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'''南相馬市'''(みなみそうまし)は、[[日本]]の[[太平洋]]沿岸北部、[[福島県]]に所在する[[市]]である。 | '''南相馬市'''(みなみそうまし)は、[[日本]]の[[太平洋]]沿岸北部、[[福島県]]に所在する[[市]]である。 |
2020年1月12日 (日) 23:09時点における最新版
南相馬市(みなみそうまし)は、日本の太平洋沿岸北部、福島県に所在する市である。
概要[編集]
2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した。旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して住所に名称をほぼ残している。
当初、小高町・鹿島町・原町市の合併協議は飯舘村を含めた旧・行方郡(なめがたぐん)で行われ、新市名には「行方市」も候補に挙がっていた。ちなみに、合併が実施された前年の9月2日に茨城県にあった行方郡(読みも同じ)の3町が合併し、行方市が誕生している。
福島県沿岸最大の都市いわき市と宮城県仙台市との距離はそれぞれ約75kmで、両市のほぼ中間に位置する。地方紙『福島民報』『福島民友』の2紙ともに支社を置いている。
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大会が開催される。SF映画『戦国自衛隊』の撮影に使われ、市内の高校生がエキストラとして協力している。
関東大震災を最初に世界に伝えた原町区の原町無線塔は、高さ約200mで、当時アジアで最も高い建築物だった。しかし、老朽化などから1982年(昭和57年)に解体され、現在は原町区に1/10スケールの記念塔である憶・原町無線塔がある。
地理[編集]
自然[編集]
- 主要な地形
広域地域区分[編集]
福島県内の地勢的かつ歴史的な地方区分である、浜通り・中通り・会津のうち、浜通り地方に属し、その北東部に位置する[1]。
福島県内の地方区分の一つである、相双(そうそう)・いわき・県北・県中・県南・会津・南会津のうち、相双地方に属する[2]。
隣接している自治体[編集]
市内の地域[編集]
旧・市町の区域で3つの地域自治区が設置され、一部を除いて住所表示は市名に続けて区の名称を付ける。
- 旧・相馬郡小高町→ 南相馬市小高区
- 旧・相馬郡鹿島町→ 南相馬市鹿島区
- 旧・原町市→ 南相馬市原町区
- 例 :原町市本町二丁目27番地→ 南相馬市原町区本町二丁目27番地
小高区と鹿島区にそれぞれ区役所を設置しているが、東京特別区や政令指定都市の区役所とは性質が異なり、実質は単なる市役所の支所として機能している。
- 旧・小高町役場→ 小高区役所
- 旧・鹿島町役場→ 鹿島区役所
- 旧・原町市役所→ 南相馬市役所(本庁)
歴史[編集]
近世以前[編集]
- 縄文時代前期中葉から中期末(約5500 - 約4000年前):浦尻貝塚の形成期。
- 古墳時代前期:現在の南相馬市原町区内にあたる地域に桜井古墳群が築造される。
- 伝・大同元年(806年):陸奥国行方郡にある文殊ヶ嶽の山頂に高倉文殊堂が建立される(のち、麓の高倉村(現・原町区高倉)に移される)[6]。
- 嘉暦元年(1326年):千葉一族の相馬重胤らが陸奥国行方郡に下向。小高城(在・小高区小高)を築いて居城とし、勢力を拡大。陸奥相馬氏の祖となる。
- 建武3年(1336年):北畠顕家率いる南朝勢に攻められ、北朝方の陸奥相馬氏は大敗。一族の多くが討ち死にするなか、小高城も落城する。
- 建武4年(1337年):帰国した相馬親胤が北畠顕家を破って自領を旧に復し、小高城も奪還する。
- 天正17年6月5日(1589年7月17日):伊達政宗が摺上原の戦いで蘆名義広に大勝し、南奥州に覇を唱える。陸奥相馬氏本領はこれにより、伊達氏と直接対峙する地勢となる。
- 慶長2年5月(1597年6月):相馬義胤が、280年間陸奥相馬氏の居城だった小高城を離れ、北に位置する牛越城(在・原町区牛越)を修築して入城する。
- 慶長6年(1601年):徳川家康の命を受けた伊達政宗が上杉領(上杉景勝)へ侵攻する際、相馬勢は伊達勢と連携する(これが所領安堵につながったとされる)。
