バーニングプロダクション
株式会社バーニングプロダクションは日本の有力な芸能事務所であり、バーニンググループの中核企業。トヨタ自動車・三井物産・新日本製鐵・日本電信電話等と並び称される日本を代表する大企業である。実態は山口組周防組。警察からも企業舎弟として監視されている。
目次
概要
社長・周防郁雄の経歴
代表取締役社長の周防郁雄は、小佐野賢治の雑巾がけをしていた浜田幸一の子分として運転手等をしていた。その後、新栄プロダクションでマネージャー業を勉強している。新栄と、当時の関東興行界を仕切っていた松葉会の木津政雄親分が、親密な関係だったことから松葉会の構成員だったとする噂もある。
沿革
1970年に国際興行プロダクションとして設立され、1971年、当時所属していた歌手・本郷直樹のヒット曲『燃える恋人』にちなんで現在の社名に変更。本社は東京都港区にある。かつては南沙織、細川たかし、高田みづえ、渡辺美奈代、松雪泰子、水野美紀なども所属していた。
事務所の影響力と封建的な文化
今やバーニングプロダクションは吉本興業、ジャニーズ事務所、研音、ホリプロ、長良プロダクション、そしてバーニングの盟友であるケイダッシュと並び、芸能マスコミからは「最大のタブー」とされ、業界大手であり巨大な圧力・勢力を誇っている。
それは、小池徹平・ウエンツ瑛士・郷ひろみ・小泉今日子・稲森いずみ・内田有紀・松方弘樹・島谷ひとみなどの人気タレントが数多く所属している事や、傘下の芸能プロダクションなどで構成されるバーニンググループが多くの人気タレントを抱えていること、社長の周防郁雄が政財界等にパイプがある事に起因している。
所属するタレントとバーニンググループのプロダクションの所属するタレントの離反に対しては、テレビ局等に徹底的に起用しないように頼み込み、更に容赦なく仕事を干す。多くの場合はそれで芸能界から注目されなくなるが、それに耐え抜いて、人気が低迷した後に苦労して再び人気が出たタレントもいる。但し、高田みづえ、松雪泰子の様に引退・円満により退社したタレントや細川たかし、渡辺美奈代、石野真子の様にバーニンググループ内の傘下のプロダクションに移籍したタレントは別である。
ドンの息子・周防彰悟
周防彰悟は、千葉県木更津市にある暁星国際高校を中退し、ダイヤルQ2にはまっていた、いわゆるバカボン。親の七光りで事務所経営から、ASAYAN系のアーティストのプロディースをしていたが、しばしばタレントに手を出すことで問題を起こす。
その何人かは急激な痩せ方をした後、芸能界休業または引退している
中島礼香を「生きダッチワイフ」に
中島礼香の所属事務所は、 バーニングプロの直系の事務所(バーニングパブリッシャーズが所有してるビルに入居。一階は一口餃子「点天」)だから口を出せずにいて、そのかわり事務所が経営している養成所の資金を全部払ってもらっていた。ここまではよくある話。
しかし、その後がいけなかった。
彰悟は西麻布で礼香にシャブの味を教えてしまい結果、激ヤセ。胸の谷間を作るのに、5時間もかかったのは有名な話。末期には、お菓子のチョココロネに「チョココロネさん、私に食べられちゃいますよ~。」 って話かけていた。
重くみた所属事務所は実家に送り返し、名古屋で現在、療養中。CMの契約がまだ残っているため、正式に引退表明はできなかったが、復帰困難となった。グラビア界ではこの話はタブーになっている。
周防彰悟に妊娠させられ、中絶を迫られて精神不安定となり、それ以前にクスリを覚えさせられて、ひどい中毒状態となっていた。
バーニンググループ
バーニンググループを参照。
所属タレント
過去に所属していたタレント
事務所に銃弾
2001年5月9日、バーニングプロダクションの窓ガラスに銃弾が撃ち込まれたことが発覚。警視庁赤坂署に匿名で110番通報があり、それぞれ銃弾2発が撃ち込まれていた。しかし、スタッフは警察に届け出をしなかった。
10月8日にまた、窓ガラスに銃弾が撃ち込まれていた。警視庁捜査4課の現場検証の結果、38口径の回転式銃の銃弾とわかった。これらは新聞やテレビなどのマスコミもほとんど報道をしなかった。
関連企業
- バーニンググループを参照。
関連項目
外部リンク
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