飯島愛
いいじま あい 飯島 愛
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プロフィール | |
別名 | |
愛称 | 愛珍(あいちん) |
生没年月日 | 1972年10月31日 - 2008年12月17日(-歳) |
出身地 | 日本・東京都江東区 |
血液型 | A型 |
民族 | |
瞳の色 | |
毛髪の色 | |
公称サイズ(出典不明) | |
身長 / 体重 | 163cm/ 43kg |
スリーサイズ | 86 - 56 - 85 cm |
ブラのサイズ | - |
股下 | - cm |
靴のサイズ | - cm |
備考 | |
活動 | |
デビュー | 1992年 |
ジャンル | タレント、AV女優 |
モデル内容 | ヌード |
備考 | 1992年 - 2007年 |
他の活動 | |
その他の記録 | |
外部リンク | |
データベース | FMD , IMDb |
飯島 愛(いいじま あい、1972年10月31日[1] - 2008年12月17日〈死亡推定日〉)は、日本の元AV女優、タレントである。本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)[2]。株式会社Thesis元代表取締役。東京都江東区出身。瀧野川女子学園高等学校中退。元ワタナベエンターテインメント所属。
経歴
デビュー以前
東京都江東区の亀戸で生まれ育つ。教育熱心で躾に厳しい両親に育てられ、小学校の頃は成績が良くおとなしい子であった。中学に入学してからも成績は学年で常に10番以内を保っていたが、中学1年の頃に精神的な支えでもあった祖父が亡くなったことで精神のバランスを保てなくなり、それが原因で両親からのプレッシャーに耐え切れなくなって非行に走るようになった。
中学在学中から不良仲間と毎晩ディスコ等で夜遊びに耽るようになり、遊ぶお金の為に万引きやカツアゲを繰り返す生活をしていた。高校には入学したものの全く通学しておらず、すぐに中退する。中学卒業前後には既に家出同然の状態であり、家出後の彼氏との短い同棲生活等を経て、六本木でホステスとして働いていたところをスカウトされ、1992年にAV女優となる。芸名は水商売時代に所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる。
(以上は著書『プラトニック・セックス』の記述による)
芸能界引退まで
AVデビュー後、『とんねるずのみなさんのおかげです』のスタッフととんねるずの木梨憲武が彼女のファンであったことから、同番組にハプニングゲストとして出演したことがテレビ番組初出演となった。1992年2月から深夜番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)にレギュラー出演し、スカートをめくりTバックを見せるのが話題となって「Tバックの女王」と呼ばれた。
1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱された。
1994年頃、AV女優を引退。テレビ番組への出演等によってタレントとしての知名度を得たことで、引退後は完全にタレント業へと転身を果たした。
2000年、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害、AV出演や性病感染、中絶手術、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。「週刊朝日」にコラム『飯島愛の錦糸町風印税生活』を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。『あんたにグラッツェ!』にゲストとして最も多く出演した人物である。2000年の流行語大賞においてトップテン入選した「ワタシ(私)的には…」で、「この言葉の使い手として一番ふさわしい有名人」として授賞式に出席した。
2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。
芸能界引退
2007年3月3日、「飯島が3月末で芸能界を引退する」という報道が流れ、飯島の所属事務所もこの内容をFAX回答で認めた。飯島は同4日に生出演した『サンデージャポン』でこの件について「いつかは引退する」と発言するも時期については明言しなかった。しかし翌週(3月11日)の放送で飯島は3月末をもって引退することを自ら発表した。その後腎臓病(腎盂炎)であることも報道され、それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている。
『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だったが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃に能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道したため、飯島最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島本人が出演した場面は3分(予告編のみ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう」と綴っている。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、翌週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語り、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた。
そしてVTRの最後では、高橋ジョージが飯島のために「ロード」を熱唱し、飯島はみんなへの感謝のメッセージを贈った。
2007年3月31日、「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。飯島は引退後も「飯島愛」としてブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル』を続け、飯島の没後も連日ファンのコメントが書き込まれ続けており、故人を偲ぶ宝物のような存在になっていたが、2015年9月18日に放送された『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS)で、ブログを管理している両親の意志によりブログを閉鎖することが発表され、存命であれば43歳の誕生日となる同年10月31日をもってブログは閉鎖された。最終日になっても書き込みは続いており、翌11月1日午前0時時点での最終的なコメント数は約72700件に達した。
死去
2008年(平成20年)12月5日、最後のブログを更新する。2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの自室で亡くなっているのが親戚の女性によって発見された。その後、警察などの捜査によって、発見時現在で死後1週間ほど経過していたことが判明した。死亡推定日は発見日である12月24日から起算して12月17日前後であると考えられている。36歳没。2009年(平成21年)2月4日、東京都監察医務院による病理検査の結果が警視庁渋谷警察署より発表され、死因は肺炎であったことが判明した。真冬ではあったが、室内の暖房が点けられたままであったため、死体は腐乱していたという。
2009年2月6日、『中居正広の金曜日のスマたちへ』300回記念スペシャルにて追悼特集を放送。中居やベッキー、大竹しのぶら出演者が「お別れ会」という形で最後のメッセージを贈り、涙ながらに飯島の死を追悼した。
飯島愛の本葬(お別れの会)が、2009年3月1日、東京プリンスホテルにて執り行われ、親交のあった芸能人をはじめ約1500人が参列した。弔辞は島田紳助と中山秀征がそれぞれ読んだ。なおこの時の模様は、かつて中山が飯島と共に司会を務めた『ウチくる!?』内で生放送された。
人物・エピソード
AVデビューを果たして『ギルガメッシュないと』に出演し始めた頃は、当初新人ということもあり、若さを前面に押し出したアイドル的(いわゆるぶりっ子的)な仕草や口調のキャラクターとして振る舞っていたが、その中で徐々に等身大の本音の部分を垣間見せるような芸風を確立していった。AV女優を引退してタレントに転身した後はアイドル的な振る舞いをすることはなくなったが、ギャル的な口調で等身大の本音を語る芸風はその後も継続された。
タレント転身後の飯島側は、飯島の元AV女優としてのイメージを払拭しようとする戦略を取っていたらしく、タレントに転身してから2000年に著書『プラトニック・セックス』でカミングアウトを果たすまでの間、飯島の元AV女優としての経歴は芸能界では公然の秘密となっており、飯島本人はもとよりテレビ番組での共演者もその経歴について触れることが一切なかった。
タレント転身以降のテレビ番組への出演の際は、露出の多い服装でボディラインや脚線美を魅せる「お色気担当」として活躍すると同時に、クイズ番組等では珍解答を連発する、いわゆる「おバカタレント」としても活躍した。
ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになることが多かった。例としては『スパスパ人間学!』『決定!これが日本のベスト』『ロンドンハーツ』等がある。
受賞歴
- 2000年新語・流行語大賞トップテン入賞(「ワタシ(私)的には…」)
- 2008年(第9回)ビートたけしのエンターテインメント賞特別賞