- 慶長7年10月(1602年11月):相馬利胤が本多正信や伊達政宗の取り成しを介して徳川家康から陸奥相馬氏の本領安堵を勝ち取り、これをもって相馬藩(相馬中村藩、中村藩)が成立する。
- 慶長16年12月(1611年12月):相馬利胤が中村城(相馬中村城。在・相馬市中村)を修築して当主居城(藩庁)とし、小高城を廃城とする。
- 承応元年(1652年)- 延宝元年(1673年):相馬忠胤治世下のこの頃、忠胤によって年中行事「相馬野馬追」に講武的色彩が加えられ、現在まで続く形式が確立される。
- 天明2年(1782年)- 8年(1788年):陸奥国全土を中心に天明の大飢饉が起こり、中村藩(相馬藩)も被害甚大。多くの領民が餓死あるいは逃散した。
近代以降[編集]
- 明治元年12月7日(1869年1月19日):陸奥国が4分立し、当地域は磐城国に属することとなる。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県によって中村藩(相馬藩)が消滅し、磐城国に中村県が成立(当地域が所属)。cf. 府藩県三治制#廃藩置県当日に存在した藩。
- 同年11月(1871年12月):磐城国のほぼ全域が磐前県(いわさきけん)に統合される(当地域が所属)。
- 1872年(明治5年):野馬原の野馬が全て狩り獲られてしまい、伝統行事「相馬野馬追」が実施不可能となる。
- 1876年(明治9年)8月21日:第2次府県統合により、福島県(旧・二本松県)・若松県・磐前県が合併して新生の福島県が成立(当地域が所属)。
- 1878年(明治11年)7月1日:相馬太田神社(在・原町区)等が相馬野馬追の再興に尽力し、内務省から開催の認可を得る。
- 1898年(明治31年)4月3日:原町(原町市本町(もとまち)の前身。現・南相馬市原町区本町。cf. [7])で日本鉄道磐城線(JR常磐線の前身路線)原ノ町駅が、鹿島村(現・鹿島区)で同じく鹿島駅が開業。
- 1898年(明治31年)5月11日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)小高駅が、原町(現・原町区)で同じく磐城太田駅(開業時駅名:高駅)が開業。
- 1921年(大正10年)7月:原町(現・原町区)に原町無線塔が完成し、磐城無線電信局原町送信所が設置される。
- 1923年(大正12年)9月1日:磐城無線電信局原町送信所が関東大震災の第一報を無線通信によって世界中に打電する。
- 1930年(昭和5年)7月8日:小高町(現・小高区)にある大悲山の石仏が国の史跡に指定される。
- 1937年(昭和12年):原町(現・原町区本町)の事業として、新田川水系野手上川流域にある???村風兼(現・相馬郡飯舘村風兼)で、風兼ダム(cf. 飯舘村#河川系。型式:アースダム)が竣工。
- 1948年(昭和23年)8月10日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)桃内駅が開業。
- 1955年(昭和30年):原町市(現・原町区)にある桜井古墳が、大塚初重率いる明治大学考古学研究室によって調査された結果、当時の知見で「日本列島で最も北に所在する、東北最大規模の前方後方墳である」とされた。
- 1956年(昭和31年)11月7日:桜井古墳が国の史跡に指定される。
- 1958年(昭和33年):建設途中の東京タワー(同年10月14日竣工)が、原町無線塔の高さを上回る。
- 1960年代末(昭和40年代前半):相馬郡小高町と双葉郡浪江町に跨る地域に、東北電力が原子力発電所の誘致を持ちかける。当時東北電力は女川原子力発電所の建設計画も進めており、宮城県女川町へ原発と付随する交付金や雇用等を取られてしまうという対抗心もあって小高町議会(当時)と浪江町議会は賛成したが、世に公害意識が芽生え始めた時期でもあり、長らく反対運動が続くことになる。1982年の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた[8](のちの浪江・小高原子力発電所計画)。
- 1982年(昭和57年)3月:老朽化のため、原町無線塔が解体される。
- 1982年(昭和57年)10月:解体された原町無線塔のミニチュア記念塔である憶・原町無線塔が完成。
