で試合を行っている。これについては特に改善を求めるような動きは公には出ていない。

また、2008年から加入した九州の2チームについては、長崎はメイン球場である佐世保野球場、福岡は小郡市野球場北九州市民球場など、いずれもナイトゲーム可能な球場を確保している。

選手を取り巻く環境

現在、四国・九州アイランドリーグ各球団は自前の練習施設をもっていない。スタッフ、選手は練習場所の確保に苦労している。また、徳島のように公共の練習場所が少ない地域もあり(主に河川敷グラウンドを使用)、選手達がいつでも自由に練習ができる環境とはお世辞にも言えない。また、選手達の食生活については、自炊をしたり地元ファンの好意による食事の提供をうけて、少ない給料からやりくりしている。このような事情から、選手のコンディション作りには環境の整備が必要とされる。施設の充実には多額の費用がかかり、現状厳しいが、リーグと地元が一体となって選手をサポートする体制作りが望まれる。

高知・長崎・福岡の経営問題

上記のような事情の中で、運営環境がもっとも厳しい高知は、四国4チームが2006年に分社化した後も全額をIBLJが直接出資して運営するスタイルが取られてきたが、その負担が厳しくなってきたことから、2007年9月に経営者を一般公募することがIBLJから発表された。これを受けて同年10月22日に大阪の不動産会社タップの北古味鈴太郎社長が新たなオーナーとなり、大阪の整水器メーカー日本トリムがチームスポンサーとなることがリーグから発表された。チーム休止の危機はひとまず回避されたが、北古味新オーナーはチームの経営期間を「当面2年」としており、この間に経営状況が好転しない場合、存続問題が再燃する懸念が残された形になった[15]。2年が経過した2009年のシーズン終了時点では、2010年も引き続きリーグに参加する予定となっている。

また、2008年より加入した長崎は観客動員が予想を下回った上、十分な支援企業が得られておらず、2008年9月には来シーズンのリーグ脱退の可能性が報じられた。その後10月29日になって、リーグより2000万円の支援を受けた上で引き続きリーグに参加することが発表された。しかし、スポンサーからの支援とリーグからの分配金が大幅に減少したことで再び経営難が浮上し、2009年8月には再度リーグ脱退の可能性が報じられる状況となった。10月になり、資金にめどが立ったとして来季もリーグに残る見通しであると伝えられた[16]

一方、九州のもう1球団である福岡については、2009年10月30日に、来シーズンのリーグ戦参加を取りやめ、事務所のみの「準加盟球団」に移行することが発表された。現在の選手のうち希望者は救済ドラフトにより他チームに移籍し、新たなスポンサーを探して2011年の復帰を目指すとしている[10]

メディアへの露出

特に大きな問題点であるメディアでの取り上げ方についてはそれぞれの情報媒体および地域によりかなりの格差が生じている。以下、主として2007年までの四国時代の状況を説明する。

新聞

新聞に関して、初年度は四国4県の地元紙でも取り扱いに大きな差があり、高知新聞では自社サイト上で試合結果、試合への記者独自の解説、特集・連載を掲載した一方で、愛媛新聞四国新聞のサイトではほとんど扱われなかった(四国新聞はプロバスケットボールリーグ・bjリーグ高松ファイブアローズの方に紙面を大きく割いている)。この地元新聞での露出度の違いが初年度、高知の開催が最も当日券入場者の割合が多いといわれた要因の一つと考えられる。しかし、2年目では地元4社全てのほか、読売新聞大阪本社でも記事にしており、新聞での露出はかなり多くなってきている。2008年に加入する九州2球団については西日本新聞西日本スポーツ長崎新聞といった地元メディアのほか、読売新聞西部本社も記事にしており、四国4球団の発足時と比較すると露出度の格差は少なくなっている。

ラジオ

地上波AMラジオに関しては、数試合中継がある程度だが、2006年はNHK高松放送局にてAMローカル放送で、オリーブスタジアムで開催の金曜日のナイター試合に限って「ガイナーズナイター」と銘打ったオリーブガイナーズ贔屓で放送する中継を行っている。これは広い意味での定期放送にあたり、アイランドリーグ初の定期ラジオ中継となった。2007年からは西日本放送(RNCラジオ)でも、不定期の日曜にデーゲームを、月曜にナイターをそれぞれ中継しており、6月までに3試合が放送された。9月には初めて日曜日のナイター中継を実施し、全国ネットのプロ野球中継(TBSラジオ制作の横浜- 巨人戦)のネットを行なわなかった。一部コミュニティFMでも野球中継への動きはあるものの、実況アナウンサーや技術、営業の問題もありまだ放送まで至っていない。