- 1983年(昭和58年):範囲確認調査の結果、桜井古墳に、古墳の周囲に掘られた堀である周濠が確認される。
- 1988年(昭和63年)6月13日:桜井古墳の、周濠を含む地域の遺構が、国の史跡に指定(追加指定)される。
- 1994年(平成6年):原町市が「桜井古墳保全整備事業」に着手。
- 1997年(平成9年):原町市および鹿島町(現・原町区および鹿島区)で原町火力発電所が運転開始。
- 1998年(平成10年)4月17日:常磐自動車道の南相馬インターチェンジ、着工。
- 2003年(平成15年)5月18日:原町市が桜井古墳を史跡公園(福島県初の本格的史跡公園)として整備し、開園する。
- 2004年(平成16年):北泉海岸でサーフィンのアマチュア全国大会開催。
- 2005年(平成17年):北泉海岸でサーフィンの東日本プロ大会開催。
- 2006年(平成18年)10月4〜8日:北泉海岸で世界プロサーフィン連盟公認の「ワールド・クオリファイ・シリーズ」が開催される。
- 2006年(平成18年):原町区の浦尻貝塚が国の史跡に指定される。
- 2007年(平成19年)10月4日:磐城無線電信局原町送信所跡地に道の駅南相馬、開業。
- 2009年(平成21年):原町無線塔跡地に花時計(無線塔跡花時計)が設置される。
- 2011年(平成23年)3月1日:人口70,772人、世帯数23,653[9]。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、南相馬市も被害甚大(※節を改めて詳述する)。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により、行方郡鹿島村、真野村、八沢村、上真野村、原町村、太田村、高平村、大甕村、石神村、小高村、福浦村、金房村の12村が成立。
- 1896年(明治29年):行方郡が宇多郡と合併し、相馬郡となる。
- 1897年(明治30年):町制が施行され、原町村が原町となる。
- 1898年(明治31年)1月19日:小高村が町制施行し、小高町となる。
- 1954年(昭和29年)3月20日:原町・太田村・大甕村・高平村の1町3村が合併の上、市制を施行し、原町市となる[10]。
- 1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡より、石神村を編入する[13]。
- 2006年(平成18年)1月1日:原町市および相馬郡小高町・鹿島町が合併し、南相馬市が誕生[14]。地域自治区となった旧市町は、それぞれ、原町区・小高区・鹿島区となる。
東日本大震災関連[編集]
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南相馬市は小高区と鹿島区で震度6弱、原町区本町と原町区三島町で震度5弱を観測した[15]。 さらにこの地殻変動が引き起こした津波が海岸線から約2km付近までの地域を呑み込み、壊滅させた[16][17]。 小高区塚原字沼在住の自然環境調査員の目撃証言によれば、特に津波の第3波は大きく、海岸線に設けられた高さ十数メートルの防潮林を越えたという[18][19][20][21] (なお、ごく一部の例外として屋敷林が住家[屋敷、母屋]を守った[22])。 原町火力発電所も津波の直撃を受け、死者1人、火災の発生(14日に発生)、機器損壊、8万トン級の石炭船の沈没等、多大な被害を受けた[23]。[24]
- 3月26日:桜井勝延市長が、動画投稿サイトYouTubeを公式情報の発信源として活用し、生活物資が足りない被災地の窮状を「兵糧攻め状態だ」と、英語字幕付きで世界に訴えた(撮影日時:3月24日21時)[25]。福島第一原子力発電所事故(東京電力)の放射能漏れによって屋内退避区域に指定された同市には食料・燃料等の救援物資が満足に届かず(cf. 福島第一原子力発電所事故#人々の言動)、政府や東京電力からの連絡・情報も不足しているとのことであり、この動画は世界からの反響を得た(4月21日時点で再生回数35万回を超えた)[26]。
- 3月29日:この時点で南相馬市は、死者301人、行方不明者約1,180人、破壊された世帯約1,800[27]。
- 4月7日:桜井勝延市長、YouTubeで市民向けに情報発信[28]。
- 4月9日:この時点で、死者403人、行方不明者1,071人、避難者279人[29]。
- 4月21日:アメリカのニュース雑誌『タイム』(ニューヨーク・タイムズ)が、2011年版「タイム100(世界で最も影響力のある100人)」の一人に、先の原子力事故への日本政府の対応を動画投稿サイト上で批判し、世界に広く支援を訴えた南相馬市長・桜井勝延を挙げた(日本人としては他に、宮城県南三陸町で患者の避難や治療に滅私の姿勢で尽力した内科医・菅野武を挙げている)[30][31][26]。
- 5月1- 2日:伝統行事「相馬野馬追」のために飼育されている馬28頭を、福島第一原発より20km圏(警戒区域)内から避難させる(特例措置であり、警戒区域内の家畜の移動は本来許可されない)[32]。
- 6月1日:警戒区域内(福島第一原発より20km圏内)で、避難住民所有の自動車の各自持ち出しが、「全行程2時間以内」との制限つきで許可され、対象9市町村の第1弾として南相馬市民38人と川内村民21人が放射線防護服を着用して地域に入る[33]。
- 7月20日:被災者向けの情報提供を主眼とした地上デジタルテレビ放送の実験試験局「南相馬チャンネル」が開局。
2013年(平成25年)
行政[編集]
歴代市長[編集]
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 渡辺一成 | 2006年(平成18年)1月30日 | 2010年(平成22年)1月28日 | 旧・原町市長 |
|
桜井勝延 | 2010年(平成22年)1月29日 | <center>(現職) |
警察[編集]
立法[編集]
市議会[編集]
- 定数:24名
- 任期:2010年(平成22年)12月1日 - 2014年(平成26年)11月30日
- 議長:平田武(友和会、3期)
- 副議長:今村裕(友和会、3期)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
友和会 | 9 | ◎細田廣、中川庄一、山田雅彦、鈴木昌一、今村裕、田中一正、西一信、湊清一、平田武 |
改革クラブ | 5 | ◎小林正幸、小川尚一、竹野光雄、田中京子、西銑治 |
公明党南相馬市議団 | 2 | ◎志賀稔宗、土田美恵子 |
日本共産党議員団 | 2 | ◎渡部寬一、荒木千恵子 |
無会派 | 6 | 太田淳一、大山弘一、奥村健郎、鈴木貞正、但野謙介、水井清光 |
※2014年3月24日現在。
福島県議会(南相馬市・相馬郡飯舘村選挙区)[編集]
- 定数:2名
- 任期:2011年(平成23年)11月20日 - 2015年(平成27年)11月19日
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
太田光秋 | 自由民主党福島県議会議員会 | 4 |
髙野光二 | ふくしま未来ネットワーク | 1 |
※2014年3月24日現在。
郵便[編集]
- 磐城太田郵便局
- 蛯沢郵便局
- 信田沢郵便局
- 原ノ町駅前郵便局
- 原町南町郵便局
- 原町本町郵便局
- 原町桜井町郵便局
- 真野郵便局
- 高平簡易郵便局
- 大原簡易郵便局
- 北海老簡易郵便局
- 小池簡易郵便局
- 栃窪簡易郵便局
- 飯崎簡易郵便局
地域[編集]
市勢[編集]
- 面積:398.50km²
- 人口:73,722人
- 男性:35,673人
- 女性:38,049人
- 世帯数:23,417世帯
- 人口密度:185.00人/km²
- 2006年(平成18年)1月1日時点。
人口[編集]
600px | |
南相馬市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 南相馬市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 南相馬市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
南相馬市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/07 | |
総務省統計局 国勢調査より |
教育[編集]
高等学校[編集]
中学校[編集]
- 南相馬市立原町第一中学校