インターネット

インターネット分野においては、2006年より「四国・九州ILウェブスタジアム」[17]の名称でインターネット中継による試合配信が始まったものの、配信されている試合数は録画映像のみでかつ試合数も少なく、今後の配信試合数の増加とライブでの配信が期待される。

テレビ

地上波テレビでの中継は、初年度開幕の愛媛対高知の試合がテレビ愛媛の制作で高知さんさんテレビにネットされた。2年目は、初年度優勝の高知対徳島の開幕試合がテレビ高知で放送された。ケーブルテレビでは十数試合放送されており、四国内のケーブルテレビネットワークにて配信・放送されている。

香川を中心に番組数を増やしつつあるラジオと比較するとテレビ中継はまだまだ不十分であり、その拡充に力を入れる必要がある。民放テレビでは、四国4県に同一ネットワークで存在するのは日本テレビ系列およびNHKの2者であり、この両者に「四国4県一括」での報道、中継(ビジター戦をその地元へネットなど)に期待がかかるものの、香川地区のテレビ中継を担当する西日本放送は岡山も放送エリアであり香川、四国だけの内容が放送しづらい面があり、また株式会社IBLJの株主にフジテレビ系列岡山放送が入っている[18]こともあり、岡山放送側が株主としての立場から放送権を主張した場合、地上波テレビでの四国4県一括放送には困難が生じる可能性も否定は出来ない。しかし、岡山県でも球団設立の構想があり、実現すれば香川と跨っての放送での問題はなくなる。また、現状ではどの局もテレビ中継をほとんど行っていないことや、日本テレビ系列の各局はラジオも兼業でテレビよりもラジオ中継をメインとして放送していることから、現時点ではこの点への心配は少ない(しかし、それは「民放でのテレビ中継の無さ」によるものであり、少し残念な意味合いとなってしまう)。また、徳島県に至っては民放が四国放送一局しか存在しないこともあり、民放で中継する場合は日本テレビ系列への交渉が不可欠となる。以上から、テレビ中継に関してもNHK各放送局への期待は大きい。

一方、CSについては、2008年4月よりスカイパーフェクTV!において徳島の試合の録画を含めた応援番組を、週1回1時間枠のペースで放送することが同年1月に発表された[19]。実況中継ではないが、CS局でアイランドリーグの番組を放送するのは初の試みであり、今後の展開が注目される。

2008年5月、デジタルBS放送をおこなう日本BS放送(BS11)が、アイランドリーグの一部の試合やグランドチャンピオンシップを地元ケーブルテレビ局などと共同で放映すると発表した。同年7月31日に、9月12日に開催される香川対愛媛戦を9月14日に録画で放送することが正式に発表され、実際に放映された。

提携・拡張(構想を含む)

2007年以降、NPBや新たに誕生した他の独立リーグとの提携や拡張の構想が報じられるようになっている。

NPB

2007年6月に千葉ロッテマリーンズボビー・バレンタイン監督が、アイランドリーグの1チームを買収して2軍選手を育成する構想を表明した。このときは球団側がこれを否定したが、ロッテ球団は同年10月1日のプロ野球実行委員会で、徳島に育成選手5~8名を派遣する構想を明らかにした。実行委員会では結論を保留し、決定は次回以降に持ち越しとなった。

この構想に対しては、社会人野球側から「育成選手制度の本来の趣旨と異なる」との指摘が出ており、NPB内のほかアマチュア野球側とも調整が必要な状況となっている。また、他の一部の球団からは「(イースタン・リーグの混成チームである)フューチャーズの活用が先ではないか」といった意見が出ており、2007年11月6日のプロ野球実行委員会でも継続審議となった。ロッテの瀬戸山球団社長は育成選手を獲得した上で実現に向けて努力を続けるとコメントしている。ロッテはこの構想に沿って11月11日に公開のトライアウトを実施し、アイランドリーグからも複数の選手が参加した。そして、11月19日のドラフト会議でリーグ出身者3名(高知2名、徳島1名)を含む5名を育成選手枠で指名した。