- 南相馬市立原町第二中学校
- 南相馬市立原町第三中学校
- 南相馬市立石神中学校
- 南相馬市立鹿島中学校
- 南相馬市立小高中学校
小学校[編集]
- 南相馬市立原町第一小学校
- 南相馬市立原町第二小学校
- 南相馬市立原町第三小学校
- 南相馬市立高平小学校
- 南相馬市立大甕小学校
- 南相馬市立太田小学校
- 南相馬市立石神第一小学校
- 南相馬市立石神第二小学校
- 南相馬市立鹿島小学校
- 南相馬市立上真野小学校
- 南相馬市立真野小学校
- 南相馬市立八沢小学校
- 南相馬市立小高小学校
- 南相馬市立金房小学校
- 南相馬市立鳩原小学校
- 南相馬市立福浦小学校
交通[編集]
隣接する主要都市への移動手段は、南北へいわき市や相馬市に国道6号や常磐線が通じており、常磐自動車道の未開通区間が2010年代中半に開通予定である。西へは福島県中通りへの唯一の公共交通として県庁所在地の福島市まで路線バスが整備されており、2010年代末までに開通予定である東北中央自動車道を経由するルートが開かれる。
鉄道[編集]
- ※ 現在原ノ町駅以南(磐城太田駅方面)は東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故のため運休中。
路線バス[編集]
道路[編集]
- 高速道路
- 常磐自動車道
- 南相馬IC
- 南相馬鹿島SA/スマートIC - スマートICと駐車場、トイレは2015年2月に供用開始予定。物販観光施設は常磐道全線開通に合わせて開業予定。
- 国道
- 福島県道
道の駅[編集]
観光[編集]
- 福島県を代表する夏祭りのひとつと見なされる祭事。南相馬市原町区で騎馬武者約500人の行進の後、雲雀ヶ原祭場地にて、古式甲冑競馬と神旗争奪戦(■右の画像)が繰り広げられる。古式甲冑競馬と神旗争奪戦は明治時代以降の祭事である。
- * 相馬野馬追 野馬懸祭 :国の重要無形民俗文化財。
- 恐竜の足跡化石産出地
- 浦尻貝塚(うらじり かいづか)
- サマーフェスタはらまち
- 原町シーサイドパークを中心に、日中は砂の芸術や郷土芸能等催し物が開催され、夜は海に映える花火大会が開催される。屋台村も設置され一日中楽しめる夏の祭典で、子供たちの夏休みも思い出になっている。
- 海岸を埋め立てて造った、原町火力発電所の南側に続く砂浜海岸で、原町区にある。発電所の防波堤の反射波と直達波が合成されて大きな波が発生することから、サーフスポットとしても知られている。サーフィンの大会は、2004年(平成16年)にアマチュア全国大会、2005年(平成17年)に東日本のプロ大会、2006年(平成18年)10月4- 8日には、世界プロサーフィン連盟が公認する「ワールド・クオリファイ・シリーズ(WQS)」(2 star) が開催された。cf. サーフィン#2006年日本開催の主な大会。
- * 北泉海水浴場
- * 原町シーサイドパーク
- 右田浜海水浴場
- 塚原海水浴場
- 村上海水浴場
- 憶・原町無線塔
- 無線塔跡花時計
- 2009年(平成21年)、原町無線塔跡地に設置された花時計。cf. 憶・原町無線塔#周辺情報。
著名人[編集]
出身者[編集]
- 政治家
- 相馬利胤 :武士(陸奥相馬氏当主。相馬中村藩初代藩主)。天正9年(1581年)、小高城生まれ。南相馬に居城を置いた最後の陸奥相馬氏当主(※相馬藩庁は相馬中村城)。
- 鈴木安蔵 :法学者(憲法学者)、法制史家。1904年3月3日生まれ。
- 桜井勝延 :政治家(現:南相馬市長)。アメリカのニュース雑誌『タイム』から、2011年版「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた (cf.)。1956年1月4日生まれ。
- 芸能
- 文学
- スポーツ選手
- 平忠彦 :元オートバイロードレースライダー(世界グランプリ・ライダー)。1956年11月12日生まれ。
- 木幡初広 :騎手(JRA美浦トレーニングセンター所属)。1965年6月14日生まれ。
- 西内洋行 :トライアスロン選手。1975年10月13日生まれ。
- 今井正人 :陸上競技選手(長距離走、マラソン)。1984年4月2日生まれ。
ゆかりの著名人[編集]
関連事象[編集]
脚注[編集]
- ↑ cf. 福島県の地方区分図(参考):“売却農地情報”. (公式ウェブサイト). 福島県農業振興公社. 2011年6月24日閲覧。
- ↑ cf. 福島県の地方区分図(参考):“自動車税住所変更申請”. ふくしま県市町村共同電子申請システム(公式ウェブサイト). 福島県. 2011年6月24日閲覧
- ↑ cf. 福島県の市町村全図 :“[http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=61C99C74398E8ABF3BE60B393F45B83E?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=10073 地図上検索]”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閲覧。
- ↑ cf. “南相馬市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2014年3月8日閲覧。
- ↑ cf. “南相馬市(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。
- ↑ 6.0 6.1 “高倉文殊堂”. (公式ウェブサイト). 高倉文殊堂. 2011年6月6日閲覧。
- ↑ “原町市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2011年6月23日閲覧。
- ↑ 初期の経緯については『原子力工業』1982年1月
- ↑ 南相馬市公式ウェブサイトより。
- ↑ 同年3月18日、総理府告示第93号「市町村の廃置分合」
- ↑ 同年3月27日、総理府告示第219号「町村の廃置分合」
- ↑ 同年3月27日、総理府告示第280号「町村の廃置分合」
- ↑ 同日、総理府告示第516号「市村の廃置分合」
- ↑ 2005年(平成17年)8月8日、総務省告示第852号「市町の廃置分合」
- ↑ “震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年4月16日閲覧。
- ↑ “「砂嵐のような津波が…」壊滅的被害の福島・南相馬市”. イザ(MSN産経ニュース・ブログ) (産業経済新聞社). (2011年3月12日) 2011年6月6日閲覧。
- ↑ “NHKニュース 一夜明けた朝の様子 福島県南相馬市”. NHKオンライン(NHKニュース 動画) (NHK). (2011年3月11日) 2011年6月6日閲覧。:YouTubeを用いたNHKのニュース動画。“巨大地震被害 福島・南相馬”. Yomiuri online (読売新聞社). (2011年3月13日) 2011年6月6日閲覧。:同じく読売新聞のニュース動画。
- ↑ “海岸飲んだ大津波 南相馬市の男性撮影”. 福島民放(ウェブサイト) (福島民報社). (2011年3月20日) 2011年6月6日閲覧。
- ↑ “東日本大震災・南相馬,相馬地域の被害概要”. (公式ウェブサイト). 新潟大学 災害・復興科学研究所 (2011年4月8日). 2011年6月6日閲覧。
- ↑ “東北地方太平洋沖地震 写真特集”. 時事ドットコム (時事通信社). (2011年3月20日) 2011年6月6日閲覧。
- ↑ 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) 青森県〜福島県の津波高・浸水高および青森県〜千葉県の浸水状況. (公式ウェブサイト). 日本気象協会 (2011年4月22日). 2011年6月6日閲覧。PDF
- ↑ 東北震災(南相馬市原町区の津波被害)調査. (公式ウェブサイト). 明治コンサルタント (2011年5月1日). 2011年6月6日閲覧。PDF
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- ↑ “定期便ご案内”. 東北アクセス. 2013年6月6日閲覧。
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外部リンク[編集]
- 行政
- 観光
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