その後この構想についての進展は見られておらず、2007年に指名された育成選手のうち支配下登録されていなかった4名(うち2名がアイランドリーグ出身)が2009年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

ベースボール・チャレンジ・リーグ

2007年に発足したベースボール・チャレンジ・リーグ(旧北信越BCリーグ)との間では、シーズン中に交流戦が実施された。

また、同年よりシーズン終了後、両リーグの優勝チーム同士の間で「グランドチャンピオンシップ」(5試合制)が実施されている。初年度は香川オリーブガイナーズが3勝1敗で優勝、2008年も香川が3勝2敗で連覇した。2009年は高知が3勝2敗で制し、リーグとして独立リーグ王座を守った。

関西独立リーグ

2009年に発足した関西独立リーグとの間では開幕前にオープン戦が個別のチームの間でおこなわれた。グランドチャンピオンシップにも参加する方向で検討が進められたが、最終的に2009年度については不参加となった。

ジャパン・フューチャーベースボールリーグ

2010年に発足予定のジャパン・フューチャーベースボールリーグ(JFBL)とは、2010年のシーズンに各チームがJFBLと12試合ずつ(大阪三重と各6試合ずつ)の交流戦を行うことが2009年12月1日に双方から発表された。リーグの公式発表では「交流戦」としか記載していないが、新聞では「公式戦の順位に反映させる」と報じられている[20]

九州リーグおよび拡張構想

2008年の発足を計画していた九州リーグとは、2007年に業務提携を目的としたパートナーシップ契約を結んでいた。クラブチームだった長崎セインツとはアイランドリーグと練習試合・交流試合を複数回実施した。しかし、予定されていた九州リーグの発足が困難になったことから、同年10月24日には長崎セインツと福岡の新球団を加えた6球団で2008年のシーズンを開催することが発表され、2007年12月1日よりリーグ名称が「四国・九州アイランドリーグ」に変更された。九州の2球団はIBLJとは別の運営会社が統括し、両社が業務提携を結ぶ予定と報じられていたが、2008年のシーズン終了時点では九州側の運営会社は具体化しておらず、リーグ事務局の「九州オフィス」という形で存在していた。2009年1月30日をもって「所期の目的は果たした」ことを理由に九州オフィスは閉鎖された。今後九州に運営組織を設けるかどうかは未定の状態である。

新加入の球団に対しては、戦力均衡を図る必要から2007年11月に既存の4チームの選手を対象とした分配ドラフトエクスパンション・ドラフト)が実施された。

また、九州への拡張の発表に合わせて、2009年度に岡山・宮崎の2球団を加えた8球団とし、将来は西日本16球団でリーグ戦を行う構想も明らかにされた。このうち、岡山については2008年1月に地元の企業経営者ら有志による準備組織「チーム岡山球団設立推進委員会」が発足した[21]。また、宮崎についても専門学校を運営する川越宏樹が「スポンサー企業が見つかればチームを発足させたい」という意向を表明した[22]

その後、岡山については2008年9月の設立推進委員会の会合で「2010年の加入を目指す」と加入時期が以前の構想より1年後に変更された[4]。2008年10月31日のリーグ首脳の記者会見では、岡山・宮崎は2010年の加入を目指して準備中との見解が示された。

2009年10月30日のリーグ首脳の記者会見では、宮崎は福岡と同じ「準加盟球団」に2010年シーズンから参加し、2011年からのリーグ戦参加を目指すとされた。また、岡山と熊本が「準備室開設段階球団」に2010年シーズンから参加し、2010年以降の準加盟球団入りを希望しているとされた[10]。このように、経営環境の悪化から拡張計画は従来の予定よりも遅れる形になっている。

年度別順位

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 リーグチャンピオンシップ
2005 高知 徳島 香川 愛媛      
2006 前期 高知 香川 愛媛 徳島      
後期 香川 高知 愛媛 徳島      
総合 香川 高知 愛媛 徳島     香川(5戦制・3勝1敗)高知
2007 前期 香川 愛媛 高知 徳島      
後期 香川 愛媛 高知 徳島      
総合 香川 愛媛 高知 徳島     香川(5戦制・2勝0敗)愛媛
2008 前期 香川 高知 福岡 愛媛 徳島 長崎  
後期 愛媛 高知 香川 福岡 長崎 徳島  
総合 香川 高知 愛媛 福岡 長崎 徳島 香川(5戦制・3勝0敗)愛媛
2009 前期 長崎 香川 愛媛 福岡 高知 徳島  
後期 高知 香川 福岡 長崎 愛媛 徳島  
総合 高知 長崎 香川 福岡 愛媛 徳島 高知(5戦制・3勝0敗)長崎

注:2006年度以降は前・後期の総合順位。香川はリーグチャンピオンシップを制して優勝。2007年度の香川はレギュラーリーグ前・後期完全優勝し1勝分のアドバンテージがあったため、2勝で総合優勝となった。

放送媒体

四国・九州アイランドリーグのレギュラーゲームを一部地上波局やCATVで中継を行なっている。

香川

地上波テレビ・ラジオ(いずれもホームゲーム)
  • 岡山放送(IBLJ株主企業のひとつ、香川オリーブガイナーズの応援番組(GO!GO!ガイナーズ)もレギュラー放送されている)
  • 西日本放送(RNCラジオで日曜日のデーゲーム中継や月曜日のナイター中継を不定期で実施(GO!GO!オリーブガイナーズ))
  • NHK高松放送局(「NHKガイナーズフライデーナイター」と題して不定期金曜日のナイター中継を実施)
CATV

徳島

地上波テレビ・ラジオ(ホームチーム)
  • 四国放送(ラジオ中継。また、テレビで2008年4月より応援番組を放送)
CATV
CS

高知

地上波テレビ・ラジオ(いずれもホームゲーム)
CATV

愛媛

CATV

スポンサー

オフィシャルスポンサー

オフィシャルサプライヤー

オフィシャルパートナー

IBLJ株主

脚注

  1. 日本プロ野球、2005年の2次ドラフトを開く - ウィキニュース
  2. 2010年四国・九州IL準加盟球団カテゴリー新設と新設に伴う福岡球団所属選手救済ドラフトについて ‎2009年10月30日‎
  3. 球団本社は藍住町に所在。
  4. 4.0 4.1 四国新聞:福岡 参戦見送り(2009年10月31日)
  5. 2007年のシーズンからは他県所属者が発生。
  6. 2008年のドラフトでNPBに入団した金無英は日本の学校を卒業したため日本人選手扱いである。
  7. 毎日新聞:「野球独立リーグ/中 香川、リピーター増」(2007年11月10日)
  8. 8.0 8.1 四国新聞:カギ握る地元支援-野球独立リーグ(2004年10月1日)
  9. (株)IBLJ代表取締役社長退任に際し 石毛宏典コミッショナーのコメント(2007年3月12日付のプレスリリース)
  10. 10.0 10.1 10.2 日刊スポーツ:福岡が資金難で来季四国・九州IL不参加(2009年10月30日)
  11. ただし、高知球団は本年度よりそれまでリーグの慣行だった「観客数に選手・スタッフ・ボランティアを含める」ことを取りやめ、完全な実数のみに変更している。高知新聞2008年11月9日
  12. 山本健士深沢和帆のように、いったん離脱した後に再度リーグに復帰する選手も現れている。
  13. 高知新聞:球場照明設備「前向きに」知事(2009年3月31日)
  14. 県立春野球場:延長戦もゆっくり観戦 ナイター設備、来年度中にも着工へ毎日新聞2009年11月21日付
  15. 高知新聞:高知のニュース:スポーツ:高知FD存続 2年後の“再燃”懸念(2007年10月23日)
  16. 読売新聞:九州スポーツ:IL長崎 来季も参戦、大手企業と提携 資金にめど(2009年10月22日)
  17. 公式サイトは『四国・九州ILウェブスタジアム』 映像ラインナップ
  18. [1]
  19. 徳島新聞:スカパーで応援番組 四国・九州IL徳島、4月開始へ業務提携(2008年1月11日)
  20. 関西・東海地区独立Lと交流戦/来季、四国・九州IL(四国新聞2009年12月2日)
  21. 山陽新聞:岡山にプロ野球球団、09年 独立リーグ参入目指す(2008年1月8日)
  22. 徳島新聞:岡山で球団設立準備、四国・九州IL来年加盟へ 宮崎でも動き(2008年1月10日)

関連項目

外部リンク